私は差別主義者です。

多少酔っています。ですからこの勢いでぶっちゃけてしまいたいと思います。文筆が乱れているのにはご容赦くださいませ。
私はタイトルにあるとおり、差別主義者です。特に障害者、同性愛者、整形を受ける人に対して強い差別意識を持っています。

が、以前の「人権・平等概念」の記事で申し上げたように、私自身赤緑色盲という障害を持っています(近年では色盲なんて障害じゃないと言われていて、正直悲しいところですが)。そうした自分も障害者であるという立場から差別をするべきと主張しています。

私自身、赤緑色盲という障害を抱え、ルサンチマンの克服を経たとはいえやはり時々自分の障害について苦しむことがあります。特に小説を書く身としては色彩の表現にとても苦労します。私は桜が好きですが、私にとって桜の色は白でしかありません(濃いのは別ですけど)。紅葉も一つの小説の重要な表現材料ですが、私にはせいぜい赤と黄色の二色の区別がつくのみです。赤の濃淡の違いなどはまったくといっていいほどわかりません。そうしたこともあり、障害者というのはどう自分たちの障害と向き合っていくべきか、そして健常者や社会にどう受け入れていってもらうのがいいのかを考え続けてきました。もちろん他の障害者の主張なども聞きながら、です。
当初たどり着いたのは、健常者と障害者を「区別」してほしいということでした。健常者には障害者の世界がわかりません。また障害者にも健常者の世界がわかりません。しかしお互いが住む世界/社会は同じ場です。そうなればお互いがばらばらに生活を営むしかありません(そして、そうやって過ごしている障害者の方々もたくさんいます)。
現在はバリアフリーなどの健常者と障害者が共に暮らせる社会づくりが進みつつあります。しかし今のところはまだ健常者からの押し付けの域を出ていません。本当に障害者を理解して社会を組み立てなおそうという試みは残念ながら世界のどこを見てもありません。障害者はまだまだ健常者中心の社会から切り離されたところにいます。
このバリアフリーや現状の障害者に対する意識が私は問題だと感じ、これを是正するためには、まず健常者と障害者の間には絶対的な溝があるということを認識してもらい、その上で新しい社会をつくっていくことが大切だと考えました。その結果が「区別」です。
しかし……それでは考えが甘いと気づき始めました。私が自分の障害と向き合ってからちょうど十年目のときです。
「区別」では健常者と障害者が離れていくだけなのです。お互いの溝を認識するところまではいきます。でもそこでおしまいなのです。両者はより一層距離を広げ、障害者は自分たちの殻にとじこっもってしまいます(前述の方々がそうした人たちです)。そして健常者は障害者のことなど忘れ自分たちの社会をつくり続けてしまいます。
私は「何かが欠けているんだ」と思うようになりました。いくら考えてもその答えは出ませんでした。ですが、それは当たり前だったのです。話は「頭」で決着をつけるべきものではなかったからです。
以前の記事でほんの少し触れた小松美彦先生は脳死移植の反対派ですが、その主張では「頭」だけではなく「心」の決着はどこへ行ったとされていました。脳死は「頭/理屈」だけで考えれば確かに死としていいのかもしれません。が、脳死患者は、触れれば暖かいですし、鼓動を感じることもできます。それに対して遺族は本当に心のそこからそれを単なる死体・肉塊としか見ていないのかと強く訴えています。おそらくは違うでしょう。やはり大事な家族の温もりや、体を見れば愛情が沸くのが自然なことです。ですからどんな社会でも(やり方は違えども)死後も遺体を丁寧に扱うのだと思います。
ここに私は糸口をつかんだ気がしました。私は健常者と障害者を「区別」するのは「頭」で考え出した理屈でしかないと気づきました。そうではなくどう感じているのかという「心」の側面を取り入れなければならない、そうしなければ本当の理解にはたどり着かないのだと思いました。その「心」の側面を取り入れた「区別」が「差別」なのです。

当然のことながら理由なき迫害は避けられるべきだと思います。ですが、障害者を見たときに「気持ち悪い」などと思ってしまうことは自然な感情だと思うのです。
ここでは画像などを掲載するのは避けます。が、本当に重度の障害者は「怖い」です。私自身は偶然にも幼い頃に重い障害を持った人を見たことがあります。脳が膨張し、頭蓋を内側から広げて頭部を大きく変形させるというものです。その方は通常の方の頭の三倍の幅の大きさの頭を持っていました。私はあまりの怖さにその場を逃げ出しました。
障害者のことを調べ、自分にも障害があると知っているという現在においてもこのときの幼い自分の感情を否定することはできません。とても素直で、実直な心の動きだったと思います。いくら頭/理屈でこれを過っているものだとしようとしてもできないのです。
(なお、私の見たこの人でもまだまだ「軽い」方です。本当に重度のものは吐き気すら覚えるものがあります。生まれたときに脳が露出しているなど、生後まもなく死ぬような障害もあります。TVなどで観られるものはまったくもって「重い」ものではないと思ってください)
私は障害者に対して「気持ち悪い」などと思うのはいけないことだと思っていました。が、それは心の否定に他なりません。その心と向き合った上で障害者と付き合い、相手を理解していく。そしてその先で心の変化があれば本当の、障害者への理解、なのだと気づきました。
これは私個人だけの意見ではありません。調べてみたら他の障害者の方々の中にも、「自分をあえて差別の目で見てほしい」という方がいることがわかりました。私やこうした人々は、本当に健常者と障害者が理解しあうには、お互いの心や感情も含めて素直に接しなければならないのだと考えているのです。


以上が私があえて自らを差別主義者とする理由です。ここから下は同性愛者や整形を受ける人たちに対して記述しますが、根幹には同じ理念があると思ってください。ただしあえて記述をばらばらにするのは異なった理由があるからです。


同性愛者は激増する方向で今進んでいます。中には脳の障害などでどうしても同性にしか愛情や性欲を覚えないという方もいます。性同一性障害というやつが一番有名でしょうか。
が、この割合はそれほど高いほどではありません。今のような数に上るほど同性愛者が出てくるはずはないのです。
実は同性愛者の多くは、心の病から同性へ走っています。たとえば異性からのひどい仕打ち(レイプなど)を受けたことが原因だったりします。
しかしこれは「心の問題」です。そのまま心の傷を癒さぬまま同性と結ばれたところで、それは逃避に過ぎず、傷は残ったままです。そして実際に結婚後などにその心の傷が表面化してくることなどがあります。今はそちらの方面にはメディアは目を向けていませんが。
そもそも同性愛者が激増したのは、個人/個性の尊重、というのが謳われだしてからです。同性愛も個性の一つとして認めろというのが、同性愛者やそれを保護する人々の主張です。
ですが「個人/個性の尊重」というのは「頭」で考え出された理屈なのです(多少「人権・平等概念」の記事で触れましたかね)。ここには「心」の介入する余地は認められていません。彼らは心の介入を感じると、「それは差別だ」として猛反発します。自分たちの同性への「心」は認めろと主張しているのにもかかわらず。
ちょっと想像してみましょう。自分に息子がいたとしましょう。その息子がある日、「自分はこの人と付き合っていて、結婚したいんだ」と男を連れてきたらどう感じるでしょう? できるだけ頭や理屈の介入は避けて想像してください。多少なりとも、ショックを受けるのではありませんか?
現在はこのショックを口に出すことすら禁じられようとされている社会になっています。しかしこの瞬間的に感じた感情こそがやはり大事なのです。自分の息子を本当に理解するのなら、この感情すら踏まえて向き合うべきです。
そして先に述べたように、今は同性愛者の多くが自分の心の傷と向き合わずに同性へと恋愛感情を向けているというのが実情です。レイプなどなら自覚しやすいでしょうが、中には精神科医やセラピストなどの専門家でも見つけるのが困難なほど心の奥底に眠っている傷が原因の場合があります。こうした方々の本当の幸せは、同姓への愛、ではなく、心の治療、のはずなのです。
ですが先に述べたように現在は世界中で同性愛が歓迎されつつあります。そして心の治療は置き去りにされつつあります。
だからこそあえて「差別」の目を向けてみるべきではないかと私は考えています。そこから当事者本人も気づいていなかった心の傷に気づく可能性が出てくるのではないかと思うのです。


整形にかんしても同性愛と似た状態です。個人の自由だからだと整形を受けさせるのが当然のようにされつつあります(あるいは「ありました」ですね。現在の日本ではようやく問題が浮き彫りになってきて変わりつつあります)。
整形を受ける人の多くも心の傷が原因であることが多いです。その傷を癒さぬまま手術を受けた結果、「やはり自分の望んでいたことはこれではなかった」と後悔する患者が多数います。しかし整形を受けた場合、完璧に元の顔に戻すことは不可能です。これは後戻りのできない重大な過失となります。
ですがつい最近まで個人主義の流行により整形はそんな心の傷など無視してどんどん行われました。また心の傷があると医者が気づいていても、金儲けのために手術を行ってしまうケースがありました。この結果、上記のようなより深くなってしまった心の傷を抱えた患者があふれかえっています。
現在の日本では(あまりにひどいクリニックがあったこともあって)これを防ごうとする試みが始まりました。きちんとしたクリニックであれば、手術の相談に行ったときにかなり綿密なカウンセリングを受けることになっているはずです(逆にそういうのを受けられないところは信用できないところですので注意です)。
ただこうした試みはまだまだ発展段階です。セラピストらがさんざん警鐘を鳴らしていて、今やっとスタートラインに立ったという感じです。現状として、各クリニックに配属されているカウンセラーや、他の精神科医にはまだまだ整形を受けにくる人々の心の傷を特定できるだけの力量がありません。経験も歴史もないのだから仕方のないところです。
私があえて「差別」しているのは、こうしたカウンセラーらが配置される前からそう主張していたという経緯があるのと、現状でもまだまだ制度も能力も整っていないと感じているからです。「差別」するのは負のエントロピーとして働き、より綿密な心の調査に向かわせるのではないかと期待しているからです。

なお、同性愛も整形も本当にそれが必要なのだとわかれば認めていいものだと思ってはいます。中にはそういう手術などをしなければ癒えない心の傷などもあるだろうと思います。ただし最終手段だと私は考えています。現在はあまりにこれらに対して社会が甘すぎます。このままではより重度の「患者」が出てきてしまうでしょう。
だからこそ私は「差別」すべきと主張しています。
彼らに対する本当の理解のためにも、「患者」を増やさないためにも「差別」の目を向けることが必要なのではないでしょうか。

***
2018年10月24日、本記事の後日談を公開しました。
「障害者の技術をどう考えるか」
より正確には、本記事の背景にあるお話といった方がよいでしょうか?
コメント欄では、さらに私の意図している、「障害学」とその課題・反省についても述べています。

Commented by at 2014-12-17 11:57 x
障害をプラスに捉えて利点を最大限武器に変えると良いんじゃ無いですかね
Commented by zattoukoneko at 2014-12-17 12:21
障害者の側であれば、匿さんのおっしゃる通りと思います。
自身の障害をハンデではないと知り、さらには武器に変えていくような意識の変化を、障害学では「ルサンチマンの克服」といいます。
ただ、その変化を経るのは難しく、また周囲の人が障害を見て見ぬ振りをしているため、変化が起きても理解されるにはさらに苦労するという現場があるように思います。
Commented by 笑わせてもらいました at 2015-05-26 20:33 x
"同性愛に嫌悪を持つのは本能的に当然なのだから、当人達は調子に乗るな。お前らが男好きなのは心に原因があるからです。それを克服しなさい。私の主観で、どうしても必要だと思ったものは容認もまあやむなし"

こうとしか解釈できないのは私がバカだからですかね?
同性愛者は激増の傾向にあるとか、大半の同性愛者は心の傷が原因であるとか、どこから出てきた情報ですか?これ根拠のない妄想ですよね?

事実と妄想の区別もできないのにエッセイストごっこしてる様に盛大に笑わせていただきました。
これからもコメント数ゼロの小説()をせこせこ書き続けて下さい応援してます!
Commented by zattoukoneko at 2015-05-26 23:52
笑わせてもらいましたさんのような、偏見に満ちたコメントは残念に思います。そのようなものが減ればいいのにという記事のはずなのですが、それどころか悪意までこめられていますし。
たとえば、あたかも引用・要約であるかのように記述しながら、「私の主観で」のように笑わせてもらいましたさんの言葉が挿入されています。それこそが思い込みであり、本記事に照らし合わせるならば真の差別意識でしょう。それとも故意に印象操作を目論んだのでしょうか?
また、本記事に関係のないはずの小説を持ち出すことなども、執筆者を貶めたいという気持ちが先走ったものと思います。
「そのように自身の考えばかりを前面に出すのではなく、そのような不快感を覚えることを認めつつも、相手の主張・立場をまず読み取ることから始めてみよう」というのが本記事の主張であったはずです。
内容として反感を買いやすいものではあるし、いくらか意識してそうなるようにも書いてはいますが、読もうとしないというのは悲しいものですね。
Commented by at 2015-05-28 03:13 x
Commented by at 2015-05-28 04:14 x
どうせおバカさんは、私が偏見と悪意に満ちていて記事をろくに読んでいないとか言い出しそうなので問題点をまとめます。

>同性愛者は激増する方向で今進んでいます。中には脳の障害などでどうしても同性にしか愛情や性欲を覚えないという方もいます。性同一性障害というやつが一番有名でしょうか。
が、この割合はそれほど高いほどではありません。今のような数に上るほど同性愛者が出てくるはずはないのです。
実は同性愛者の多くは、心の病から同性へ走っています。たとえば異性からのひどい仕打ち(レイプなど)を受けたことが原因だったりします。
しかしこれは「心の問題」です。そのまま心の傷を癒さぬまま同性と結ばれたところで、それは逃避に過ぎず、傷は残ったままです。そして実際に結婚後などにその心の傷が表面化してくることなどがあります。今はそちらの方面にはメディアは目を向けていませんが。
そもそも同性愛者が激増したのは、個人/個性の尊重、というのが謳われだしてからです。同性愛も個性の一つとして認めろというのが、同性愛者やそれを保護する人々の主張です。
Commented by at 2015-05-28 04:15 x
↑の文のなにひとつとして事実無根。TVの特集でも真に受けて、世の同性愛者はすべて新宿二丁目に通っていて、ゲイリブに賛同し、同性間での結婚を望んでいるとでも思っているのでしょうか。
まずもって同性愛と性同一性障害の区別すらついていない。一緒でしょそんなの、っていう姿勢が透けて見える。
同性愛は激増の傾向?全国の同性愛者の数を記録したものがあるとでも?"TVで目につくようになった、例えばマツコデラックス!"といった小学生レベルの認識ですかね?
異性からレイプされて同性愛者に?どこのエロ漫画ですか?少なくとも私はお会いした事はないです。あったとしても極小の極端なケースなのに変わりはない。
個性の尊重が謳われだしてから同性愛者が増えた?個性を尊重されると同性を好きになるんですか?
結婚後などにその心の傷が表面化してくる?同性夫婦の結婚生活でも観察しているんですか?
同性愛者やそれを保護する人々の主張?声の大きいゲイリブや二丁目のコミュニティ、ゲイパレードとかやっちゃう人間で同性愛者は100%なんですか?私はどれとも無縁ですけど。

まとめるとですね、筆者の中に存在する"同性愛のテンプレート"がもうステレオタイプそのもの。
で、その妄想に対して差別をもっているから、歩み寄るために克己せよという旨の記事を書いたと。

妄想の根拠から他人に自制を求めるって、偏見と悪意そのものじゃないですか。
しかも筆者は自分を善意の識者だとでも思い込んでいる様子。吐き気しか感じない。キモチワリー
Commented by zattoukoneko at 2015-05-28 12:39
私が「笑さんがしているのは差別である」と指摘し、ご自身からも「差別します」と認めておられます。それですべてではないでしょうか。対話の意思がなく、攻撃することを目的とされている方に、これ以上何を話すことがあるのでしょうか?
その姿勢がまずは改められなければ、回答できることはありませんし、荒らすことが目的のコメントを受け取ることもできません。
Commented by zattoukoneko at 2015-05-28 12:40
とはいえ、今回は私のコメントを受けてのものと思われますし、ある程度筋も通った意見もあると感じたので、いくつかお答えしてみます。

>なお、同性愛も整形も本当にそれが必要なのだとわかれば認めていいものだと思ってはいます。

それより前の部分で、現状ではカウンセリングや制度が整っていないのではないか、という話をしています。
したがって、ご指摘の部分は「医学等に基づいた評価基準が整えられ、それによって手術が必要と客観的にも認められたならばよい」という内容です。
私がすべての方に対して良いとか悪いとか評価を下すわけではありません。
あるいは、社会的に受け入れる基盤が整っていないのならば、個々人の付き合いのもと判断がなされるべきです。
ですから、私個人の感想として知人には苦言を呈することも祝福することもあります。友人に自分なりの意見を述べることすらいけないのでしょうか。
Commented by zattoukoneko at 2015-05-28 12:40
情報元とのことですが、男性性や女性性の啓発セミナーを行っているセラピストがおり、そうした方からのお話や実際に私もセミナーに参加した体験に基づきます。
宣伝になるようなことは控えたいと思っていたのですが、要望がありましたので一例のURLを以下に。
http://www.pas-ins.com/%e5%bf%83%e7%90%86%e7%9b%b8%e8%ab%87/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%87%e3%83%b3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%bb%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%97/%e3%80%90new%e3%80%91%e5%a4%9a%e4%b8%96%e4%bb%a3%e5%a5%b3%e6%80%a7%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%87%e3%83%b3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%bb%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%97%e3%80%80/
紹介したものには具体的な数字はありません。第何回の、会場はどこ、どのような流れから出た誰の発言を用いている、とまで述べてしまうと、プライバシーにかかわりますので、伏せさせていただきます。
こうした場での主張は、論文の査読のような審査を経たものではありませんから、「偏っている可能性がある」というご指摘であれば私もそれは正しいと考えます。
Commented by zattoukoneko at 2015-05-28 20:25
それとも。
笑さんには、今まさに私(あるいはこのブログの読者)があなたに殴りかかろうとしているように思えて仕方ないのですか?
だから拳を振り上げ、刺々しい言葉で自身を包んでいるのですか?
しかしながら、あなたが目で見ているのはただの文字ですよ。肉体などない、記号にすぎません。
また実際生活においても、差別にも一定の役割があるのではないかと考える私は、直接に同性愛者に会っても差別的な言動を向けることはありません。普通に知り合うことから始めます。差別主義者を称していても、差別者であってはならないと自分に言い聞かせています。
まずは落ち着き、字面通りに文章を読むようにしてください。独りで自分の考えるステレオタイプ像を私に重ねられても、こちらからはなにもできません。また、その虚像に殴りかかろうと暴れていたら、他の方も訪問する場を預かる身としてあなたを追い出さざるを得ません。
Commented by zattoukoneko at 2015-05-29 00:51
15/05/29 0:31に、笑さんより「対話は必要ないです」とのコメントをいただきました。
私の方からそうしたコメントはスパム認定せざるを得ないとすでに伝えていましたし、ご自身でもそうである認めるとなれば、コメント拒否の対応を取るしかありませんでした。
攻撃的な文言ばかり並べてはいますが、それでもコメントを残そうとしたのには対話の意志があるのではとも思っていただけに、残念でなりません。
Commented by ダイ at 2015-05-30 18:04 x
これzattouの言ってることって、
道端で障害者とかに不意に会ったとき、「うわっ」「あ!」と思ってしまったとして、それすらよくないことだとされる社会はおかしいんじゃないか、
法や技術がその上にできたら、余計な問題も発生するだろう、
もちろんそんな感情を直接伝えたら、相手は気分を害して怒り出すかもしれない、
でもその後にお互いに考えをモディファイして仲良くなるとこまで行けたら、それは問題あると思える現在の社会よりもよい結果なのではないか、
ってことよな?
本筋捉えずに関係ないとこでソース出せって言われても困るわな。
ま、俺も理想論的過ぎて飛躍してるとこもあるじゃないかとは疑うが、すぐには出てこんわ。

んで、やり取りの最後のとこだけど、一方のコメントが消されてるんでちょっとわからん。
対話する気がないってだけなら、それは残してブロックとかでよかったんじゃね?
消しちゃうと都合悪いこと言われたみたいにも勘繰れるんだが、その辺どうなの?
Commented by zattoukoneko at 2015-05-30 21:17
ダイさん、コメントありがとうございます。
また、素晴らしいまとめをありがとうございます。私の本文よりもずっとわかりやすいですね……。

削除されたコメントにはその他に、「又聞きってことはいい加減な情報なんだろう。間違いと偏見を認めろ」という内容のことが書かれていました。
これが仮に「その他人の主張を正しいと見做すという、その判断はどのようになされたのか」あるいは「『偏っている可能性もある』と自身でも認めているならば、それを本文に明記しなかった理由は何か」というものであれば、議論として深化し得るものを感じていたと思います。
なお、これに対しては「言葉を『数は減少しているが』などに換えても本論に何ら影響しないため」を軸にお答えすることになります(ダイさんがわざわざ「本筋とは~」と入れているのは、このような展開があり得たと想定してのことなのでしょうか? 考えすぎですかね……)。
「又聞き=間違い」という構図は、お話を聞かせてもらった先生をも悪し様に罵るものと思えましたので、ご迷惑をかけてはいけないと削除するという対応を取りました。
まあ、ここまで述べておいてもよかったのかもしれませんが、そうすると「攻撃が目的ならばお相手できませんよ」というすでにある警告にも触れてしまうというのもありまして。
Commented by カコ at 2015-06-05 17:16 x
突然失礼します。別の調べ物をしていたところ、偶然この記事を見つけたので読ませていただきました。同性愛者です。

笑~さんはとても乱暴で失礼な事を書いていると思います。ですが、私もその先生の仰っている事にはちょっと同意しかねるところがあります。
一番違和感を感じてしまうのは、同性愛者は激増する方向で今進んでいます、というところです。
これだけは本当におかしいと思うんです。上の方が本筋に関係ないのだからソースを出せと言われても困るだろうに、と仰っていて、筆者さんも他の言葉に置き換えても本論には影響がない、としていますが、本当にそうでしょうか?

というのもたとえば、この記事や筆者さんの先生のセラピーを受けた人が、私が同性愛者だという事を知ったとき、
「ああ、この人が最近激増してるという同性愛者か。何か心の病を抱えているんだな。例えば異性からレイプされたりしたのかな」
という目で見られるのは、困ります。とても悲しいです。
なので、本筋はそこではないから、で片付けてしまうのはちょっとひどいのではないかなあ、と私は思います。

あと、今のような数に上るほど同性愛者が出てくるはずはない、というフレーズにはちょっと傷ついてしまいました。正直偏見があると思います…これがその先生のお言葉なのか、筆者さんの考えなのかはわかりませんが…。
私は物心ついたときから同性の人が好きですが、「出てくるはずがない」人間なのでしょうか…?ならば私は何者なのでしょうか…?
Commented by カコ2 at 2015-06-05 17:19 x
私は同性愛者である事を隠して生活しています。恋人もいません。こういう声が周囲からたくさん聞こえてくるからです。そういう人は、異性愛の人が想像するより遥かに存在します。
街で、学校で、職場で、友人の間で、ニュースで…善意、悪意を問わずにこの手の話題はたくさん聞こえてきます。

あとごめんなさい。もうひとつだけ気になりました。

「できるだけ頭や理屈の介入は避けて想像してください。多少なりとも、ショックを受けるのではありませんか?現在はこのショックを口に出すことすら禁じられようとされている社会になっています。」

とありますが、正直口にしてほしくないです…。
私が同性愛者だと知らずに、同性愛者を侮辱される事が多々あるからです。これは解決がとても難しい事だと思います。私が同性愛者だと公言しなければ傷つくままだし、公言してもリスクしかないからです。

筆者さんの相互理解を求める姿勢は立派だなあ、と思います。
でもやっぱり、お酒の勢いから書きます、という冒頭と、同性愛者としては疑問を感じてしまう点を本筋とは関係ないから、といって片付けてしまうのは、同性愛の人にとっては冷静ではいられなくなってしまうと思います。

あんまりこういう所に書きなれていなくて、議論なども苦手なので、筆者さんの言う「本筋の論点」からはずれているのかもしれませんが、この記事を読んで感じた事を素直に書きました。ごめんなさい
Commented by zattoukoneko at 2015-06-06 01:05
Commented by zattoukoneko at 2015-06-06 01:05
Commented by zattoukoneko at 2015-06-06 01:06
Commented by zattoukoneko at 2015-06-06 01:06
最後に。カコさんの「公言しなければ~公言しても~」というお言葉に対して思ったことがありましたので。

私が理想とするのは、公言するとかしないとか、そもそもそんなことを考えなくていい社会です。
好きな人のことを話すのに、勇気が必要とかリスクを気にするというのはやはりおかしい。そもそもどんなタイプの人を好きになるか話す機会自体そうそうないわけで、同性が好きか異性が好きかも本来はそのレベルのことなのではとも思うわけです。
まあ、告白したり、友人に相手の名前を打ち明けるのは恥ずかしい、というような抵抗感くらいは残るべきとは思いますが。

それを理想と掲げて現状を見ると、カコさんがリスクはあると思うように、今はそうはなっていない。
では同性同士の結婚を認めれば、公言することのリスクは感じなくなるのでしょうか?
私は、「ショックを受けた」「そう言われて嫌と感じた」という場面で、すぐに相互理解の道を歩めれば、リスクはなくなっていくと思っているのです。
法整備なども必要ではあるのでしょうが、人間同士の対話が抜けてしまっていやしないかという危惧があるのです。
Commented by ダイ at 2015-06-12 13:39 x
なんだか期待されてたみたいだが、
すまんな、そんな細かく考えてはなかったわ。
ただ、zattouの理想を正しく汲み取れば、どうやっても揚げ足取り以上にはならねーだろって思ったんだよ。
本当に同性が好きならそのことを貫けばいいだけだし、
周りはぎょっとしようと、理解できるか歩み寄るようにしろって話なんだからな。
zattouは感情論まで汲み取らうとしすぎだろうという批判でもある。

ただ、俺のコメントのせいで余計に長引いたって感もあるな。
責任感じてちょいと調べてみた。俺のはネットだけどな。

すると、同性愛者は近年増加傾向にあると統計が出ているらしいと書いてるところがいくつかあった。
特に、先進国で顕著らしい。
これは、同性愛者の数そのものが増えたってより、先進国ほど潜在的LGBTがカミングアウトしやすいってことなのかもしれんが、
性的指向を混乱する問題を例に挙げたzattouの心配からすれば、大きな違いではないと思う。

あるいは、
視点を変えて、性的虐待でググってみた。
するとWikipediaだが、少年への性的虐待って項目で、性的指向を混乱することがあると記述されていた。
ただし、虐待が同性愛を助長するわけでもないという意見も、その直後に紹介されてる。
ここまでくると専門家の議論だから、正しいのかどうかわからんな。

ネットなんて信頼ならねーだろって言われたらどうしようもねえけどな。
参考にしてくれ。
Commented by zattoukoneko at 2015-06-12 18:55
深読みしすぎてましたか><

私もネットのものを見てみました。
引用元が明示されてるわけではないので、それ以上はわかりませんね。
でも勉強になりました。ありがとうございます。

感情論については、私はむしろ大事にしたいと思っています。
この記事もそうですが、これからは感情に根付いた哲学や倫理学が目指されていくべきではないかと。論理だけで押し進めると、相対主義に陥ってしまう気がするのです。
とはいえ、ただ感情のままに言動を繰り返すのもダメなわけで、論理は基礎に置かれるべきとも思っていますけど。
Commented by 深山 at 2015-07-01 21:13 x
Commented by 深山 at 2015-07-01 21:14 x
 話を戻す.上の結論は,ただ※を覆した場合にのみ異なるものとなり,(1)(2)の両方を正しいとすることができる.つまり,性的指向は異性愛と同性愛に限らず存在するとすればよい.そうしてそれらこそが異常なのであると主張することで,同性愛者も異性愛者と同じく正常であると述べることができる.
 実際,性的指向には両性愛や多性愛,はては無性愛といったものまである.異性愛者と同性愛者ですべての人類を包含できるわけではないのである.
 では,批判者たちは彼らを本当に異常であると主張するつもりなのであろうか?
 今のところはそのような意図はないのかもしれない.しかしながら,被差別者が別の被差別者を生み出すことで社会的な地位を向上させるというのはよくあることではないか.ここに書いた論理を弁えないまま声高に自分の立場を主張していることが,私には末恐ろしく感じられて仕方ない.同性愛者が社会に認められたいと望むならば,もっと慎重な態度で正しい手順を踏んで世に認められるべきであろう.
Commented by zattoukoneko at 2015-07-01 21:37
Commented by 深山 at 2015-07-01 22:17 x
 「他人を好きになる」を間に挿入する,なるほど興味深いと感ずる.
 しかしながら,「(前略)同性(あるいは異性)の他人を好きになることであり,他人を好きになることは正常である」という箇所において、同性(あるいは異性)の文言が抜けているのはいただけない.
 それを省略して良いのか否かが本質的議論の要なのではなかったか.そのような瑕疵を顕にするくらいならば,同性愛者は異常であると言い切った方が良くはないか.そしてその異常者を社会は受け入れる余裕があるのか否かと議論を発展させた方が実りあるように私には思える.
Commented by zattoukoneko at 2015-07-01 22:50
深山さんのおっしゃることはよくわかります。ですが、それでは同性愛が正常なものと認められる道程が断たれてしまいます。
私は、同性愛も異性愛もそこまでくっきりと分けられるものではないと思っています。各々で好きになる人が違うような、その程度の違いしかないのではとも思っているくらいです。
だからこそ深山さんの式の間に何かあるのではと探りたくなる。現段階では上手く論理的な言葉に仕立て上げられていないかもしれませんが、それが「他人を好きになる」ということなのです。
Commented by 深山 at 2015-07-01 23:20 x
 あいわかった.
 つまりは,私は同性愛と異性愛を分けることから始めているのに対し,貴殿は恋愛感情から思考を始めている.
 であるならば,論の組み立て方は私とは全く異質のものになるのではなかろうか?
少なくとも私の立式に引きずられてはならないように思う.記事内の主張も同様の混乱を含んでいるやも知れず,可能であるならば整理されることを期待する.
Commented by zattoukoneko at 2015-10-29 03:33
Commented by ハル at 2016-01-09 20:53 x
Commented by zattoukoneko at 2016-01-09 21:32
ハルさん、私もTwitterでそのツイートは見ており、気になってました。

ハルさんの方で少し文章変えられているようでしたので、念のため元ツイートURLをば。この辺りだと思うのですが。
https://twitter.com/haruumare345/status/677123086366314496
https://twitter.com/haruumare345/status/677123240741875712
https://twitter.com/haruumare345/status/677777409807020032
https://twitter.com/haruumare345/status/677352542162968576

私も軽い障害(とすら今では認められなくなってきてますが)を持ってるわけですが、
そのことに「興味」を持ってもらえるとたまらなく嬉しくなります。
そのような体験がもっと広まってほしい、当たり前と思うくらい数が多くなってほしいと思ってこの記事を書きました。

偏見と差別は違うという見解興味深く読ませていただきました。
そこまで言い切ることは、残念ながら私は考えが不足していてまだできませんが、
すごい示唆に富んだ意見と思います。
確かに差別は感情に基づく部分が大きいですから、それを撤廃するのはどだい無理な話なのですよね。


引用してくださったツイートの方が、私と同じような考えなのかはわかりません。
連絡は取ってませんし。関連ツイート見てもそこまでは読み取れませんでした。
けれどとても貴重な体験をされているのは確かです。
それに触れて思うところある人が増えると嬉しいなって思います。
Commented by とます at 2016-04-12 01:32 x
最近では著者さんの心配の通り、「LGBTは須く無条件で世の中に受け入れられるべきだ」というラジカルな意見のせいで、(そのような過激派に対処すべきはずのところを)「LGBTは到底受け入れられない」と一般の人が感情を振り切っちゃう事例が出てきている気がします。直近のミシシッピ州もそうなのかな、とか。
なので、僕は著者さんの意見に賛成です。ただし、その前提とするところを正しいと認めたとすれば、ですが。

ちょっとお聞きしたいところがあります。
著者さんは、性的指向の回復療法を正しいものと考えているのでしょうか?
医師の診断を持ち出しているところだけ読むと、回復療法を是としているようにも思えます。が、その後のやり取りなども見ると、案外と性的少数者に対して寛容にも感じます。
その辺、態度が曖昧なように感じてしまいました。そこのとこをもうちょっと説明してくださると嬉しいです。前提に係わるとこなので。
Commented by zattoukoneko at 2016-04-12 09:19
Commented by zattoukoneko at 2016-04-12 09:20
このように、私が治療されるべきと唱えているのは、根源的な心の問題についてです。その結果、同性愛が治るかどうかは注目していません。
また、先天的な性的指向としての同性愛であるならば、それは立派なアイデンティティと見做しています。アイデンティティは治療することなどできません。もし方向性が変わったとしてら、それは洗脳です。けして為されてはいけないことです。
性的嗜好としての同性愛ならば、別に持っていても構いませんが、申し訳ないですが私には押し付けないでと思います。趣味は人によって異なるものです。尊重したいとは考えてますが、理解はできないし、嫌悪感を抱く人だっているでしょう。同性愛だから、ということではなく、趣味嗜好とはそういうものと思います。煙草の匂いを嫌がる人がいるのと同じことです。


と、いうようなことで回答になっていますでしょうか?
治療の対象が同性愛に向いているかのように読まれてしまうと、確かに意図が誤解されるかもしれませんね。
また、曖昧と思われてしまう理由として思いつくのは、私の中で性的指向と性的嗜好をどこまで切り離せるか決着がついていないので、それが文脈に滲み出ていたのかもしれません。
趣味もその人のアイデンティティ形成にとってまったくの無関係ではありませんからね。なので後天的に同性愛の性的指向を獲得することもあり得るのかと、その点は今でも悩んでいるところです。
Commented by 馬に蹴られて at 2016-10-23 18:57 x
Commented by zattoukoneko at 2016-10-23 23:55
Commented by zattoukoneko at 2016-10-23 23:55
最近の過激な同性愛者の運動家や、それに近寄るまいとする周囲の人々、あるいは「そっとしておいてほしい」と思い始める同性愛者(馬に蹴られてさんがここに含まれるのかどうかは、いただいたコメントだけでは判断できるようなことではないですね、念のため)を見ていると、危惧していた通りになってしまっているのかなあ、と思わざるをえません。
もちろんのことながら、馬に蹴られてさんがおっしゃるように、同性愛の問題を障害者や整形の問題をそのまま同列視することには疑問が残ります。なので、上記の意見は筆者である私の類推の域を出ないと思っていただければと思います。細かい差異など、丁寧にフォローされるべきです。
それでも、比較することには何らかの示唆を得るくらいの価値はあると思っています。「放っておく」ことで少数者のコミュニティとその周囲が隔絶されていいのかどうか、ただ法整備や技術の普及だけで済む問題なのか、などについて考えるきっかけにしていただければ幸いです。
Commented by ひお at 2016-11-11 00:43 x
半分くらいまで読みました(笑)自分の感情を認めて受け入れるってところまでです。わたしも自分の苦手を受け入れるのに時間がかかる方なので、でもわたしの出した結論と同じかなあと思いコメントしました。
Commented by zattoukoneko at 2016-11-11 02:47
ひおさん、コメントありがとうございます。
半分まででも、読んでくれる人がいるというのは嬉しいことです(笑)

感情の受け入れは難しいことですよね。「感情で動くのはよくない、理性的になるべし」という主張の強い現代社会においてはなおさらで、自分の考えが感情なのか理性なのかわからなくなりやすい。
でも本当は感情も理性も上手いこと折り合いがつくのではないかなーとか、そのためにはどういう思想・社会ができあがればいいのかなーと。
そんなことを『考えて』いる時点で、ひょっとしたらそれは理性一辺倒なのかもしれないですけども。
できるだけ私は人の感情を大事にしたいですね。
Commented by dande at 2016-11-23 07:23 x
ネットの海で波乗りしてたらたどり着きました。
私も半分しか読んでません。(笑)
同性愛と整形の前までです。
幕末維新の頃でしょうか、西洋人が日本に来たときのことを書き記した物があります。
宿に泊まると奇妙な女がいる、気ままに部屋を出入りしていて宿主も別に咎めるふうでもない、
危害を加えることがなければどうやらそれが普通のようだ。
というようなことを書いてます。
イザベラ・バードだったかどうかは失念してますが。(苦笑)
奇妙な女という表現だったかどうかは忘れましたが所謂知能の低い障害者のことだと私は理解しました。
共存とはこういうことなんじゃないかな、なんかいいな。
と思ったことを思い出しました。
それだけ言いたくて。

いいところですね、縁があったらまた来ます。

Commented by zattoukoneko at 2016-11-23 15:39
dandeさん、コメントありがとうございます。

ご紹介いただいた文章は(たぶん)知りませんでした。
(どこかで似た文を読んだ気もしましたが、いずれにせよ曖昧)
ので、それについての感想・評価は難しいです。すみません。

ただ、著者が日本人(および知的障害者?)に対する第一印象を鮮明に書き止め、
それを読んだ方の中にdandeさんのような考えを抱く方がいる、というのが、なるほどなと思いました。
実は最近の私は、多人数の意見を結びつけて客観的な思想として理解する、というような読み方をする仕事をしてまして。そのせいか純粋に感想を抱くことから離れてしまっていました。いけませんね(苦笑)

とても参考になりました。
他の記事も気に入ってくれたようでしたら嬉しいです。
Commented by 通りすがりの女子高生 前 at 2017-02-03 04:52 x
Commented by 通りすがりの女子高生 後 at 2017-02-03 04:56 x
また、文章を拝読して気になった点があるのでそちらについてもお尋ねしてよろしいでしょうか。
>実は同性愛者の多くは、心の病から同性へ走っています。たとえば異性からのひどい仕打ち(レイプなど)を受けたことが原因だったりします。
この文ですが、何か証拠や資料はあるのでしょうか。統計など…。自分でも探したのですが見つからなかったので。性被害を受けた同性愛者も、幼少期に同性の親から愛情が得られなかったために同性を求める同性愛者も居るのは事実です。ですが、私の周りに限った話かもしれませんが、心の傷が原因で同性愛者に「なった」人はむしろ少ないです。私だって異性が嫌いだから同性を好きになる訳ではありません。
後天的に同性愛者になった人もいますし、それに明確な心の傷などの「原因」がある場合は適切な心の治療を行うべきだと思います。(同性愛を治療の対象とするという意味ではありません。)

少し話が逸れますが、同性愛に「走る」という表現も適切なものではないと思います。全ての人間が異性に恋愛感情を抱き、同性愛は選択的なものである、という前提で成り立っている言葉に感じられます。同性愛は世界的にも異常と定義されているものではないので、この表現は問題があると思いました。もし私が感じたような意図で書かれたものでなければすみません。

以上、拙い文章ですみませんが、感じたことを書かせていただきました。筆者さんのような差別主義的な考えは自分にはない考えなのでとても参考になりました。お返事をいただければ嬉しいです。
Commented by at 2017-02-03 05:32 x
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 02:20
通りすがりの女子高生様
コメントありがとうございます。お返事遅れてすみませんでした。
このブログ、コメントの通知機能が時々働かないことがありまして……ついさっき気付きました。
これから急ぎ、返答を書かせていただきます。

また「大分攻撃的に感じられる文章になってしまいました」とのこと、まったく構いません。
私の知識や理解がまだ足りていないのは事実ですし、またこの記事では読者を煽っている節をわざと出していました。
ですので、批判をされるのは自然のことですし、興味を持って議論に発展するのは、テーマ的にも望ましいことと思っております。
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 02:55
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 02:55
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 03:16
>>実は同性愛者の多くは、心の病から同性へ走っています。
>この文ですが、何か証拠や資料はあるのでしょうか。統計など
この記事を書いた時点で、お話を聞かせてもらった精神科医が統計データを発表準備中とのことでした。
が、たぶんその後、論文等で発表されてない気がします。どうされてしまったのでしょう……。
ですので、私がすぐに示せる(刊行済みの)文献はなく、もしかしたらその先生の誤りがあったのかもしれません。
ここについては、私の確認不足もあり、申し訳ございません。

一応、その先生の主張をまとめておきます。
同性愛者として認められている方であっても、深く探ってみると原因が別にあるとわかる場合がある。
今まで、そこまで踏み込んだうえで、「本当の」同性愛者の数を数えた報告はない。
想定されているよりも、その人数はずっと少なくなる、というのが結論になるだろう。
とのことでした。
医師の主観をどう取り除くのかが、報告の成否に関わりそうだとは感じるテーマです。
その統計処理方法については、発表前とのことで、見せてもらうことはできませんでした。

>同性愛に「走る」という表現も適切なものではないと思います。
これについては、意識しておりませんでした。今後の検討課題とさせてください。
ただ、「異性愛は正常で、同性愛は異常(選択的)」という前提は持っておりません。
持っているのは、「心の病を原因とする同性愛は異常とされるべきではないか?」という問いかけです。
もしかしたら、これが細かい表現に出て、わかりにくくしてしまっていたのかもしれませんね。
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 04:14
>同性愛がセクシャリティの話だとすれば性同一性障害はジェンダーの話です。
これはまったくの誤りだと思います。
私自身ジェンダー論を研究のテーマの一つとしていますが、性同一性障害をジェンダーの一つして論じた正当な文献は読んだことがありません。
もしかしたら、医学とジェンダー論では「ジェンダー」の意味するところが違うのでしょうか?
私がジェンダーと使う場合には、生物学的な性に対して社会が与えた社会的な役割、と考えています。
性同一性障害は社会が与えた役割であるはずがありませんので、ジェンダーではないと思います。

また、性同一性障害には、脳の異常などによって性的対象が身体の性に一致しない例も含んでいます。
Wikipediaがまた間違ったことを書いているのかと、慌てて確認しにいってしまいました。
この回答時にも、「概要」のところで、「性同一性障害は、何らかの原因で、生まれつき新滝的性別と、性同一性に関わる脳の一部とが、それぞれ一致しない状態で出征したと考えられている」とあります。
この上で、近年は(脳から生み出されるとされる)意識こそ重要とする社会的潮流にあわせ、身体の方を異常とみなし、性転換手術や戸籍の変更を認めることが増えているだけです。
これを逆に身体的特徴こそ主であるとする考え方から見れば、異常なのは脳ということになり、つまり障害とされます。
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 04:15
記事内ではあまりに省略しすぎて書いているため、誤読されやすくなっているのかもしれません。
「性同一性障害=同性愛、ではない」ことくらい、もちろん知っています。性自認と性的指向が切り離せることも、当然理解してます。「本当の同性愛者」は必ず認められるべき、と私はしていますので、この理解は当たり前のことと言えるかと思います。
そしてまた、同性愛者?であった方が自分を性同一性障害であると誤解する例があることも、直接お会いして知っています。
先のジェンダーとは本当は異なりますが、同性同士のカップルでいるうちに、男性役と女性役が分かれてきて、自分の性別に疑問が生じてきたのだそうです。
その人は性転換手術をしようとしたところで、医師に訝しく思われ、カウンセラーに会わせたところこのことが判明しました。
こういう事例が減ってほしいという記事ですので、直後に「それって心の病かもしれませんよ?」と繋げていったつもりなのですが……意図がわかりにくかったでしょうか?
Commented by zattoukoneko at 2017-02-08 04:23
以上、通りすがりの女子高生さんへの回答となります。

記事自体がわかりにくく、誤解を招きやすくなっているかと思います。
また、私も理解不足なところがあります。
そしてまた、そもそもこの記事の主題に対しては、答えが出ていないのですよね……。

疑問に思われたところをご指摘いただければ、取材時に聞いた話などいくらかご紹介できるかとは思います。
Commented by Zeek at 2017-06-23 01:42 x
同性愛者であれ、相手が誰であってもある一定のグループに対して差別すること自体、人間としてありえない。
よくどうどうとオンラインで同性愛者に対して差別しようなんて言えるな。頭と心腐ってるな。
Commented by zattoukoneko at 2017-06-24 04:22
Commented by ムラカミ at 2017-06-24 14:27 x
記事からコメントまですべて読ませてもらいました。
笑さんやZeekさんのようなコメントが付くことが、本当に嘆かわしいことだと思う。

筆者は議論の前提として「頭の膨らんだ障碍者を見て、恐さのあまり逃げ出してしまった」という前提を示している。
そして、同性愛者などに関する差別的な感情も、これと元は一緒なのではないかと論を進めている。
であるならば、その前提を全面的に認めなければ、建設的な議論などできようはずがないではないか。

一つには、この前提に基づくとどのような社会が形成できるのか検討することがあげられる。
あるいはまた、そうした検討をしているうちに、やはり前提が間違っていたと結論されるかもしれない。
そのようにして、批判というのはしていくべきだ。
さもなくば、コメントはただの罵倒になるし、つまりは「理由なき迫害」=差別であろう。

貴重な筆者の体験談は、尊ばれこそすれ、無視されたり蔑まれてよいものではない。
揚げ足を取るようなコメントも私には見るに堪えない思いだった。議論の仕方から学んでくるべきではないのか。
Commented by zattoukoneko at 2017-06-24 15:16
Commented by おもちが好きです at 2017-08-14 19:08 x
質問があり、コメント投稿させていただきます。

このエントリを読みますと、先天的なものにしか同性愛は認められるべきではなく、後天的な場合には一切合切治療の対象であるかのような印象を受けます。
そもそも同性愛には後天的なものは存在しない、というのがその方針の根拠になっているかのようでもあるわけですが、本当にそうなのでしょうか?

身体の障害に先天的なものと後天的なものがあるように、性的な指向についても両方がある可能性はありませんでしょうか。
異性愛者であっても、生後の経験によって好みのタイプに影響が出ているのが普通だと思います。
同性愛もそのうちの一つなのではないか、というのが私の抱いている見解です。

よろしくお願いします。
Commented by zattoukoneko at 2017-08-14 19:29
おもちが好きですさん、コメントありがとうございます。

後天的な場合の同性愛が認められるかどうかについてですが、当記事ではそこまでは問題として取り上げていません。
その議論に発展する前の、準備のための話題提供と思っています。
論旨をわかりやすくするために、そこまでは触れずに書いておりました。が、かえって誤解を招いてしまったかもしれません。

話を聞かせてもらった医師やセラピストの中には、「生まれつきでない同性愛は認めない!」というラジカルな方もいましたが、
私自身はもっとずっと緩やかでいたいと思っています。
そしてそのためには、個々のケースについてよりよく話を聞かせてもらいたいと考えていますし、
そしてまた、社会全体が個々の話を聞こうという雰囲気になっていてほしいと願っています。

しかしながら、「性的少数者は何が何でも認められるべき!」というような主張が声高に叫ばれてしまった結果、「関わると面倒だから一線引いておこう」とか「自分には関係ないから勝手にやってろ」みたいな意見の方が増えてしまった気がしています。
これはよくない傾向だ、かえって差別が強まっているのではないか――という危機感から書いたのが、この記事となります。

同性愛についてざっくばらんに意見交換ができ、違和感や嫌悪感すら踏まえて話し合える環境づくりが第一と考えています。
どうして同性愛になったのか、どういう社会制度が整えられるべきか、という議論はその先に来るはずと思うので、
後天的なものもあるかどうかについては、明確には結論を持てていません。

回答になっていれば幸いです。
Commented by おもちが好きです at 2017-08-15 17:30 x
ご回答ありがとうございます。

なるほど。相互理解のための社会的背景が整っていない、どころか損なわれつつあると危機感を抱き、まずはそこから注目をしようという呼びかけをしたエントリだったわけですね。
Commented by もりなが at 2017-08-20 17:20 x
>実は同性愛者の多くは、心の病から同性へ走っています。たとえば異性からのひどい仕打ち(レイプなど)を受けたことが原因だったりします。

これ、具体的な数字だせるんですか?統計を取ったのですか?
セラピストから聞いた話ですって?医師から聞いた話ですって?取材をした?取材した人数は最低でも100人は居るのでしょうか?
具体的な数字も出せない、憶測の域を出ない当て推量を事実のように書く。
これは記事の内容以前の問題ですよね、ここに関してはあなたに一定の非があることを認めては?

ちなみに私は筋ジストロフィー患者で、あなたのような軽い障害ではありません、明確な"死"が間近にある障害です。
軽度の障害を持っているだけで、あなたはなにか自分が特別な存在であるかのように錯覚していませんか?
非を一切認めない姿勢からはそのような思考が透けてみえるようです。
Commented by zattoukoneko at 2017-08-21 02:05
もりながさん、コメントありがとうございます。

取材した人が最低でも100人は必要とのことですが、すみませんが、そのご意見は正当なものとは思えません。
学術研究が顕著でわかりやすいと思いますが、先行研究として参考するとき、同じ見解のものを多数集めろなどとは言われません。
ただし、その先行研究の見解が妥当かどうかは、きちんと吟味しておく必要はあります。
そしてまた、その吟味した過程を説明できればよいはずです。

では、具体的に説明します。
私はとあるセラピストから統計について発表の予定があるとうかがいました。この時点では、もちろん鵜吞みにするわけにはいきません。
次に、この方とやや対立気味にあった精神科医を知っていましたので、このことについて意見をもらいました。「具体的な数値はわからないが、体感としてそのような方を多く診察していると感じる」とのことでした。
両先生に仲介してもらいながら、何名かの自称同性愛者の方にもお会いする機会を得ました。一緒にお話をしていく中で、実際に「あ、自分は同性愛者と思い込んでいただけかもしれない」と目の前で気付かれる方もいました。
この気付きをした方が最も印象に残っており、つまりは、両先生が見ていたものはこのことだったのだと私は納得したわけです。
Commented by zattoukoneko at 2017-08-21 02:05
正直言いますと、この自称同性愛者の方に会うまでは、私はセラピストの推論を疑わしいと思っていました。
心の傷で同性愛に走るなんて、そんなはずないだろうと。
しかし具体例を目の当たりにし、これが見過ごされつつある社会状況に危機感を覚えるに至りました。
ですから、(もしかしたら件の統計が世に出て認められるまで待つのがよかったのかもしれませんが)先行してブログに書く許可をもらい、ご指摘の文章を書いております。

この『統計』は、もちろん間違っている可能性もあります。
ですので、間違っているとお思いなのであれば、ぜひ反対の結果を導くような統計調査を実施してください。

あるいは、私がこの『先行研究』を信頼できると考えた過程が、あまり適切でない可能性もあります。
検討不足と思われる箇所がございましたら、ぜひご指摘をお願いします。
このような批判であれば、いずれは私もこれを論拠にするのは問題だと認識し、撤回するやもしれません。

しかしながら、もりながさんの場合、「具体的な数字が出てないから間違いだ!」としか言っていません。
それこそが「憶測の域を出ない当て推量を事実のように書く」ことだと気付いているのでしょうか?
正確には「具体的な数字が出てないから『まだはっきりとはしてない』」であるはずです。
そのことに気付いてもらえれば、次の議論の方向性が見えてくるはずと思って記事を書いたつもりだったのですが……。
Commented by zattoukoneko at 2017-08-21 02:05
Commented by zattoukoneko at 2017-08-21 02:06
次に大きい目的。
はっきり言ってしまって、この『統計』が正しいか間違っているかなんて、私にはどーでもいいことです。
私がこの記事を書いた目的は、差別というものに関し、それは原理的な感情に根差しているのではと読者に考え始めてもらうことです。
この『統計』に特に引っかかりを覚えない読者の方にとっては、この箇所に執拗なまでに悪態をついている批判者の目には、重箱の隅を突いているだけの人と映ることでしょう。
大目的をすんなり読み取れている読者の方は、このようなちまちました方など気にせず、どうぞ次の議論ステップへお進みください。
私はもう少し、箱の隅の汚れを気にしているようなことは行儀が悪いことなのだと、教えなければいけないようですので。

この記事は論文でもなければ、統計データを示す資料でもありません。
ざっくりとした議論をし、読者に関心を持ってもらうことを目的とした、雑記です。
ですから、テキトーに誤魔化しているところもあれば、わざと批判を受けやすいように極端な書き方をしているところもあります。
細かな間違いや疑義が気になった方はそれについて調査してくれれば嬉しいですし、
間違い含みでも私が伝えたかったテーマが読者の今後の思索に役立てば、それが嬉しいことなのです。

――と、これらの誤魔化しや目的は、取材先のセラピストや精神科医に記事を読んでもらったときはあっさりと見抜かれたんですけどねえ。
だからこそ読者も大丈夫だと思ってたんですが、うーん、期待しすぎだったのでしょうか。
Commented by zattoukoneko at 2017-08-21 02:17
Commented by zattoukoneko at 2017-08-22 12:53
Commented by 反差別 at 2017-10-11 14:05 x
だいぶ昔の記事に対してのものなので気が引けたのですが、いくつか気になったことがありますのでコメントさせてください。

記事及びコメントまですべて拝見しましたが、まず、コメントでていねいに説明されていることを記事内でお書きになるべきであったと思います。
もしコメントがまったくつかなかったとしたら、単純に偏見の強化につながる表現が散見されました。種々の差別について研究している身からすると、素朴に「危険」と感じた次第です。
具体的に以下3つ挙げてみます。

・「バリアフリーなどの健常者と障害者が共に暮らせる社会づくり…(中略)…はまだ健常者からの押しつけの域を出ていません」
バリアフリーや合理的配慮は健常者から障害者に与えられているもの、つまり「健常者並みであることを障害者が求められていること」を、前提とされているように感じました。
しかし、バリアフリーなどができあがった背景には、青い芝の活動などでよく知られているように、障害当事者からの異議申し立てと激しい運動があったことこそ大事です。
それに、社会が健常者をモデルに設計されているからこそ、そうした意識を是正させようという、まさにzattouさんがおっしゃっているような認識のすり合わせが起き、その行き着いた先が、バリアフリーや合理的配慮なのです。
障害者側からのモーメントが(意図的かどうかはわかりませんが)無視されている、「障害者=物言わぬ人たち」ということが無批判に前提とされているように感じました。
Commented by 反差別 at 2017-10-11 14:06 x
Commented by 反差別 at 2017-10-11 14:06 x
Commented by 反差別 at 2017-10-11 14:07 x
最後です。

それ以外にもあるのですが、このあたりで。
差別感情を抱いた自分の心にまず目を向ける、という着眼はしごくまっとうなものです。ただ、そうして浮かんだ感情を「当たり前」「自然のもの」と捉えるよりも、そもそもなぜそれが「自然のもの」と感じたかを疑うことの方が大事だと思います。それは、社会が前提とした多数派の「常識」について考えることにもなります。zattouさんの元の記事の書き方ですと、差別感情自体が「当然のもの」と考えているところで止まっているように読めるので、その一歩先のところをきちんとお書きになるべきであったと思います。
「差別」すべき、というよりは、当人を悩ませている「常識とのすれ違い」に気づく、ということではないでしょうか。そしてそれは、問題を「患者」という個人に帰することなく、社会に開くものです。

ご一考いただけますと幸いです。
Commented by zattoukoneko at 2017-10-12 06:19
Commented by zattoukoneko at 2017-10-12 06:20
Commented by なも at 2017-12-18 23:32 x
この記事を読んだとき私の中で燻っていた感情が少し落ち着いたように思います。

私は障害者の方や同性愛者の方を内心差別しています。もちろん態度には出しませんが、生理的に嫌悪感があります。
今は"受け入れられない人"は攻撃の対象となっているように感じ、受け入れられないと悪なのかな?と日々疑問に感じていました。

整形を何度もする前や、自分は同性愛者と公言する前に、一度心療内科などにいってみた方がいいと思いますが今それを言うと自分は病気ではない、差別だ、とこちらが責められる世の中です。

この世の中は少し怖いと思います。

最後になりますが、この記事を書いてくださりありがとうございます。貴方はすごいです。堂々とご自分の考えを不特定多数の人々が見るインターネット上に著すことをしているのですから。
貴方のおかげで少し気が晴れました。本当にありがとうございます。
Commented by zattoukoneko at 2017-12-19 06:22
なもさん、コメントありがとうございます。
私の記事で誰かの気持ちを楽にできたと知れて、嬉しく思います。

本当に平等であるということは、双方にとって気持ちが楽になることが大事なのですよね。
ですが現在は(差別も問題に限らず)、少数派であることを否定する=差別をなくす、と図式化されてしまっている気がします。
ですから、声を大にすることで数が多いと見せようとしたり、「自分たちは普通だ」と頑なに言ったりする。それは非常に暴力的な行為ですので、周りの人は一線引いてしまったり、なもさんのように怖いと感じてしまうのではないでしょうか。

根本的な解決のために、まずは「少数派であっても、仮に異常だったとしても、独特な個性だからそれでいい」と意識が変わるべきかと思っています。
そのための一つの手がかりとして、どうしても沸き起こってしまう嫌悪感に目を向けられるようになったり、医療の整備を提案していると考えていただければ幸いです。
ベストな方法はまだまだわかりません。模索してくれる人が増えると嬉しく思います。
Commented by KaNaN at 2018-04-05 02:23 x
著者さんの主張におおむね賛同です。
長年のモヤモヤを解決してくれたかのような、素晴らしい記事と思いました。

一点、改善できるところがあるのではと思い、コメントさせていただきます。
それは、著者さんの想定される感情を表すために、「差別」に代わる語を生み出すことです。

著者さんの「差別」は、自分とは異なる他者にレッテル貼りをし不当に虐げる差別とは、明らかに違うものです。
しかし、コメントまで拝見すると、この区別が付いていらっしゃらない方が散見されるようでした。これではすごく残念です。
近年では、しばき隊など、自身の暴力性を差別と絡めて正当化するような人も居ます。このような方々と混同されてしまったのではないかとも想像しました。

著者さんは括弧付きの表現を使うなど工夫をされておられますが、それだけでは誤読は避けきれないのかもしれません。
ご一考いただけると嬉しく思います。
Commented by zattoukoneko at 2018-04-05 03:40
KaNaNさん、コメントありがとうございます。
そのご提案、実はこの記事を書くよりずっと前から、私も考えていたことでした!

ただ、新しい用語をつくることは、この記事の議論の先にある課題とも感じています。
私が障害者の方から「差別こそしろ」と言われた経験があるから、それにこだわっているせいも多少あるかもしれませんが……。

私が一番大事だと思っているのは、どうしても自分のうちに沸き起こってしまう嫌悪感のような感情に向き合うこと、です。
こうした気持ちは、大抵の場合、よくないものとされています。それを認め、向き合うためには、「『差別』を認める」と表現しておいた方が現状ではよいのではないかと思うのです。
迂闊に小綺麗な言葉で代替してしまうと、自分の心の中の葛藤との間に、乖離が生じてしまいやしないかとも思いまして。

自身の仄暗い感情に向き合うことが簡単にできるようになり、他者との相互理解も当たり前のようになされる社会が整ったときには、代わりの言葉は自然と生み出されるのではないかと期待しています。
……べ、別に巧い言い回しが思いつかないからって、丸投げしてるわけじゃないんだからねッ!(←二十年以上、言い換えについて悩み続けてます)
Commented by カスミ@女性同性愛者 at 2018-04-13 20:29 x
Commented by zattoukoneko at 2018-04-13 22:36
Commented by カスミ at 2018-04-14 06:50 x
著者さん、お返事くださりありがとうございます。
すみません。そうですよね、書き手の主張をまず受け入れてから、話の展開を見なくちゃいけなかったのですよね。

私は同性の恋人がいることを、親しい友人だけ(両親はまだです)には打ち明けています。
友人たちは興味本位で私たちの生活のあれこれを聞いてきたことがあり、友達とのおしゃべりとして、私は楽しく時間を過ごしました。
反論記事を読んで、そのような経験すら許されなくなるのかと、冷静さを欠いてしまっていたようです。

著者さんにご相談して、本当によかった。
心の不安がだいぶ解消されたように思います。
お手数をおかけしました。
Commented by リョウサエバが好き at 2018-04-20 05:54 x
カスミさんのコメント、すっげーわかる!
僕も思いましたもん。ここの著者さんの予言(?)が当たってるって。

著者さんは心優しいですね。「棲み分け」なんて柔らかい表現を使ってる。
僕なんかは、これって「排斥」だろうよと思ってるので。
マジョリティの側が「関わらなければいい」なんて言い出したら、もう数の暴力だって分かってないんじゃないかな。

「みんな仲良く」が差別をなくすことと教わった身としては、あの反論記事にはぞっとしますね。
僕は、差別=異質なものとして排斥すること、と思ってる。反論記事の方こそ差別むき出しでしたよ。
差別的な表現されることなんてさほど何とも思ってないんですよ。ほら、昔の文学に「当時の表現ー」みたいな注意書きがよくあるじゃないですか。あの感じです。但し書きなんかなくても、他に言い換えできなかったんだなって僕たちわかるんで。

著者さん頑張ってください。ここに理解しようと努めてくれる人がいるとわかるだけで、僕たちには励みになります。
Commented by zattoukoneko at 2018-04-20 13:33
Commented by つつ at 2018-07-22 00:23 x
差別主義者の方って差別対象にどの程度の嫌悪感を抱いているんでしょうか。

人それぞれだとは思いますが、私がゴキブリに対して感じる生理的嫌悪感と同等の嫌悪感を差別対象に抱いているなら、克服は相当困難だなと思ってしまいました。
Commented by zattoukoneko at 2018-07-22 04:00
つつさん、コメントありがとうございます。
私へのご質問ということで、ひとまずお答えするのでよかったでしょうか?

まず初めにですが、生理的な嫌悪感というよりは、拒否反応といった方が感覚的には近いでしょうか?
(なのでゴキブリとは惹起されている感情が違っていると思っています)
例えば、多くの人は外科手術の写真や映像を見たとき、目を逸らしてしまいたくなると思います。
これが記事本文でも書いた「幼少期に頭の大きい人を見た」の体験に近い気がしてます。
そのときの私は逃げ出してしまっていて、相当な拒否反応だったことがわかっていただけるかと思います。
しかし、医師が手術を行えるように、手術の現場や医学論文に多数触れていくうちに、拒否反応は薄れていくものです。
つまり、理解によって差別的な感情は克服できるものと期待できます。

一方で、『差別してもよい』と思っている本当の差別主義の方の場合は、上記とは事情が異なっているのではと考えています。
すなわち、『社会的な不平等が生じていて当然だし、そのような境遇に追いやってよい』と考えている場合には、上記の感情だけでなく、偏見がプラスされていることになります。

しかしながら、残念なことに、誰しもがある程度は偏見のようなものを持ってしまっているものと思います。
『障害を持っていると生活が大変だろうな』といったものとかです(実際には当事者と親しくならないとわからないはずなのに)。
ですから、自分の内に沸き起こった拒否反応が感情なのか偏見なのか見極めるためにも、一度その拒否反応を認めるのがよいのでは、と私は考えたということです。
Commented by zattoukoneko at 2018-07-22 04:02
次に、どの程度か、という話ですが、
これについては、お相手によって異なるのが普通で、一概には言えないように思っています。
拒否反応の程度によっては、まさに克服困難もあり得るのではないでしょうか?

一つ正直に告白しますと、私はこれまでに、知的障害を持っている方でそもそも近寄りたくないと判断してしまった方が数名います。
親しい相手への愛情表現らしいのですが、抱きついてきて力いっぱい背中を叩く方とか、
うめき声をあげながらテーブルや窓ガラスをずっと叩き続けていて、食事を周囲に飛び散らかす方とか。
今から思えば、大きな音が苦手などの私側の問題もあったなーと思うのですが、
当時はお近づきになってもお互いによくなさそうだと感じて、お話しすることすら拒絶してしまいました。
今でも、仮に親しくなれていたとしても、恋人や友人に会わせられないなと想像してしまいます。

すべての人に対して、かならず相互理解をしなければならない、とは言えないと感じています。
ご家族や介護の方のお話では「慣れると可愛いですよ」とのことだったので、克服「不可能」ではないのでしょうけどね。
Commented by zattoukoneko at 2018-09-23 19:58
Commented by zattoukoneko at 2018-10-24 19:24
記事内にも追記しましたが、コメント欄でもお知らせ。
もう少し学問的な背景についても話しておきたい、そうすべき時期になってしまった、と感じたことから、新しい記事を書きました。
「障害者の技術をどう考えるか」というタイトルです。
もしかすると、そちらを読んでいただく方が、私も企図はわかってもらいやすいかもしれません。
by zattoukoneko | 2010-02-03 19:36 | 社会・経済 | Comments(85)