『世界を凍らす死と共に』4-2-1
2013年 05月 07日二.
病院は消毒液などで独特の匂いがするものだけれど、立花先輩の入れられた個室はそのような嫌な匂いはなく清潔な空気で満ちていた。穏やかな色調で部屋は整えられ、しかし蛍光灯は少し眩しいと思うくらいに明るい。
救急車で搬送された先輩の検査が終わる頃には日も暮れ、しばらく降り続いていた雨もやんでいた。最初に先輩を助けたときの検査よりは大分時間がかかったが、今日の先輩の様子から考えれば短すぎるくらいなのかもしれないとも感じる。
目を覚ました先輩はベッドの隣にいる俺を見て驚いたようだった。
「御薗木君?」
先輩は上半身をベッドの上に起こそうとして、結局うまく力が入らないようだった。無理をしないようにと告げ、体を寝かせる。
横になった先輩は改めて室内を見渡し、尋ねてきた。
「いるのは御薗木君だけ? その、うちの両親は?」
「来ていますよ。でも頼み込んで二人きりにしてもらいました。先輩と大事な話をしたかったので」
それを聞いて立花先輩は表情を曇らせた。
「アタシの身体のことだよね。ずっと黙ってたんだし、気になって当然だもん。それと告白に対する返事だよね。……うん、覚悟は出来てる」
俺は否定しなかった。実際にその通りの話をするつもりだったし。だから先輩が両拳を固く握りしめたのが視界に入っても、それに関して触れることをしなかった。
「臓器が少しずつ壊死していっているそうですね。治療法もないと聞きました。イメージとしては癌に近くて、ある程度侵食が進んだら器官の機能が損なわれるのを防ぐために切除するしかない」
「そう。顔とか腕には出ないから外から見てるだけじゃわからないんだけどね。でもそのせいで体の中でそういう異変が起こっていると気付くのが遅れて、小さい頃に一度大きな手術をしている。その後も何度か胸やお腹を切ってるから痕が残っちゃってる。進行はすごいゆっくりしたものだったんだけど、最近になって加速しちゃったみたい。ちょうど御薗木君に助けてもらった頃にそれがわかって、だから途方に暮れて一人で家を出たら倒れちゃったってわけ」
ということは一年前から先輩は自分の病状について知っていたということか。そして悩み続けて結局怪に縋った。
「一応ね、成功する確率は低いものの新しい手術をすれば、病気が進行するのは止められるかもしれないんだって。でも成功したとしても進行が止まるだけで、刻まれた傷は消えない。壊れたり切除された臓器も元通りにはならないから、子供も諦めるしかないよね。体力も人並みになるわけじゃないし、現時点で悪くなってる消化器官がごっそりと持っていかれるから食事も制限されることになる。しばらくは寝たきりの生活をして、その間に筋力も落ちるだろうから、普段の通りに歩けるくらい体力を回復させるには数年間はリハビリを覚悟してくれって言われた。この若い時期に、それって死刑宣告と同じだと思うんだよね。学校にも通えなくなるし、仕事に就くのも難しくなる。寿命は延びるかもしれないけど、普通の生活は一生できなくなる。それならすぐに死んでもいいから普通のことを目一杯しておきたかったんだ。それがアタシの夢だからって、お父さんやお母さんを説得したの。ずっと言い続けて、ようやく一人で学校に通わせてもらうことも叶ったんだけど、ちょっと短過ぎだよね」
長い独白をしながら先輩は泣いていた。何とか笑顔を見せようとするのだけど、唇がわななくのは止められなかった。
目尻から溢れる滴を指で擦りながら、先輩は俺に問いかける。
「公園で言ってくれたけど、こんなアタシでも御薗木君に想いを向け続けたら、振り向く可能性があるって話だったよね? アタシの口からも伝えたけど病気のことは知ったと思う。普通に付き合うことなんて無理だよ。子供とかはアタシたちの年齢からするとずっと先の話だから想像しにくいかもしれないけど、愛し合うために抱こうとしたらその相手の体は切り刻まれて傷だらけだっていうのはイメージしやすいと思う。それって幻滅するものじゃないかな。それとも御薗木君はそういうの気にならない人? 全部知った上でアタシに目を向けてくれる? ……もう一度、よく考えて答えて欲しい」
先輩は尻すぼみにそう懇願してきた。自信がないんだと思う。何度も病室で両親相手に温もりを求めて、その度に諦めてきたのだから。
でも俺はここにいる。今は先輩のご両親には席を外してもらっているけれど、俺と想いは同じだと思う。
「俺はここにいますよ。病気のことを聞いても、先輩が目を覚ますまでずっとその寝顔を見てました」
少し遠回しな言い方かもしれない。でもそれで先輩には十分伝わったようだった。
「そっか。御薗木君はアタシを見てくれるんだね……」
本当は俺だけじゃない。先輩のご両親は今でも病室の外にいる。ただそれを素直に受け入れられるほどには先輩はまだ気持ちを整理できていないと思ったから、俺だけにしてもらったに過ぎない。
先輩は隣に俺がいることを何度も何度も噛みしめて、少し元気を取り戻したようだった。表情を明るくしながら訊いてきた。
「でもそれはまだ恋愛感情ってわけじゃないんだよね? 同情だとかそういうのだとも思えないけど」
「そうですね。まだ先輩のことが好きかどうかはわかりません。ただ気になる人にはなりました。だからもう一度先輩のことを見つめることを始めようと思って、病室での出会いから仕切り直しすることにしたんです」
最初の出会いで深く病状を聞くことは無理だろうけど、でもその後も俺は先輩のことをきちんと知ろうとしていなかった。ただ体が弱い先輩というそれだけの認識。もしかしたら立花先輩はもっと見ていたと言うのかもしれないけれど、深く見ていなかったことに変わりはない。
少し悩む素振りをしてから先輩はさらに問いかけてきた。それはとても重い内容だったけれど、あえて普段通りの口調で質問される。
「ならアタシは手術を受けるべきかな? せっかく御薗木君が意識してくれるようになったっていうのに、すぐに死んじゃったら勿体ないもんね」
もしかしたら質問というより、背中を押して欲しかっただけなのかもしれない。先輩はこれから先のことを見始めている。すべてを諦めてすぐに自分の殻の中に閉じこもってしまっていた先輩はもういない。
「入院している間は毎日通いますよ。会えなくなったら変わろうとしている先輩の姿を見れなくなってしまいますし」
「そうしてくれると嬉しいな。もちろん忙しいときは無理しないでくれていいんだけどね。でもずっと放って置かれたら、病院を抜け出して会いに行っちゃうかも」
体が動かないのにどうやって俺の元に来るんだろう。でも先輩のことだから本当にやってしまうかもしれない。冗談のまま済ませてくれるように、約束通りきちんと通うことにしよう。
そこで先輩はふっと微笑を浮かべた。
「アタシを変えてくれたのは、最初も今回も結局御薗木君だったな。自分だけで変わろうとして失敗して、そして怪の力にまで縋ってしまって。それで迷惑かけちゃった。せいぜい怪が御薗木君と関係があるものだと知って、その想いを見せようと渡すことくらいしかしてないや」
先輩は自分が変われたのは俺のおかげだと思っている。怪の力はあまり関係なかったと考えている。実際にそうだったのかもしれない。先輩が一番深く関わり続けたのは俺だったのだから。
でも俺は怪の想いに触れることで大きく変わることが出来たし、そもそも怪の一件がなかったら変わろうとすらしなかったのではないだろうか。本当に怪は消えてしまうべき、忌むべき存在なのだろうか?
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