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【期間限定公開】『雪の音に沈む街』オマケエピソードPart. 6

 散歩をしている途中、雪音は木に見慣れないものが引っかかっているのを見つけました。
 それは赤くて、何かの布のようです。細い枝にぶら下がっていて、布の端には一本の長い糸がくっついていました。
 雪音にはそれが何かわかりませんでした。お母さんならわかるかもしれませんが、今は離れたところで休んでいます。興味のひかれた雪音は、木に登ってそれを取ることにしました。
 赤い布のぶら下がっている枝はそれなりに太くて、先の方まで行かなければ落ちることはなさそうです。これまでの経験から雪音はそう判断しました。落ちると痛いことはよく知っているので、慎重です。
 体と腕をできるだけ伸ばして、ようやく目的の物を手にします。それは布ではありませんでした。ふにふにぐにゃぐにゃしています。よく見ると糸のところに二つ紙が付いていました。
 一方の紙には文字が書かれています。雪音はそれを読んでみました。
「……の……です。どうか、……えっと……食べてください?」
 雪音は文字がほとんど読めないのでした。
 とりあえず雪音は自分が読んだ通りに、赤いものにかじりつきました。やっぱりぐにょぐにょしていて、噛み切れません。それどころか変な味がしました。
「美味しくないー」
 雪音はもう一つ付いていた紙を手にします。そちらは袋状になっていました。振ると中でかさかさと軽い音がします。開けてみるといくつもの種が入っていました。
 種なら食べられると思います。でも中にはとても苦いものや、体に毒になるものもあるので注意が必要です。雪音はこれまでの経験からよく知っていました。
 少し悩んでから、とりあえずお母さんに報告しに行くことにしました。紙に書いてある文字の内容も気になりますし。
 木から下りて、休んでいたお母さんのところへ雪音は帰ってきました。不思議な赤い布のことを話し、それを見せると、お母さんはにっこりと笑みを浮かべながら教えてくれました。
「これは風船というのよ。今はしぼんでしまっているけれど、空気を吹き込んで膨らませてボールにしたりするの。それに入れる空気を特別なものにすれば、空高く飛んでいくこともあるのよ」
「じゃあじゃあ、このフーセンは山ではないどこかから飛んできたの?」
「そうだと思うわ」
 伝えながらお母さんは雪音から文字の書かれた紙を受け取りました。読んで聞かせます。
「『ヒマワリの種です。どうか巻いてください』だって」
 その文を書いたのはおそらく子供なのでしょう。字はお世辞にも上手とは言えず、でも一生懸命書いたのだということはわかりました。漢字の間違いもかわいいものです。
 ヒマワリなら雪音も知っています。この山は少し寒いですし、林も多いのであまり見ることはありませんが、大きな黄色の花は見たことがあります。納得した表情を浮かべると、手にしていた種を一つぱくりと口の中に放り込みました。お母さんが慌てて注意します。
「あ、こら。食べるならあぶったり、揚げた方がおいしいわよ」
 お母さん、間違えました。そうじゃなかったと言い直します。
「これを送ってくれた子は、ヒマワリを増やしてもらいたいのだと思うわ。種も十分な数があるし、今から撒いておけば来年にはヒマワリ畑ができているかもしれないわね」
「ヒマワリ畑?」
「そう。狭いところに集まって花が咲くから、それはそれは見事な風景になるわよ」
「種も増えていっぱい食べられる?」
「……そうね」
 食べ物のことしか考えていない娘に、お母さんは苦笑を浮かべながら頷きます。
 それから二人してヒマワリの種を植えるべく、適度に広く、平らな場所を探し始めました。
 その翌年、この日のことを思い出して種を採りに来た雪音は、あまりの光景に「ふぉおお」と口にして我を忘れるのですが、それはまた別のお話。

   *おしまい*
by zattoukoneko | 2012-09-15 19:47 | 小説 | Comments(0)

【期間限定公開】『雪の音に沈む街』オマケエピソードPart. 5

 ユキの体が、次第に融けていきます。冷やして固めておくだけの冷気が、もう体の内にありませんでした。水になるわけではありません。透けるようにして空気の中に消えていくのです。指先や腕から存在感が失われていき、薄く広がった命は、やがて雪となって地面に降り積もります。
 自分の体が全部消えてしまうその直前、ユキは洞の中で目を覚ましました。
 心臓が早鐘を打っているのを感じます。死期が迫っていることには気付いていました。死ぬことの覚悟もできているつもりでした。それでも死ぬのは怖い。自分の存在が儚く消えてしまうことが怖い。恐怖に押し潰されそうになりながら、何とか体を起こします。
 そのときになってようやく、自分の体に娘の雪音が手を乗せているのに気付きました。雪音はすやすやと穏やかな寝息を立てて寝ています。
 娘の手が乗っているお腹の辺りが、温かくなっていました。
 この子を人間として育てることを決意し、そして彼女に悪い影響が出ないようにするため雪女の力を使うのを禁じたとき、そのときにすでに自分は死を受け入れていました。人間の温かさをそばで感じながら、体と心を冷やさなければ、いずれは融けてしまうのは自然なことです。
 もう大分前のことになってしまいますが、ユキは人間として生活をしていました。愛する人ができ、子供も授かりました。けれど冬の山で凍えながら子供を亡くし、愛していた人に裏切られたのだと知ったとき、心を氷漬けにされて雪女に変えられてしまったのです。
 ただ雪女として人々を襲うことはしませんでした。永久に続くかとも思われる寿命を、独りだけで終えようと考えていました。
 けれど死にそうになっている人を見捨てられるほど冷酷にもなりきれていませんでした。山で遭難し、大怪我を負っていた男の人を、少しの間だけ洞の中につれてきて介抱したことがあるのです。その人は一度街へと帰りましたが、その後何度もユキの元を訪れました。彼はユキの持っている優しさとかわいさを伝え、その象徴として赤い髪飾りを贈ってくれました。そうしながら人の温かさを教えてくれました。気付くとその人のことを愛していました。
 雪音はその人との間に授かった子供です。だから雪女と人間の、両方の血を引いているのです。
 娘には父親のことは偽っていました。自分の病気を治す方法を求めて、人の街で懸命に探しているのだと、そう告げてありました。本当のことを知れば、この子は大きな苦しみに包まれることでしょう。
 ユキは、愛する娘とずっと暮らし続けることはできません。そう遠くない日に、夢で見たように融けて消えてしまうはずだからです。
 娘がその後どのようにして生きていくのかはわかりません。ただ人間の温かさについてだけはきちんと教えておこうと思っています。それがユキの感じた、最も大切なものだったからです。
 寄り添って寝ている雪音の頭を、そっと撫でます。そうすることでユキは温かい気持ちになれました。
 まだこの子を生んでいいものかどうか悩んでいた頃、一匹のウサギに会ったことを思い出しました。ユキよりずっと長く生きていて、人の言葉を解する不思議な存在でした。そのウサギから言われたのです。ずっと山の中に独りでいて、それは寂しくないのかと。彼は仲間を求めてずっと旅をしている孤独なウサギでした。
 今ならその指摘が当たっていたとわかります。雪音が本当に愛おしい。二人でいると幸せな気持ちで満たされるのです。
 寝ている娘を起こさないよう、優しく頭を撫で続けます。その行為は自分の寿命を急速に縮めるものでした。温かくなった心が、冷たい雪女を融かしていきます。
 だから何だというのでしょう。
 大事な娘と、その子と過ごす幸せな時間。それと自分の命を比べ、どちらかを選び取ることに、迷うことすらあるわけがないではないですか。
 まだまだ夜は深い時間です。雪音は朝まで目を覚まさないでしょう。今日も二人でどこかに出かけようと思います。山の中を散歩するくらいしかできませんが、どこに行っても楽しいことでしょう。
 母娘で手を繋いで歩く様を思い浮かべつつ、ユキはしばし雪音の頭を撫で続けていました。

   *おしまい*
by zattoukoneko | 2012-09-14 19:52 | 小説 | Comments(0)

【期間限定公開】『雪の音に沈む街』オマケエピソードPart. 4

 雪音は不思議に思っていました。
 頭にあるのは、この前食べた雪見だいふくのことです。
「美味しかった……」
 融けると同時に口に広がる甘さを思い出し、思わずよだれがこぼれます。我に返った雪音は、慌てて袖で拭います。
 別にまた食べたいとか、そういうことを考えているわけではありません。
 ……もちろんあったら食べますが。
 ただ気になることがあったのです。どうしてあのような食べ物があるのでしょう?
 料理というものはお母さんがしていたから知っています。調理をすることで食材を柔らかくしたり、味を整えたりするのです。
 中には甘いものもありました。カエデの樹液などはとても甘いですし、豊富に採れます。ですからお菓子のようなものも作れるのだということはわかります。けれど雪音にはあの甘さが何なのかさっぱりわからなかったのです。
 山にはない味が人の街にはたくさんあるのかもしれません。それらを使って多くの料理が作られているのかもしれません。
 雪音は、決意しました。
 山を下りてみます。そして実際に人が売っている料理を見てみようと思います。
 母は心配するかもしれませんが、自分ももう大きくなりました。それに買い物に行っている様子からすると、そこまで危険はないようにも感じます。
 結局雪音は黙って山を下りることにしました。何となくですが、伝えたらお母さんは止めるような気がしたのです。結局自分にも雪女の血が流れていますし、人間として育ててはいても、その差がばれるのが怖かったのではないでしょうか。
 雪音たちが住んでいるのは山のかなり奥の方です。ですから人の街まで行くのにはかなりの時間を必要としました。疲れて喉もすっかり乾いた頃、ようやく林を抜けて灰色の固い道に出ました。
 その道は真っ平らで、石のようにも見えましたが、それにしては長く伸びすぎています。明らかに山にあるものとは異なっていました。
 周囲を見回すと、一軒の家がありました。人間の家を間近で見るのは初めてでしたが、山の上から眺めたことはあります。
 その家には道に大きな箱を出していました。興味が湧いた雪音は、近くに人がいないことを確認してから、ふらふらと近寄ります。そうして箱の中を覗いて驚きの声を上げました。
「雪見だいふく!」
 箱の中にはこの前見たばかりのアイスがありました。他にも見たことのない色とりどりのものが詰め込まれています。箱の上には透明な蓋がしてあって、触るとひんやりとしました。でもそれは氷ではない何かでした。
 雪音にはその箱の開け方がわかりません。それに開けられたとしても勝手に持っていっては駄目なのだと思います。お母さんはいつもお金というものを持って買い物に出かけていましたから。
「むー。むー」
 箱の上に体を乗り出し、雪音はうなります。そんな彼女は目の前にある物に夢中で、だから周囲に注意を払うのを忘れていました。
「あら?」
 すぐ近くで声がしました。驚いてそちらを見ると一人のおばあさんがいて、家の戸口から体を半分出したところでした。どうやらそこで雪音の存在に気付いたようです。
 雪音は慌てて逃げようとしました。どう接したらいいのかわからなかったのです。
 けれどそれより前におばあさんが声をかけてきました。
「初めて見る顔ね。でもその服と髪飾りはよく知ってるわ」
 その言葉に雪音の足が止まります。
「お母さんを知ってるの?」
「ええ、知ってるわ。よくここにお菓子を買いにくるもの。娘にあげるのだと言っていたけれど、あなたがそうだったのね。よく似ているわ」
 大好きな母に似ているという言葉に、雪音は嬉しくなりました。おばあさんも笑顔でした。
 それからおばあさんは、自分はここで長いこと駄菓子屋を営んでいること、駄菓子屋はお菓子や簡単なおもちゃを売っているお店だと教えてくれました。
 雪音も自分のことを教えます。名前くらいしか言うことはありませんでしたが、おばあさんは優しい笑みに目を細め、きちんと聞いてくれました。
「雪音ちゃんはアイスが欲しかったの?」
 その質問は、雪音が箱の上に身を乗り出していたから出たものだったのでしょう。実際、雪音は欲しいものがありました。
「雪見だいふくが欲しいの!」
「そう。なら出会った記念に一つプレゼントしましょう」
 おばあさんはアイスの詰まった箱に近寄ると、がらりと上の蓋を移動させ、雪見だいふくを取り出しました。それを雪音に手渡しながら伝えます。
「今度はお母さんといらっしゃい。無理にとは言わないけれどね」
 雪見だいふくをもらった雪音は、さっそくそれを食べ始めます。食感と甘さに感動し、結局人の作る料理のことは忘れてしまいました。嬉しそうにアイスを頬張る少女を、おばあさんは愛おしげに、感慨深げに見つめ続けました。
 それだけのお話。他には何もなく、アイスを食べ終えた雪音はおばあさんに別れを告げて山に戻って行きました。その後雪音はお母さんと一緒にここに来ることはありませんでしたし、またおばあさんも多くを語りませんでした。
 ただ、山奥で静かに暮らす母娘を、密かに大事に思ってくれていた一人のおばあさんがいたのだという、それだけのお話です。

   *おしまい*
by zattoukoneko | 2012-09-13 23:42 | 小説 | Comments(0)

【期間限定公開】『雪の音に沈む街』オマケエピソードPart. 3

 今日の雪音はお留守番です。お母さんは山を下りて買い物に出掛けていました。
 山の中、二人だけではどうしても生活ができません。雪音は人として栄養の豊富な食べ物を必要としますし、また着る服も織れませんでした。
 お母さんは雪女です。けれどその冷たい力さえ使わなければ、普通の人間と見た目は変わりませんでしたし、実を言えば昔は人間だったのです。雪女に変えられて、今は人里を離れて暮らしているだけなのです。
 山を下りて人のいるところに行っても、人混みの中などに入らなければ、雪女とばれることはありません。またお父さんが人の街に出ていく前に、お金を預けていました。ですから少しくらいなら買い物ができました。
 夕方になってお母さんが帰ってきました。出迎えた雪音にお土産をくれます。
 それは白い大福でした。
 贅沢はできませんが、買い物に出掛けるとお母さんは娘のためにおやつを買ってきてくれました。特に大福が雪音のお気に入りらしく、よくお土産に選びます。
 雪音は触るとふわふわしていて、それでいて伸びる餅の皮が好きでした。さっそくもらった大福を口にして、皮を伸ばして楽しみます。そうしながら、せっかく周りが白いのだから、中も白くしてくれればいいのにと思っていました。
 もしくは赤い実をつけるのもいいかもしれません。そうすれば自分やお母さんとお揃いになります。ただ雪で作ったウサギと見た目がそっくりになってしまうかもしれませんが。
「外じゃなくて中に入っているのだけど、苺大福というのもあるわよ。雪音の気に入るかはわからないけど、今度買ってきましょうか」
 お母さんの提案に雪音は元気に頷きます。口はもぐもぐしていたので開けませんでした。
 そのときふと気付きました。
 とても弱くではありますが、お母さんが雪女の力を使っていたのです。そんなこと滅多にしないというのにです。
 雪音が訝しげな視線を送っているのに気付いたのか、お母さんが慌てて言います。
「何でもないわよ。ずっと外にいたから体が熱くなってしまって、それでちょっと冷やしてたの。ごめんなさい。雪音もいるのに、注意が足りなかったわ」
 そうしてお母さんはお父さんの財布や写真を入れてある箱を閉じました。
 その夜のこと。
 雪音は物音で目が覚めました。頭の向きを変えると隣で寝ているはずの母の姿がありません。
「……お母さん?」
 寝惚けながら呼びかけると、すぐ近くから声がしました。
「ゆふぃね!?」
 振り返ったお母さんは何かを食べていました。白くて丸いものに雪音は心当たりがありました。
「お母さんも大福食べてたんだね」
 笑顔でそう言ってから、すぐにおかしいと気付きました。雪女である母は食べ物を必要としないはずです。澄んだ空気と雪を透した陽の光で生きています。元は人間ですから物を食べられないということはありません。けれど食事によって体に熱が発してしまうので避けていました。
「あのね、これはね?」
 慌てる母の顔が赤くなっています。それに気付いた雪音は、眠気も吹き飛び、慌てました。
 食べ物の熱によって体に変調をきたしているのでしょうか。それとも元から具合が悪かったから何か食べることで良くしようと考えたのでしょうか。
 いずれにせよただ事ではありません。
 走り寄った母の元、ひんやりとした冷気が漂います。でもそれは雪女の冷たさではありませんでした。手に持っている大福から発せられていました。
「あのね、これはアイスという冷たいお菓子でね、雪見だいふくって名前なんだけどね」
 どうやらお母さんは隠し食いをしていることがばれて、それで恥ずかしくなっているようでした。
 冷たい食べ物だからお母さんも食べられるということなのでしょう。でもどうして隠す必要があるのか、雪音にはわかりませんでした。
 落ち着きを取り戻したお母さんが告白します。
「これは冷たい食べ物だから。雪音に与えることで体に冷たさが移ってしまうのが怖いの」
「うーん、でもそれは人間が食べてるものなんだよね? だったら雪女になったりはしないんじゃないかな」
「……それもそうね」
 お母さんは指摘されて、自分が過度な心配をしていたことに気付きました。少なくとも自分は雪見だいふくを食べることで雪女に一層近付くということはありません。むしろ温かな気持ちになるくらいでした。
「雪音も食べてみる?」
 お母さんはまだ残っていた雪見だいふくを娘に手渡します。一緒に愉しみや思い出を共有するのもいいことだと感じたのです。
 雪音は冷たいもので、固まっていない食べ物を知りませんでした。でももらったアイスというお菓子は、触った感触が柔らかくて、何だかどきどきします。
「これはお父さんが教えてくれたものなの。アイスなら雪女でも食べられるんじゃないかって――」
「ふぉおおお!」
 お母さんの昔話は、雪音の驚きの声で中断されました。口に広がる甘くて冷たい感触と、引っ張って伸びる皮に目をぱちくりさせていました。
 その様子がかわいくて、お母さんは笑ってしまいます。
 深い夜の山の中。二人の母娘が冷たい幸せを共有していました。

   *おしまい*
by zattoukoneko | 2012-09-12 23:51 | 小説 | Comments(0)

【期間限定公開】『雪の音に沈む街』オマケエピソードPart. 2

 昨日降った雪は、まだ残っていました。
 そして雪音は埋まっていました。
 今日は一人で散策に出かけたのです。お母さんは体に疲れが出たのか洞で休んでいましたから。
 鏡の湖を越え、ずっと山の奥の方までやってきてました。この辺りは普段来ないところです。ですから地面に段差があることを知らず、雪にも隠れていましたので、雪音はそこに落ちてしまったのです。
 かろうじて頭だけは出ています。でもそれだけでした。足も手も動かすことが出来ません。
「たーすけーてー」
 雪音は大きな声を上げましたが、いつも助けてくれるお母さんは近くにいません。洞に声も届かないでしょう。
 困り果てていると、視界の隅に何かがぴょこんと現れました。
「あ、シロちゃん!」
 それは友達になったばかりの白ウサギでした。瞳がくるくる赤くて、まるで雪音やお母さんみたいなのです。
 雪音の声に反応し、シロはそばに寄ってきました。埋まっている彼女の前で首を傾げます。
「あのね、助けて欲しいの。お母さん呼んできてくれる?」
 でもシロにはその言葉がわかりません。
 しばらく雪音の顔をじっと見つめてから、シロは何を思ったのか頭の上に乗っかってしまいました。
「あうー、違うよシロちゃーん」
 もぞもぞとした感触は、毛づくろいでもしているのでしょうか。雪音からはシロが何をしているのかわかりません。
 頭にウサギを乗せた姿はかわいいのですが、雪音は生首状態なことに変わりありません。
 雪音は冷たいのは平気です。体の半分は雪女でしたから。でもずっと動けないままでいたら、きっとお母さんが心配してしまうことでしょう。
 どうにか抜け出る方法を考えていたら、急に頭の上でシロが体を高く持ち上げる気配がしました。
「?」
 雪音が訝しく思っていると、向こうからたくさんの白い塊がやってきました。十数匹もの白ウサギでした。
「シロちゃんのお友達?」
 頭を少し上に向けながら、雪音は問いかけます。それに応えるかのようにシロは頭の上から下りて、みんなと並んで埋まっている雪音をじっと見つめてきました。
 それから急に、一斉に穴を掘り始めました。
「……もしかして助けてくれるの?」
 雪に埋まった体の周りでもぞもぞとした感触がします。シロたちは雪音の周りに穴を掘り、縦横無尽に動き回っているようでした。
 しばらくして雪音の目の前にぴょこんと一匹のウサギが顔を出します。
 ぴょこん、ぴょこん、と後から他のウサギも続きます。
 意味がわかって雪音は言いました。
「ちーがーうー」
 どうやらシロたちは雪音が遊んでいるのだと勘違いしたようです。頭だけ雪の上に出ている彼女の真似をして、顔だけの状態で再び見つめてきました。
 雪音の声にみんなして首をちょこんと傾げます。
 それを見ていたら雪音はおかしくなってきました。みんなで埋まってて、何だかかわいいです。
 しばらくの間、雪音は自由に動かせる頭だけでシロたちと会話をすることにしました。首を傾けると、みんなも傾けます。無性に楽しくて時間が経つのも忘れてしまいました。
 気付くと陽が傾いていて、山の空が赤く染まっていました。そして頭の後ろから声がしました。
「雪音、何をしているの?」
 ようやく母の存在に気付いた雪音は、頭だけ動かして問いかけます。
「お母さんもやる? 楽しいよ」
「やらないわよ。もう陽も暮れるし」
 お母さんは苦笑いをしながら娘を引き上げます。
 ようやく体が自由になった雪音は、母に言います。
「じゃあ今度昼間にやろうね!」
「えっと……」
 困った表情でお母さんは雪音と手を繋ぎます。
 無邪気な娘のお願いをどう断ろうか、そんなことを考えながら帰路につきます。
 後ろではまだ埋まったままの白ウサギたちが、仲の良い母娘を見送っていました。

   *おしまい*
by zattoukoneko | 2012-09-12 23:50 | 小説 | Comments(0)

【期間限定公開】『雪の音に沈む街』オマケエピソードPart. 1

 その日、朝早くに目が覚めたら雪が積もっていました。
 寝る前には雪の気配なんてなかったのに、地面も木々も真っ白に輝いています。
 お母さんはまだ洞の奥で寝ています。外と寝ている母を見比べて、雪音はいいことを考えつきました。
 今のうちに小さい雪だるまを作ろう。そして起きたばかりのお母さんに見せて、雪がたくさん積もっていることを知らせよう。
 おかあさんはびっくりすることでしょう。それから雪だるまがかわいいと褒め、雪音と白く染まった山へと散歩に出かけることでしょう。
 驚く母の顔を想像し、笑顔になった雪音はさっそく洞の外へと出かけます。
 出口のそばにも雪はたくさんありましたが、すでに溶けて上から落ちてきた滴で固いものに変わっていました。ですからもっと綺麗な白がいいなと、林の中へと入っていきました。
 目指すは鏡の湖です。
 あそこなら広いですし、柔らかな雪がたくさんあるはずです。そう考える雪音の頭の中には、その雪の下に隠れている湖の存在がありませんでした。
 やがて林を抜けて、鏡の湖の前に辿りつきました。 雪音はさらに一歩を踏み出して――

   ***

「……ん、雪音?」
 洞の中でお母さんが目を覚ましました。
 近くを見回しますが、娘の姿がありません。呼びかけた声にも反応がありません。
 どうやら自分が寝ている間に外に出かけて、まだ戻ってきていないようです。
 そう考えると迎えに行くべく、寝床から立ち上がりました。
 洞の出口に向かおうとして、それは聞こえました。
 愛する雪音の大きな声でした。
「お母さん、見て!」
 向かおうとしていた出口から、雪音が飛び込んできました。
 目の前まで来ると、雪音は手にしていたものを持ち上げます。
「あら、かわいいウサギさんね」
 それは一匹の白ウサギでした。
 湖の上に足を踏み出す直前、雪音は視界の隅に動くそのウサギに気付き、向かう先を変えたのです。
 雪音は訊きます。
「食べる?」
 お母さんは苦笑してしまいました。
「食べないわよ。かわいい子だし、友達になりなさい」
 そう告げながら、雪音の頭を軽くはたきます。
「雪が降っているのね。頭に少し乗ってるわ」
「もう降ってないよ。でも一面真っ白なの」
「あら、それなら散歩に出かけるのに丁度いいかもしれないわね。新しい友達も連れて一緒に行きましょう?」
 それからお母さんは雪音と手を繋ぐと、洞の外へと向かいます。
 雪音はお母さんの驚く顔が見れましたし、散歩に行くことになったので上機嫌です。
 洞から出る直前、雪音が首を傾げます。
「あれ? 何しに出かけたんだっけ?」
 でもその疑問もすぐに忘れてしまいました。お母さんが白く染め上げられた山の景色に感嘆の声を上げたので。
 はしゃいだ気持ちを抱えつつ、二人と一匹は澄んだ世界の散策へと向かいます。

   *おしまい*
by zattoukoneko | 2012-09-12 23:49 | 小説 | Comments(1)

【ショートショート】『上から見ればトライアングル』

 プールサイドをブラシで磨くたび、タイル床を擦るシャッシャッと小気味のよい音がする。手に伝わる振動に合う鼻歌は何かなと鼻歌の選曲をしていたら、後ろから女の子の声がした。
「あんたはいつまで同じとこ掃除してんのよぉおお!」
 そしてそれと共に後頭部でブオンと大きな羽音がした。
 異音の正体はボクの頭を捉えると、容赦のない力で足を地面から浮かせ、体を真横へと吹き飛ばす。ばしゃんという音が少しくぐもって聞こえ、ようやく水の中に落ちたことを知る。
 水没したボクは、とりあえず『あー、夕暮れの始まる頃の空を水面越しに見るのも綺麗だなー』なんてことを考えてみた。――いやいや、そうやって冷静になってても息はできないってば。
 慌てて体を浮上させようともがいたら、塩素消毒のされたプールの水が鼻腔の奥まで入り込んできた。
 何とか足を底について顔を水から出し、けほけほ咳をする。鼻の奥のツーンとした痛みはなかなか取れそうにない。まあプールの醍醐味ではあるよ、うん。
 ともかくボクが苦しんでいると、上からさっきと同じ女の子の声が降ってきた。女の子が降ってきたのではない。空飛ぶ石を持ってるなんていうことも当然ない。残念ながらそれは罵声だった。
「どうして夕希はいつも細かい汚ればっかり気にするの! プールサイドの掃除なんてざっとでいいのよ、ざっとで!」
 鼻の奥の違和感に耐えながら視線を持ち上げる。声の主である千夏はプールサイドの端からこちらを見下ろしていた。学校指定のスクール水着に、やたらと大きなハリセンを左肩に担いでいる。
 うん、明らかにおかしいね?
「何がおかしいのよ」
「いやいや、プールにハリセンって普通ないでしょ。というかいくらボクが小柄だとはいえ、それで人を吹き飛ばすとか凄すぎるし。まあ千夏は普段から突拍子もない行動を取るからそこまで驚きはしないけど。というかハリセン持ってボクを叱ってる暇があるなら、一緒にブラシを持って――」
「男のくせにちまちまとやかましいわ!」
 中言と共に、空いていた右手で千夏が何かをサイドスロー。
 それがフリスビーだと気付いた時はボクの鼻を直撃していた時であって、ようは回避なんて出来なかったということ。夏の夕焼け空に真っ赤な鼻血の線を引きながら、ボクは後ろに倒れていった。
 再度水没したボクは、今度は自然に浮き上がるのに任せた。ぷかりと水面に顔が出るのを待ってから、独り言をつぶやいた。
「いやー、フリスビーなんてどこ隠し持ってたかなー」
 鼻血が止まってないことは少し気になったし、すぐに起き上がることも出来た。ただ立ち上がるとまた何か飛んでくるかもしれないし、しばらく水面にクラゲよろしく浮いていようと思ってた。
 まあでも、そんなことをいつまでも千夏が許してくれるはずもない。
「週末で疲れてるんだし、わたしは早く部活を終えて帰りたいんだけど。でも夕希はまだまだ遊び足りないのかしら? 次は槍を降らせるわよ?」
 槍なんて、それこそどこから持ち出してくるのさ。そう思ったけれど、千夏だったらあり得るかもしれない。
 観念して体を起こす。そこでようやく誰かが水をじゃぶじゃぶと掻き分けて近寄ってきてるのに気付いた。
「千夏、さすがに度が過ぎてるぞ。夕希はそんなに体が強くないんだし」
 そう注意しながらボクの隣に並んだのは、体格のがっしりした男子生徒。当然だけど水着姿で、ボクの目の前には厚い胸板がある。陽太という名前の水泳部員だった。
「あ、ありがと」
 体を起こすのに手を貸してくれた陽太に礼を告げる。ボクは水泳部に所属はしているけどマネージャーをやっていた。生まれつき肌が弱くて、今でもパーカーを羽織っている。同じ男なのに、腕の太さが全然違うことにちょっとした感動を覚える。
 その一方で、視界の隅に映った光景に呆れる。
「いやさ、千夏。それはシャレになってないってば」
 プールサイド上の千夏は、さすがに槍こそ持ってなかったものの、やたらと長いコースロープにその身のほとんどを埋もれさせていた。彼女にそれを遠投できるかどうかはわからないけど、実際に放り込まれたら大惨事になりそうだ。
「それにそんなの投げ入れたら余計に片付けが大変になるよ……」
 溜め息を吐きながらボクが告げると、
「それもそうね」
 千夏は呆気なく引き下がってくれた。
 コースロープを元あった場所に戻しに行く彼女を見送りながら、ボクと陽太はプールサイドに這い上がった。
「あーあ、全身ずぶ濡れだよ」
 そう一つ嘆くと、ボクは水を吸って重くなったパーカーを脱ぎ、絞り始めた。元から水の中に入ったり、大量に被ることを想定していないので、防水加工は申し訳程度にしかされてない。薄手の夏用のものではあったけど、かなりの量を吸っていたらしい。たくさんの水が落ちてタイル床の上に大きな染みをつくった。
 帰るときはもちろん他の服に着替えるわけだけど、パーカーは濡れたまま鞄に詰めて持ち帰らないといけない。さすがに直に入れて教科書濡らすとかそんなことはしないけどね。ただ気が進まないのも確か。
「はぁ……」
 ボクは思わず溜め息を吐いてしまって、肩が大きく下がった。
 それにタイミングを合わせたということはまさかないだろうけど、ふわりとボクの体に何かがかけられた。それは学校の制服として指定されているワイシャツで、そしてそれは陽太のものだった。
「お前は日焼けが出来ないからな。太陽も傾いてきているとはいえ、あまり油断しない方がいい」
「え、でもこれ陽太のでしょ? せめてボクの体を拭いてからにした方が……」
「そんなことは気にしなくていい。ほとんどの水はパーカーがすでに吸い取っていたし、それでも着て帰れないほど濡れてしまったら上着だけで下校するから問題ない」
「それって、事情を知らない人から見たら変態さんみたいだよ」
 陽太は生真面目過ぎる。実際に彼なら言葉の通りに下校するかもしれないけど、その姿を想像してボクは笑ってしまった。笑われた本人は照れ臭そうに頬をぽりぽりと掻く。
 それから陽太は話を千夏のことに変えた。
「それにしても千夏はどうしてあそこまで夕希のことを気にかけるのか。マネージャーということも、体が丈夫でないことも知っているはずなのに」
 確かにはたから見たらいじめられているようにすら映るかもしれない。でもボクと千夏は昔からの馴染みなのだ。その蓄積というものがある。
「あー、それは彼女なりの愛情表現というか。もっと男らしくしゃきっと行動しろって言いたいんだよ。でも言葉より手が先に出ちゃうんだよね。ボクをずっと見てたから反対の行動を取るようになっちゃったのかも?」
「……」
 ボクの説明に、陽太はあごに手を当て、少しの間考え込んだ。それから問いづらそうに、若干目を逸らしながら訊いてくる。
「その、夕希は『愛情表現』と口にしたが、それは千夏がお前に恋愛感情を抱いているとか、あるいは……お前が千夏のことを気にかけていたりするということなのだろうか?」
「ふぇ?」
 あまりに唐突な問いかけ過ぎて、ボクは間抜けな声を発してしまった。
 それからようやく意味を理解して、苦笑いしながら否定する。
「いやいや、そんなことはないから。幼馴染としての付き合いが長いからね。その分お互いのことは知ってるし、そして自然と気にもなってしまうという、ただそれだけのこと。そこに恋愛感情なんてないなー」
「そう、なのか? お互い気にはかけているが、好きだという気持ちはないと?」
「そ。実際には違うかもしれないけど、兄弟みたいなものなんじゃないかなー。やたらイヤなところとか直して欲しいところが目に付いてケンカしちゃったりとかさ、その辺りはボクたちの関係とかなり似てるかも」
「なるほど。千夏の方が一方的過ぎる気もするが、確かに兄弟や姉妹のようなものだと思えば得心がいく」
 小さくうなりながら言葉を紡ぐ陽太を見て、ボクはなんとなーく気付いてしまった。
 腰をかがめ、下から見上げるようにして問いかける。
「もしかして……陽太、千夏のことが好きなの?」
「なっ!」
 途端に顔をゆでダコみたいに真っ赤に染める陽太。夕焼けの中でもはっきりとわかるほどで、頭から湯気でも立ちのぼるんじゃないかと思った。
「そんなことはないぞ! 絶対にない!」
 陽太は必死に否定するけど、余計に怪しい。その表情で動揺しながら言われてもねぇ?
 ボクと陽太はクラスが違っていたから、部活のとき以外はあまり話す機会はなかった。帰り道も別方向だから一緒に下校するということもこれまでほとんどなかったし。でも友人であることに変わりはない。となればその恋を応援してあげようと思うのは自然なことじゃないかな。
「それじゃあね――」
 しかしそこで千夏の叱咤が飛んできた。
「わたしはもう着替え終わったんだけど! 早く出る準備しないと中に閉じ込めるわよ!」
 実際千夏はプールの出入り口になっている鉄扉のところにいた。右手の指に鍵をかけ、ぐるぐると回しているのも見える。
 結局ボクたちは急かされて更衣室へと向かうことにした。掃除はいいのだろうかと思ったけれど、千夏があの様子じゃ続けられそうにはない。
 代わりにボクは隣に並ぶ陽太に、こんな提案をすることにした。
「明日の十時に駅前で待ち合わせ。いい?」
「お、おう」
 まだ陽太は戸惑っていたけど、ボクの協力を受ける気になったみたい。頬を朱色に染めつつ頷いて返してきた。

 ***

 陽太とは午前のうちに駅前で待ち合わせをして、すぐに近くのコーヒーチェーン店に入った。ここはいつもお客はいるけれど、常に混むこともないという、つまりは長居していても怒られないお店というわけ。
 この類の学生行きつけのお店はどこにでもあるだろうし、誰でもそういう場所の一つや二つ知っているものと思っていたんだけど、陽太はそうでもないらしい。ボクよりずっと長身で肩幅も広いのに、何だかおどおどとしていて気弱なシェパード犬みたいだった。
「こういうお店来ない?」
 注文カウンターの前で商品の組み合わせが多いことに戸惑っている陽太を、首を傾げて見上げる。問いかけに彼は照れながら返事をした。
「ああ、俺は友達が多いわけではないし、どこかに行くとしても運動部のむさ苦しい男ばかりだからファストフード店で買って外で食べるばかりなんだ。こういうお洒落な店というのは、正直入りにくい」
 ここはチェーン店だし、お洒落ってほどでもないと思うけどなー。まあ、フランチャイズされてる店だから、多少は地域や店主の特色も出ているんだけどね。
「でもこういうお店も知らないとダメだよ? 恋人が出来たら一緒に来る場所の筆頭になるんだから」
「そう、なのか? しかし何故夕希はこの店やそうしたことを知っているんだ?」
「最初は千夏と来たんだと思うな。ボクは陽太とは逆で運動部の知り合いが少なくて、女子と会話することが多いからよく利用してる」
 陽太はボクの返答を聞くと、眉に深い皺を寄せた。
「やっぱり夕希は千夏と付き合ってるんじゃないのか? あるいはそれ以外の誰かと――」
「それって昨日に戻ってるよ。ボクは誰とも付き合ってないし、だから当然千夏とも何でもない」
 思わず苦笑してそう告げると、陽太はあからさまにほっとした様子を見せた。
 ボクはそんな陽太がかわいく見えてきて、笑みを浮かべながら、ずっと進まない彼の注文も手助けしてあげた。そうしてようやくテーブル席へと移動する。
「まあ、話をしてもきちんとしたアドバイスできないかもしれないんだけどね。さっきも言ったけど、ボクも誰かと付き合ったりしたことがあるわけじゃないから。ただ千夏とか他の女子とはよく話すから、陽太が相手を好きになった理由を教えてくれれば、これからどう振る舞うのがいいかとか、そんな感じの簡単な助言はできるかもしれない」
「つまり俺が好きなところを夕希に伝えていけということか? ……何て拷問なんだ」
「拷問て。そんな大袈裟なもんじゃないよー。むしろ付き合いだしたら恥ずかしくてもお互いに言うもんじゃないかな?」
「それはそうなのかもしれないが……」
 陽太はしばらくコーヒーをもじもじと掻き混ぜていた。ボクよりずっと体格が大きいからというのもあるだろうけど、普段生真面目な彼からは想像できない姿だ。恋っていうのはこんなにも人を変えるんだね。見てたらこっちまで微笑ましく思えてきちゃったよ。
 ボクはテーブルに肘をつくと、にこにこと笑顔で待つことにした。しばらくして陽太も観念したみたい。それまでにカップの中のコーヒーが百回はぐるぐるさせられたんだけどね。
 いつもより小さな声で陽太が打ち明け始める。
「小柄っていうのは、気にかけるようになった上で大きなものだったかもしれん」
 千夏って小柄かなぁ? 大きくはないけれど、女子の中では平均よりも若干身長も高かった気がする。まあ陽太に比べればずっと小さいんだけど。
「それで目で追っていたのだが、見てると危なっかしいところがあるというか、それを心配するようになってだな。いつの間にかそうしているのが普通になってしまって……」
 なるほどなるほど。確かに千夏には危なっかしいところはある。いつも被害に遭ってるボクの視点からすると『危ない』になるんだけど、すぐに無茶な行動に出るから心配になるのはわかる気がする。
 ボクに何かするのを手伝われたりしたら困るけど、千夏が無理してるところに陽太が力を貸すというのはアリなんじゃないかな。うん、お似合いだと思うし、そこからアプローチするのが良さそうな気がする。
 聞きながらそんな風に整理をしていく。陽太も最初こそ話すことに抵抗があったみたいだけど、徐々に口が滑らかになってきたみたいだ。
「実を言えばこれまで人を好きになるという感覚がわからなかった。自分はおかしいのではないかとも思ったが、受け入れてしまえば色々と納得が――」
 そのときいきなりテーブルの上に何かが飛び乗ってきた。
 縦長のそれは、大きさも形もまるで人のようだった。というか人そのものだった。
「……何やってるのさ、千夏」
 正体に気付いたボクは半眼で問いかける。椅子に座っているので自然と見上げる格好になり、スカートの中が露わになっていたので辟易とした気分になる。女の子なんだからそういうのは気にしようよって思うけど、指摘したら覗いてたとか言いがかりをつけて怒るんだろうなあ。面倒だから黙っておこうか。
 そんなことを思っていたら千夏に顔面を踏まれた。蹴られたというより、この場合その表現の方が適切だろう。
「見えているのに気付きながら、注意しない方がなお悪い」
 ああ、その言葉はそのままそちらにお返ししたいところですよ? あとずっと乗られているのはさすがに苦しいので早くどいてください。
 ボクの懇願が届いたのかどうかわからないし、届いたところで彼女は気にも留めないと思うのだけど、結果として千夏は足をどけるとテーブルから華麗に飛び降りた。
 それから近くにあった椅子を引き寄せると、こちらに向けて腰を下ろした。
「それで何の悪巧みをしていたのかしら。きりきり白状しなさい?」
「悪巧みなんてしてないし。というかその前にテーブルの上に乗る必要がどこにあったのかを聞かせてもらいたいんだけど」
「演出よ。人物の登場シーンにはそれに相応しい出方というものがあるの。テーブルに降ってくるなんて、いかにもわたしらしいでしょ?」
 なんという無茶苦茶な理屈。でも説得力に満ちていて何も言い返せない。
「で、話を戻すけど。あんたたち二人が一緒に休日を過ごしてることなんてこれまでになかったでしょ。悪巧みではないにしろ、何かあったのは確かだわ」
「う、それは……」
 千夏にしては鋭い。確かに何か特別な用事でもなければ、ボクたちは休みの日に待ち合わせなんてしていないだろう。
 たまたま出会って話しこんでたと誤魔化そうか。けれど時間はまだ昼前だし、他の用事より話すことを優先したという方が不自然かもしれない。
 どうやって煙に巻こうかと悩んでいる間に、千夏はボクのカップを奪って口を付けた。そして一つ大きな溜め息を吐いてからこう言った。
「別にあんたたちが何をしてようと、わたしにはどーでもいいのよ。ただね、そうやって隠し事をしようという態度だけは気に喰わない」
 隠し事なんてほどのものではないけれど、千夏から見たらそう映ってしまうのかもしれない。そしてそれが自然な反応だというのもわかる。
「だからといって千夏に話せるわけがないだろう」
 そう口にしたのはボクではなかった。陽太だった。
 彼は真っ直ぐな視線を千夏に向けると、その言葉を告げた。
「夕希はお前のことが好きなんだから」
「――いやいやいやいや、その誤魔化し方は色々と間違ってるから!」
 別にボクは千夏のことを好きではないし、万が一にでもそれを信じたら陽太が困るでしょうに。
 だというのに陽太は真剣な表情を崩さない。そしてあろうことかとんでもないことを言い出した。
「前々からそうなのではないかと思っていたのだが、昨日今日と話してみて確信へと変わった。夕希は千夏のことを意識している。それはまだ恋愛感情として自覚されていないかもしれないけれど」
 おーい、どこをどう解釈したらそうなるのかなー?
 何というか……もう全部千夏に打ち明けてしまった方がいいのかもしれない。それで陽太の恋が実るかどうかは甚だ疑問ではあるけど、下手に誤解されるよりはずっといい気がする。
 そう考えてボクが千夏の方に視線を向けると、彼女は目をまん丸に見開いていた。
「そう、だったのね。今まで全然気付かなかったけど、確かに納得がいくわ……」
 あれ? もしかしてすでに誤解が始まってる?
 千夏が口に拳を当てて、つぶやく。
「まさかあんたたち、男同士で好きになるなんて」
「いやいや、その誤解は飛躍しすぎだから!」
 陽太には悪いけど、彼の恋は実らないんじゃないかなー。肝心の千夏が恋愛に対する意識がないみたいだし、平行線というか、むしろ向かってる方向が別の次元だから一生交わらない気がするよ。
 疲れたボクはコーヒーを飲もうとして千夏にカップを奪われていたことを思い出し、頭を垂れながら深々と溜め息を吐いた。
 頭の向こう。陽太も一つ吐息を漏らすと、つぶやいた。
「気付かれてしまったか」
「……え!?」
by zattoukoneko | 2012-09-08 18:21 | 小説 | Comments(1)

【ショートショート】『外へ行こう』

 カンッという甲高い音がしたかと思うと、小石は高々と夏の青空に吸い込まれていった。
 それを見送りながら、僕のすぐそばで古びた金属製のバッドを片手にぶら下げた少女は残念そうにぼやいた。
「あーあ、打ち上げちゃった……」
 ミディアムショートの髪型でボーイッシュな印象の彼女に、僕は仕方ないんじゃないかなと告げた。ちらりと下に向けた視線が、フルスイングをしたときもほとんど動かせないでいた左脚を捉える。
 彼女の脚には悪性の筋肉腫があった。名前を彼杵美紀という。
 美紀は自らの口から言うことはないけれど、やはり痛みがあるのか、バッドを杖のように地面についてこちらを振り返る。それから心底悔しそうに述べた。
「飛ぶことは飛んだし、半年前ならホームラン確定だったと思うのに。わたしの作る綺麗なアーチをあんたにも見せたかったんだけど、これじゃあダメね」
 僕は野球というのを見たことがない。病院にあるテレビに時々映っているけれど、映像がすぐに切り替わるからホームランというのが実際にどのような軌跡を描いているのか僕は知らなかった。
 そのことを聞いた美紀が僕にホームランを見せてあげると言って、病院の隣にある人気のない土手に半ば強引に連れてきたのだ。
「ゴメンね。入院前みたいにはいかなくても、打球が空に吸い込まれていく様を見せてあげたかったんだけど。あ、ボールじゃなくて打ったのは小石だけどさ」
 謝る美紀に僕は笑顔を向けた。彼女の打ったのはホームランではなかったかもしれないけれど、青い空に物が吸い込まれていく様子は感動的だったから。
 僕の言葉に美紀が困惑半分、照れ半分といった曖昧な表情で頬を指先で掻いた。
「んー、やっぱりあんたは外のことを知らなさ過ぎると思う。あのくらいで感動しててどうすんのよ。世の中もっとすごいものや綺麗なもので溢れてるのよ?」
 美紀は度々そうやって外の世界の美しさを教えようとしてくれる。けれど彼女がこの病院にやって来るよりずっと前から僕はここにいて、だから想像することすら上手くいかなかった。
「……一度だけでいいからあんたを病院の外に連れ出してあげたいな」
 その思いは素直に嬉しいと感じる。でも生まれてすぐにこの病院に縛り付けられた僕には到底無理なことでもあったんだ。


 美紀と最初に出会ったのはもう半年以上前のことになる。その頃はまだ検査入院で、脚に時折走る激痛の原因を調べていた。けれど検査入院はそのまま美紀を病院に留まらせることとなり、彼女は進級を断念せざるを得なくなった。
 病気を治すことは難しいらしい。手術の成功率も低いし、そして成功したとしても美紀の脚には消えない傷痕が残ることになる。
 そのことを知っていたから彼女の口から出た言葉は当然だと思った。
「手術したくないんだ……」
 先日、美紀は担当医からこのままではもう長くないと宣告された。放置すれば次の夏は迎えられないだろうとのことだった。
 病院にくる前の彼女のことを僕は知らない。ただ聞いた話によると運動が得意で、とても活発な女子生徒だったそうだ。
 そんな話をしていたのは見舞いに来た美紀の同級生だった友人たち。でも今では誰一人として病室を訪れることはなくなっていた。推測だけれど、学年が変わって、周囲の環境が変わって、そして取り残された美紀のことを考えている暇はなくなってしまったんだろう。
「わたしは病気のせいで色々なものを失った。それを取り戻すことはできないし、そして今ではさらに失うことが怖くなってる」
 さらに失うものとして想像しているのは自分自身の命だろうか? 僕が尋ねると美紀は首を縦に振った。切ない笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「自分の命と、そして未来と。失ってばかりだったから、手術も失敗して死ぬんじゃないかって弱気になっちゃってるんだよね。それに成功したとしても今度は長い時間をリハビリに使わないといけない。その間、次にわたしは何を失うのかな? そういうのさ……考えるとどんどん怖くなってくるんだよね」
 なら美紀は手術を拒否して死ぬつもりなんだろうか? そう直接問いかけたら口をつぐんで下を向いてしまった。
 彼女だって死にたくないはずなんだ。ただ今は自信が持てなくなってる。希望が見い出せなくなってる。なら――
 それなら僕がそれを与えたいと思った。
 美紀は手術やその後のリハビリで確かに多くのものを失うかもしれない。けれど生きてさえいれば、彼女なら外の世界で新しいものを取りに行ける気がするんだ。実際に入院する前に彼女はたくさんのものを持っていて、その美しさをここから出られない僕に伝えようとしてくれていたじゃないか。
 美紀はこの病院に縛り付けられている僕とは違うのだ。外の世界を知らない者の言葉が、彼女の復帰に対してどのくらい手助けとなるかはわからない。けれどそれが僕の精一杯の言葉だったし、本心だった。
「……」
 聞き終わった後も美紀はしばらく黙ったままだった。長い時間をかけて何事か考えている素振りを見せ、それからぽつりと、
「あんたは――」
 何かを言いかけて首を振った。
「これはわたしの問題だもんね。……もう少し考えてみる」
 その台詞が口にされて数日後。
 僕は彼女が手術を受けることを決意したと聞かされた。


 美紀を乗せたストレッチャーが手術室に向かう。僕は彼女が運ばれている間ずっと付き添っていた。そんな僕に向けて横になった姿のまま美紀が気丈に語りかけてくる。
「あんたの言葉、きちんと受け取ったから。その上で自分なりに考えることがあってわたしは手術を決意した」
 その後に続く言葉はまるで宣戦布告のようだった。
「色々なものを失ったわたしに対し、あんたは元気になって外の世界に出ればまた新しいものを手に入れることが出来るって言ったよね。でもそもそもあんた自身は何も失ってないじゃない。手に入れてすらいないじゃない。ずっとこの狭苦しくて消毒液臭い病院の中にいたんだもの。だからわたし以上にあんたはこれからたくさんのものを得る可能性があるのよ」
 美紀は空にはたくさんの色があるのだと語った。そして海には複雑に重なり合った音があり、山には渦を巻いて生き物を飲み込んでしまうような静けさがあるのだと。そうしたものをあんたは知らないでしょうと、そう指摘した。
「わたしは手術を成功させてここから抜け出してみせる。だから……あんたもいつか外の世界においで。見せたいものがたくさんあるんだから!」
 僕は彼女のその言葉に笑って頷いた。それは無理なことだと本当は互いに知っている。そんな簡単に僕はこの病院から抜け出すことはできない。けれど希望を持つのは悪いことじゃないはずだから。だから僕は彼女の思い描く夢の中に一時的にでも住まわせてもらうことにしよう。
 そして美紀の姿が手術室の向こうに消える。さして重くもないだろうに、閉ざされた扉が絶対的な隔壁となって僕たちを分かつ。
 僕は手術室の前にある安っぽいソファに腰を下ろした。大きな手術になることはわかっていたけれど、何時間であろうと待ち続けるつもりでいた。間もなくして施術が始まったことを示す赤いランプが頭上で点灯する。
 美紀なら絶対に元気になって帰ってくる。僕はそう信じて疑わなかった。
 ただ一つだけ気になったことがあった。美紀は僕と共に外の世界に行くことを胸に抱いて手術室の中に入っていった。仮初めの夢で、一時的な約束だというのはわかってる。けれど一度交わした約束は僕の気持ちを縛り付けた。想像せざるを得ないんだ。美紀と一緒に見渡す限りの青空の下で走り回っている様を。
 でもそれはどうやったら叶う? 美紀の病気は難しいとはいえ治る見込みがある。それに対して僕は――
 その瞬間、扉の向こうから鼓膜を引き裂くような絶叫がこだました。


 僕が美紀の病室に訪れたとき、すでに彼女の意識は回復していた。ただいつものような元気はなく、僕が隣に行くと小さな声で漏らした。
「ゴメン。手術失敗した……」
 視線を彼女の顔からずらして体の下の方に移す。腫瘍があったはずの左脚。シーツがかけられたその部分は、けれど一切の膨らみを持っていなかった。
「腫瘍どころか脚ごと持っていかれちゃったよ」
 無理して美紀が笑おうとする。けれどすぐに双眸に涙が溢れて表情を保っていられなかった。
 僕は何て声を掛けたらいいのかわからなかった。手術は失敗したのかもしれないけれど、美紀はまだ生きている。だから何かを伝えたかった。
 結局僕が頭の中から単語を掻き集めている間に美紀が口火を切った。
「あんたがここから出れないのをわたしは知ってた。それでも一緒に外を歩けたらこれまで以上に綺麗なものをいっぱい見つけられるんじゃないかって期待して、それで手術を受けることにした。わたしは……あんたに縋ってた」
 それは僕もわかってた。無理だと美紀も知っていることも把握してた。それでも手術の短い間だけでも力を与えてくれるんじゃないかと期待してた。
 けれどそれがいけなかった。
「麻酔が効いて朦朧とした意識の中、ううん、あれは夢だったのかもしれない。ともかくわたしは考えちゃったんだよね。もし手術に成功して、いずれわたしだけが退院することになったら。そのときあんたはどこにいるんだろうって。そして最初に出会ったときみたいに病院の片隅でぼんやりしている姿が思い浮かんだ瞬間、体に異常が出た」
 その結果何が起こったのかはわからない。僕も美紀の悲鳴しか耳にしていない。ただそのときに大きな神経や血管を損傷してしまって、やむなく脚ごと切断せざるを得なくなったとのことだった。
「ほんと、ゴメンね? 手術に絶対成功して、そして一緒に外の世界を歩こうって約束したのに。なのに……わたしは歩くための脚をなくしちゃったよ」
 その言葉を最後に美紀は嗚咽を堪え切れなくなったらしい。顔をくしゃくしゃにして大きな泣き声を上げ始めた。
 謝るのは僕だ。僕のせいで美紀は手術に対して拒否反応を起こしてしまったのだから。
 手術室に向かう彼女に仮初めの希望しか与えなかった自分が悔やまれる。あのときからはっきりと美紀は自分の夢を伝えていたのに、それにはっきりと答えてあげなかったから不安にさせてしまったのだ。
 目の前で美紀は泣いている。さめざめと、自分の夢は叶わなくなってしまったと、そのことを悲しんでいる。
 でも生きてはいる。左脚を失ったことへのショックは大きいと思う。でも外に出られないと決まったわけじゃない。大変かもしれないけどリハビリをすれば、外の世界にまた飛び出せると思うんだ。
 そして今度こそ僕は過ちを犯さない。歩けなくなってしまった美紀と一緒に、共に歩き出すための一歩を踏み締めようと思う。
 方法はまだわからないけど、僕もこの病院に縛り付けられている状態から抜け出そう。そして美紀と一緒に外の世界に出よう。
 僕がそう決意を伝えながら手を差し出すと、彼女は驚いた顔をして、それからさっきまでとは別の種類の涙を流した。そして手を重ねようとして、直前で苦笑した。
「どうやって手を繋げっていうのよ。あんた地縛霊じゃない」
by zattoukoneko | 2012-08-08 19:41 | 小説 | Comments(0)

【小説連載】【短編小説】『紅ひらり』第七話


 私は山にやってくると、いつものように声をかけました。
「今日もやってまいりました。楓様」
 そう、注連縄の巻かれた一本の大木に話しかけます。
 けれどそこに人の姿が現れることはなく、声が聞こえてくることもありませんでした。
 赤と黄の舞う山の中、私は一人きりでした。

 楓様は私に変わるようにと諭されました。そして自身は神木となられました。
 ですが結局私はまたここにいます。
「楓様は美しい変化をするのはカエデではなく、むしろ寿命の短い人間の方だと述べられました。ですがそれはあくまで木から見たときの話です。人にとって人の時間は長いのです。一朝一夕で変われるはずがないではないですか」
 しかし状況は半ば強制的に変えられてしまいました。このように話しかけても応えてくれる方はもういないのです。
「ただだからこそ気付いたこともあります。失ってからわかっても仕方のないことですが」
 言葉と一緒に苦笑が漏れます。それは乾いたものではありませんでしたが。
 私がここに通っていたのは、そうすることで心穏やかになれるからでした。先日指摘されたように村の居心地が悪くて、それで逃げていたというのもあるのでしょう。けれど私は相手が楓様だから会いに来ていたのです。他の人や場所ではなく、楓様の隣がよかったのです。
 子供の頃から私はほとんど変わっていないかもしれません。でも変わらぬものがあってもよいのではないでしょうか? 心安らぐこの場所は、私にとって大事なものだったと今でははっきりと申し上げることができます。ただ当たり前すぎて、失うまで気付かなかっただけなのです。
 その場所を失くしてしまったことは悲しいことですが、楓様と過ごした時が大切だったとは胸を張って言えるのです。
「だからこそお聞きしたいことがあります」
 もう楓様は言葉を発することはありません。それでも問わずにはいられませんでした。
「どうして楓様はいつも私の前に姿を現してくれたのでしょう? 最初の出会いのとき、山の中で泣いている幼子が気になったというのはまだわかります。ですがその後もずっと私と一緒に時を過ごしてくれました。その理由とは何なのでしょうか? ただの気紛れとはどうしても思えないのです」
 人と木は違う存在なのだと度々言われてきました。それは事実でしょう。私自身楓様は自分とは異なる特別な存在だと思っていたからこそ、どのように想っているのかにきちんと向き合ってこなかったわけですし。
 そうでありながらも、全く異なるものでもないはずなのです。思い違いでなければ私と楓様はきちんと言葉と心を交わしていました。
「楓様と過ごした日々を私は忘れることができません。これからもずっとずっと抱えて生きていくことでしょう。ただ、もし私に変われた部分があるとしたら、それはこういうことなのではないかと思います」
 告げると私は着物の袂から鼈甲櫛を取り出しました。母の形見であり、父と交換した品。それを注連縄のところに差します。
「これが私の気持ちです。ですから受け取ってくださいませ」
 私の告白に楓様は何も返されません。
 神木となった今、私はおろか、他の木々とも言葉を交わされることはないのでしょう。
 それは仕方のないこと。何も思わないわけではありません。けれど理解はできています。
 しばし新たな神木となった楓様を見つめてから、私は踵を返しました。今日はもう帰ろうと思います。自分の想いを伝えるのが目的でしたから。
 帰り道の途中で食べるものがたくさん見つかればいいなと、そのようなことを考えながら歩き出します。
 そんな私の目の前に鮮やかな紅が舞いました。
 手にしたそれは、綺麗に色付いた一枚のカエデの葉でした。
 胸がきゅっと締め付けられます。それでも私は何も口にせず、振り返りもせず、ただそれを大事に仕舞うと帰り道を歩き出しました。
 ひらりひらりと赤や黄が舞う中で、その一葉がどれだけの価値があるのか私はきちんと知っていましたから。

                               『紅ひらり』契

by zattoukoneko | 2012-06-29 03:37 | 小説 | Comments(0)

【小説連載】【短編小説】『紅ひらり』第六話


 私は楓様に反論しました。神木になられるということが何を意味しているのかわかっているのでしょうか。もはや会うことができなくなると、そういうことではありませんか。
 怒りと悲しみに綯い交ぜになったぐちゃぐちゃの私に、楓様は毅然とした態度で答えを返されます。
「本来わたしたちは交じり合うことも出会うこともなかった者同士だ。邂逅しなければよかったなどとは言いはしない。けれど違う道を歩んであるはずであり、出会ったとしてもいずれはそうしなければならなかった。ただ今回は神木になるという選択肢が提示されたというそれだけのことだ」
 それで納得のできることなのでしょうか。私には理解できませんでした。
 つい先日御神木様のところを訪れたばかりです。あのように喋ることのできないものに楓様はなりたいということなのでしょうか。
「それは人としての舞の想いでしかない。木と人は違う。元から声を発することのできないわたしたち木々にとって、話すことができないというのがそんなに苦痛であり得ようか?」
「よく……わかりません」
 仮に楓様の主張を認めたとして、神木になる理由が見つかりません。
 けれどそれこそ簡単なことだと楓様は笑われました。
「切り倒されてしまうより遥かに良いではないか。神に近しい存在になるのだから、これまでとは立ち居振る舞いは当然変えなければならない。けれど木であることには変わりない。何もまったく別の存在になれというわけではないのだ。無理なことでも無茶なことでもない」
 そしてどこか遠くを見つめるようにしてその言葉を発せられました。
「神木になることで村の厄災が収まるのなら、それによって舞を今の境遇から救い出すことができるのなら、わたしは喜んでこの身を捧げよう」
 その言葉はあまりに卑怯すぎます。そう言われたら私からは何も申し上げることができなくなってしまうではないですか。
 黙りこくってしまった私に、楓様が仰られます。
「私は変わる。けれどそれだけでは駄目だ。舞もこれを機に変わらなければならない」
 そう忠告してから私に訊いてきます。
「舞はここを逃げ場としてきたのではないか?」
「そのようなつもりはない、と申し上げたいところですが、事情を知った楓様は信じてくれないでしょう。それにそのような気持は一切なかったとも言い切ることができません」
「そうだな。舞は村で名誉回復なり信頼構築をしようという努力をしていなかったように感じる」
 楓様は山から外に出られませんから、それは推測です。けれど当たっていました。私は村では食べ物の交換など必要最小限のやり取りはしていましたが、それ以上の仲を形作ろうとはしてきませんでした。
「わたしは人間とは互いに支え合うべきものだなどと偉そうに説教するつもりはない。そもそも人ではないわたしには分かり得ないことであるし、何より呉葉のことを知っているからな。彼女は村の中では浮いていたようだが、独力で自分の魅力を磨いていった。それは村人にはなかなか理解されないものであったが、それはやがて経という男に見染められるきっかけとなった。それと同じように舞は舞らしく生きてくれればそれでよい。けれどこれまでのように自分を卑下して、わたしのような人外のものに頼るのはやめにしよう」
 お話を聞きながら、一つだけどうしても確かめたいことが出てきました。率直に楓様にお尋ねします。
「楓様は私を面倒に思われていたのでしょうか。いつまで経っても自立できない幼稚な子供が毎日のように遊びに来る。仕方がないから子守をしてやろうと、そういうことだったのでしょうか」
 その問いかけに楓様はきっぱりと首を振って否定してくれました。
「そんなことは一度たりとて思ったことはない。舞に出会えたこと、共に過ごした時間はわたしにとっても大事な思い出となっている。ただわたしが関わり続けることで舞の成長が止まるのならそれは避けたい」
 そうして結びとして楓様はもう一度その考えを述べられました。
「わたしの力で村に平穏が訪れるのかどうか、挑戦してみたい。里山は村なくして存亡できないものだからな。その役に立てるのならできるだけのことをやってみよう。それに災いが落ち着けば舞も自らの変化に向き合い易くなるだろうからな」
 それが木である楓様の考え方なのでしょうか。幼い頃から私のことを見守り続け、異なる時の流れの中で生きるものとしての。
 ならばその決意は尊重されるべきなのかもしれません。人である私とは異なる道を進まれることを決められたのです。そしてそれは遅かれ早かれやってくる別れでもありました。それが今回の一件だったというだけ。まだ心の整理はきちんと付いていませんが、楓様が意を決める中で私のことをとてもよく考えてくれていることも伝わってきました。私はそれに心から感謝すべきでしょう。
 ただ優しく頭を撫でてもらいながら、私はどうしても思ったことを口にせざるを得ませんでした。
「あまりにも遠慮と自制が過ぎますよ……楓様」
 そうして双眸から滴が紅の世界にひらりと舞い落ちました。


   『紅ひらり』第七話へ
by zattoukoneko | 2012-06-28 05:07 | 小説 | Comments(0)


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