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日本語論文は廃れるかもしれない現代版:システム面から考える

小保方さんのSTAP細胞騒動の際、その疑惑の一つに「他の論文から盗用しているのではないか?」という指摘がありました。
ちなみにですが、小保方さんに研究不正があったと認められた点は、世間で思われているよりもずっと少ないものでした。上記の盗用疑惑についても、「研究不正とは認められない」と調査結果が出ています(理化学研究所の報道発表資料「研究論文(STAP細胞)の疑義に関する調査報告について」などを参照のこと)。とはいえ、彼女はあまりにも研究者として教養がなさすぎたので、一切の擁護はできませんが……。
ともあれ、この疑惑が浮上したとき、日本の研究者からは「そんなとこまで出版社ってチェックしてんの?!」と驚きの声があがりました。研究者の側からすれば、孫引きなんて当たり前自分の過去の論文をそのままコピペして何が悪い!、出版社の方が忙しい中、世界中の論文と照らし合わせてまできちんと読んでくれてるだなんて、思いもよらないことでしたから。
しかし、もちろん出版社の人間がありとあらゆる論文を読んで覚えてるだなんて、ありえるはずもなく。そういうチェック機能が現在はあるというのが実際のところなのでした。
今回は、それに基づいた与太話となります。

さて、論文に盗用がないかをチェックするシステムは「剽窃検知ツール」などと呼ばれています。CrossCheckというサービスがおそらく最も有名で、投稿されてきた論文をそのシステムに通すことで、どのくらい盗用の疑いがあるかを機械的に判定することが可能というものとなっています。
このシステムにできることは、当たり前のことではあるのですが、疑いの割合を出すことまでです。「100%盗用である/ない」と言い切ることはできません。盗用した者が巧みに文章を書き換えていればその分オリジナル論文との合致率は下がりますし、あるいは、ある著者が完全に書き下ろしで論文を執筆したつもりでいたとしても(学術論文は作家が書く独創性あふれる小説ではないわけですから)できあがった文章が他の論文と似通ってしまっていたという可能性も捨てきれません。このシステムを利用する人は、必ずこの点について心に留めておくよう注意されるほどです。
この弱点は機械的なチェックには当然生じるものではあるのですが、ことに日本語論文では顕著になってしまいます。そう、翻訳されてしまえば、このチェックの網に途端にかかりにくくなるからです。

加えて、日本語論文は電子データベースに収載されている本数がとても少ないという問題もあります(科学技術振興機構J-STAGE「J-STAGE Similarity Checkのご利用案内」の3ページ目(10)など)。日本の学術論文の出版状況は、はっきりと言って遅れまくっています。論文検索のデータベースすらまともなものがないと、学術研究を少しでもされた方は感じたことがあるものと思います。
日本の行政、学会、出版社が電子化にやる気がない――というのも残念ながら否定はできないのですが――というよりは、日本語と電子化との相性の悪さが、この問題の根源にはあると考えられます。
日本語論文をせっかく電子化したとしても、全角・半角の違いがあるために、世界中にweb公開した途端に文字化けが生じます。論文のタイトルや巻号、ページ数といった情報(書誌情報と言います)も、英語対応しかしてない国際的な検索データベースには収載しにくいままです。電子化するためのシステム要件は、webで世界中に公開することを前提としているのですから、これまた英語で書かれています。英語というだけで日本人にはハードルが高いのに、さらにコンピュータの話とかマジワケワカラン状態です。
他にも、電子化するとApple社に高額なロイヤリティ取られるとか、そんなこと知らずに「電子版なんだから安くしろよ」とか平気で言う読者様の存在とか、問題は山積みです。
ぶっちゃけ、電子化に関する技術的・意識的な抜本的改革がない限りは、出版社はおろか、助成金をもらっている学会ですら赤字になってしまうそうです。こんな状況で盗用チェックにまでお金を出すとか、もう無理なわけです。

しかしながら、研究者の立場から物を言わせてもらえば、やっぱり盗用チェックはありがたい機能なわけです。
すでに述べたように、オリジナルで書いたつもりでも、すでに似たような記述をした論文はあるかもしれません。はたまた、自分のチェックミスで、引用文献を書き忘れてしまっているかもしれません。これらのチェックは、個人でやるには限界があります。出版社や編集部会が頑張ってサービスでやってくれるのなら、こんなに嬉しいことはありません。
ですが、このようなサービスの恩恵は、現状日本語論文ではほとんど受けることができません。ではどうするか?
その一つの答えが、英語論文への投稿、なのかと思います。特に、自然科学系の論文ではその傾向が加速していると感じています。このままいけば、日本語で論文を書こうという研究者はまったくいなくなってしまうのではないでしょうか?

私は、このような状況に、警鐘を鳴らしたいと思っています。
学術研究には、英語だけでは書けないものが存在するということを、忘れてはなりません。特に史学においては、その国の言語で書かれることが重要となるシーンが生じます。英語に馴染みやすい自然科学の分野においてすら、その国・風土の影響が色濃く出ることがあります(科学が社会の影響を受けることについては、すでに常識になっているものと思います)。医学のような分野においては、疾患によっては人種差や地域差が生じることもあり、ガラパゴス的に狭い国の中だけでまず議論をしてもらうことで埋もれずに成果をあげることができる可能性もあります。
盗用チェックシステムであるとか、国際的な論文データベースに頼り切ってしまう行為は、ともすればこの価値を人々から忘れさせてしまうかもしれません。

英語も日本語も、独語も、マレーシア語も、あらゆる言語が同等の価値のものとして電子化されることが、まず望まれます。が、これが実現するにはまだまだ時間がかかることでしょう。
ですので、私としては、研究者個人個人の意識改革がよいだろうと考えています。あるいは、学会や出版社の取り組み方に、英語圏に追随するだけでない、一本筋の通った考え方が欲しいと感じています。
つまり、具体的には(議論の根底からひっくり返すようなことで申し訳ないのですが)「盗用チェックシステムのようなものが本当に必要なのか?」と考えてほしいのです。
盗用チェックもデータベースも、便利だから流行っているにすぎません。発表される論文数が膨大になったため、その価値も並行して高まっただけのことです。そして、それと反比例するかのように、研究不正がないかどうかばかり機械的にチェックする編集・制作・世間の雰囲気が生まれてしまったのではという気がしてなりません。
その論文に価値があるかどうかは、じっくり読んでみて、ようやく初めてわかることと思います。自分にとって有益である論文は、他人にとってもそうであるとは限りません。被引用件数やインパクトファクターによってばかり研究者の価値を測っているような現状は、何だか違う気がしています。
論文が英語で書かれていなくとも、自分にとって必要なものだと思えば、仏語で書かれていようがヒンディー語で書かれていようが、何とか読めないかと努力するのが研究者の本来あるべき姿勢と思います。そして同様に、母国語である日本語論文だって、非常に有り難がって読まれるべきです。

翻って考えてみて、論文を提供する研究者の皆さんは、日本語論文だからと手を抜いて書いてしまってはいないでしょうか? あるいはその論文を掲載する編集者の方々は、どうせ国際誌に載らなかったものを投稿しているのだろうと、質の低いまま採択してしまってはいないでしょうか?
日本語論文の電子化の遅れや、そもそもの日本語の読まれにくさはありますが、それに胡坐をかいて投稿者も編集者もだらけていてしまっては、ますます日本の研究の質は落ちていく一方と思うのです。雑誌の価値が急速に下がっていると思うものも、散見される気がしてます。
今一度、日本だからこそ発信できるような研究について考えてみてほしいと思っています。そのうえで、いつかシステム屋さんが英語に限らずデータベース化する方法を実現してくれれば、日本語論文の価値は極めて高まるのではないでしょうか。

以上、電子化の難しさが日本語論文の衰退を招いているから始まり、編集者や出版社の責任、著者のやる気のなさもあるよ、と色々言ってみました。省みる点があったなあと思っていただけたら幸いです。
また、すでに「日本だからこそできる研究をしたい!」と頑張っておられる研究者や学会もあります。見かけましたら、ぜひ応援を。


by zattoukoneko | 2018-05-23 03:13 | 社会・経済 | Comments(4)

科学とは何か

科学であるとはそもそもどのようなことであるか、大まかに見てみようと思う。方向は三通りで、科学哲学の側面から、歴史および科学論の側面から、科学理論の側面からを考えている。
何故こういうことをするかというと、今ある科学(およびそうではないとされるものへの)批判の多くが、科学が何かを理解しないままになされていると感じるからである。理論の節で挙げる例だが、ホメオパシーに対する批判では「希釈しまくって有効成分なくなってるとか、それただの水だろ」は的外れにも程がある。私はホメオパシーを支持するわけではないが、批判をするのならばきちんとした方法論と手続きを取らなければならないと考える。さもなければ相手の間違いを指摘できないどころか、自分たちの支持する学問体系の在り方を傷つけることになってしまう。
東日本大震災以降、科学/技術の在り方を問うような姿勢が出てきたように感じられていたのだが、どうにも西洋科学パラダイムにどっぷりと浸かったまま支持なり批判を繰り返す人がなくならない。今一度、私たちがどのような基盤(=パラダイム)に乗って生活をしているのか、それを顧みるべきだと思い、ブログ記事タイトルを「科学とは何か」とすることにした。


この節では科学哲学の側面から科学とは何かを考察する。とはいっても本当にざっくりとしたものだ。
よく挙げられるのはカール・ポパーの反証可能性だ。これは科学の命題(≒仮説)は常に間違っていることを示せる状態にあらねばならないという主張である。
たとえば地球上での重力加速度は9.8m/s^2とされているが、それが真であるか偽であるかを私たちはいつでも確かめることができる(計測する機材を持ってないと当然難しいが)。旅行先で測ってみればよくて、ハワイで測ったり、アラスカで測ったり、行き帰りの飛行機内で測ったりすればよい。やってみると実は場所によって9.8m/s^2でないことがわかる。地球は自転をしているからその遠心力の分増減するし、地表から離れれば距離の2乗で減衰していく。
重力加速度はわかりやすいデータの例であったが、他にも生物は自然発生することはない、というものでも反証を試みることは可能だ。首長フラスコの中から液も空気も抜き取って、ずっと観察していればいつかは生物が生まれるかもしれないではないか。その可能性まで科学は否定していないし、それが起これば自然発生説が覆されるか、あるいは覆さないまま何故そうなったのかと新たな探求が始まる。
ここで重要なのは、科学の仮説は実験と観察によって反証が試みられるということである。実験や観察は正当な手順を踏んで為されたものであり、その手順に妥当性があると考えられるゆえに、反証をする力があるとみなされる。ようは命題や仮説は日常の経験から導いても構わないが、反証する際には『何となく違う気がする』では駄目だということである。夢の中で見たヘビの輪を事実ではないとほどきたいのなら、それ相応の手続きを踏まなければならない。
科学というのは命題を掲げると、それ以降ずっと反対意見に曝されることを受け入れる学問体系なのである。そしてその反対は、説得力ある方法によってのみ許される。説も手段も常に厳しく監視される状態にあるからこそ、それは確からしさを獲得するのだ――というのが反証可能性の立場である。


しかしながら、この反証を試みることが常に行われているかというとそうでもない。何せ科学の仮説は膨大にあり、そして複雑になっているからである。
たとえばある化合物の分子軌道を確かめるために描出しようとした場合、コンピュータなどにその構造を入力する。コンピュータの中では量子物理学に基づく計算がいくつも行われるわけであるが、私たちはその妥当性を疑うことをしない。見るのは描き出された分子軌道の在り方のみである。このように主要仮説を確認する際に私たちは補助仮説を正しいと決めてしまうことがある。この補助仮説の詰まったコンピュータ部分はブラックボックス化していると科学論では言う。科学の現場ではしばしばこうしたことが行われているのである。
これでは反証可能性にきちんと従っているとは言えないのではないか。それに答えるのが科学論や科学史である。ブラックボックス化した器具や理論体系を用いたとしても、その実験観察は一人だけでは成立しない。科学者は論文を学会に提出し、査読を受け、その正しさを吟味される。そしてそのような科学者の集いは、国や社会に認められるべきだと働きかけてきた。王立科学アカデミーがそのメルクマールであり、現代に至るまでこの努力は続けられてきている。
技術の方と混雑することを恐れずに言うと、特許制度などもそういう意味で重要だ。徒弟の中だけで受け継がれる秘術では、たとえそれがどんなに優れていようとも、社会的に認められる力は小さい。職人がどんなに良い工芸品や料理を作っても、その技を世界中に浸透させることはできない。ゆえに科学/技術に劣る(なお念の為付記しておくが、ここで述べているのは万人に納得してもらえる能力や方法についてであり、その芸や伝統に優劣を付けるつもりは私にはない)。
専門家集団をつくることが重要というのは、何も科学に限った話ではない。情報を開示・共有し、新しい説に対して批判を加える。それを行なうとして社会に認められる。これによって学問は正当なものになるのであり、ゆえに歴史学では学会の成立をその学問の成立の年と慣例的にしているのだ。
このようにして、いくらかのブラックボックスや“お決まり”はあるにせよ、多くの専門家に厳しく精査され、社会からも監視される立場に置くことによって、科学はその理論に力を持たせることができている。


さてここまでで見たように、仮説と実験観察を軸にした反証可能性によって自らを縛り、専門家集団を作り上げることで、科学は科学となる。ではその条件をすべて満たしたものはすべて科学とみなされるのだろうか? 実はそうではないのである。
超心理学という学問がある。そこで行わる実験の例を書くと次のようなものになる。「完全に隔離されている実験室AとBがある。Aにいる被験者aに何枚かのイラストが描かれたカードを見せる。一枚選んでもらい、そのイラストを強く頭に思い浮かべてもらう。それに合わせて実験室Bにいる別の被験者bにもカードを選んでもらう。aとbが同じカードを選ぶかどうかを調べ、それを統計的に処理して有意な差があるかどうかを調べる」
これだけ見ると「なんだテレパシーか。オカルトじゃないか」という人もいるかもしれない。テレパシーなのは確かだが、オカルトかどうかになると話が違う。上記したように、超心理学者はテレパシー(すなわち遠隔的な思考伝達能力)が存在するという命題を証明するために、実験室をきちんと分け、そして数学的な手法として統計学を用いてその有意さを確認しているからである。すなわち科学的手法にきちんと則るべく、反証可能性を掲げ、正当な手続きを踏んだ実験と観察を行なっているのである。
それだけではない。超心理学者は自分たちが科学的な学問を営んでいるのだとし、大学内で研究室の獲得や学位授与を行なっている。規模は小さいが、科学たろうと努力しているとは言えるだろう。
しかしながらこれに対する風当たりは強い。その原因の一つが、先の「オカルトじゃないかよ」を、科学者らからも向けられていることだ。方法論も社会的立場も正当な手続きを踏んでいるにも関わらず、なぜ科学として認められないのか。そもそも『オカルト』とは何なのか。
オカルトとは、理論の側面から言えば、現在の西洋科学のパラダイムに乗っていないものとみなすことができよう。すなわち遠隔作用力によって物事を説明する立場のものだ。西洋近代科学は、デカルト以降近接作用力によってのみすべての事象を説明しようと試みてきている。昨年ヒッグス粒子の発見でノーベル賞が出たことは記憶に新しいが、これも重力の発生機構を近接作用力によtって説明しようとしてきた物理学者の努力の実りと見ることができる。宇宙は歯車が組み合わさってできた時計のごとく、隣接するものによってその動きが伝わっていく。体の中では様々な化学物質が行き来しており、その伝播と反応によって信号の伝達が行われる。粒子によってすべては繋がっているはずだ、というのが西洋近代科学の根本を成すのであり、そしてその思想が現代の私たちの生活を支配している。ゆえに遠隔作用や粒子以外による伝達を認めたがらない。
このようなことは超心理学だけであることではない。ホメオパシーなどもそうだ。ホメオパシーとは有効成分(時に毒物であることもある)を水によって何度も何度も繰り返し希釈し、有効成分が1分子すらないような薄い液(レメディと呼ぶ)を作って患者に投与し、治療をするというものである。有効成分がなければただの水じゃないか――というのは西洋科学パラダイムに乗った私たちの見方である。ホメオパシーでは物質はなくなったが特有のパターンは継承されていると考えており、それゆえに有効成分の毒性をなくしながらも、患者に影響を与えうるのだと主張をしている。なお、パターンというのはホメオパシー独自の概念ではなく、古くは中国科学で基にされていたものであり、波形の類似で物事を説明していく。
ホメオパシーは詐欺まがいの商法が出るなど実害が出ているが、それはそれだ(それは方法論や社会的な認知=制度に従っていないことになる)。今回述べている方法論や専門家集団の形成という点ではさほど西洋科学と差はない。あるとすればその基盤たるパラダイムが異なる。パラダイムが異なるのだから共役不可能性が出てくるのは当然であるし、よって超心理学やホメオパシーを西洋科学のパラダイムに乗ったまま批判するのは完全な誤りである。
またその存在を否定されこそしないが、西洋科学によって侵蝕されている学問分野もある。先程少しばかり触れたが、中国の東洋医学などである。東洋医学はそもそものパラダイムが西洋のものとは違っているのであり、その成分が体内でどう働くかなど考えていない。しかしながら現代の医療や製薬の現場では、その成分の抽出と患者への投与ばかりに目が行ってしまっている。漢方はその成分が複合されている状態だから効くのかもしれない。あるいは有効成分が働く部位とは別のところに、体のバランス(≒パターン)を変えることで影響を与えるものなのかもしれない(これは鍼灸の遠隔的な作用に基づく想像だ)。西洋医学のパラダイムのままでは東洋医学は理解できないし、もしかしたらいずれは同じ結果に辿りつくのかもしれないが非常に遠回りをすることになるのだろう。
以上のように、西洋科学はそのパラダイムに非常に固執しているのであり、そしてそれは現代の私たちも同じなのである。私たちは共通のパラダイムに乗って通常科学を日夜営んでいるのであり、別のパラダイムに乗ったものは方法論や専門家集団がどれほどしっかりしようとも排斥する。このようにして科学/技術というのはその存在を確たるものにしているわけである。


以上のことをまとめると「科学とは、科学的方法論を順守し、専門家集団として社会に認知され、みなと共有するパラダイムに乗って行われる営為」ということになる。これを踏まえて科学/技術とはどう付き合うべきか、私なりの考えを以下に記したい。
まず、私たちは西洋科学パラダイムに乗っていると自覚することから始めるべきだと考える。少なくとも科学/技術に対しては、私たちは近接作用を軸とした西洋科学の様式に則った説明を求める傾向にある。であるならば、その立場にあると常に意識しながら、自分たちの支持や批判が正当であるかどうかを吟味しなければならない。
次に、パラダイムが異なるものに関しては、思考様式がまったく違うのだと認めるべきであると考える。特に西洋医学と東洋医学の関係は、このままでは残念なことになるのではないかと心配する。確かに私たちは他国の言語を学ぶとき、母国語ならどう言うのかと考えてしまいがちだ。しかしその言語をマスターするには母国語を基盤にしたままでは理解できない。ずっと辞書を片手に東洋医学の翻訳を続けているのが、現在の西洋医学なのだと感じる。
最後に、方法論、集団、理論によって科学/技術が自らを成り立たせていると自覚すべきだと考える。今はまだ批判ばかりの時代だが、いずれは科学/技術の成り立ちをもきちんと理解して、支持するか否かを考える時代になると思う。どうにも出てきた結果ばかりに逐一反応して賛成や反対をしているように思えてならないのだが、方法論に間違いがあったのか、組織内の手続きに不備があったのか、そもそも理論や思想体系に誤りがあったのか、そのどこに注目しているのかに関して自分の立場を明示すべきではないだろうか。
震災以降、科学/技術そのものの在り方を問う気運が起こった気がするのだが、いつまで経っても日本における公害のような、結果に対する企業や国への批判ばかりが先行しているように感じる(それはそれで重要なのは認めるが)。大きな転換点になり得たはずのものを逃さないよう、私たちが一体何を意識しているのかを再度見つめ直すべきだと感じる。その最も大きなものとして「科学とは何か」を、ここで改めて記すことにする。
by zattoukoneko | 2014-01-01 19:29 | 社会・経済 | Comments(9)

何故西洋科学が覇権を握れたか~中国科学との比較~

近代科学は西洋由来のものを指しますが、自然の認識体系という意味での「科学」はあらゆる文明圏にあったと考えられます。しかしながら世界中に広がり、覇権を握ることができたのは西洋科学のみでした。一つの見方として西洋科学は普遍性、ないしは汎用性を獲得することでそれを為し得たのであり、他の科学は独自な領域で留まったと言うことができるでしょう(他にも地理的な理由などに帰着させる議論もあります)。
ではどこに覇権を握る要素があったと考えられるでしょうか。様々な文化圏における科学活動の在り方に関して研究されていますが、ここでは最も盛んに調査が行なわれ、また西洋とも歴史的に並べることが容易な中国科学を取り上げながら(残念ながら量が多くなってしまうため詳述はできませんが)見ていきたいと思います。


一つには数学的言語(もしくは人工言語などとも呼ばれます)が科学に使用されたことが大きかったと考えられています。これに関しては「数量化革命」と名前も付けられ研究がなされています。精神史となりますがクロスビーという方が書いた『数量化革命』が有名です。
クロスビー著『数量化革命』の内容を簡単に説明しておきます。著者の主張は西洋社会が覇権を握るに至った理由は人々の世界観が数量化することによって起こったのだというものです。第一部では必要条件として数量化(メートル法の制定などにより体など個人によって差が出ない尺度が決められ、その絶対的な数値によって計測がされるようになる)が進められていくことを挙げており、第二部では十分条件として視覚化(製図などに数量化によって絶対的なものになった数値・尺度が使われるようになり、また図を描く際にもそれらを意識するように技法が変わっていった)が挙げられています。つまり数量化がまず起こり、実際にそれが計算や計測だけでなく、製図や絵画からも見い出せると主張することで一般の人も数量化された世界観を手にしたと論じているわけです。
確かにTO図などを思い起こすと、世界地図をしっかりした計測でもって描くようになったのは大きな変化だと思われます。日本でも世界地図を輸入したという話がありますが、それだけの説得力を持ってもいた。そしてそうした変化の素地に「数量化」があったということなのです。
科学にも数量化の波は押し寄せてきており、クロスビーも取り上げている製図や、原子量の特定などに重要な役割を果たしたと言えるでしょう。
一方で中国科学では数学的言語は用いられませんでした(ただし一時期はある程度の「数量化」は起きています。けれどすべての時期ではなかったし、また徹底されたものでもなかったとは言えそうです)。中国科学では言語の特性が認識に大きな影響を与えたと考えられます。最も分かりやすいのは陰陽の捉え方。「陰」に分類されるものは口を開かずに発音するもの、「陽」に分類されるものは口を開いて発音するものと区分されています。例を挙げると基本の陰はYīnで、陽はyángとなります。また女Nǚと男Nánの区別や、地Deと天Tiānも発音によって分かれている。このようにして世界の構成を認識・把握する際に言語の特性が大きく関わってきた。このことは中国科学が劣っていることを直ちに指すものではありません。言語というものは世界の把握と密接に結びついているのが通常であり、それによって体系付けられた世界観も正しいと言える。けれどその言語がわからなければその科学は地域特有のものとなってしまい、西洋科学のように覇権を握るほど世界中に分布することは出来なかったということになるのです。

さて先の数学的言語のところでも少し出てきましたが、製図などに見られる存在と認識の結び付きも大事です。
目に写る対象を精密に描写することは高級職人と呼ばれる芸術家によって達成されていきました。ギルド的な徒弟制度から抜け出し、宮廷の庇護を受けながら活動したので中世の芸術家と区別してそのように呼称されています。レオナルド・ダ・ヴィンチなどがこの高級職人です。高級職人は精密な絵のために解剖に実際に立ち会って自分の目で対象を確かめましたし、また描画する際にも数学(幾何学など)を取り入れていきました。有名なのは透視図法(遠近法のこと)ですね。これによって被写体と描き手、あるいは被写体同士の絶対的な距離を平面に表わすことが出来るようになりました。
さらにフランス革命後の動乱の時代に技術者養成のためエコール・ポリテクニクが設立されます(この辺りは以前書いた第二の科学革命 の中でちらっとだけ触れています)。エコール・ポリテクニクは技術者養成機関でしたが、モンジュが中心となって科学と技術を一貫して教えるようなカリキュラムが組まれます。また高級職人が半ば独占していた製図法を整え画法幾何学として基礎教育の中に取り入れます。画法幾何学は重要なことに設計図を描くという習慣を生み出します。むしろそれ以前まで設計図なしで建築物や道具は作られていたということが驚きですね。前は「設計図」は絵画がその役割を果たしているか、あるいは職人が弟子たちに口頭で教えていくのが通例でした。しかし(今では私たちも小学校で習いますが)正面・上・横から平面で捉えて図を描き、その際には長さなどもきちんと記入をするというのが始まったのは18世紀も終わりになってからのことだったのです。
設計図はその後の技術躍進に大きな役割を果たします。一つは標準化することで部品に互換性を持たせることが可能になりました。例えば以前は砲弾ですらそれぞれの大砲によって大きさがまちまちで、大砲が壊れれば残りの砲弾は一切使えなかった。それを統一することができるようになるために詳細な寸法の書かれた設計図が重要な働きをしたのです。この標準化の技術は西洋では廃れていってしまうのですが、米英戦争を経験したアメリカがこれに目を付けます。そして国として敷地と莫大な資金を投入することでアメリカン・システムと呼ばれる生産体制として確立させていくのです。また部品が交換可能になったということは、それぞれの部品を別々に作り、後から組み立てて製品を仕上げるという分担・流れ作業が可能になります。これがフォードのT型車となって大量生産が誕生するのです。(この歴史については“標準”の哲学―スタンダード・テクノロジーの三〇〇年 (講談社選書メチエ (235))にとてもよくまとめられていて読みやすいです。また詳細に論じたものとしてはアメリカン・システムから大量生産へ 1800‐1932があり、最初は銃火器から始まったものがシンガー社ミシンに取り入れられて完成していく様子が描かれています)
このような設計図は中国にはなかったとされています。建築物として優れたものもありますが、西洋の技術書を翻訳する場合にはそのメカニズムは文字通り雲などで曖昧にされていたり、滑車同士が繋がっていないことも多々あります。これはその機械装置を実際に製作していないか、あるいは作ったとしてもそれを紙にきちんと描けなかったことを示していると考えられる。また中国で作成された『設計図』を見てみると建築物を見たものをそのまま潰すような感じで平面の紙に描いている。これは西洋とは違って対象を認識する際に、数学的な要素が入らず、人の意識が大きく介在していたことを示していると見做せます。そのため他人に伝達する術としては西洋で発達した設計図の方が優れていたとされます。

このように数学による認識の絶対化が西洋科学がその他の文化圏に広がる上で大きな要素だったと考えられています。
しかしながらこれに対しては反対意見もあります。以下ではそれを紹介しましょう。
中国における建築物の『設計図』ですが、これはきちんとその役割を果たしていたことがわかっています。現代の私たちは小学校の頃から正面・上・横を別々に描く見取り図(あるいは遠近法を用いた西洋由来の絵画)に慣れ親しんでいるので違和感を覚えるのですが、中国の『設計図』はある観察点から見た対象を“そのまま”描いているのです。ですから建築物の正面だけでなく脇も当然見えていて、それを紙に描くという自然な行為をしている。また西洋のように絶対的な尺度でもって長さを記入することはなかったけれども、図はきちんと描かれており、別の場所と比較することで長さを知ることができました。ですので建物を建てる場所と観察点、そして基準となる物の長ささえわかれば他の人にも十分伝わる内容となっているということです。
また中国ではないですが他の文化圏では特殊な文字を用いて計算や記録をしていた例があることもわかっています。有名なのはインカ族のキープというものです。インカ帝国には私たちが文字と言われてイメージするものは存在していませんでした(そのためどのようにして栄え、文明を築き、そして衰退していったのかがなかなかわからないのです)。インカでは紐によって記録を行なっていました。簡単なものでは結び目で数字を表わすというもの。さらに複雑になるとこの紐をいくつも組み合わせ、また染色することで対象を指していたと考えられています(ここの記述だけではわかりにくいかもしれません。画像はいくつものサイトで見れるようですのでそちらでご覧ください。かなり大がかりなものです)。このような記録媒体を「結縄文字」と呼び、日本では藁算というものが戦後も沖縄で使用されていました(参考全国竹富島文化協会HP内竹富の文化・藁算 )。これらは数字の計算だけでなく様々な情報を伝える手段として使われていたと考えられています。残念ながらキープの解読はまだ途上であり、どの程度人の意識から乖離した数学的言語となっていたかに関しては断言できませんが、言語の性質だけに西洋科学が覇権を握った理由を帰着していいのか疑問を呈することができそうです。少なくとも『設計図』のことも合わせて考えるとクロスビーの述べているほど強くは主張ができないかもしれません(ただしクロスビーの主張は説得力のあるものでもあり、それを踏まえた上でどのような切り口を探れるかを考えるのがよいでしょう)。


大分長くなってしまいました。今回は数学的言語を中心に二つしか話題に出せませんでしたが、この他にも機械論の誕生に理由を求めたり、科学的な方法論、制度化に注目する考えもあります。おそらく西洋科学が覇権を握れたのはこれらいくつもの要素が重なってのことなのでしょう。
また地理や社会構成に原因を求める論もあります。有名なのはチポラ著大砲と帆船―ヨーロッパの世界制覇と技術革新でしょう。これは大砲の技術革新を大きく取り上げ、大航海時代がどうして西洋からなされたのかを論じるものです。ただし西洋ほどではありませんでしたが中国でも大航海時代がありました。明の時代に行なわれたアジア・アフリカへの遠征です。これは実際に成功を収めていたのですが、財政難と国内の動乱によって外洋への航海が禁じられてしまいます。船も外海用と内海洋では大きさや構造がまったく異なるため、遠征用の船は製造できなくなったというのも大きな要因だったと考えられます。

ということで今回はやや中途半端ですがこのくらいで。先ほど述べた地理の話や技術の側面から見た場合というのはいずれやるかもしれません。あるいは科学知識の体系として中国は理というもの(英語にするとややわかりやすいのですがパターンとなります)を使っており、自然現象を波形として捉え、分類していました。この話も面白いかと思いますのである程度まとめられそうだったら改めて書くことにします。
by zattoukoneko | 2012-05-08 14:27 | 社会・経済 | Comments(1)

いつまで『被災者』やってるのさ!

今回のブログ記事は人によってはイヤな思いをさせることになるかもしれないし、反感を買うかもしれません。問題はそんなに単純な話ではないですから。ただタイトルの通りいつまでも『被災者』をやっている方が多いように感じるし、他の方ともお話をしていく中でそれこそが一番の問題ではないかと意見が一致しました。そしてさらには「どう被災者ぶっているのかわかっていない」ことが問題を深刻化させているような気がします。今回は東日本大震災に関して取り上げますが、他の例でも同様で、自分が『被害者』だったり『被災者』であることを受け入れることは実はとてもつらいものです。まだ『被災者』であることに気付いていない人に、そのことに気付いてもらいたくてあえて傷を抉りにいこうと思います。ですのでもしかしたら多くの人が今回の記事を嫌うかもしれませんが、少しでも何か思うところがあるという人がいたらその人の役には立てるかもと考えています。

まず括弧付きで『被災者』と表記したものとただ被災者と表記したものとでは意図するところが異なると断っておかなければならないでしょう。後者は福島・宮城・岩手や茨城・千葉など、震災によって物理的に被害を蒙っており、自治体などがそれを証明する人と限定しています。一方で前者は震災によって精神的に影響を受けた人のことを指し、特にそれによって生活が乱れてしまった人として私は考えています。実はこの精神的に参っていることに気付けていない人がとても多く、それと社会の動きを混同してしまって切り分けが出来ないために生活が乱れてしまっているという問題があります。
実は私自身も『被災者』をやっていましたし、今でも無意識に戻ってしまうことがあります。これに関しては何度かこのブログで書いてきたことです。私の症状は運良く以前から面識のあった専門のセラピストによって発見され、現在でも時折相談をすることで先述の“切り分け”を続けています。
『被災者』になると何が問題なのか。生活が乱れるとはすでに書きましたが、より直接的にはずっと『被災者』を演じ続けてしまうのです。被災していると思っていたらいつまで経っても元通りの生活には戻れません。当然のことです。時間が経って物理的に復興すれば精神的にも余裕が出来て『被災者』ではなくなるということもあり得るでしょうが、この度の震災は日本全土に『被災者』を生み出したと思いますし、となれば誰が復興をするのかという話になってきます。したがって被災地の復興を妨げているのは『被災者』であるというのが今回の論点であり、そこから脱却しようという呼びかけが主旨となります。
以下では各節ごとに具体的な話にも若干触れます。注目されている原発の問題や電力不足の話などがそれに当たりますが、主旨が自分たちの精神面と生活をどう『復興』させるかにあるため詳述はしません。またそのことを深く知ろうとする姿勢はよいとしても、原発の再稼働を急げ(あるいはするな)、瓦礫を受け入れろ(受け入れるな)と声高に叫んでいる人たちには「バカじゃないの?」と言うのがむしろ今回の目的です。言葉きつめではありますが、普段からそのような活動をしていなかった人たちがそれを急にやることこそが『生活の乱れ』であり、『被災者』をやっている証拠だからです。本来の意味での復興や認識の変化はこのような『乱れ』では成し遂げられないのだということを各節では述べていくという流れになります。


震災においてはまず地震と津波が人々に大きな被害をもたらしました。先日も日本ではないものの大きな地震があり世界中の人がその被害が大きくならないかと肝を冷やしました。
3月20日にはM7.6の地震がメキシコを襲いました。メキシコの地震では1985年のものが有名でしょうか。直後は崩壊した建造物の耐震性が低かったのではないかとされましたが、その後続いた大きな余震による長周期振動によって建物の支柱が崩れたと今ではわかっています。この度の地震でも数百戸の建物が壊れましたし、余震が続きました。4月12日にもM7.0の地震が発生しています。
11日にはインドネシア、スマトラ沖でM8.6の本震とM8.2の大きな余震があり、二つの津波警報が発令されました。2004年スマトラ沖地震ではM9.1の地震が発生しており、この際にはインド洋全体に広がった津波によっておよそ22,000人が死亡したとされる大惨事でした。マグニチュードこそ差はあるものの、この津波によって大きな被害が出るのではないかと懸念され、震源地の近いAcehにはすぐに救助隊が派遣され高台への避難支援が行なわれました。幸いなことに津波はそれほど大きくはならず、そのため被害も心配されたほどのものにはなりませんでした。「どうして今回は津波は大きくならなかったのか」は科学雑誌が記事にしています。今回はそこまでは踏み込みません。
地震に関してはメカニズムがほとんどわかっておらず、予知することは不可能だろうとする専門家もいます。地震の事例は大規模なものとなると少ないですし、かといって小規模なものによる影響まで考慮するには地球内部のことがわからなさすぎるという感じなのでしょう。まだまだ地震学は事例を集めてそのデータを見つめる段階にあり、決定的な理論を打ち出すのは先のことになりそうです。なお一例として近年の大地震には繋がりがあるのかを大まかに論じたNewScientist誌の記事をご紹介しておきます。The megaquake connection: Are huge earthquake linked?
本題に入ります。地震が発生すれば誰でも怖くなるものです。ですが東日本大震災以降、日本人の多くがそれに鈍くなってしまっています。一年ちょっと前だったら震度3の揺れを感じたら大騒ぎだったことでしょう。ですが現在では震度3を当たり前のように思い、あるいはもっと大きな揺れが発生しても冷静にテレビやラジオ、ネットでさらなる被害がないかを調べたりします。その上で友人に「津波の心配はないそうだよ」などと教えてすぐに普段通りの生活に戻ったり。けれど私たちは専門家ではありません。あるいは報道関係者なら冷静に行動し、情報を視聴者に伝える役目があると言えるかもしれません。ですがそれを何故一般の人がやってしまうのでしょう? あるいは震災から一年を迎え各テレビ局が特集を組みました。それに過剰に反応し「まだ苦しんでいる人がいるのだからそんなものを視聴者に見せるな」などと苦情を入れたり、「つらいので見る気になりません」と公言したり。結局それらも一種の『被災者』になっているから起こる反応だと考えられます。目の前まで津波が襲って来たような地域の方は実際に津波の映像を見るのがつらいでしょう。あるいは情報収集に敏感になり、地震が発生しても一切の動揺なく行動することでしょう。ですが東京や関西からそのような反応が出てくるのは何故か。悪い方向で被災者と自分たちを重ねて『被災者』をやってしまっているのだと考えられます。これは心の傷であり治されるべきものです。ですから「つらいから」というのは本当の気持ちであって、そのような方に無理矢理テレビ映像などを見せるのは間違っています。けれど自分たちは被災者ではないという切り分けが必要です。少し突き離した言い方に聞こえるかもしれませんが、東北での地震や津波はその他の地域の人にとっては他人事です。それを気持ちを重ねてしまって怖いと怯えたり、普段通りの生活ができなくなっては今後同じような被害に遭ったときに対処が難しくなる。自分の傷は自分の傷として、被災者の傷は傷として厳然と分けておくべきでしょう。
なおこの話はすでにここのブログでも多少触れています。東日本大震災によって阪神淡路大震災を思い出し(隠れていた)PTSDを発症してしまった方が数多くいるようです。実は私も似たような状態で、阪神淡路を経験しているわけではないのですが地震に対して過度の防衛反応が出てしまいました。状態としては地震などがあると瞬時に気持ちを押さえつけて機械のように情報集めしてしまうのです。先に書いたインドネシアやメキシコの地震に関しても実はそのようにして集めた情報。まったく場所が違うのだから慌てて情報集めしても限度があるのですけどね、やらないといけないという強迫観念に駆られるのです。これに関しては専門家に付いてもらって何と混同しているのか切り分け作業をしている最中だったりします。


さて次に原発や電力不足の問題です。今夏の電力はほぼ全国で電力が不足する見通しと経産省が発表しています今夏の電力需給と当面の見通しについて(PDF) 。現在の日本は電気を使って生産活動をし、経済を回しています。西洋では11世紀頃に水車による産業革命、18世紀頃に蒸気機関を用いた産業革命が起きました。水力か火力(蒸気)に拠るかは別ですがこれは工業機械の動力として歯車を回すことで人力よりも大きな力を手にすることができたために起こったものです。これにより水車や蒸気機関のあるところを中心に工業地帯が形成されました(補足すると「都市」の形成は鉄道の登場によってでもっと後のことになります。町は時報を鳴らす鐘の音が響く範囲まで広がるというのがそれ以前のもの)。これが現在のように人の住む場所が広がると電力網によってその生活が支えるようになってきます。これは同時進行で会って電力網の発達により人の住める地域が拡大したとも言えることではあるのですが。いずれにせよ電力と切り離せなくなっているのが現代の生活だと言うことができます。工場などは一度停電すると機械の再稼働に余計なロスが生じますし、また産業が複雑化しているために「納期」などもあります。あるいはもっと至近な例では病院の設備はどうするのかという問題があります。生命維持装置などが止まれば患者は亡くなりますし、手術なんかも難しくなる。あるいは電気も点かない暗い病院内で注射器を打たれることを想像するだけでもどれだけ不気味かわかると思います。
このように電力に依存する割合が高い現代社会は見直されるべきなのかもしれません。ですがそれは一朝一夕でできることではない。産業の形態を大きく変えていかなければならず、かつ拡大した人の住む場所に生活するエネルギーを届けるネットワークも必要です。情報を如何に早く伝えるか、電気の速度に勝るものはそうそう出てこないでしょう。
そのように考えると少なくとも目先の原発再稼働は必須のように思えます。原発がなければ夜間の揚水発電もできませんし、半ば放棄されている火発を稼働させ、それを続けなければなりません。それは難しいことですし、危険でもあります。燃料の問題もある。少しドキュメンタリー風味にし過ぎだとは思うのですが、動画で見れる一つの例として中部電力が公式HPで掲載した緊急稼動せよ!武豊火力発電所 電力安定供給の舞台裏についてをご紹介しておきましょう。
ですがここであえて私は原発再稼働の是非の議論は脇に蹴り飛ばすことにしたいと思います。今までの文章で少し触れてきて、社会がそんなに単純ではないことは分かったかと思います。原発の再稼働に関しては政治も経済も、そして地元の人たちの感情も絡み合う。その複雑なものをコンセンサスを得ながらどうしていくのか決めるのが政治家や専門家の役割です。一般の人間として私たちもそこに関わっていますが――ここで本論の主旨に戻るのです。自分の生活を壊してまでやって何が得られるのかと。
今一度少しの間だけ詳細に戻ることにします。今年の4月1日から食品に対する基準が新しくなりより厳しいものになりました。以前は500Bq/kgだったものが100Bq/kgとなったのです。よりよい基準が設けられるならそれに越したことはありませんが、しかし福島の特に放射性物質の残りやすい海で仕事をしている漁師の方々は廃業に追い込まれかねない事態となっているようです。彼らも生活をしなければなりません。ならば漁ができないなら他の仕事を探さなければならない。あるいは漁が再開できるまで貯金や支援を受けて耐え忍ぶしかない。これが現実的に直面している問題です。
また福島第一の事故で東電は損害賠償を行なっています(東京電力 原子力損害に対する賠償について )。あるいは地方自治体や企業、学校でも被災者の支援を行なえるように様々な手続きの案内をしています。ですが――ここで発行されるものを見てみるとわかりますが気が遠のきかけるほど煩雑です。これをどうにかしないといけないというのが被災者の現実の問題なのですが、それは普段の仕事や生活とはかけ離れているし、また期日を設けられると一気に『義務』という印象になってしまって身動き取れなくなってしまうという問題が発生しているようです。あるいは普段の生活を忘れてそうした事務的な仕事にのめり込んでしまうタイプの方もいるとか。私の両親も実は被災者なのですが後者の『被害者』をやってしまっています。そのために余裕がなくなって周囲の人を見れなくなっていく様は関係する人にはつらいものがありますね。それに釣られて余計な悪循環を引き起こしやすいです。
私の言わんとしている『被災者』の直面する問題というのが何か多少分かってもらえたでしょうか。現実に生活できるかどうかがわからないという事態をどうにかしないといけないのにもかかわらず、「被災したことによる各種手続きをやれだ」、「電力不足が起こりそうだ」、「原発の再稼働はどうするんだ」と言われても余計に苦しむだけです。もちろん東電も被災者ではありますから同じように『被災者』になる可能性は高く、それが資料の煩雑さなどを招いているのではないかと分析する方もおられるようです。またこのような反応は瓦礫処理の問題に顕著に出ている気がします。瓦礫というのは家屋が震災の影響で壊れた際に出たもののことです。福島第一近辺の瓦礫は当然持ち出しませんし、他の地域でも慎重に放射性の検査はしていますが、それでも「地元住民の同意が得られるか……」と及び腰になってしまう地方自治体。住民の理解を得るのは当然必要で、ならば説明会を何度でも開くことがやるべきことなはずです。ですが条件反射のように反対なり保留としてしまうのは各自治体も『被災者』をやっているということなのでしょう。


長くなりましたので「今回は原発のリスク(=安全)と住民の求める安心の違い」や「再生可能エネルギーへの取り組み」の話などは割愛することにします。
ただ私の主張はみなが『被災者』をやっていてはいつまで経っても復興は成らないだろうというこうことです。『被災者』の反応として現実逃避を続ける、何か(それがカルト的なものであることもあります)にのめり込む、他人に対して攻撃的になる(政府や東電を目の敵にするなど)などがあるようです。
心の傷であればそれは防衛反応として仕方のないことなのかもしれません。ただとても多くの人が『被災者』になっていて、それは政府や自治体、東電、メディア関係者、市民活動家もそうである可能性が極めて高いということは一度頭に入れて欲しいことだと考えます。そして自分自身はどうなのかも考えてもらえればと思います。
自分が『被災者』として傷を負っていて、それによって何らかのアクションを起こしているのなら、それは震災やその後の社会の動きからは切り離すべきです。自分たちは何らかの専門家であり、それに従事して仕事なり勉強に励んでいるということを軸に据えて動ければ、もう少しこの複雑な事態を乗り切る余力が出てくるのではないかと考えます。
研究者の方でもすでに“自分の仕事として”新しい社会を構築するための動きがあります。それを見聞きして勉強することも大事でしょうが、『被災者』として偏った見方をしている人が散見されます。これは研究者の側からすると良くない傾向に思えるでしょうね。自分たちが本当に震災に向き合うというのはどういうことなのか、今一度考える時期が来ているのかもしれません。もちろんそれをすることで動けなくなるほど苦しくなるというのならまだ無理をすべき時ではなく「休息」を取るべき時期なのでしょう。それも震災と向き合う行為の一つかと私は考えています。
by zattoukoneko | 2012-04-17 18:25 | 社会・経済 | Comments(5)

ゲームは人を凶悪犯罪犯にするか

コンピュータゲーム(以下「ゲーム」と表記)の残虐描写が時に人を凶悪犯罪に走らせる危険性があると語られることがあります。今では非常に多くのゲームが出回っており、この言説はほとんど説得力を持っていないかのようにも思えます。しかし一方でCEROなどの推奨年齢基準も設けられ、メーカー側でも年齢の低い子供に残虐シーンを見せないようにする配慮が取られているというのも事実です。
では本当にゲームで人は犯罪者になるのでしょうか? このことを今回は考察してみようと思います。


多くの否定論者が言っているのは「ゲームで犯罪者になるならみんななっている」とか「映画やドラマ、小説、あるいは漫画やアニメの影響でもなるはずであり、そちらの影響が大きくなるはずであるが、そのような傾向はない」というものです。ある程度納得はしますが説得力に欠けます。人によってゲームやその他のものから受ける印象は異なりますし、統計もきちんと取られてはいませんから(どのようなゲームや本に親しんできており、それと相関関係が見られるかどうかをすべての犯罪者について調べるのは難しいことです)、見落としをたくさんしている可能性があります。
私が似たようなものでありながらとても説得力があると感じたのは、確かNHKで今回と同じ問題について討論しており、様々な論者や親御さんから代表として質問を受けることになった『バイオハザード』のディレクターである三上真司さん(だったと思うのですが、当時の映像が手元になくて確かめられていません。間違っていたらすみません……)の言葉でした。それは「ゲームによって凶悪犯罪が助長されるという可能性はある。しかし一般の子供たちがバイオハザードのようなゲームをやっても犯罪者になることはない。助長され得るのは元から犯罪を起こす要因を持った子供が手にした場合である。これは小説やテレビ番組でも同じことが言えるだろう」というもの。この発言の瞬間、ゲームを批難していた人たちが黙りこくってしまったのも印象的でした。三上さんの立場は「ゲームも犯罪をより凶悪なものとする可能性がある」ことを認めながらも、「犯罪を起こす動機は別にあるのであり、ゲームにのみそれを求めるのは筋違いではないか?」ということになるかと思います。これはまだまだわからない要因があるものであるし、だから自分たちの非をある程度認めつつも、それのみを第一要因とするのは他の大事なものを見逃しているという鋭い指摘をしたものだと感じます。実際の成立経緯はこれとは直接の関係はありませんが、このような流れを汲みながらCEROなどの審査基準が出来ているとしたら、それは消費者にとってもメーカーにとっても良い作品を作る上でとても重要な働きをしていると言えそうですね。
なおこうした偏見が一番大きくメディアに出てしまったのが1988年頃に起きた宮崎勤による幼女連続殺人事件(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)だとよく言われています。宮崎氏は自宅に数千ものビデオテープを所持していましたが、報道では「ロリコン、ホラーもののビデオがたくさんある」と伝えられてしまいました。しかしその類のものは全体の中でもごく少数であり、過大な報道の仕方をしてしまった例とされています。ただしこれらやその他のビデオテープをたくさん所有していることが何の影響も与えなかったと言えるのかどうかは現在でもはっきりとしたことは言えないのではないかと思います。なのでこの例だけを持ち出して「影響はない」とするのもやはり誤りではあるかなと感じます。


さてゲームが脳に与える影響、つまり直接身体に悪影響を与える可能性はないかということも研究されています。ゲームは光刺激が他のものより強く、また音声もついています。また自分で操作をするという点もドラマなどとは異なる。これらのことからゲームの影響を探ろうというのが一つのテーマとなっています。近頃ではNintendo 3DSが幼い子供には危ないとされる研究が出され、任天堂がそのことを伝える方針を打ち出しましたね。
残念ながらゲームが実際に脳に影響を与えるかどうか、確定的な研究結果は出ていないように感じます。しかし発育途中の子供が長時間プレイした場合は脳の委縮につながるなどの研究論文も提出されており、まったく影響がないということはなさそうです。この辺りの研究は今後も進めてもらい、ゲーム会社などに指標の一つとして取り入れてもらいたいところです。
一方で脳に影響があるとして、これだけに犯罪の原因を押し付けるのもまた問題でしょう。実際の統計が出ていないとしてもゲームをやった人の大半が罪を犯すなんてことはないのは自明です。ですから犯罪抑止という観点からすれば他の要因との繋がりも考え、ゲームはどのように制御されるようにしていくべきかを考えるべきでしょう。


なおゲームには良い影響もあることはわかっています。たとえば「東大合格者の多くがゲームを好んでプレイしている」とか。ゲームは脳を使う遊びですからそれによって知能の強化が望めるのではないかという声があります。ただし先の「東大合格者の~」は注釈を付けなければならなくて、ただゲームをしているわけではなく、その攻略法を自分なりに考えている人が多いと述べておきます。つまり彼ら彼女らはゲームを通じて一種の『研究』をしているということ。その中で他の人より優れた思考能力を身に付けていっているようです。例を挙げるとレーシングゲームでコンマ一秒以下のタイムを更新するために、その効率的な走行ルートを考えるなど。単純に最短距離を走ればタイムが短くなるわけではなく、この辺りが難しい『問題』となっているのでしょうね。
こうしたことを考えるとゲームが犯罪の一因になり得るというそれだけで排除しようとしてしまう動きは駄目ではないかと感じられます。ゲームだけでなく他のものもそう。インターネットなんかは嘘や害になる情報がごろごろしていますが、使い方を間違えなければ自分の知りたい情報をすぐに引き出せたり、あるいは自分がそれまで興味の無かった分野に関心を持つ手がかりになったりします。したがって“どのように付き合っていくか”を今後考えていくべきであり、それを詰めるためにもゲームの与える影響を悪い方も良い方もどちらも探っていくべきなのかもしれません。



ということで最初に掲げた問題に対する明確な答えは出ていませんが、そういう状況にあるからこそ考えるべきことが他にあるのではないかというのが私の立場。その中の一つとしてゲームの影響を考えればいいのではないでしょうか? その基盤が抜けたまま「悪い!」とか「そんなことはない!」と主張していてもあまりお互いの益にはならない気がします。
今回はこのような締め括りでおしまい。なおこのブログ筆者は大のゲーム好きですが、やる時間がないためほとんどタイトルを知らないという。FFXIII-2はやったから記事にできるけれども、求められるのネタばれのような感じがするしなぁ?(←実は結構やってないだろうか)
by zattoukoneko | 2012-03-04 16:59 | 社会・経済 | Comments(0)

2011年ノーベル賞に関する感想(後半)

今回は2011年ノーベル賞で最も注目されるべき事柄について取り上げようと思います。それは受賞した研究内容ではなく、選考過程にある問題となります。
前回の記事でざっと受賞したものの内容に関しては触れました。その折生理学・医学賞で事件があったのです。受賞の発表があった10月4日、その直後に受賞者の一人であるRalph M. Steinmanが9月30日金曜日に膵臓ガンのため亡くなっていたと、所属していたロックフェラー大学から知らされたというのです。
これはノーベル賞の基盤を大きく揺るがすほどのものでした。けれど日本ではそのことはあまり報じられていないようですし、まずは選考がどのように進められるのかを知らない方も多いのではないかと思います。ではまずはノーベル賞の選考がどのように行なわれるのかに関して見ていきたいと思います。


そもそもノーベル賞はダイナマイトの発明者であるAlfred Nobel(1833-96)の遺言に基づいて設立されたものでした。
Nobelは爆発性を持つニトログリセリンを安全に運搬できるようにし、狙った場所を爆破できるようにしたダイナマイトを発明して莫大な利益を得ました。ダイナマイトは元々は炭鉱の発掘を手助けするものでした。しかしすぐに軍事に転用されるようになり、「最も簡単に一度に大量の人間を殺戮できる兵器」と呼ばれるようになりました。さらにはNobel自身も「死の商人」と言われてしまったほどです。
彼は遺言で「自分の換金可能な遺産のすべては、遺言執行人によって安全で継続する基金を設立し、そこから出る毎年の利子を人類の発展に貢献をもたらした人物に分配するものとする」と述べ、1901年に初めて授与式が行われました。ちなみにこの遺言にも書かれていますが各賞に与えられる賞金額の1,000万スウェーデンクローナ(およそ1億円)はすべて『利子』から出ています。なので今後もノーベル財団が潰れない限りは半永久的に続く賞となります。なお受賞者は三人まで同時に受賞できることになっています(平和賞のみ団体での受賞が可能で、他はすべて個人に対して)。複数人で受賞した場合には賞金は山分けです。
ノーベル賞は物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞から始まり、後に1969年から一般に経済学賞と呼ばれるアルフレッド・ノベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞が追加されました。自然科学の分野では純粋研究に賞が与えられることは多くはありません。皆無ではありませんが、それが「人類の発展に貢献」したかどうかがわかるのは大分後になることがほとんどですから、応用研究の方に偏りがちなのでしょう。また数学賞もありません。どうやらNobel自身が私怨から数学者を嫌っていたらしいというのが理由とされています。その代わりというわけでもありませんが、数学の分野ではフィールズ賞やガウス賞、コール賞などがあります。ただし年齢制限があるなど超難関となっています。ノーベル賞の方に話を戻すと、文学賞があるのはNobel自身が文学好きで自分でも作品を作っているためです。おそらく文学との触れ合いが彼の成功と関わりがあると感じていたのでしょう。なお音楽賞や美術賞などがないのはNobelが興味を持ってなかったからです。平和賞に関しては先に述べたようにNobelが軍事に転用されるような発明をし、それによって大量の人間が死んだことに対する後悔と、彼が結婚しようと考えた女性が平和主義者だったというのも理由の一つではないかとされています。
ノーベル賞の受賞資格に関してですが、どこかの学会会員であることなどは必要ではありませんが、必ず受賞者が決定時に生きていることと定められています。つまり今回のSteinmanの場合受賞資格がなかったということになるのです。


故人である場合には選考過程の際に除外されます。しかし今年のノーベル賞では“誤って”すでに亡くなっている人に賞を授与すると決定してしまった。これはノーベル委員会の大きな過失であり、選考過程に不備があったということになります。したがってこれは大問題となりました。実際海外では大騒ぎとなり(日本のメディアはよくわかっていなかったらしくおかしなこと言っていたりしましたが、それについては後でちらっとだけ触れます)、委員会がこの前代未聞の件にどのような決定を下すのかに関してリアルタイムで注意が向けられていました。ちょうどNatureが受賞決定のところから亡くなっていたとわかったこと、そして結局受賞決定は変えないことを決めるまでを一つのウェブ記事として残しています。英文ですが参考までに。2011 Nobel Prize for Medicine – October 03, 2011
ではどうしてこのような過失を引き起こしてしまったのでしょう。少し込み入った話になりますが選考過程がどのようになっているか見ていきたいと思います。


ノーベル賞の候補者は世界各地から推薦状が届くところから始まります。この推薦状をその道に詳しい研究者たちが精査していくのです。とはいっても舞い込んでくる推薦状は膨大な数になるのでそれまでに名前が挙がったことがあるかどうかで大半の人は落とされるのですが。何にせよ推薦状から候補者を絞っていき、その年の受賞者としてふさわしいと考えられる人物を報告書としてまとめます。
この報告書を受け取る場所は賞によって異なっています。物理学賞、化学賞、経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学賞はカロリンスカ研究所、そして文学賞はスウェーデン・アカデミーとなっています。報告書を受け取った時点でその年の受賞者はほぼ決定したも同然で、これが覆ることはまずありません。……カロリンスカ研究所は割と頻繁に拒否することがあるようですが。
いずれにせよこの報告書は9月半ば頃にはまとめられて提出されます。その後若干の選考だけして受賞者の発表となるわけです。

つまり2011年生理学・医学賞でSteinmanに授与させようと報告書が提出された時点では彼は生存していたということなのです。しかし報告書を受け取ってから受賞者を発表する10月3日までの間に彼は亡くなり、そしてそれを知らずにカロリンスカ研究所は受賞者として最終決定したということになるのです。
もちろんカロリンスカ研究所も世界中の研究者の生死をすべて知っているわけはありません。そう考えるとミスがあっても仕方がないとも言えるでしょう。ですがノーベル賞がその規定として「受賞決定時にその人物が生存していること」を盛り込んでいるとなれば、選考はやはり厳密にやらないといけないはず。特にノーベル賞は必ずその年に賞を出さないといけないというわけではなく、翌年持ち越しとして受賞者決定を一年遅らせることもできるのです(受賞年は前の年として記録されますが)。ですから受賞者が亡くなっていたことがわかれば再度選考を行なうことも十分考えられたわけです。
今回は委員会が特例として受賞を取り消さないという決定を下しました。けれど自分たちで設けている取り決めに反する選考および受賞者発表をしてしまった責任は重く、今後はさらに選考をきちんと行なうように変わっていかなければならないでしょう。


さて今回の2011年ノーベル賞はこのようなミスを初日にしでかしてしまい、波乱の幕開けと相成りました。そのせいで他の受賞した研究も霞んでしまったという印象を個人的には持っていたり。
なお選考過程は極秘で行なわれることになっており、受賞の50年後にそれを研究する者に対しては公表されるということになっています。ですから今年の選考過程が実際にどのように行なわれたのかに関してはそれを待って誰かが研究してくれないと確実なことは言えないという。もどかしいですねw
それと日本人の中には「Steinmanが他界していることがわかっていたら他の人が受賞していた可能性もあり、その中には日本人も同じような研究をしている人がいるので~」などと言う人やメディアがありましたが、まあまずないです。先述しましたがSteinmanが亡くなったのは受賞発表の数日前、9月30日でした。ですから受賞者の中から外されることはあり得たかもしれませんが、改めて別の人物をその空いた枠に入れるということはしないでしょう。そもそも受賞者は必ず三人である必要はないのですから。またいくら似たような研究をしていたとしても推薦されていなかったら候補にすらなりません。この推薦があったのかどうか、それは誰からのものだったのかに関しても50年後にならないとわからない話です。ですから日本メディアが「日本人のこの方も受賞の可能性があった!」というのは作り話です。日本から受賞者が出ればいいのにという願望が先走って、選考の実態がどうなっているかは考えずに記事を書いたのでしょうね。



以上で今回の2011年ノーベル賞に関する個人的な感想はおしまいです。まあ選考過程に関して調べた論文とか読むと正直この賞って――おっと誰か来たようだ。
ということでその誰かをさらっと置いておいてみる。今回選考過程の話をしましたが、以前山極勝三郎の話を書いています。この中では選考過程の話よりも日本人にそのような国際的に見ても先行的な研究をしている人物がいて、成果としても正しいものを出していたという点を強調しています。
これを『選考過程の面から』見ると少し変わってきたりします。実は選考自体には問題がなかったことがわかっており、山極はきちんとした理由(科学的にどうかではなく)で落とされています。しかし科学的には山極の方が正しいのだと徐々に判明してきて、それで騒ぎになったというのが実態。特にこの当時の日本医学界は国際的な業績が欲しかったために誇張していたのではないかという意見もあります。
ともかく山極勝三郎の件は『汚点』とは言えそうですが『誤り』ではなかったので注意が必要ですね。

ということでオマケが長くなりましたので、本当にこの辺りでおしまいにしておきましょう。来年はどんな騒動がありますかねー。今から楽しみです♪(ぇ
by zattoukoneko | 2011-10-22 16:54 | 社会・経済 | Comments(1)

2011年ノーベル賞に関する感想(前半)

2011年のノーベル賞が今月の3日から10日にかけて発表されました。
これに関して私なりに注目に値すると思うところがいくつかありましたので簡単にまとめてみたいと思います。長くなるので二回くらいに分けようかと。
なお受賞した各賞の内容についても大まかな説明をしたいと思います。ただここのブログは専門的な内容を扱うというよりは、見ていただいた方に興味を持ってもらいたい・今後目を向けるきっかけの一つになれば、という思いから書いています。ですのでかなりの簡略化をしますし、わざと間違いを含めることもあります。その点はご容赦のほどを。
…………誰だ、書いている本人がわからないだけだろうって言ったのは?!


まず3日にノーベル医学・生理学賞の発表がありました。
Bruce A. Beutler、Jules A. Hoffmann、Ralph M. Steinmanの三名が「先天性免疫(自然免疫)の活性化に関わる発見に対して」という理由で同時受賞です。
免疫という言葉に関してはよく耳にすると思います。「体の免疫が弱っているのかなあ……」なんてよく言ったりしますね。人間などの高次生物の体内では(今回受賞した中で出てきた)「先天性免疫」と「獲得免疫(あるいは適応免疫)」の二つが働いています。
先天性免疫は単純な反応で、体内に異物が入るとそれを退治しようという機構が動きます。有名どころではマクロファージや白血球など。ウイルスや細菌を食べて殺すという単純な動きをしています。これは生まれながらにして備わっている免疫力で、この仕組みが変わることはありません。
一方で獲得免疫は抗体などによって異物を除去しようとするものです。抗体はウイルスなどが持っている特異な化学的性質・構造に反応し、凝集させることで動けないようにしてから排除します。抗体は生物がウイルスなどの異物が体内に侵入してきてから作られるタンパク質です。この『侵入してきてから』というのがポイントで、これは生まれつき備わっているものではないということです。先程も出てきたマクロファージが異物の残骸をリンパ球の一種であるT細胞に渡します。T細胞はこれを解析し、抗体を産生するB細胞に情報を渡し増殖を促します。こうして出来た抗体が体中に回って先天性免疫だけでは退治できなかったウイルスなどの異物を排除していくことになります。ここは数日かかるので(対抗できない場合もありますが)病気を発症してから治るまでに時間がかかるというわけです。
2011年のノーベル生理学・医学賞では先天性免疫という初期に働く免疫機構を活性化する方法を発見した功績に対して賞が与えられたということになります。獲得免疫の抗体などはただのタンパク質ですから、それができた人からもらって他の患者に投与することができます(血清のこと)が、白血球などは個人個人で型が異なるのでその人自身の中で力を強めるしかない。この方法を見つけたということです。
ですから「免疫弱っているのかなあ……」のとき(病気が本格的に発症する前)に早々と治療できるかもということですね。

さてこの生理学・医学賞では大きな事件が発生しました。実はこれが(受賞内容よりも)今年一番注目されるべきところだと考えられるのですが、一先ず他の受賞内容の説明を終えることにしましょう。


4日には物理学賞の発表がありました。「超新星の観測を通じて宇宙の加速的膨張の発見をしたことに対して」でSaul Perlmutter、Brian P. Schmidt、Adam G. Riessの三名が同時受賞です。
宇宙の膨張とか言われると興味がそそられる人が多そうですねw でも「超新星の観測
によって」などと言われてもよくわからないかもしれません。これに関しては英語なのですが講義風に数分の動画で紹介してくれているものがあるのでそちらをどうぞ。アメリカの科学雑誌NewScientistがネット上で公開しているものです。
One-Minute Physics: Nobel-winner theory explained
途中で「八」を横にしたような図が出てくると思います。超新星を観測していて、それと観測者(=地球)の距離が一定速度で開いていくのならば宇宙は変わらない速度で膨張していっているのだとなりますが、このように距離の開き方が大きくなるということは膨張する速度が『加速している』ということになるわけです。


5日は化学賞。Daniel Shechtmanが「準結晶の発見に対して」で単独受賞となりました。
準結晶quasicrystalに関しては馴染みのない方も多いと思います。試しにwikipediaを見てみたら説明もよくわからないものでしたし……。
まず物質の物理的な状態として「気体」「液体」「固体」と大きく三つに分けることができます。気体は分子同士の結合が緩く自由に動き回っています。液体は気体よりは結びつきが強く、部分的に固体に近い構造を取っていたりすることもあります(クラスター構造)。固体は分子や原子が密に結びついており、ほぼその結合状態は動くことはありません。この固体の中にさらに「結晶」「準結晶」「アモルファス(非結晶)」という結合様式があるということになります。
結晶はNaClなどのイオン結晶や金属の作る金属結晶の総称です。高校の教科書や参考書を開いてみると面心立方格子や体心立方格子といった図が載っていると思います。これは立方体の形をしていますね。結晶の定義は周期性と並進対称性を持っているものとなっており、この「並進対称性」があるために結晶は四角いものが基本構造となるわけです。
アモルファスはまったくと言っていいほど規則性を持たない状態を指し、不定形です。金属なども急冷すると時折このアモルファスの状態になります。ただ構造がとても弱いことを利用して、結晶のときとは別の性質を備えさせることもできます。超伝導性などがその一例。
準結晶は結晶とアモルファスの中間とよく言われますが、これは間違いですね。準結晶には結晶のような並進対称性はありません。です規則正しい原子配列は持っています。イメージとしては四角くはないけれど丸っこい単位結晶は作るということです(先程確認したらwikipediaにも写真が追加されてましたね)。ですから回折画像を撮影すると周りに広がっていくような画像が得られるということになります。
ノーベル賞で話題になったこともあってかYouTubeなどにも動画がいくつか出ていますね。綺麗ですので説明はわからずとも眺めてみるといいかと思います。
とりあえず一つだけ記事を紹介。これはさらに「準々結晶quasi-quasicrystal」というものに関するもので、しかも英語ですがいくつか図は載っています。A Quasi-quasicrystal
この発見の何がすごいかというと、まずは基礎研究としてそれまで規則正しい“結晶構造”にはこのような形のものは存在するわけがないとされていたのです。その常識を打ち破ったという点が評価されます。また応用面としては従来の結晶とは異なる形をしているので、それを活用した物材として利用できるのではないかと期待されているということです。まだ世間に広まるような商品はできていないようですが、今後の動向に注目という感じですね。


6日は文学賞でした。スウェーデンの詩人Thomas Tranströmerがその隠喩を用いて神秘的な世界観を描くことを評価されて受賞しました。
1931年生まれですからもうかなりのご高齢。90年には脳卒中で倒れ言語障害を患うも、未だに現役で、日本の俳句や短歌にも関心を持ち、それを取り入れようとする試みもしています。
…………隠喩とか言われても原著読んだことないからわからねぇぇorz
でも日本人の作家も文学賞を獲れない一つの理由として言語の壁が挙げられていますからね。文学賞はわかりにくい。
まあ日本で最初にノーベル文学賞を受賞した川端康成の作品を思い浮かべてみると、正直な感想として物語の構成力でも文章力でも受賞できそうな人はいないように感じますが。今回受賞したTranströmerのように従来の型を備えた上で他の国の流儀をさらに取り入れて自国の文学を発展させようという活躍をしている作家はいない気がします。もちろん日本は日本で発展しているとは思いますが、それは世界的な文学界から見たらローカルな動きでしかないかと。ここから世界的流行になると評価されるかもしれませんが。
なお村上春樹が受賞するかもとは毎年のように言われていますが、選考過程はわからないので実際にどのくらい賞に近いところにいるかは不明。「受賞するかも」というのは現地でノーベル文学賞で賭けが行われており、その配当から見ると上位に位置するからそう言われているというだけです。村上春樹は簡単に読めると北欧諸国で人気なのでそれも配当を左右すしている一因かなと。


さて7日は最も怪しい平和賞! 今回は「女性の権利と女性の安全のために非暴力で民主的な活動を行なったことに対して」でEllen Johnson Sirleaf、Leymah Gbowee、Tawakkul Karmanの三名が同時受賞しました。すべて女性で、動乱の中にあったリベリアなどの治安を整え、それと同時に女性の権利向上に貢献したことが評価されました。
例年に比べるとまともな気がします? 私も少しはそう思うのですが、ノーベル委員会はこの賞をきっかけとして「民主制」や「女性の権利」に目を向けてもらいたいとアナウンスしています。これは大事なことですが問題も含む概念であることを忘れてはいけません。エジプトでは動乱があったばかり。中東でも紛争が続いています。果たしてその土地の宗教や慣習を無視してまで民主主義や女性の権利を押しつけていいものかどうか? なかなか難しい問題であり、こうした捻じれは現代社会に生きる私たちの課題の一つではないかと私個人は考えています。ですから今回のノーベル平和賞も『治安を整えた』というところは評価できるのではと思いつつも頭を悩まされる問題だなと同時に感じていたり。


ラストは土日を挟んで10日に経済学賞(正式名称はアルフレッド・ノベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)の発表がありました。ちなみにノーベル賞を設立するように遺言を残したAlfred Nobelの名前は「ノベル」か「ノベール」、もしくは「ノーベール」と表記するのが音としては正しく、これが広まってきていますのでこちらを使用することにします(Googleの翻訳にAlfred Nobelと入れて発音を聞いてみるとわかるかと。Nobelだけでは「ノーベル」になってしまうのですけどね)。一方で「ノーベル賞」はこれで浸透してしまっていますから慣用に倣ってこの表記で書くのが一般的。……何だか紛らわしいですねぇ。
話が少し逸れました。経済学賞は「マクロ経済学における因果に関するその実証的研究に対して」でChristopher Sims、Thomas Sargentの二名が受賞しました。
…………………………………………どうやってこれを説明しろとorz
ぶっちゃけ書いている本人がわからないので(多少は勉強したことありますけど、人に説明できるほどわかってはいません(涙))



さて締めが何とも情けない感じになってしまいましたが、今回はこのくらいで。ちょうど受賞したものの内容は大まかに触れ終わったかと思いますし。
次回は途中でも触れた今年のノーベル生理学・医学賞であった事件に関して扱おうかと思います。選考過程に関わる話なので予備知識も書かないとですかね? 一応一つの記事内に収まる予定です。
早め早めにupするつもりではいます。そちらがむしろ本題なのでお付き合いできる方はよろしくお願いしますm(_ _)m
by zattoukoneko | 2011-10-16 22:44 | 社会・経済 | Comments(0)

東日本大震災で見直されるべきもの

2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震と、その後の津波や余震などで起こった様々な被害を含めた東日本大震災は、日本だけでなく全世界の人々にとって大きな衝撃をもたらし多くのことを考え直さなければならないと思わせたようです。それだけのショックがあったというのは明らかだと思いますし、一方でそのショックが大き過ぎて『考え直す』ことを放棄してしまった人も残念ながらたくさんいる気がします。
政府や東電、マスメディアをはじめ、様々な企業が批判され、叩かれるだけという事態が多く発生しているようです。実際に問題があってそれを批判することは悪いことではありませんが、その先に何を生み出したいのかを明確にしなければ結局批判している人は他人任せということになってしまい、そしてまた何かしら問題を内包した社会を作らせてしまうことになるのでしょう。
個々の事例を詳細に分析しどのように動いていくか検討するのも大事でしょうが、ここのブログは個別の社会問題を一つ一つ取り上げて論じることを主旨としていませんから、今回は全体として何を見直すべきかを考察してみようと思います。


やはり国際的に見ても大きな関心を引いたのは原発事故とその影響となるでしょう。また日本の原子力関係の連絡系統がきちんと整っていなかったということも大きな問題になっており、これらは今後見直されるでしょうし、汚染状況に関しては今後も注意深く見守られていくことでしょう(特に海外では震災直後チェルノブイリとの比較がなされがちだったのですが、大きく異なる点として海洋汚染が挙げられました。海洋の生態系は未知の部分が多く、生物濃縮や回遊魚がどのように世界各地に広まっていくのかに焦点が当てられていきそうです)。
一方で大きく誤解されたのが『想定外』という言葉が使われている部分で、地震や津波の規模とそれへの備えを怠っていたのではないかという批判が噴出しました。
今後リスク計算に関しては見直しがなされることと思います。例えば日本が被曝に関するリスク評価で使っているものはICRPモデルと呼ばれるもので、これについては内部被曝については正当な評価が出来ないのではないかと支持者内からも随分前から声が上がっていました。これに対し2009年のストックホルム会議でバレンティンという人物がECRRモデルの内部被曝のリスク計算を評価し推薦しました。しかしECRRモデルは過大評価のし過ぎではないかという意見もあり、まだまだ粗の目立つモデルのようです。これに関してはリスク論研究者が当時からすでに意見を交えていますし、今後新しいモデル提出も含めて盛んに議論されていくかと思います。
それと地震や津波の評価に関してですが、新聞などの報道により誤解を生じている人が多いようです。曰く「昔にはこんな大きな津波が発生しているという記録が残っているのに対策しなかったのは何故なのか」というやつですね。これは歴史学ではありますが科学ではないので(これまでの)リスク計算に含まれていなくてむしろ当然と感じます。そもそも地震の予知というのはとても難しく、特に中期・長期予知になるとデータの数が少なすぎてうまくいかないのです。大きく地震予知を分けると「直前予知」「中期予知」「長期予知」があり、直前予知は前兆すべりというものを観測して発表するもの、中期予知は地震計やGPSなどから得たデータを元に数カ月先くらいのものを予知します。長期予知は(後述しますが)もはや『予言』に近い感じのもので歴史史料などから確率を算出したものとなります。
ここでざっとした地震学や地震予知の歴史を見てみます。まず地震の測定に関しては1880年頃から西欧で始められます。これはこの頃に地質学が発展したこととも関係があると思われます。有名なウェゲナーの大陸移動説は1912年に発表されたもので、1960年頃にようやくプレートテクトニクス論などが整備され地球科学が発展したので地震学もそれに併せて盛んになってきます。日本においては1965年「地震予知研究計画」発足、69年「地震予知連絡会」(国土地理院)、76年石橋克彦による東海地震説(これは後に石橋氏本人がその当時の切迫性に関しては過大評価だったと認めています。依然警戒が必要という意見は変えていないようですが)、さらにこの東海地震説を受けて78年には「大規模地震対策特別措置法」、79年「地震防災対策観測強化地域判定会」(気象庁)と続きます。日本は地震予知には莫大な予算を投入しており、94年には70億にもなるそうです。ところが95年1月17日5時46分には兵庫県南部地震という内陸型の地震が発生し、これにより新たな研究の必要性が認識されました。日本各地に震度計が配置されたのはこれより後のことです。したがって集めることのできているデータの量はせいぜい数十年とそもそも少なく、なので予知はとても難しい。99年にはNature誌上にも予知の難しさに関する記事が載り、その後も予知は本当に可能なのかどうかが度々論じられています。
また地質も世界の各地で大きく異なっていますから何度も似たような現象が観測できるわけでもない。メカニズムがはっきりしていないのでまだ決定的な理論が提出できていないというわけです。
それでも今年の2月にはすでに東北で大型の地震が発生する率が高いと発表していたようで、これは当たりました。しかしながら気象庁の発表を見るとわかるのですが、3月9日にM7.4の地震が発生しておりこれを本震であると見做したようです。翌日10日にM6の地震が発生しているのですが、これを気象庁は前日の『余震』と考えられると見解発表しています(平成23年3月10日06時24分頃の三陸沖の地震について (気象庁報道発表資料))。この時点でM9という地震が起こるというような見解はなく、それまで蓄積されていた科学的データから見てもこれほどの規模のものが起こるとは考えられていませんでした。
津波に関しても同じで予知するのは難しいものです。地震の長期予知と同じで「いつか大きな津波が発生するのではないか」と言われてもそれが『科学的』根拠として評価できるかどうかとなると難しいところがあります。古い文献に載っているものを鵜呑みにしていては科学ではなくなってしまいますし。
またここまでは注目を集めていた地震と津波に関して述べてきましたが、原発事故の主因と考えられるのは冷却システムがうまく作動しなかったことであり、何重にも備えていたディーゼル発電機による予備電源が作動しなかったことなどが挙げられています。技術的にはさほど大きな問題ではなく、したがって技術面だけ見れば原発の事故はあまり騒ぐものではないとすら言えてしまいます。
多くの人が今回の原発事故で衝撃を受けたのはその被害の大きさでした。また報道される内容が難しく、理解が出来ないという弊害も生じました。「シーベルト」を過って「シートベルト」とアナウンサーが言ってしまうくらい馴染みのない用語や記号が羅列されましたからね。報道に携わっている人ですら間違えてしまうわけですが、そもそも原子力発電が問題ではないかと考えられるようになってかなりの歳月が経っているのに、最近になってようやく目を向け始めた一般の人たちの姿勢にも問題があると言えるのではないかと思われます。再生可能エネルギーによる発電の研究は随分前から始められており、例えばシャープの太陽光パネルのCMを見た覚えがある人も多いはず。しかし新しく考えられている発電方式には当然デメリットがあり、そして安定した電気需要を望んでいた私たちが既存の発電技術の問題点には目を瞑っていたということになります。実際小中学校の理科や社会の教科書や資料集の中でエネルギー問題はすでに取り上げられている。環境問題を耳にしたことがない人というのもまずいないと思います。それでも電気をよこせというので発電設備を増やした電力会社や対策を講じていた政府が叩かれるだけというのも不思議な感じ。なおこれも誤解している人が多い気がするのですが、基本的に電力会社は発電設備を増やすのが嫌いです。設備を維持するために莫大な費用が必要になるので、結果として電気代を上げなくてはならず、大きな企業・工場は安価な電気を求めて海外に移ってしまうため。一方で原子力発電所を製造・販売している企業は需要があれば売りますし、過疎の進む地方や発展途上国では工場の誘致などが見込めるので安定した電気供給をする発電所は欲しいですしね。


さて、ここまで書いてきた文面は電力会社や政府を擁護しているようにも見えてしまう気がしますが、連絡系統などに問題を抱えていたのは事実でありそこはきちんと批判され見直される必要があるでしょう。その点をきっちりとやってくれるか否かはこれから見ていかないといかない。そしてそれは一般市民の義務だとすら言える。
一方でこれまで国や科学/技術の関係に無関心だった人たちは自省もしなくてはいけないと思います。私たちは科学の恩恵に与って今の豊かな生活を手にしていると“思わされ”がちですが、技術はともかくとして科学によって社会が豊かになった事例というのは数えるほどしかない。にも係わらず科学に大きく依拠した(あるいは科学『も』依拠している)数値計算に頼っているのが現代の社会ということになります。


では科学は本当に信頼に足るものなのかどうか? まず方法論から見ていこうと思います。
演繹法というものがありますが、一例として「太郎君の家では毎朝牛乳を飲む決まりがある→花子さんは太郎君の妹である→したがって花子さんは毎朝牛乳を飲む」というものを考えると、これは正しいと言えます。ですが「あるスーパーで卵を買った→三回連続で買ってきた卵は腐っていた→あのスーパーで扱っている卵はすべて傷んでいるに違いない」は誤りです。そのスーパーにある卵すべてを検査しなければ最後の結論は導くことができません。
ですが科学の現場ではこれが当たり前です。無限回の試行など出来るわけがないので途中で実験や観察をやめて結論としてしまうのです。なお分野によってこの回数は違っています。生物の分野だと一つの実験にかかる時間が長いのでほんの数回でおしまい。しかしその他の証拠や論文からそれは正しいのであると説得力を持たせるのが科学者の仕事です。
これだけ聞くと何だかとても怪しいものに思えてしまうかもしれませんが、実際には科学者集団内部でも議論され精査されるので『説得力を持たせる』は途方もない労力が必要な仕事なのです。その点では安心(?)と言えるかもしれません。

次に歴史的に科学がどう扱われてきたかですが、第二の科学革命 で制度としてどう科学が整備されてきたかを簡単に(……ではないですね、スイマセンorz)触れています。
科学の学会として一番有名なものはロンドン王立協会Royal Societyでしょうが、これは日本語訳では「王立」と付いていますが国王からのお墨付きをもらっただけで運営費などは出ていません。それ以前にある学会は言わずもがな。自然探求を目的とした最古の学会の一つ、アカデミア・デイ・リンチェイ(1603年設立)は自ら植物学をやっていたチェージ公がパトロンになって設立したものだったりします。
国家が科学にお金を出すようになったのはフランス革命後に出来たエコール・ポリテクニクが最初と考えてよいと思いますが、これも革命後に対仏同盟が終結され、一方で革命時に土木技術者が亡命してしまっていたので急ぎで技術者が必要になり、その養成機関として設立されたものですし、カリキュラムを組んだモンジュが基礎教育として科学を導入したことがむしろ大きい要因のようにも思います。
その後も科学者内部からは自国の衰退論が何度も出されますが(パストゥールやバベッジなど)、これに関しては同時期に著名な科学者が輩出されていることもあり様々な思想や思惑が絡んでいたと考えた方がよさそうです。大きな衝撃を与えたのは1851年のロンドン万博でしょう。産業革命を経て活気づいていたイギリスは当時は貴重な大きなガラスと鉄骨で組んだ水晶宮を建造しその国力を世界に知らしめます。多くの部門で賞を獲ったのもイギリスでした。ところが1867年のパリ万博ではほとんど受賞できないという惨憺たる有様に。ここで議論が巻き起こりイギリスではようやく政府が科学教育の状況を調べ始めるという流れになります。
この後研究所(特に大学付属のもの)設立やナショナリズムの高まりがあるのですが、純粋科学に国家が大きく関わるようになったのは1911年のカイザー・ヴィルヘルム協会の設立からだと一般的には言われます。同組織は1948年にマックス・プランク協会となり、世界に名立たる研究機関となっています(ノーベル賞受賞者の三分の一はここの科学者とされているほど)。
しかし世界大戦の幕開けによって科学の成果は軍事技術に転用されるように期待されるようになります。第一次世界大戦はChemical Warと呼称されることもあるように、ハーバーの製造した毒ガスが猛威をふるい、しかしすぐに対抗策として防毒マスクが開発されるなど科学者も技術者も動員された戦争となりました。また白人・中流階級・男性の間に流行していた無線技術も戦争に駆り立てられます。愛国心のもとアマチュア(という区別は当時なくRadio Boyなどと呼ばれていたのですが)は戦地に赴き、新聞や雑誌には「Radio Boy」の英雄譚が毎日のように掲載されます。中でも一番有名になったのはAMの発振・増幅技術に貢献し、FMラジオの発明者でもあるアームストロングでしょう。彼の話は第一次大戦後でも子供向けの科学啓蒙書に載せられているくらいです。第二次大戦は言うまでもなく原爆の開発です。
第一次大戦以降、科学者・技術者は企業に取り込まれていくようになります。パナマ運河建設の際にも多くの若い技術者が集められました。RCAでは社長のサーノフが主導してラジオの研究に先のアームストロングが雇われますし(ただし後に離反)テレビの開発にも携わっていくことになります。それと同時期には企業内研究所が設立され基礎研究が重視されていくことに。最初はGEでのホイットニーによるタングステン電球の発明と研究であり、本格化したのはデュポンでのカロザースの66ナイロンの発明。そしてベル研でのショックレー、バーディーン、ブラッテンのタングステン発明と輝かしい業績を企業内研究所は挙げていくこととなります。これが現在まで続く一つの大きな流れと考えられるでしょう。ただし基礎研究から商業化に至る際には数多くの摩擦が生じ、特にカロザースは基礎研究が出来ないことに苦しみ自殺するほどです。
以上で見たように科学は社会に貢献するという言説は『それが技術に転用され軍事や商業において成功を収めた場合』には確かに当てはまりそうです。しかしながらその数はけして多くはなく、また啓蒙家がそれを喧伝し、企業や国家がそれを利用するようになったというのが実態と言えるでしょう。


ここで考えなければならないのは「科学に基づいた社会の上で、それを盲信して生活していてよいのか」ということ。
科学の一つとして医学がありますが、では医学者が社会の福祉に貢献したというものは何があるでしょうか? よく引き合いに出される国民の平均寿命の延びは栄養状態がよくなったことと衛生管理の徹底に依るものが大きい。世界の食物を増やしたのはハーバーらの窒素固定法によって窒素肥料がたくさん作られるようになったことであって化学からの貢献、衛生管理はパストゥールから始まり、コッホと北里による細菌病理学説の貢献と生物学からのもの。もちろん事故で大怪我をしたり重い病気にかかったときは病院に行くことを勧めますし、医者は何もしてくれないのだなどと言うつもりはないのですが、果たして国が躍起になるほどの価値があるかどうかは疑問が残ります(ちなみにアメリカでは医師が給料の値上げを求めてボイコットをしたことがあるようですが、これは失敗に終わっています。理由は単純明快で死亡率が変わらなかったからです)。



さて長くなり、複雑な話なりましたがまとめてみます。
国の政策や企業を疑うことはするのに、科学や技術を疑わないのは何故でしょう?
また自分自身がそれを今まで受け入れていたのに事件や事故があると急に騒ぎ出し、自分たちがそれを認めていた過去を見なくなるのはどうしてでしょうか?
総じて現在私たちが生きている社会は自身も含め歪みのないものでしょうか?

今回の震災は一つのきっかけになるのかもしれません。私たちが身の回りあるものとどう付き合っていくのか、多面的に見ていく必要があるように感じます。そしてその最初は一歩は自分自身の基盤を見直すこと。もしかしたらここが歪んでいるかもしれません。そうしたら物事は正しくは見れませんからね。
by zattoukoneko | 2011-08-21 01:35 | 社会・経済 | Comments(1)

東北地方・太平洋沖地震の発生につきブログ更新を止めております。

2011年3月11日14時46分頃に発生いたしました東北地方・太平洋沖地震の混乱にしたがい、現在ブログの更新を止めております。
記事は書いており、またかなり長い期間続けて書くことになると考えていた企画もあるのですが、いずれにしても状況に相応しくないと判断し掲載を取りやめることにいたしました。

被災地の方々のご無事と復旧を祈りつつ、現在情報が錯綜しているようですのでその注意を呼びかける記事を今回書くこととしました。

まず現時点で報道関係者すらまともに現地に入ることができておりません。また事態が刻一刻と変わっているため、専門家でも完璧な答えを述べることができないようです。しかしながら彼らはその道のスペシャリストとして懸命に働いております。ですので――
    各報道機関や東京電力などへの苦情は絶対にやめましょう。
先に述べたように現在不確かな情勢の中で事に当たらなければならない状態が続いております。その中で可能な限り正確な情報を伝えようと努めています。TVや新聞の情報を鵜呑みにしろということではありませんが、まずは業務を妨害するような行為を慎むようにお願いいたします。
また各地方自治体や企業が今回の震災に伴い、伝言板の設置や情報提供を始めています。皆さまがお住まいの都道府県や市区町村のHPなどにアクセスするようにしてみてください。
一つの例としまして、現在Googleが災害情報をまとめたページをつくっております。ここから災害用伝言ダイヤルの使い方や、各種ライフラインの状況がわかります。サイトはGoogleのトップページ、検索窓のすぐ下にリンクがはられていると思います。(このサイトは後々なくなると思いますのでここからのリンクは省略させてもらいます)
またデマの情報が現在メールなどで出回っているようです。各自治体や企業が間違いであるとHPなどで報告していますので、これもまずはきちんと自分で確認をするようにしてください。また嘘のメールだとわかっていても転送した相手は誤解をしてしまう可能性もあります。転送を続けるとチェーンメールとなってしまうためにやめるようにしましょう。
今のところ出回っている有名なメールや迷惑行為としましては「千葉県市原市のコスモ石油コンビナート火災につき、危険な雨が降るので気をつけてください」や「Yahooの者であると名乗って義援金を募る」というもの、そして「東海地震が誘発される可能性が極めて高い」というもの。これらすべてデマ・迷惑行為です。地方自治体や企業、専門家がきちんと説明をしています。怪しいと思ったら確認する癖をつけましょう。
ともかくデマ情報に惑わされるのが一番危険です。落ち着いて行動をしましょう。

また被災者以外でも過度の心配により不眠に陥り、PTSDになる危険性が示唆されています。有事に備えるのは大事なことですが、いざというときに動けないようでは困ります。情報はきちんと得ながらも、それを冷静に受け止め自分の仕事や学業に専念しましょう。自分の生活をきちんと整えることが今は一番大事です。


以上、簡単にではありますがまとめさせてもらいました。被災地の一刻も早い復興を願うと共に、他の地域の方は落ち着いて日常の生活をきちんと送るようにしてください。
by zattoukoneko | 2011-03-14 05:19 | 社会・経済 | Comments(0)

いつ21世紀になったのだろう?

現在は何世紀ですかと問われれば、大抵の人は21世紀ですと答えることでしょう。そして「16世紀です」などと言う人には『イタイ人がいる……』という感じの視線が向けられることでしょう。
でも何をもってして私たちは21世紀に住んでいると言うことができるのでしょうか?
「100年毎に1世紀で、2001年から21世紀になったんだよ」と言ってしまうのはとても単純なこと。しかしながらそれはただの時間の経過に過ぎません。
あ、大分遅れましたが明けましておめでとうございます。2011年になりましたね、本年もこのブログをよろしくお願いしますm(_ _)m
↑という感じの年末年始の切り替えはありますよ。でも実際の問題として2011年になって生活が大きく変わりました? さらに思い返してみて、1999年から2000年に変わったときや、2000年から2001年に変わったときに皆さんの生活は一変しましたか? 一部には生活の変化があった人がいるかもしれませんが、しかしそれはすべての人ではないでしょう。結局上に挙げた年始の挨拶とか初詣のような行事というのは、現代においては周囲の人々と年が変わったことを確認するだけの形式的なものになっているように感じます。
もちろん年賀状や初詣のような風習が日本に残ることは望ましいことではあると考えていますが、それが形だけなら私は必要ないと思っています。今はメールで年賀状なんて当たり前です。手書きの手紙の方が時間もかかっているだろうし風情もありますが、それがただ送りつけられてきたものならありがたくはない。送るなら本当の恩人や友人に心をこめて送りたいし、お世話になっているということや繋がっているのだという気持ちを伝えるものにしたい。12月頃になると「年賀状はいつまでに~」なんてCMとかが流れますが、私にしてみれば余計なお世話で、それに合わせて自分の都合を崩してまで機械的に年賀状を書くことに何の意味があるのかと思っています。それならとても簡単な文面でも年が変わった瞬間に届く年賀状メール(その時刻を相手は計っているということでしょう?)や遅れてもいいから「お久しぶりです。最近はこんなこととしていて~」なんて知らせが届くととても嬉しい。今は年賀状なども形を問わず、むしろその意義をしっかりと捉えて相手に送ってくれるものの方がいいなと感じています。
このような慣習は年末年始に限ったものではないですね。盆や彼岸に故人を尊ぶということができている人間がどれだけできているのか。これも形なんてどうでもいいと思っています。古来よりの習慣の通りにすることも大事でしょうが、それしかやらず普段の何気ない日々の中でも亡くなってしまった人のことを思い返し、そのありがたみに思いを馳せる人が現代の社会でどれくらいいるのか。盆や彼岸、~回忌というときだけ親戚一同で集まって、しかもその時にすら故人のことを語るでもなく、自分たちの家系・家族のことを話すでもなく、ただただ酒飲みに来ているような人間どもが私は大嫌いです。
まあこのような風習と人間の感情の結びつきに関してはそのうち取り上げる予定ではあって、メモの中に「葬儀形式の変化」というのがあったりします。これは細かい話になりそうだなあとちょくちょく調整してますのでそのうちにでも~。


おや、何やら本題から外れてしまいましたが。
実際のところみなさんは何をもってして「自分は21世紀に生きている」と明言しますか? 20世紀と21世紀を隔てた契機は一体何ですか?

私が大きいなと思うのは阪神淡路大震災かなと。あれを直接的にでも間接的にでも経験している人と、それ以降に生まれてきた人とでは随分と世界観が違うよなと私は感じています。あの事件で人の死生観も日本の安全神話も崩壊した気がするのです。
阪神淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分頃に発生した兵庫南部地震のことです。兵庫南部地震が気象庁の規定に基づいて命名されたものです。一方で各報道機関が別の呼び方をしていました。「関西大震災」や「阪神大震災」などです。これは地震そのものだけでなく災害としての被害規模が非常に大きかったことが背景にあるかと思われます。
政府はその後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点から「関東大震災」に準え「阪神・淡路大震災」と呼称することを決めました。人々はこのときの地震と災害、被害でかつての「関東大震災」を想起していたのかもしれません。それを直接経験した人は少なくなってはいたでしょうが、あの事件が日本を大きく変えた事件の一つであり、それに並ぶものであると思ったのでしょう。
阪神淡路大震災における死者は約6500名。家屋の倒壊はおおよそ46万世帯。道路は1万ヶ所以上壊れ、非難人数は30万人以上にも及びました。
関東大震災の死者・行方不明者数の14万人や、やはり数万人の人が亡くなり今でも後遺症に苦しむ人のいる広島や長崎への原爆投下に比べればその数はとても小さい。しかし阪神淡路大震災はやはり大きな事件であったのです。
人の命の価値は数では計れないとは言いますし、それを否定する気はありませんが、けれど実際の数値として大きな隔たりがある。にもかかわらず日本人にとって阪神淡路大震災は大きな影響を与えた。このことについては何らかの説明を試みなければならないでしょう。
実は兵庫南部地震(マグニチュード7.2、現在の基準では7.3)より前にはマグニチュードが7を超えるようなものは起こらないだろうと考えられていたのです。実際にはそんなことはないのですが、特に近畿地方では長らく大きな地震に見舞われていなかったため危機感もほとんどなかった。大きな地震が来てもそれなりに対応できるだろうと思い込んでいたわけです。そうした人々の考えを、大きな地震が揺さぶるどころか崩壊させたのがこのときの地震だったと言えるわけです。
この概念の変化は実生活にも具体的な変化をもたらしました。いくつか事例を挙げてみましょう。
有名なのは震度測定の変化です。日本は独自のものとして『気象庁震度階級』というものを採用しています。これは兵庫南部地震以前には“体感によって”計測されていました。つまり気象台の職員が地震の揺れの大きさを経験に基づいて報告していたのです。とてもアナログで曖昧な感じがするかもしれませんが、これらの職員は非常に訓練されており後に導入される計測震度計よりも敏感で、震度1などでも現在の数値とほとんど変わらないものを計測器より早く言い当てるそうです。ですが震度が6や7となってくると実地調査なども必要で判断に遅れが出てくる。そもそもその人がきちんと地震を感知し報告できる状況に常にいなくてはならない。これを要求するのは酷なことですし、どれだけ大きな地震でも、また職員を多く派遣できないような過疎地(そういう場所にはダムなどの重要な建造物がある)にも震度計を設置することができるので普及していくことになりました。現在では地震があると気象庁のHPにかなり早く全国の細かい震度が表示されるようにもなっています。(気象庁|地震情報
もう一つは耐震性に関する基準の変化です。元々は耐震性を考慮に入れて建築基準法が1982年の段階に改正されてはいたのですが、上記のように地震に対しての認識は甘かった。倒壊して死者の出た住宅は1982年以前のものが多かったという報告もあります。いずれにせよ日本人は建造物、特に自分の生活空間とする住居や学校、会社の建物に耐震性があるかをきにするようになった。だから現在テレビやラジオなどで耐震性に関するCMなどをよく見るのです。これは概念の変化。また法としても震災後の1996年や2000年に改正されています。
こうして地震への備えというものが阪神大震災を契機に全国に広がっていったのです。おそらくあなたが自分で自宅などを購入しようと考えた場合、自然とその耐震性を気にすることでしょう。それはあなたが阪神淡路大震災以降の人間であることを意味します。それ以前の人間はほとんどそのようなものを考えなかった。また今住んでいる家などの耐震性や、近くに地震の発生源になるような活断層があるかを気にするようになったり、そもそも地震に「直下型」なんて言葉があって、それが広まったのも阪神淡路大震災以降ですね。

このように阪神淡路大震災というのは人々の認識を大きく変えました。制度面でも変化があって、それが生活に浸透している。ここで気付くべきなのはこれらの変化がそれを経験した人の間に“無意識に”起こったということです。地震やその他の災害、そして死へのイメージというのが変わり、そして浸透していったのです。その概念は震災後に生まれた、もしくは震災当時には幼かった人の中にも自然と入っていくことになります。社会全体が地震などの災害に敏感になっているし、死生観も変わっている。突然の自然災害によって人の命というものが簡単に奪われるのだという考えも浸透している。……まあそのせいで人生とは儚いものであるとして意義を見出せない人も多く出てきてしまっているようですが(汗)


なおこの時期には他にも死生観を大きく変える事件が発生しています。地下鉄サリン事件というテロ行為が安全神話を持っていた日本でも起こり、当時14歳だった酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年により子供が惨殺された事件などで若者による凶悪犯罪というものが社会で表面化しました。
地下鉄サリン事件は阪神淡路大震災と時期もほとんど同じですし、やはり社会に大きなショックを与えたという点では一つの契機として挙げられるかもしれません。ただし私の場合、これによって変化したのは『日本の安全神話』が瓦解したということと、警察権力などの一般の人にはすぐに接することのできない部分での変化が主だった気がするので阪神淡路大震災をより大きなところに位置付けしています。
酒鬼薔薇聖斗の事件も、私が思うに彼一人だけが起こした事件ではなかったという印象。これは阪神淡路より以前から起こってきていた変化だと思うのですが、人の持つ死や生のイメージが希薄になりつつあった。若者に限らず凶悪な犯罪はいくつも発生しており、目立って取り上げられなかったけれども青少年による犯罪も多数あった。ただ酒鬼薔薇聖斗のときに(学校の校門に殺した子供の頭部を置くなど)センセーショナルなものがあったし、事件発生直後は犯人はかなり知能の高い大人のものであるとされていたのが、蓋を開けてみればたった14歳の少年だったということがあるのではないかと私は思っています。別に酒鬼薔薇聖斗を擁護するつもりはなく、彼は犯罪者であったという事実は変わらないのですが、けれどそれを起こすような社会の雰囲気は醸成されつつあったように私には当時感じられました。むしろ『ああ、ようやく社会に表面化したか。むしろこれは自然なことになりつつあるのに』という感想を持ったくらいです。


さて他にも2001年前後には9・11テロ事件などもあります。これも人の手によって、しかも自爆テロというものによって簡単にたくさんの人が死ぬということを世界に知らしめたものではあります。でもその緊急速報の映像を見ていた私にとっては何だか夢の中の出来事のような感じでした。リアルな感じがしなかったのですよね。これは私だけの感覚ではないらしい。映像を見ながら(あるいはそのすぐ後に)これは世界的な戦争に発展するに違いないと感じ、他の人ともそんな話をしていました。テロ実行犯の飛行機はどこを狙っていたかの報せが次々と入ってきたわけですが、「え、ホワイトハウスも入ってたの!? それって確実にアメリカは報復戦始めるでしょう!」とか言ってたら、今でも続くイラン戦争に突入してしまった(苦笑) いや、笑い事ではないのですけどね。
まあ9・11から続く中東の問題は日本人にも様々なことを考えさせるきっかけにはなったと思います。でもすべての日本国民が『何故アメリカは戦争に向かうのか?』や『そもそも自爆テロを起こすような社会情勢ってどうして生まれたのか?』そして『そのような自爆テロで自らの命を捨ててでも攻撃を加える人の気持ちとは何なのか?』ということを考えるようになった人は多くはない気がします。まあ、この問題は複雑だからというのもあるのかもしれませんが。でも“対岸の火事”という印象の日本人が結構いたのではないかと思います。

そろそろラスト。
結局私の考えによれば20世紀の末頃には時代は変わりつつあった。でもそれは時間軸上ではやはり“20世紀”であり、人々が21世紀になったと実感したのとはちょっと違うと思います。こんな感じですかね、『実はもう時代は変わっていたのだけれど、時間軸上でもどこかに切り替わるところが欲しい』という。ここで21世紀に変わったんだよという明確な時点が欲しいかなと。
でもこの場所を明確にどことするのは難しいかな? 阪神淡路大震災のような大きな事件も起きてないですし(起きたら困りますが(苦笑))。
そこで私が思っていたのはついこの前の2010年の終わりかなあと。これは何となくのイメージなので説明は困難なのですが。2001年になってとうとう10年も経ってしまった。もう一世紀の1/10が終わってしまったわけですから。さすがに世紀が変わったということを意識しないといけないという。『もうさすがに20世紀だとは主張できないよなー』という感じw


ということで明確に「ここから21世紀です」という答えが出せたわけではないのですが。でも世紀の切り替えが単純な時間の変化で生み出されるものではないということは伝えられたかなあと。……え、ダメすか?
でもこのテーマも難しいのですよねえ。日本人にとっては阪神淡路大震災だったかもしれないけれど、これは全世界の人にとっての契機ではないし、むしろ国際的には9・11の方かもしれないし。またこの適用範囲をどこまで広げていいのかという問題もあるのですよ。個人個人にとっても生活が大きく変化する契機というのはあって、その人にとってはとても大事なもの。でもそれは他の人とは違う感覚であり、すべての人に適用できるものではないのですよね。「パラダイム」という用語を使ってしまうと範囲が広すぎてダメですが、それに近いような共通認識の変化としては考えないといけないかなあと。世界観の変化というものに想いを馳せるのも時には重要ではないでしょうか? これからの世界を生きていくためにも。



さて、さすがに私は22世紀にまで生きてはいないとは思いますが(え、医療技術によって長寿になる? そんなこと実現するわけないじゃないですかーw)。22世紀になったなあと感じる瞬間や出来事って何になるんでしょうかね? ずっと先の話だから夢物語。SFですけどね。想像してみると面白いかも。
――あ、あれか。これの誕生が22世紀ではないですか!

      ドラえもん。
by zattoukoneko | 2011-02-27 08:45 | 社会・経済 | Comments(0)