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東日本大震災で見直されるべきもの

2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震と、その後の津波や余震などで起こった様々な被害を含めた東日本大震災は、日本だけでなく全世界の人々にとって大きな衝撃をもたらし多くのことを考え直さなければならないと思わせたようです。それだけのショックがあったというのは明らかだと思いますし、一方でそのショックが大き過ぎて『考え直す』ことを放棄してしまった人も残念ながらたくさんいる気がします。
政府や東電、マスメディアをはじめ、様々な企業が批判され、叩かれるだけという事態が多く発生しているようです。実際に問題があってそれを批判することは悪いことではありませんが、その先に何を生み出したいのかを明確にしなければ結局批判している人は他人任せということになってしまい、そしてまた何かしら問題を内包した社会を作らせてしまうことになるのでしょう。
個々の事例を詳細に分析しどのように動いていくか検討するのも大事でしょうが、ここのブログは個別の社会問題を一つ一つ取り上げて論じることを主旨としていませんから、今回は全体として何を見直すべきかを考察してみようと思います。


やはり国際的に見ても大きな関心を引いたのは原発事故とその影響となるでしょう。また日本の原子力関係の連絡系統がきちんと整っていなかったということも大きな問題になっており、これらは今後見直されるでしょうし、汚染状況に関しては今後も注意深く見守られていくことでしょう(特に海外では震災直後チェルノブイリとの比較がなされがちだったのですが、大きく異なる点として海洋汚染が挙げられました。海洋の生態系は未知の部分が多く、生物濃縮や回遊魚がどのように世界各地に広まっていくのかに焦点が当てられていきそうです)。
一方で大きく誤解されたのが『想定外』という言葉が使われている部分で、地震や津波の規模とそれへの備えを怠っていたのではないかという批判が噴出しました。
今後リスク計算に関しては見直しがなされることと思います。例えば日本が被曝に関するリスク評価で使っているものはICRPモデルと呼ばれるもので、これについては内部被曝については正当な評価が出来ないのではないかと支持者内からも随分前から声が上がっていました。これに対し2009年のストックホルム会議でバレンティンという人物がECRRモデルの内部被曝のリスク計算を評価し推薦しました。しかしECRRモデルは過大評価のし過ぎではないかという意見もあり、まだまだ粗の目立つモデルのようです。これに関してはリスク論研究者が当時からすでに意見を交えていますし、今後新しいモデル提出も含めて盛んに議論されていくかと思います。
それと地震や津波の評価に関してですが、新聞などの報道により誤解を生じている人が多いようです。曰く「昔にはこんな大きな津波が発生しているという記録が残っているのに対策しなかったのは何故なのか」というやつですね。これは歴史学ではありますが科学ではないので(これまでの)リスク計算に含まれていなくてむしろ当然と感じます。そもそも地震の予知というのはとても難しく、特に中期・長期予知になるとデータの数が少なすぎてうまくいかないのです。大きく地震予知を分けると「直前予知」「中期予知」「長期予知」があり、直前予知は前兆すべりというものを観測して発表するもの、中期予知は地震計やGPSなどから得たデータを元に数カ月先くらいのものを予知します。長期予知は(後述しますが)もはや『予言』に近い感じのもので歴史史料などから確率を算出したものとなります。
ここでざっとした地震学や地震予知の歴史を見てみます。まず地震の測定に関しては1880年頃から西欧で始められます。これはこの頃に地質学が発展したこととも関係があると思われます。有名なウェゲナーの大陸移動説は1912年に発表されたもので、1960年頃にようやくプレートテクトニクス論などが整備され地球科学が発展したので地震学もそれに併せて盛んになってきます。日本においては1965年「地震予知研究計画」発足、69年「地震予知連絡会」(国土地理院)、76年石橋克彦による東海地震説(これは後に石橋氏本人がその当時の切迫性に関しては過大評価だったと認めています。依然警戒が必要という意見は変えていないようですが)、さらにこの東海地震説を受けて78年には「大規模地震対策特別措置法」、79年「地震防災対策観測強化地域判定会」(気象庁)と続きます。日本は地震予知には莫大な予算を投入しており、94年には70億にもなるそうです。ところが95年1月17日5時46分には兵庫県南部地震という内陸型の地震が発生し、これにより新たな研究の必要性が認識されました。日本各地に震度計が配置されたのはこれより後のことです。したがって集めることのできているデータの量はせいぜい数十年とそもそも少なく、なので予知はとても難しい。99年にはNature誌上にも予知の難しさに関する記事が載り、その後も予知は本当に可能なのかどうかが度々論じられています。
また地質も世界の各地で大きく異なっていますから何度も似たような現象が観測できるわけでもない。メカニズムがはっきりしていないのでまだ決定的な理論が提出できていないというわけです。
それでも今年の2月にはすでに東北で大型の地震が発生する率が高いと発表していたようで、これは当たりました。しかしながら気象庁の発表を見るとわかるのですが、3月9日にM7.4の地震が発生しておりこれを本震であると見做したようです。翌日10日にM6の地震が発生しているのですが、これを気象庁は前日の『余震』と考えられると見解発表しています(平成23年3月10日06時24分頃の三陸沖の地震について (気象庁報道発表資料))。この時点でM9という地震が起こるというような見解はなく、それまで蓄積されていた科学的データから見てもこれほどの規模のものが起こるとは考えられていませんでした。
津波に関しても同じで予知するのは難しいものです。地震の長期予知と同じで「いつか大きな津波が発生するのではないか」と言われてもそれが『科学的』根拠として評価できるかどうかとなると難しいところがあります。古い文献に載っているものを鵜呑みにしていては科学ではなくなってしまいますし。
またここまでは注目を集めていた地震と津波に関して述べてきましたが、原発事故の主因と考えられるのは冷却システムがうまく作動しなかったことであり、何重にも備えていたディーゼル発電機による予備電源が作動しなかったことなどが挙げられています。技術的にはさほど大きな問題ではなく、したがって技術面だけ見れば原発の事故はあまり騒ぐものではないとすら言えてしまいます。
多くの人が今回の原発事故で衝撃を受けたのはその被害の大きさでした。また報道される内容が難しく、理解が出来ないという弊害も生じました。「シーベルト」を過って「シートベルト」とアナウンサーが言ってしまうくらい馴染みのない用語や記号が羅列されましたからね。報道に携わっている人ですら間違えてしまうわけですが、そもそも原子力発電が問題ではないかと考えられるようになってかなりの歳月が経っているのに、最近になってようやく目を向け始めた一般の人たちの姿勢にも問題があると言えるのではないかと思われます。再生可能エネルギーによる発電の研究は随分前から始められており、例えばシャープの太陽光パネルのCMを見た覚えがある人も多いはず。しかし新しく考えられている発電方式には当然デメリットがあり、そして安定した電気需要を望んでいた私たちが既存の発電技術の問題点には目を瞑っていたということになります。実際小中学校の理科や社会の教科書や資料集の中でエネルギー問題はすでに取り上げられている。環境問題を耳にしたことがない人というのもまずいないと思います。それでも電気をよこせというので発電設備を増やした電力会社や対策を講じていた政府が叩かれるだけというのも不思議な感じ。なおこれも誤解している人が多い気がするのですが、基本的に電力会社は発電設備を増やすのが嫌いです。設備を維持するために莫大な費用が必要になるので、結果として電気代を上げなくてはならず、大きな企業・工場は安価な電気を求めて海外に移ってしまうため。一方で原子力発電所を製造・販売している企業は需要があれば売りますし、過疎の進む地方や発展途上国では工場の誘致などが見込めるので安定した電気供給をする発電所は欲しいですしね。


さて、ここまで書いてきた文面は電力会社や政府を擁護しているようにも見えてしまう気がしますが、連絡系統などに問題を抱えていたのは事実でありそこはきちんと批判され見直される必要があるでしょう。その点をきっちりとやってくれるか否かはこれから見ていかないといかない。そしてそれは一般市民の義務だとすら言える。
一方でこれまで国や科学/技術の関係に無関心だった人たちは自省もしなくてはいけないと思います。私たちは科学の恩恵に与って今の豊かな生活を手にしていると“思わされ”がちですが、技術はともかくとして科学によって社会が豊かになった事例というのは数えるほどしかない。にも係わらず科学に大きく依拠した(あるいは科学『も』依拠している)数値計算に頼っているのが現代の社会ということになります。


では科学は本当に信頼に足るものなのかどうか? まず方法論から見ていこうと思います。
演繹法というものがありますが、一例として「太郎君の家では毎朝牛乳を飲む決まりがある→花子さんは太郎君の妹である→したがって花子さんは毎朝牛乳を飲む」というものを考えると、これは正しいと言えます。ですが「あるスーパーで卵を買った→三回連続で買ってきた卵は腐っていた→あのスーパーで扱っている卵はすべて傷んでいるに違いない」は誤りです。そのスーパーにある卵すべてを検査しなければ最後の結論は導くことができません。
ですが科学の現場ではこれが当たり前です。無限回の試行など出来るわけがないので途中で実験や観察をやめて結論としてしまうのです。なお分野によってこの回数は違っています。生物の分野だと一つの実験にかかる時間が長いのでほんの数回でおしまい。しかしその他の証拠や論文からそれは正しいのであると説得力を持たせるのが科学者の仕事です。
これだけ聞くと何だかとても怪しいものに思えてしまうかもしれませんが、実際には科学者集団内部でも議論され精査されるので『説得力を持たせる』は途方もない労力が必要な仕事なのです。その点では安心(?)と言えるかもしれません。

次に歴史的に科学がどう扱われてきたかですが、第二の科学革命 で制度としてどう科学が整備されてきたかを簡単に(……ではないですね、スイマセンorz)触れています。
科学の学会として一番有名なものはロンドン王立協会Royal Societyでしょうが、これは日本語訳では「王立」と付いていますが国王からのお墨付きをもらっただけで運営費などは出ていません。それ以前にある学会は言わずもがな。自然探求を目的とした最古の学会の一つ、アカデミア・デイ・リンチェイ(1603年設立)は自ら植物学をやっていたチェージ公がパトロンになって設立したものだったりします。
国家が科学にお金を出すようになったのはフランス革命後に出来たエコール・ポリテクニクが最初と考えてよいと思いますが、これも革命後に対仏同盟が終結され、一方で革命時に土木技術者が亡命してしまっていたので急ぎで技術者が必要になり、その養成機関として設立されたものですし、カリキュラムを組んだモンジュが基礎教育として科学を導入したことがむしろ大きい要因のようにも思います。
その後も科学者内部からは自国の衰退論が何度も出されますが(パストゥールやバベッジなど)、これに関しては同時期に著名な科学者が輩出されていることもあり様々な思想や思惑が絡んでいたと考えた方がよさそうです。大きな衝撃を与えたのは1851年のロンドン万博でしょう。産業革命を経て活気づいていたイギリスは当時は貴重な大きなガラスと鉄骨で組んだ水晶宮を建造しその国力を世界に知らしめます。多くの部門で賞を獲ったのもイギリスでした。ところが1867年のパリ万博ではほとんど受賞できないという惨憺たる有様に。ここで議論が巻き起こりイギリスではようやく政府が科学教育の状況を調べ始めるという流れになります。
この後研究所(特に大学付属のもの)設立やナショナリズムの高まりがあるのですが、純粋科学に国家が大きく関わるようになったのは1911年のカイザー・ヴィルヘルム協会の設立からだと一般的には言われます。同組織は1948年にマックス・プランク協会となり、世界に名立たる研究機関となっています(ノーベル賞受賞者の三分の一はここの科学者とされているほど)。
しかし世界大戦の幕開けによって科学の成果は軍事技術に転用されるように期待されるようになります。第一次世界大戦はChemical Warと呼称されることもあるように、ハーバーの製造した毒ガスが猛威をふるい、しかしすぐに対抗策として防毒マスクが開発されるなど科学者も技術者も動員された戦争となりました。また白人・中流階級・男性の間に流行していた無線技術も戦争に駆り立てられます。愛国心のもとアマチュア(という区別は当時なくRadio Boyなどと呼ばれていたのですが)は戦地に赴き、新聞や雑誌には「Radio Boy」の英雄譚が毎日のように掲載されます。中でも一番有名になったのはAMの発振・増幅技術に貢献し、FMラジオの発明者でもあるアームストロングでしょう。彼の話は第一次大戦後でも子供向けの科学啓蒙書に載せられているくらいです。第二次大戦は言うまでもなく原爆の開発です。
第一次大戦以降、科学者・技術者は企業に取り込まれていくようになります。パナマ運河建設の際にも多くの若い技術者が集められました。RCAでは社長のサーノフが主導してラジオの研究に先のアームストロングが雇われますし(ただし後に離反)テレビの開発にも携わっていくことになります。それと同時期には企業内研究所が設立され基礎研究が重視されていくことに。最初はGEでのホイットニーによるタングステン電球の発明と研究であり、本格化したのはデュポンでのカロザースの66ナイロンの発明。そしてベル研でのショックレー、バーディーン、ブラッテンのタングステン発明と輝かしい業績を企業内研究所は挙げていくこととなります。これが現在まで続く一つの大きな流れと考えられるでしょう。ただし基礎研究から商業化に至る際には数多くの摩擦が生じ、特にカロザースは基礎研究が出来ないことに苦しみ自殺するほどです。
以上で見たように科学は社会に貢献するという言説は『それが技術に転用され軍事や商業において成功を収めた場合』には確かに当てはまりそうです。しかしながらその数はけして多くはなく、また啓蒙家がそれを喧伝し、企業や国家がそれを利用するようになったというのが実態と言えるでしょう。


ここで考えなければならないのは「科学に基づいた社会の上で、それを盲信して生活していてよいのか」ということ。
科学の一つとして医学がありますが、では医学者が社会の福祉に貢献したというものは何があるでしょうか? よく引き合いに出される国民の平均寿命の延びは栄養状態がよくなったことと衛生管理の徹底に依るものが大きい。世界の食物を増やしたのはハーバーらの窒素固定法によって窒素肥料がたくさん作られるようになったことであって化学からの貢献、衛生管理はパストゥールから始まり、コッホと北里による細菌病理学説の貢献と生物学からのもの。もちろん事故で大怪我をしたり重い病気にかかったときは病院に行くことを勧めますし、医者は何もしてくれないのだなどと言うつもりはないのですが、果たして国が躍起になるほどの価値があるかどうかは疑問が残ります(ちなみにアメリカでは医師が給料の値上げを求めてボイコットをしたことがあるようですが、これは失敗に終わっています。理由は単純明快で死亡率が変わらなかったからです)。



さて長くなり、複雑な話なりましたがまとめてみます。
国の政策や企業を疑うことはするのに、科学や技術を疑わないのは何故でしょう?
また自分自身がそれを今まで受け入れていたのに事件や事故があると急に騒ぎ出し、自分たちがそれを認めていた過去を見なくなるのはどうしてでしょうか?
総じて現在私たちが生きている社会は自身も含め歪みのないものでしょうか?

今回の震災は一つのきっかけになるのかもしれません。私たちが身の回りあるものとどう付き合っていくのか、多面的に見ていく必要があるように感じます。そしてその最初は一歩は自分自身の基盤を見直すこと。もしかしたらここが歪んでいるかもしれません。そうしたら物事は正しくは見れませんからね。
by zattoukoneko | 2011-08-21 01:35 | 社会・経済 | Comments(1)

ブログって日記だったのか!

最近他のブログなどを見ていて気付いたのですが――
  ブログって日記なのですね!?
いや、もちろんここのブログを始める前にも何ヶ所か回ってきましたし、どこがやりやすいのかとサービス確認もしてきました。ただあまりにも多くて疲れ果て最終的に自分で設定のする必要がほとんどなく、更新をさぼっていても広告が入らないここを選んだだけなのです。(←ようは適当という)

しかし日記ということはもっと気楽に日々のことを書いていればいいということですよねー。主に自分の趣味をアップしている方が多いようで、飼っているペットの写真を掲載したり、読書録を付けたりしているのをよく見かけます。
ということで私も日記のような感覚で書いてみようかと思うのです。たまにはそのようなものもいいではないですか♪


とりあえず今日は「ブログ≒日記」ということがわかったわけですが、そもそも「日記」とは何かが気になります。さらには「日記を知らない間に読まれて~」なんて使い古されたエピソードもあることからわかるように日記は他人に読ませることを意識していないことが多く、一方でブログは言葉の壁があるものの全世界に公開されているものという点で大きな違いがあります。この差はけして見逃してはならないものですが、今回は「ブログ≒日記」の近似式は非常によく成り立つと仮定して話を進めていくことにしたいと思います。
日記というのはその日にあった出来事や感想の記録をするものとなっています。類語としては日誌や日録などがあります。
航海日誌などを想像してくれればいいのではないかと思うのですが、中にはそのほとんどが数値等の記録でありデータ資料・歴史史料程度の価値しかありません。少なくともそれをデータの見方がわからない素人が読んでもわかりようがない。ただ現実にあったことを淡々と書き続けるのも日記の一つの在り方であることはわかります。
一方で『アンネの日記』のように日々の記録と共に自身の感想が多く入っており、また政治的な色合いも濃く出ている日記も存在します。『アンネの日記』は日記を綴っていたアンネ・フランク自身が出版したものではありませんから、彼女自身は他人に読まれることなど考えていなかったかもしれません。もちろん彼女のように書いたものが価値あるものと遺族らに看做されて公開されたり歴史史料として参照される可能性は誰にでもあり、死んだ時に焼却処分でもしなければ完全に一人だけのものとなるわけではないのですが。

この日記の性質というものはどのように決まるものでしょうか?
歴史背景なども大きく関係しているような気がします。触れないことにしていましたがブログやHPなどが普及した現在では「日記」によって同じ趣味の仲間を探して交流する「交換日記」のような色合いが強い気がします。また個人の職業なども大事な気がします。先に上げた航海日誌などのような科学的色彩の強いものは観測記録が主流になる気がしますし、同じ航海日誌でも航行の目的が新天地の開拓などになるとその土地の気候や風俗が描かれ著者の感想が多く入ってくることもあるかと思います。
さらには日記は必ずしも一人で書くとは限らず、交換日記のようなものもあればエジソンの研究所に置いてあった日誌には雇われていた技術者が日々の成果を記録すると共にお頭であったエジソンが点検しさらにアイデアを書きこんでいくという方式を採用していました。
このように日記にも色々な種類があり、当然ながら役割も変わってきます。

研究所にあるような日記・日誌は予めその役割が決まっている可能性は高いでしょう。もちろん使用している間に別の効果が見い出されるかもしれませんし、ずっと固定だとは限らないわけですが。個人の場合でも後々内容が変わるかもしれませんが、日記を始める前から自分で採択できる余地は大きいでしょう。
一例ですが物書きを目指す人は日記をつけるとよいという話を聞いたことがあります。常日頃から文章を書いていないと能力は衰えてしまいますし、また記録を取ることで自分の頭の中を整理し新しいアイデアを思いつく手がかりにすることもできます。いつでもネタを書きとめられるように手帳を持ち歩くとよいなんていうのはこれの簡易版で、きっちりしている人は帰ってからこの手帳に取ったメモをノートなどに整理するそうです。

さてはて今回の私は『ブログとは日記らしいのでそれをやってみよう』と最初に述べたわけですが、結局普段と大差ない内容になった気がします。それもよくよく考えれば当然のことで、このブログの設立当初から「自分の考えをまとめてみる」が念頭にあり、したがって今回のこれもその流れに乗っただけのものとなります。
まあもうちょっと面白みのあるもの書けよと言われそうですが、よくよく考えてみると高校のときとかに一日にノート一ページぴったりをノルマとして毎日書いていた日記もこんな感じだったのですよね……(というか人に見せない分もっと分かりにくい内容だった記憶が)。
でも色々と幅はありつつ、でもここのブログでの軸はすでに決まっているらしいとわかったのは一つの収穫かもしれませんね。まだ次回以降の予定ははっきりとは立てていませんが活かせていけると面白いかなとも考えています。

ということで今回はこの辺でおしま~い。
by zattoukoneko | 2011-08-11 08:28 | 雑記 | Comments(1)

20,000HIT御礼!!

ブログの総閲覧者数が20,000を超えました。
ついこの前10,000の大台に乗ったと大騒ぎしていた記憶がありますが、もうその倍に届いたのですね。閲覧してくださっている方には心より御礼申し上げます。(なお最近閲覧者様にも見えるようにカウンターを設置してみたのですが、多い時で±50もの誤差が生じるようで。時折手動で直しています……)

ブログ記事だけ見ると短い期間のように思うのですが、この数ヶ月間はとても長くも感じました。つまり東日本大震災があってからということです。
私個人としてはこの呼称があまり好きではなく「東日本」と大きく括ってしまうと被害の最も大きかった福島・宮城・岩手や近隣の県が少し霞んでしまう気がする。また今回は日本人全員がそのショックを受けたとも感じていて、東京では帰宅者難民が出ましたし(私自身当日は交通網がストップし、けれど運よく家まで一時間ほどの距離にいたので徒歩で帰宅しました)、茨城や千葉では液状化現象が深刻です。阪神淡路大震災の被災者の方の中にはフラッシュバックという過去の記憶が甦って精神的に苦しんでしまうという症状が出ているとも聞きました。また今なお大きな地震が各地で起きており、それに驚くこともあるかと思います。中には地震が多すぎて体感を麻痺させあまり怖がらなくなってしまった人もいるとか。そう考えると日本人すべて、あるいは他の国にいる人たちも今回のことで衝撃を受け、被災者になってしまったのかとも思います。今後物の見方も色々変えていかないといけないでしょうね。
このような全体的で一般的な論を展開しながら、一方でその現地は全く違うのだろうなとも思っています。直接の知り合いに福島に実家のある方が何人かいて、様子を数日見に行っただけでそこは異様な空間だとも感じたそうです。頻繁に来る大きな揺れ、地鳴りのような音、雨が降ると放射線量を測りに来る水道局員、面影のなくなった浜とそれを見つめる人々の表情。この実態は現地に行かないと語れないことだと思います。私は茨城までは様子を見に足を運んだのですが、県北の方や福島までは時間的な余裕も取れずまだ行けていません。ですから一般的な話しかできないと感じています。
ただ奇遇にも旅行の候補地として東北(具体的には福島~宮城)を震災前から考えていたのです。結局震災で私自身の生活も崩れ、立て直すのに時間がかかってしまったためまだ訪れることは出来ていません。けれど時間が経過したからこそ思うのは『生半可な気持ちでは行けないな』ということ。自身の生活もしっかりしていないのにより大変な被災地に足を運んだら飲みこまれてしまうと感じました。そして実際に余裕がなくて行けない状況にある。ならば自分が今すべきことは何かを明確にし、それに注力する生活を確立するのが先であると考えました。
東北被災地への支援はこれから何年も続くでしょう。個人的には十年は最低でも見ていくつもりでいます。なら今やるべきことはやはり自分の足を地につけることかなと。全国の様子も考えたらなおさらという気もします。
被災地の早い復興を願うと共に、けれど焦らずにしっかりとした生活を営んで欲しいとも願っています。


さて、大分堅苦しい話になってしまいましたね。少し話題転換。
このブログでは様々なテーマを扱いながらも、対象としているのは中高生と私自身は考えています。教科書にはきちんと掲載されていないながらも、読んで興味を持ってくれるなら嬉しいなとそんな思いで書いています。ですので記事の中には大学生や専門家の目から見たら誤りと感じるものも多々あるかと。私自身もわかっていながら楽しんでもらうことを優先にして説明を省略しているところがあります。
ただだからといって「それは間違いだ」という批判をしないでくれという予防線にこれをするつもりはなく、これからまだ色々なことを学べる若い人たちに、そのための興味を提供できないかというのが私のスタンスということ。20,000アクセスということでそれを再表明しておこうか思ったのです。もちろん大人の方々が読んで面白いと思ってくれるのも大歓迎ですが。


ということで今回はこの辺で。入りが堅苦しかったから最後まであまり崩せませんでしたね(苦笑)
そして急に話が変わってしまうのですが、以前から応援していた茨城県水戸市にあるチュアブルソフト様が今回の震災で被害を蒙り、またすでに制作の発表をしていた『アステリズム』という作品内で地震や津波の設定があるとのことでこれの制作凍結を発表されていました。ですが先の6月11日に制作を再開するとの告知が出されました。ここに至るまで制作を断念することや会社をもたたむことまで考えたそうです。しかし最終的に『アステリズム』というゲームを作ることがゲーム会社としての役目だとして再開に向けて調整を繰り返したとのことです。また被災地復興の一助になればといくつかのイベントやチャリティーグッズ販売をすることに決めたそうです。私は以前から応援していましたし、今回の決断も納得のいくものであり、それを微力ながら応援したいと感じましたのでご紹介しておきます。
チュアブルソフト様へは下のバナーリンクからどうぞ。アダルトゲームメーカーとのことですので年齢認証は必ず受けるようにしてください。
チュアブルソフト公式WEB

以上20,000アクセス御礼を兼ねた近況報告でした。
by zattoukoneko | 2011-08-06 19:37 | 雑記 | Comments(1)

【小説】『絶体零度』あとがきもどき

今回はブログ上で連載形式にして書いてみた小説『絶体零度』のあとがきもどきとなります。
一応本文を書き終えて書いているという意味では「あとがき」なのでしょうが、実際には次にどのような記事を書くにしても順に読み進めてくれている方には突然な印象を与えてしまうかなと思ったので、小休止という感じです。なお次回に何を書くかは決まっていません(ぇ 閲覧者数を見ていると評判が良かったようなのでもっと短めで何か書いてみるのもいいかなと検討していますが、連続も疲れるからイヤだなあと(ぇえ?

なおネタバレも含みます。まだ読んでいない方は是非。第一回目へのリンクはこちら。
   『絶体零度』1-1-1へ
また読んでくださった方には感謝の意を。拙い作品ではありましたが少しでも楽しんでいただけたなら幸いですm(_ _)m

   ***

今回の執筆の趣旨は『まあとにかく好きなように書いてみよう』でした(ぇ
もちろん自分の愚痴や日常報告みたいなものを小説にしてもそれはただの自己満足ですので、他人に読まれることは意識し、楽しんでもらえるようにしたつもりです。
一方で普段書き慣れない文章や物語展開をして、それを自分も楽しむことにも重点を置きました。先では『好きなように』と書きましたが、むしろ『普段と違う書き方でも放棄することなく最後まで書き続けられるか』が適切な表現かもしれません。自分のオリジナリティなりテーマ性は自然と出てくるものだろうし、それが出来ないと面白く感じられないので頓挫してしまうのですよね。


書くにあたって縛りのようなものを若干。
①続編がないように完結すること。(←完結させるのは当たり前なのですが、大抵は話を考えようと思えばできてしまうのでそれすら封印の意)
②文章を多少小難しい感じにし、イベントも減らす。(←書いてある内容と文章のみで勝負)
③書き溜めをせず、一つ書き終えて掲載してから次の回の執筆に取り掛かる。(←ただし全体の大まかなプロットはさすがに作りました)
まあ言ってしまえば純文学のようにしたかった、ただし文章で魅せるというよりは書いてある内容で面白いと思ってもらえるようなものを書けないかなと、そういう挑戦でした。
この難しいところはお話が説教臭くなってしまうところですね。ただ派手なイベントにばかり目が行ってしまう構成だとテーマ性が伝わりにくくなるのもまた事実。
基本的には小説の「テーマ」というのは読んでくれた方が好きなように受け取ってくれればよいと思います。押しつけがましいのは読みたくなくなりますしねー。ただ目を引く設定とかトリックばかりで(その時の驚きはあっても)長く印象に残らない話も増えてきている気がします。特に近年のテレビドラマとかそんな印象。
なので小説だけでなくあらゆる物語でこのバランスを取ることが望まれていると考えているのですが、今回はあえて大きめに傾けてみたということになります。


テーマはこれと書いた本人が述べてしまうのは無粋でしょうけれど、今回『現代社会というのは~』ということを瑠璃が口にしていますし、主人公の成明もそれを考える場面があるのでそれがテーマと受け取られやすいのかなあと思ってはいたり。
実際に私がそれをテーマに掲げていたかどうかは別として、確かにそうした話題が結構入ったなとは感じます。主人公は何かしら考えはするのに社会の在り方に疑問を持たないで生活してきたという設定だったのが関係しているのでしょうね。
この話を考えたのは今年の2月19日頃で徒然と書いてみるという記事の中でちょっと触れていたりします。小説の掲載でもやってみようかなと考え始めたのはそれより以前ですね。ただ話の長さとして一つの中に収まる程度だと短すぎるし、かといっていくつにも分割してしまってはブログという媒体の性質からして読みにくくなるだろうなと決めかねていた時期がそれなりにありました。
解決策として中篇程度の長さで完結するものとし、各話読み切りとまではいかずとも新聞の連載小説のようにやっていけないかなと今回のような形になりました。上記の縛りはここから導き出されたものだったりします。……当初の予定では原稿用紙200枚程度としていたのが最終的に295枚になったのは、本当に各話を書き終えてから次回分に取り掛かっていたからだと思います。最初に立てたプランも本当に大まかなものだったのでその場その場で相当な数の修正が入っていたりするので。
いずれにせよ企画していたのは二月末から三月初めで、第一話(1-1-1)だけはやれるかどうかの確認も兼ねて2011年3月4日に書いたということがデータの作成日時から私のPCでは確認出来たりします。
ただその後の3月11日に東日本大震災があって、名称こそ『東日本』となっていますが日本全国や世界中がその影響を受けました。特に原発の事故が重なったというのが特徴であり、今後見直しがなされていくことと思いますが、一方で科学/技術や社会の在り方全体を見直そうという動きはほとんど見られない感じがします。
また一部では活動をしている『気になっている』という人もいる気も。今回の震災を契機に何か新しいことをやろうとすることは否定はしないですし良いことでもあるとは思うのですが、従来からすでにあったもの(先行の研究や開発がされていたもの、および自分たちが看過していた問題とその責任)に目を向けないで批判ばかりが先行している人は何事も成せないのではないかなと考えたり。
今回書いた『絶体零度』の主人公である飯田成明という人物はまさに社会と自身の関係に目を向けてこなかった人間で、そこだけ抽出すると現代の多くの人に共通するのかもしれません。もちろん個々人で事情は異なりますし、成明には彼独自の道を歩んでもらって自身の問題を解決してもらうわけですが。


重ねて言うことになりますが、現代社会と科学/技術と人の関係についてを一番のテーマにしたかどうかは私自身からは言わないことにします。他に見てもらいたい部分もありますからね。
ただこうしてあとがきもどきを書き、自分の執筆したものを振り返ったときに、おそらく今回の震災の影響を受けているのだろうなとは思うのです。きっちりと『あとがき』と銘打たず、『あとがきもどき』としているのは私自身の感想が多分に含まれているからだったりします。書き手という要素はゼロにはできないわけですが、読み手としての個人的な意見も入っているということ。
ですので読んでくれた方はここに書いてあることは気にせず、自分なりの感想を持ってくれればと思います。
なお「こんなの読む気にすらならない!」とやられるともれなく書いた人が画面の向こうでしくしく泣くことでしょう。(←もしかするとかなり打たれ弱いのかも?)


まあ今回はこの辺でおしまいです。
最後にあとがきらしく何か書いておくとするなら――絶対零度繋がりでどこかに-273という数字を入れられないかとちらっと考えましたが(総文字数99,727=100,000-273とか)そんな調整をする余裕はなかったです!(え、それが〆?)
by zattoukoneko | 2011-08-01 14:20 | 小説 | Comments(2)