日本における有罪率の異常な高さ

二月になりました。まあ、忘れないうちに記事をupしてしまいます。
今回は日本における有罪率についてです。


日本では逮捕された場合、その後有罪になる率は9割を超えます。これは日本の警察の優秀さの証であるとよく言われていますが、これには疑問の余地が残ります。
なおアメリカなどでは有罪率は3~5割程度みたいです。とても低い気がしますが本来ならばこれが正常な値です。それは「疑わしきは罰せず」という原則があるからです。

「疑わしきは罰せず」に関しては日本の人(それが法律を学んだ人であっても)はかなり誤解しているようです。本当の犯人かどうかわからなかったら無罪にしよう、くらいの認識でしょうか? しかしこれはとんでもない間違いです。
「疑わしきは罰せず」の本来の使い方は、たとえその被告人がどれだけクロに近かろうと、警察・検察の取り調べで捜査手順に少しでもミスがあれば無罪にする、というものです。つまりどれだけ他の捜査が綿密に行われていようと、書類にサインをする順序を間違えていれば無罪ということです。
なんだか私たち日本人にはとんでもない話のように思えます。連続殺人でも強姦でも、それだけ悪質な犯罪をしていようが、警察の捜査ミスによって無罪となるわけです。これは被害者・遺族からそればとてつもなく悔しいことです。
しかしながらこの「疑わしきは罰せず」を採用しているのにはきちんと理由があるのです。

1651年出版のトマス・ホッブズ著『リヴァイアサン』という本があります。小中学校の社会で名前くらいは習うので名前くらいはみなさん覚えているかと思います。
この本の内容を詳説するのは今回の趣旨とは外れるのでやめます。必要なのは「リヴァイアサン」と「法律」の関係です。
ホッブズによれば権力(著作の中では国家)はリヴァイアサンであるとされます。リヴァイアサンについてはFFなんかでよく出てくるので、日本人にも馴染み深くなったと思います。ようは海に棲んでいる怪物のことです。
権力はリヴァイアサンというとんでもない化け物に相当する脅威であるとホッブズは言います。これを野放しにしておけば支配される側は食い尽くされるだけです。
このリヴァイアサンを縛り付ける鎖が「法律」です。リヴァイアサンという権力は法律という鎖によって動きに制限がかけられ、それを破ろうとすれば市民が攻撃ができるという仕組みになっています。

さて警察や裁判員といった司法も十分な権力です。当然のことながらこれを縛り付ける鎖が必要です。その鎖の中でも最も太いのが「疑わしきは罰せず」なのです。
ちょっと想像してみましょう。自分が何らかの容疑で警察に逮捕されたとします。自分は無罪です。しかしながら逮捕された時点でほぼ有罪が確定されているというのが日本です。最も多い冤罪は痴漢で(最近は少し減りましたが)、相手の女性が痴漢だと訴えれば有罪確定です(これを悪用して示談金をふんだくろうとする女性が急増した時期がありましたね)。痴漢は罪としては軽いものですが、社会的にはとても軽蔑される行為です。そのため痴漢で捕まると会社をクビにされることが多いです。当然収入はなくなるわけですし、逮捕歴があれば再就職も難しくなります。これは無実の人にとってはとてつもなく苦しい冤罪です。
「疑わしきは罰せず」はそうした冤罪を極力防ぐために設けられたものです。逮捕後、有罪にするのならば警察・検察は相当念入りに調査をしなければなりません。日本のように「相手の女性が被害を訴えているので」という理屈は通用しないわけです。
まあ確かにアメリカなどの、書類のミスくらいで無罪にする、というのは少々いきすぎな感もありますが、これもリヴァイアサンの脅威から市民を守るには仕方ないことかもしれません。ここまでやっても冤罪が出ているのが実情ですし。
なおこの「疑わしきを罰せず」を取り入れていない日本は冤罪大国でもあります。調査している人によって統計は変わりますが、受刑者の半数以上は(この「疑わしきを罰せず」を抜いたとしても)冤罪だとされています。
現在の日本では、逮捕されれば有罪がほぼ確定ですので、いかに捕まらないかしか対策がないです。しかしあるとき警察が来て「あなたに逮捕状が出ました」と言ってくるのは避けようがないです。偶然事件現場の近くにいたということは気をつけていても起こりうることですから。
日本で冤罪で捕まった場合には、たとえそれが痴漢のような軽犯罪でも、10年くらいの司法との戦いをしなければならないようです。もちろんその間お金はがんがん出ていきますし、(上述のように会社をクビになるので)収入もない状態での苦しい闘争となるみたいです。

さて、去年より裁判員制度が導入されましたが、現在の日本ではどう転ぶのでしょう。「疑わしきは罰せず」の理念をきちんと理解していない日本人は、警察・検察のアピールを鵜呑みにしてしまいそうで怖いものです。マスコミの影響というものもありますしね。
とかく、一度日本人は司法のあり方について一度考えてみるべきなのではないでしょうか?
Commented by zattoukoneko at 2010-02-01 13:12
ちなみに次回の記事について、病院で亡くなられる方の医療ミスによる割合というのを予定していました。
今回の「率」というのと繋がるのでいいかなあと思っていたのですが、よくよく考えてみると、それをあげると、その後医療関係を続けた方がいい気もします。
ですがすでに予告していた内容を振り返ってみると、その医療ミス、薬剤投与の始り、西洋医学と東洋医学、錬金術と錬丹術、パラダイムの概念、とすごく長くなってしまうことに気付きました。
もちろんこれで繋げてもいいのですが、そうするとここのブログのメインである(はずの)本やゲーム、映像の紹介から当分離れてしまうなと思っていて、少し悩んでいます。
いっそのこと医療ミスについては飛ばしておいて、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をやってしまおうかとも思ってます。
その場合は、構造について、と、テーマ、についての二回に分けようかと考えています。
まあ、その後は結局エジソンの話になるのでまた雑記になるのですが、医療関係で続けるよりは短いかな、と。
とりあえずちょっと考えておきます。

あ、ちなみに囲碁は四段になりましたよー。
Commented by 山田 at 2018-05-12 14:45 x
はじめまして。ジェンダーについて大学院で学んでいる学生です。
古記事に反応するのはいかがなものかと思ったのですが、どうしても気になるのでコメントさせていただきます。
貴記事には痴 漢が最も冤罪率の高い犯罪であり、示談金を目当てにでっち上げを行う女性が増えたということが書かれてありますが、これらの具体的な所謂ソースはどこかで確認できますでしょうか?差し支えなければ教えてくださると幸いです。当然ではあるのですが、小説や映画などのフィクション以外でお願い致します。
Commented by zattoukoneko at 2018-05-12 16:35
山田さん、コメントありがとうございます。
何故この記事に、そのようなコメントをしたのかは、理解に苦しむところですが……。

今でこそ、「痴漢」とニュースで聞けば「冤罪じゃないの?」と、多くの人が思い浮かべる世の中ですが、
90年代までは、そのような考えは一切ありませんでした。「新幹線は事故を起こしたことがない」と同列で「日本には冤罪は1件もない」と、20年前までは誇らしく語られていたくらいですし。
2000年代になってようやく、法律の専門家の方が当記事のようなことを一般書でも述べてくれ、また冤罪事件も明るみになったことから、
「日本にも冤罪事件はあるんだ」と、人々の意識が大きく変化しました。
このことは、この時期に痴漢冤罪などを扱ったTV番組等が急増したことからも、文化史的に容易に確かめられることと思います。
この記事はそのような意識改革の流れに乗り(といっても、やや出遅れ気味ですが)、私なりにわかりやすくまとめてみようと書いたものです。

もとより、判明までに時間がかかるなどの性質上、冤罪の発生率を統計学的に正しく評価することはまず無理です。
それでも「率」と言っている人がいれば、その人は当然、社会的な背景に大きな影響を受けて述べていると見るべきです。
(だから、記事内でも「調査している人によって統計は変わりますが」と書いているはずです)

上記の流れを汲んでいただけていれば、ソースを求めるなんて話にはならない気がするのですが、とはいえ、求められましたので。
2000年代半ば頃だったかと記憶しているのですが、痴漢冤罪が社会問題になってきたことを受け、警察庁がコメントを出したことがあります。
(立場上、冤罪という言葉は使っていなかったはずですが)有罪確定後に無罪となった例があることを認めたうえで、痴漢犯罪の調査が難しいこと、その一因に被害女性が虚偽の申告をしていることがあると述べています。
このことから、「日本には冤罪は1件もない」という神話は、もはや捜査当局者ですら口にしないのだと判断し、記事を執筆するに至っています。

このようなことで回答になっておりますでしょうか?
Commented by 名無し at 2018-05-17 07:32 x
冤罪がそれまでなかった国に痴 漢冤罪が起こったんだから、最も率がでかいに決まってんだろ、わろたw
Commented by zattoukoneko at 2018-05-17 12:23
名無しさん、コメントありがとうございます。

そうなんですよね。下手をしたら現在の日本においてすら、痴漢冤罪を除けば、日常的に冤罪に巻き込まれる可能性があるだなんて思っている人はいないかもしれません。
そういう状況は変わるべきと思って、「『痴漢の冤罪が多いという当たり前の感覚ですら、間違っているのではないか?』と考えてほしい」というつもりで書いた記事だったのですが……まさか、字面通りに受け取ってソース出せと言われるとは。

せっかくなので書いておくと、痴漢での冤罪が発覚したのは、私たちの意識が変わる大きなきっかけだったのですよね。
それまでも冤罪事件はあったものの、発生件数が極端に少ないし、加えて、話題になるのは凶悪事件や難事件ばかりだった。そのせいで、一般的な生活を送る者にとっては縁遠いことと感じられてしまっていたのではないでしょうか。
しかし痴漢の件が出てきたことで、一般男性でも冤罪に巻き込まれるかもと思い始めた。これは大きな転機だったろうと感じるのです。
(もちろん正確なことは、あと10~20年くらいしたら、社会史・文化史の領域から調査してほしいですが)

再審請求すら「恥知らず」とされ、警察検察が犯罪者と言えば本人に自覚がなくても認めざるを得なかった時代が、ほんの数十年前まであったのですけども。
知らない世代がいるというのは、良い方に転んでいるということなのかな? そう思いたいところです。
by zattoukoneko | 2010-02-01 13:00 | 社会・経済 | Comments(5)