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別にブログ更新しなくたっていいじゃない!!

はい、すいません。ダメですよね。偏に私が自分の生活をきちんと律することができていないのがいけないとはわかってはいるのですが。
そんな日常を受けてのエッセイと雑記の中間のようなものを書いてみることにしようというのが今回のチャレンジ。ただメモのように色々報告するだけではなく、ちょっと考え事などしつつまとめてみたいと思います。



私自身かなりバタバタとした生活が続いています。特に年末年始と年度の終わりと始めはたくさんの提出物があり、人に会う機会も多いので特に忙しい時期になります。え、大掃除? 何ですかそれ?(十年以上やれてないと思うのですよね……)
もうそろそろ年賀状のことも考え始めないといけない時期でしょうか? 私は自分の半分の年齢の子たちとも交流があったりするのですが、そうすると年賀状よりメールで新年の挨拶が来たりします。またこうしたブログやHP上で新年の挨拶をされる方も多いですね。手紙の方が趣があって好きではあるのですが、なかなか時間が取れないこともあって私もメールで親しい友人には挨拶をしていたり……。ただ手紙・年賀状というのは今後も廃れることのない、確固とした地位を築いた文化だと私は考えてはいるのですけれど。
ただ現代社会はネットなどの普及により時間が加速化しているとはよく耳にする気がします。またそれに反対するように地方などで「スローライフ」を送りたいという願望も耳にすることが時々あります。
ですが私たちは次のようなことを考えないといけない気がするのです。時間の加速化も都市化も昔の人たちが望んだものであったということ。そして都市と地方が分かれ、生活の仕組みも考え方も根本から変わってしまった現代から『昔のような生活がしたい』とか『ゆっくりとした生活を送りたい』という考えを持つのは、結局その当時の状況を何も鑑みずに発しているだけであり懐古主義ですらない。強く非難すれば“ただの現実逃避が大半”だと私は考えています。(ここで「大半」と付けたのにはきちんとした理由があり、後述します)


ここで私自身の生活に戻るのですが、秋頃から春頃までは色々と書いて提出するものや、試験、あと先述しましたがかなり若い子たちとも若干の交流があるので入試対策なんてのもやったりします。夏も暇というわけではないのですけれど……言うなれば神経的な負担が大きくなるのが冬の季節ですかね。夏はどちらかというと冬にたくさん書くためにインプットの量を増やしている感じがします。
ただ色々と書いて、その場でもアイデアの練り直しをやっていると、そのやっているものとはまったく別の内容で何かアイデアが思いついたりすることがよくあります。これをメモしておくことは当然として、しかしある程度まで案を固めないと気持ち悪くて仕方がないということも。実はこれ、忙しい時にいくつも重なって発生すると身動き取れなくなってしまうことがあってかなりの曲者です。
正直なところ、今がまさにそんな時期です(苦笑) 集中しなければならない課題もあるのに、やりたいことやアイデアが色々と思いついてしまって気が逸らされてしまう。もちろん忙しいのですから一つのことに集中します。しかしそうすると休めなくなってしまうのですよね。どこかで適度に自分をオフにしなければならないのですが、オフに切り替えたつもりでもアイデアの連鎖が発生しているとそれは実はオフになっておらず、そのために精神的にも(時には肉体的にも)休むことができなくなる。
私が思うに『現代は時間の流れが早くて……』という言説は、ネットや交通網の高速化によるよりも、こうした精神への過度な重圧と「趣味を趣味としなくなる」ことが一番大きな原因なのではないだろうかと。となれば時代がいつであっても同じように自分を追い詰めていた可能性も出てくるのではないかという連想が出てきます。


実は近代化・現代化が進む過程で生活様式が変わり、それによって人々は別の忙しさを手にすることになったのだという研究があります。日本では意識されることは少ないのですが、これは特に中流階級で生じたものでした。
まずは社会的な立場の向上による余暇の誕生が一つ挙げられます(余暇の誕生と、生活概念の変化については余暇の社会学 (PHP文庫)男のイメージ―男性性の創造と近代社会Manliness and Morality: Middle-class Masculinity in Britain and America, 1800-1940America's Heroesなどが本として出版されていて、全体を知るにはよいかと)。またこうしてできた余暇をどのように人々が使い始め、社会・文化に影響が出たかについても論じられています(余暇成立と生活習慣の変化に一番大きな影響を与えたと思われるのは鉄道であり、それを中心に「都市化」や蓄音機や撮影機材による「アウラの崩壊」という重要な概念について考察した名著として鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化があります。なお今度日本語訳の新装版が出る予定だそうです)。また近代になって家電製品が流入したことによって、実は主婦はそれまで業者に頼んでいた洗濯や料理まで自分でせざるを得なくなり、むしろ多忙になったと“時間は失われた”という逆の見解もあります(これに関してはジェンダー研究の第一人者の一人であるRuth Schwartz Cowanが多く研究をしており、その集大成としてMore Work For Mother: The Ironies Of Household Technology From The Open Hearth To The Microwaveが出版されています)。最後のものはせっかくできた余暇が近代技術によってなくされたとも読めるものですが、しかし概して新しく時間を新しい技術で埋めていき、そして新しい社会の仕組みにしていったということは確かに言えそうです。
こうした近代化が『時間を加速させた』という言説に安易に結びつけられているのだと思います。しかしながら昔はそもそも余暇のような時間は存在せず、日々を生きるために労働し続けていたのです。文化も生活も豊かであったと言われる江戸時代は、一側面しか見ていないものであり、地方の農民はどのように生活を成り立たせていたのか、医学・薬学はどのようなものがあり、それは社会に受け入れられて益をもたらしていたのかなどの議論がなされていないものです。江戸時代に『日本は鎖国をしていました』が、『江戸だけで鎖国をしていたわけではない』ということを忘れてはなりません。また現在議論が盛んに行なわれているものですが、明治維新によって内部から開国をせざるを得なかった理由というものもあります。おそらくは鎖国している間に進んだ欧米諸国の文明に対し、そのままでは対抗できないと考えたのでしょう。ですから明治に入ると国益を上げようとする政策が立ち上げられ、制度や設備が整えられていったのだと考えられます(ただし実際に個人の動き、機関の設立過程を見てみると、必ずしも「お国のため」という考えだけで動いていたわけではなかったということがわかってきます。むしろその反対が多いかもしれませんが、これに関しては今後の研究が待たれます)。
このように見ていくと、歴史を偏った側面から振り返り『その時代に生まれたかった』などと考えるのは、結局“現代の考えを持ったまま”その時代にタイムスリップしたいという夢想でしかないことが分かります。同様にスローライフがいいからと地方に移住しても、その際に地方の暮らしや農業にも付きまとう苦労を調べないままでは、また都市部かその周辺に戻ってくるだけに終わるでしょう。そしてそうした人々も少なからずいるように聞いています。


結局私たちは生活の基盤を固めること、自分のすべきことは何であり、どのように生活をしていきたいかをきちんと見定めることが重要なのでしょう。現代の方が出自に大きく左右される時代より自由度が上がっているかもしれませんが(なおこれに関しては当然そうだろうという“推定”であって、実際に調べてみると異なる可能性もあると私の方から暴いておきます)、自分の仕事や勉強、そして余暇をどのようなものにするのかに関しては自らが定めていかねば『ああ、あの時に進路を違うものにしておけば……』という後悔の念に駆られることになると思います。
もちろん自分の力不足や、突然の事故や災害で生活を変えざるを得ないということもあるかと思います。しかしその場合でも自分は『今』を生きているということを大切にしていただきたいと思います。過去のことを自分の足枷にするのはとても簡単で、とても多くの人がやりがちではあります。私自身も自分の歩んでいる道に戸惑いを覚えることは時々あり、そして過去の失敗を悔いることがあります。ですが近頃は『昔は昔として、それを思い出すのは今の自分の想いである』と“現在の”自分を内省するように心掛けています。もちろんどのような人であれ過去のトラウマや小さな心の傷はあるでしょうから、現在の自分を充実させながら過去のものも消化して癒していく必要はあるだろうとも思うのですが。
このように自分のしたいことをきちんと見つけて、それに邁進するのならば私はとてもよいことだと思います。その際にどのような道を選んだとしても、それはその人の人生であって、困ったときに助け合えればベストなのではないかなと。なので最初の方で「“大半”の人がただの現実逃避しかしていない」と述べたというわけです。私はスローライフというものに魅力を感じないので、今後その道を選ぶことはないと思いますが、きちんと現代都市と地方の生活の差を理解して覚悟を持ってやる方は尊敬の念に値すると考えています。ただしそれが『いいものです』『簡単にできるものです』とその人が背負わなければならないものを放り投げさせようとする謳い文句は大嫌いだと明言はしておきます。
日々の生活に疲れ、追われている人たちはたくさんいると思います。でもその中に見つけにくいながらも楽しみはあったりするだろうし、そうしたものを手掛かりに生活を整えることはできるのではないかと思っています。また本当に嫌なら全部投げ出してしまえばいいのではないかと私は考えていて――もちろん実際には色々なしがらみがあるのでそんな簡単に逃げることはできないのですが――それはそれで一つの覚悟だろうなと尊重されるべきものかなと感じています。



さて、エッセイなのですが文章が堅苦しいというのがいつもの如し。簡単にまとめると「最近忙しい上にストレスがどうも過多らしく、でも胃が溶けている感じを楽しみながら夜中に奇声を発しているのでどうにかしようと思っていたらこんなブログ記事を思いついたけどどうでしょう?」ということになります(ぇ?
なお途中で色々アイデアが出てきていると書いていましたが、それはブログに関しても同様でして。一つの試みとしてショートショート(原稿用紙10~20枚程度)を書いてみるのはどうだろうかと考えています。以前連載した『絶体零度』が思いの外好評で、しかしブログ上で読んでいくのはやはり大変だったという意見も頂戴しています。中には一度PDFで縦書きにしてから読んだ方もいるそうで……。また私自身も長いものは物理的に時間がなくてもう一度やるというのは困難です。ですから『SSくらいであれば?』などと考えているところ。ただ私はあまり小説をネット上で公開するのは好きではないですし、短いのが苦手なので、何らかの工夫をするなり面白い話がSSで思いついたらやろうかというメモ程度にしておくつもりですけどね。
……ええ、メモをネット上ですれば自分を追い込めるよね、というそういう行為ですけれど何か?(口の端に付いている赤い液体を手の甲で拭いながら)
by zattoukoneko | 2011-11-23 01:30 | エッセイ | Comments(1)