【小説】『絶体零度』2-4-2


2-4-2

 刹那が私の本当の妹ではないかもしれない。
 そんなことを思い始めたのはおそらく小学校高学年か中学に入って間もない頃のことだったと思う。それまで意識したことがなかったために気付かなかったのだが、両親らが刹那のことをまともに見ていなかったのだ。
 やがてその違和感は次第に大きなものになっていく。私たちは食事を摂るのもバラバラで、母が刹那に食べ物を与えているところを見たことがない。旅行には毎年行っていたが、アルバムを見てみたらそこに刹那の写真は一枚もなかった。
 高校に入り、刹那も中学生になった頃。私は遂に母を問い詰めた。どうして刹那のことをきちんと構ってやらないのかと。そうしたらこう答えが返ってきたのだ。
『どうしてそんなことをしなくちゃならないのよ。うちの子供でも何でもないのに』
 ――――
 そこまでの話を神妙に聞いてくれていた恭介に向けて私は言う。
「その場に刹那が居合わせなかったのが幸いだったよ。妹は母のことも父のことも好きだったと思うからね。私は……その後うちの両親と刹那の関係を探ることをやめた。何らかの大きな秘密を暴いてしまったら、そのとき刹那の居場所が消えてしまうのではないかと怖くなったんだ」
 家族の中での刹那の位置を見れば見るほどその影はとても薄くなっていってしまった。一方で私の中で刹那の存在は大きなものになっていった。私が彼女を守らなければならない、そんな風にすら思っていたかもしれない。
「瑠璃が私のことをシスコンだと言ったが、それは少し違う。私は家族全体に対してコンプレックスを抱いている。そして一番守ろうと思うようになっていた妹の存在が、周囲から見ても顕著に目立っていたということになるのだろう。恭介も私の妹の話ばかり聞いていて他の身内のことはほとんど耳にしたことがないと感じているかと思う。だとしたらそうした事情が関係しているということなんだよ」
 先程まで口に運んでいたカロリーの高いだけの食べ物を手に取るのを止め、恭介が黙り込む。五月蝿い学生たちはよっぽど暇なのかまだ店内に屯しているが、私と恭介の周囲だけはやたらとしんと静まり返っていた。だからこそ最初小さな声で喋り出した恭介の声がはっきりと聞こえたのだろう。彼はすぐにきちんと話すべきだと改めたが。
「成明のお願いは……成明が僕に頼もうとしていることはその傷を抉るような行為になるかもしれないとわかってる? 妹さんのことを大切にしたいと、血の繋がった家族だと思いたいから君は今まで戸籍謄本を取り寄せてみたりしなかったんじゃないの? それを見れば養子縁組を組んでいるかどうかなどがすぐにわかる。それをしなかったのは成明自身が事実を目の当たりにするのが怖かったからじゃないの?」
「…………」
 恭介の言葉に私はすぐに返事をすることができなかった。正鵠を射ていたからだ。私はそれまで自然にそこにあった刹那との繋がりが切れるのではと感じてしまって、そして急に細くなった綱の上でバランスを取ろうと周囲を見ることを止めた。彼女だけを見ていないと落下してしまいそうだったからだ。
「僕に頼みたいことは雪奈ちゃんやそのお姉さんである舞美さんと、そして成明の妹さんの刹那ちゃんがどういう関係にあるかということだったよね。それが親しい友人関係で似てきたとかならまだしも、妹さんは成明に雪奈ちゃんや舞美さんのことを伝えてない。もちろん友達のことを話さないこともあるだろうけどね。ただもっと深いところまで探りを入れるということになるなら、つまり血縁関係があるかどうかなどまで調べるとなると、それは成明の知りたくなかった事実を突きつけられることになるかもしれないんだよ?」
 次第に私は自分が無意識に胸の奥底に沈めていた物に気付かされ始めた。今回の事件で目を向けるべきは櫻庭舞美という人物だと思っていた。けれど舞美の記憶を探り、そのために妹の雪奈に接しているうちに脳裡に浮かんできたのは何故か妹の刹那だった。記憶を失うことになった原因はもしかしたら私と刹那の関係にあるのかもしれない。そうでなければ雪奈や舞美と共にこんなに刹那の記憶が出てくる理由が説明できないのではないだろうか。
「僕としては成明の望むことなら可能な限り力になってあげたいと思ってる。言葉を言い換えると不幸になるようなら僕は一切協力をしない。でも何か行動を起こしたことで幸せになるか不幸せになるかなんて本人にもわからないよね。だから成明が望む方向というのを教えて欲しいんだ。覚悟があるのかどうかコミでね」
「私は……」
 そこでしばし考える。自分が大事にしたいものとは何なのかを。
 私が櫻庭舞美を殺したかもしれないということで大きな波紋が生じた。自身も記憶を失い、友人である瑠璃たちとの関係も揺らいでしまった。私はそれを回復させたいと思っている。そう考えて雪奈に接触し舞美の記憶探しを始めたのだ。ただその途中で予期していなかった妹の存在が現れてきた。もしかしたら彼女との関係が今回の件の何かしらの鍵となっているのかもしれない。
「私は刹那のことを大事に考えている。今までもきちんと調べたことはなかったけれど血は繋がっていないかもしれないとは思っていたし、その上で兄と妹の関係を続けてきた。この絆はけして切れはしない強いものだよ。だから大丈夫。むしろ闇の中に包まれてしまい、私自身もそのまま隠し続けようとしてしまったものを明らかにすることで、失いかけたものをきちんと取り戻したいと考えている」
 私の返答を受けて恭介は一つ頷いた。納得したように小さな笑みすら浮かべる。
「でも協力するにしても限度があるのは承知しておいてね。これは仕事じゃないわけだから割ける時間や労力も限られてる。探偵に依頼するという手もあるけど、ピンキリなんだよねー。中には違法行為してまで調べる輩もいるからそういう人には頼ってほしくないし」
「記者稼業なんてものをやっているから探偵に関しても多少は知っているよ。協力してくれるならとても助かる。私は記憶が曖昧だし、そのことすら無意識のうちに覆い隠してしまいそうになっているようなんだ。私自身も動くがそのために力を貸して欲しい」
 改めてお願いをしながら私は頭を下げる。すると恭介が苦笑いしながら手を顔の前で手を振った。
「そんな畏まらなくてもいいよ。僕も成明の件は気になっていたし、このままじゃいけないとも思うからね」
 とそこで彼は自分の手首についている腕時計に目が行ったようだ。途端に慌て出す。
「しまった、もう仕事場に戻らないと。あー、まだ食べ終わってないんだけど仕方ないか。成明よかったらもらってくれない?」
 そして食べ物の載ったトレイをこちらに押し出し、しかし最後に炭酸飲料の入ったカップを手にするとストローに口をつける。そこで恭介は訝しげな顔をした。
「氷融けちゃったのかな? 何だか味が薄いや」

   ‐第二章・了‐


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by zattoukoneko | 2011-06-07 07:35 | 小説 | Comments(0)