実は近代化・現代化が進む過程で生活様式が変わり、それによって人々は別の忙しさを手にすることになったのだという研究があります。日本では意識されることは少ないのですが、これは特に中流階級で生じたものでした。
まずは社会的な立場の向上による余暇の誕生が一つ挙げられます(余暇の誕生と、生活概念の変化については余暇の社会学 (PHP文庫)、男のイメージ―男性性の創造と近代社会、Manliness and Morality: Middle-class Masculinity in Britain and America, 1800-1940、America's Heroesなどが本として出版されていて、全体を知るにはよいかと)。またこうしてできた余暇をどのように人々が使い始め、社会・文化に影響が出たかについても論じられています(余暇成立と生活習慣の変化に一番大きな影響を与えたと思われるのは鉄道であり、それを中心に「都市化」や蓄音機や撮影機材による「アウラの崩壊」という重要な概念について考察した名著として鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化があります。なお今度日本語訳の新装版が出る予定だそうです)。また近代になって家電製品が流入したことによって、実は主婦はそれまで業者に頼んでいた洗濯や料理まで自分でせざるを得なくなり、むしろ多忙になったと“時間は失われた”という逆の見解もあります(これに関してはジェンダー研究の第一人者の一人であるRuth Schwartz Cowanが多く研究をしており、その集大成としてMore Work For Mother: The Ironies Of Household Technology From The Open Hearth To The Microwaveが出版されています)。最後のものはせっかくできた余暇が近代技術によってなくされたとも読めるものですが、しかし概して新しく時間を新しい技術で埋めていき、そして新しい社会の仕組みにしていったということは確かに言えそうです。
こうした近代化が『時間を加速させた』という言説に安易に結びつけられているのだと思います。しかしながら昔はそもそも余暇のような時間は存在せず、日々を生きるために労働し続けていたのです。文化も生活も豊かであったと言われる江戸時代は、一側面しか見ていないものであり、地方の農民はどのように生活を成り立たせていたのか、医学・薬学はどのようなものがあり、それは社会に受け入れられて益をもたらしていたのかなどの議論がなされていないものです。江戸時代に『日本は鎖国をしていました』が、『江戸だけで鎖国をしていたわけではない』ということを忘れてはなりません。また現在議論が盛んに行なわれているものですが、明治維新によって内部から開国をせざるを得なかった理由というものもあります。おそらくは鎖国している間に進んだ欧米諸国の文明に対し、そのままでは対抗できないと考えたのでしょう。ですから明治に入ると国益を上げようとする政策が立ち上げられ、制度や設備が整えられていったのだと考えられます(ただし実際に個人の動き、機関の設立過程を見てみると、必ずしも「お国のため」という考えだけで動いていたわけではなかったということがわかってきます。むしろその反対が多いかもしれませんが、これに関しては今後の研究が待たれます)。
このように見ていくと、歴史を偏った側面から振り返り『その時代に生まれたかった』などと考えるのは、結局“現代の考えを持ったまま”その時代にタイムスリップしたいという夢想でしかないことが分かります。同様にスローライフがいいからと地方に移住しても、その際に地方の暮らしや農業にも付きまとう苦労を調べないままでは、また都市部かその周辺に戻ってくるだけに終わるでしょう。そしてそうした人々も少なからずいるように聞いています。