錬金術の発展

一つ前の記事で錬金術というのは全世界で独自に多発的に成立したものだと述べました。ただ研究の中心はやはり西洋の方でしたし、やはりその後の世界に大きな影響を与えたのがヨーロッパおよび大陸の方なので今回はそちらを中心に見ていこうかと思います。
(なお西洋科学がどうして世界の覇権を握ったのかということに関しては様々な議論がなされています。ただ単に知的・技術的水準が高かったからだというだけでは説明がつかないのではないかとされています。日本にだって和算とか本草学はあって高水準だった。伝統工芸だってあった。それらが捨てられたのは何故か? あるいは日本だけではなく他の国にも広まっていっているのは何故か? ま、この話は本当に専門的になるので紹介程度に留めます)



さてヨーロッパではまずギリシャ錬金術から始まったと考えておけばいいですかね? ここでは前回述べたように生命や宇宙と関連して錬金術は営まれていました。これはその後のヨーロッパにも受け継がれて蒸留酒spritsを発明することになりますし、アラビアの方や中国の方にも影響を与えたと考えられます。(そしてまたシルクロードなどを通ったり、ルネサンスによってヨーロッパに還ってくるわけですが)
さて錬金術で大事だったのは生命に関する部分です。金をつくるというのはむしろ二次的なものだったわけです。まあよく「金をつくれれば大金持ちになれるんだ!」と破滅していく術師の話を聞きますが、これは本当かも(苦笑) 金をそのまま売るという感じではないですが、何かきちんと成果を出さないと資金を得られないわけですから。

さてギリシャ(あるいはもっと古くから言えばエジプトとか)から始まった錬金術ですが、キリスト教や国土の拡大によってアラビアの方に移り、そしてそこで発展し中心地となります。そもそも錬金術のアルケミーという言葉自体アラビア語ですからね。なのでまずはここから見ていきましょう。
(ちなみにギリシャは大分話してきたから割愛。重要なのはアリストテレスらの原質とかプネウマです)
アラビアの錬金術は一つにギリシャからの影響であるアリストテレスらの「思想」と、二つにエジプトやメソポタミア地方から伝わってきた「技術」、三つ目に土着のグノーシス主義やヘルメス主義という「宗教的背景」があり、入り雑じっています。これらすべてについて語るのは大変ですからいくつか重要な部分だけ。
まず何と言っても一番の代表格はジャビール・イブン・ハイヤーン(ラテン語名ゲーベル)です。ただしジャビールは実在したかどうかは実は不明で(しかし現在では実在しただろうというのが通説)彼の著作も実は他の人々によって書かれ、編纂されたものが多いのです。中でも有名なのが純潔兄弟(ジャビールの編纂をした秘密結社集団のことで実際の兄弟に非ず)となります。ジャビールの思想は精神的なものが多く、金属と精神を結びつける傾向が強く見られました。また外にある物質と内にある精神を結びつけるのがアル=イクシール、すなわち哲学者の石というわけです。
一方で物質の方を重視する流派もあり、こちらは実験技術や装置を改良していきました。有名なのはアッ=ラーズィーという人物。著作に『秘密の書』というのがありますが、ここには様々な実験器具が記載されています。ビーカー、フラスコ、蒸留瓶などなど多数です。中でも蒸留が大事だったのはすでに述べたとおりです。この後も蒸留の技術は発展していきますが細かすぎるので省略しましょう。ま、あえて一つ付け加えるとするなら現在化学史の有名な機関誌であるAmbixは蒸留装置の頭部に相当し、完全な蒸留器具とされます。また『秘密の書』はとても化学の書という感じであって、溶解性や味などから物質を金属、礬(硫酸塩)、ホウ砂、塩、石などに分類しましたし、磠砂sal annmoniac(Na2SO4)が金属の着色(表面の色の変化)や溶解と研磨に役立つことを見い出します。
他にも塩酸や硫酸、王水などの重要物質を発見したのもアラビアの錬金術師たちの功績となります。
まあこのようにアラビア錬金術というのは複雑です。これが西洋に次第に翻訳されて伝わっていくわけですね。他にもアリストテレスの著作があったり、プトレマイオスやその後の数学の発展があったので、それらを受け入れるために大学の成立にも繋がるわけです。

さて次に中国の話。
中国ではすでに紀元前四世紀頃から錬金術が盛んで、老子がB.C. 600頃に創始した『道徳経』から大きな影響を受けています。ここでは道家の思想と哲学に重きが置かれていました。また道教では宇宙を二つの対立物、すなわち陽と陰で分けており、たとえば陽は男性、熱、明など、陰は女性、冷、暗などです。この二つの勢力の闘争が五つの元素である水、火、土、木、金属を生み出し、そこから万物がつくられると考えました。
中国は卑金属から金をつくること自体にはさほど関心がなく、むしろ不老不死の調合に関心を持っていました。これは神仙思想の影響を多分に受けていると考えられます。中国科学史の権威であるジョセフ・ニーダムによれば騶衍が不老長寿の薬をつくる「黄白の術」を創始したとされています。また体の健康を整えるための「丹」をつくるものとして、これは『煉丹術』と考えるのがよいでしょう。
画期的な書物は142年の魏伯陽の『周易参同契』で、儒教の易、道教の哲学、煉炭の術の三位一体を試みたものです。この中で煉丹術にっとては陽としての金と陰としての水銀が重要な要素であるとされます。
この影響は絶大で後に四世紀に入ると葛洪の『抱朴子』が出てきます。ここでは『参同契』を含めた初期の頃からの中国錬金術を集大成します。ここで重要になったのは朱色の辰砂(硫化水銀に相当)でした。これを熱して乾溜すると水銀を得られるのですが、これを硫黄と化合すると元に戻るわけです(これ、現代の私たちが「水銀」とか「硫黄」と言葉を使っているので当たり前のように感じるだけですからな? パラダイムの違いを忘れないように)。この変化と回帰の性質が水銀に注目を浴びさせることとなります。
また中国錬金術の(その後の世界にとって)最も大きな発明は火薬でした。ここの歴史はかなり長いので一気に割愛しますが、まあ硫黄はさっきから出てますし、また硝石を明確に見つけ出すことでそれら(とあとは炭)の混合によって火薬の発明に至ります。


――と、ここまでが予備知識(苦笑) さてはてこれらが結びついていきまーす。
ヨーロッパは中世に多くのギリシャの書物を失ってしまいます。残っていたのは少数のアリストテレスらの書物のみ。これをキリスト教と結びつけることでできてきたのがスコラ哲学です。ただ中世ヨーロッパは暗黒時代なんて呼ばれますが実際には中国などの方での発展が大きく、そこからの思想や技術の流入によって一気に変わるからそのように感じるだけで、中世は中世できちんとした学問体系をつくっていたと考えられており、現在研究が盛んに行なわれ始めています。まあ私は専門家ではないのでこれらの研究発表待ちです。
ここに12世紀ルネサンスによってアラビアの科学が流入してきます。大翻訳運動が起こりイタリアを中心に大学ができてきたというのはすでに述べたとおり。また10世紀頃のイブン・スィナー(ヨーロッパではアヴィセンナ)はアリストテレスやガレノスの主張をよく吸収し、昇華させた人物であるので特に大きな影響を与えました。こちらは錬金術だけではありませんけれど。
ただまだこの頃は卑金属から金属をつくることや、占星術的な関心が中心を占めていました。そしてその中心的な役割を果たすのが哲学者の石(エリクシール)だったわけです。ここはまだまだ中世の影響を引きずりながらのアラビアの科学の導入でしかなかったと言えるでしょう。
しかし13-4世紀に火薬が伝わってくると大砲の発明がなされます(ちなみに出費の方が大きかったことがわかっています。どうやら国王らがその大きな音などの派手さに大きな関心を持ち多額の投資をした模様)。また大砲ができてくると築城術なども発展してきます。初期の頃とかはわかりにくいと思うので15世紀くらいのイタリアのものを次に掲載。
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これをみると何だかトゲトゲと複雑な形をしているのがわかるかと。これは城壁に近づいてきた人間を多方面から弓矢や鉄砲で攻撃できるようにするためのものです。また城壁の前には堀が掘られておりここを渡るのに手間取るようにしたり、大砲などを近づけないように周囲をでこぼこにしていたりします。他にもいざ城壁を崩されたときの対応などもあるのですが築城術は複雑ですので割愛。
なお大砲の発明と改良によってヨーロッパの大航海時代は可能になったのだとC. M. チポラは主張しています(以前にも紹介してますが大砲と帆船―ヨーロッパの世界制覇と技術革新)。ただしすでに中国が宋の時代にアフリカまでは遠征しており、これだけでは説明できないですが。経済面や羅針盤や時計の改良など様々な側面を見ないといけないでしょう。
さて火薬の他にも中国からは印刷術や羅針盤、製紙術が伝わってきますね。先にも述べたように羅針盤なんかは大航海時代に大きな役割を果たしますし、印刷術はグーテンベルクによって改良され活版印刷術に。またこの頃には紙の値段も安くなっていたことで大量に本がつくられることとなりました。これによって最も人々の手に渡ったのが『聖書』であり、これによって聖書を教会の教義より重視するプロテスタントが誕生。宗教革命へと至るわけです(ただし近年の調査によりまだまだこのときの本は値段がとても高かったことがわかってきてます)。
と、錬金術とは若干離れましたが――と言ってもそのほとんどが錬金術の賜物なのですが――中国錬金術の影響を見ていくことにしましょう。
化学革命の話で触れましたが、ヨーロッパに煉丹術が伝わってくるとそれを取り入れイアトロケミストが出てきます。その代表格がパラケルススとなります。パラケルススはアリストテレス哲学やスコラ哲学に反対し、錬金術に基づく硫黄・水銀・塩を三つの重要な元素としました。また無機化合物を服用することで病を治すことができるとしましたし、彼の後継者たちであるイアトロケミストは実際に様々な医薬品(といっても当時は下剤がほとんどですが)が生まれます。代表的なのはグラウバーの塩Na2SO4で、後々ルブラン法で食塩からソーダNa2CO3がつくられるようになりますが、求められていたソーダよりもグラウバーの塩の方での収益が大きかったなんて話もあります。
また化学者として著名なジョセフ・ブラックは尿結石(一種の塩です)を塩酸などで溶かすことができることができるのではないかと、ようは塩に注目して研究をしていました。この他にもブラックは様々な塩について研究し、固定空気CO2など種々の気体を発見。空気とはけして一つのものからできているのではないのだとブラックの功績からわかり始め、そして空気化学が誕生します。ここにフロギストン説が重なり、またプリーストリの脱フロギストン空気O2の発見などによって最終的にラヴォアジェの化学革命に至るというわけです。
このようにそもそもギリシャの頃からの錬金術とアラビアや中国の錬金術がヨーロッパで融合し独自の発展を遂げることで、それまでのパラダイムを壊す化学革命が起こったということです。したがって近代化学が成立するには錬金術・煉丹術がなければならなかったということになります。
またイアトロケミスト(医化学派)はその後西洋医学(薬学)に繋がっていくわけですね。こちらの方でも錬金術は重要な役割を果たしているというわけです。



以上が錬金術の『ヨーロッパ』での発展ということになります。
中国などはこれとはまた別の道を歩んでいきます。ようは西洋医学と東洋医学は“まったくの別物”ということです。最近西洋医学が東洋医学などにまさにメスを入れようという暴挙に出ていますが(メスってどこの物ですかね?)、そもそもそんなことはできないということです。通約不可能性というやつです。
てなわけでして、次回はこれを説明します。そう、クーンは時代順にパラダイムが変化してきているのだと主張したわけですが、世界のあちこちを見れば現代ですらパラダイムが違っていると考えられる事例が散見されるということ。私には綺麗に説明することはできませんが、もしかしたらクーンが説明しきれなかったパラダイムの概念の理解の足がかりになるかもしれませんね。
…………ここまで辿りつくの長かったorz
Commented by zattoukoneko at 2010-09-11 09:56
ということでして?
実は次回の記事のための予備知識を延々と続けてきたのが最近のパラダイム特集という?!
まあ……全体で一つではありますが。さてはて次回でパラダイム特集もラストです(記事が長くなって分割することにならない限りは!)。もう一度お付き合いいただけるとこれ幸いですm(_ _)m
by zattoukoneko | 2010-09-11 09:52 | 歴史 | Comments(1)