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大体月1の更新になりそうですね

今日はこのブログを始めるにあたって、ぜひ紹介したいと思っていた本についてです。
児童文学からの紹介で、タイトルは、

クレヨン王国 つきのたまご Part1

です。
この本はPart1とあることからもわかる通り、続編があります。
Part8までで一区切りで、その後さらに続きが出されています。
しかし元々作者の福永令三さんは、この一冊で話を終わらせるつもりでした。
それが続くこととなったのには理由があります。
作者が話が思いついたから……ではありません。
読者からの続編希望の声がとても大きかったのです。
しかしその希望は単純に話が面白かったから起こったものではありませんでした。

今日はその続編希望がなぜ起こったのか。それについて話をしてみたいと思います。
まずはあらすじを見てください。若干のネタバレになります。ご容赦ください。
話は中学受験に失敗した星野まゆみが、不思議な青年と出会いクレヨン王国に迷い込むところから始まります。
その青年はクレヨン王国ではサードと呼ばれ、国王を育てるという重要な人物でした。
ただサードはまゆみには「三郎」と自分のことを呼ぶよう伝えます。
地位など関係なく一人の人間として相対してほしいという彼の願いでしょう。そしてさらに裏には、自分の特殊な能力を見てほしくないという彼の儚い希望もあったのでしょう(彼の能力については今ここでは伏せておきたいと思います)。
三郎は月のたまごを救出するという任務にこれから向かうところでした。
月のたまごとは、新しく世界を照らし、平和をもたらすようにと産み落とされた第一の月のたまごです。
その月のたまごの生存が何らかの理由で確認できなくなったのです。
クレヨン王国はこれに危機を感じ、数々の冒険をこなしているサードこと三郎に救出任務を任せることにしたのです。
その三郎についてきたまゆみは、まだ受験のショックから抜け出せず日常に帰りたくないことと、また三郎に惹かれ始めていたこともあって、その過酷な冒険の旅に同行することにします。
救出の旅は、個性的なキャラクターである豚のストンストン、鶏のアラエッサも加わり、苦しいながらもにぎやかに進んでいきます。
彼らのにぎやかさは旅に不可欠なものでした。なぜなら旅の道中には人の苦しみや怨念のような負の部分が詰まっていたからです(ここに原爆に対する考えなど、著者福永氏の隠れたテーマもうかがえます)。
彼らは様々な人の苦しみを見つめながらも、何とか月のたまごのある場所までやってきました。
たまごは人の助けを求めています。しかしそれは三郎とまゆみに過酷な選択を強いることになるのです。
たまごは周りを人を老化させる物質で覆われていました。常人ではたまごにたどり着くことはできても帰ってはこれません。
しかし三郎にはそれができました。三郎は人の三倍の寿命をもつという特殊な人間なのでした。それがサードと特殊な呼称で呼ばれるゆえんです。
三郎は自分がたまごの元へと行くことを決めました。それしかたまごを救うすべはありません。
しかし同時に恐怖も感じました。戻ってきたとき、三倍の寿命を持つ自分でもさすがに老人になってしまいます。そんな姿を愛するまゆみに見られたくない。
三郎はたまごの前に行く前にまゆみと別れることを決意します。元々行きずりでここまで連れてきてしまったのです。彼女には帰るべき世界があります。
まゆみは強い抵抗を見せながらも、しかし最終的に元の自分の世界へ戻ることにしました。愛する三郎と別れて。
そうして元の世界へと帰ってきたまゆみは、広島で発見されます。彼女はクレヨン王国での出来事をすべて忘れていました。ただ、三郎への愛は心のどこかで感じながら……。

以上が月のたまごPart1のあらすじです。
これだけ書いてもすべて伝えきれたわけではありません。著者の隠れたテーマや、余韻、そういったものが私にはまだまだお伝えできていません。
このあらすじを見て面白そうだと思った方は、ぜひご購入を。

さて、問題となるのはこれがハッピーエンドなのかそうでないのか、ということです。
まゆみは三郎と別れなければなりませんでした。しかも記憶まで失ってしまいます。
これは一見バッドエンドのように見えます。
しかしこれを初めて読んだ私は(小学校5年生でした)、考えたのです。
本当にそうなのだろうかと。
勘でその疑問を持ったというのもあります。しかしもう一つ理由があります。
著者の福永さんは、ハッピーエンドになるものを心がけている方です。ハッピーエンド以外に読者に伝えるべきものはないとすら考えている節すらあります。
そんな人が悲しいだけの物語を書くだろうかと。

文学への勘が働く方なら上のあらすじを読んですでに答えを見出しているでしょう。
まゆみは任務を果たし、元の世界へと戻っている。だからハッピーエンドなのです。
実はこれは「行きて帰る物語」の構造を忠実にとっているのです。
(小学生の私はそんなこと知りませんでしたが、一年近く考えてそうなのではないかと同じ答えにたどり着けました。だから大人になった今でも深く心に残っていて、ここで紹介なんかしてたりするわけです)
行きて帰る物語とは、ジブリ作品などにもよく見られる、物語としては一般的な構造です。
主人公は日常世界とは異なる別世界へと迷い込むことから始まります。その世界から元の世界へと帰るためには、そこで何らかのミッションをクリアーして見せる必要があります。その過程で主人公は心身ともに成長し、そして元の世界へと帰っていくのです。

月のたまごのお話は、まさにこの構造に則っています。そう考えると、まゆみは元の世界へと帰らなければならず、三郎とは別れる運命だったのです。
(あるいはこんな構造論をとらずともこう考えてみましょう。著者が月のたまご目前での試練をなくし、安易に三郎とまゆみを結びつけていたとしましょう。一見ハッピーエンドです。しかし本当にそうでしょうか? まゆみのお父さんやお母さんは悲しまないのでしょうか? また受験失敗という現実逃避から愛を得た、なんて物語が本当によいお話でしょうか? こんな安易なハッピーエンドの作り方は、素人がやる下手な物語作りのよくある例でしかありません)

さて、ハッピーエンドだったはずの『月のたまご』は、しかし読んだ人々から「三郎とまゆみを再会させてほしい」の声を多数生み出すこととなりました。
これには著者の福永さんも驚いたことでしょう。
自分はハッピーエンドを書いたのに、もしかしたら読者にとってはそうではなかったのかもしれない。そう思ったかもしれません。
きっと多くのことを考えて、福永さんは続編を書き始めることにしました。

ではこのときの読者の声とは何だったのでしょう?
みな、ハッピーエンドだと見抜けなかった、つまり安易なハッピーエンドを求めた読解力のない読者たちだったのでしょうか?
私は違うと思うのです。
本当はみな、物語上そうならなければならなかった、と無意識にでもわかっているのでしょう。
その上で更なる幸せはなかったのか。どうにか三郎とまゆみの二人を結びつける解決はなかったのか。そんなことを読者も色々考えさせられたに違いないのです。
そしてその葛藤が、声となって福永さんの元へと押し寄せたのです。

私はここに、物語の構造論を超えた、何かがあると思いました。
つまり、『月のたまご』というお話は、単なる一つの物語を超え、生きた物語となったのです。
形而上的な話になちゃってますね。
でも物語にはそういうことが稀にあると思うのです。
読んだ直後、一日二日で感動が消えてしまうのではなく、
物語のキャラクターが読者の心の中に息づいて、語りかけてくる。
これはキャラクターが良いからなのか、テーマが良いからなのか、物語が良いからなのか、あるいはそういったものを超越する何かによって引き起こされるのか、私にはわかりません。もしかしたら読者の感受性も重要かもしれません。
理由はわかりませんが、そういった心に訴える物語は確かに存在します。そして『月のたまご』はその数少ない物語の一つなのです。

月のたまごPart1は、読者に色々なことを考えさせました。
特に三郎とまゆみに幸せのこと、それについて考えさせました。
ときには物語の構造を超えることも必要なのかもしれない。そのことを福永さんは考えたかもしれません。そして続編へと話は続いていくのです。

私が今回、Part1だけお勧めする理由、ここまで読んでくれた人にはわかってるかもしれません。
つまり、一冊の独立したお話として読むことで、皆さんには当時の読者と同じ視点で色々考えてみてほしいのです。
「続きがあるから」と思っていては、三郎とまゆみはおそらくあなたの中で生活を始めないでしょう。
「これで終わりでいいのか?」という疑問が、きっとあなたを内なる三郎とまゆみへと視線を向けさせます。
だからまずは一冊だけ、手にとってみてください。
そして読み終わったら、あなたの心の赴くままに、余韻に浸ってみてください。
それがある程度消化できたと思ったら、Part2から先を手に取ることもいいでしょう。
そこではさらなる試練が三郎とまゆみを待ち受けています。

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by zattoukoneko | 2007-09-03 19:00 | | Comments(0)