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方程式を見つけた八百屋さん

魚屋だったかもしれません(ぇ
これはちょっとした「お話」で、次のような内容になります。

***

昔、小学校を出て家業の八百屋を継いだおじいさんがいました。
おじいさんは収支の計算を何十年も続けるうちに、ふとあることに気付きます。
自分の発見は素晴らしいと思ったそのおじいさんは、それを整理し、ついに大学の数学教授に成果を見せに行くことにしました。
八「求めたい値を甲と書き、等号で式を作ります。この後数を左右で入れ替えることで、甲の値を求めることができるんです」
教「すごいですね。これをお独りで発見されたんですか?」
八「はい、そうです」
おじいさんは数学史上に残る大発見をしたと思っていました。さぞや立派な賞をもらえるに違いないと期待していました。
数学教授が、おじいさんに“教え”ます。
教「これは方程式と呼ばれ、16世紀頃に成立したと考えられています。未知数はxで置くのが一般的ですね。今では中学校で教えられているものです」

***

当然ですけど、おじいさんは何も賞はもらえませんねー。
一見するとダメなおじいさんですが、私が聞いたものには後日談があり。
教授に出会ったことで数学の面白さに目覚め、大学の授業に参加することを認められます。そして中高に通っていないことや、年齢を感じさせない早さで内容を習得していったとか。

様々な捉え方ができる深い話だと私は思っていて、中学三年生~高校一、二年生を対象に使わせてもらうこともあります。
ストレートな受け取り方をすると「中高の勉強は大事!」になるのかな。
もう少しひねると「先人はすでに多くの業績を生んでいるから、まずは学びに行こう」となる気がします。年齢重ねると、自分でうだうだと考えてしまって、他人に聞くことをしなくなりがちですし。
だたもう一つの捉え方も重要だと思っていて、それは「そもそも考えることをしていなかったら、はたしてこのおじいさんは数学を学び取ることができただろうか?」というもの。これは後日談まで含めるとより実感が湧くし、教授の「すごいですね」という言葉も皮肉ではないとわかる。授業に参加しているだけで成績が伸びるなら、誰も苦労しませんからね。

どのような捉え方をするか、重きを置くかは、聞いた人の資質に拠る気がします。ただ学ぶ姿勢を考える上で、とても面白い話だと思っていて、だから私は中高生相手に披露しています(私自身、最初に聞いたのがその頃だったというのもありますが)。
上記した以外の捉え方もできるかと思います。小話として使うのもありかもしれませんね。時には「方程式ってなんだっけ?」と返ってくることもありますし(いや、ホントに)。
by zattoukoneko | 2013-05-11 10:38 | 受験関係 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-4-2


 放課後の美術室で俺が絵を描く準備をしていると、遅れて柊がやって来た。彼女は俺が引っ張り出してきている画材を見て少し驚いた表情をしてみせたが、ある程度は予想していたのではないかとも感じた。
 俺は手元にあった絵具を一つ取ると、それを柊に示しながら告げる。
「コンクールへの出展も考えると今から油彩の勉強をしている時間はないし、今回は水彩画にしようと思う。一応小学校の頃にやっていたからある程度覚えているとは思うんだけど、実際に絵具を混ぜて色を変えるのは久しぶりだし、彩色するのもそのときのレベルで止まってる。だから指導をお願いしてもいいかな?」
 それを柊は承諾してくれたのだろう。ただ確認のためか違う言葉で尋ねてくる。
「結局鉛筆画や木炭画はやめることにしたのね」
「まあな。柊には駄作だと評価されていたし、俺も今ではそう感じてる。それに描きたい対象も出てきて、それには色があった方がいいと思ったから変えることにした」
「そう。なら御薗木くんの好きなようにすればいいと思うわ。描きたいものを我慢して他の絵に手を付けても、そうそういいものは生み出せないから」
 自分のキャンバスを引き出してきて椅子に座った柊は、眼鏡を脇に置く。しかしすぐには作業には取りかからず、俺と話をすることにしたようだった。
「それで題材は決まっているのかしら? コンクールへ出展するのなら急がないといけないわけだけれど」
「実はまだ悩んでいる途中なんだ。具象画にするか抽象画にするかも決まってない。まあコンクールはいざとなったら諦めるよ。絵を描く以外にもやらないとならないことがあるし。推薦してくれた顧問の先生や、枠を譲ってくれた他の部員には頭下げなきゃならなくなるけど、仕方ない」
 それを聞いた柊は、絵のことよりも別のことが気にかかったようだった。
「時間がないというのは立花先輩のお見舞いに行くからかしら。面会時間を考えるとここにいる時間はほとんど作れなくなるわね」
「それは大丈夫。特別に時間外でも先輩の病室に行っていいという許可を貰えたんだ。どうやら立花先輩が押し切ったみたいなんだ。手術は受けることにしたけど、代わりに俺に会えるようにしろって。以前の先輩だったら考えられない行動力だと感じるよ」
 もしかしたらまだ虚勢も含まれているのかもしれない。でも表面的なものだけだった頃とは違っていた。昨日も会いにいったのだけれど、入院している身とは思えないほど生気に満ち満ちていた。
 俺はそのことを嬉しく思いながら報告したのだけれど、柊は視線を鋭くしてこちらを睨みつけてくる。
「仮初めのものだったとはいえ、わたしたちは付き合う約束をしたほどの間柄なのよね。あまりに浮気が過ぎると、夜道で急に刺したい衝動に駆られるかもしれないわ」
「……もしかしてまだ危険なナイフを持っていたりするのか? それと目付きが怖い」
「冗談よ。ナイフももうないし、人を襲うなんてことしない。何かあれば御薗木くんが相談に乗ってくれるそうですもの。あと前にも言ったはずだけれど、目付きは眼鏡を掛けていないせいよ」
 俺は思わずこめかみを押さえてしまった。柊も大分感情を表に出してくれるようになったけれど、表情はあまり変わらないままだし、そのせいで冗談だとわかっていても冗談に聞こえないことがある。
「まあ立花先輩との面会は約束していたことなのだし、守らないといけないでしょうね。けれどいくら許可を貰ったとはいえ、あまり遅くに会いに行くのも失礼だわ。そうなるとやはりコンクールに絵を間に合わせるのは難しくなるかしら」
 そこまで話した柊は、急に内容を変えて知らせてくる。
「ところでわたしが少し遅れてここに来た理由なのだけれど、実は早乙女くんを顧問の先生のところに案内していたのよ。急にコンクールに自分も作品を出したいなんて言い出して、けれど顧問が誰か知らないから教えてくれなんて、呆れるにも程があるわよね」
「ちょっと待った。隼人がコンクールに出展するのか?」
「その交渉をしているところよ。いくつかデッサンを見せたら顧問の先生もその力量は認めていたようだし、御薗木くんがリタイアするということになれば早乙女くんが選ばれることになりそうね。他の部員も描きあげられたものを見たら渋々でも納得するでしょう。だから穴が開くことは気にしなくていいんじゃないかしら?」
「むしろそれを聞いたら隼人に負けたくないという気分になるよ。この前は完敗したけど、今の俺はあのときと違うわけだし」
「あらそう。なら精々頑張ることね」
 それだけ告げると柊は自分の絵に向き直った。どうやら彼女なりの応援だったらしいとそこで気付く。ずっと面倒を見てきたわけだし、今回の件でも深く関わった。その分柊は隼人よりも俺に期待しているのかもしれない。
 なら俺も出来得るだけのものを絵で表現しないとならない。柊には題材は決まっていないと言ったけれど、本当は描き方が決まっていないだけで、何を主題にするかは決まっていた。
 それは今回の一件で見た想いの渦だ。みんなの想いが絡み合い、それぞれ向いている方向は異なっていながらも、最終的に一つの現象を生み出していく様を表現したい。それは彩りに溢れていたから、だから木炭画や鉛筆画ではなく水彩画にすることにしたのだ。油彩画のように重ねることで想いの蓄積を表現することは出来ないが、代わりにお互いに融け合って新しい色を生み出す様子を表現するには水彩画の方が適している気もしていた。
 問題は構図だ。しばらくの間白いキャンバスを眺めながら今回のことを振り返る。そうしながら、結局俺は俺としてこの件に関わっていたのだよなと結論付ける。なら少なくとも中央に描かれる対象は決まった。
 まだ気が早いけれど色を塗ることにすでに胸が躍っている。その高揚を楽しみながら俺は下書きを始めた。

   了

by zattoukoneko | 2013-05-07 05:50 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-4-1


   四.


 怒涛の休みが明けて翌々日。その日は階下から聞こえた母さんの悲鳴で目が覚めた。
 声がしたキッチンに向かうと、揚げ物用の鍋から高々と火を上げ、その前で母さんが慌てふためいていた。俺がやって来たことに気付くと助けを求める。
「鏡夜くん、どうしよう! 火事になっちゃう!」
 俺はそれに応える前に、近くにあったフライパンの蓋を手にし、火に気を付けながら鍋の上に静かに乗せた。ガラス製の蓋の下、しばしの間ゆらゆらと揺れていた赤い火がふっと消える。熱気が遠退いたことを確認して、俺はガスの火を止めた。
 隣で胸を撫で下ろしている母さんに、俺は注意する。
「調理中に火事になりそうになっても慌てないこと。そして落ち着いて行動をする。揚げ物油に引火した場合には蓋をすれば空気が入らなくなって火は消えるから」
「あー、そうだった。教えてもらってたのにいざ火が移ったらあっという間に目の高さ超えるんだもん。びっくりして頭から抜けちゃった……」
 その辺りは慣れも多少必要だとは思うけれど、母さんの場合にはそもそもの注意力が足りていないような気がする。
「油に火が点いた原因は? さすがに目を離していたとかはないと思うけど」
「えっと、一昨日のタコさんウインナーは足がきちんと開いてなかったじゃない? その後足を綺麗に広げるには一度ボイルしてからさっと揚げるといいよって教えてもらって。今回はその効果の程を確認しようと試してみたんだけど、茹でたウインナーを油の中に入れたらバチバチってすごい勢いで油が撥ねて……」
「湯きりはきちんとしてなかったってこと? それってお湯を油に入れちゃったってことじゃないか。そりゃ当然の結果だよ」
 頭を抱える俺の横で、母さんが「なるほどー」と手を打つ。まだまだ基本のところで躓いているらしい。とりあえず黒焦げになったタコさんウインナーが、鍋の中で大きく足を広げている様子は可愛くはあった。
 そんな朝の騒動から四十分くらい経って。俺は制服に着替え終えていて、その上にかけていたエプロンを外しながら、朝食の並んだテーブルに向かう。先に席についていた母さんが、ナポリタンを口に運んで歓声を上げる。
「美味しいよ、鏡夜くん! 丸焦げになったタコさんウインナーが気にならない!」
 それから夢中でフォークにパスタを絡め取っていく母さんを見て、俺は大きく嘆息する。
「焦げた部分は削ぎ落したからね。おかげでウインナーというよりハムみたいになっちゃったけど。それはともかく、やっぱり料理は俺がやろうか? 簡単なものは作れるようになったとはいえ、まだまだレパートリーは少ないし、失敗も多いし。家事は得意な分野をそれぞれ分担すれはいいと思うんだ。お互い支え合うっていう話になったんだし」
「そえはでうねー」
 口の中に物を入れたまま喋ろうとして、うまく言葉を発することが出来なかった母さんは、もぐもぐごくりと咀嚼と嚥下を終え、口に付いたケチャップもきちんと拭き取ってから再度話し始める。
「それはですね、そこが母親としての絶対防衛ラインといいますか。むしろ得意なものを鏡夜くんに任せるとやることが全部なくなってしまいます!」
 そうきっぱり断言されるとこちらが困るのだけれど。思わず頭を抱えそうになったところに、母さんが真面目さを取り戻して告げてくる。
「支え合うっていうのは依存するってこととは別物だからね。助けてもらうべきところはお願いしつつも、自分の力は付けていかないと。私は料理がその最たるものの一つじゃないかなって考えてるの。今だって鏡夜くんはお昼には家にいないわけだし、大学に進めば夜もお友達とお出掛けすることが増えるかもしれない。そういうときは助けを求められないし、それに夜遅くにお腹を空かせて帰ってきたら、すぐに何か作って食べさせてあげたいしね」
 母さんの主張はもっともだ。俺たちは想いを相互に重ね合いながら共に歩んでいくけれど、そもそも自分の意志がないとどこに行ったらいいのかわからなくなってしまう。
 ただ母さんの台詞が可笑しく思えて、ついつい苦笑してしまう。
「何だか家で恋人の帰りを待ってる人みたいだよ、それ」
「あくまでお母さんとして、です。むしろ年齢が近くて同じようなことをしている者同士だと、一方の帰りをずっと待ってるなんてそんな甘々な生活は出来ません」
 じゃあ夫を待つ専業主婦ってところかな。
 そこまで考えて母さんと夫婦という関係は想像出来ないなと思った。今の親子の関係は始まって間もないけれど、この状態はとても居心地がいいし、楽しいことも多そうだと感じている。母さんはまずは料理をやろうとしているようだし、当分の間はそちらの監督にかかりっきりになるだろう。
 朝食を食べ終え、テレビに映るニュース番組を見ながらコーヒーを飲んでいると、いつものように玄関のチャイムが鳴った。
 鞄を手にした俺は、母さんに押されて玄関から放り出される。
「お待たせ真琴ちゃん。今日も鏡夜くんの護衛をよろしくー」
 躓きそうになった俺の腕を、待っていた真琴が掴まえた。
「了解です。鏡にいが悪さをしないようにしっかり見張っておきますね。――青葉さん」
 真琴はまだ母さんのことを名前で呼んでしまうようだ。でも急に変えようとしなくていいだろうし、無理にやる必要もないと思う。馴染んでいるなら今までのままでも構わないわけだし。
 腕を掴んだ真琴は、体を回転させながら自身の腕を絡めてきた。
「……何やってるんだ?」
 その問いかけに真琴はそっぽを向いて、憮然とした声を発する。
「鏡にいが悪さをしないように捕まえてるんじゃないか。気付けよそのくらい」
 何とも無茶苦茶な話だ。でも昔のようにいきなり後ろから飛び蹴りをされたりするよりはずっとマシとも言える。真琴も楽しそうだし、しばらくこのままでもいいだろう。
 空色と白色のセーラー服に身を包んだその少女をぶら下げるようにして歩いていると、しばらくしてから質問を投げかけられた。こちらを見上げて訊いてくる。
「ところでさ、僕も髪の毛伸ばしてみようと思うんだけど、どう思う?」
 それは思いもよらないものだったので、つい頓狂な声を発してしまった。
「は? 真琴が髪を伸ばす?」
「何でそこで意外そうな声を出すんだよ!」
 腕を組みながら器用に膝蹴りを繰り出してくる真琴。当たり所が悪かったのか、途端に足に力が入らなくなってその場にへたり込む。
 すぐ隣で真琴が腰に手を当て、不機嫌な視線で見下ろしてくる。
「見た目を少し女の子っぽくしようかなって考えてたんだよ。これまでずっと男として振る舞おうとしてたけど、それももうやめようかなって。鏡にいの好みは参考意見」
「髪型の好みと言われてもなあ。ずっと女子のことなんて見てなかったから考えたことがないよ。それに真琴はそのままでも女の子なわけだし」
「何だそれ! 喜んでいいのかどうかわかんないじゃん!」
 そう言われながら頬をほんのりと染めた真琴に今度は腰を蹴られ、屈んでいた俺は耐え切れずに道路に手をついてしまった。
 その後しばらく休憩していたものの、結局最初の膝蹴りで筋を痛めてしまったらしく、少し足を引きずるようにして歩き始めた。真琴が腕を持って支えてくれているものの、謝る気はないらしい。それに慣れてしまっている自分もどうかと思ったが、昔は手を貸してくれもしなかったわけだし、会話内容から真琴なりに変わろうとし始めていることが伝わってきたので咎めることはしないことにした。
 やがて俺たちは父さんの死んだ公園の近くに辿り着く。そちらを向いてしみじみとつぶやいた。
「まだ夏だな。暑い日が終わるのはまだずっと先みたいだ」
 真夏の盛りの時期もこの公園の周辺はひんやりとしていたが、それも今ではなくなっている。ずっと残っていた氷は昨日一日でほぼすべて融かされてしまっていた。
 みんなにとってここを氷に閉ざしておく必要はなくなった証でもある。冷たい想いが消えれば、後は夏の熱気に任せるだけだ。
 そんなことを考えていたら、真琴があっけらかんと告げる。
「暑いなら涼しくすればいいだけじゃん」
 そして軽く腕を振って、俺たちの周りに薄い雪を降らせる。真琴のその行為にはさすがに眉根を寄せざるを得なかった。
「真琴が怪を持ち続けていることはわかってるし、それで構わないと思ってるけど、だからといってあまり頼り過ぎるなよ?」
「わかってるって。今はこうやって涼を取るくらいにしか使わないよ。力の加減を見極めながら、どうやったら役に立てられるか模索しているところ。この力は僕だけのものだし、何かに使わないともったいないからさ」
 真琴が今後怪とどう付き合っていくのかはわからない。まだつらいことを思い起こすこともあるだろうけれど、前向きに考えるようになったのならそれはいいことなのだろうと思う。
 俺たち二人を包む細雪にそっと手を差し出すと、手の平に乗ったそれは若干の冷たさを与えてから、優しく融け消えた。


   『世界を凍らす死と共に』4-4-2へ
by zattoukoneko | 2013-05-07 05:49 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-3-2


 小さく体を屈めていた真琴は、ちらりと母さんを見てから、俺に尋ねる。
「青葉さんも一緒なの?」
「ああ、前の母さんが死んだときには家族じゃなかったけど、今は家族だからな。一緒に振り返ろうと思ってる」
「……」
 真琴は俺の言葉にしばらく黙した。セーラー服を着ていても、まだまだ小柄で膝を抱えている様はいじけている子供のように映った。
「もう直接言ったことだけど、僕にとって青葉さんは鏡にいの本当のお母さんだとは思えない。戸籍上は認められてることは理解してるし、鏡にいとも僕とも年齢が近いからそう感じるっていうのでもない。僕にとって鏡にいのお母さんというのは、ここで一人のバカな子供を助けようと必死になって、冷たくなってしまったあの人のことなんだ」
 結局のところ、こいつも死んだ母さんを置き去りにしたままだってことなんだろう。夢ではあまり見なくなったと述べていたが、傷は深く残ったままになっている。
「青葉さんは、怪によって冷たくなりそうになっているところから鏡にいを救った。そして色まで取り戻すきっかけをつくった。でもそれは前のお母さんと行動がたまたま一致したから。鏡にいも本当は、お母さんはここで死んだ人の方だと思ってるんじゃないの? もしそうでないとしたら、僕は鏡にいに考えを改めてもらいたい。お母さんがここで冷たくなったんだってことを、忘れないでもらいたい」
 その言葉でふと父さんの死んだ公園が氷に包まれたままなのは、真琴の想いも作用しているからなのではないかと思った。ようやく現出した母さんの想いを維持したいと願い、そのために夏の暑さを経験しても公園の氷はそのまま残ることとなった。
「鏡にいの推測は半分正解で半分間違いって気がする。お母さんのことを鏡にいが振り返らないようにしてるから、あのときのことを見せたいって気持ちは確かにあった。一方で青葉さんを冷たくしてやりたいとも思ってた。青葉さんが早く立派なお母さんになりたいと頑張ってるのには薄々気付いてた。でも名前の通りに青葉のままでいればいいんだ。鏡にいの死んだお母さんそのものになんてなれるはずがないんだから。それに万が一母親になれたら、鏡にいがあの事件のことを思い出すのをより一層邪魔することになりかねない。だから青葉という若い状態のまま凍ってしまえばいいと思った」
「それで父さんの死んだ場所を凍らせて、そこから前に進めないようにしようと考えたってわけか」
「意図的にではないけどね。怪の力が使えるといったところで、その想いまで自由には出来ないしさ。でも想いが作用して現象を生むのだとしたら、僕の冷たい心も届いたんじゃないかな」
 真琴の言い分ももっともな気がする。仮に母さんが昔の母さんと同じ性格になったら俺は二人を混同してしまうかもしれない。
 けれど実際にはそうはならなかったし、今後もそうはならないだろう。そのことが母さん自身の口から伝えられる。
「あのね、私は母親として青葉どころか、若葉にすらなっていないって自覚してる。今でも失敗の連続で、鏡夜くんに助けてもらってばかりだし。それに子供をお腹を痛めて生んだこともないから、その点でも母親としての経験は足りてないよね。ただそういう違いがあるからこそ、私は私なりの鏡夜くんのお母さんが出来るんじゃないかなとも考えてる。ただそのためにも前のお母さんとは一度向き合っておく必要があるとは感じてるけどね」
 そして道に屈んだままの姿勢で、両方の頬を手で挟んだ。上目遣いに俺に訊いてくる。
「鏡夜くんから見てどうなんだろ? 私はお母さんやれてるかな?」
 俺はその問いかけに頷いて応えた。少し前なら父さんと結婚した相手だからというそれだけの理由で母親だと回答していたかもしれない。でも今はもっと色々なことが見えるようになっている。
「ドジなのは確かだし、まだまだ若いなって感じるのも正直なところ。ただ母親としての強い意志を感じることはあって、特に怪から救ってもらったときがそうだった。だから息子としては頼りになる母親だと思ってる。一方でまだまだ手間がかかる相手だなと内心苦笑もしてる」
「むー、それって褒められてるんだか貶されてるんだか微妙じゃない? 及第点はもらえたけどテストの返却時に小言も追加されているっていうか」
「俺は母さんの先生やってるつもりはないんだけどね。でも近いかもしれない。そうやってお互いに助け合うのが俺と母さんの関係なのかなって思う」
 笑ってそう返答しながら、でもそれは真剣に出した答えだったし、その関係は楽しい気もする。
 昔はどうだったろうか。死んだ母さんとはどんな関係だったろう。
「前の母さんは過保護すぎたかな。そういうつもりはないんだろうけど、一人で何でもやろうと突っ走っているからそんな印象になる気がする。でも体力はなかったから見ている側はずっと不安で、何かしら力になりたいとも思ってた。ただ子供だからどうしたらいいのかわからなくて、それがとてももどかしかった。あの頃は一方的に愛情を注がれるばかりだった気がする。……仮に今も生きていたらどうなってたかな? 助ける場面も出てくるかもしれないけど、おそらく俺はまだ守られる存在でいたと思う。そのくらい誰かの世話をするのが好きだったし」
 俺はもう一度用水路が下に埋まっている、舗装された道路に視線を落とす。
「死んだ母さんと今の母さんとでは、生活は全然異なったものになっていたと思う。だから真琴が危惧してるような混同はしない。ただ思い残しがあることには気付いた。俺は幼い頃から母さんに手を貸したかったし、この下に落ちて死んだと聞いたときには助けることが出来なかった自分の無力さを悔いた。もしここにまだ母さんが沈んでいるなら俺は何とかして引き揚げてやりたい。事故のあったときとはもう違う。その後目を背けた俺とも違う。だから真琴、教えてくれないか。母さんの想いは今でもここで冷たくなったままなのか?」
 真琴は逡巡する様子を見せた。答えるべきか否かを迷っているというよりは、自分の気持ちにまだ整理が付いていないというそんな感じだった。
 ようやく小声で俺の問いかけに答えてきたとき、真琴はどこか苦しげだった。
「鏡にいのお母さんはここにはいないよ。流された先で体も見つかったし、家にも帰されたって聞いてるし。でも冷たい想いはずっとここにある。それはお母さんのものじゃなくて、僕が作り上げたもの。僕はその想いを抱えながら水の中から上の世界を見上げてるんだ」
 それを聞いた俺は、真琴に向けて手を差し出した。
「じゃあ一緒に帰ろう。一人でいたら寒いだろう?」
「……え?」
 俺の言動に真琴は驚いて顔を上げた。予想なんてしていなかったんだろう。続けて発せられた真琴の言葉から、その理由がわかる。
「僕は怪の想いを抱えてるんだよ? 怪そのものだって言ってもいい。ここの用水路に落ちて、鏡にいのお母さんと冷たくなっていったあの記憶は忘れることは出来ない。怪を引き離して僕だけを連れ帰るなんて不可能だよ」
 真琴は自分の気持ちを正直に伝えてこないらしい。捨てられて当然だと思っているからそんな表向きの言葉になるのだ。裏には不安と悲しみを隠している。
「確かに怪の想いは引き受けるには辛いものなのかもしれない。想いはどんどん積み重なるし、それに耐え切れなくなれば心が冷たくなってしまう。まさに俺がそうだった。でも想いを交わさなければ、ずっと変わらないままだったとも感じる。それは柊も立花先輩もおそらくそうだったはずなんだ。怪も一つの想いとしてみんなと関わり合いながら、相手を助けてあげようとしていたんだと思う。それが真琴の想いだというのなら胸を張っていい」
「……でも結局僕はみんなを傷付けた。それに世の中不条理だらけだって考えも捨ててない。それを変えたいという気持ちはなくなっていないから、その役に立つかもしれない怪の力も手放すことはできない」
「傷付けてしまった相手には謝ればいいさ。俺も一緒に行ってやるよ。真琴は人見知りが激しいし、柊とか怖いからいざというとき止める人間がいないとな。それと怪の力を持ち続けるというのならそれでいいさ。ただし今回みたいに一人で思い込まないことを約束して欲しい。俺も変わったし、いくらでも相談に乗るから。それで構わないなら俺は真琴を受け入れるよ」
 そしてもう一度手を差し伸べると、ようやく真琴は俺の手を取った。
「僕にはそんなうまく立ち振る舞えるか自信がないよ。でも……ここに一人でいるよりも鏡にいの傍にいたい」
「そうだな。俺も登校するときに真琴の声が聞こえないと寂しい気がする」
 俺は真琴の手を引いて立ち上がらせた。そのときふと光ったものに目が行った。
「そういえばヘアピン付けるようになったんだっけな。色が見えるようになったからよくわかる。綺麗な赤い色をしたモミジだ。やっぱり真琴も女の子なんだな」
 途端、真琴が俺の胸に飛び込んできた。
「あほか、鏡にいは。それが一番言って欲しいことだったんじゃないかよ」
 青色のセーラー服に身を包んだ女の子が俺にしがみ付いて顔を胸に埋める。なかなか素直になれないその頭をそっと撫でてやる。
 晩夏の夜はまだ蒸し暑い。だから宙に浮かぶきらきらと輝く氷の粒子はとても綺麗で、気持ちが良かった。


   『世界を凍らす死と共に』4-4-1へ
by zattoukoneko | 2013-05-07 05:48 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-3-1


   三.


 柊を家まで送り届けて自宅に戻ると、母さんと真琴が待っていた。柊も元着ていた服に戻っていたのと同様に、真琴もセーラー服に身を包んでいる。母さんとの会話はなかったようで、目の前に出されたコーヒーはすでに冷めてしまっていた。
「時間かかってて悪いな。もう夜になってるし、真琴が構わないようなら明日改めて会うというのでもいいんだけど」
「いや、大丈夫。立花さんの病院に付き添ってたんだし、目が覚めるのは遅くなるだろうというのはわかってたしさ。むしろこのまま帰される方が気持ちの収まりが付いてなくて落ち着かないよ」
 それもそうかもしれない。立花先輩や柊の件も早めに片付けなければならないことだろうと考えて今日中に回ったのだし、真琴もそうして欲しいと考えるのは自然なことかと思う。
「ならもう少し待っていてくれるか? 俺自身がまだ死んだ父さんと母さんにきちんと向き合ってない。真琴にも関係のあることだし、それを先に済ませてしまいたい」
「わかった。家にはもう連絡してあるし、まだ大丈夫だよ」
 それを聞いて今度は母さんに向き直る。
「じゃあ行こうか。母さんも父さんたちのことは気になっているだろうし」
「え、私も行くの? 鏡夜くんがそう言うなら付いていくけど、でもそうすると真琴ちゃんに留守番させることになっちゃうし……」
「立花先輩や柊とも話してきたけど、やっぱり一人でやっていては駄目なんだと再認識させられた。どうしても思い込みや逃げが出てしまうし、それを指摘してくれる人が傍にいないと。それに想いは絡み合ってるんだから、全員が集まることは無理でも深く関与している人とは一緒にその場に足を運ぶようにしたい」
 俺の言葉に母さんはとりあえずの納得をしてくれたようだった。多少ラフな格好はしていたものの、そのまま外に出ても不自然ではない。カーディガンだけ羽織ると真琴に告げる。
「それじゃあお留守番しててもらっていいかな? 電話とかも特に出なくていいし」
「留守番が必要ないなら僕も一緒に出るよ。鏡にいもそこには行こうと考えてるんだろうし、先に待ってることにする」
 具体的な場所は口にしなかったが、その頭に思い描かれている場所はわかった。それならと真琴を送り出す。
 それから俺は母さんを連れて出掛けた。行き先は昨夜も一緒に訪れた公園。父さんが死んでから、ここはずっと氷に包まれたままだ。
「母さんに怪から助けてもらった後、ここを凍らせたのは父さんじゃなかったってことは話したはずだよね。そして本当の原因は真琴が溜め込んでいた死んだ前の母さんの冷たさが溢れたからだとした。でも改めて考えてみて、それは一因かもしれないけど、それだけじゃここで起きている現象は説明し切れないじゃないかと疑問を抱いたんだ」
 父さんが柊に襲われたとき、真琴はこの場にいなかった。怪がその想いを溢れさせたことで凍らせたというのは当たっていると思う。けれどそれだけにすべてを帰結するのは間違いという気もする。怪の想いは事件のすぐ後にここから消えたはずだし、それなら氷は夏の暑さで融けてしまうはずだ。ここがずっと氷に閉ざされたままになっている理由は他にある。
「お父さんのことや、お父さんの事件を冷たいものにしておきたい人がいるってことかな?」
「そうなのかもしれないと、推測しているところかな。父さんが死んで凍ったのは怪の力ということで間違いないと思う。これだけの空間を氷漬けにするような想いは相当なものだろうし。ただそのままの状態にしておきたいと考えている人間の想いがこの状態を維持させた」
 その人間の一人は俺だ。父さんの事件のことを顧みようとせず、むしろそこで交差した想いが溢れてくるのを嫌った。犯人のことを知れば相手を憎んでしまうだろうし、呆気なく殺された父さんに憤りを感じてしまうかもしれない。色々な気持ちが溢れ、それが渦巻いてしまうのが怖かったから、ここからどのような想いも出てこないようにと氷に封じ込まれているようにと願った。
 結局前の母さんのときと同じだったわけだ。あのときも俺は自分の心が乱されるのを嫌って思い起こさないようにした。世界をきちんと見るのをやめたから、それに呼応して色が目に映らなくなった。
「母さんのおかげで俺は色を取り戻したし、今回だけではなくこれから何度も父さんや前の母さんのことを思い返すことになると思う。今は大丈夫だけど、今後落ち着かない気分になることもあるかもしれない。そうしたときに同じ経験をしている人と意見を交わすことができたらいいなと感じるし、逆にその人が悩んでいるときには力になれればとも思ってる」
 その相手は同じく残された母さんということになるんだろう。その考えはきちんと伝わったらしい。母さんも自身の想いを語ってくれる。
「私もね、お父さんの事件のことはあまり思い出したくないんだ。見つめ直すことを決めたって、鏡夜くんに宣言したばかりなのにね。……もしかしたら私もこの公園には凍っておいてもらいたかったのかもしれない。鏡夜くんと違って想いを閉じ込めるっていうのじゃないけど、ここでお父さんが死んだという事実を忘れたくないという気持ちが強くあった。その割にはここを避けてたんだよね。思い出しに来れば済む話なのに、まるでお墓か何かのようにして、普段行かなくてもそこにあるものにしたかったのかもね」
 母さんはそれから小さく首を傾げて問いかけてきた。
「鏡夜くんの考えているのは、想いって自然と交差するものだし、なのに人それぞれでバラバラになりがちだからきちんと交換しようってことだよね? それって確かに大事なことだと思う。特に私たち家族なんだし」
 そこで母さんはふと何かを考え始めた。手を軽く口を添えると「そっか」と呟いた。
「私も一人だけで考えようとしちゃってた。それじゃあダメだったんだね、元々知らないことなんだし」
 母さんが何を思い起こしているのかは想像が付いた。俺もこれからそこに行こうとしていたから次の申し出を快諾した。
「前のお母さんのことを知りたい。お父さんはもういないからその気持ちを直接知ることは出来ないけど、鏡夜くんの想いならまだ聞けるから。つらくないなら話をしてもらいたい」
 俺は母さんを事故のあった場所に導いた。町の外れだから明かりは少ないけれど、周囲の様子がわかるくらいではあった。
 道路の端まで行くと俺は伝えた。
「ここが前の母さんが子供を助けようとして飛び込んだ場所。その後流されたから体が見つかったのは別の場所だけど。……今じゃ道路で舗装されて用水路どころかその上に被せられた蓋も見えなくなってるのか。俺も随分長いことここに来るのを避けてたみたいだ」
 案内された母さんは合掌して短い間目を瞑った。
「お墓参りとは違うけど、鏡夜くんの新しいお母さんになりましたって報告をしてみた。ここにお母さん自身や鏡夜くん、お父さんの想いが残ったままになってるなら、後は私が引き受けますって決意を込めて」
「そうしてくれるとありがたいよ。俺もようやく振り返るようになって、未練みたいなものが出てきたし。あの日一緒に出掛けていれば助けられたんじゃないかとか。でも俺だけがそういうことを考えてたわけじゃないんだろうな。父さんもそうだったのかもしれないし、そしてきっと俺たち以上に似たような想いを抱いている奴がいる。だから出来るようだったら母さんもそいつの想いを背負うのを手伝って欲しい」
 そう伝えると俺はすぐ近くでうずくまっていた人物に向き直る。
「待たせたな真琴。みんなで気持ちの整理を始めよう」


   『世界を凍らす死と共に』4-3-2へ
by zattoukoneko | 2013-05-07 05:46 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-2-2


 柊との待ち合わせ場所に着くと、彼女は外していた眼鏡を耳に掛け、不機嫌そうに苦情を申し立てた。
「日が暮れてからこんな人気のない場所に呼び出すなんてどんな了見かしら? 一応男女交際をするという約束をしているのだし、むしろ安全に家に送り届けるとかそういうことをして欲しいのだけれど。それとも何かしら。付き合っているといっても仮初めのものだし、ならここで既成事実でもつくってしまおうと、そういうことなのかしら?」
「場所は確かにあまり良くないとは思うよ。だから家で待っていてもらった柊に連絡してから急いで病院を後にしたんだけど、結局待たせてしまったみたいだし。でも後半の冗談はやめて欲しいな。どう反応したらいいのか戸惑う」
「確かにそうね。今の御薗木くんは色恋にも目を向けられるようになったのだから、挑発する意味もないし、本当に襲われかねないものね」
 それこそ冗談だろうと俺は主張したい。確かに周りの女性を気にかけるようにはなったけれど、だからといって急に見境なく手を出したりなんかしない。
 けれど柊はそこまで相手にするつもりはないらしく、俺を確認し終えると眼鏡を外そうとした。慌ててそれを止めると、彼女は不機嫌そうに眉をひそめる。
「どうせ彼に会いに行くんでしょう? わたしは興味ないものをあまり視界に入れたくないのよね」
 俺たちは昼間に隼人のいた神社近くに来ていた。周囲にはとっくに夜の帳が下りているけれど、まだ隼人は境内にいるだろうという予感があった。
「柊が隼人のことを嫌いなのはわかってる。でもだからこそきちんとこれから俺と隼人のやり取りを見ていて欲しい。本当は気付いているのだろうけど、まだ柊は目を背けている部分がある。今当たり前のように眼鏡を外そうとしたことが、そのことを如実に語っているよ」
 そう言われ、柊は渋々といった感じで眼鏡を掛け直した。彼女も変わりつつあると思う。でもすべての発端は家族環境だったにしても、問題の本質はもっと入り組んでいるのだということまではきちんと把握できていない。ついそちらにばかり目が向いてしまうほど、あの家での出来事が凄惨だったということでもあるのだろうけど。
 境内に続く丘を登り切ると、はたして隼人はそこにいた。雨が降っていたからか、神社の軒先に移動していて、今は星が瞬く空を見上げている。俺たちの足音に気付いてこちらに視線を向けた彼は、特に驚いた様子もなく軽く手を上げて挨拶してきた。
「何だか鏡夜も紗樹ちゃんも変わったね。ほんの数時間前とは大違いだ」
「そうだな。隼人はこの丘の上から町の様子を眺めていて、そこにある想いの動きを感じ取っているようだから何があったのか知っていそうだけど」
「そこまで細かくはわからないって話したじゃないか。怪がまた出てきたことや、それが瑠美ちゃんによるものだってことくらいは把握してるけどねぇ」
 そこまでわかっているなら十分過ぎると思う。それどころか立花先輩の身体が悪かったことや、怪に取り憑かれた先輩を俺と柊で迎えに行ったことまで細かく知っているんじゃないかとすら感じる。でも隼人はこの境内でずっとその様子を見ていただけだ。
「そのことについても話したはずだよ。ボクは他人と想いを交わらせることは極力避けたい。想いは複雑に絡み合うから、それに長い間関わっていてもいいと思える人間だけがそこに参加すればいい。飽きっぽい性格のボクには向いていないんだよね」
「今ならその言葉がよく理解出来るよ。この丘の上もまさに隼人に打ってつけだ。町の様子がよく見えながら、現場には声すら届けられないくらいに距離が離れている」
 話しながら俺は隼人のすぐ前まで移動する。それから告げた。
「町にいたみんなの様子も把握しておいて、まさか自分自身のことはさっぱりということはないだろう? わかっているなら準備をしてもらおうか」
 俺の台詞を聞いて、隼人はにっこりと微笑んだ。それが彼なりの準備なのだろう。そう考えて俺はその頬を全力で殴りつけた。
 隼人の体が建物に当たって盛大な音を立てる。予期していなかったのか背後で柊がはっと息を飲んだ。でも今は隼人に告げることがある。だから倒れたまま起き上がろうともしない彼に向って、批難の声を浴びせる。
「お前は結局逃げたいだけなんだろう? 他人と関わった結果、そこで何かが起こるのが怖いんだ。それを引き起こしたのが自分だと認めたくないから最初から関わらないんだ。なら最初から目を向けるなよ。教科書も開かずに捨ててしまえよ。こんなところで町の様子を見ているくらいなら、自分の部屋で布団にくるまって引き籠もってろ」
 それだけのことを言われても、隼人が意に介した様子はなかった。へらへらとした口調で言い返してくる。
「鏡夜の言い分は至極もっともだと思うけど、でもバードウォッチングみたいなものだと考えて欲しいな。ボクはそこにいる野鳥に手を出したりなんかしないよ。ただその姿を眺めさせてもらっているだけさ」
「隼人らしくない言い訳だな。想いは相互に作用するというのは、俺よりお前の方がずっと理解していると思っていたんだけれど。お前は眺めているだけのつもりでも、その鳥は近くに見ている人がいるのを敏感に感じて意識する。実際それで隼人はこれまでに一度大きな過ちを犯しているじゃないか。そのときは眺めているだけじゃなく、手まで伸ばしたらしいけどな」
「……そんなことあったかな」
 本当にわからないのか、意図的に分からないふりをしているのか。おそらく後者なのだろうけど、俺には断言することまではできなかった。ただその内容を後ろにいる人物にも聞かせるため、きちんと言葉にする。
「隼人は柊が苦しんでいるのを知って声をかけた。その頃の柊はまだ周囲に助けが求められないか探していたんだ。たとえ声を大きく出すことは出来なくとも。そんな人間が話を聞いてくれそうな人物を見つけたら、寄っていこうとするのは当り前だろう? なのにお前は関わるのが嫌だからと、簡単に見捨てたんだ。そのせいで柊は自分の想いをより冷たい殻の奥深くに閉じ込めた。誰かに頼っても裏切られるかもしれないからと他人を避け、そして結局怪という人外のものに縋りつくことになった」
 柊が冷たい殻に閉じこもっていた理由の一つが隼人なのだ。怪に取り憑かれ、それを父さんに祓ってもらってもなお彼女はその殻を持ち続けた。他人を拒絶してしまうのが癖になっていたから、怪に取り憑かれた立花先輩にもすぐに敵意を向けた。
 俺は柊に向き直って告げる。
「でもそういうのはそろそろやめにしよう。隼人は助けてくれなかったかもしれないけど、それを周りのすべての人に当てはめて憎むのはやめにしよう。誰か一人くらいは相談に乗ってくれるさ」
 柊はちょっとの間だけ考え込んだ。そして訊いてくる。
「今のところそうしてくれる相手で思い付くのは御薗木くんしかいないのだけれど、わたしはあなたを頼ってもいいということかしら?」
「他にもいると思うけどな。俺の母さんとか立花先輩とか。でも一番話がしやすいのが俺だというのなら、いくらでもそれに耳を傾けるよ。力になれるかどうかまではわからないけど」
「そこは自信を持って任せろと言うべきところだと思うわよ? 甲斐性が感じられないから」
 皮肉を込めて柊は笑みを浮かべる。その表情は数日前よりずっと柔らかいものになったと感じた。
 俺たちがそんなやり取りをしている中、隼人が醒めた口調で告げる。
「ボクは殴られた程度で態度が改まるような人間じゃないよ。その程度で気持ちが揺さぶられるくらいだったらとっくに変われてるはずだしね」
「そうだな、隼人は変わらないかもしれない。でも今回は柊の気持ちの整理だから。それに俺が先に殴っておかないと、柊がいつかナイフで刺しに来るかもしれないと危惧しただけさ」
「あら御薗木くん、随分な言い様ね? ナイフは今も持っているから刺す相手をあなたに切り替えてもいいのだけれど?」
 なるほど。確かにウエディングドレスを着ていたときはあのナイフは俺の家に置いていったのだろうけど、今は元の服に戻っているし、回収してもらわないのも困る。刺されても大変だしいつか奪うことにしよう。もちろん彼女が冗談でそんな台詞を口にしているのはわかっていたけれど。
 ともかく用件は済んだ。俺と柊は境内を後にしようと階段へと足を向けた。
 ただ段差に足を下ろす直前になってふと思うことがあった。だからそのこと告げる。
「隼人が家に閉じこもらないでここにいたように、美術部の籍も残ったままになってる。まずは自分がどうしたいのかを決めないことには何も言えないけれど、そのことだけは伝えておくよ」
 そして今度こそ階段を下り始めた。半ばほどまで来たところで微かに隼人の声が耳に届く。
「まだボクの想い程度じゃ雨を降らすほどの現象は引き起こせないな……」


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by zattoukoneko | 2013-05-07 05:45 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-2-1


   二.


 病院は消毒液などで独特の匂いがするものだけれど、立花先輩の入れられた個室はそのような嫌な匂いはなく清潔な空気で満ちていた。穏やかな色調で部屋は整えられ、しかし蛍光灯は少し眩しいと思うくらいに明るい。
 救急車で搬送された先輩の検査が終わる頃には日も暮れ、しばらく降り続いていた雨もやんでいた。最初に先輩を助けたときの検査よりは大分時間がかかったが、今日の先輩の様子から考えれば短すぎるくらいなのかもしれないとも感じる。
 目を覚ました先輩はベッドの隣にいる俺を見て驚いたようだった。
「御薗木君?」
 先輩は上半身をベッドの上に起こそうとして、結局うまく力が入らないようだった。無理をしないようにと告げ、体を寝かせる。
 横になった先輩は改めて室内を見渡し、尋ねてきた。
「いるのは御薗木君だけ? その、うちの両親は?」
「来ていますよ。でも頼み込んで二人きりにしてもらいました。先輩と大事な話をしたかったので」
 それを聞いて立花先輩は表情を曇らせた。
「アタシの身体のことだよね。ずっと黙ってたんだし、気になって当然だもん。それと告白に対する返事だよね。……うん、覚悟は出来てる」
 俺は否定しなかった。実際にその通りの話をするつもりだったし。だから先輩が両拳を固く握りしめたのが視界に入っても、それに関して触れることをしなかった。
「臓器が少しずつ壊死していっているそうですね。治療法もないと聞きました。イメージとしては癌に近くて、ある程度侵食が進んだら器官の機能が損なわれるのを防ぐために切除するしかない」
「そう。顔とか腕には出ないから外から見てるだけじゃわからないんだけどね。でもそのせいで体の中でそういう異変が起こっていると気付くのが遅れて、小さい頃に一度大きな手術をしている。その後も何度か胸やお腹を切ってるから痕が残っちゃってる。進行はすごいゆっくりしたものだったんだけど、最近になって加速しちゃったみたい。ちょうど御薗木君に助けてもらった頃にそれがわかって、だから途方に暮れて一人で家を出たら倒れちゃったってわけ」
 ということは一年前から先輩は自分の病状について知っていたということか。そして悩み続けて結局怪に縋った。
「一応ね、成功する確率は低いものの新しい手術をすれば、病気が進行するのは止められるかもしれないんだって。でも成功したとしても進行が止まるだけで、刻まれた傷は消えない。壊れたり切除された臓器も元通りにはならないから、子供も諦めるしかないよね。体力も人並みになるわけじゃないし、現時点で悪くなってる消化器官がごっそりと持っていかれるから食事も制限されることになる。しばらくは寝たきりの生活をして、その間に筋力も落ちるだろうから、普段の通りに歩けるくらい体力を回復させるには数年間はリハビリを覚悟してくれって言われた。この若い時期に、それって死刑宣告と同じだと思うんだよね。学校にも通えなくなるし、仕事に就くのも難しくなる。寿命は延びるかもしれないけど、普通の生活は一生できなくなる。それならすぐに死んでもいいから普通のことを目一杯しておきたかったんだ。それがアタシの夢だからって、お父さんやお母さんを説得したの。ずっと言い続けて、ようやく一人で学校に通わせてもらうことも叶ったんだけど、ちょっと短過ぎだよね」
 長い独白をしながら先輩は泣いていた。何とか笑顔を見せようとするのだけど、唇がわななくのは止められなかった。
 目尻から溢れる滴を指で擦りながら、先輩は俺に問いかける。
「公園で言ってくれたけど、こんなアタシでも御薗木君に想いを向け続けたら、振り向く可能性があるって話だったよね? アタシの口からも伝えたけど病気のことは知ったと思う。普通に付き合うことなんて無理だよ。子供とかはアタシたちの年齢からするとずっと先の話だから想像しにくいかもしれないけど、愛し合うために抱こうとしたらその相手の体は切り刻まれて傷だらけだっていうのはイメージしやすいと思う。それって幻滅するものじゃないかな。それとも御薗木君はそういうの気にならない人? 全部知った上でアタシに目を向けてくれる? ……もう一度、よく考えて答えて欲しい」
 先輩は尻すぼみにそう懇願してきた。自信がないんだと思う。何度も病室で両親相手に温もりを求めて、その度に諦めてきたのだから。
 でも俺はここにいる。今は先輩のご両親には席を外してもらっているけれど、俺と想いは同じだと思う。
「俺はここにいますよ。病気のことを聞いても、先輩が目を覚ますまでずっとその寝顔を見てました」
 少し遠回しな言い方かもしれない。でもそれで先輩には十分伝わったようだった。
「そっか。御薗木君はアタシを見てくれるんだね……」
 本当は俺だけじゃない。先輩のご両親は今でも病室の外にいる。ただそれを素直に受け入れられるほどには先輩はまだ気持ちを整理できていないと思ったから、俺だけにしてもらったに過ぎない。
 先輩は隣に俺がいることを何度も何度も噛みしめて、少し元気を取り戻したようだった。表情を明るくしながら訊いてきた。
「でもそれはまだ恋愛感情ってわけじゃないんだよね? 同情だとかそういうのだとも思えないけど」
「そうですね。まだ先輩のことが好きかどうかはわかりません。ただ気になる人にはなりました。だからもう一度先輩のことを見つめることを始めようと思って、病室での出会いから仕切り直しすることにしたんです」
 最初の出会いで深く病状を聞くことは無理だろうけど、でもその後も俺は先輩のことをきちんと知ろうとしていなかった。ただ体が弱い先輩というそれだけの認識。もしかしたら立花先輩はもっと見ていたと言うのかもしれないけれど、深く見ていなかったことに変わりはない。
 少し悩む素振りをしてから先輩はさらに問いかけてきた。それはとても重い内容だったけれど、あえて普段通りの口調で質問される。
「ならアタシは手術を受けるべきかな? せっかく御薗木君が意識してくれるようになったっていうのに、すぐに死んじゃったら勿体ないもんね」
 もしかしたら質問というより、背中を押して欲しかっただけなのかもしれない。先輩はこれから先のことを見始めている。すべてを諦めてすぐに自分の殻の中に閉じこもってしまっていた先輩はもういない。
「入院している間は毎日通いますよ。会えなくなったら変わろうとしている先輩の姿を見れなくなってしまいますし」
「そうしてくれると嬉しいな。もちろん忙しいときは無理しないでくれていいんだけどね。でもずっと放って置かれたら、病院を抜け出して会いに行っちゃうかも」
 体が動かないのにどうやって俺の元に来るんだろう。でも先輩のことだから本当にやってしまうかもしれない。冗談のまま済ませてくれるように、約束通りきちんと通うことにしよう。
 そこで先輩はふっと微笑を浮かべた。
「アタシを変えてくれたのは、最初も今回も結局御薗木君だったな。自分だけで変わろうとして失敗して、そして怪の力にまで縋ってしまって。それで迷惑かけちゃった。せいぜい怪が御薗木君と関係があるものだと知って、その想いを見せようと渡すことくらいしかしてないや」
 先輩は自分が変われたのは俺のおかげだと思っている。怪の力はあまり関係なかったと考えている。実際にそうだったのかもしれない。先輩が一番深く関わり続けたのは俺だったのだから。
 でも俺は怪の想いに触れることで大きく変わることが出来たし、そもそも怪の一件がなかったら変わろうとすらしなかったのではないだろうか。本当に怪は消えてしまうべき、忌むべき存在なのだろうか?


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by zattoukoneko | 2013-05-07 05:44 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-1-2


 柊の言葉に真琴が少したじろぐような様子を見せた。怪に意識が乗っ取られていたとはいえ、彼女は何人もの人をその手で殺してきたのだ。殺気は本物だし、それに怖気付かない方がおかしい。
 けれどすぐに真琴は威勢を取り戻した。
「どうやって殺すのさ。仮にナイフを持っていたとしても僕には怪の力がある。人の力じゃ太刀打ちできないと思うけど」
「方法なんてどうでもいいわ。わたしが口にしているのは決意だもの。どんなことをしてでもそれを成し遂げてみせるという固い想い」
 それから柊にしては珍しく、それとわかる嘲笑を浮かべた。
「許斐さんは怪をつくったくせに想いの怖さを理解していないのね。力なんてなくても気持ちが確かなら人は選んだ道に向かって突っ走るものなのよ。それとも本当は理解しているのだけれど、自分の心に嘘を吐いているから怪に逃げてしまっているのかしら?」
「……」
 確かに真琴がどうして他人にまで怪の力を渡そうとしたのか、そこに思考の飛躍を感じる。
「要はそこが単純ではないところなのよ。許斐さん自身もきちんと整理が出来ていないのかもしれないわね。まあ人間というものは得てしてそういうものだけれど」
「不条理をなくして世界を改変したいというのが真琴の本当の想いじゃないって、柊は言いたいのか?」
「別にそこまで否定しようとなんて思ってないわ。不条理だと感じること、境遇に対する不満は多々あるし、それに直面したとき自分の無力さを感じることも多い。許斐さんの場合は御薗木くんの亡くなられたお母さんの件があるし、余計にそれを意識したのではないかと推測出来るわね。だから怪の力を世界の改変に使おうというのも一応はわかる」
 柊はそう言葉の上では納得できるものであるとしつつも、その端々からは違うところに本当の意図があるのだろうと考えていることが窺い知れた。
「ただ、どうやら世界のすべてを変えることまでは無謀だとも、許斐さんは感じているみたいね。怪を渡した際にその想いに呼応し、かつ耐えられる人なんてそうそういない。わたしや立花先輩は怪を引き受けることまでは出来たけれど、その力を気随気儘に利用したし、許斐さんが長年かけて溜めていった想いとも別の想いを抱いていた。相互に作用した結果、わたしたちはまったく別の行動を取った。それは当り前のことでもあるわね。人それぞれ別々の想いを抱いているのだもの、いくら怪の想いが凄絶なものだろうとそれを受け取った瞬間に変化が起こる。そのことは許斐さんも今回の件を通じて知ったような気がするのだけど、どうなのかしら?」
 真琴は目を逸らして沈黙した。受け入れたくはないのかもしれないが、すでに柊の言った通りだと思っていたのかもしれない。
 小さく言葉を吐き出した真琴は、苦しそうだった。
「だったら……どうしろっていうのさ」
「決着をつけなさい。そして怪と決別して消してしまいなさい。自分でそれが出来ないなら、わたしがそれをやってあげるわ。熱い血潮で冷たい想いを溶かしてあげる」
 それが決意というものなのだろう。鋭利な刃物のように鋭くて硬かった。
 けれど氷のような冷たさがそこにはないということに俺は気付いた。いつもならもっと冷めていて、場合によっては冷酷とも受け取れる言葉を突き付けるだろうに。
 俺は柊を止めた。おそらくだけれど、そうされることを彼女も望んでいる気がした。
「柊の決意は聞いた。でも俺は真琴を誰かに殺されたくないし、柊にも誰かを殺してもらいたくない。すでにその手が人の血で染まったことがあったとしてもだ。それに気になることが一つある。まだ俺は真琴の決意を聞いていないんだ」
 俺の制止に、柊はあっけなく目に見えない刃物を引いた。
「それもそうね。世界を変えてやろうなんていうのはインパクトがあるだけで、所詮子供騙しでしかないわ。それは想いの一つとしては認めるけれど、許斐さんが他にもいくつかの想いを口にしていたというのも気になる。今は無理だと諦めたようだけれど、それは亡くなられた御薗木くんの前のお母さんを助けようという気持ちに、本当に整理が付いたということを意味するのかしら。それは青葉さんを今の御薗木くんのお母さんとして認められていないという現状にも繋がっている気がするのよ。他にも御薗木くんの力になりたいとか、わたしや立花先輩のような辛い境遇にいる人を助けたいとか、結局想いはどこに向いているのかしら?」
 柊の言葉に重なるように遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。それに合わせて喧騒も響いてくる。
「御薗木くんにも止められたことだし、ここは一度引くことにしましょう。獲物も持っていないし、大勢の人の前で殺すのも難しいでしょうしね。ただ許斐さんが今後も怪を辺りにばら撒いていこうと本気で考えているのなら、わたしは伝えた決意の通りにやらせてもらう」
 結局真琴もこの怪の一件を通じて変わらなければならないということか。俺も母さんの力を借りて変わることが出来たけれど、まだその整理が終わったわけじゃない。
 ふと隼人の忠告を思い出した。俺たちは高校の教科書のようにそれぞれやろうとしていることが違っている。科目が小中のものより専門的になったのだからそれは自然なことでもあるのだけど、あいつはそれぞれの繋がりが無視されていると嘆いた。その言葉は一つの示唆になったと思う。俺も柊も立花先輩もバラバラだった。でも想いは交差していたはずで、それに気付いたからこそ俺は立花先輩を助けるときに柊を巻き込んだ。そして改めてその言葉を思い返したとき、俺は隼人に一言伝えるべきだと思った。
 救急車が公園のすぐ近くまで来たようだ。俺は真琴に向き直り、自分の考えを伝える。
「怪にまつわる事件、そこには前の母さんの一件も含まれるけど、それに関わった人たちの想いを俺は一度整理したい。当然真琴もそこには入ってる。俺の横に並んで力になりたいって言ってたけど、そのことにも何らかの答えを出すつもりでいる。だけどほんの少しだけ時間が欲しい。立花先輩には、目が覚めたときにすぐ伝えないといけないことがあるから、どうしてもその後になる。それまで待っていてくれるか?」
 俺の問いかけに、真琴はそれまでと少し違う言葉を発した。
「鏡にいが僕のことを助けてくれるの?」
 それが真琴の本音なんだろうなと感じた。真琴は俺や誰かの力になりたいとばかり口にしていたけれど、自身の苦しみはほとんど語っていない。本当は誰かに救いの手を差し伸べてもらいたかったんじゃないだろうか。
 今の俺と真琴は距離が離れているせいで、その頭を撫でてやることは出来なかった。
「約束する。まだその方法は見つけていないけど、でも必ず真琴の所に向かうから」
「……わかった。待ってる」
 了承してくれたことを確認すると、俺は母さんに真琴と柊を一度家に連れ帰って欲しいとお願いをする。特に柊はウエディングドレスのままじゃ出歩きにくいだろうし。立花先輩の病院へ付き添ってから、みんなには改めて連絡しよう。
「行ってらっしゃい、鏡夜くん。帰ってくるの待ってるから」
 母さんのその言葉に背中を押されて、俺はようやく到着した救急車に立花先輩と一緒に乗り込んだ。


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by zattoukoneko | 2013-05-01 06:17 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-1-1


   四章


   一.


 真琴は今年度になって再会した頃から、毎日のように不条理という言葉を口にしていた。それで指すところのものをどうにかしたいと考え続けてきた末に、怪を生み出したということなのだろう。その想いを積み重ねる大きなきっかけとなったのが俺との出会いということなら、最初に知り合ってからもう六年もの間苦しんでいたということになる。思い出すのを放棄した俺の代わりに、真琴はあの水の中から冷たい母さんを幾度となく引き揚げようと涙していたのか。
 俺は死んだ母さんのことを振り返ることが出来たし、受け入れようとしているけれど、おそらくはそれで真琴が怪を消してくれるということにはならないのだろう。
「そうだね。僕はあまりにも鏡にいのお母さんのことを夢に見過ぎた。あの冷たさを忘れることなんて一生できないんじゃないかな。それに話もそんなに単純じゃないし」
「世界は不条理に満ちているってやつか……」
「正解。鏡にいにしては鋭いじゃん。色も見えるようになったみたいだし、変わったっていうのは本当なのかもね」
 いつも通りの小馬鹿にした口を利きながら真琴は頷いた。そして最近は夢を見なくなってきているのだと告げる。
「お母さんが死んでしまったという事実は変わらない。僕の怪の力を使っても生き返らせることは出来ないし、もしかしたら力をもっと蓄えれば可能になるのかもしれないけど、そうしたらみんな大事な人を生き返らせようとして大変なことになるよね。だからそこまでは望まないことに決めた」
 そう心の整理が徐々に付いていく一方で、思い通りにならないこともたくさん出てきたという。
「よく言ってるやつだと、どうして女だからって色々決め付けられなきゃいけないのかってこととか。学校の制服とかは昔の社会が勝手に作り出したルールでしょ? それにも腹立つんだけど、そういうのはこれからみんなの認識が変わることで新しくなるとも思う。でもそれだけじゃないんだ。生物として男と女じゃやっぱり違ってる。自分は女なんだって何度も思い知らされたよ。特にこの年齢になるとさ」
 第二次性徴というやつか。言われて俺も真琴ぐらいの年齢のときに、自分の声が低くなるのを嫌だと感じていたことを思い出す。女子も同じように身体の変化に色々なことを思うのかもしれないけれど、男の俺には想像することは難しかった。そしてそのことこそが男女の間にある溝を如実に語っていた。
 真琴は雨に濡れた制服の代わりとして着ている俺の服を摘まんで示す。
「これ鏡にいが今の僕と同じ年齢の頃に着てたやつなんでしょ? でもぶかぶかだね。中学くらいじゃそんなに差は出ないと思ってたんだけど、実際には結構違うや」
 少しふざけた様子でそんなことを話していた真琴は、一転して真剣な表情になって俺の方に視線を向けてきた。
「僕はずっと鏡にいのことを見つめてきた。学校が分かれて会えなくなってからも、最初に知り合う前からも、ずっと。鏡にいの隣に並んで対等な立場で何か役に立ちたいと思ってた。だけど小学校低学年の僕はいつもあしらわれてばかり。もちろん僕が子供っぽいことばかりしてたってのもいけないんだろうけどね。でもあれから何年も経った。僕も成長した。だから試しに訊いてみるよ。――鏡にい、僕は鏡にいの力になれる?」
「それは……」
 真琴と協力して何かをするなんてこと考えたこともなかった。俺にとっては世話のかかる近所の子供で、懐いてくれているのはわかっていたけれど、対等な関係として見たことは一度もない。
 言い淀み、答えられなくなった俺に、真琴は寂しそうな笑みを向ける。
「そういうことだよ、鏡にい。僕はどこまでいっても無力なままなんだ」
「だから怪の力を蓄えたってことなのか。でもどうしてそれを他の人に渡したりなんかしたんだ?」
 俺のことを考えて想いを募らせたというのなら、それを他人に分けようとはしないんじゃないだろうか。真琴は怪の力を使って何をするつもりだったんだろうか。
 その疑問に答えてくれたのは真琴本人じゃなかった。
「そんなに単純なことじゃないと許斐さんが話していたじゃないの。確かに御薗木くんがこれだけ鈍いと、苦労する気持ちもわかる気がするわ」
 純白のウエディングドレスに身を包んだ柊は、救急車を呼び終えたのか、俺にそう告げながら立花先輩の方に真っ直ぐに進む。俺ともそんなに距離は離れていない。先輩の呼吸はさっきより随分と安定しているようだった。
「詳しくはわたしにはわからないけれど、今はただ寝ているだけみたい。きっと許斐さんが怪の力で容体を安定させてくれたのね」
「……」
 人見知りが出たからなのか、答えたくないと思ったのか、いずれにせよ真琴は沈黙で返した。それを俺は肯定と受け取ったし、柊もそうしたようだった。
「許斐さんは徐々に自分の気持ちを整理してきたとはいえ、怪とその力を宿すきっかけになったのは御薗木くんの亡くなられたお母さんとの一件で、助けられない無力さを何度も味わったからというのは確かなのでしょうね。だから怪はその一つの現象、属性として冷たさを有しているのだし。そしてお母さんはすでに亡くなられているからと自分の気持ちに蹴りを付けたのなら、残っているのは助けたいという想いということになる。それをわたしや立花先輩に向けてくれたと、そういうことなのでしょう?」
 真琴はしばし言い淀んだ。けれど最終的には柊の言葉を認める形になった。
「他の人が苦しんでいるのを見てるのに耐えられなかったからだけどね。でも力があればその人が背負っている不条理に打ち克つことが出来るかもしれない。そう思って怪の力を渡してみたんだ。本当にその力を役に立てたい相手は鏡にいだったんだけれど」
 それから真琴は、俺の隣にいる今の母さんに視線を移した。
「僕は鏡にいが目に色を見る力を取り戻したいと考えているなら、どうにかしてそれを叶えてあげたいと思っていた。方法は分からないけどそのためには人ならざる力が必要なんじゃないかって考えた。でもそれを達成するのに助力したのは普通の人間でしかない青葉さんだった」
 真琴はそこで小さく頭を振った。その仕草はどこかイヤイヤをしているようにも見えた。
「もう気付いているかもしれないけど、僕にとって青葉さんは鏡にいのお母さんって感覚じゃない。だからずっと『青葉さん』って呼んでる。本当のお母さんは死んでしまったあの人だよ。今回は鏡にいを救ったかもしれないけど、それは取った行動が前のお母さんに偶然重なったからに過ぎないと僕は思ってる。これから鏡にいはまた何か助けが必要になるかもしれないし、そのときのために僕は怪の力をより高める。柊さんや立花さんもきちんと助けられなかったけれど、でも一連のことでこの力があれば世の中の不条理に人は立ち向かっていけると確信した」
「あら、随分と見縊られたものね」
 胸に秘めていた決意を口にした真琴に、しかし柊は冷たく言い放つ。
「確かに今の立花先輩は怪の力で容体を安定させている。だからその力は人を救うのかもしれない。わたしの場合でも、ずっとあの家庭の中に入れられていたら祖母と同じ道を辿ったかもしれない。そう考えれば、そこから抜け出す力をくれたのだから、救われたと言ってもいいのかもしれないわね。でもね、その後わたしが人殺しになり、無関係な人の命をいくつも奪ったというのも事実よ。許斐さんが怪の本体であり、それを離さないつもりなら、その存在を認めたくないわたしはあなたを殺すわ」
 そして柊は腰に手を遣る。怪に取り憑かれていた立花先輩に、サバイバルナイフを手にして飛び掛かっていったときのように。
 けれど腰に手を置いて、それだけだった。柊が溜め息を漏らす。
「ウエディングドレスだからナイフを隠す場所がなかったのよね。こんな服普段着ることないからわからなかったのよ。幸か不幸か今のわたしには許斐さんを殺すことが出来ない」
 嘆息しながらも、柊の口調は真剣そのものだった。怪本体である真琴より冷淡で恐ろしい言葉を紡いでいる気がする。
 その鋭利な言葉でもって柊は真琴を斬りつけた。
「あなたは力とともにあの冷たい想いをわたしたちに押し付けた。あんなものはこの世にいらない。消えるべきものだわ。あなたが怪と深く関わっていて、その関係をやめないというのなら、許斐さんごとね」


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by zattoukoneko | 2013-05-01 06:16 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-4-2


 あの日母さんに用水路で助けてもらって、それからどんな想いで真琴は過ごしてきたのだろう。死んだ母さんをその心の中にずっと抱き続けてきて、相当苦しかったはずなのに。でも真琴はそれを表に出さずに怪になるまで冷やしてしまった。
「鏡にいがさっき言ってた通りだよ。ずっとお母さんのこと思い出そうとしないんだもん。だから代わりに僕が大事に持っていたんだ」
 真琴は公園の入口に立ったまま、それ以上は一歩も近付いてこようとはしない。その表情がよく見えないこの距離が、今の俺たちの間にある隔たりなのだと感じさせられた。
「ずっと僕は自分のせいで死ぬことになってしまったお母さんのことを、その家族の人に謝ろうと思ってた。相手の家族の名前は知ってて、でも用水路に落ちたのは幼稚園の頃だったから、どうやって会いに行けばいいのかよくわからなかった。小学校に上がったら通学班の中に色が見えない先輩がいたんだ。名前を聞いてすぐにその人が死んでしまったお母さんの子供だと気付いたよ。ずっとずっと謝ろうと思ってたから、すぐにでもごめんなさいって言いたかった。けどその人はとても元気だったんだ。僕は事件のときから悩み続けていたのに……」
 真琴は結局謝ることが出来ずに、塞ぎ込んでしまった。そんな真琴に気付いて声をかけたのが問題の相手である俺だった。
「最初は誰のせいで悩んでるんだよって思ったさ。でも鏡にいと話しているうちに、気付いたんだ。鏡にいはお母さんのことを思い出さないようにしてる。辛くないわけじゃなかったんだ。むしろ考えるとダメになるから、整理し終わったことにしてたんでしょ? だったら僕に出来るのは、余計なことを口にしないで一人で抱え込むことくらいしかない」
「それで真琴は想いを蓄積させていったのか。怪になるほどに」
「鏡にいは怪の想いに触れたことで、お母さんが冷たい気持ちで死んだわけじゃないって答えを出したよね。それは当たってるのかもしれない。僕は助けてもらっただけでその想いにまで触れたわけじゃないから。冷たいものを溜め込んでいったのは僕自身の心だってこともわかってる。でも……仕方ないじゃないか」
 真琴が肩を小さく縮こまらせた。
「あの水の中でお母さんは冷たくなっていったんだ。死にゆくその腕に、僕は抱えられていたんだよ。その感覚を忘れることなんて出来る?」
 俺は怪から真琴の経験を垣間見た。しかし真琴自身になれたわけではないから、そのときに感じていたことを知ることが出来たわけではない。想いに触れながらも間接的な経験で留まっていたのだ。
 それに見たのは母さんが死んだ事件のところだけ。その後真琴がそれをどう捉え、思い起こし、累積させていったのかを知らない。
「僕は何度も何度も夢に見た。凍えるような水の中で鏡にいのお母さんがしがみついてくるんだ。そしてどう足掻いてもお母さんの体は冷たくなっていく。次第に夢の中でも、そして夢から覚めても、一つのことを思うようになった。どうして助けることが出来ないんだろうって」
 昔の出来事なんだから助けられなくて当たり前だ。たとえ夢の中だとしても、起きてしまったことがトラウマとして心の傷になっていたら、それを変えることは容易なことではない。
 真琴はそのことを理解しつつも、どうしても納得できなかったらしい。
「世の中不条理だと思った。鏡にいのお母さんは僕を助けようとした。僕は夢の中でだけれど、そのお母さんと一緒に助かろうとした。でもお母さんは身体が丈夫じゃなかったし、僕は子供で大人を流れる水の中から持ち上げるだけの力がなかった。だからこんな世界修正してやろうと考え始めたんだよ」
「もしかして真琴は世界に対して冷たい想いを向けるようになったのか?」
「そう。怪の力が冷たいのはお母さんが死んだときの記憶が一緒に積み重なったからだけど、それを積み重ねたのは世界の不条理を憎む僕自身の心」
 それを証明するかのように真琴の体から冷気が噴き出した。距離があるのに、放出されたそれは俺の体から急速に体温を奪う。降っていた雨は霰へと変わり、頭や肩に衝撃を与える。そんな中でようやく真琴は傘を下ろした。
「空から降る水を固めるくらいの力を手にすることは出来たよ。降ってくるのを止めるのは無理だけどね」
 嫌いだと言っていた雨を真琴は別のものに変えてみせた。落ちてくる氷の粒はぱらぱらとその体の上に積もっていく。
 人にそんなことができるはずがない。明らかに異なものの力だった。
「怪は真琴のところに戻っていったってことか……」
 そんな俺の呟きに真琴は首を横に振った。
「怪の本体はずっと僕のところにいる。あるいは僕自身が怪だって表現した方がいいのかもしれないな。柊さんや立花さんには想いと力の一部を分け与えただけだよ」
 想いを分け与えるというのは言葉の通りではないだろうと思う。人は他人に自分の気持ちをそんな簡単には伝えることが出来ないのだから。ただ真琴が怪そのものだというのなら納得がいく。活気に溢れた部活動に参加した後は自然と元気になっているものだし、逆に陰気な雰囲気が漂う病室にしばらく入れられれば気持ちも落ち込んでしまう。何らかの想いが集まっているところに参入することで、人は意外と簡単にそれに影響されて想いを自分の心に分けてもらえる。真琴自身が冷たい想いの集合体だというのなら、似たようなメカニズムで他人に怪を移すことが可能なのかもしれない。
「鏡にいの考えで大体合ってるんじゃないかな? 周りを見ずに元気だけ振り撒いているような人はその場の雰囲気を感じ取れないし、持って帰ることも出来ないしさ。僕の持ってる怪も同じだよ。相手の心の中に冷たい部分があって、それに共感できる素地がないと受け渡すことは無理だね」
 そこまで語ってから、真琴は話を少し前に戻す。どうしてそういうことをやるようになったのかについて。
「僕は怪を手に入れたけど世界は広い。残念だけど一人じゃこの世にある不条理をすべてなくすことは無理だった。途方に暮れかけてたんだけど、周囲を見渡したら同じように苦しい境遇に必死に耐えようとしている人が何人もいることに気付いた。やっぱり世界は不条理に満ちてたんだよ。だったら僕がそれを変える力を分けてあげようと思った。そして同じようにして、分けた先の人が別の人に怪を移していけばいつか世界は変わるはずさ。ただ怪の想いは引き受けるには辛いものだから、なかなか相手が見つからないっていうのが難点だったけど」
 確かに柊や立花先輩のように、峻烈な環境に長く置かれていた人はそうそういないだろう。そして想いを閉じ込めて冷やしてしまうのも稀有な例だと思う。俺もいわば色のある世界を凍らせていた冷たい想いの持ち主なわけだけれど、周囲から目を逸らしていたから受け入れる態勢にはなっていなかった。目を向けるようになったから立花先輩は怪を移すことが出来たということなのだろう。
 真琴が冷たく沈めた声で告げる。
「ようやく怪を他の人に渡せたのに失敗しちゃったよ。でも怪はまだ僕の中にいるし、諦めるつもりなんかない。この力を使って世界から不条理をなくしてみせる。そのせいで苦しむ人を救ってみせる」


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by zattoukoneko | 2013-05-01 06:14 | 小説 | Comments(0)