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2014年イグノーベル賞:バナナの皮を踏める人

さる9月18日、2014年のイグノーベル賞の授賞式がありました。
公式サイトで各賞の内容を見ていた私は、生物学賞の「犬はトイレをする際、地磁気の南北に体の軸を合わせようとする」というのを読んで、思わず『ワンコってクルクル回るよね><』と萌え萌えしてしまいました。萌え萌えするだけでなく、その行動に意味があるんじゃないかと研究された方は、きっとワンちゃんへの愛情が飛びぬけて深いのでしょう。私もそんな研究がしたいなって思うほどです。
ところで、筆名から察しが付くと思いますが、私は猫好きです。ですのでこの生物学賞の一つ上にあった公衆衛生賞の「猫を飼うと鬱になる」の項目は、全力で気にしないことにしたのは言うまでもありません。
結論:かわいければいいんだよ!

さて、ここのブログではしばしば「ノーベル賞は社会に貢献したという即物的な結果を重視してるけど、イグノーベル賞は科学の手法(≒科学論)の側面から興味深いと思われる研究に賞を与えている!」という旨の主張をしております。
と同時に、ここ数年イグノーベル賞は日本人が連続して受賞しているものでもあります。
この二点を合わせると、日本人の科学研究は(実績こそイマイチだけれど)内容は素晴らしいものなんじゃないか!?、という見解が出てくることでしょう。これが正しければ、日本の科学の未来も明るいと言えるでしょう。
ですが、実際にはビミョーな感じでして。これは私の主観を多分に含んでの感想ではあります。しかし海外の科学記事を見ても、日本人が獲ったものについては小さな扱いばかり。科学論的に重要というよりは、どちらかというと笑いのネタにされているのかなって印象を抱いていました(だからこのブログでは日本人受賞者は記事にしていない)。そもそもイグノーベル賞が笑いの要素を内包しているから、純粋に科学としてどうこうという評価はしづらいのですよね。

けれど今年物理学賞を受賞した馬淵清資さんらのバナナの滑りやすさの研究については、注目するに値する気がします。BBC ScienceやNew Scientistといった海外の科学記事もバナナの研究にそれなりの紙面を割いていました。ではどこにイグノーベル賞を与えるだけの価値があったのでしょう?

「よくお笑いのバナナを真剣に研究したな!」というのももちろんあるでしょう。馬淵さんは人工関節について研究していて、バナナの滑りやすさについて調査したデータがないと気付いたそうです。ここで想像してみて欲しいのですが、あなたが大学生だとして、ゼミで「なんでバナナって滑るんだろう……? 研究しようかな」と発言したとします。ゼミ生から嘲笑の的にされることは容易に想像がつくと思います。バナナは関節じゃないし、よしんば研究の役に立ったとしても寄り道だと思われるからです。馬淵は、その関心を真剣に受け止めてくれる方に恵まれていたのか、笑われても気にせず我が道を貫いたのか、はたまたそもそも他人に打ち明けなかったのか、その辺りの事情について私は知りません。何にせよ、その寄り道をしっかりやろうという馬淵さんの研究者精神は素晴らしいものだと思います。これは受賞者として選ばれるに十分値するものと考えます。

加えて、その研究の丁寧さも注目に値します。論文「バナナの皮の潤滑油効果」は発表された直後から割と話題になっていたように思います。テレビ(だったかな?)でも取り上げられることがあり、すでに内容を知っていた人も多いのではないでしょうか。
英文ですが、論文を読めるところを紹介しておきます。 Frictional Coefficient under Banana Skin(PDF)
バナナが滑るか否かを調査しようと思ったとき、それを調べるには何をすればいいでしょうか? とりあえずバナナを踏んでみる? 体育館に敷き詰めて、その上を走ってみる?
私が重要だと見るのは、先のリンク先のp. 149にある図表です。あるいはそれ以前にある摩擦係数の数値化。バナナを踏んで滑る体験をするだけでは、どこまでいっても科学知識になりません。数値化することで客観性を持たせ、他の材料と比較することで滑り「やすさ」を導く。この過程は科学(に限らず学術)研究では非常に重要なものです。
学術研究は主観性をいかに排するかの戦いとも言えます。実際にはどのような研究でも社会通念の影響を受けるとされているのですが(「科学知識の社会学」をご参照ください)、研究者は自分の主張がいかに万人に共通のものであり、地域や文化の壁を越えて普遍的なものであるかを読者に説明しようと試みます。その際に数量化は近代科学の重要なツールと見做されており、さらに現代では統計処理することで有意であることを見せようとします。
これは研究をしている者ならば呼吸をするかのごとく身に付いているべきこととされており、しかしながら実際には9割以上の人は出来ていないと嘆かれるものでもあります。投稿論文の途中過程を何らかの場面で見たことがある人は、この事情が納得できることと思います。査読者から「統計処理がなってない」とコメントが付いて戻ってきたり、それどころか投稿前に指導者から注意されているのを見たり。先行研究がないものになると、この傾向は加速します。あるいは人文科学になると統計処理が端から頭になかったりすることも(例えば、昔の医療の状況を調査しようとして、それは歴史学だからと史料を漁るだけで満足するなど。世界に一つしかない文献を調べられるのが歴史学的手法の強みですが、症例数のように多くのデータがある場合は、他地域・他時間軸と比較して有意差の有無を調べなければ怠慢以外の何物でもなく、主観が入り込む虞すら出てくるのです)。
馬淵さんらはバナナの皮という先行研究のないものに挑みながらも、日常的にやる科学の手法をきちんと踏襲していると言えます。Fig. 7に参考文献の注が付いているのも憎いですね。
私はこの実直な科学的態度が受賞につながった理由だと感じます。

馬淵さんらのバナナの研究は、派手さはあまりありません(比較するとするなら、昨年のタマムシ研究など。セレンディピティのような最近注目されている概念が受賞理由として垣間見れます。参考:昨年の記事水の上を走りたければ、月に行けばいいじゃない!)。それでも科学研究に誠実であること、その意義を伝えるものとして、研究者は見習うべき姿勢がそこにはある気がします。
道路に落ちているバナナを見たとき、何も気にせず通り過ぎるのではなく、社会的道徳観に則って拾ってゴミ箱にポイするのではなく、『これって踏んだら面白いのか?』と本当に踏んでみる。踏んだらその経験を他人に語り聞かせるために説得力を持たせようと考察してみる。それが出来てしまう人が如何に一握りの人間であるか。そのように考えると今回の受賞の価値がわかるのではないでしょうか。
by zattoukoneko | 2014-09-21 23:44 | 物理 | Comments(0)