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山極のノーベル賞非受賞は人種差別?

以前ノーベル賞最大の汚点 というブログ記事を書いて、そこでがんの研究をした山極勝三郎がノーベル賞を貰えなかったのは、選考委員の人種差別的な意識によるものだと話をしました。
その後、ノーベル賞の選考過程が公開された(後ほど詳述)のに伴い、本当にそうだったのかと詳細な調査がなされました。結果、そのようなことはなかったようである、と導かれたので、今回はその研究内容に触れたいと思います。


と、本題に入る前にちょっと脇道に。
実を言えば、前の記事を書いたとき、すでに「実際はそうじゃなかったっぽいよ?」と小耳に挟んではいました。ですが、詳細なノーベル賞の選考過程を描出するのは本ブログの趣旨には合わないかなと、詳述するのはやめていめていました。元々本ブログに掲載する記事の内容は、高校生くらいからわかるもの、大学で学んでいくにあたって興味を持ってもらえたらいいなと筆者が思うもの、そして思索を深めていく一助になるようなもの、と意識しています。
私はバリバリの理科系(というか文科系がからっきし)として高校から大学、どころか小学校の頃から進んできてまして、その中で聞いた山極勝三郎の非受賞の話は大きな活力となりました。「山極の分までノーベル賞取るぞ!」みたいな感じです。ですので、私よりほんの少しばかり遅れてくる人たちもその話を知ることができるよう、書き残しておこうと考えたわけです。それが前の記事の動機。
しかしながら、その当時から『詳しいことがわかっているなら、そっちこそ書くべきではないか?』とは思っていました。より正しいことを書くことを是とするか、ネット上の記事は興味を持たせるだけでさらなる勉強は読者に任せるという態度を貫くのを是とするか、というせめぎ合い。
大分長いこと悩んでいましたが、今では読者層もかなり変化しており、またブログ記事の内容も堅苦しい方へと傾いてきています。ですので、ここいらで山極の話も片付けてしまおうと思ったわけです。
ネット上で山極について何か読もうと思っても、ほとんどのところは新しい研究には触れてないみたいだしね!
と、脇道でしたが、この著者の意識を知っておくことは、後々内容理解の一助になるかも?

山極勝三郎がノーベル賞を貰えなかった理由として「東洋人であるから」という話は、フォルケ・ヘンシェンという人物によって明かされたとされています。ここでのヘンシェンの話というのは、1966年10月24日に東京で開催された第9回国際癌会議での記念講演”Yamagiwa’s Experimental Tar Cancer and Its Significance – from Pott to Yamagiwa”のことを指しています。
さて、ノーベル賞の選考過程は秘密にされ、その内容が公にされるのは50年後と決められています。寄生虫によってがんが発生することを発見したとしてフィビゲルがノーベル賞を受賞した(そして山極がもらえなかった)のは1927年のことです。
おやおや? 何だか計算が合いませんね。単純に50年後に選考過程が明らかにされるとした場合、それは1977年を待たねばなりません。となると、記念講演をしたヘンシェンが何者かというのが気になります。彼は公式文書の公開を待たずとも、その内容を知ることができた人物なのでしょうか?

まずはノーベル賞の選考過程についておさらいしておきます。
ノーベル賞は世界各地の研究者から推薦状がノーベル賞委員会に届くことから始まります。そしてこれを元に候補者を絞り込んでいきます(第一次選考過程)。推薦状は山のように届くため、多くは以前に名前が挙がったことがあるかによって振るい落とされてしまうそうです。
次に受賞者になり得ると思われる人物について、その道の詳しい人に業績に関する報告書をまとめてもらいます。これを受けてノーベル賞委員会が最終報告書をまとめます(第二次選考過程)。この報告書が提出されるのは賞によって異なっており、物理学賞、化学賞、経済学賞ならばスウェーデン王立科学アカデミー、文学賞ならばスウェーデン・アカデミー、そして今回の生理学・医学賞ならばカロリンスカ研究所となります。これが毎年の9月半ば頃のこと。
最後に、報告書を元に教授会が開かれ、受賞者が決定されます(最終選考過程)。ほとんどの場合は報告書が出されたものがそのまま通るのですが、生理学・医学賞のカロリンスカ研究所の教授会はどういうわけか結構な率で否決します。そうなると報告書を再提出してもらったり、あるいはその年には受賞者は選ばれなかったりします(ただしノーベル賞は必ず受賞者を出すことになっているため、適任者なしとなったり、戦争などの理由によってそもそも受賞者を決められなかった場合は、次の年に前年の受賞者を決めることとなっています)。

さて、問題のフォルケ・ヘンシェンです。彼はカロリンスカ研究所の医学博士で、1926年に山極勝三郎について報告書をまとめた人物でした。しかしながら、山極がノーベル賞を貰えなかったという歴史的事実からもわかるように、ヘンシェンの報告書を受けたカロリンスカ研究所の教授会は山極への授賞を否決しています。
ここで重要となるのは、ヘンシェルは選考過程の一部には関わっているけれども、選考の内容を直接見聞きする立場にはなかったということです。そしてそのことは、先の国際癌会議での発言は、(それがどんな内容であれ)選考委員としてのものであるはずがなく、したがって責任ある立場としてのものではなかったことを意味しています。

では、選考の内容とはどのようなものだったのでしょうか? ヘンシェンが責任ある立場ではなかったとしても、もしかしたら選考委員から暴露話をされていたのかもしれません。次に公開された文書からわかることに触れたいと思います。
山極勝三郎の推薦は1925年に初めてなされたようです。これは東京帝国大学医学部の林春雄らによってなされました。しかしこの推薦に関してはノーベル賞委員会は特別な注意は払っていなかったようです。私が思うに、まだ一回しか名前の挙がっていない山極では、山となった推薦状に埋もれてしまったのでしょう。
二回目の推薦は翌年の1925年になされました。それはルドウィヒ・アショフという人物によるものでした。アショフはフィビゲルと山極の二人を推薦しており、その理由は二人の実験ががん発生に関するウィルヒョウの刺激説を立証したからというものでした。
そもそも以前はがんというのはどうして出来るのかわかっておらず、例えば、受精卵が細胞分裂を重ねて体の組織を作っていく中で、通常あるべきではない場所に別の組織が入ってしまったことによる、などと考えられていました(腸壁などに肉の塊である腫瘍ができることをイメージすれば、この仮説はわかりやすいかと)。これはがんが先天的な要因による疾患であるという考えですが、これに対し、ルドルフ・ウィルヒョウはがんは後天的な要因によるものであると考え、しかも繰り返し作用を受けることで発生するのであると仮説を立てました(注:毒などは一度きりの作用で体に影響が出ますが、がんは発がん性物質などによって繰り返し刺激を受けることでDNAが傷つき、次第に良性腫瘍、悪性腫瘍へと進んでいきます。反復刺激説は、原因物質はともかくとして、このような発生過程を持っていると推測したもの)。アショフの推薦状によれば、フィビゲルはネズミの体内に入った寄生虫ががんを発生させることを発見し、世界で初めて刺激によってがんが発生することを報告したことに意義があるとされました。しかし正確には、寄生虫が出した化学物質ががんを発生させるのであり、現在ではそちらこそが発がん性物質として捉え直されています。よってタールという具体的な化学物質によってがんを発生させたことに、山極の研究意義があるとアショフは続け、したがって二人が同時に受賞することが望ましいと考えていたようです。
これを受けてノーベル賞委員会は選考に山極とフィビゲルの二人を残し、ヘンシェンとベリストランドという人物の二人に報告書を求めました。
まずはヘンシェンについて。フィビゲルに関しては授賞させるか検討されたことがすでにあり、その結果の妥当性に疑問が付いたため見送られたという経緯がありました。しかし、ウィルヒョウの推薦にあるように、フィビゲルや山極の成果はウィルヒョウの反復刺激説を立証したという成果がすでに認められており、山極についても日本だけでなく各国で追試の成功が報告されていることから、授賞に値するとヘンシェンは結論します。
次にベリストランド。彼はがん研究において生化学的な流れが生まれていることを気に掛けています。つまり、フィビゲルの寄生虫によってがんが発生するという説は、実際には別の化学物質が間にあるとされていたり、山極の研究も、コールタールという漠然とした物質を用いていて、その中の何が原因か特定するには至っていない、ということが、さらなる研究課題として残されていると見ているわけです。具体的な発がん性物質を見つけることこそが重要であり、「反復刺激」というそれだけでは授賞するに値しない、少なくともそちらの研究に貢献したのかどうかがはっきりするまで保留すべきという態度となります。
これら二つの報告書を受けて、ノーベル賞委員会は最終報告書をまとめます。そしてすでに述べたように、これを受け取ったカロリンスカ研究所の教授会は、フィビゲルへも山極へも授賞は見送ると答えを出します。これによって1926年の賞は翌年以降に見送るか、再審査となりました。
再度有力候補についての報告書が集められる中、ヘンシェンのみは懲りずにフィビゲルと山極に関する意見書を提出しました。そしてこれは重要な意味を持つことになります。彼はがん研究の候補者を一人に絞り込もうと思ったのか、フィビゲルの研究は山極よりずっと先になされていて、その業績が反復刺激説を確定的なものとしたとして、こちらこそが受賞するに相応しいと述べているのです(なお、後半は以前のベリストランドの報告書に関する反論であり、先延ばしにする必要はないというもの)。このヘンシェンの報告書によって、山極が候補者から外されることが確定的になったようなのです。
結局1926年のノーベル生理学・医学賞授賞は見送られましたが、翌年の選考過程でも山極の名前は早々に外されることが決まりました。時折選考途中で山極の名前が出てくるようですが、それはフィビゲルの成果を後押しするために用いられてます。そして結果として1927年に、1926年の分としてフィビゲルが生理学・医学賞を受賞するのです。
このように、選考過程において人種差別的な考えによって山極勝三郎への授賞をなしにしたということはなさそうだとわかります。むしろ(科学的な成果はともかくとして)議論としては非常に筋の通ったものと思われます。日本人である私たちとしては「ヘンシェンよ、そこで何故山極を外したぁあ><」と悲鳴を上げてしまいそうなところですが、注目されるべき研究分野で誰かを受賞させてあげたいと思ったら、より業績として認められている人物に候補者を絞り込もうと考えるのも自然な流れかと感じます(補足ですが、フィビゲルの業績が完全に否定されるのは、1952年とノーベル賞よりずっと後のことです)。

では、どこから「東洋人にノーベル賞はまだ早い」なんて意見が出てきたのでしょうか?
ヘンシェンが1966年の国際癌会議の記念講演の中でそのような発言をしたとされていますが、彼の講演内容はその全文が雑誌GANNに掲載されており、そこにはそのような文面はありません。それより前だと吉田富三という人物がヘンシェンから聞いた話として1965年に報告しているものがあるのですが、そこには「日本人にノーベル賞はまだ早いという主張で」という内容があるのですが、どこまでがヘンシェンの直接の言葉で、どこからが吉田の言葉なのか曖昧なようです。
吉田よりさらに前に遡った調査によると、東京帝国大学医学部の中に、1940年頃から「日本人であったから、山極は受賞できなかった」とする見解があったそうです。東京帝国大学は山極勝三郎が研究成果を生み出した場所であり、1925年の推薦を行なった人物らの所属するところでもありました。
今回紹介した研究では、山極の非受賞によって悔しい思いをした東京帝国大医学部という集団があり、そして代わりに受賞した(正確には同じ分野で受賞した)フィビゲルの成果も誤りだったとわかっていくことで、山極こそが受賞すべきだったという感情が芽生えていったのではないかと推測しています。
これに私の感想を加えたいと思います。冒頭で述べたように、山極の記事を書く際、これから科学に興味を持って取り込んでいく人たちに興味を持ってもらいたいという意識がありました。がんというのは現在でも死亡原因の上位を占める疾患であり、国際的に見ても重大な研究課題となっています。それに参画して大きな成果を収めた山極はやはり誇らしい存在であると思います。興味を持ってもらうというのは教育的な側面があるということですが、その際に受賞を逃したことの理由も求められると思います。「人種差別によるのだ」という説明は非常に短絡的ではありますが、業績が素晴らしいと信じている人には縋りつきやすいものなのでしょう。選考過程がまだ秘密にされていた当時の時代では、想像に頼る部分が大きくなるから殊更でしょう。東京帝国大学医学部の人たちも、教育的なエピソードとして山極を紹介する際に、その非受賞の説明に苦慮したのかもしれません。


さて、今回は山極のノーベル賞非受賞にまつわる話をしました。これまで語られてきた「日本人への人種差別によるものだ!」という説明は、こうした精緻な研究も出てきたことだし、今後消えていくべきなのかもしれません。それでも山極の成果は称えられるに値するものであり、どのようにして教育的な逸話としていくかが課題となってくるような気がします。
まあ……ノーベル賞の選考過程を、いかにうまく説明するかが難題ですよねぇ。
by zattoukoneko | 2014-10-19 20:30 | 生物・医療 | Comments(0)

「問題提起」ノーベル賞受賞者中村修二さんを失った日本はダメな国なのか?

10月7日、ノーベル物理学賞受賞者の発表がありました。2014年は青色LEDの発明で赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの三人が選ばれました。
青色LEDに関しては、まさに科学の応用の側面を重視するノーベル賞だなって印象でした。震災以降安価なLEDが照明として大分普及しましたから、今回の授賞理由にピンと来る人も多いと思います。スマートフォンのライトとして常に身近にあるものでもありますし、また青色LEDの技術はblu-rayにも繋がったと聞けば、生活を変えた発明として納得でしょう。
それはさておき、受賞者のうち赤崎さんと天野さんは日本人ですが、中村さんは「元」日本人です。現在はアメリカ国籍を取得して、アメリカに住んでいます。というのも、青色LEDの発明に対して、満足な報酬が得られていないと不満を持ち、「日本の(司法は)腐っている」と言い捨て国外脱出してしまったのです(いわゆる404訴訟)。
これだけ聞くと、『なぁーんだ、日本はやっぱりダメなんじゃん』と思ってしまいそうです。実際国内外の大手メディアもさっそくその論法を使っているのが見受けられました。
でも、本当にそうでしょうか? 中村さんを含め、その腐った日本にいたからこそ偉大な発明ができた可能性はないのでしょうか?
今回は、その疑問を持ち上げはしますが、実際にどうなのかと掘り下げることはしません。調査するにはちょっと難しすぎるテーマなので。ですが、私が言いたいことは決まっています。先に言ってしまいましょう。
   発明したのは日本でじゃん! 日本の功績ってことでお祭りしようぜ!!
具体的にはクリスマスツリーを全部青色LEDでですね?(マテ
冗談はこのくらいにして、以下は疑問を投げることに専念します。

私が以前出席していた研究会で、次のような仮説を持っている方がいました。
「僕は日本の企業が研究者にまともな報酬を支払っていないからこそ、日本の中からモノヅクリのような素晴らしい成果が生まれてくるんじゃないかと考えているんです。例えば、小さな町工場は、技術的な成果によって生み出されるお金をみんなで分け合っています。また、時には特許もちゃんと取らないこともあります。技術に熱中する雰囲気がそこにはあるから成果が生まれるのであって、もし発明した人に相応の対価を支払わねばならないとなったら、町工場のようなところは消えてしまうと危惧します」
その方はその後このテーマで論文を発表していないと思いますし、(研究会中にも教授からの厳しい意見としても出たのですが)そのことをどう論証していくかを考えると、非常に難しいものがあります。
ただ、当時の私は似たような見解を持っていて、日本の企業は未成熟だからこそ、独自の成果を出せている可能性もあるのではないかと考えていました(以前のブログ記事 「携帯のバッテリーを見てください」の後半)。その方の意見は、見ている側面こそ違うものの、日本の未成熟を取り上げているという点で共感したものです。
未成熟であることはしばしば批判されるものですが、私はこの未成熟に鉤括弧を付けてもいいんじゃないかと思っています。というのは、未成熟というのは欧米の社会が基準だからです。
欧米の社会を採点基準にしているんだから、日本が未熟になるのは当たり前。
そうではなくて、未熟なら未熟で、その中に大事にすべき姿勢はないのかと考えるのが日本が生き残っていく道だと思っているのです。
中村さんが自身の発明に対して、正当な報酬を得ていないと考え、それを要求して訴訟を起こすのもアリでしょう。企業が大きな功績を出した者に対して、高額な褒賞を出すようになれば企業内での向上心や競争心が生まれるかもしれません。一方で対価や名誉には興味を持たず、技術開発こそが生きがいだという考えも同じくらい重要です。特に基礎科学/技術の分野は研究費を吸い取るばかりで企業に利益なんて生みません。安直に「利益を出せば企業も見合った対価くれる!」という風潮が出来てしまったら、日本の基礎研究はあっという間に潰えてしまいそうです(ベル研などに代表されるアメリカの企業内研究所は、基礎研究は大事だと惜しみなく研究費を与えたので、基礎研究も息がしていられる風土に育ったようですが。日本は基礎研究がちょっとでも利益になりそうな発見をしたら、即座に応用に転換させて息を詰まらせそうですよね。デュポンのカロザースのように……)。

今回は問題提起だけなのでこのくらいで。元々青色LEDが極めて応用に近い研究なので、報酬がどうのって話に結び付きやすい気がします。なので、今回触れた基礎研究とか報酬の少ないことこそが~という話をしようとすると、どこかで無理が出てしまう気がします。掘り下げるとしたら、どの点なら調べられるのか、冷静に選り分けてからになりそうですね。

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2014/10/08 12:35追記
今回のブログと似たような趣旨のことを,まったく異なる立場から説明を試みた撃壌さんという方をご紹介します。
リンク先はtogetterという外部サイトで,結構重いので注意。
ノーベル賞の中村修二氏が捨てた日本社会・企業はそんなに糞なのか?-Togetterまとめ

私もコメントを残してみましたが,まとめ主である撃壌さんは「集団の中の個人」を尊重する立場を取っておられます。先人の発見・発明や,企業や社会という集団による貢献を重要視するものです。
一方で,私はここのブログでもちょっと触れているのですが,「個人そのもの」を尊重する立場です。発見者や発明者の独自性を重要なものとする考え方。いつか伝記を日本で流行らせたいなんて夢を持っています。
歴史や社会という背景を捉えることはとても重要なことで,それを主に取り上げるのは外的歴史(エクスターナル・アプローチ)と呼ばれており,科学史の分野では1970年代以降主流なものとなってきました。個人の背景を取り上げるのもエクスターナル・アプローチの一種で,より新しい傾向なのですが……今は深く突っ込まないことにします。
ともかく,このような研究が大きくなるにつれ,ある反対意見が出てくることになります。
「じゃあ,アインシュタインは相対論を発表するのが他の人より早かったというだけなのか? 同じテーマを研究していれば,いつかは他の人が相対論を発表できたということか?」というものです。
あ,前言撤回。この反論は個人の偉大さが消えてしまうのではないかという危惧から生じた意見なのですが,それを救済しようというのが,個人に注目するという新しい科学史の流れです。と,ちょっと触れておくことにした。
今回の記事でも触れていますが,日本では「集団の中の個人」という意識が強いように思います。そして私はそれこそが発見・発明には重要だった可能性はないか?,と疑問提起しました。いわば,個人を評価するために,その背景にある集団の価値を見極めようというもの。
紹介した撃壌さんは,「集団の中の個人」という見方から,「では実際に利益は正当に分配されていないのか? 集団のために個人は潰されたのか? その逆はないか?」と問題を出し,ひと通りの解答を導き出しています。集団そのものを取り上げているわけですね。
さて,ここからは想像ですが,中村修二さんは個人を重要視したいという立場なのではないでしょうか? アメリカンドリームに代表されるように,アメリカは歴史的に科学者・技術者をヒーローに仕立て上げてきました。中村さんがヒーローという個人が好きなら,そりゃあアメリカの環境は素晴しいと喧伝して何ら不思議はないでしょう。そして,一方で集団を大事とする日本には,嫌悪感すら抱くかもしれません。結局のところ,反りが合わなかったというだけではないでしょうか?
もちろん,日本は本当に集団重視の研究環境なのか,アメリカは個人重視なのか,といった疑問も出るでしょうし,ここで書いたような線引きはとても粗いものです。それでも,中村さんの言葉だけをとって日本を評価するのは,ちょっと危険だとはいえると思います。
by zattoukoneko | 2014-10-07 22:15 | Comments(1)