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PLOSの査読者は性差別的だったのか?

先日、オンラインジャーナルの一つであるPLOS ONE(あるいはPLoS One)が、論文投稿者によって批判されるという事件が起こりました。
批判をした投稿者は二人の女性研究者であり、Ph. D.取得後の研究者がポスドクになる際男性と女性の数に性差が認められることを調べ論文にしていました。これに対しPLOS ONEの査読者は次のようなコメントを付してリジェクト(=掲載拒否)したとされています。それは「共著者、あるいは少なくともピアレビューとして男性を加えるべきである。ポスドクには男性が多いとのことだが、それは男性が女性より足が速いのと同じように、生物学的な特徴に基づくものではないのか? 男性の博士課程学生の方が女性の学生よりも長時間勉学に打ち込むであろうし、そうならば女性よりポスドクになる数が多くても何ら不思議はない」というものでした。
このコメントを受け取った著者らは激しく憤り、その一部をTwitter上に公開しました。結果PLOS ONEは炎上し、担当した編集者を解任すると発表するに至りました。
この一件を知って、私はぎょっとしてしまいました。これは大問題だと感じます。
ええ、査読者やPLOS ONEに対してではありません。こんな馬鹿げた批判をしてしまった著者がいることに驚きを禁じ得ないのです。
今回はこの理由について書いてみようと思います。投稿された論文や、返ってきたコメント全文を読めるわけではないので断定はできないのですが、確認できたところを見るかぎり、査読者はむしろ貴重な意見をくれたと私には思えるのです。


さて、大きく取り上げるのはコメントの問題ですが、その前に。ちょっと学問的にも危機感を覚えるという感想を述べさせてもらおうと思います。
そもそも学問というのは、政治や社会からは切り離されているべきものです。科学などは時に大きな破壊力をもって人間社会をぼろぼろにしますから、殊更に政治の影響を受けないようにと気を付けています。
もちろん、現実的にはそのような切り離しは無理です。研究費という財政的な支援を国や企業から与えられれば、その利益になるような研究が盛んになるのは自然なことですし、そのような直接的な支援がなくとも、同じ社会で生きている以上社会の趨勢や流行り廃りが研究の色として出てくるものです。そうではあっても、せめて表面的には学問の世界は俗世からは切り離されていると振る舞うべきと研究者は考えており、ですから学会などはちょっと世の中から隔絶した雰囲気をまとうように意識されています(企業展示や書籍販売は会場から少し離れた場所にスペースが設けられるなど)。
論文の投稿や研究の発表においても、この意識は保たれています。企業等の営利団体からの金銭授受などの有無を示す利益相反(COIとも)は明示しなければなりませんし、研究内容の素晴らしさはそのプレゼンによってのみ示されなければならない。発表者の社会的地位なんて関係ないし、ましてや発表の場の外部から野次を飛ばして妨害することなんてあってはならない。論文にコメントが付いて、要修正なりリジェクトの結果が返ってきたならば、それに真っ向から取り組んで、より良いものとして仕上げた上で自身の意見を貫き通さなければならないのです(リジェクトの場合は同じ雑誌に投稿するのは常識的に考えて避けるべきですから、別の雑誌を検討)。
査読者だって色々な人がいますから、明らかな誤読をしてきたり、知識の不足があったり、人間的に優れていない人のこともあり得ます。結果を受け取ったときは、正直げんなりしますし、コメントを付けた人のことを恨みたい気持ちになることもあるでしょう。しかしそこで鬱屈した気持ちになるのではなく、「ああ、この書き方だと誤読されやすいんだな」と見直しをするのが論文採択への近道だと私は思っています。重要なことですが、受理されればその論文はもっと多くの人の目に触れることになるのです。もっとわけのわからない批判に晒されうるということなのですが、その危険性を減らしてくれているのが査読者という存在なのです(実際、査読者というのはその分野で優秀であることよりも、的外れでもいいから様々な角度から意見を出してくれる人が重宝されるのだと、大学時代に教えてもらったことがあります)。
このような立場からすれば、今回の著者らがとった行動は学者としてあるまじきものです。あまりにひどいコメントが付いて気分を害したのであれば、今後PLOS ONEなんかに投稿するのはやめて、他の学術誌で実力を示せばいいのです。これは理想論だと思われるかもしれません。けれどそもそも学問というのは理想を掲げることでその立場を維持しているものです。世論を味方につけ学術誌を批判するというやり方は、それはもう学問ではありません。「自分は正しい結果を導いている! 受け入れられないのは査読者が悪いからだ!」という意見がまかり通るようになっては、絶対にいけないからです。


とはいえ、本当に査読者のコメントが性差別的だったのなら、それを問題視するべきと考えるのもわかります(今回のようなやり方は絶対避けるべきであり、大学の指導者や学会での問題提起に出すなど、他の案を模索するべきですが)。では、そのコメントとはどのようなものだったのでしょうか? 著者らが公開したコメントの一部を、全訳して掲載します。
「一人ないし二人の男性の生物学者を共同研究者として迎え入れることもおそらくは有益なことだろう(すなわち、少なくとも内部でのピアレビューを得る、しかし共著者の方がやはりいいだろう)。時に経験的な証拠からイデオロギー的にバイアスのかかった想定に飛躍していってしまうような解釈についてチェックを入れてくれるからである。(中略)もしかすると、博士課程の男子学生の共著者が女子学生よりも平均で一本論文を多く出していることは、そう驚くことではないのかもしれない。ちょうど、男子学生が女子生徒よりも徒競走において少しばかり早く走れるように。(中略)これは〔学術研究としては〕考慮するほどの魅力がないものだろう。他の可能性としてこのような説明も提出され得るかもしれない。男性が筆頭著者となっている論文は、女性がそうなっているものよりも、平均してよりよい学術誌に掲載され、その理由として、その学術誌が性的バイアスを有しているのかもしれないし、実際に男性が筆頭著者の方が論文の質がよくなるからかもしれないし(中略)あるいは〔もっと〕単純な理由で、男性の方が女性よりもわずかばかり健康や体力で勝っているために、毎週男性の方が女性よりも一時間多く〔研究者として〕働いているから、よりよい雑誌に論文が掲載されるのかもしれない」
つまり、査読者はこのようにコメントしてくれているわけです。『あなたの提出した成果は、女性よりの意見によって飛躍を含んでいる可能性がある。もっと単純な理由で、ポスドクに性差が生じているのかもしれない。思いつくままに書いてみるけど、走るのは男性の方が速い、というような生物学的な特徴が背景にあるとか。そうであった場合、性差があるのはむしろ自然なことになるので、ジェンダー研究という学問分野で検討するには値しない(やるとするなら生物学などのもっと基礎の領域だ)。その検討をしていない以上、この論文には論証に不備があると言わざるを得ず、残念ながらリジェクトとなる。そうだな、修正するとするなら……どうだろう、せめて男性の共著者を入れてみては? 男性の視点を入れると思わぬ気付きがあるかもしれないよ』
どうでしょうか? この査読者のコメントは性差別的でしょうか?
身体的な特徴などを挙げているのは、確かに性差別的だとして槍玉にあげられやすいものとは感じます。けれどこれはあくまで仮定に対するさらなる想像であって、査読者が本当に思っていることではないと思います。むしろ懸命に想定され得る難癖を考えてくれて、そういう批判に晒されないようにするために意見をくれているように読めます。
もしかしたら、人によっては「男性の共著者を入れればいいのでは」のところに引っかかるかもしれません。実のところ、これはジェンダー研究をする者に対して投げる常套句のようなもので、私も言われたことがあります(私は研究テーマの一つとして「ジェンダーと科学」というのを持っています)。純粋な理性によって調査研究をしている者にとって、この言葉はしばしば不要なものだと考えてしまうし、思索が浅いと批判されているように感じて不快に感じることもあります。私個人としては、そろそろこの常套句もなくなるべきと思っています。それでも重要なものとして言われ続けているのには理由があります。実話かまでは知らないのですが、「あるとき労働状況における男女差に興味を持った男性研究者が、統計を取った結果、男性よりも女性の方が仕事を休みがちであると結論を得た。興味深い内容であると論文にして投稿したが、コメントに『女性の意見も聞いてみること』と付いて返ってきた。男性研究者は馬鹿にされたと思いながらも、意見に従い同僚の女性研究者に自分の論文を見せた。彼女は言った。『そりゃあ、女性には毎月生理がくるからね』男性研究者はそんな単純なことにも気付けなかったかと恥じ入り、論文を取り下げた」というお話を聞いたことがあります。非常に示唆に富んだエピソードであり、男性には女性が毎月苦しんでいることすら思い浮かばないことがあるし、それは学術研究のような理性にばかり頼ってしまうものでは身体的な感覚が抜け落ちやすいということでもある、という教訓を与えてくれています。
もう一度、このエピソードを聞いたうえで、査読者のコメントを読み返してみましょう。徒競走のような身体的な特徴を想起させるようなことが多く書かれているのは、今回の著者らに身体の感覚を取り戻してほしいと願ってのものだという気がしてきませんか?


私はこの査読者はとても優れた方だったんだろうなと思っています(だからといってリジェクトされる立場になるのはやっぱりイヤですが!)。まあ、冒頭で述べたように、論文もコメント全文も読めていないので、実際に問題のある人だった可能性も残るわけですが。
それでも、今回著者らが訳出したコメントの部分を取り上げ問題視しているのならば、それは著者らがコメントを真摯に受け止められていないことにこそ問題があると私は断じます。
今回の件で、PLOS ONEは担当した編集者を解任してしまいました。実のところ、PLOS ONEはしばしば批判に晒されてきたジャーナルです。知らない方のために簡単に触れておくと、主に医学論文を扱うオンラインジャーナルで、無料で閲覧できる学術雑誌です。紙媒体の雑誌よりも早く論文を公表できるため、非常に多くの投稿があり、それに対して高い採択率でもって掲載可の返事を出しています。年間で数万もの論文を掲載していることから、「いずれゴミ溜めのようになるだろう」なんて言われたこともありました。そんな批判に晒されながらも、最近では引用文献の出典元として見かけることも増え、頑張っているんだなあと個人的に思っていたところでした。そのような環境に置かれていて、評判を高めていかねばならないと考えているでしょうから、今回のような炎上騒ぎは避けたかったのだろうと思います。それ故の編集者解任。
しかしながら、この結末はPLOS ONEに対して、よくない印象を持たせることになってしまったのではないかと思います。今後どのようにして質の高い査読を維持していくのか気になりますし、また騒ぎを起こした学生に同情してしまう人が多くいることにも最近の学問世界の危うさを感じました。
by zattoukoneko | 2015-05-10 12:50 | 生物・医療 | Comments(3)