【小説】『絶体零度』2-4-1


2-4-1

 恭介の勤務する署からさほど遠くない距離にあるファーストフード店で私は彼のことを待っていた。時刻は昼を過ぎてかなり経つというのに、周囲には制服姿の若者が溢れている。今の頃合に試験前休みということもないだろうし、生徒たちも特に勉強しているというような感じではない。店内はやたらと騒がしく、よく言えば活気に満ちているとなるのかもしれないが、実際にはただ単に落ち着きのない場所だった。
 学生時代には割合こういう店も利用したものだが、行動の多くを共にした瑠璃がこのような場所を好まなかったし、私自身も別の友人に誘われなければ自分から行こうとはしなかった。
 今回はその友人の一人である恭介からの指定である。本人の性格はのんびりとしているのだが、大学時代からたくさんの講義に出席していたのであまり時間が空かなかったのだ。そうした事情は刑事になった今でも変わらないらしい。
 美味くもないコーヒーを飲み干し、そこからさらにかなりの時間が経ってようやく目的の相手がやって来た。今は勤務中だからか普段会うときに較べてまだ身なりはきちんと整っている。待ち合わせの時間に遅れたことを謝罪しながら恭介は向かいの席に座った。
「珍しいね、成明がわざわざ僕の職場近くまで足を運ぶなんて。それもお互いに仕事のある時間帯じゃない。あ、お昼まだなんだ。お呼ばれされた側だしせっかくだから奢ってもらっていいかな?」
「恭介は学生の頃からあまり変わらないな。昼の休み時間に声をかけると大抵『奢ってくれるの?』と訊いてきていたね」
「僕からすれば成明だって変わってないように見えるけどなー。もちろんお互いに歳も取ったし、立場も変わったけどね」
 そうかもしれない。確かに現実社会は日々変動しているし、私たちは様々な年限を課せられているのでそれに従って活動内容を変化させねばならない。でもそれだけでは人の内側まではそうそう変わらないとも言えるだろうし、あまりにも簡単に変わってしまっては人ですらないのかもしれない。
「まあ高いものでもないし奢ることにしよう。頼みたいこともあることだし、そのくらいはしないと失礼だろう」
「頼みたいこと? 何か大事なこと――なんだよね、平日に呼び出すくらいだし。まあ僕もあまり時間が割けないから先に注文してくることにするけど」
 言って恭介は注文カウンターへと向かう。混雑のピーク時間帯は過ぎていたので注文自体はすぐに済み、ただ品は切れていたのか番号札だけを持って戻ってきた。席に腰を下ろしながら用件を尋ねてくる恭介に、私は答えた。
「白樺雪奈と桜庭舞美、そして私の妹の刹那がどういう関係にあるのか調べて欲しい」
「うん? どういうこと?」
「君は刑事だろう? 三人の関係について調べてもらいたいのさ」
 途端に恭介が困った顔をする。
「僕はそういうの担当しているわけじゃないし、前にも言ったと思うけど警察ってそんなに暇じゃないんだよね」
 そうは言ったものの恭介はそれからしばしの間考え込む。やがて頬をぽりぽりと掻きだした。
「まあ成明もその辺のことはいくらかわかっているとは思うんだけどね。だから何か考えがあるのだろうと推測。でもそれを聞く前にまずはこっちの立場も再確認してもらいたいな」
「至極もっともな意見だと思う。私も君や警察が簡単に動くとは考えていないし、だから個人的に呼び出して相談することにした。でもこれは一方的な行為ではある。恭介の説明で個人的に頼むことすら無理だとなれば私も諦めるしかないだろう」
 私の言葉を聞いて恭介が苦笑する。
「警察にそのまま持っていっても対応してくれない案件を僕に相談って、それはちょっとなあ」
 一つそれだけ言うと彼は顔を引き締めた。話を再開する。
「まず大前提として警察というのはかなり忙しい。未解決の案件をいくつも抱えているところに毎日解決するより多くの調査依頼が舞い込んでくる。これはどこの部署でも同じことだよ。だから実害のあるものやその可能性の高いものから処理していくことになる。時に批難されることもあるけれど、そのようにしていくしかない。ここまではわかってくれてるかな?」
「ああ、理解している。実際にどのくらいの案件を抱えているかまではわからないけれどね。大変だというのはわかっているつもりだよ」
「じゃあ次。成明の件に関してはもうほとんど解決済みということになってる。終わった案件なんだよね。何か新しい証拠が出てくるなど大きな進展があれば、資料は保存してあるからそれを引っ張り出してきて再調査ということになるけどね。つまり成明なり他の誰かが警察側の知らなかった新事実を持ってきたというのならこっちも動くということになる」
 恭介の説明はとても理に適ったものだった。私は取調べを受けたものの、今では好きなように日々を過ごさせてもらっている。記憶が定かではないためわからないが、櫻庭舞美が死んだことに関して私を訴えようという人も今のところいないようだ。そして仮に私なり雪奈なり、あるいは他の人物が殺人を主張したところで、捜査が進展するような情報がないと一度閉じられたファイルはまず開かれない。
「成明は何か重要な発見をしたり思い出したりしたの? それなら僕たちだって動くことになるだろうけど」
 問われた私は答えに窮してしまった。具体的に提示できるものを何も手に持っていない。
 眉間に皺を寄せる私の顔を見ていた恭介は、しかしすぐに笑い出した。
「ごめんごめん。ちょっとからかっただけだよ。何かきちんとした証拠があるなら僕一人を呼び出さないで警察に直接来るよね。正式な捜査ということではなくて個人的にお願いしたいんでしょ?」
 その言葉に私はしてやられた気分になった。不平の音を幾分混ぜながら返答する。
「そうだね、その通りだよ。私は具体的に何か提示できるわけじゃない。ただ気になるからというそれだけの理由で君に調査を頼めないかと思って今日呼び出したんだ」
「そんな怒らなくても。確かにからかいはしたけどさ、実際問題として調べるのは難しいというのも知っておいてもらいたかったんだよ」
 苦笑しながらそう言う恭介のもとに店員が注文した品を運んできた。彼はそれを番号札と交換して受け取る。フライドポテトをさっそく口に運びながら話を再開した。
「ただ成明がわざわざ個人的にお願いするというのはよっぽどのことなのかなとも思う。だから理由は聞いてみるよ。協力できることがあるならしたいし」
「そうしてもらえると助かる。警察全体としては動けなくとも、君の持っているコネなどを多少使えればと。私独りの力では調べるのが難しいと感じていてね」
 そう断りを入れてから私は説明を始める。
「先日雪奈の姉のことを知ろうともう一度出かけてきた。その際に多少ではあるが舞美との記憶を思い出したんだ」
「記憶、いくらか戻ってきたんだ?」
「ああ。確かに私は櫻庭舞美と面識があった。ただ一緒にとある場所に出かけたというそれだけしか思い出せていないのだけれどもね。だから一番の問題になっている彼女をどうして殺したのか、あるいは殺していないのかに関してはわからない。けれどその記憶が蘇ってきたことでどうしても気になることが出てきた」
 私はそこで一呼吸置いた。明確なものでないからこそ口調だけははっきりとしたものにする。
「舞美はあまりにも私の妹に似過ぎている。これは身内として刹那に接していた私にしかわからない感覚なのかもしれない。けれど刹那と舞美、そして雪奈の三人には何らかの関係があるのではないかとそう考えざるを得ないほど強い感覚なんだ」
 やはり他人にわかってもらうには曖昧過ぎる話だったろうか。恭介が首を捻る。
「うーん。雪奈ちゃんとそのお姉さんは血縁関係にあるから似ているのは納得できるとして。でも成明の妹さんはただの空似じゃないかなあ? 共通点を見つけてそれを強く意識しちゃうっていうのはよくあることだし。それとも特別調べなければいけないような理由でもあるわけ?」
 恭介の問いに対し私はあることを伝えなければならない。これまで彼や瑠璃、さらには大学に入る以前の友人らにも語ったことのないこと。
 私は目の前にいる相手をしかと見つめながら告げる。
「実は――刹那は私の本当の妹じゃないかもしれないんだ」


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by zattoukoneko | 2011-06-04 23:06 | 小説 | Comments(0)