2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震と、その後の津波や余震などで起こった様々な被害を含めた東日本大震災は、日本だけでなく全世界の人々にとって大きな衝撃をもたらし多くのことを考え直さなければならないと思わせたようです。それだけのショックがあったというのは明らかだと思いますし、一方でそのショックが大き過ぎて『考え直す』ことを放棄してしまった人も残念ながらたくさんいる気がします。
政府や東電、マスメディアをはじめ、様々な企業が批判され、叩かれるだけという事態が多く発生しているようです。実際に問題があってそれを批判することは悪いことではありませんが、その先に何を生み出したいのかを明確にしなければ結局批判している人は他人任せということになってしまい、そしてまた何かしら問題を内包した社会を作らせてしまうことになるのでしょう。
個々の事例を詳細に分析しどのように動いていくか検討するのも大事でしょうが、ここのブログは個別の社会問題を一つ一つ取り上げて論じることを主旨としていませんから、今回は全体として何を見直すべきかを考察してみようと思います。
やはり国際的に見ても大きな関心を引いたのは原発事故とその影響となるでしょう。また日本の原子力関係の連絡系統がきちんと整っていなかったということも大きな問題になっており、これらは今後見直されるでしょうし、汚染状況に関しては今後も注意深く見守られていくことでしょう(特に海外では震災直後チェルノブイリとの比較がなされがちだったのですが、大きく異なる点として海洋汚染が挙げられました。海洋の生態系は未知の部分が多く、生物濃縮や回遊魚がどのように世界各地に広まっていくのかに焦点が当てられていきそうです)。
一方で大きく誤解されたのが『想定外』という言葉が使われている部分で、地震や津波の規模とそれへの備えを怠っていたのではないかという批判が噴出しました。
今後リスク計算に関しては見直しがなされることと思います。例えば日本が被曝に関するリスク評価で使っているものはICRPモデルと呼ばれるもので、これについては内部被曝については正当な評価が出来ないのではないかと支持者内からも随分前から声が上がっていました。これに対し2009年のストックホルム会議でバレンティンという人物がECRRモデルの内部被曝のリスク計算を評価し推薦しました。しかしECRRモデルは過大評価のし過ぎではないかという意見もあり、まだまだ粗の目立つモデルのようです。これに関してはリスク論研究者が当時からすでに意見を交えていますし、今後新しいモデル提出も含めて盛んに議論されていくかと思います。
それと地震や津波の評価に関してですが、新聞などの報道により誤解を生じている人が多いようです。曰く「昔にはこんな大きな津波が発生しているという記録が残っているのに対策しなかったのは何故なのか」というやつですね。これは歴史学ではありますが科学ではないので(これまでの)リスク計算に含まれていなくてむしろ当然と感じます。そもそも地震の予知というのはとても難しく、特に中期・長期予知になるとデータの数が少なすぎてうまくいかないのです。大きく地震予知を分けると「直前予知」「中期予知」「長期予知」があり、直前予知は前兆すべりというものを観測して発表するもの、中期予知は地震計やGPSなどから得たデータを元に数カ月先くらいのものを予知します。長期予知は(後述しますが)もはや『予言』に近い感じのもので歴史史料などから確率を算出したものとなります。
ここでざっとした地震学や地震予知の歴史を見てみます。まず地震の測定に関しては1880年頃から西欧で始められます。これはこの頃に地質学が発展したこととも関係があると思われます。有名なウェゲナーの大陸移動説は1912年に発表されたもので、1960年頃にようやくプレートテクトニクス論などが整備され地球科学が発展したので地震学もそれに併せて盛んになってきます。日本においては1965年「地震予知研究計画」発足、69年「地震予知連絡会」(国土地理院)、76年石橋克彦による東海地震説(これは後に石橋氏本人がその当時の切迫性に関しては過大評価だったと認めています。依然警戒が必要という意見は変えていないようですが)、さらにこの東海地震説を受けて78年には「大規模地震対策特別措置法」、79年「地震防災対策観測強化地域判定会」(気象庁)と続きます。日本は地震予知には莫大な予算を投入しており、94年には70億にもなるそうです。ところが95年1月17日5時46分には兵庫県南部地震という内陸型の地震が発生し、これにより新たな研究の必要性が認識されました。日本各地に震度計が配置されたのはこれより後のことです。したがって集めることのできているデータの量はせいぜい数十年とそもそも少なく、なので予知はとても難しい。99年には
Nature誌上にも予知の難しさに関する記事が載り、その後も予知は本当に可能なのかどうかが度々論じられています。
また地質も世界の各地で大きく異なっていますから何度も似たような現象が観測できるわけでもない。メカニズムがはっきりしていないのでまだ決定的な理論が提出できていないというわけです。
それでも今年の2月にはすでに東北で大型の地震が発生する率が高いと発表していたようで、これは当たりました。しかしながら気象庁の発表を見るとわかるのですが、3月9日にM7.4の地震が発生しておりこれを本震であると見做したようです。翌日10日にM6の地震が発生しているのですが、これを気象庁は前日の『余震』と考えられると見解発表しています(
平成23年3月10日06時24分頃の三陸沖の地震について (気象庁報道発表資料))。この時点でM9という地震が起こるというような見解はなく、それまで蓄積されていた科学的データから見てもこれほどの規模のものが起こるとは考えられていませんでした。
津波に関しても同じで予知するのは難しいものです。地震の長期予知と同じで「いつか大きな津波が発生するのではないか」と言われてもそれが『科学的』根拠として評価できるかどうかとなると難しいところがあります。古い文献に載っているものを鵜呑みにしていては科学ではなくなってしまいますし。
またここまでは注目を集めていた地震と津波に関して述べてきましたが、原発事故の主因と考えられるのは冷却システムがうまく作動しなかったことであり、何重にも備えていたディーゼル発電機による予備電源が作動しなかったことなどが挙げられています。技術的にはさほど大きな問題ではなく、したがって技術面だけ見れば原発の事故はあまり騒ぐものではないとすら言えてしまいます。
多くの人が今回の原発事故で衝撃を受けたのはその被害の大きさでした。また報道される内容が難しく、理解が出来ないという弊害も生じました。「シーベルト」を過って「シートベルト」とアナウンサーが言ってしまうくらい馴染みのない用語や記号が羅列されましたからね。報道に携わっている人ですら間違えてしまうわけですが、そもそも原子力発電が問題ではないかと考えられるようになってかなりの歳月が経っているのに、最近になってようやく目を向け始めた一般の人たちの姿勢にも問題があると言えるのではないかと思われます。再生可能エネルギーによる発電の研究は随分前から始められており、例えばシャープの太陽光パネルのCMを見た覚えがある人も多いはず。しかし新しく考えられている発電方式には当然デメリットがあり、そして安定した電気需要を望んでいた私たちが既存の発電技術の問題点には目を瞑っていたということになります。実際小中学校の理科や社会の教科書や資料集の中でエネルギー問題はすでに取り上げられている。環境問題を耳にしたことがない人というのもまずいないと思います。それでも電気をよこせというので発電設備を増やした電力会社や対策を講じていた政府が叩かれるだけというのも不思議な感じ。なおこれも誤解している人が多い気がするのですが、基本的に電力会社は発電設備を増やすのが嫌いです。設備を維持するために莫大な費用が必要になるので、結果として電気代を上げなくてはならず、大きな企業・工場は安価な電気を求めて海外に移ってしまうため。一方で原子力発電所を製造・販売している企業は需要があれば売りますし、過疎の進む地方や発展途上国では工場の誘致などが見込めるので安定した電気供給をする発電所は欲しいですしね。
さて、ここまで書いてきた文面は電力会社や政府を擁護しているようにも見えてしまう気がしますが、連絡系統などに問題を抱えていたのは事実でありそこはきちんと批判され見直される必要があるでしょう。その点をきっちりとやってくれるか否かはこれから見ていかないといかない。そしてそれは一般市民の義務だとすら言える。
一方でこれまで国や科学/技術の関係に無関心だった人たちは自省もしなくてはいけないと思います。私たちは科学の恩恵に与って今の豊かな生活を手にしていると“思わされ”がちですが、技術はともかくとして科学によって社会が豊かになった事例というのは数えるほどしかない。にも係わらず科学に大きく依拠した(あるいは科学『も』依拠している)数値計算に頼っているのが現代の社会ということになります。
では科学は本当に信頼に足るものなのかどうか? まず方法論から見ていこうと思います。
演繹法というものがありますが、一例として「太郎君の家では毎朝牛乳を飲む決まりがある→花子さんは太郎君の妹である→したがって花子さんは毎朝牛乳を飲む」というものを考えると、これは正しいと言えます。ですが「あるスーパーで卵を買った→三回連続で買ってきた卵は腐っていた→あのスーパーで扱っている卵はすべて傷んでいるに違いない」は誤りです。そのスーパーにある卵すべてを検査しなければ最後の結論は導くことができません。
ですが科学の現場ではこれが当たり前です。無限回の試行など出来るわけがないので途中で実験や観察をやめて結論としてしまうのです。なお分野によってこの回数は違っています。生物の分野だと一つの実験にかかる時間が長いのでほんの数回でおしまい。しかしその他の証拠や論文からそれは正しいのであると説得力を持たせるのが科学者の仕事です。
これだけ聞くと何だかとても怪しいものに思えてしまうかもしれませんが、実際には科学者集団内部でも議論され精査されるので『説得力を持たせる』は途方もない労力が必要な仕事なのです。その点では安心(?)と言えるかもしれません。
次に歴史的に科学がどう扱われてきたかですが、
第二の科学革命 で制度としてどう科学が整備されてきたかを簡単に(……ではないですね、スイマセンorz)触れています。
科学の学会として一番有名なものはロンドン王立協会Royal Societyでしょうが、これは日本語訳では「王立」と付いていますが国王からのお墨付きをもらっただけで運営費などは出ていません。それ以前にある学会は言わずもがな。自然探求を目的とした最古の学会の一つ、アカデミア・デイ・リンチェイ(1603年設立)は自ら植物学をやっていたチェージ公がパトロンになって設立したものだったりします。
国家が科学にお金を出すようになったのはフランス革命後に出来たエコール・ポリテクニクが最初と考えてよいと思いますが、これも革命後に対仏同盟が終結され、一方で革命時に土木技術者が亡命してしまっていたので急ぎで技術者が必要になり、その養成機関として設立されたものですし、カリキュラムを組んだモンジュが基礎教育として科学を導入したことがむしろ大きい要因のようにも思います。
その後も科学者内部からは自国の衰退論が何度も出されますが(パストゥールやバベッジなど)、これに関しては同時期に著名な科学者が輩出されていることもあり様々な思想や思惑が絡んでいたと考えた方がよさそうです。大きな衝撃を与えたのは1851年のロンドン万博でしょう。産業革命を経て活気づいていたイギリスは当時は貴重な大きなガラスと鉄骨で組んだ水晶宮を建造しその国力を世界に知らしめます。多くの部門で賞を獲ったのもイギリスでした。ところが1867年のパリ万博ではほとんど受賞できないという惨憺たる有様に。ここで議論が巻き起こりイギリスではようやく政府が科学教育の状況を調べ始めるという流れになります。
この後研究所(特に大学付属のもの)設立やナショナリズムの高まりがあるのですが、純粋科学に国家が大きく関わるようになったのは1911年のカイザー・ヴィルヘルム協会の設立からだと一般的には言われます。同組織は1948年にマックス・プランク協会となり、世界に名立たる研究機関となっています(ノーベル賞受賞者の三分の一はここの科学者とされているほど)。
しかし世界大戦の幕開けによって科学の成果は軍事技術に転用されるように期待されるようになります。第一次世界大戦はChemical Warと呼称されることもあるように、ハーバーの製造した毒ガスが猛威をふるい、しかしすぐに対抗策として防毒マスクが開発されるなど科学者も技術者も動員された戦争となりました。また白人・中流階級・男性の間に流行していた無線技術も戦争に駆り立てられます。愛国心のもとアマチュア(という区別は当時なくRadio Boyなどと呼ばれていたのですが)は戦地に赴き、新聞や雑誌には「Radio Boy」の英雄譚が毎日のように掲載されます。中でも一番有名になったのはAMの発振・増幅技術に貢献し、FMラジオの発明者でもあるアームストロングでしょう。彼の話は第一次大戦後でも子供向けの科学啓蒙書に載せられているくらいです。第二次大戦は言うまでもなく原爆の開発です。
第一次大戦以降、科学者・技術者は企業に取り込まれていくようになります。パナマ運河建設の際にも多くの若い技術者が集められました。RCAでは社長のサーノフが主導してラジオの研究に先のアームストロングが雇われますし(ただし後に離反)テレビの開発にも携わっていくことになります。それと同時期には企業内研究所が設立され基礎研究が重視されていくことに。最初はGEでのホイットニーによるタングステン電球の発明と研究であり、本格化したのはデュポンでのカロザースの66ナイロンの発明。そしてベル研でのショックレー、バーディーン、ブラッテンのタングステン発明と輝かしい業績を企業内研究所は挙げていくこととなります。これが現在まで続く一つの大きな流れと考えられるでしょう。ただし基礎研究から商業化に至る際には数多くの摩擦が生じ、特にカロザースは基礎研究が出来ないことに苦しみ自殺するほどです。
以上で見たように科学は社会に貢献するという言説は『それが技術に転用され軍事や商業において成功を収めた場合』には確かに当てはまりそうです。しかしながらその数はけして多くはなく、また啓蒙家がそれを喧伝し、企業や国家がそれを利用するようになったというのが実態と言えるでしょう。
ここで考えなければならないのは「科学に基づいた社会の上で、それを盲信して生活していてよいのか」ということ。
科学の一つとして医学がありますが、では医学者が社会の福祉に貢献したというものは何があるでしょうか? よく引き合いに出される国民の平均寿命の延びは栄養状態がよくなったことと衛生管理の徹底に依るものが大きい。世界の食物を増やしたのはハーバーらの窒素固定法によって窒素肥料がたくさん作られるようになったことであって化学からの貢献、衛生管理はパストゥールから始まり、コッホと北里による細菌病理学説の貢献と生物学からのもの。もちろん事故で大怪我をしたり重い病気にかかったときは病院に行くことを勧めますし、医者は何もしてくれないのだなどと言うつもりはないのですが、果たして国が躍起になるほどの価値があるかどうかは疑問が残ります(ちなみにアメリカでは医師が給料の値上げを求めてボイコットをしたことがあるようですが、これは失敗に終わっています。理由は単純明快で死亡率が変わらなかったからです)。
さて長くなり、複雑な話なりましたがまとめてみます。
国の政策や企業を疑うことはするのに、科学や技術を疑わないのは何故でしょう?
また自分自身がそれを今まで受け入れていたのに事件や事故があると急に騒ぎ出し、自分たちがそれを認めていた過去を見なくなるのはどうしてでしょうか?
総じて現在私たちが生きている社会は自身も含め歪みのないものでしょうか?
今回の震災は一つのきっかけになるのかもしれません。私たちが身の回りあるものとどう付き合っていくのか、多面的に見ていく必要があるように感じます。そしてその最初は一歩は自分自身の基盤を見直すこと。もしかしたらここが歪んでいるかもしれません。そうしたら物事は正しくは見れませんからね。