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忠犬ハチ公のお話

今日は予告しておいた通り、忠犬ハチ公についてです。彼がどうして渋谷駅で待っていたかについてお話したいと思います。

ハチの主人は上野英三郎(1872-1925)という人です。
この人は農大、すなわち現在の東京大学農学部の前身の教授をしていた人でした(現在東京大学の農学部は本郷にありますが、当時は駒場にありました。現在も駒場第Ⅰキャンパスの掲示板の前の小さな森みたいなところに石碑があります。下図参照、正門左に掲示板があります)。
上野はキャンパス内には現在「裏門」と呼ばれるところから出入りしていました。裏門は次の図の上のほうにあります。(小さくしか画像がアップできませんでした。文字が見にくいと思うので、大きな画像が見たい方はこちらへどうぞ東京大学駒場第Ⅰキャンパス地図
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ここで疑問に思いませんか? ハチは本当はここで待っていないといけないんじゃないの?、と。

当時渋谷から駒場キャンパスまでは路面電車が走っており、上野はこれを利用していたと言われています。
ただこれの真偽は不明で、どうやらハチをかわいがっていた渋谷の人たちによって後付けされた話のようでもあります。(まあ、本当に利用していたのかもしれませんが)

つまりハチは主人を待つために渋谷駅に通っていたというわけではないのです。
では何故ハチは渋谷にいたのか?

ハチは死後解剖されています。そのときにわかったことですが、ハチの胃袋の中には――
焼き鳥の串が入っていました。
当時の渋谷駅前には焼き鳥屋の出店が沢山立ち並んでいたようです。どうやらハチはそれらの店の客から餌をもらえるので渋谷駅に通っていたようです。
ただしこれには反対意見もあります(ウィキペディアに結構書いてあったので、興味のある方はそちらもご覧ください)。たとえば焼き鳥の屋台の出るずっと前の朝から駅前にいた、など。しかし個人的にハチをかわいがっている人も多くいたようなので、その人たちからの餌目当てだった可能性は拭えません。

いずれにせよハチは渋谷で結構かわいがられていたようです。そのうちに「ハチは主人の帰りを待っているんだ」と言われるようになりました。(当たり前ですが)ハチは自分からそう言ったのではなく、渋谷に通うようになって随分してから「忠犬」とされるようになったのです。

忠犬ハチ公の話が全国的に広まったのは、渋谷で話題になっているハチのことを聞きつけた読売新聞(朝日新聞という説もありますが、多分読売のほうが早かったはず)の記者が夕刊全国紙に記事を書いたことによります。
これによってハチの人気は急上昇することとなりました。

ハチ公の銅像はいまや渋谷での待ち合わせ場所として代表的ですが、これは初代のものではありません。
ハチ公像は1934年の4月21日に建造されました。これはハチが死ぬ前に作るべきという意見が殺到したためです。そのため製作は急ピッチで進められたようです(なおハチは1935年3月8日に死亡しています)。
ただこの初代ハチ公像は戦中の金属資源不足によって徴収されてしまいました。どうも溶かされて機関車の一部になったようです。
現在あるのは二代目で、戦後ハチ公像の再建の要望が殺到したようで、1948年の8月という戦争直後の苦しい時期にもかかわらず、建造されました。

以上が忠犬ハチ公のお話です。どうも飼い主を待っていた、という一般の説には疑問の余地がありそうです。
――となんだか夢ぶち壊しな話をしてしまいましたが……このままでは後味が悪いのでちょっと余談。
  犬は三日世話してもらった人のことは三年間忘れない。
と言われています。忠実な生き物であることは本当なわけで、仮に渋谷にいたハチの前に主人の上野教授が現れたら喜んで駆け寄って行ったことだと思います。


さて、ここしばらく私事のようなことばかり書いていたような気がします。次回は本の紹介にもどりたいと思います。
テーマは、『ブギーポップは笑わない』と現象学、にします。
(え? セイバーマリオネットの話? …………そのうち書きます)
by zattoukoneko | 2009-11-27 12:33 | 歴史 | Comments(0)

日本国憲法について訴えていたけど……

たった今帰ってきたところなんですが、駅前で日本共産党(と言っていた気がする)の方が、「アメリカに押し付けられた憲法なんて改正するべき」と叫んでいました。
私はそれを聞いて、『ああ、なんて今の政治家は勉強不足なんだろう』と嘆かわしく思ってしまいました。
確かに今の憲法はアメリカに押し付けられたと言う人が結構いますが、ちょっと当時のことを調べればわかるとおり、日本国憲法の草案は日本人自身が作っています。
もちろんGHQの検閲と手直しは入っています(例えば、天皇を象徴とする、というのはGHQからの提案だったと思います)。だからといって「アメリカに押し付けられた」は言いすぎでしょう。
政治家が不勉強だから、日本は官僚に頼らざるを得ないんだ、と感じてしまいます。(ちなみに官僚は国家第Ⅰ種という試験にパスしています。国家第Ⅰ種のレベルは、大学1・2年で学ぶ(ことになっている)教養課程の全過程をマスターしたレベルです。大学1・2年と聞くと大したことないように聞こえますが、ようは法学・歴史学・文学・語学・数学・物理学・化学・生物学・地学など(これらがさらに細分化されているわけですよね、力学・電磁気学・振動波動論・量子力学・相対論といった具合に)、これら全てをマスターするのがどれだけ大変なことか……。これだけ勉強した(そしてできる)官僚に対して、政治家はしょせん素人ですからね。政治家やるなら田中角栄くらいのカリスマ性を持てと私は思ってしまいます)

ついでに。
憲法第9条ばかりを訴えるのもやめませんか? 国際的に見てとても恥ずかしいです。同様の憲法は世界のあちこちの国が採用してますし、別に日本が誇るべきものではないと思うのですが……
むしろ第13条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」の方が大事だろうと。この条例はつまり「国民の命は国が守りますよ」という意味です。これなくなったら最悪でしょう?(まあ、明らかに北朝鮮の拉致事件ではこれが守られていなかったわけですが)

なんかだらだら書いてしまいましたが……
ようは政治家の皆さん、勉強しましょうよ、と。そして官僚には勝てなくてもいいですから、もっと国民を魅了するようなカリスマ性を持ちましょうよ、ということです。


さて、ハチ公の話は明日か明後日くらいに書こうかな、と思ってます。
ちょっと史料を集めなきゃならないので、それが順調にいったらですね。
by zattoukoneko | 2009-11-25 17:31 | 社会・経済 | Comments(0)

人権・平等問題 Part. 1

よし、今13時です。何時に書き終わるかな?

今回は人権・平等の概念いついてです。
実は私は以前からこれらについて懐疑的でした。別に完全否定したいわけではありません。重要な概念だとは思ってますし。それでも現状では問題があるのではないか、そう考えています。
以下では三つの問題点を挙げてみようと思います。私が関心を持ったり、勉強した順番とは異なりますが、こっちの方が分かりやすいと思うのでご容赦ください。


◎ 人権・平等の概念の歴史
人権・平等・民主主義という概念はプロテスタントがつくったといわれています(民主主義の概念はもっと昔からあるので、より正確には民主主義のほうがいい、と主張した、となりましょうか)。
プロテスタントが出現してきた背景には、グーテンベルクの活版印刷技術の発明によって、本、すなわち聖書が安価に入手できるようになったということがあります(ただし、当時はまだ紙の値段も高かったので、どれだけ庶民にまで普及したのかは疑問の余地が残ります。ただ、それ以前の羊皮紙の本や、写本よりは手に入れやすかったことは間違いないでしょう)。
プロテスタントたちは聖書を読み、教会の堕落を指摘し、宗教革命を起こすに至るわけですが、今回はその前後の人権・平等の概念の誕生に重きを置いて説明したいと思います(ただし人権については理解しにくいので、平等のほうを最優先に理解してもらえれば、と思います)。
キリスト教の教義では、人は死ぬと、それはかりそめの死ということになっています。人々は一度眠らされ、後にやってくる最後の審判の前にもう一度肉体を与えられ、生き返ることになっています。最後の審判とは、神が生前その人物がどのような生き方をしたかを見定め、善人は天国へ、悪人は無へと還されるというものです。当然ですが、自分の魂・意識が消滅してしまうのは怖ろしいことですから、みな天国に行くことを望みます(だから免罪符なんてものがバカ売れしたわけですね)。
しかしプロテスタントたちは考えました。果たして神にとって最後の審判は必要なものなのだろうかと。
神は全知全能な存在とされています。その神が人をつくって、その人の生き様を観察する必要なんてあるのだろうか?、むしろ生まれさせるときにはすでに天国にいける人間を決めていると考えるのは自然ではないだろうか?、そのように考えたのです。
実際このことは聖書においても言及されていて、神は人が生まれるときにはすでに天国にけるかどうか決めている、としています。これに対してエジプト(だったと思いますが)の人たちは、使徒に対して、「それはあんまりにひどい所業ではないか」と言っています。それに対して使途は「陶磁職人が粘土を綺麗な皿にしようと、便器にしようと、それは職人の勝手な意思だ」と回答しています。
こんなことを言われてしまうと生きていく気力がなくなってしまいそうですが、プロテスタントたちはこう考えました。「少なくとも天国にいける人間は、キリスト教に敬虔な信者であるはずだ」と。これは十分条件ではありませんが、最低限の必要条件だと思われました。そしてプロテスタントたちは熱心なキリスト教信者になっていくのです。

ここまででは平等の概念がどう生まれたのか分かりませんね。実はプロテスタントたちはこう考えたのではないかとされています。
「自分たちさえよければそれでいい」
つまり、他の人が悪人であろうと、キリスト教を信じてなかろうと、そんなことはどうでもいいことである。自分さえキリスト教を信じ、天国にいければいいと考えたのです。これが平等の概念の誕生です。すなわち最初は「誰が何してようと勝手」という考え方だったわけですね。

ただ(このあたりが少々不可解なのですが)プロテスタントたちは次第に暴徒化していきます。自分たちの考えこそ絶対だと信じ、宗教革命すら起こしてしまうのです(教会が堕落していたのが許せなかったのかもしれませんが)。
プロテスタントはその後も自分たちの信条こそ絶対だと信じ、貫き通そうとします。その結果、アメリカはプロテスタント一色に染め上げられます。
実はアメリカに最初に移民してきた人たちの多くがプロテスタントたちでした。彼らは(ゴールドラッシュという背景もあったでしょうが)東海岸から西海岸に至るまでどんどんと領地を支配していきます(インディアンの人権はどうした?、という感じですが)。そして西の果てまでたどり着くと、今度はハワイまで侵略し、次に狙うは日本ということになり、太平洋戦争が勃発します。こうした(アメリカの)プロテスタントたちの行動原理は、フロンティア理論と説明されることがあります。(ただしここで注意ですが、太平洋戦争など、戦争はそう単純な説明ができるものでもありません。ソ連などの社会主義国に対する恐怖もあったと考えられます。ここで言っているのは一つの見方と思ってください)
今でこそこのフロンティア理論の原理は(いくらか)落ち着きましたが、現在でもアメリカでは人権・平等・民主主義という概念を至上のものとし、その概念で結びついているところがあります。事実少し前までは女性や黒人(および有色人種)は選挙権を得るためにはどれだけこれらの概念を理解しているのか試験を受ける必要がありました。WWⅡ前後の日本人たちに顕著なようですが、いかにアメリカ人になれるか、がその国で生きていくために必要なことでした(こうしたアメリカ人化することを『アメリカ化』といいます)。歴史のないアメリカにとって、このアメリカ化はとても重要なことであり、人権・平等・民主主義という(半ば空虚な)概念で国民は結びついています。そのためこれらが崩されそうになるとアメリカ人は一致団結し、暴徒化します。これが有名な9・11テロ事件とそれ以降の中東への戦争という反抗となります(ただこのときは少し経ってから反戦派も目立ってきたので、今では幾分事情も変わってきているように思われますが)。

以上で見てきたように、人権や平等といった概念は、キリスト教由来のものであり、他者を支配しようという凶暴な側面も持っています。
確かに今でこそ人権・平等の概念からは宗教色が抜けてきています(だから日本でも明治維新以降に受容できたのでしょう)。けれども根底に宗教がある限り、他宗教の民族には受け入れがたい部分もあります。
たとえばカースト制度というものを考えてみましょう。カースト制度ではいくつもの階級に人々が分けられていますが、この背景には宗教(ヒンドゥー教?)があります。簡単にカースト制度の理念を説明してしまうと、人は輪廻転生を繰り返しています。そして新たに生を受けるとき、前世の行いによってどの階級に入れるかが決まります。善い行いをしていれば上の階級へ、犯罪などを犯していれば下の階級へと落ちます。階級がどんどん上がっていくと、最終的には輪廻転生という無限のループから解き放たれ、極楽浄土へといけるとされています。と、こうカースト制度の仕組みを概観してみればわかると思いますが、下のカーストにいる人は前世で重犯罪を犯しているということです。そんな人を自分と同じように見ることができるでしょうか? つまりインドにカースト制度がある限り、平等という概念は根付きようがないのです(ただし現在では法律上ではカースト制度は廃止されています。それでも人々の間には根強く残っているというのが実情のようです)。
このように、人権・平等、あるいは民主主義という概念は、そのままではキリスト教以外の他民族には根付きにくいということです。これが人権・平等の抱えている問題の一つとなります。
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:21 | 社会・経済 | Comments(0)

人権・平等問題 Part. 2

◎ 障害者などへの人権・平等概念の適用
・ 狼少女の話をみなさんはご存知でしょうか? テレビなどでもよく取り上げられるので、観たことがあるかもしれません。
狼少女は(いくつかの地域で見つかっていますが、一番有名なのは)南アフリカで見つかった姉妹です。どうやら生後まもなく捨てられ、その後狼に育てられました。彼女たちは10歳くらいの年齢のときに発見され、村人に「保護」されます。その姉妹の面倒を見ることになったのが近くのカトリック教会の牧師でした。
牧師はなんとか人間らしい生活をさせてあげたいと考え、服を着せること、ナイフとフォークを使うこと、言葉を話すこと、などを教えようとします。しかし狼に育てられた少女たちにとってそれはとても苦痛なことであり、服もすぐに破り捨て、食事も犬のように摂ります。
結局妹の方は数年後死んでしまいます(死因は不明だと思います)。服は何とか着られるようになったと記憶していますが、食具は使えないままでしたし、当然言葉もしゃべれませんでした。
姉の方はもう少し長く生きます。それでも成人してまもなくしてやはり死んでしまいました。こちらは服も着られるようになり、二足歩行もできるようになりました。ナイフやフォークも使えたようです。言葉はいくつかの単語は覚えたようですが、残念ながら文章を書いたり、まともに話すところまではいかなかったようなので、彼女たちが狼に育てられていた時代の心情や、その後村で人として暮らすようになった後の気持ちに関しては記録が残っていません。
と、ここで大抵の番組では話が終わってしまうのですが、その後もう少し話が続きます。
少女たちを引き取った牧師は、彼女たちの死後非常に思い苦しみます。自分は人間らしく生活させるのがよいことだと思った。しかし果たして本当のそうだったのだろうか? 狼として育てられたのだから、そのままの生活をさせてやったほうがよかったのではないだろうか? そんな風に悩みます。
先述の通り、狼少女たちの気持ちは何一つ記録が残っていないので、牧師の悩みが正当なものかどうかは決めかねます。しかし一考の余地のある話ではないでしょうか?

・ 地下に閉じ込められていた少女
こちらはアメリカの話になります。この少女は物心のつく前に父親に地下へと閉じ込められ、そこで生活することになります。唯一人と接するのは父親が食事を持ってくるときだけでした。
この少女はやはり10歳くらいの頃に発見され、助け出されます。この人物はその後も長く生き続け、成人してから言葉を残しています。「地下から助け出してもらえてよかった。今のように普通の人と同じように人間らしい生活ができることを幸福に思う」と。
しかしこの言葉を鵜呑みにしてしまっては問題です。なぜならこの言葉は、助け出されたから十年以上経ってから発言されたもの、だからです。
すなわち、地下に閉じ込められていたときに思っていた感情とは違う可能性が高いということです。当然のことながら、助け出されてから「この生活こそいいものだ」と(暗にかもしれませんが)教え込まれているはずです。そしてその生活に馴染んでいるはずです。人の記憶は容易に変わります。地下に閉じ込められたいた少女の気持ちは、まさにそのときに聞かなければわからないのです。
もちろん地下よりは物の豊富な地上での生活の方が楽しいと感じるかもしれないので、何も彼女の言葉を真っ向から否定するつもりはありません。けれど狼少女の話と同じで、閉じ込められていてもそれなりの幸せは感じていたのかもしれません。それをすべて「そんな考え方は間違っている」と否定してしまっていいのでしょうか?

・ 障害者にとっての平等
ここでは生まれつきの障害を持っている人に話を限らせてもらいます。事故などで障害を背負った人まで含めてしまうとややこしくなってしまうので。
現在では障害者も健常者と平等で、なんら変わりない人間だとされていますが、残念ながらそううまくはいきません。障害を抱えている人は、どうしたって健常者より劣っている、ハンデを抱えていると思ってしまいますし、少なくともコンプレックスは感じていることでしょう。それも仕方ないじゃないですか、他人とはどうしたって違うのですから。
ただ障害者の多くは自分のこのコンプレックスを乗り越える経験をします。それは大抵の場合は、自分の障害を「個性」だと思うことによって解決します。これをルサンチマンの克服などといいます。
一つわかりやすい例を挙げておきます。(残念ながら以前PCが壊れたときにデータが消えてしまったので名前やリンク、写真が消えてしまい、細かく紹介できないのですが)アメリカに三本の脚を持った男性がいました。健常者の二つの脚と、お尻のところにもう一本脚が生えていると思ってください。彼はやはり少年期にその体にコンプレックスを抱いていたのですが、あるとき病院で一本足の少年に出会います。その子に彼は言われました。「脚がたくさんあっていいね」。その言葉で彼の人生観は180度変わります。それまでは自分の余計な脚を邪魔物だと思っていました。しかしこれは自分にとっての個性であり、特長であると考えるようになるのです。それ以来三本脚を巧みに利用して、友人と球技を楽しみ、最終的にはサーカスに入団し、その三本脚を利用した芸を見せて人気を博します。特に、「僕は椅子がないところでもいつでも座れるんだ」と言って三本の脚を広げ、座ったように芸が名物でした(三つ脚の椅子はこの芸を見た職人が、その安定性に注目しつくったものだと言われています)。
このように、障害者は自分の障害をハンデとしてではなく「個性」としてみなすことによって、自分のコンプレックスを解消するのです。
しかし現在の障害者への接し方には問題があります。今なお健常者の多くは障害をハンデとして見てしまいがちです(バリアフリーなんていうのは典型ですね)。しかし障害者にとってはそれは余計なお世話というものです。手足があろうとなかろうと、普通の人間のように生活できるのです(ただ社会は健常者に合わせて作られているので、生活にはかなりの工夫が必要ですが)。あるいはどうしてもできないことは、他人に手伝ってもらえばいいだけの話です。その代わり障害者は自分の「個性」を活かして別の仕事を成し遂げればいいだけですから。
だから障害者は本当の意味での「平等」を求めています。健常者と同じになる、同じ生活ができる、なんてことは望んでいないのです。
しかしこれがなかなか達成できないのは、今ある平等という概念が邪魔をしているからです。健常者は障害者のことを同じ人間だとみようとしています。けれども本当に障害者のことを理解するには、まず「障害者は自分たちとは決定的に違うんだ」ということを感じてもらわなくてはなりません。そしてそれを踏まえたうえで接近してきてほしいわけです。
ということで上のことを感じやすい例を挙げておきます。次のリンクをクリックしてみてください。
ダルトン 色弱者用レンズ紹介
皆さんは一番上の画像の数字が何に見えたでしょうか? ちなみに私にはどうやっても52にしか見えません。ええ、実は私自身も色弱という障害を持っているのです(だからこうして障害者のことを調べてたりするわけです)。
色弱の人は結構数がいるので私みたいに健常者と同じ89に見えなかった人もいるかもしれません。ですが正常に読めた方には感じてほしいのです。私とあなたの見えている世界は違います。この感覚を大事に持ってほしいのです。まずは感情から入ってくることを望んでいます。その先で、「なーんだ、障害者でも普通に過ごせるじゃん」と思えるようになってくれれば、それが障害者を同じ人間だと、初めて平等なんだと認められたことになるのだと私は考えています。
(ちなみに私は上記のHPには半分反感を持っています。わかりやすいから紹介しただけです。下までスクロールしてもらうとわかると思いますが、色弱者の見え方や、補正レンズをかけたときの見え方が紹介されています。しかしはっきり言いますが、こんな風に私には見えません。この画像はあくまで健常者が勝手に想像してつくったもので、本当に色弱者の見え方を示しているのではないのです。私が強調したい、「障害者と健常者の間にはどうしても溝があり、それを感じて念頭に置いておいてもらわないと本当の理解には繋がらない」という意見に反するものだと感じています)

さて、障害者や「普通の」人は違った生き方をした人物を紹介してきましたが、みなさんはどう思ったでしょうか? 単純に今ある自分たちの人権(人間らしさ)や平等の概念を押し付けてはいけない気がしてきませんでしょうか?
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:20 | 社会・経済 | Comments(0)

人権・平等問題 Part. 3

◎ 倫理学における人権の概念の問題
1960年代頃だったと思いますが、アメリカで女性の人権運動が生じました。それは中絶を認めてほしいという主張が中心となったものでした。
女性は妊娠すれば少なくとも1年以上は仕事ができなくなります。これはキャリアを積みたい人間、特に研究者を目指す人間にとっては大きなブランクとなります。文科系はそれほどではありませんが、理科系では特に研究成果の先行権争いが激しいものです。特許なんかになれば、数分レベルでの争いでもざらではありません。そのため妊娠し、出産・育児をすることになれば、それまで続けていた研究がすべて水泡に帰すこともあるのです。そのため女性たちは中絶を求め始めました。
このとき問題となったのが「胎児には人権があるかどうか」でした。議論の結果、大脳のできる受精後三ヶ月以降は意識があると考えられるため、人権がある、とされました。そして三ヶ月までなら中絶を認めるということとなりました。
と、ここで話が終わっておけばよかったのですが、議論はどんどん拡大していきました。大脳があることで人権を認めるなら、鯨やイルカにも人権があるのではないかと言われだしたのです(こうした他のものへと倫理の概念が移っていくことを「滑り込み現象」といいます)。
当時動物愛護運動の高まりもあり、結局捕鯨禁止運動が始まりました。それが今日でも問題になっている捕鯨禁止の運動です。(ですがここでみなさんに疑問に思ってほしいのは、鯨やイルカに人権があるなら、牛や豚にも人権があるとは思いませんか? しかしアメリカやオーストラリアはどんどん牛肉を売っていますよね? このあたり思いっきり矛盾しているのですが、捕鯨の話は機会があったらまた今度しましょう)
さて、この人権を巡る問題、捕鯨だけではなく別の話へも滑り込みをしました。脳死臓器移植問題です。
大脳が死んでいて、意識がないなら、人権だってないじゃないか。普通に死んでるのと(心臓死)変わらないじゃないか。と言われだしたのです。
現在では普通に受け入れられそうな意見ですし、実際脳死臓器移植に賛成する人は多いと思います。メディアがそちら側に加担していますからね。
でも次の話を聞いてもまだ賛成できますか?
①脳死は治る可能性があります。
②現在急進派は植物状態の患者、脳障害者、痴呆患者からの臓器移植も検討中。
③臓器移植後の患者の平均生存年数は20年未満(移植しない場合数十年生きることあり)
さて①についてですが、低体温療法というのがあります。これは本来、手術の際脳が壊死する速度を遅めるために用いられるものです。ですがこれを脳死患者に使ってみると、稀にではありますが蘇生することがあります。このことは最初脳死臓器移植問題が日本で持ち上がったときにはすでにわかっていたことでした。しかし医学界はその事例を無視しました。理由は単純です。脳死移植を成功させた方が知名度が上がるからです。当時脳死移植は世界的にもまだ数件しか行われていませんでした。だから日本の医者も早くそれをやって業績を上げたかったのです。上手くいくかどうかもわからない脳死治療の研究より、確実に実績の認められるものをやりたかったのです。
次に②について。これは滑り込み現象ですね。しかし植物状態は、大脳は死んでいますが、脳幹などの生命を維持する機構は生きています。また(時間はかかりますが)治ることもあります。それに痴呆患者からの移植はいくらなんでもやりすぎじゃないですか? 自分がそうされるってことになったらさすがに嫌ではないですか?
③番目ですが、移植を受けた患者の生存年数が低いのは、免疫抑制剤によるものです。移植は他人から臓器を提供してもらうわけですから、当然拒絶反応が起きます。当然できるだけ拒絶が起きないような適合者を探すわけですが、100%の一致なんて無理な話です(よく知られている赤血球の型だけでも、A・B・O・AB、Rh+・Rh-、白血球に至っては十万種以上の型があると言われています)。免疫を抑えれば、当然他の病気にかかりやすくなります。そのため死ぬ人が多いのです(なお、これはあくまで平均です。数十年生きる人もいます。そして1,2年で死ぬ人もたくさんいます)。一方で臓器移植を受けない場合、確かに辛い治療を続けなければなりませんし、運動などもできませんが、長く生きる可能性はあります。もちろんすぐに亡くなる方もいますが、「すぐに臓器移植を受けないと一年以内に死ぬ」なんて言われてその後何十年も生きる患者なんてのはざらです。何せ死亡判定を受けた人でも、その後蘇生するなんてことが稀ではないくらいですから、医者の余命宣告なんてあてになるものではありません。
なお、脳死臓器移植問題に関しては小松美彦という人が詳しく研究しています。少々過激に反対しすぎの感も否めませんが、興味のある人に紹介しておきます。
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ちなみにここからは私個人の意見(というか感想)ですが、外科手術というのは最終手段のような気がします。手術というのは体に大きな負担がかかるわけですから、可能であれば薬などの内科的な治療で治せるように研究を進めた方がいいような気もします。(もちろん薬にだって副作用がありますし、外科手術も研究してもらった方がいいのですが)
と、このように人権の概念は(応用)倫理の世界でも問題を起こしています。脳があるから、意識があるから、だから人権がるという考え方には反対です。たとえ脳がなかろうと、子供は子供。生命だと私は思います。人権についてもそうですが、命の概念についても考えるときがきているのではないでしょうか?
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:19 | 社会・経済 | Comments(0)

人権・平等問題 Part. 4

さてはて大体のことは書きましたかね。他にも書きたいことはありますが、この辺にしておきましょう。
ちなみに小説のテーマ、ということからこの話を取り上げることにしたわけですが、最後にどうして小説でこれを取り上げたいと思っているのかについて触れておきたいと思います。
想像してもらえればわかると思いますが、新しい人権・平等の概念の構築というのは難しい仕事です。上で挙げてきたものを見てもらえればわかるとおり、人権史・宗教史・民俗学・障害者問題・生命倫理などを徹底的に網羅しないと新しい概念なんて作れないのです。それはきっと(うまくいっても)数十年かかる仕事になるでしょう。そして新しい概念ができたとして、それが普及するためにはさらに何十年必要なことか……。当然私は生きていません。研究したいといっても、仕事としてやるからには何か業績を上げないとクビになってしまいます。他の研究を同時に進めるか、成果を小出しにしていくか――いずれにせよ難しい話です。それに論文で発表しても、それを読んでくれるのは専門家ばかりです。よほどの影響力がない限り、世間一般には広まらないでしょう。
ならばこの問題は次世代に託すべきではないか、そう考えたのです。もちろん丸投げにするわけでなく、上で書いたみたいに私自身にできるところまではやります。その上で問題提起として若者に小説という形で伝えてみてはどうか。そんなことを考えたわけです。小説ならば多くの人に読まれるわけですし。そんなことを中学頃に考え、研究と小説書きというのを人生の柱にしていこうか、と決めたわけです。

なお、この人権・平等問題を取り扱う話はすでに構想は練られています。タイトルも決まっていて、『透明に 白く濁った 青空に』といいます。当初は一冊分の予定でしたが、話を面白くするためと、(蛇足かもしれませんが)より細かく説明するために二巻にしたいと思っています。
ただ……上で書いたことを中高生にもわかりやすく、かつ途中で飽きないように面白く書かなきゃ最後まで読んでもらえないわけで。残念ながら今のところ私にはその筆力が足りないと思っています。そのため現在保留中というわけです(一応ちょっとずつはアイデアを出してはいるのですが)。
まずはプロデビューが先決なので、この話が書かれるのはずっと先のことになりそうですが、いずれ形にしたいと野心を抱いています。
ま、そんな決意表明をしたところで今回は終わりにしましょうか。長文になりましたが、読んでくれた方には感謝です。
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:18 | 社会・経済 | Comments(0)