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エジソン発明会社の没落

エジソン話、最終回です。なんとか三月中に間に合った感じですかね。
なお今回の記事のタイトルは次の著作から借用しています。
エジソン発明会社の没落
専門書ではありますが、一般の方でも容易に読めるかと思います。また日本語訳も丁寧でわかりやすいのでお勧めの一冊です。(ただし今回の記事はこれ一冊だけからソースを得ているわけではありません。ご容赦ください)


さて、一回目の「エジソンは悪い人」の中で少し触れましたが、エジソンは白熱電球や蓄音機、映画といったものを発明していますが、それらの発明よりもそれらを商業として成り立つまで発展させていったということにむしろ功績があります。(また彼は昔ながらの職人気質の体制を取り入れながらも、自身の研究所・会社に科学者をどんどん登用していっています。エジソンの発明とされるものの多くは彼らの科学的知見なしには生み出されなかったものでした。そういう意味では他の研究所・企業の先駆けであったともいえます(前回の記事で触れたように科学者・技術者が本格的に企業の中に飲み込まれるのは20世紀に入ってからです))
エジソンの商業面での貢献なしには配電設備や蓄音機や映画はこれほど早く世に普及しなかったでしょう。ですが当のエジソンはこれらのことごとくの事業で失敗してしまいます。
電流に関する争いはすでに見たとおりです。直交論争においてテスラとウエスティングハウス社に敗れたエジソンは、そのエジソン電気会社をジェネラル・エレクトリック社に吸収されてしまいました。
ですが面白いのは蓄音機や映画の話の方です。今回はこちらに焦点を当てていきたいと思います。

まず蓄音機ですが、皆さんが思い浮かべるのはレコード盤のものだと思います。が、これはエジソンの発明したものではありません。エジソンが発明したものはロウ管と呼ばれる円筒の周りにワックス(ロウに錫などを混ぜたもの)を塗ったものを使用しています。
下に画像を掲載してみますが……わかりにくいですかね?
b0118096_1420836.jpg
  
ロウ管の使用法としては、まず録音の際には音が出るラッパ状の発音機に声や音を吹き込みます。するとその奥にある膜が振動し、それにくっついている針が振動します。これに合わせてロウ管を回転することで、針によって穴があけられていきます。逆に再生する場合にはロウ管を回すとそこに刻まれた傷によって針が振動し、膜が震えることで音となるという仕組みです。
当初使っていたワックスは非常に脆く、あまり耐久性のないものでした。10回も再生できればいいというくらい(代わりに一度ロウを溶かせばもう一度使えるのですが)。これは後に改良されてかなり丈夫なものができます(これはエジソンのもとで働いていた科学者の働き)。
このエジソンのつくったロウ管の蓄音機は品質的にとても優れていたものでした。少し前まではレコード盤の方が音質が良いとか、収納に良いとか言われていましたが(というか今でもウィキペディアはこの情報のままなのですね……)、実際にはロウ管の方が優秀でした。
レコード盤はエジソンも蓄音機の発明の際に一度案として出しています。しかしこれを採用しなかったのは音質がとても悪かったからです。
少し考えてみればわかると思いますが、レコード盤は針が外周から内側へと向かって少しずつ移動していきます。すると(回転速度を変えるのは困難ですから)針の移動速度が速まっていくということになります。このため再生される音声は次第に加速していくということです。また溝をつけるのも大変で、良い音声は得られませんでした。一方で円筒形のロウ管であれば針の速度は常に一定ですし、再生できなくなっても溶かして再利用できるという利点もありました。また音質もとてもよかったのです。
ではなぜエジソンのロウ管蓄音機は廃れ、レコード盤が残ったのか?
実はエジソンの発売したロウ管による音楽に弱点があったのです。
蓄音機は当初とても好評でした。ただ高かったために買えるのは富裕層でしたので、エジソンはバーなどにコインを投入すると音が聞こえるようなものを置いて稼ぎます。物珍しさもあってたくさんの人が集まりました。ですが同じ音楽ばかりではすぐ人々は飽きてしまうものです。エジソンはどんどんと新しい音楽を提供せざるを得なくなりました。
そのエジソンが製造していたロウ管には、昔ながらの民謡や童謡が録音されているものでした。歌い手も特別な歌手というわけではありません。
これに対抗してきたのがビクターでした。ビクターはエジソンの特許を避けるためにレコード盤蓄音機を採用します。が、もちろん音質の悪いレコード盤では勝ち目はありません。そこで考えたのが録音する音楽を大衆好みにすることでした。選ばれた音楽は当時流行っていたものや人気のオペラなど。歌い手も大金をはたいて有名歌手やオペラ歌手を採用します(当初彼ら、彼女らは自分の歌声が安価に売られることで自分の劇場に来てくれなくなるのではないかと渋ったものでした。これを口説くには大変な根気と費用が必要だったことでしょう)。このビクターの試みは見事に成功します。音質は確かに悪いけれども、人気歌手の歌が何度も自分の家で(ようは劇場まで遠出をしないでも)聴けるということが好評だったのです。(なお似たような現象はラジオなどの際にも現れます。19世紀に富と余暇を得てきた中流階級にとって、しかし劇場はまだまだ高嶺の花。それが自分の家で視聴できるのですから飛びつかないわけはありません。一方でラジオ番組などに出ようとする大物俳優などはなかなか現れなかったのですが)
エジソンはこのビクターに対し、あくまで自分のやり方を変えませんでした。意固地な人間だったのかもしれません。結局このため蓄音機はレコード盤にその座を譲ることとなります。

次に映画に関して見ていきましょう。
映画は実は最初はトーキー(音声付き)だったのです。これはエジソンが蓄音機と写真のコマ送りを同時に行うことでつくったものです(写真のコマ送りによって物が動いて見えるようなことを発見したのはエジソンではないですし、これを最初に実用化したのも別人なので、この点はエジソンの盗作ですが)。
エジソンは蓄音機を発明してわりとすぐに映画の着想を得ます。蓄音機を回すのに合わせて写真が切り替わってくれればいいわけですから、構造は単純でした。
エジソンは蓄音機と同じような販売戦略をとります。劇場のようなものはやはりまだまだ高嶺の花でしたし、蓄音機と一緒に映像を流すと再生時間は5分程度ととても短かったので、それ単本での上映は無理だったとも考えられます(現代のような長いフィルムが考案されるのはもっとずっと後のことで、私たちが知っているフィルム横に移動させるための穴があいているものを発明したのは前回出てきたデ・フォレストです)。結局蓄音機と同じようにコインを投入すると視聴できる機体をあちこちに置いていくわけですが、やはりこの際にも続々と新作をつくりだす必要がありました。彼は「ブラックハウス」と呼ばれる撮影小屋まで建造します。ただ……エジソンにはやっぱりというか何というか、ソフト開発には向いていなかったみたいです。最初こそ物珍しさで人は集まります。それしか映画はありませんし。ですが内容はとてもつまらないもので、ただ町の人がたむろしておしゃべりしている映像だったりします。エジソンのつくった映画は次のサイトにて無料で観れますので参考までに紹介しておきます。
Edison Motion Pictures
エジソンのつくる映画に対して、彼の部下たちは次第に愛想をつかしてしまいます。そしてユダヤ系の人々が中心となってエジソンのものを離れ、自分たちの映画製造会社――というか町をつくってしまいます。これがかの有名なハリウッドです。
これによって良質の映画が量産されるようになり、次第にエジソンは映画産業からも足を引かざるを得なくなっていきます。


他にもエジソンのつくった会社のことごとくは失敗し、他の会社に吸収されていくのですが、細かくなるので割愛します。
上で見てきた蓄音機や映画の話からするに、エジソンはハード開発に関してはとても優れた力を持っていたと言えます。またそれを商業に仕立て上げるところまでの起業家としての力も存分に持ち合わせていました。ところが企業家としてその産業で生き残っていくだけの力はなかったと言えます。特にソフトの開発に関してはまったくの力不足でした。

このハードとソフトのどちらが重要かという問題は技術史などの分野で大きな関心事となっています。現代の私たちはすぐに「そりゃソフトの方が重要だろう」と答えてしまいそうですが、優れたハードがなければよいソフトも生まれてこないというものです。(スクウェアがFFVIIをPSで発売を決めたのだって、任天堂のこだわっているカセットロムでは表現に制約がかかりすぎると判断したものですし)
今はblu-rayやらPS3などの新しい記録媒体やハードが次々に生み出されてきています。この辺りの動向を追っていくとなかなかに面白そうですね。
by zattoukoneko | 2010-02-27 14:23 | 歴史 | Comments(1)

エジソンは悪い人?

前回の記事でエジソンはとてもあくどいことをやった人物であるかのように書きました。確かに現代の私たちの目線から見ると自分の特許や商業上の利益のために色々と非道ともいえるようなことをやっているように思えます。
しかし、歴史が変われば価値観とは変わるものです。今でこそ人を殺してはならないと多くの社会でなされていますが、昔、あるいは今後それは覆ることだってあるわけです(たとえば優生学のようなヒトラーのユダヤ人虐殺のように)。
したがってエジソンが生きていた時代にどんな価値観が社会的背景としてあったかをきちんと調査しなければ、本当にエジソンが悪い人であったのかどうかは判断できないということです。
今回はエジソンを表には出していますが、メインはその当時(19世紀半ば)からそれが変わってきた20世紀初頭くらいを見ていきたいと思います。
ただ……このことをきちんと分析して著述した本や論文は今のところ見かけていません。実は私自身の研究テーマのひとつです(まだ途中ですので論文発表できるのはまだ先の話でしょうが)。参考文献も一応挙げることはできますが――本当に専門書になってしまいますし、高いものだと一冊2万円とか、当時の一次史料で手に入れにくいものになってしまいますので割愛させてもらおうと思います。


さて本題の当時の時代背景、発明家や技術者、および科学者の持っていた価値観について見ていきたいと思います。これに関してとても見やすいのはラジオの技術にかかわった人々です。彼らの背景には「男らしさ」があったように考えられます。これを見ていきたいと思います。またラジオの発明にかかわった人物としてリー・デ・フォレスト(1873-1961)とエドウィン・ハワード・アームストロング(1890-1954)および技術者ではなく企業家ですがデヴィッド・サーノフ(1891-1971)あたりを出していきます。
まずは男らしさの概念がこの時期にどのように変わっていったのを見ていきたいと思います。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ですでに男らしさについては少し触れました。西欧において男らしさの概念は産業革命以降に中流階級の男性が、上流階級にあこがれたり、キリスト教、騎士道からの影響、およびギリシャ彫刻の肉体美への憧憬から社会的につくられてきたことはすでに説明したとおりです。しかしこの男らしさの概念は18世紀頃に完全にできあがるわけではなく、その後の社会状況とともにいくらか変化していきます。それが19世紀でした。
19世紀は鉄道が張り巡らされ、各地に駅ができることによって都市化が進んだ時代でした。すなわち駅ができることによって物資の運搬が容易となり、その近くに工場が立ち並びました。そしてそこに勤める労働者が住居をかまえました。こうしてそれまでよりずっと大きな都市化が進んだのです(他にもデパートができたり、値札ができたのも鉄道の影響が大きいといわれています。今回はこれに関して触れていられませんので詳しくは次の本をご覧ください。やや専門書ですが一般の方でも読めると思います。鉄道旅行の歴史―十九世紀における空間と時間の工業化 (1982年))。
しかしこの都市化によって男性たちにとって困ったことが起こりました。それは自然がなくなったことです。
男らしさの概念の中に肉体の強さというものがあります。これによって自然を支配するというのが男らしさの中心にある概念でした(たとえば『ロビンソン・クルーソー』や『トム・ソーヤの冒険』、『ターザン』はそれらを扱ったジュブナイル作品――つまり青少年に男らしさを教える文学作品群――が19世紀から20世紀初頭にかけて世に出ています)。ところが自然がないものですからそれを実行することができない。また部屋に閉じこもってばかりでは肉体の鍛錬も当然できない。これは青少年の男性性を育てたいと思う啓蒙家たちにとっては大きな問題でした。
こんなときに生まれたのが無線技術でした。無線電信の技術を実用的なものとして確立し、商業化して成功したのはマルコーニです。1900年にはマルコーニ無線会社が設立されます。ただものときの無線はとても技術的には単純でした。電気によってスパークをを起こさせると電波が発生します。これをアンテナで受信すればよいだけです。したがってそれなりの知識を持てば素人でもすぐにまねすることができました。これに青少年たちは夢中になっていくのです(そして中には無線会社に勤めるプロの無線技士よりもずっと高度な技量をもった若者たちが生まれてきます)。
無線の魅力は「空間を支配できる」ことでした。遥かに離れたところにいる人物からの信号を受信、あるいは自分から発信できるのです。これは一種の「自然の支配」でした。これに男性性の啓蒙家たちは目をつけました(実際にはもう少し前から技術や科学と男性性を結び付ける動きはあったのですが)。彼らは青少年に無線技術にのめりこむように薦め、どんどんと解説書などを出版していきます。それと同時にいかに男らしく振る舞うか(つまりいかにルールを守り、紳士的に振る舞うか)を説いていきました。科学者や技術者の伝記もたくさん出版されていくことになります。19世紀末のことでした。
これに大きく影響を受けたのがアームストロングを代表とするアマチュア無線家(当時はアマチュアとプロとは分かれてはいなかったのでこの表現は正確ではないですが)でした。彼らはいかに科学者らしく無線技術を探求するかに情熱を燃やしました。そして無線によって電気信号だけでなく、音声も送受信できることを知るとその実験を自主的に始めていきます(たとえばコンラッドという人物が自分の家から放送を試験的に行っていました)。彼らの男らしさを示す一つの象徴的なことは第一次世界大戦への従軍でした。騎士道の側面から愛国心が男らしさの一つの重要なファクターとしてされていました。そのためアマチュア無線家たちは徴兵の依頼がきたときすすんで軍に入りました。そしてそれまでに培った無線技術の知識や技量を発揮し、軍に貢献します。たとえば飛行機に無線を積ませたのはアマチュアでしたし、アームストロングは従軍中にスーパーヘテロダイン方式という高性能な受信回路を発明します(これは今でもほとんどのラジオ受信機で使われているものです。真空管からトランジスタに代わってはいますが基本原理は同じです)。
このようにアマチュア無線家たちはいかに科学者らしく(=男らしく)振る舞うかを自分の根幹に据えていました。ところがアームストロングよりたったの20年前の生まれですが、デ・フォレストにとってはこの男らしさはありませんでした。彼が青少年期を過ごした時代にはまだ男らしさは「いかに名誉(名誉honorは騎士道由来の男性性の極みを示す言葉です)を自分のものとするか」が大事でした。このためには別に科学者のルールに従う必要はありません。それ以前の発明家たちのやり方、つまりいかに特許を自分のものにするかが大事だったのです。
デ・フォレストはオーディオンという三極真空管を発明します。これはマルコーニのもとで働いていたフレミング(フレミングの左手の法則の人です)の発明した二極真空管を盗用し、自分の特許にするために、フィラメントとプレートの間にグリッドと呼ばれるジグザグの金属棒を差し入れたものです。性能は大して変わりません。ただ単に特許を取るために何らかの改良(口実)が必要だっただけです。
ですがこのオーディオンには優れた性質がありました。このグリッドの部分にフィラメントからプレートに流れた電流を流してやると、受信した信号が増幅されることがわかったのです。これを発見し、科学的に理屈を説明して見せたのがアームストロングでした。(さらにこの増幅を繰り返すと発振というものが起こり、電気信号を送信できることも発見します)
この発見はアームストロングの功績とすべきものです。実際アームストロングはIEEE名誉賞(Honor of IEEE、ここでもhonorという単語が使われていることは注目に値します)というものを受賞します。ところがこれにデ・フォレストは異議を申し立てます。自分のほうが発見は早いというのです。実際彼の実験ノートにはオーディオンによる増幅効果を記すものがありました。ですが彼はその理屈がわからず、効用も理解できず、特許申請は行っていませんでした。にもかかわらずアームストロングに噛みつきます。
裁判の結果デ・フォレストが勝訴します。これには科学者や技術者が非常に落胆します。裁判員は科学のことを理解してくれないと(実際当時の判決の決め手を見てみると法律的な弁論でどちらが有利な発言をしたかで判断していることがわかります)。
この裁判後のアームストロングの行動はまさに男らしさの極みを見せます。彼はIEEE名誉賞を返そうとします。自分は盗作をしたのであり、科学者・技術者として正しい振る舞いをしていないと考えたようです。ですがIEEEはそれを拒否し、アームストロングのことを後押しします。当時の科学者・技術者たちがいかにアームストロングの方を支持していたかがわかります。
アームストロングは企業の後押しもあり、この後何度もデ・フォレストと裁判を繰り返します。そして彼の死後とはなってしまいますが、正式にオーディオンによる増幅の特許を認められます。(ただ彼が死んだのも興味深いエピソードです。彼は立て続く裁判に疲れ、費用もなくなってきました。実は彼はデ・フォレストだけではなく、FM放送技術に関してRCAのサーノフとも争っていました。お金のなくなった彼は妻に親戚からお金を借りてくれるようお願いします。しかしそれを妻は拒否。このことに対してアームストロングは妻を殴ってしまい、彼女は家を飛び出します。その晩にアームストロングは飛び降り自殺をします。このときに彼の頭の中で何が考えられていたかはわかりません。が、男らしさの中に女性への敬愛の概念が重要なものとして含まれていたことを考えると、もしかしたら最期までアームストロングは男らしさにこだわり、それを壊してしまった自分に失望したのかもしれません)
なお、デ・フォレストは「ラジオの父」と呼ばれます(とくに日本で)。が、上でみたようにむしろラジオの発明者はアームストロングであると言えます。彼がこのように言われるようになり、それが広まった経緯の詳細はわかりませんが、どうも彼がテレビで「ラジオの父、テレヴィジョンの祖父」と紹介された番組があったこと、および彼自身が『ラジオの父』という本を出版しているのが理由のような気がします。ただこれはデ・フォレストが仕組んだもので、裁判でアームストロングに負けそうになり、科学者や技術者、およびアマチュア無線家の間ではアームストロングが支持されているという状況(当時のアマチュア向けの本を見てみるとアームストロングが必ずと言っていいほどヒーローとして描かれます。ちなみにこのヒーローというのも男らしさの象徴です)で、それに焦ったデ・フォレストが自分のコネを使い、自分を特集するTV番組をつくらせたというのが実際のところのようです。別にマスコミがデ・フォレストを評価したわけではないのですね。ただこの映像を先に見てしまった後世の歴史家がこれを鵜呑みにしてしまったようです。

さて大分長くなってしまいましたが、男らしさは上で見たように「名誉を勝ち取る」から「科学者らしく振る舞う」へと19世紀の末から20世初頭にかけて変わってきたようです。しかしWWIの後になるともう少し事情が変わってきます。企業が技術者をどんどん募集したのです。
当時の技術者募集のポスターを見てみるとわかるのですが、かなり多くのポスターに筋骨隆々とした男性が描かれていたりします(時代はちょっと前ですが、パナマ運河建設の際の土木技術者募集のポスターなど)。これは科学者・技術者と男性性の肉体による自然の支配を示す一例だと言えます。
ですがこの状況が進行していくと、科学者や技術者は企業の傘下で働くことを余儀なくされます。それまでの科学者や技術者・発明家は個人での活動でした。エジソンは自分の会社を持っていますが、それはどちらかというと町工場のような職人としての向きが強いですし、デ・フォレストやアームストロングは個人です(企業からの支援は受けていますが、グループでの研究活動や企業のための特許取得という活動はしていません。あくまで特許は発明者のものでした)。
アームストロングは不幸なことにこのデ・フォレストのような古い男性性を持つ発明家たちと、企業に飲み込まれていく時代の間に身を置いてしまった人物でした。
アームストロングはラジオ技術の発明でRCA(Radio Company of America)のサーノフに目をかけられます。サーノフはロシアから渡米してきたユダヤ系の人物で、元々アマチュア無線家でした。彼はタイタニック号の救援信号を17時間(だったと思う)に渡って受信し続けたことで一躍有名になった人物で、後にRCAの社長、会長となり、ラジオの普及やTVの発明を指揮した人物です(2010/03/27追加。船舶の救難信号を受信した人物でもう一人有名な人がいるのを忘れてました。ジャック・ビンズという人で、1909年1月23日にリパブリック号の救援信号を受信した人物です。当時の新聞を見るとわかりますが、彼はメディアによっていかに「男らしい顔つき」で、「金銭に欲がなく」、「紳士的である」かを喧伝され、「英雄」と称されました。当時の男らしさの概念を知る大きな史料ですので、興味のある方はご覧ください)。
アームストロングはサーノフの支援のもと、FM放送技術の発明に携わります。しかしそれまでにすでにAM放送の送受信機を大量に売り、技術も確立してきたRCAにとっては次第にFMが邪魔になってきました。FMが主流になればそれまで投資してきたAMを捨てなければなりませんので。そのためサーノフはアームストロングの支援をやめてしまいます。
しかしアームストロングはFMの方がずっと綺麗な音質の放送ができると確信しており、その後も研究を続け、FM放送普及のために自分で放送局を立ち上げ放送も行っていきます。
一方でサーノフはTVの開発を自社内で行っていきました。その結果、音声を送るにはそれまでのAMではやはり音質として不十分であると判断します。そしてFM方式による音声送信を採用します。このときアームストロングへの許可はありませんでした。これはもちろん裁判となります。
ただアームストロングは個人であり、費用にも限界があります。一方でRCAはアメリカ内でもトップクラスの大企業。当然法律にも明るい。こんなのを相手にアームストロングは一人で戦うことになっていまうのです。
アームストロングがもう10年生まれるのが遅く、どこかの企業の傘下に入って働いている技術者であれば裁判は企業対企業になったことでしょう。ですがアームストロングはそのほんの少し前の人物だったのです。

以上のように18世紀に社会的につくりだされた西欧の男性性の概念は19世紀末から20世紀初頭にかけて(根本は変わらずとも)変容していきました。
最初は「名誉を勝ち取る」だったのが「科学者としてのルールを守って名誉を勝ち取る」となり、その科学者が企業の中に飲み込まれていった、という流れとなります。

エジソンの話のはずなのに、エジソンがほんの少しになってしまいました。最後に彼について触れたいと思います。
エジソンはデ・フォレストよりもずっと前の人物です。エジソンが「男らしさ」をどこまで意識していたかはわかりかねますが(そのような研究が皆無なもので)、おそらくはデ・フォレストよりももっと粗雑な「男らしさ」を持った人物だったと推測されます。また彼は自分の発明会社の中で、(科学者や技術者としてではなく)職人やそれをまとめる親分的な存在として振る舞っていたと考えられます。デ・フォレストがフレミングの二極真空管を盗作したように、エジソンもスワンの白熱電球を盗作しています。また特許を得るためにはどんどん裁判も起こします。これは名誉のためというのも多少はあるでしょうが、むしろ企業家・商業家として当時は当たり前の行為だったように思われます。したがって彼が行っていた発明の際の盗作や、特許争い、直交論争というのは彼の生きていた時代にとってはむしろ当たり前だったのかもしれません。
エジソンに関しては膨大な(すぎる)史料や研究書が出ていますのでなかなか明言することはできませんが、少なくとも現代の私たちの物差し(それはアームストロング以降の科学者や技術者としての振る舞いのルールと言えます)で計るのは誤りだと考えられるでしょう。


さて今回はここで終わります。次回は「エジソン発明会社の没落」というタイトルで書こうと思います。エジソンがどのようなものを発明し、そしてそれが失敗した経緯を見たいと思います。
by zattoukoneko | 2010-02-25 16:57 | 歴史 | Comments(2)

エジソンは悪い人

今回から3回にわたってエジソンに関してのお話をしようかと思います。
ただ……2月って28日までしかなかったんですね。すっかり忘れてました。今月中ですべてupするのは難しいかもしれませんね。まあ、きりがいいからそれを自分の中で目標にしてたのですが、べつに構わないですかね。
とかく、エジソンとはどのような人物だったのかについて3回分に分けて記述してみるわけですが、今回は(最近TVなどでもたまに見かけるように)エジソンが実際にはどんなあくどいことをしていたのかについて触れたいと思います。


さてエジソンといえば発明王とよく言われます。確かに彼の発明の数は膨大なものに上ります。有名なのは白熱電球、蓄音機、映画といったところですね。
ですが彼はただ無作為に思いついたものをどんどん発明していったわけではありません。3回目で詳細は述べたいと思いますが、彼はむしろ発明家というより起業家でした。そしてその起業のためにたくさんの発明が必要だったのです(たとえば白熱電球は発明しましたが、当時は発電所も電線も、家の中に電気を引く線やコンセントもありませんでした。これらすべてを用意したのがエジソンです)。また起業家として商売をしていく以上、特許争いも避けられないものです。このためにエジソンはさらに色々な特許を考案する必要もありました。この点については少し今回と次回で分けて見てみたいと思います。

ではまず白熱電球からいってみましょう。
白熱電球の発明者はエジソンと一般的には言われています。しかしこれはアメリカでの特許がエジソンだったというのと、(先述のように)エジソンが白熱電球を一般に広めるために尽力した結果だといえるでしょう。
しかし実際のところ白熱電球というのはその前にすでに発明されていたものでした。スワンという人物が発明していたのです(1878年)。エジソンは……このアイデアを盗んだといえます(エジソンは1879年)。
もちろんそのままではエジソンは盗んだことがばれてしまいます。だから狡猾に多少の改良を加えて白熱電球の特許を自分のものにしようとしました。スワンの白熱電球の最大の短所はその寿命が短いことでした。せいぜいもって数時間。1時間もたないなんてことだってざらでした。当然当時は電球なんて安いものではありません。よっぽどの金持ちでないと使えなかったでしょう。エジソンが改良できると踏んだのはこの点でした。
エジソンはまず寿命の長い白熱電球をつくることをマスコミに宣言します。このときにはすでに他の発明で有名になっていましたので、新聞記者らは飛びつきました。エジソンの思い通りに。発明はできていません。が、先に宣言しておくことで他者に対する牽制の意図があったと考えられます。
ただ(当然のことながら)そうそう簡単にそんな素晴らしいものが発明できるわけありません。エジソンの発明は宣言したようにはうまくいかず、次第にバッシングを受けるようにすらなるほど時間がかかりました。
それでもエジソンはきちんと寿命の長い白熱電球を発明します。改良したのは電球中をできるだけ真空に近づけること(当時はまだ難しい技術です)、そして(有名な話ですが)フィラメントに日本の京都の竹を使ったという二点が大きなものとして挙げられます。まあ、どちらも何か科学的な根拠があってやったことではありません(エジソンは小学校を中退させられるほど勉強ができませんでした)。ただ単に試行錯誤の結果たどりついたものです。
エジソンの電球は100時間を越えるほどの長い寿命(今の私たちにとっては短く感じるかもしれませんが)の白熱電球を発明しました。これは大きな改良ではあります。またただの改良であってもそれは立派な成果だとして認められるべきものです。ただ、エジソンは確信的にスワンの電球を盗むつもりでいました。

エジソンが他者のアイデアを盗もうとしたのはこれだけではありません。多重電信(電信は電信線を通して互いに信号をやり取りするものですが、それまでは一本の線につき、ひとつの信号のやり取りしかできませんでした。つまり電信を使おうとするとその数だけ電信線を引かなければならないということ。当時の写真を見てみるとわかりますが、街中は何百という電信線で溢れています。これを解消するため一本の電線のなかでいくつもの信号をやりとりできるようにしたものが多重電信というものです)と電話に関して、エジソンは自分の発明のほうが先であるとして特許争いをしています。多重電信はイライシャ・グレイ(電話の発明者、アレクサンダー・ベルのライバルとして有名な人です。ベルは数時間遅れでグレイにこの特許を取られてしまいます)、後者の電話はベル(今度はベルが数分差でグレイに勝ちます)の発明によるものです。エジソンは彼らに挑みかかったというわけです。
ただ現在、電話などの発明者がエジソンとなっていないことからわかるように、エジソンはこの特許争いでは負けています。スワンのときと同じようにエジソンは改良したり、ベルとは別の電話会社と結託して裁判を起こします。ただこのときはうまくいきませんでした。惨敗です。(スワンはイギリス人で、英国で特許をとったということも関係あるでしょう。グレイやベルは同じアメリカ内の発明家です)


さて白熱電球のほうに戻りますが、最初のほうに少しだけ述べたようにエジソンは電球の発明だけではそれは商売にならないと考えました。そのために電球を大量生産する工場を建てたり、コンセントや電球を差し込むプラグなどを発明していきます。そして何より大事なのは電気を作る場所、発電所でした。
現在電線を流れている電流は交流電流です。しかしエジソンが当初つくりだしたものは直流でした。
エジソンは(経験的に)直流のほうが安全だと考えたのです。実際、同じ電圧の直流電流と交流電流が体に流れた場合、交流のほうが危険です。その点ではエジソンの判断は正しいものです。
ですが直流電流には大きな問題点がありました。電線を通っている間に消耗する電気量が交流よりも大きいのです。エジソンが作った直流発電所からの電力は、たったの1マイル先にまでしか届きませんでした。そのため町ごとどころか、あちこちに発電所を乱立しなければなりませんでした。
(ただし直流でもかなり長い距離を流す方法はあります。送電の前に電圧を上げればよいのです。ただし直流でも電圧を上げれば十分人を殺せます。また、電圧を上げるための発電仕組みが交流に比べて難しかったこともあります)

これに対し、ニコラ・テスラという人物が交流による配電を提案します。彼はウエスティングハウスという大企業家と手を組み、エジソンに挑みます。
(なおテスラはもともとはハンガリーからエジソンに憧れて渡米してきた人物です。最初はエジソンの下で働くことを許されますが、科学の知見に明るかった彼は交流のほうが優位であると確信し、エジソンにそれを提案。そして方法も見事に提示してみせます。が、エジソンは直流にこだわり――当然それまでに多額の投資を直流にしており、交流に換えるとなるとそれを全部破棄、新たに交流ための投資をしなければなりませんでした。これは商売人としては大きな痛手です――結果テスラを問答無用で解雇します。商業的な側面もありましたが、どうもエジソン的には自分よりもずっと若造のテスラが実績をあげてきたことがプライドに障ったようです。(エジソンの癇癪もちは有名ですし、部下たちの登用も自分のそのときの気分や相手がいかに従順に自分の下で働いてくれるかで判断していました。そのため実力はあるのに門前払いを食らう技術者がたくさんいました。エジソンは先進的な企業家・工場長であると同時に、昔ながらの職人気質の親分としての性格も持ち合わせていた人と言えます)
エジソンと仲違いをしたテスラは大企業家のウエスティングハウスに認められ、エジソンと激しい戦いを繰り広げることになります。直交論争と呼ばれる有名な争いです。

両者はマスコミなどを巧みに利用していかに自分のほうが優位かを示していこうとします。この際に採ったエジソンの有名な戦略が「電気椅子」でした。
今でもアメリカで採用されている電気椅子による処刑は、エジソンの発明だったのです。エジソンはいかに交流電流が危険なものであるかを示すために電気椅子を考案し、マスコミの前で実演して見せました。それも、あえてすぐには相手が死なないように電圧を調整しながら……(そのあまりの惨さに集まった報道陣も唖然としたようです)。エジソンは電気椅子による処刑を「ウエスティングハウスする」という言葉を用いて表しました。あまりにも悪趣味なテスラやウエスティングハウスに対する嫌味です。
一方でテスラは交流電流が安全であることを示すため、あえて交流で空気中に大きな放電を行い、そのスパークの下で読書して見せました(写真を見せたいのですが……すいません、すぐに出せませんでした)。
直交論争について語っていると長くなりますのでこの辺にしておきますが、最終的にはナイアガラに大規模な交流発電所が建設され、そのあまりにも広範囲な配電網の前にエジソンの直流配電方式は敗れることとなります。


――ここまでで相当長くなりましたね。エジソンは他にも色々と争いごとを起こしては結構悪趣味なことをしているのですが……今回はこの辺にしておきます。
次回は「エジソンは悪い人?」というタイトルでお送りしたいと思います。今回エジソンを悪者として描きました。実際今の私たちにはなかなかひどいことをやっているように見えます。が、それは「現代の目から見た」偏った見方です。その当時の時代背景がどうだったのかをきちんと踏まえた上でエジソンの行ったことについて検討してみます。
by zattoukoneko | 2010-02-22 12:18 | 歴史 | Comments(1)

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマ・男らしさの否定

前回の記事のupは日曜だったんですね。すっかり月曜だと思ってました。
で今回のを水曜か木曜にして、一週間で二つ。ちょうどいい感じじゃない?!、とか思ってたんですが……失敗しました。
まあ、今日のをずらすという手もあるのですが、あまり日にちを空けてしまいますとつながりが悪いですし、思い立ったが吉日とも言いますからね。


さて今回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマについてです。これは全シリーズを通して解決されるもので、一作品目では解決されていなかった問題についてのお話です。
主人公のマーティには勝負事を挑まれると受けざるを得ないという「問題」があります。日本人には馴染みがないと思いますが、これ、「決闘」を意味しています。そして決闘とは(西欧社会の)男らしさの象徴のひとつなのです。

少し難しい話になりますが、西欧社会においてどのように男らしさ(および女らしさ)が社会的につくられたものかを概観したいと思います。(なお参考資料などをあげることもできますが、山のようにある上に一冊2万越えとかする本ばかりなので紹介は差し控えます)
ヨーロッパには階級というものがあるのはご存知かと思います。貴族たちの上流階級と、労働者の中流階級、そしてその下に下流階級というものがあります。男らしさというのはこの中の中流階級の中でつくられたものでした(そして暗黙的に現在でも男らしさを身につけられるのは中流階級だけだと思われています。上流階級の人々にはそんなものは必要なく、下流の人々には身につけるだけの素養がないとされています)。
男らしさの概念が現在の形に整備されたのは産業革命以降、16~17世紀頃です(それ以前にも何らかの男らしさというものはあったでしょう。生物学的に男性と女性はやはり違っており、そうすれば互いに考え方も異なってきて自然ですので)。
産業革命によって中流階級=労働者たちの地位は向上しました。またそれまでは働きづくめだったのが、多少時間の余裕が出てきて「余暇」というものが誕生してきます。そうすると中流階級の人々は自分たちはどのように振舞うべきかを考えだしました。
ここでいくつかのものが参考にされました。
一つに上流階級のマナーです。中流階級は地位が向上し、上流階級に追いついてきました。なればその上流階級の生活の仕方というものを参考にしようというというのは自然な流れかと思います。この際食事の際のマナーやモラル、女性の尊重などが生まれました(ただしこの辺は混然としており、のちに述べるキリスト教からの影響もあります)。
二つ目に騎士道が参考にされました。騎士は上流階級に所属しますし、たくさんのルールやマナー・モラルを持っていました。その中の一つが「決闘」でした。決闘は、一対一で戦うというのもありますが、それを行う際のルールというのが尊重されました。ルールを守ることがいかに大切なことか、が説かれたわけです。(そして18世紀にはいると大学に体育科目が導入されるのですが、この際にさまざまな競技のルールが細かく決められました。フェンシングやラグビーなどはこのときに誕生したものです)。
三つ目にキリスト教からの影響があります。主に生活上のモラルに関してが中心ですが、最も大きかったのは女性の尊重です。「レディーファースト」なんてのがありますが、これはこのときに生まれたものです。男性は女性を守らなければならず、大事にしなけらばならないというわけです。また性行為などに関してもいくつも戒律がありましたので、その面での影響もあったようです。
四つ目に17~18世紀にギリシャ時代の彫刻がたくさん発掘されたということがあります(絵画などはギリシャ時代には主流ではなかったですし、あったとしても破損してしまっていて参考にはならなかったでしょう。一方で彫刻は頑丈ですので、一部しか見つからないことはままありますが、形はわかるわけです)。社会の教科書で見たことがあると思いますが、みなマッチョです。これを見た当時の人々は、昔の人々はこんなに筋骨隆々としていたのか!、と驚いたわけです。そして筋肉美への憧れというものが出てきました。これが男性性の一つの要素となります。また同時期に青少年の性と体の関係に関する研究が盛んに行われていました。現在でも『オナニズム』という本は有名で愛読家がたくさんいます(内容は、自慰行為をすると体が貧弱になってやせ細り、顔色も青白くなる、というものです。現在の視点からみると医学的な根拠はありません)。こうしたことから青少年はどのようにして肉体を鍛えるか、というのが大きなテーマとなりました。大学に体育が導入されたのもこうした経緯からです(なおイギリスにおいては集団意識も尊重されたため、団体戦などが発達します)。また(これはもう少し時代が後になってからの話ですが)人間の力によって自然を支配するという考えが生まれます。その結果西欧社会には「ジュブナイル」という文学群が登場します。これは青少年の男性性を育むための書物であり、代表的なものに『ロビンソンクルーソー』、『トム・ソーヤの冒険』があります。いずれも若い男の子たちが自分たちの力で自然と戦い、支配していくお話です。また文学作品ではないですし、時代も20世紀に入ってしまいますが『ターザン』なんてものもあります。

さてだいぶ長くなりましたが、以上の四点、上流階級への憧れ・騎士道のルール・キリスト教のモラル・ギリシャ時代の肉体美への憧憬、が西欧男性性の根幹にあります。これらが複雑に絡み合いながら男らしさの概念というのは社会的につくられ、ジュブナイル作品などによって青少年の頭に叩き込まれていくこととなります。(ただし18世紀から19世紀にかけて鉄道ができ、駅周辺に百貨店や住宅街が出てきて都市化が進むと、自然がなくなってしまいます。肉体を鍛える場もなくなります。そうするとまた男性性概念も変容していきます。が、今回はここまで話し始めると長くなりすぎますので割愛します。詳しくはエジソンの話のときにしたいと思います)


で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の話に戻ります。
上で述べたように決闘というのは男性性を示す一つの重要なファクターです。また決闘にはルールがあり、それを守らなくてはなりません。詳細は省きますが、たとえば、決闘を申し込まれた場合それを辞退することは認められません。逃げれば臆病者とされ、男ではないとされます。マーティはまさにこれに当てはまっています。決闘を申し込まれ、そこから立ち去るような素振りを見せると臆病者と呼ばれるわけです。そうするとマーティは決闘を受けにいくのです。
ただし決闘に関しては本当に人を殺しますので(ルールで真剣を使うことになっていました)、早い時期に禁止されます。ただし隠れて――というか警察などは見て見ぬふりをして――決闘はその後もしばらく続きます。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの公開された80年代にはすでに決闘はほとんど消えていますが、まだ概念としてはマーティのように残っていたわけですね。
さてマーティの抱えている問題とはこの時代遅れになりつつある男性性を捨てられないことでした。そして劇中何度も何度もこれが出てきます。
が、最終的にはこれを克服しますよね? 決闘を受けたふりをして、車を逆走させて逃げるわけです。
これは男ではありません。――従来ならば。
が、結果的にこれによってマーティは事故を免れハッピーエンドを迎えます。つまり男性性の否定(すべてではありませんが)が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマであったと解釈することができます。


さて、西欧の男らしさばかりを見てきました。先に述べたようにヨーロッパやアメリカでは男性性の概念は社会的につくられた部分が非常に多いです。
では日本はどうか?
残念ながら研究して発表をしている方は皆無です(一人外国の方が発表している本があります。ただしこれは間違いだと思っています。内容は明治維新以降、平民は武士に憧れそのまねをし、武士たちの学んでいた儒教の概念をモラル・ルールとして採用していったというものです。が、平民が武士に憧れていたという証拠はなく、むしろ明治維新は武士たちが勝手にやったもので、明治になってからも平民は置き去りの状態で、自分たちは何なのかわからくなったという記述が残っています。また現在の私たちも儒教の概念を持っていないでしょう?)。
実は今、私自身が調査中です。後々論文として発表する気ではいますが、今のところ日本には「社会的につくられた男性性」というのは根づかなかったように思われます。
啓蒙家の方々が何人か青少年向けの雑誌に、男とはこうあるべきだ、ということを遠回しに言っているものが見つけられます(いずれもベースは西欧のもの)。が、それに対する読者の反応はとても冷たいです。
また日本にもジュブナイルという文学領域が一時期ありました。一番有名なのは筒井康隆『時をかける少女』でしょうか? しかし読んでみればわかるとおり、別に男性性成熟を狙って書かれたものではなさそうです。むしろまだ難しい一般小説を読めない中学生あたりを対象に、平易な内容で書かれたものと捉えるべきでしょう。(そして日本ではジュブナイルが消え、代わりにライトノベルが台頭してくるわけですね)
したがって日本においては「社会的につくられた男性性」はない、というのが今のところの私の考えです。
ただし、イコール日本人は男らしさを持っていない、ということではありません。男性と女性はやはり生物学的に異なっており、自然と男らしさや女らしさというものが生まれてきます(たとえば進化学で言われているのは、男性は妊娠するということがないので色々な女性へ目が向きやすい、対して女性は妊娠するために扶養してくれる男性を求めるためにいかに魅了するかを企てるように脳が進化してきたとされています。これ、一般的に愛情と呼ばれる感情です)。
ただし、日本にも社会的につくられたのかもしれないという概念は散見されます。たとえば男性は外で働き、女性は家の中で家事をするものだ、という考え方です。ただ難しいのは本当にこれが社会的につくられたものかということです。古代から(日本の)男性は外に猟に出かけており、その間に女性は育児や家事、野山の散策を行っていました。この名残と考えることもできます。筋力はどうしても男性のほうがつきやすいですし、女性は妊娠・育児の時期があるのでこの生活習慣は自然なものと考えられます(一部女性が狩猟をおこなう民族がありますが)。ですのでこの流れを汲んで「奥さん」という家族構成ができたのであれば、これは社会的につくられたものとは言い切れません。ただこれを判断していくのがとても難しいのですね。


さて、なんか『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の話というよりもジェンダーのお話、歴史のお話が大部分になってしまいました。
次回からはエジソン関連の話を三つほど続けたいと思います。
発明王、と呼ばれるエジソンですが、彼が実際には何をどうやって発明していったのか(そして特許に結びつけたのか)、それがどんなひどいやり方だったのかをまずは見たいと思います。
by zattoukoneko | 2010-02-16 17:14 | 映像 | Comments(0)

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の構造

今回と次回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』について取り上げたいと思います。
まず今回は物語の構造についてです。よく起承転結というのが言われますが、ことハリウッド映画に関してはこれをそのまま当てはめるのはちょっとつらいはずです。実はハリウッドは別の物語構成をとっています。今回はそのお話。
で、テーマに関してが次回です。前々から言っているように男らしさの否定がテーマなのですが、これが日本人には分かりづらい。そのため色々と背景をご説明しなければならんのですが、これがなかなかな分量になりそうで、二回に分けさせてもらうことにしました。


さて物語の構成についてお話したいと思います。
日本には起承転結と序破急というものがあります。一般的によく言われて使われているのは起承転結というやつですね。これは明治~大正くらいに日本に導入されたものだと思われます(私は文学史に詳しくないのでこの由来は知らないのですが)。そもそも日本の文学界において小説というのが主流となったのがこれくらいの時期からです。その前は和歌などが中心ですよね?
序破急というのは雅楽などで用いられていたものです(雅楽が発祥で、能で使われるようになった、が正しいんですかね)。なのでこちらは起承転結よりも歴史が古い。
これらについて知らない方もいると思いますので、少し説明しておきます。

起承転結は次のような構成になっています。
起:登場人物の紹介・世界観の説明・主人公の抱える問題について提示
承:主人公が問題に立ち向かっていく。その過程で「課題」が提示される。
転:「課題」をこなしていくうちに、それに対して疑問などが生まれる。主人公の成長。
結:「課題」を克服する。結果として主人公は問題を克服し、成長を遂げる。
という形になっています。
まあ、本当はもっと細かく説明しなきゃならんのですが、そこはストーリーテラーを目指す人が自分たちで勉強してください。
なお、現在では起承転結もどんどん進化していっています。考えてみれば原稿用紙250枚をたったの4分割では、一つ一つが長すぎて読者は飽きてしまうわけです。ですので作家さんによってはこの起承転結をさらに細かく分解していきます。多い人は50くらいに分けるそうです(すごいですね……)。
これに関して勉強したい方は乙一さんの本を読まれることをお勧めします。乙一さんの長編作品は非常に明快に起承転結が分けられており、さらにその起承転結をそれぞれ起承転結で分けています。つまり4×4の16分割。章も4章(+エピローグ)で作られていることが多く、起承転結をそのまま章に分けていると考えてよいかと思います。
これがとてもわかりやすいのは次の二冊ですかね。
死にぞこないの青 (幻冬舎文庫)
暗いところで待ち合わせ (幻冬舎文庫)
ちなみにどっちもホラーっぽい作品名ですが、後者はむしろ萌えです。ミステリー要素はありますけど、とても心温まるお話ですので個人的にとても好きです。

次に序破急についてです。
起承転結は大体長さ的にも4等分なのですが、こちらは破の部分が長めです。また、破をさらに分割させて、破の序・破の破・破の急とし、全体で5分割することもあります。
それぞれについてやることは起承転結とあまり変わらないですかね。大体次のような感じになっています。
序:登場人物の紹介・世界観の説明
破:主人公の問題について・「課題」の提示・課題への取り組み
急:「課題」が覆されるような急展開が起きる・「課題」の克服・主人公の成長
といった感じです。
多少起承転結とズレはあるものの(これは所要する時間や、テンポによるものです)、基本はあまり変わりません。


さて、では本題のハリウッドの構成についての説明に入りたいと思います。
ハリウッドではアクト1・アクト2・アクト3という構成がとられています。3分割という意味では序破急に近いです。また実際、アクト2が最も時間的に長いです。
映画は大体90~120ですが、この尺は次のように分けられています。
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このそれぞれの山は観客の盛り上がり・緊張感を意味しています。山から落ちるのはカタルシスとよく呼ばれるやつです。緊張からの解放とか安堵などです。この山が三つあるわけですね。
(ちなみに最後にちょいと上がっていますが、これはエピローグ部分です。観客に少し余韻を楽しんで帰ってもらうためのもの。時間的には5分弱です)
それぞれの役割は次の通りです。
アクト1:登場人物の紹介・世界観の説明・主人公の問題について・事件の発生(カタルシス)
アクト2:事件への取り組み・「課題」の提示・「課題」への取り組み・「課題」の克服(カタルシス)
アクト3:事件の急展開・事件の解決・主人公の問題の解消(カタルシス)
となります。
これがとてもわかりやすいのが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(というかむしろこの作品で定着したといって過言ではないと思われる)です。あとは『逃亡者』もよく取り上げられますね。

以上を踏まえて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』についての構成を見てみましょう。
まずアクト1では次のようなことが行われています。
主人公マーティとその家族らの関係(ここが一応第1作だけ見ると主人公らの抱えている問題となります)、そしてドクの紹介。時計塔やタイムマシン(デロリアン)の紹介。ドクが撃たれる。タイムスリップの発動(カタルシス)。
次にアクト2では以下のようなことがなされます。
マーティが現在へと戻るためドクに会いに行く(事件への取り組み)。過去のドクからこの時代では燃料としてのプルトニウムは入手不可だと言われ、代替エネルギーを探すことになる(「課題」の提示)。代替エネルギーとして時計塔へ落ちた落雷を利用することを思いつき、それへ向けて準備していく(「課題」への取り組み)、落雷を利用して現在へ(「課題」の克服)。ただし直前にドクに渡した手紙が破り捨てられる(時間的に山ともとれるし、カタルシスともとれる)。
最後にアクト3。
現在へ戻ったマーティはドクが撃たれるのを防ぐために事件現場へ急行、が間に合わない(事件の急展開)。しかしドクは破り捨てたはずの手紙を持っており、死なずに済んでいる(事件の解決)。家族との関係が変化している(主人公らの問題解決)。
ついでにエピローグを見てみると。
未来へ行ったドクが新しい事件が発生したと告げる(ここで観客の緊張感を少し高めて終了)。
といった感じになります。

ただ(監督ではないものの)スピルバーグのすごいところはこのアクト1・アクト2・アクト3を明確に分けてストーリーをつくった「だけではない」ということです。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』には上で挙げたシナリオ(根幹部分)以外に、サブシナリオというものが存在します。こちらもアクト1・アクト2・アクト3と分けられています。
サブシナリオのアクト1は次の通り。
主人公とその家族の紹介。この際に両親(特に父)と敵役のビフの関係が問題として提示される。過去に飛んだマーティが、父が助けるはずだった母のことを助けてしまう。そのことによって自分の存在が消えるかもしれないという事態が発生(事件の発生)。
アクト2。
自身の存在の消失を防ぐために未来(マーティにとっての現在)の形を正しい形にするため、両親をきちんと結びつけることが提示される(「課題」の提示)。マーティは父を母とくっつけるためにダンスパーティへの招待など色々と試行錯誤する(「課題」への取り組み)。途中母が結局マーティに惹かれそうになってしまうが、父がビフを撃退したことにより両親は正常な関係へと戻る(「課題」の克服)。
アクト3。
現在へと戻ったマーティはビフの態度が様変わりしているのを目撃。両親との関係も変わっている(主人公らの問題の解決)。
というような感じです。
見ていただければわかるように、メインシナリオのアクト1・アクト2・アクト3とは多少のズレがあるものの、並行して進んでいることがわかります。これによってストーリーを複雑化し、観客が飽きないように工夫されているわけです(特に時間の長いアクト2)。
一応メインとサブのシナリオを重ねたものを次に掲載します。が、これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の場合であって、すべてのハリウッド映画がこのようになっているわけではありません。
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さて今回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を題材にハリウッド映画の構成について取り上げてみました。日本の起承転結とはだいぶ異なることがわかるかと思います。
もちろん同じ「物語」なわけですから、色々とここから学ぶことはできるわけですし、サブシナリオの技法なんかを日本風にアレンジしてみることは十分可能なわけですが。
なおこのアクト1・アクト2・アクト3はハリウッドのシナリオライティングスクールでは必ず教わるものです。その際に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も実際によい参考として使われているそうです。(他にもプロット作成術や、ノート、カード、あらすじなど色々な技法も教わるようですが……今回の主旨とは外れるので説明しません)

なんか思ったより長くなってしまいました(二分割してよかった)。次回はテーマについてです。こちらは第1作目に限ったことではなく、全シリーズを通して解決されるマーティの抱える問題=男らしさへのこだわりのお話となります(これも長くなりそうだなあ……)。
by zattoukoneko | 2010-02-14 14:43 | 映像 | Comments(1)

電撃LL受賞ならずorz

タイトルの通りです。受賞逃しました。
まあ、受賞のお知らせもいただいていませんし、それ以前に投稿時の自分の手応えとしてわかっていたことではあったんですが。

今回あきひろさんがリトルリーグで二度目の受賞ですね。すごいことです。
受賞作も面白かったですし、メジャーリーグで活躍していただきたいものです。
(あ、ちなみに作品中に「お守りの中を見てはいけない」とありましたね。この理由もそのうち記事としてupしたいです。元々候補として頭にあった話題ですし、日本人特有の面白い文化ですので)

さてはて、どうやら今募集中の第12回のリトルリーグで次回のメジャーリーグ参加者は締め切られるみたいですね。
なんとしてもメジャーに出て今度こそ1位を奪取したいところ。
が……
今回のお題の「サクラサク」難しいんですけど;; お題を見てからだいぶ経ちましたが、いまだ三作くらいしか思いついてない……。これはまずいです。
締め切りまであと二週間ほど。必死にやらなければ。
(でも今日教授に山ほど課題渡されたよう(/ ;) 両立できるのか私?)
by zattoukoneko | 2010-02-10 19:05 | 雑記 | Comments(0)

カテゴリを整理しました。

雑記の記事がやたらと多くなってしまったので、これらを細かく分類しました。
物理・生物・化学と社会・歴史、および受験生のために見やすいように受験関連の項目です。
これで見つけたい記事を見つけやすくなったかと思います。

ただし分類はかなり大雑把、というか中には区別できないものがいくつかありました。
ヒトラーの話であれば社会・経済が中心ではあるものの、歴史や生物とも関連した話です。またノーベル賞最大の汚点・山極勝三郎の話も生物のカテゴリに入れてありますが、どちらかというと歴史のお話ですね。
こうしたいくつかの分野にまたがる学問内容を、国際領域、といいます。私が扱っているものはこの国際領域のものが非常に多いわけですね。
ただ、「国際領域」なんてカテゴリを作ってしまうと、どれもこれもがそこに入ってしまいますので、追加しませんでした。
右にあるカテゴリ一覧はあくまで大まかな目安となります。それでも一応は気になる分野に飛べると思います。ご活用くだされば幸いですm(_ _)m
by zattoukoneko | 2010-02-08 20:25 | 雑記 | Comments(1)

医療ミスによる死亡率

結局医療ミスの話にすることにしました。錬金術の話とか(私は専門家ではないですが)持っている知識を書いていくだけで本の一章分くらいかけることに気づいたので。ちょっとまとめるまでに時間をとりたいので、医療関係は繋げずに今回で終了。次回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、その後にエジソン関連です。


さて本題に移りましょう。
今回のデータは内部関係者によるものです。つまり医者・看護師に独自に、病院で亡くなられている方に関してそのうちのどれくらいが医療ミスで死んでいるか医者たちが自覚しているかを調査している方がいるということです。私は医療倫理を研究されている先生からこのデータを教えていただきました。文書などで発表されているかどうかは知りませんが、この先生は嘘をつく方ではないですし、理由がありませんので信頼できるソースと私は思っています。
さて、一体医療ミスでどのくらいの人が死んでいるのか? 実に病院で亡くなられている方におけるの――
「3割」
にも及びます。
現在の日本ではほとんどの方が病院で亡くなられます。交通事故に合えば病院に搬送されますし、家で老人が体調を崩せばやはりご家族が病院へ連れて行きます。病院で息を引き取る方は全死亡者数の8割から9割になります。
これに上の3割を掛け合わせると、日本でなくなる方の25%程度が医療ミスで死んでいるということです。つまり4人に1人が医者の手によって殺されているということです。

しかも先の内部調査は、あくまでも医者や看護師が自分たちで「自覚」しているものです。つまり気づかないでミスを犯している場合も多々あるわけです。
自身の話ですが、私には曾祖母がいました。この人も医者による「無自覚の」医療ミスによって死んだと言えるかもしれません。私は曾祖母が息を引き取るその場に立ち会わせていなかったため、後からそのときの経過を聞いたのですが、そこで私がそれは医療ミスだと気付いたというわけです(私の両親らの過失もあるのですが)。
ちょっと細かく説明しますと――
多くの方が歳をとると飲むことになるであろう薬として、血液を薄めて血管を詰まりにくくするというものがあります。私の曾祖母は昔にかなりの肥満であったことと、普段から常に何か食べているような食欲旺盛な人でしたので、この薬を限界まで使っていました。実際に血管が詰まりかけていましたしね。このためこれ以上血液を薄めると命に関わるという状態にしてありました。当然出血時に血液を凝固させる血小板の濃度なども下がっているので、少し切り傷を負っただけで全然血が止まりませんし、少し足などを机にぶつけただけで大きな内出血のあとができるほどでした。
この曾祖母がある日食後に椅子から立ち上がろうとして転倒してしまいました。このときに腰をぶつけたのですが、かなりの衝撃だったようで、意識を失ってしまいました。このとき介護士の方が普段から家に来てくれていたのですが、この方が病院に運んだ方がいいだろうとていあんし、それにしたがって病院へと運びました。そして担当した医師がこともあろうに――足にある太い血管に点滴をうちやがったのです。
上記したように曾祖母は血液を限界まで薄めてあります。それ以上は命に関わるほどです。その人間にいきなり大量の点滴をうったらどうなることか……。
当然のように私の曾祖母の心臓は停止しました。当たり前です。心臓に酸素を送る赤血球の濃度がすでに限界まで薄まっていたのですから。
ただ私の曾祖母は非常に生命力に溢れた人でした。自力でここから一度息を吹き返しました。ただやはりこの人でも無理だったのか、6時間以上粘った末に結局向こうの岸へと行ってしまいました。
この処置は医者のミスであると私は思っています。病院に運ばれたのが夜だったために担当したのがかかりつけの医師でなかったのが大きな原因だと思いますが、担当した医者は曾祖母のカルテや体の状態をきちんと見ずにいきなり点滴をうつことにしたわけです。まあ、そのときに曾祖母が普段から薬を飲んでいると言わなかった両親らにも責はあるのですが。
ですが……きっとこの事故がなければ私の曾祖母はまだ生きていたでしょうね。百歳なんて余裕で超えられそうなほど生命力に溢れていた人でしたから。一人暮らしをしていていてどうやってもその場にいることはできなかったわけですが、私がその場にいたらすぐに止めたのに、と悔やまれます。
私事が長くなりました。ただこうしたように医者自身がミスだと気付いていない場合も多々あるということです。
また私の知っている方に看護師をしている方がおられます。世代的には私の両親と同じくらいで、ベテランの域に入ります。またとても勉強熱心ですし、技術もしっかりとしています。この方がよく言っておられるのは、どれだけ日常で看護師や医者がミスをしているかということです。死ぬという大事にまでは至っていないものの(中にはぎりぎりでその方が気付いて止めたなんてこともあるそうですが)、一日に数件のミスが起こっているそうです。ちなみに大きくない一つの病院内ですよ? さてはて全国を見渡してみると一日に何十万件のミスが起きていることか……。

なお余談(というかまた後々この話は持ち出してくると思いますが)ですが、アメリカでは今までに二度医者がストライキを起こしたことがあります。自分たちの賃金を上げろという要求です。
ですがこれはどちらも失敗しています。理由は単純明快。死ぬ人の数が変わらなかったからです。
まあ透析のようなやらなければ死んでしまう患者には処置はしていたかもしれませんが、いずれにせよ事故や病気で死ぬ人は死ぬということです。いくら医者の手にかかろうと無駄ということです。むしろ本来なら死ぬような病気ではないのに、医療ミスによって亡くなる方が怖いくらいです。
またよく医療の進歩として男女の平均寿命が毎年発表されており、年々確かに延びています。今の日本では男女ともに80歳くらいでしたね。でも……縄文時代の人たちの平均寿命ってどれくらいか知ってます? 同じ80歳くらいなんです。ようは今ようやくそのレベルに追いついたということですね。(ただし人種が違いますし、生活習慣が縄文から弥生へ移るときに一変するので、この比較は妥当ではありません。弥生時代に入ると平均寿命が60歳を切るくらいにガタ落ちします。ただしここから今の80歳まで延びたのは本当に医療の進歩によるものかというと、そうとも言えないのです。ここらの話は後日改めてすることにします)

以上のように医者の手によって死んでいる人や病状を悪化させる人はたくさんいます。医者は大量殺人者だと訴えている人がいるくらいに。
なのにどうして医療はなくならないのか?
それは国が保護しているからです。全世界的に医療は国が保護・推進する形をとっていて、また「医療は人の生活に欠かせないものだ」というプロパガンダも流されているので(先の平均寿命のように)一般の人々も医者に懐疑の目を向けることがないわけですね。今回の記事のように医療ミスの数を訴える声もほとんど出てこないですし。
国が医療を保護している理由は簡潔には言えません。ただ一つには金儲けの考えが働いていることは確かです。税金などから国に直接お金が入ったり、患者が医療費にお金をどんどん落としてくれることで社会にお金が回りますので。
もう一つは伝統的に医学というのが重んじられているということがあると思われます。大学は11~12世紀にヨーロッパで誕生しますが、ここで上位学部として置かれたのが神学・法学・医学があり、その基礎として哲学部が設置されたわけですから(哲学は18世紀にドイツにおいて上位学部に格上げされます)。日本のような国では神学はあまり根付かなかったでしょうし、神の否定なども哲学者の方からされていたりするので神学は衰えがちですが、いまだに法学・医学・哲学が大学の上位学部という状態は続いています(あ、科学って哲学の一部なので。哲学科だけが哲学だと思わないでくださいね)。こうした法・医への敬重の念というのは現在まで続いていると考えられます。


さて少しまとまりなく色々と書いてしまいましたが、医療を信頼しきるというのは危険ということです。ここらの話は後日の記事でまた触れることにします。それらを見て医療に対する考え方がみなさんの中で変わってくれると私としてはありがたいですかね。
by zattoukoneko | 2010-02-08 18:53 | 生物・医療 | Comments(0)

私は差別主義者です。

多少酔っています。ですからこの勢いでぶっちゃけてしまいたいと思います。文筆が乱れているのにはご容赦くださいませ。
私はタイトルにあるとおり、差別主義者です。特に障害者、同性愛者、整形を受ける人に対して強い差別意識を持っています。

が、以前の「人権・平等概念」の記事で申し上げたように、私自身赤緑色盲という障害を持っています(近年では色盲なんて障害じゃないと言われていて、正直悲しいところですが)。そうした自分も障害者であるという立場から差別をするべきと主張しています。

私自身、赤緑色盲という障害を抱え、ルサンチマンの克服を経たとはいえやはり時々自分の障害について苦しむことがあります。特に小説を書く身としては色彩の表現にとても苦労します。私は桜が好きですが、私にとって桜の色は白でしかありません(濃いのは別ですけど)。紅葉も一つの小説の重要な表現材料ですが、私にはせいぜい赤と黄色の二色の区別がつくのみです。赤の濃淡の違いなどはまったくといっていいほどわかりません。そうしたこともあり、障害者というのはどう自分たちの障害と向き合っていくべきか、そして健常者や社会にどう受け入れていってもらうのがいいのかを考え続けてきました。もちろん他の障害者の主張なども聞きながら、です。
当初たどり着いたのは、健常者と障害者を「区別」してほしいということでした。健常者には障害者の世界がわかりません。また障害者にも健常者の世界がわかりません。しかしお互いが住む世界/社会は同じ場です。そうなればお互いがばらばらに生活を営むしかありません(そして、そうやって過ごしている障害者の方々もたくさんいます)。
現在はバリアフリーなどの健常者と障害者が共に暮らせる社会づくりが進みつつあります。しかし今のところはまだ健常者からの押し付けの域を出ていません。本当に障害者を理解して社会を組み立てなおそうという試みは残念ながら世界のどこを見てもありません。障害者はまだまだ健常者中心の社会から切り離されたところにいます。
このバリアフリーや現状の障害者に対する意識が私は問題だと感じ、これを是正するためには、まず健常者と障害者の間には絶対的な溝があるということを認識してもらい、その上で新しい社会をつくっていくことが大切だと考えました。その結果が「区別」です。
しかし……それでは考えが甘いと気づき始めました。私が自分の障害と向き合ってからちょうど十年目のときです。
「区別」では健常者と障害者が離れていくだけなのです。お互いの溝を認識するところまではいきます。でもそこでおしまいなのです。両者はより一層距離を広げ、障害者は自分たちの殻にとじこっもってしまいます(前述の方々がそうした人たちです)。そして健常者は障害者のことなど忘れ自分たちの社会をつくり続けてしまいます。
私は「何かが欠けているんだ」と思うようになりました。いくら考えてもその答えは出ませんでした。ですが、それは当たり前だったのです。話は「頭」で決着をつけるべきものではなかったからです。
以前の記事でほんの少し触れた小松美彦先生は脳死移植の反対派ですが、その主張では「頭」だけではなく「心」の決着はどこへ行ったとされていました。脳死は「頭/理屈」だけで考えれば確かに死としていいのかもしれません。が、脳死患者は、触れれば暖かいですし、鼓動を感じることもできます。それに対して遺族は本当に心のそこからそれを単なる死体・肉塊としか見ていないのかと強く訴えています。おそらくは違うでしょう。やはり大事な家族の温もりや、体を見れば愛情が沸くのが自然なことです。ですからどんな社会でも(やり方は違えども)死後も遺体を丁寧に扱うのだと思います。
ここに私は糸口をつかんだ気がしました。私は健常者と障害者を「区別」するのは「頭」で考え出した理屈でしかないと気づきました。そうではなくどう感じているのかという「心」の側面を取り入れなければならない、そうしなければ本当の理解にはたどり着かないのだと思いました。その「心」の側面を取り入れた「区別」が「差別」なのです。

当然のことながら理由なき迫害は避けられるべきだと思います。ですが、障害者を見たときに「気持ち悪い」などと思ってしまうことは自然な感情だと思うのです。
ここでは画像などを掲載するのは避けます。が、本当に重度の障害者は「怖い」です。私自身は偶然にも幼い頃に重い障害を持った人を見たことがあります。脳が膨張し、頭蓋を内側から広げて頭部を大きく変形させるというものです。その方は通常の方の頭の三倍の幅の大きさの頭を持っていました。私はあまりの怖さにその場を逃げ出しました。
障害者のことを調べ、自分にも障害があると知っているという現在においてもこのときの幼い自分の感情を否定することはできません。とても素直で、実直な心の動きだったと思います。いくら頭/理屈でこれを過っているものだとしようとしてもできないのです。
(なお、私の見たこの人でもまだまだ「軽い」方です。本当に重度のものは吐き気すら覚えるものがあります。生まれたときに脳が露出しているなど、生後まもなく死ぬような障害もあります。TVなどで観られるものはまったくもって「重い」ものではないと思ってください)
私は障害者に対して「気持ち悪い」などと思うのはいけないことだと思っていました。が、それは心の否定に他なりません。その心と向き合った上で障害者と付き合い、相手を理解していく。そしてその先で心の変化があれば本当の、障害者への理解、なのだと気づきました。
これは私個人だけの意見ではありません。調べてみたら他の障害者の方々の中にも、「自分をあえて差別の目で見てほしい」という方がいることがわかりました。私やこうした人々は、本当に健常者と障害者が理解しあうには、お互いの心や感情も含めて素直に接しなければならないのだと考えているのです。


以上が私があえて自らを差別主義者とする理由です。ここから下は同性愛者や整形を受ける人たちに対して記述しますが、根幹には同じ理念があると思ってください。ただしあえて記述をばらばらにするのは異なった理由があるからです。


同性愛者は激増する方向で今進んでいます。中には脳の障害などでどうしても同性にしか愛情や性欲を覚えないという方もいます。性同一性障害というやつが一番有名でしょうか。
が、この割合はそれほど高いほどではありません。今のような数に上るほど同性愛者が出てくるはずはないのです。
実は同性愛者の多くは、心の病から同性へ走っています。たとえば異性からのひどい仕打ち(レイプなど)を受けたことが原因だったりします。
しかしこれは「心の問題」です。そのまま心の傷を癒さぬまま同性と結ばれたところで、それは逃避に過ぎず、傷は残ったままです。そして実際に結婚後などにその心の傷が表面化してくることなどがあります。今はそちらの方面にはメディアは目を向けていませんが。
そもそも同性愛者が激増したのは、個人/個性の尊重、というのが謳われだしてからです。同性愛も個性の一つとして認めろというのが、同性愛者やそれを保護する人々の主張です。
ですが「個人/個性の尊重」というのは「頭」で考え出された理屈なのです(多少「人権・平等概念」の記事で触れましたかね)。ここには「心」の介入する余地は認められていません。彼らは心の介入を感じると、「それは差別だ」として猛反発します。自分たちの同性への「心」は認めろと主張しているのにもかかわらず。
ちょっと想像してみましょう。自分に息子がいたとしましょう。その息子がある日、「自分はこの人と付き合っていて、結婚したいんだ」と男を連れてきたらどう感じるでしょう? できるだけ頭や理屈の介入は避けて想像してください。多少なりとも、ショックを受けるのではありませんか?
現在はこのショックを口に出すことすら禁じられようとされている社会になっています。しかしこの瞬間的に感じた感情こそがやはり大事なのです。自分の息子を本当に理解するのなら、この感情すら踏まえて向き合うべきです。
そして先に述べたように、今は同性愛者の多くが自分の心の傷と向き合わずに同性へと恋愛感情を向けているというのが実情です。レイプなどなら自覚しやすいでしょうが、中には精神科医やセラピストなどの専門家でも見つけるのが困難なほど心の奥底に眠っている傷が原因の場合があります。こうした方々の本当の幸せは、同姓への愛、ではなく、心の治療、のはずなのです。
ですが先に述べたように現在は世界中で同性愛が歓迎されつつあります。そして心の治療は置き去りにされつつあります。
だからこそあえて「差別」の目を向けてみるべきではないかと私は考えています。そこから当事者本人も気づいていなかった心の傷に気づく可能性が出てくるのではないかと思うのです。


整形にかんしても同性愛と似た状態です。個人の自由だからだと整形を受けさせるのが当然のようにされつつあります(あるいは「ありました」ですね。現在の日本ではようやく問題が浮き彫りになってきて変わりつつあります)。
整形を受ける人の多くも心の傷が原因であることが多いです。その傷を癒さぬまま手術を受けた結果、「やはり自分の望んでいたことはこれではなかった」と後悔する患者が多数います。しかし整形を受けた場合、完璧に元の顔に戻すことは不可能です。これは後戻りのできない重大な過失となります。
ですがつい最近まで個人主義の流行により整形はそんな心の傷など無視してどんどん行われました。また心の傷があると医者が気づいていても、金儲けのために手術を行ってしまうケースがありました。この結果、上記のようなより深くなってしまった心の傷を抱えた患者があふれかえっています。
現在の日本では(あまりにひどいクリニックがあったこともあって)これを防ごうとする試みが始まりました。きちんとしたクリニックであれば、手術の相談に行ったときにかなり綿密なカウンセリングを受けることになっているはずです(逆にそういうのを受けられないところは信用できないところですので注意です)。
ただこうした試みはまだまだ発展段階です。セラピストらがさんざん警鐘を鳴らしていて、今やっとスタートラインに立ったという感じです。現状として、各クリニックに配属されているカウンセラーや、他の精神科医にはまだまだ整形を受けにくる人々の心の傷を特定できるだけの力量がありません。経験も歴史もないのだから仕方のないところです。
私があえて「差別」しているのは、こうしたカウンセラーらが配置される前からそう主張していたという経緯があるのと、現状でもまだまだ制度も能力も整っていないと感じているからです。「差別」するのは負のエントロピーとして働き、より綿密な心の調査に向かわせるのではないかと期待しているからです。

なお、同性愛も整形も本当にそれが必要なのだとわかれば認めていいものだと思ってはいます。中にはそういう手術などをしなければ癒えない心の傷などもあるだろうと思います。ただし最終手段だと私は考えています。現在はあまりにこれらに対して社会が甘すぎます。このままではより重度の「患者」が出てきてしまうでしょう。
だからこそ私は「差別」すべきと主張しています。
彼らに対する本当の理解のためにも、「患者」を増やさないためにも「差別」の目を向けることが必要なのではないでしょうか。
by zattoukoneko | 2010-02-03 19:36 | 社会・経済 | Comments(84)

失念していました……

昨晩思ったんです。
ここのブログでチュアブルソフトさんの応援をしていながら、肝心のその作品について詳しく述べてないや、と。
実はここ2,3日チュアブルソフトさんの過去作品を振り返っていました。さすがに全部やるのは無理なので、一部だけを振り返る感じですが。
そうしたら、涙は流すわ、身ぶるいはするわで、久々に「ああ、感動するってことを忘れてたなあ」と思わされました。
そしてその余韻が幾分か冷めてきた昨日の夜になって、「なんで自分はこれらの作品を紹介していないのだろう?」と疑問に思って寝つけなくなってしまいました。

ぶっちゃけて言ってしまえば、ここのブログの立ち上げ動機はチュアブルさんのバナーキャンペーンに参加したかったからなんですよね。それは最初のほうの記事を見てもらえれば確認できるかと。
まあ、そんなよこしまな気持ちだけで始めたわけじゃなく、ブログ紹介のところに書かれている通りに本やゲームの紹介をしたいなと思っていたのも本当なのですが(正確にはブログ立ち上げ当時、自分が読んだ本について感想文を書くというのをやっていました。執筆活動の練習のために。ただそのときは一日に3~5冊のペースで読んでいて――これでも相当意図して速度を落としているのですが――、とてもではないけれども全部については感想を書いていられないと。で、良作だと思ったもののみに絞って書いていたのですが、文章に手をつける時には頭の中で整理された状態。はてさてこれのどこに感想文を書く必要があるのか? 十年くらいは忘れないので記録しておく意味も薄いですし。そう思ったらやる気がなくなってきて、放り出しそうになっていたんです。そこに偶然チュアブルさんで「バナーを貼ってくれるサイトさん募集」とあったので、「ああ、HPやブログで人目にさらすようにすればやる気も出るかも」と思いついたのが実際のところです。まあ……いざやってみたら他人に見せられるまで昇華させるのに一苦労だったのであまり更新できませんでしたが)。

えーと、話が脇道にそれましたが、チュアブルさんの作品についてまとめなきゃならんなあと思ったのでそれの記事告知が今回の記事です。
とりあえずは事前に予告しているエジソンの話までは予定を変えないとして、それ以降にまとめてご紹介できればいいなあと思っています。
なお、横のリンクバナーからチュアブルさんのHPに行ってもらえれば商品紹介や無料体験版の配布、通販もされていますので、早く知りたい方はそちらをご覧ください。

さて、『Pure×Cure』あたりでもう一回泣いてこようかなあ……。
by zattoukoneko | 2010-02-02 09:23 | 雑記 | Comments(1)