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ゲームは人を凶悪犯罪犯にするか

コンピュータゲーム(以下「ゲーム」と表記)の残虐描写が時に人を凶悪犯罪に走らせる危険性があると語られることがあります。今では非常に多くのゲームが出回っており、この言説はほとんど説得力を持っていないかのようにも思えます。しかし一方でCEROなどの推奨年齢基準も設けられ、メーカー側でも年齢の低い子供に残虐シーンを見せないようにする配慮が取られているというのも事実です。
では本当にゲームで人は犯罪者になるのでしょうか? このことを今回は考察してみようと思います。


多くの否定論者が言っているのは「ゲームで犯罪者になるならみんななっている」とか「映画やドラマ、小説、あるいは漫画やアニメの影響でもなるはずであり、そちらの影響が大きくなるはずであるが、そのような傾向はない」というものです。ある程度納得はしますが説得力に欠けます。人によってゲームやその他のものから受ける印象は異なりますし、統計もきちんと取られてはいませんから(どのようなゲームや本に親しんできており、それと相関関係が見られるかどうかをすべての犯罪者について調べるのは難しいことです)、見落としをたくさんしている可能性があります。
私が似たようなものでありながらとても説得力があると感じたのは、確かNHKで今回と同じ問題について討論しており、様々な論者や親御さんから代表として質問を受けることになった『バイオハザード』のディレクターである三上真司さん(だったと思うのですが、当時の映像が手元になくて確かめられていません。間違っていたらすみません……)の言葉でした。それは「ゲームによって凶悪犯罪が助長されるという可能性はある。しかし一般の子供たちがバイオハザードのようなゲームをやっても犯罪者になることはない。助長され得るのは元から犯罪を起こす要因を持った子供が手にした場合である。これは小説やテレビ番組でも同じことが言えるだろう」というもの。この発言の瞬間、ゲームを批難していた人たちが黙りこくってしまったのも印象的でした。三上さんの立場は「ゲームも犯罪をより凶悪なものとする可能性がある」ことを認めながらも、「犯罪を起こす動機は別にあるのであり、ゲームにのみそれを求めるのは筋違いではないか?」ということになるかと思います。これはまだまだわからない要因があるものであるし、だから自分たちの非をある程度認めつつも、それのみを第一要因とするのは他の大事なものを見逃しているという鋭い指摘をしたものだと感じます。実際の成立経緯はこれとは直接の関係はありませんが、このような流れを汲みながらCEROなどの審査基準が出来ているとしたら、それは消費者にとってもメーカーにとっても良い作品を作る上でとても重要な働きをしていると言えそうですね。
なおこうした偏見が一番大きくメディアに出てしまったのが1988年頃に起きた宮崎勤による幼女連続殺人事件(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)だとよく言われています。宮崎氏は自宅に数千ものビデオテープを所持していましたが、報道では「ロリコン、ホラーもののビデオがたくさんある」と伝えられてしまいました。しかしその類のものは全体の中でもごく少数であり、過大な報道の仕方をしてしまった例とされています。ただしこれらやその他のビデオテープをたくさん所有していることが何の影響も与えなかったと言えるのかどうかは現在でもはっきりとしたことは言えないのではないかと思います。なのでこの例だけを持ち出して「影響はない」とするのもやはり誤りではあるかなと感じます。


さてゲームが脳に与える影響、つまり直接身体に悪影響を与える可能性はないかということも研究されています。ゲームは光刺激が他のものより強く、また音声もついています。また自分で操作をするという点もドラマなどとは異なる。これらのことからゲームの影響を探ろうというのが一つのテーマとなっています。近頃ではNintendo 3DSが幼い子供には危ないとされる研究が出され、任天堂がそのことを伝える方針を打ち出しましたね。
残念ながらゲームが実際に脳に影響を与えるかどうか、確定的な研究結果は出ていないように感じます。しかし発育途中の子供が長時間プレイした場合は脳の委縮につながるなどの研究論文も提出されており、まったく影響がないということはなさそうです。この辺りの研究は今後も進めてもらい、ゲーム会社などに指標の一つとして取り入れてもらいたいところです。
一方で脳に影響があるとして、これだけに犯罪の原因を押し付けるのもまた問題でしょう。実際の統計が出ていないとしてもゲームをやった人の大半が罪を犯すなんてことはないのは自明です。ですから犯罪抑止という観点からすれば他の要因との繋がりも考え、ゲームはどのように制御されるようにしていくべきかを考えるべきでしょう。


なおゲームには良い影響もあることはわかっています。たとえば「東大合格者の多くがゲームを好んでプレイしている」とか。ゲームは脳を使う遊びですからそれによって知能の強化が望めるのではないかという声があります。ただし先の「東大合格者の~」は注釈を付けなければならなくて、ただゲームをしているわけではなく、その攻略法を自分なりに考えている人が多いと述べておきます。つまり彼ら彼女らはゲームを通じて一種の『研究』をしているということ。その中で他の人より優れた思考能力を身に付けていっているようです。例を挙げるとレーシングゲームでコンマ一秒以下のタイムを更新するために、その効率的な走行ルートを考えるなど。単純に最短距離を走ればタイムが短くなるわけではなく、この辺りが難しい『問題』となっているのでしょうね。
こうしたことを考えるとゲームが犯罪の一因になり得るというそれだけで排除しようとしてしまう動きは駄目ではないかと感じられます。ゲームだけでなく他のものもそう。インターネットなんかは嘘や害になる情報がごろごろしていますが、使い方を間違えなければ自分の知りたい情報をすぐに引き出せたり、あるいは自分がそれまで興味の無かった分野に関心を持つ手がかりになったりします。したがって“どのように付き合っていくか”を今後考えていくべきであり、それを詰めるためにもゲームの与える影響を悪い方も良い方もどちらも探っていくべきなのかもしれません。



ということで最初に掲げた問題に対する明確な答えは出ていませんが、そういう状況にあるからこそ考えるべきことが他にあるのではないかというのが私の立場。その中の一つとしてゲームの影響を考えればいいのではないでしょうか? その基盤が抜けたまま「悪い!」とか「そんなことはない!」と主張していてもあまりお互いの益にはならない気がします。
今回はこのような締め括りでおしまい。なおこのブログ筆者は大のゲーム好きですが、やる時間がないためほとんどタイトルを知らないという。FFXIII-2はやったから記事にできるけれども、求められるのネタばれのような感じがするしなぁ?(←実は結構やってないだろうか)
by zattoukoneko | 2012-03-04 16:59 | 社会・経済 | Comments(0)

「若いうちに勉強しろ」は正しい?

よく耳にする言葉の一つではないかと思うのですが、「若いうちに勉強しておけ」というものがあると思います。若いときにこれ言われるとイラっとすることも多々ありますが、二十歳過ぎた頃からこれを節目節目に『ああ、あのとき勉強しておけば……』と思うことも増えてくるのも事実。
ただ今回は果たしてこの言葉は正しいのかどうかということを検証してみようかと。まあ厳密な検証ではなく、いくつかのお話を混ぜつつどう捉えるのが最も良いのかという考えを述べる程度です。ただし先の“言われるとイラっとすることも~”はちょっと気になるところではあり、ただの反感と片付けてしまってよいのかどうか考えた方がいいのかもしれません。これに対し何らかの回答を与えられるのではないかと期待しつつ、本論に移ろうと思います。



よく年をとると語学や暗記物が難しくなると言います。これは脳の仕組みから見てもその通りのようで、20歳頃から記憶力は低下し始め、逆に思考力が向上するとされています。大体30歳でグラフにすると逆転するのだとか。……どうやって「記憶力」と「思考力」を数値化してグラフにするのかはあまり気にしてはいけませんよ?
また思考力の面でも早め早めに鍛えておくべきだという主張はあります。時々問題となるリテラシー能力ですが、小中の義務教育をきちんとマスターしていれば日常の生活で困ることはないように学習要領が組まれています。ですがそれは“教科書を丸暗記しており、内容を自由自在に使いこなせる”だったり。それ以前に小学校の教科書に何が書いてあったか覚えている人って少ないですよね。ちなみに私はきちんと覚えていますが落書きが描いてありました(違
リテラシー能力は日常生活でも重要であり、そのため成人する前に身につけておくことは確かに重要です。でも「若いうちに勉強しておけ」はこれのことだけを指しているわけではない気がします。もっと勉学の内容という印象ですよね。
勉学としてだと似たような言葉としてこんなものがあります。「哲学をやる者の素養は中学までに決まる」というもの。哲学者として大成するには中学の時点で哲学の本はほぼすべて読んでおけとのことです。また可能ならば独語・仏語なども自分で勉強し、原著にあたっておくようにと。これは思考力を鍛えるのもそうですし、哲学者として基本的な考え方を身につけるのも語学に近く、早いうちでないと難しくなるという理由からです。またぶっちゃけますと哲学(に限らず研究者全般ですが)の大御所って高校くらいの頃にはそのくらい当り前のようにやっている人たちなのですよね。昔の偉人が高校や高等小学校で読んでいた本を調べてみると『……え゛』となりますから。――と、ここまで考えてみましたがこれは研究者から研究者志望の若者に言うのならわかりますが、一般に言われるのとは違う気がしますね。
その他にも生後間もなくは脳の神経がたくさんあるが、その後不必要なものはなくなっていきます。なのでこのときに音楽に触れていると絶対音感が身に付いたり(音に関する神経がなくならないので)、あるいは日本人が英語などの聞き取りを苦手とするのは母音を聴きとる神経が消えてしまうからという理由があります。なおこれらの神経はある程度修復する――というか他の神経が代替してくれる――ので語学聞き取りまでは頑張れば何とかなるようです。絶対音感は無理ですけど。まあこれも時期が早すぎるので今回話題にしている言葉は関係なさそうですね。


ここでちょっと視点を変えてみます。若いうちに勉強を薦められるのは学習能力面もありはしますが、時間の面からも言われている気がします。つまり「社会に出たら時間がなくなるから暇のある学生の頃に勉強しておけよ」と読み取ることができるということ。ではこの時間面でこの言葉が正しいのかどうか考えてみるとしましょう。
確かに社会人になると仕事に追われて趣味の時間も減りますし、新しく語学などをやろうとしてもまとまった時間は取れなくなります。これは大学の専門をやり始めた頃から学科によっては出てくる悩みで、専門をやるための基礎を復習し直そうとしても実験やレポート提出などに追われてやれないなんてことがあったり。ですからその意味では時間が足りなくなるから~というのは確からしく思えます。
ですが私はここに最初に述べた『イラっと』の理由があると思います。若いうちにはそういう事情が(頭ではわかっていたとしても実体験では)わかっていないということはあるのですが、『イラっと』というのは言葉にすると「こっちだって忙しいんだけど!」になるのではないかなと。
つまり若い頃にだってやることはたくさんあります。学校の宿題だって子供には大変だし、習い事させられたり、塾に通わされたり。学期や年度の切り替えもあってそれに合わせて子供たちだって動きます。また大人から見れば、そして後に大きくなった自分から見たら他愛のないことでもその当時は大事にしているのではないでしょうか? 友人と遊ぶことや、趣味に没頭すること。それらは勉学の面から見たら確かに役に立たないことかもしれませんが、社会を生きていく上で大事なことだと思います。子供のときに他人ときちんと接していない人は大人になっても他人に優しくすることができないし、遊ぶことを目一杯していない人は同じように遊ぶことにも難しさを感じたりする。
もっと具体的な話に発展させますが、実は最近の大人の多くがこれで躓いていたりするのです。仕事なり勉強なりをやることに集中するものの、それをやめて遊ぶことが出来ない、他人と他愛のない話をすることができない、そうして結果として仕事の能率が落ちていくというのです。これは心理療法士も現代の大きな問題であると捉えていて、いかにメリハリを付けた生活をさせるかを指導しているそうです。その際にやはり昔からやっていた趣味は大事になってくる。
このように考えると時間の面から言われる「若いうちに勉強しておけ」は少し的外れという気がします。でもぎりぎり的枠に当たってるから『イラっと』なのではないでしょうか? 今後の大人になってから役に立つかはわからないのだけれど、自分は大事なことだと思ってやっている。だから暇しているように見えて実は時間はないんだよ、と。



さてはて。ここまで考えたところで対偶を取ってみることにします。明確に真か偽か決めることは出来ていないので難しくはありますが、今回は「時間が余っている若いうちに勉強しろ」は偽であるということにしておきます。
命題はもう少し仮定と結論を見やすく言葉を整えると「君が若いのならば、時間が余っているはずである。ならば勉強をすべきである」となります。「、」のところで仮定と結論が分かれている形。「。」以降は結論に他の要因を使いながら新たに導いた結論。ですから対偶は「勉強をするべきだと考えたときを想定する。そのときに時間が余っていないなら、君は若くはない」となります。命題は偽でしたからこの対偶も同じく偽となります。
耳慣れない言い回しだったので普段の言葉に言い換えましょう。「『勉強をしたいな、しておくべきだったなと考えたときに、それを時間のせいにしているのは自分がすでに大人だからだ』と言い訳して逃げているだけだ」となります。『』の部分が対偶で、その後にわかりやすいように偽である否定の言葉を付けました。
結局「若いうちに勉強しておけ」を言う人って、自分が勉強したりないのを感じていて、でもそれを挽回しようとはせずに子供に言っていたりする。だからそれを無意識にでも見抜いている子供は『イラっと』するのではないでしょうか。大人が「確かに昔よりは時間が少なくなる。でもやれることはやっている。これはとても大変なことであって、だから若いうちにもっと勉強することを薦める」なら言われた方も納得するし、むしろ態度でそれを示している大人ならそれを見ているだけで周囲は付いていきそうなものです。
また大人になって時間が足りないと嘆いているなら、先程の対偶の通りにそれは誤りです。大人であっても時間はあって、勉強はできる。確かに若い頃より時間も割きにくくはなっているかもしれないし、能力も落ちているかもしれない。でも何事もやり始めるのに年齢のせいで無理というのはないはずです(中には仕事にしたり免許を取るにはには年齢制限が制度として定められているものもありますけれど、『学ぶ』だけであれば年齢はそこまで気にしなくてよいはず)。だから本当にやりたいことややるべきことを見つけたならば、年齢など気にせずやった方がよいでしょう。またそのくらいの気概がないと(若いころと同じく)中途半端に終わってしまう気がします。



まあそんなことは言いつつ、子供だろうが大人だろうが時間がないのは確かで。そこは真かなーと。なかなか厳しい時間のやり繰りを迫られている気がします。
ということで誰か私の一日を50時間くらいに延ばしてください(ぇ
by zattoukoneko | 2012-03-03 17:50 | 雑記 | Comments(0)