いつ21世紀になったのだろう?

現在は何世紀ですかと問われれば、大抵の人は21世紀ですと答えることでしょう。そして「16世紀です」などと言う人には『イタイ人がいる……』という感じの視線が向けられることでしょう。
でも何をもってして私たちは21世紀に住んでいると言うことができるのでしょうか?
「100年毎に1世紀で、2001年から21世紀になったんだよ」と言ってしまうのはとても単純なこと。しかしながらそれはただの時間の経過に過ぎません。
あ、大分遅れましたが明けましておめでとうございます。2011年になりましたね、本年もこのブログをよろしくお願いしますm(_ _)m
↑という感じの年末年始の切り替えはありますよ。でも実際の問題として2011年になって生活が大きく変わりました? さらに思い返してみて、1999年から2000年に変わったときや、2000年から2001年に変わったときに皆さんの生活は一変しましたか? 一部には生活の変化があった人がいるかもしれませんが、しかしそれはすべての人ではないでしょう。結局上に挙げた年始の挨拶とか初詣のような行事というのは、現代においては周囲の人々と年が変わったことを確認するだけの形式的なものになっているように感じます。
もちろん年賀状や初詣のような風習が日本に残ることは望ましいことではあると考えていますが、それが形だけなら私は必要ないと思っています。今はメールで年賀状なんて当たり前です。手書きの手紙の方が時間もかかっているだろうし風情もありますが、それがただ送りつけられてきたものならありがたくはない。送るなら本当の恩人や友人に心をこめて送りたいし、お世話になっているということや繋がっているのだという気持ちを伝えるものにしたい。12月頃になると「年賀状はいつまでに~」なんてCMとかが流れますが、私にしてみれば余計なお世話で、それに合わせて自分の都合を崩してまで機械的に年賀状を書くことに何の意味があるのかと思っています。それならとても簡単な文面でも年が変わった瞬間に届く年賀状メール(その時刻を相手は計っているということでしょう?)や遅れてもいいから「お久しぶりです。最近はこんなこととしていて~」なんて知らせが届くととても嬉しい。今は年賀状なども形を問わず、むしろその意義をしっかりと捉えて相手に送ってくれるものの方がいいなと感じています。
このような慣習は年末年始に限ったものではないですね。盆や彼岸に故人を尊ぶということができている人間がどれだけできているのか。これも形なんてどうでもいいと思っています。古来よりの習慣の通りにすることも大事でしょうが、それしかやらず普段の何気ない日々の中でも亡くなってしまった人のことを思い返し、そのありがたみに思いを馳せる人が現代の社会でどれくらいいるのか。盆や彼岸、~回忌というときだけ親戚一同で集まって、しかもその時にすら故人のことを語るでもなく、自分たちの家系・家族のことを話すでもなく、ただただ酒飲みに来ているような人間どもが私は大嫌いです。
まあこのような風習と人間の感情の結びつきに関してはそのうち取り上げる予定ではあって、メモの中に「葬儀形式の変化」というのがあったりします。これは細かい話になりそうだなあとちょくちょく調整してますのでそのうちにでも~。


おや、何やら本題から外れてしまいましたが。
実際のところみなさんは何をもってして「自分は21世紀に生きている」と明言しますか? 20世紀と21世紀を隔てた契機は一体何ですか?

私が大きいなと思うのは阪神淡路大震災かなと。あれを直接的にでも間接的にでも経験している人と、それ以降に生まれてきた人とでは随分と世界観が違うよなと私は感じています。あの事件で人の死生観も日本の安全神話も崩壊した気がするのです。
阪神淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分頃に発生した兵庫南部地震のことです。兵庫南部地震が気象庁の規定に基づいて命名されたものです。一方で各報道機関が別の呼び方をしていました。「関西大震災」や「阪神大震災」などです。これは地震そのものだけでなく災害としての被害規模が非常に大きかったことが背景にあるかと思われます。
政府はその後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点から「関東大震災」に準え「阪神・淡路大震災」と呼称することを決めました。人々はこのときの地震と災害、被害でかつての「関東大震災」を想起していたのかもしれません。それを直接経験した人は少なくなってはいたでしょうが、あの事件が日本を大きく変えた事件の一つであり、それに並ぶものであると思ったのでしょう。
阪神淡路大震災における死者は約6500名。家屋の倒壊はおおよそ46万世帯。道路は1万ヶ所以上壊れ、非難人数は30万人以上にも及びました。
関東大震災の死者・行方不明者数の14万人や、やはり数万人の人が亡くなり今でも後遺症に苦しむ人のいる広島や長崎への原爆投下に比べればその数はとても小さい。しかし阪神淡路大震災はやはり大きな事件であったのです。
人の命の価値は数では計れないとは言いますし、それを否定する気はありませんが、けれど実際の数値として大きな隔たりがある。にもかかわらず日本人にとって阪神淡路大震災は大きな影響を与えた。このことについては何らかの説明を試みなければならないでしょう。
実は兵庫南部地震(マグニチュード7.2、現在の基準では7.3)より前にはマグニチュードが7を超えるようなものは起こらないだろうと考えられていたのです。実際にはそんなことはないのですが、特に近畿地方では長らく大きな地震に見舞われていなかったため危機感もほとんどなかった。大きな地震が来てもそれなりに対応できるだろうと思い込んでいたわけです。そうした人々の考えを、大きな地震が揺さぶるどころか崩壊させたのがこのときの地震だったと言えるわけです。
この概念の変化は実生活にも具体的な変化をもたらしました。いくつか事例を挙げてみましょう。
有名なのは震度測定の変化です。日本は独自のものとして『気象庁震度階級』というものを採用しています。これは兵庫南部地震以前には“体感によって”計測されていました。つまり気象台の職員が地震の揺れの大きさを経験に基づいて報告していたのです。とてもアナログで曖昧な感じがするかもしれませんが、これらの職員は非常に訓練されており後に導入される計測震度計よりも敏感で、震度1などでも現在の数値とほとんど変わらないものを計測器より早く言い当てるそうです。ですが震度が6や7となってくると実地調査なども必要で判断に遅れが出てくる。そもそもその人がきちんと地震を感知し報告できる状況に常にいなくてはならない。これを要求するのは酷なことですし、どれだけ大きな地震でも、また職員を多く派遣できないような過疎地(そういう場所にはダムなどの重要な建造物がある)にも震度計を設置することができるので普及していくことになりました。現在では地震があると気象庁のHPにかなり早く全国の細かい震度が表示されるようにもなっています。(気象庁|地震情報
もう一つは耐震性に関する基準の変化です。元々は耐震性を考慮に入れて建築基準法が1982年の段階に改正されてはいたのですが、上記のように地震に対しての認識は甘かった。倒壊して死者の出た住宅は1982年以前のものが多かったという報告もあります。いずれにせよ日本人は建造物、特に自分の生活空間とする住居や学校、会社の建物に耐震性があるかをきにするようになった。だから現在テレビやラジオなどで耐震性に関するCMなどをよく見るのです。これは概念の変化。また法としても震災後の1996年や2000年に改正されています。
こうして地震への備えというものが阪神大震災を契機に全国に広がっていったのです。おそらくあなたが自分で自宅などを購入しようと考えた場合、自然とその耐震性を気にすることでしょう。それはあなたが阪神淡路大震災以降の人間であることを意味します。それ以前の人間はほとんどそのようなものを考えなかった。また今住んでいる家などの耐震性や、近くに地震の発生源になるような活断層があるかを気にするようになったり、そもそも地震に「直下型」なんて言葉があって、それが広まったのも阪神淡路大震災以降ですね。

このように阪神淡路大震災というのは人々の認識を大きく変えました。制度面でも変化があって、それが生活に浸透している。ここで気付くべきなのはこれらの変化がそれを経験した人の間に“無意識に”起こったということです。地震やその他の災害、そして死へのイメージというのが変わり、そして浸透していったのです。その概念は震災後に生まれた、もしくは震災当時には幼かった人の中にも自然と入っていくことになります。社会全体が地震などの災害に敏感になっているし、死生観も変わっている。突然の自然災害によって人の命というものが簡単に奪われるのだという考えも浸透している。……まあそのせいで人生とは儚いものであるとして意義を見出せない人も多く出てきてしまっているようですが(汗)


なおこの時期には他にも死生観を大きく変える事件が発生しています。地下鉄サリン事件というテロ行為が安全神話を持っていた日本でも起こり、当時14歳だった酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年により子供が惨殺された事件などで若者による凶悪犯罪というものが社会で表面化しました。
地下鉄サリン事件は阪神淡路大震災と時期もほとんど同じですし、やはり社会に大きなショックを与えたという点では一つの契機として挙げられるかもしれません。ただし私の場合、これによって変化したのは『日本の安全神話』が瓦解したということと、警察権力などの一般の人にはすぐに接することのできない部分での変化が主だった気がするので阪神淡路大震災をより大きなところに位置付けしています。
酒鬼薔薇聖斗の事件も、私が思うに彼一人だけが起こした事件ではなかったという印象。これは阪神淡路より以前から起こってきていた変化だと思うのですが、人の持つ死や生のイメージが希薄になりつつあった。若者に限らず凶悪な犯罪はいくつも発生しており、目立って取り上げられなかったけれども青少年による犯罪も多数あった。ただ酒鬼薔薇聖斗のときに(学校の校門に殺した子供の頭部を置くなど)センセーショナルなものがあったし、事件発生直後は犯人はかなり知能の高い大人のものであるとされていたのが、蓋を開けてみればたった14歳の少年だったということがあるのではないかと私は思っています。別に酒鬼薔薇聖斗を擁護するつもりはなく、彼は犯罪者であったという事実は変わらないのですが、けれどそれを起こすような社会の雰囲気は醸成されつつあったように私には当時感じられました。むしろ『ああ、ようやく社会に表面化したか。むしろこれは自然なことになりつつあるのに』という感想を持ったくらいです。


さて他にも2001年前後には9・11テロ事件などもあります。これも人の手によって、しかも自爆テロというものによって簡単にたくさんの人が死ぬということを世界に知らしめたものではあります。でもその緊急速報の映像を見ていた私にとっては何だか夢の中の出来事のような感じでした。リアルな感じがしなかったのですよね。これは私だけの感覚ではないらしい。映像を見ながら(あるいはそのすぐ後に)これは世界的な戦争に発展するに違いないと感じ、他の人ともそんな話をしていました。テロ実行犯の飛行機はどこを狙っていたかの報せが次々と入ってきたわけですが、「え、ホワイトハウスも入ってたの!? それって確実にアメリカは報復戦始めるでしょう!」とか言ってたら、今でも続くイラン戦争に突入してしまった(苦笑) いや、笑い事ではないのですけどね。
まあ9・11から続く中東の問題は日本人にも様々なことを考えさせるきっかけにはなったと思います。でもすべての日本国民が『何故アメリカは戦争に向かうのか?』や『そもそも自爆テロを起こすような社会情勢ってどうして生まれたのか?』そして『そのような自爆テロで自らの命を捨ててでも攻撃を加える人の気持ちとは何なのか?』ということを考えるようになった人は多くはない気がします。まあ、この問題は複雑だからというのもあるのかもしれませんが。でも“対岸の火事”という印象の日本人が結構いたのではないかと思います。

そろそろラスト。
結局私の考えによれば20世紀の末頃には時代は変わりつつあった。でもそれは時間軸上ではやはり“20世紀”であり、人々が21世紀になったと実感したのとはちょっと違うと思います。こんな感じですかね、『実はもう時代は変わっていたのだけれど、時間軸上でもどこかに切り替わるところが欲しい』という。ここで21世紀に変わったんだよという明確な時点が欲しいかなと。
でもこの場所を明確にどことするのは難しいかな? 阪神淡路大震災のような大きな事件も起きてないですし(起きたら困りますが(苦笑))。
そこで私が思っていたのはついこの前の2010年の終わりかなあと。これは何となくのイメージなので説明は困難なのですが。2001年になってとうとう10年も経ってしまった。もう一世紀の1/10が終わってしまったわけですから。さすがに世紀が変わったということを意識しないといけないという。『もうさすがに20世紀だとは主張できないよなー』という感じw


ということで明確に「ここから21世紀です」という答えが出せたわけではないのですが。でも世紀の切り替えが単純な時間の変化で生み出されるものではないということは伝えられたかなあと。……え、ダメすか?
でもこのテーマも難しいのですよねえ。日本人にとっては阪神淡路大震災だったかもしれないけれど、これは全世界の人にとっての契機ではないし、むしろ国際的には9・11の方かもしれないし。またこの適用範囲をどこまで広げていいのかという問題もあるのですよ。個人個人にとっても生活が大きく変化する契機というのはあって、その人にとってはとても大事なもの。でもそれは他の人とは違う感覚であり、すべての人に適用できるものではないのですよね。「パラダイム」という用語を使ってしまうと範囲が広すぎてダメですが、それに近いような共通認識の変化としては考えないといけないかなあと。世界観の変化というものに想いを馳せるのも時には重要ではないでしょうか? これからの世界を生きていくためにも。



さて、さすがに私は22世紀にまで生きてはいないとは思いますが(え、医療技術によって長寿になる? そんなこと実現するわけないじゃないですかーw)。22世紀になったなあと感じる瞬間や出来事って何になるんでしょうかね? ずっと先の話だから夢物語。SFですけどね。想像してみると面白いかも。
――あ、あれか。これの誕生が22世紀ではないですか!

      ドラえもん。
by zattoukoneko | 2011-02-27 08:45 | 社会・経済 | Comments(0)