アハ体験の本当の意味とは

今回は「アハ体験」という名前で有名になっている現象について誤りを正そうと思います。
この「アハ体験」というのは茂木健一郎という人がテレビなどで盛んに使用したことから広まったように思います。ですがこの「アハ体験」は彼の独自の考えではありませんし、そして彼はテレビ受けを狙ってあえて嘘をついています(と、私は思います。さすがに彼は本来の意味を知っているでしょう。あるいは自分なりに解釈しなおしたかでしょうね)。
この「アハ体験」は、今はAha Experienceと表記されるようですね。私が習ったときはまだAh ExperienceとかAh Experimentsなんて言われていたものですが……。
まあそんなことはともかくこの「アハ体験」(もうこの言葉使っちゃいますよ、私は嫌ですけど、広く使われちゃってますから)とは元来どういうものだったのかについて見ていこうと思います。


「アハ体験」が最初に発見されたのは次のような実験でした。
まず被験者に「脳内に腫瘍が見つかって、それを取り除かなければならない」という問題を与えます。このとき選ばれた被験者はごくごく一般の人で、特別医療や科学の知識は持ち合わせていません。
で、被験者はその問題を解決するための案を出していきます。それに対して実験者は「それだとこういう弊害があるのでは?」と疑問を返します。そしてさらに考えを深めてもらうのです。このとき被験者にはできうる限り自分の頭に浮かんだことを口に出してもらいました。頭の中でどのような情報のやり取りがなされているのかを見るのが実験の主旨だったのです。
まあ大抵の場合は被験者は「とりあえず頭を開いてその脳の奥の腫瘍を取ればいいだろう」なんてことを言います。ですがそれに対して「脳には血管や神経がいっぱいあって、特に腫瘍が奥にあるのなら手術は困難だし、後遺症が残るかもしれない」ということを返します。すると当然それを聞いた被験者は頭を開かないか、開いたとしても神経や血管を傷つけないような方法をどんどん口に出していきます。細いメスとかないのかな?とかですね。これはとても自然なやり取りです。頭の中の情報のやりとりも明快ですね。非常に論理的に(そこに科学の知識がなくても)考えようとするのです。
で、これをしばらく続けていると、頭の外から何とか腫瘍を消せないか、なんてことを考え始めるみたいです。そうなるとレーザーなどを使うことになるだろうか?、なんてことを思いつくのですが、しかしレーザーも他の神経などを傷つけてしまいます。そのことを告げるとかなり多くの被験者は悩んでしまうようです。
が、次の瞬間、被験者が言うのです。「ならレーザーを一点に集中させればいいんじゃない」と。
この医療技術は実際に行なわれる、なかなかに先端の技術です。これを(実験者の助けを得ながらも)素人が導いてしまうのです。しかも被験者の多く(一人だけでやったわけではないのです)が同じようにこの結論にたどりつきました。
ですが、注目するのはそこではありません。最後の『いきなり』結論を導き出したところが大事なのです。
先に述べたように被験者には考えていることを随時口に出してもらっていました。ですがここでは一気に考えが飛躍するのです。ここには論理の欠片もないのです。
これを「あっAh」という思いつきから結論を導き出したということで、Ah Experienceなどと名前がつけられました。
現在この「アハ体験」の仕組みは議論の真っ最中です。ただどうやらその瞬間にばらばらに散らばっていた知識がいきなり繋がるようだ、というのが今のところ有力な説のようです。
実際この「アハ体験」は私たちが結構日常的に経験するものです。一番わかりやすいのは難しい数学の問題を解いているとき。模試などであなたは問題文を読んでその瞬間に途方に暮れることがあるかと思います。でも解かなきゃならない。あなたは「うんうん」頭を悩ませるのです。でもこのとき論理的な思考などできてないはずです(できてたら解けてるはずなので)。けれどあるときふと「あっ、そうか」と一気に答えまでの道順が思いついてしまうことがあるのです。これがまさしく「アハ体験」です。


では茂木健一郎の言っているアハ体験とは何なのでしょうか?
彼が紹介しているものを見てみると画像を利用したものが多いですね。これはだまし絵という類のものです。次に挙げるのは代表的な例。
b0118096_53429100.gif

これは皆さんご存知ですよね? 真ん中につぼがありますが、ですが横に向かい合った人の顔があるようにも見ることができます。
次も代表的な例。
b0118096_535617.jpg

これはさっきのやつより知ってる人が少なくなりますかね? 若い女性と老婆の絵が描いてあるのです。
まあ、わからない人はしばらく眺めてもらうとして――
で、見えました?
コツは中央付近、やや左の突起を鼻と見なせば若い女性に見えます。ですが、その若い女性の首に相当する切れ込みを口と見なし、あごだったところを鼻と思えば――気味の悪い老婆の顔に見えます。
これに気付くと、確かに「あっ」と思うのです。ですから茂木健一郎は「アハ体験」の一例として出しているのだと思います。
が、Aha Experienceと今のだまし絵では決定的に違うことがあります。
それは後者の場合、二つの見方がわかった後だと“なぜそう見えなかったのか”がわからなくなるのです。二度目以降に見えたときにはもうコツがわかっているので(忘れていなければ)すぐに二通りの見方をすることができます。
一方でAha Experienceはその経験をする前のことを“忘れます”。そのときに何を考えたのかわからないのです。だまし絵の場合はコツやポイントを見ればいいのだと、自分の思考がしっかりと確立されています。ですがAha Experienceはそれがない。これは決定的な違いです。
そしてこのだまし絵の方にはきちんと「アハ体験」ではない別の名前がつけられています。「ゲシュタルト転換」といいます。なので学問的にもきちんと明確に区別されている代物なのです。


茂木健一郎がどのような考えでAha Experienceとゲシュタルト転換を混ぜて「アハ体験」という名前にしてしまったのかはわかりません。彼なりに考えて似た部分が多いし、そのようにした方が色々と説明がつくと判断したのかもしれません(残念ながら私は彼の論文を全部読んでいるわけではないのでわかりかねますが)。あるいは――テレビ受けを狙ってわかりやすいゲシュタルト転換を「アハ体験」にしてしまったかでしょうね。視覚に訴えるものは効果がとてつもなく大きいですから。
ただいずれにせよ、私としてはこの茂木健一郎の活動にはちょっと不快感を覚えます。彼のHPなどを見させてもらいましたが、彼は脳のトレーニングの一環としてこの「アハ体験」を喧伝している節があります。
確かにボケ防止のような脳の活性という意味ではゲシュタルト転換の方を見てみるのも役に立つでしょう(実際私も小中学生なんかにはこういうものを見せて面白がらせたりすることがあります)。
けれど彼がHPで言っている「数学におけるアハ体験」はAha Experienceのものなのです。これはいくらゲシュタルト転換を経験したからといって意図的に起こせるものではありません。頭の出来のいい人はこの経験を流用して見方を変えるポイントを見つけることができるようになるかもしれません(実際、これは可能です)。ですがそれができるのは本当に能力のある人です。またそうした人たちでも優秀な先生方に訓練を受けたり、何度も何度も失敗したりしてようやくできるようになるものです(これは以前ご紹介したブレイクスルーの経験に近いです)。こうした環境や能力に恵まれていないごく普通の人にとっては、むしろこの「アハ体験」の練習で試験やプレゼンを行なおうとすると失敗します。弊害になるのです。
簡単にまとめてしまえばAha Experienceは閃きなのです。これを起こすにはたくさんの知識を集めておき(先に挙げた実験のAha Experienceの直前の被験者と観察者とのやり取りがもしかしたら知識の蓄積だったかもしれません。確かめようがないですが)、そしてそれを結びつけるのが必要なのです。いわば小さなブレイクスルーなのです。一方でゲシュタルト転換はブレイクスルーではなく、思考の練習です。ここにブレイクスルーが起きる余地はありません。

エジソンの言葉ですが、何かを生み出すには1%といえど「閃き」が大事なのです(まあこの言葉はマスコミ用に適当に言ったものですけれど)。また私が前に記事にしたブレイクスルーを起こすのにも全体の結びつき、まさにAha Experienceが必要なのです。
ゲシュタルト転換の練習によるポイントの発見も重要なものです。ですがそれは上のものと比べればはるかに細かなものです。だからといってないがしろにしていいとは言いませんが(特に人の意見を聞くときなど、色々な見方をしてみるのに役立ちます)。ですがAha Experienceとゲシュタルト転換はやはり別々のものだということを知っておき、それぞれ違うものとして訓練しなければ、優秀な人間にはなれないでしょう。

茂木健一郎さんには申し訳ないですが、ですが私は彼の「アハ体験」に対して反対の意を述べさせてもらいます。
私は次世代の人々に私の上を行ってほしいと思っています。そして世界の頂点に立ってもらいたい。そのためには様々な思考の様式を身につけてもらわなければならないのです。そしてそれを使いこなしてもらわなければなりません。ですから思考のパターンが混ざってしまっている「アハ体験」には反対させてもらいます。


なお、今回は茂木健一郎さんの「アハ体験」を槍玉にあげさせてもらいましたが、実はテレビに出ている知識人のかなりの多くの人がとんでもないことを言っています。この「アハ体験」なんて、まだある程度きちんとした意図が見えるだけずっといいものです。
ただついこの間にブレイクスルーなどの話をしましたので今回取り上げさせてもらいました。繋がりがよかったものですからね。

これから何らかの分野で頂点を目指そうとする方(そこには私自身も含まれます)は、テレビなどの言うことを鵜呑みにしないでください。
もちろんまず知識として持つことは構わないと思います。でもその後それだけを信じるのではなく、自ら他の資料と照らし合わせ、また考えることによって昇華をしてもらいたいと考えます。
これはかなりの難しい訓練です。私自身十年近く(以上?)これをやり続けて、先生方にある程度その力をようやく認めてもらいました(その先生たちは私のはるかに上にいるのですけどね(苦笑))。でもやろうと思えばなんとかなるものです。
あ、最後に。テレビの言うことを鵜呑みにしちゃダメですよって言いました。でもそれはこの記事にも言えること。いまこれを読んでいるみなさん? すでに疑ってかかることはできてますかw?
Commented by at 2013-06-17 03:09 x
あなた、頭いいですね!茂木さんは画像認識は先天的な人間の能力と言ってましたが僕は後天的なものだと思っています。ソクラテスさんも画像認識は先天的なものかと疑問に思ってたらしいです。人工知能を研究してる人が日本いっぱいいますがあの人達は研究してる振りをしてるようにしか見えない。僕も人工知能について妄想したことがあるんですがどう考えても先に目を作る必要があるんですよね。学者達は目を先に作らなければいけないのをわかっていながら、それが難しいから逃げているように思う。で、目を作れる人はいるのかって?世の中にはチョー天才がいてその人が来月までにはつくると思うな。
Commented by zattoukoneko at 2013-06-17 08:34
頭がいいかどうかはわかりません(苦笑)

目さんのコメントを読んでふと気付かされたのですが、
そうか、脳と目の機能を分けるのか!
と。私はこの記事を書いたとき、そこまで考えてませんでした。
人工知能などは私は詳しくありませんが、そうするのが自然という気がします。

一方で、思考は目に入ったものに左右されるだろうし、逆に映像は脳で処理されて補完されてもいるということから、果たして目と脳は分けていいものなのかなと。
私たちは体の部位を分類して捉えがちですが、それが可能かどうかと問いを立ててみるのも面白いのではと感じました。
Commented by at 2013-06-17 22:16 x
身体の器官を別々に切り離さないで考え方は僕になかったいい発想だ。

僕は目に映像が入って来てそれを認識した後からが、いわゆる人工知能だと、勝手に解釈してました。確かに画像認識する作業は脳の役割ですね。先日のコメントで書きたかった目とは画像認識プログラムのことだったのですが説明が全然足りませんでした。

ここで視神経を何げにググってみた。すると網膜に約1.3億ある受容体から視神経の神経繊維は約100万本しか出てないことが分かった。受容体から受けたデータを視神経に送るとき130分の1に圧縮しているのか抽出しているのか他の方法があるのか?
ますます疑問が深まるばかりである。
Commented by 星を継ぐ者 at 2015-01-19 03:51 x
すべてのパズルがそこにあるだけで、自動的に一つの絵になる脳の不思議ね。勉強になりました、あざーす(`・ω・´)ゞ売名のため間違った説を大衆に吹き込んだやつはクズだと思います。
Commented by zattoukoneko at 2015-01-19 09:17
星を継ぐ者さん、コメントありがとうございます。
記事内はある程度断定口調で書いていますが、茂木さんの考え方の方が正しい可能性もあります。私はこれこれの理由で反対というだけで。
また、アハ体験という言葉が世間に広まり、脳科学や認知心理学に興味を持つ人が増えたのは確実でしょう。その人たちが専門家となり、「茂木説は正しい」「いや正しくない」と議論してくれれば、学問が深まるやもしれません。
少なくとも、ここの記事だってこうして目に入れてくれる人がいるわけで。
学問だって人の営為なのですから、様々な側面があります。それを知り、より良いものに変えられるよう、皆さんの学問観を整理する一助になれば幸いです。
Commented by ニーコ at 2015-12-29 20:18 x
確かに!「っあ」ってなる!
Commented by zattoukoneko at 2015-12-29 23:52
ニーコさん、コメントありがとうございます……なのですが、どこに「っあ」だったのかがわからない><
でも「確かに!」とあるので、全体を踏まえてなのでしょうか。
このブログが、ただの見方の変化だけでなく、思考のブレイクスルーに役立てば幸いです。
Commented by あああ at 2017-06-05 12:08 x
茂木さんが騙し絵を使った理由は、大衆メディアである地上波、しかもゴールデン帯という事もあり、子供でも取っ付き易い説明が番組制作側から求められたという事です。

Commented by あああ at 2017-06-05 12:17 x
また、茂木さんはアハ体験の説明に、ニュートンが木から落ちるリンゴから閃いた話を例に挙げています。
Commented by zattoukoneko at 2017-06-05 15:09
あああさん、コメントありがとうございます。

ご紹介いただいた茂木さんの説明を私は知らなかったのですが、その発言の真意がわかりかねました。
「だまし絵」を子供たちの興味のために用いることは、教育の現場では昔から行われていました。だから茂木さんも使おうと考えることは理解できますし、自然なことだと思っています。
ですが、それを「アハ体験」と一括りにする理由については、何と説明されているのでしょうか? 学術的な誤り(と思われるもの)を大々的に喧伝しようと専門家が考えたのですから、「製作サイドに求められたから」とは一線を画す理由があってしかるべきではないかと私は思います。
茂木さんが人気者になり始めた当時、教育の現場の困惑っぷりは大変なものでした。生徒さんたちの誤った知識を修正するのに苦労しましたし、そうした教育を受けずに間違った認識のまま育つ子供たちもいるのだろうと想像しては胸を痛めたものです。
茂木さんなりに『学術的な』意図があってのことだったのなら、その説明をしていただきたいと今でも思っています。

まあ、後になって「認知の学界では、生徒が集まって喜んでいる。教育は我々がやり直すし」と言われていると人づてに教えてもらい、『ああ客寄せパンダいう功績があるのか』と、肩の荷は軽くなりましたが。

ニュートンのリンゴの木の話ですが、私が前後の文脈を把握していないからか、こちらも意味がわかりませんでした。
当ブログでも紹介しているようにニュートンのリンゴの木の話は創作とされることが多いですし、それを差し置いても「アハ体験」の歴史的事例とする意図がはかりかねます。
アルキメデスの浮力の発見や、ケクレのベンゼン環の話(これも創作)、アインシュタインのエレベーターを挙げるのならわかるのですが……ニュートンの話ってこれらと同様のものとして語られてましたっけ? これらは、悩んでいたときに突然着想を得てものの考え方が変わったということでエウレカ効果の事例とされるものですが、ニュートンはリンゴの落下を見るときに悩んでいたわけではなかったような。

コメントを受けて「茂木さんって、やっぱり学術的な理解がズレてるってことなんじゃないかな……」と不安になってしまいました。
Commented by zattoukoneko at 2017-06-05 20:58
調べたところ、海外の科学雑誌や新聞では、ニュートンのリンゴを「Eureka moment」と紹介するものもあるようですね。
しかし学術的にエウレカ効果なのか検討してるものは見当たらず。

私の印象としては、ニュートンは違うのではないかなぁと。
宇宙にも月下の物理法則を適用しようという動きや、引力を磁力などで説明しようという考え、あるいはオカルティシズムはニュートン以前にあったわけです。よしんばリンゴの話が本当だとしても、それら時代背景から連想が繋がるきっかけになったにすぎないのではと思います。
つまり、思考の断絶を要件とするaha experienceとは一線を画する。

「リンゴは地面に落ちるのに、なぜ月は落ちないのだろう」って、どう考えても自然な思考の流れですものね。
お風呂に入ったときに水があふれて「そうか、これが浮力か!」ほどのインパクトはないって思います。
by zattoukoneko | 2010-04-04 05:35 | 生物・医療 | Comments(11)