『世界を凍らす死と共に』2-2-1


   二.


 コンクールの〆切は近付いているけれど、今日は美術部の活動はしないで帰宅することにした。柊も怪のことで頭が一杯らしく参加しないとのことだったし、俺も『駄作』しか描けない今の状態のまま作業を続ける気にはなれなかったのだ。
 季節は秋に移り変わろうとしているとはいえ、太陽の出ている時間はまだまだ長い。授業が終わってからは寄り道もせずに帰ってきたし、家に着いた頃にようやく空の様子が変わってきたという感じだった。
 帰宅した俺を玄関で出迎えた母さんは、外出用の服を着ていた。
「お帰りなさい、鏡夜くん。ちょっと一緒に行きたいところがあるんだ」
 学校からの帰宅直後で制服を着たままだったし、俺は自室に鞄だけ置くとすぐに母さんと外に出た。
 傾いてからは陽が落ちるのも急速に早くなる。家の中にいたのはそれほど長くない時間だったはずなのに、先程まで明瞭に地面に描かれていた家々の影はぼんやりとしたものに変わっていた。
 歩を進めるたびに裾で可愛らしく揺れるフリル。その一方で落ち着いた印象も受けるワンピースを着た母さんの後に付いていく。
 辿り着いたのは父さんが死んだあの公園だった。
「近くを通ることは何度もあったけど、こうやって中に入るのはあの日以来になるのかな。どうしても足が避けちゃうんだよね」
 それは多かれ少なかれ他の人でも同じことだと思う。公園の木々は凍りついたものがほとんどだったし、遊具も所々に氷が張り付いている。そこにはまだあの事件の気配が色濃く残っていた。
 中央まで進むと、そこにあったブランコの一つに座りながら母さんが告げてくる。
「今日ここに来ようと思ったのは、お父さんのことを考えたかったからなの」
 俺と同じく事件のことを再度振り返ろうということなのだろうか? 俺も氷の付いていないブランコに腰を下ろしながら尋ねると、母さんは首を横に振った。
「事件のことじゃなくてお父さん自身のこと。それと……亡くなられた前のお母さんのこと。もちろん少しは話を聞いてるんだけどね。でももっと知ろうかなって。でも私一人じゃどうしようもないし、だから鏡夜くんに付き合ってもらおうと思ったの」
「それは構わないけど、何でまた急に? それに事件のことじゃなかったらわざわざここに来ずに家で話しても良かったのに」
「うーん、事件のこともまったく関係ないわけじゃないんだ。少なくとも深く知ろうと考えるきっかけにはなったし」
 伸びをするように足を真っ直ぐにする母さん。その動きに合わせてブランコもいくらか持ち上げられたけれど、漕ぎ出すわけではなくそのままの姿勢で話を始めた。投げかけられる問いに俺は静かに答えていく。
「前のお母さんってどんな人だった?」
「人当たりが良くて面倒見のいい人だった。けど俺に言わせればいつも無謀なことをやってるように見えた。体もそんなに丈夫じゃないのに、困ってる人がいたら誰でも助けようとするもんだから」
「体が丈夫じゃないって、ご病気か何か?」
「元からあまり体力がなかったみたい。特に俺を産んでからはがた落ちしたって聞いてる。寝込んだりとかそういうのはなかったけど、すぐに疲れて動けなくなったりはしてた」
 仮に人並みの体力を持ち合わせていたら今も存命だったかもしれない。あるいはもっと自分の体のことを気にかけてくれていれば、事態はもっと違うものになっていたかもしれない。
「事故だったって聞いてる。溺れてる子供を助けようとして流されたって」
「そう。今は整備されて見えなくなってるけど、町外れの方に大きな用水路があったんだ。その近くを通りかかったときに溺れてる子供を見つけたらしい。多分目に入った次の瞬間には飛び込んでたんじゃないかな。俺もその場に居合せたわけじゃないけど、容易に想像がつくよ。騒ぎに気付いて他の大人の人が来てくれたんだけど、体重の軽い子供の方しか引き上げられなくて、そして母さんはそのまま流された」
 俺が小学校の四年生になった梅雨の時期のこと。経緯を聞かされてどこに怒りをぶつければいいのかわからなくなったのを覚えている。頭の中がごちゃごちゃになって、結局『あの母さんの性格を考えればむしろ自然なことだったんだ』と整理をしたのだ。
 隣で話を聞いていた母さんはそこでしばし考え込む様子をみせた。それから言いにくそうに尋ねてくる。
「お母さんのこと嫌いだったの? その、何ていうか、鏡夜くんまるで他人事みたいにして喋るから」
「……」
 俺はすぐに答えることができなかった。当時は色々な感情が渦巻いていたはずなのに、今ではそれをきちんと思い出すことができなくなっている。思い出せるのは頭の中がごちゃごちゃになったということだけだ。それは気持ちとは少し違う。何だか心の奥底にある壺に想いを入れて、蓋をしてしまっているような感じがした。
 こちらが黙ったままでいることから何かを察したのか、あるいは元からそれを話すつもりだったのか、母さんが自分の想いを語り出した。
「私はお父さんのことが本当に好きだったから、今でも色々なことを思うの。お父さんは死ぬときに何を頭の中に描いていたんだろうとか、それまでの人生で何を考えてきたんだろうとか、そして前のお母さんを亡くしたときにどう感じて気持ちを整理したんだろうとか」
 母さんが少し上の方に視線を遣った。周囲はかなり暗くなっていて、氷漬けの木が公園灯に照らされてきらきらと輝いていた。
「前のお母さんが亡くなられたときには周囲は凍りつかなかったって聞いてる。でもお父さんが死んだこの場所にはまだ冷気が立ち込めてる。怪の影響もあるんだとは思うけど、結局この公園を冷たくしたのは誰なんだろうって気になったの。あのときの私は体や心がどんどん冷えていくのを感じた。だから私が原因だったのかもしれないけど、もしかしたらそうじゃなかったのかもしれない……」
 そこまで口にすると母さんは反動を付けてブランコから立ち上がった。苦笑しながらこちらを見てくる。
「取り留めのない話になっちゃったね。ごめんなさい。ただ鏡夜くんがお父さんの事件のことについて考え直すのなら、私ももう一度整理をしなくちゃならないのかもしれないって感じたの。ただアプローチの仕方は違うけどね。私には私の目指すものがあって、そうなれば当然見つめるべきものも異なってくるから。今回は前のお母さんの話を聞きたかったのもあるけど、鏡夜くんとはやっぱり違ってるってことを確認するために一緒に来てもらったんだ」
 俺には母さんの目指しているものが何なのかわからなかった。でも見ようとしているものが異なっているということだけはわかった。ただ別々の方向を向いてはいるものの、帰る場所は同じらしい。公園の出口に足を運びながら「夕飯遅くなっちゃうねー。今日は手伝ってもらってもいいかな?」と母さんがお願いしてくる。それに承諾の返事をしながら俺もブランコから立ち上がった。
 夏でも氷に包まれた公園。そのときそこには二人分の人間の温かさが確かにあった。そして人の気配がかなり遠ざかった頃、忘れていたかのようにブランコがきぃと甲高い音を響かせた。

 その夜俺は夢を見た。
 前の母さんの夢だった。
 俺は水の中で溺れ苦しんでいる。そこに母さんが飛び込んで体を包み込んだ。助けようと水面を目指して動くのだけど、流れる水が俺だけでなく、母さんの体まで氷のように冷たく凍らせていく。
 慌ててベッドに起き上がったとき、俺は全身を濡らす汗に寒気を覚えながら周囲を見渡した。けれど部屋のどこにも母さんの姿はなかった。


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# by zattoukoneko | 2013-04-12 23:07 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』2-1-2


 昼休みに母さんが作ってくれた弁当を片手に下げ、俺は学校の中庭をぶらついていた。
 食事を摂る場所を探していたというよりは、これからの方針を歩きながら模索していたというのが正解に近い。事件のことを探ろうという一応の目標を立てはしたものの、どのように取りかかればいいのかがわからなかったのだ。
 当初は柊と直接話をしてみようかと考えていた。彼女は事件に深く関わった人物だったからだ。けれど昨日の俺に対する態度を思い出し、簡単には話してくれなさそうだと思い直した。柊は俺の父さんを殺した張本人なのだ。怪に取り憑かれていたとはいえ、彼女にも話しにくいことはあるだろうし、俺自身も躊躇いを覚える部分がある。いずれは直接対峙すべきだとは考えているのだが、今は時期尚早という気がした。
 警察を訪ねてみるというのは一つの候補に挙げるべきかもしれない。父さんは捜査に関わっていたわけだし、同僚の刑事から多少は話を聞くことができるのではないだろうか。事件後に詳細を教えてもらえなかったというのはあったけれど、そもそも俺がきちんと聞き出さなかったことにも一因がある。ただ怪のことなどは教えてもらえるかもしれないが、父さん以外の被害者や、柊のことは無理なのではないかとも思う。貴重な情報にはなるだろうけど、母さんなり真琴の言っていた、もっと内側にある関係性のようなものは見えてこない可能性は高い。
 俺はそこまで考えたところで嘆息混じりにこぼした。
「結局そういうことすら真剣に考えてこなかったってことなのかもなあ」
 怪というのはそもそも想いが蓄積することで発生するらしい。とすると強力な想いの塊といったところか。怪は何かしら独自の方向性に傾いているのだろうが、想いであるなら他の想いとも相互作用することではじめて現象を生む。つまりは父さんが殺された事件を一つの現象と見るならば、そこにいた人たちがどう関係しあっていたのかを知らなければならないということだ。でも俺はそのことを知らないし、知ろうとしてこなかった。自分勝手に他人の事情を作り上げて納得していただけ。ようは関係性以前にその人のことすらきちんと見ようとしてなかったのだ。今ならそれが大きな問題であったとわかる。
 さて自分が問題を抱えていることはわかったが、だからといってそれに気付いたと告げたところで柊や母さんは素直に話をしてくれるだろうか。人間関係をどう築くのかわからなくなってしまっているような気がする。思わず俺は再び溜め息を吐いた。
「溜め息を吐くとその数だけ幸せが逃げちゃうって言うよ? こんなに短い間で二つも手放しちゃった」
 急に背後から声がかけられ、俺は驚いて振り返った。
 振り向いた先、長い髪の毛が乱れるのにも構わず、立花先輩がぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「漏れた幸せってもう一度掴み直せるかな? 戻せたらいいね、見えないからわかんないけどさ」
 地面から浮く足の高さがほんの十センチ程度しかないのは、その細い体をブレザーが上から押さえつけているという理由だけではないだろう。
「あまり過度な運動をすると体に障りますよ。夏の暑さもまだまだ厳しいですし」
「これも運動だよー。昨日も言ったけど、これまで体が弱いからって動かすのを控えてたのもいけなかったんじゃないかってアタシ考えたの。だから自分でも何かしら変えてみようって、そんな感じ」
 立花先輩のその言葉に俺はちょっと驚いた。ちょうど自分が考えていたことと重なったからだ。それに出会った頃はまだ家族に守られているような状態で、ここまで活発ではなかった。あのときの先輩はどこか殻に閉じこもっている風だった。
 ジャンプするのをやめた先輩は、息を一つ吐いて呼吸を整える。
「でも暑いのは確かだねー。御薗木君はこれからお昼かな? 日陰になってるところで一緒しない?」
 立花先輩は俺の持っている弁当を見ながらそんな提案をする。最初からそのつもりだったのかまではわからないが、先輩の手にも小さな弁当箱があった。
 俺たちは中庭の隅の方にあった木の陰に入ると、その場に座り込んだ。ベンチのある場所はどこも陽が照っていたし、風通しの面からしてもこちらの方が良さそうだったのだ。
 先輩はブレザーのポケットからヘアゴムを一つ取り出すと、慣れた手つきで長い髪を後ろで一つに束ねていく。その隣で弁当を広げていると、その中身を見た先輩が面白そうに声を上げた。
「何だか妹が大好きなお兄ちゃんのために頑張って作ってあげたお弁当みたいだね。御薗木君に妹さんっていたっけ?」
「あ、妹はいません。これは母さんが作ってるんですけど、何せ俺より年下で家事も勉強し始めて間もないですから」
「え? ……ん? お母さんなのに年下?」
 目をぱちくりさせる先輩。どうやら母親が年下という状況が飲み込めずに混乱しているらしい。俺にとってはもう自然なことになってしまっているけれど、そもそも親が再婚するということも稀なのだろうし、ましてやその相手が自分より年下というのは俺の年齢ではほとんどないことかもしれない。そのことに気付いた俺は、父さんが昨年若い女性と再婚していたのだということを告げる。
 立花先輩は一度得心してから、すぐに唸り声を上げた。
「うーん、迂闊だった。柊さんだけでなく、許斐真琴ちゃんに年下のお母さん。御薗木君の周りには可愛い女の子が一杯だね、ライバル多し!」
「ライバルって……何を言ってるんですか、先輩は」
 唸りながらもどこか楽しげな口調で語るという芸当を披露する先輩に、俺は思わず頭を抱えてしまった。けれど先輩は我関せず。唐突に「あ!」と声を上げると話題を変えてきた。
「柊さんで思い出したけど昨日の放課後、美術室で二人がいい雰囲気になってるところ見ちゃったよ? あまり感心できることじゃないなー。学校ってのは密室のように思える場所でも穴がたくさんあるように出来てて、いつ誰が見てるかわからないんだから」
「えっと、それはどういう状況を見たんですか?」
「二人でお互いの顔を近付けてキスしそうになってるところ。何、もしかしてそれ以上のこともしたとか?」
 先輩の返答で納得する。その場にいた者からすればあれはいい雰囲気と呼ぶようなものではなかったけれど、事情を知らない人が外から見ていたら顔を近づけていたり、その後の手を掴みながら床に転がっている姿は誤解を招いてもおかしくはない。
「あれは説教されていたんですよ。確かに柊は顔を近付け過ぎだったかもしれませんけど、普段から突飛な行動に出ることがよくありますから」
「そういえば昨日も気性が荒いとか言ってたね。ふーん、御薗木君は柊さんのことよく見てるんだね、へぇー」
 不満そうな声を上げながら立花先輩はジト目でこちらを睨んでくる。ただ俺はその先輩の態度よりも言葉の方がずっと気にかかった。
「俺が柊のことちゃんと見れていると、そう先輩は思うんですか?」
 それはついさっきまで俺が悩んでいたこと。人間関係や、そもそもそこにいる人自身を俺は見てこなかった。そう思っていたのだが立花先輩は「よく見ている」と言った。それは意外な言葉だった。
 俺の問いに先輩は不機嫌そうな顔を一瞬向けたものの、すぐにこちらが真剣に悩んでいることを察してくれたらしく、真面目に返事をしてくれた。
「アタシは御薗木君と比べて柊さんと接した回数がずっと少ないから、当然その差は考慮しないといけないよね。彼女のことに関してアタシはほとんど知らない。でも何回も会っているからといって、その人を知ることができるとも限らないよ。アタシ、世界史担当してる先生の名前すら危ういもん」
 先輩はさらっと問題発言を交えて一度話を締め括り、指を一本立てて考えを転回させる。
「あるいはさ、そもそも何回も交流できるってだけでもすごいことだと言えるんじゃないかな? お互いにより知り合おうとするから何度も出会ってやり取りできるの」
 その二つの考え方を提示すると、結論として「御薗木君は柊さんのことをよく見てるとアタシは思う」と先輩は話を終えた。その論はもっともなものだと感じられて、だから俺は悩んでしまった。
 これまで俺は人をきちんと見てこなかった。それは柊に駄作だと評された絵に如実に表れている。一方で立花先輩の言うように、深くは入りこめていないのかもしれないが、人との付き合いはそれなりにしてきた。それを踏まえて昨夜の母さんを描いた絵のことを思い出すと、それまでと違う母さんの表情だったから、それに敏感に気付いて取り出せたとも考えられる気がする。
 ただそれだけでは整理できないもやもやがある。それを俺が捉え損ねていると、先輩は意地悪な笑みを少し含ませながら訊いてきた。
「何だかまだお悩みのようだね? ちなみにこんな考えも出来るよ。相手のことを知らないって思うってことは、その人を知りたいって願望があるってことの表われである。どうだろ、違うかな?」
 その言葉ですとんと胸にわだかまりが落ちる感じがした。先輩の言ってることは当たっている。
 結局俺は昨日のことをきっかけにして、柊や母さんのことを深く知らないといけないと感じるようになった。本来ならばそれまでにきちんとやっておかなければならないことではあったのだけれど、それをなあなあで片付けてきてしまったのが俺の問題なのだ。ただすべてを無視していたわけではなく、だからそれなりの関係は築けていたということなのだろう。
 立花先輩は連続殺人事件のことや、俺の父さんが死んだことについては知っているけれど、その犯人が柊だということまでは知らないはずだし、それは伝えない方がいいだろう。少し濁した言い方にはなってしまうものの返答する。
「詳しくは話せないんですけど、柊が絡んだことで思うところがありまして。それがきっかけで俺は彼女のことをこれまできちんと見ていなかったことに気付いて、もう一度見つめ直そうと考えるようになったんです。整理できてませんでしたけど、先輩のおかげですっきりしました」
 先輩は俺の顔を見て満足そうに頷いた。それからさらにアドバイスをくれる。
「アタシからは柊さんのことについては何も教えられることはないよね。でも他の人ならもっと詳しいんじゃないかな。本人に直接話を聞けないようなら、周りの人に当たってみるのも一つの手かもしれない」
 言われて俺は隼人のことを思い出した。事件に直接の関わりはないだろうけれど、中学時代から柊のことを知っていて、険悪ではあるものの互いのことを意識している。あいつだったら柊のことを俺より知っていても何ら不思議はない。
 ……一瞬、隼人が描いた柊の絵が脳裡をよぎった。今の俺が柊を対象にして描いたとしても、あんなに彼女を再現することは出来ないと思う。隼人は柊の何を知っているのだろう?
 そんなことを考えていたら、立花先輩が急に話題を変えてきた。
「でもさー、女の子と二人っきりでお昼だっていうのに、他の子の話題ばっかりって失礼だと思わない?」
「……え?」
 振り向くと、小振りのミートボールを刺したフォークをピコピコ揺らし、先輩は抗議の声を上げていた。そしてとんでもないことを言い出した。
「罰として明日の休みはアタシとデートです。異論は認めないから」
「何を急に言い出すんですか。さっきまでの話と全然違いますよ」
「それはアタシとのデートはイヤだってことなのかな?」
「いや、それは……」
 俺が返答に困っていると、先輩は微苦笑した。
「あんまりいじめるのも悪いね。要は体を動かす一環として休日に街を出歩いてみようと考えてて、でも一人じゃ心許ないから付いて来てくれないかなってこと。前に行き倒れていたのを助けてくれた御薗木君が一緒となれば、お父さんたちからもオーケー出やすいだろうし」
 なるほど、そういうことであれば喜んで同行させてもらいたい。先輩も変わろうとしてるなら俺もその姿を見ることで学ぶところがあるに違いない。少なくともそうやって交流することで一人の人間をちゃんと見つめる訓練にはなると思う。
 俺が快諾すると先輩は本当に嬉しそうな顔をする。そしてミートボールをぱくりと口に放り込んだ。


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# by zattoukoneko | 2013-04-12 23:06 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』2-1-1


   二章


   一.


「だからそういうのを不条理だって僕は言ってるんじゃんか」
 翌朝の登校途中、事件のことを掻い摘んで話したところ、聞き終えた真琴は開口一番にそう言ってきた。
「その『不条理』っていうのは最近の口癖か何かか? 確かに母さんに言われて簡単に納得してはいけないことだとは思ったし、俺もきちんと見つめることをせずに置き去りにしている点がいくつもあると気付いたよ。でもそれは俺が見ていないというだけの話であって、筋は通っているんじゃないかな? もしかして真琴は不条理って言葉の意味を理解してないんじゃないか?」
 今年の春からまた一緒に学校に通うことになった真琴は、父さんと一緒にいる新しい母さんのことも見ていたし、殺人事件で父さんが殉職したことも知っている。家同士の親交はなかったにもかかわらず、葬儀にも参列してくれた。その後も事件のことは気にかかっているようだったから怪のことなどを教えることにしたのだ。ただし柊との面識はないので、その辺りは伏せておいたけれど。
 俺の物言いに真琴は「言葉の意味くらいちゃんとわかって使ってるよ!」と膨れっ面になって返してきた。
「鏡にいは怪のこととか、それに取り憑かれて人殺しをすることとか、そういうのを自然の摂理に合ってるからって納得して理解してる。でも僕はその自然の摂理とか生まれ落ちてきた社会の構成とかがそもそも気に喰わないんだ。理に適ってるだなんて思いたくない」
 その主張に俺は溜め息でもって応じる。
「それってただの我が儘じゃないか。もしくは年齢的に反抗期」
 生まれてきた世界の秩序や社会に不満を持ったところでどうしようもない。人間が自力で空を飛べないことに不満を持ち、怒り狂ったところでその現実は変わらないものだ。
 けれど真琴はその考えに疑問を呈してきた。
「鏡にいは本当にそう思うの?」
 そんな想いを抱くようになったのにはどうやら理由があるらしかった。まだきちんとまとまってはいないものの、考えを披露してくれる。
「人は生まれたままの体じゃ空を飛ぶことはできないけど、そのことに不満を持って飛行機を発明した。暑い夏を快適に暮らしたいと思ってクーラーや扇風機を作り出したんだし、その前から団扇とかがあった。そうやって自然を変えてきたんだろ? 最初は不満という想いから始まって、その後別の想いとも結び付きながら、積もり積もって出来上がったのがそういう発明品だって見方も出来る。ならさ、自然とか社会とかに不満を持っても別にいいんじゃないかな。そこにおかしなものがあると思って考え続けていたら、いつかは世界を変える力を手にすることが出来るかもしれない」
 技術が想いそのものであるというのは違うだろう。仮にすべての道具に考案者の想いが残っていたら、それを扱う人間が別の使い方を試みたら反発してしまう可能性がある。ただ発明が成される過程で、たくさんの想いが相互に作用しあって最終的な形を決めるということはあるかもしれない。そう考えれば『血と汗の結晶』という言葉は見事に的を射ている。
「青葉さんは逃げないで色々なものを見て欲しいと願ってるんでしょ? それって世の中にあるおかしなもの――鏡にいは違和感覚えるみたいだけど僕の言葉での不条理にもっと目を向けて、それによって不満に感じることを変えていって欲しいってことだったりするんじゃないかな?」
「それだと不満を抱けって言っているみたいにも聞こえるな。そういう感じではなかったよ。ただ『事情があるから仕方ないとするのはやめて欲しい』とは考えているらしくて、それは俺も直すべき点だと反省した。きちんと対象の内側を見ることを心掛けないとその本質を捉えることはできない」
 昨夜描いた母さんの絵がそのことを如実に語っていた。あのとき俺は母さんの内側をしっかりと見れていて、だから紙の上にそれを表現することができた。ただあれは偶然の産物に近いもので、いつも同じように描いていける自信はない。
 そういう意味では俺は確かに不満なところがあって、それを変えようとしている。真琴の本意とは少しずれているのかもしれないけれど。
 俺のその見解を聞いた真琴は少し考え、けれど結局唇を尖らせた。
「でもさー、それってどうやって変えていくの? その不満が向けられている相手って鏡にい自身じゃん。内省したからって簡単には変わらないのが人間ってもんでしょ」
「……お前はまだガキのくせにわかったような口を利くなあ」
 あまりにも真琴が実感のこもった感じで話をするので、つい俺は皮肉を口にしてしまった。真琴がさっき以上に不満そうな顔をする。
「まあ真琴の言うのももっともだと思うよ。自分の内側を見つめ直すにしたって、そもそもそのきっかけになるものを俺はまだ手にしていないわけだし」
「じゃあどうすんのさ」
「とりあえず父さんの事件を追っていくことにしようと思う。自分にとって大きな出来事だったのは間違いないわけだけど、それを俺は詳細を知ろうとしないまま整理してしまった気がするんだ。だからその引き出しをもう一度開けるためにも、何が起こっていたのかを見つめ直すことにしようと考えてる」
 具体的には柊に話を聞いてみようかと思っている。犯人が同級生だと知らない真琴にはそのことは伝えず、やや曖昧な言い方になってしまったけれど。
「そっか。確かにお葬式のとき不思議に思ったよ。僕だって鏡にいのお父さんが殺されたって知ってすごいショック受けてたのに、肝心の鏡にいはけろっとしてんだもん。あのときにはすでに仕方のないことと納得しちゃってたのかもね。だとしたらその頃とか事件のことを探ろうという姿勢を持つことで、何かが変わるってのもありそうじゃん」
 そうだった。葬式のとき俺は泣かなかったんだ。この年齢で泣いてしまうのは恥ずかしいとか、そういう気持ちで抑制がかかったわけではない。悲しくなかったのだ。父さんの職業柄いつ死んでもおかしくないと覚悟をしていたし、連続殺人の犯人を追うという危険な仕事をしていたことも知っていた。だからそういうこともあるし仕方のないことだと自分を納得させてしまっていた。そのせいか父さんの死を深く悲しみつつも、気丈に振る舞っている母さんの顔や、親類でもないのに参列者の対応を手伝ってくれた真琴の懸命な姿をはっきりと覚えている。代わりに俺自身の気持ちはどういうものだったのか忘れてしまっていた。
 ただあのときの気持ちそのものを掘り返してもあまり価値はないと思う。何せすでに納得して気持ちに整理を付けてしまっていたのだから。でも事件のことを調べて、それを受け止めていくうちに、別の気持ちが湧き上がってくるだろう。それを見逃さなければ俺は自分の内側を見つめられたことになる。
 と、真琴がすぐ隣で不意にこんな言葉を口にした。
「ただ鏡にいは事件だけじゃなく、もっと周囲のことも注意してみる必要があると思うけど……ね!」
 そして次の瞬間足首に衝撃。真琴に足を引っかけられたのだと気付いたときにはすでに地面に転がっていた。
 幸い軽く転倒しただけなので怪我はない。ブレザーについた砂や小石を叩き落としながら背の高さのあべこべになった真琴を見上げ、抗議の声をあげる。
「小学生のときみたいな悪戯はやめろよ。いい加減落ち着け」
 だが真琴は反省せず、下瞼に指を当てて舌を出してきた。
「いつまで経っても気付かない鏡にいに腹が立ったんだよ。ばーか!」
 そのときに少し真琴が前屈みになったせいか、俺はようやく今日になって真琴の顔をじっくりと見つめた。そしてその髪型が普段と少し違うことに気付く。
 左耳の上辺り。短髪の髪の毛がヘアピンで留められていた。
 小さなモミジがあしらわれたそのピンとセーラー服に身を包んだ真琴が、こちらに向かってあっかんべーをしている。それは何だかいつもと違う印象を俺に与えた。


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# by zattoukoneko | 2013-04-12 23:05 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』1-4-1


   四.


 柊が母さんに向けて放った言葉に、もし動揺することがなかったら息子どころか人ではないだろう。そんなことを思うくらい彼女の発言は衝撃的だった。
「殺された人間の妻や息子がいるところで自分が犯人だと告げるだなんて、正気の沙汰には思えないぞ? 冗談だったと後から訂正しても取り返しがつかないかもしれない」
 俺は少なからず動揺していた。でもこの場で動揺しているのは俺だけだった。
 柊はいつもの視線を眼鏡越しにこちらに送り、母さんは悲しみをない交ぜにしながらどう説明したらよいものかと思案する戸惑い顔を浮かべていた。
 二人の様子を見て俺はソファの背もたれに体を放り出した。ぼふんとやや大きめの音を立てながら体が受け止められる。
「……本当のことなのか」
 呟いた俺に、まだたどたどしい口調ではあったが、母さんがあの事件の日のことを説明してくれた。
「お父さんは刑事として連続殺人犯を追っていた。でも紗樹さんが説明していた通り、被害者のご遺体はすべて凍りついていて、だから怪が原因であるという可能性も考えられた。捜査本部は怪が関わっているとしても殺人を犯している人物には凶悪な殺人犯として対処すべきと考えていて、それに真っ向から反対していたのがお父さんだったの。事件が怪によって引き起こされているとしたら、犯人はむしろ助けられるべき対象なんじゃないかって……」
「ようは御薗木くんのお父さんにわたしは救ってもらったのよ。怪に取り憑かれる素因を持っていたのは確かだけれど、わたしは自分の意思に反して殺人を繰り返していた。それを止める術を持ってなかった。そして憑依されたわたしの心はどんどん冷たくなっていった。あの日も仲睦まじく夜道を歩いている男女二人組を見かけて、そこに漂う温かさを壊してやりたいという衝動に駆られた。それが御薗木くんのご両親だったのよ。殺すのはどちらでもよかったから隙だらけの青葉さんの方を狙ったわ。でも襲撃にいち早く気付いたお父さんがその身代わりになった。そして息絶えながらもわたしのすべての罪を許すと優しく抱擁してくれたの。わたしはそれに驚くと同時に、その温容な心に冷え切った心が溶かされるのを感じた。そうして怪は消えたの」
「まだ事件から日も浅いし鏡夜くんも覚えてるかと思うけど、当時は巡回している警察官がたくさんいたよね。あのときも現場近くに偶然お父さんと親しい方がいたの。一度は紗樹さんも連行されはしたものの、怪に憑かれて犯行を重ねている人はむしろ被害者なんじゃないかって考え方が出来上がりつつあった。お父さんはその信念のもとで動いて、抵抗するよりも襲ってきた紗樹さんを受け入れることにした。結果としてお父さんが考えていた通りに怪は消えたし、紗樹さん本人の罪も問うべきではないだろうと結論付けられたわ。ただ怪に関してはまだ認知が進んでいないし、一般の人には犯人は捕まって事件は無事収束を迎えたとだけ伝えられることになった。一方で被害者の家族には犯人と事件の事情が複雑であるため、その整理ができるまで相手の情報を伝えるのは待ってもらいたいと伝えられたの」
 事件の裏にそのような事情があったことに多少驚きつつも、父さんの行動を聞いて納得もした。刑事として仕事に追われながらも、実の母さんが死んでからはいつも俺のことを気にかけてくれていた。物理的に時間を取るのは難しかったために家事の担当は俺に移っていったけれど、それでもなるたけ自宅に帰るように心掛けているのはわかった。自分の仕事をしながらも周囲のことを何より気にかけるような人だったから、怪に取り憑かれた人間を救おうと考えたという話はすんなり受け入れられた。
「鏡夜くんに伝えられなかったのは相手が近しい人物だったから。怪のこととかきちんと受け止められないと、友人間でのトラブルに発展するかもしれない。だからしばらくの間は鏡夜くんや紗樹さんの様子を見守ろうという話になったの」
「確かに理解し難い内容だと感じるよ。怪のことも何となくはわかったけど、実感がまだ伴ってはいないし。ただ事情は把握したし判断も妥当なものだと思う。こうやって三人揃って話が出来たおかげで飲み込みやすくなったのかもしれない」
 母さんと話をするその俺の様子を、柊がしばし黙して窺っていた。話の流れからそちらをまず優先しようと考えたのかもしれない。
「……」
 俺がとりあえずの納得をしたところで、柊は何か声をかける素振りを見せた気がした。しかしそれは思い過ごしだったのかもしれない。彼女は母さんに向き直ると、家にやってきた理由である本題へと話を移した。
「わたしには疑問なのです。先程も青葉さんは『心の整理をする時間が欲しかった』と仰っていました。なら事件のあの日は尚更に心中穏やかではなかったということではないですか?」
「それは……」
「亡くなられたお父さんや公園はそれまでの事件と同じく凍りつきました。いえ、それ以前のものより長い期間氷に包まれていて、今でも公園の氷は融けていない。それは怪による影響だと考えられます。でもわたしから怪は消えた。そしてお父さんも自分の死を受け入れて優しい笑顔をわたしに向けてくれていました。ならあのとき冷たい心を持っていたのは誰なのか。……もしかして怪は青葉さんに乗り移ったのではないですか?」
 母さんはその追及を予期していたのかもしれない。視線を軽く俯かせた。それから自分の中を整理するように、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「まずね、紗樹さんを襲ったのは私じゃないとは伝えておこうと思う。証拠を出せと言われると困っちゃうんだけど……。年齢も鏡夜くんや紗樹さんと差がないから学校にも生徒のふりをして入れちゃうかもね。制服はないけど放課後ってことなら運動部とかは体操着だろうし」
「確かにやったことの証拠を出すより、やっていないことを明示するのは遥かに難しい。わたしもそれは理解していますし、何も襲われたからといってその相手を糾弾しようとも考えてはいないのです。怪に取り憑かれた人間だからこその考えかもしれませんが、わたしは怪が今どうなっているのかを確かめたいのです。憎むべきはそちらだと思っていますから」
「そっか。それで話を聞きに来たんだね。紗樹さんからは怪が消えたけど、私は事件の現場にずっと残ってたから」
 納得して一つ頷いた母さんは、事件直後に感じていた気持ちを吐露し始める。
「お父さんが死んだとき、私はその仕事も人柄も知っていたから覚悟はできていたの。いくら何でも早すぎるとは思ったけどね。だからお父さんが勤めを果たして死んだことには納得してた。でもお父さん自身が満足そうな顔を浮かべていたことに、どうしても心がついていかなかったの。お父さんは仕事は全うしたかもしれないけど、結果として私や鏡夜くんを残して先立つことになる。それに不満はないのかなぁって。私たちのことはどうでもいいのかなぁって。そんなことを思っちゃったんだよね。それが理由なのかもしれない。私は多分あのとき怪に取り憑かれていた」
 俄かには信じられなかった。父さんが死んだ直後は確かに意気消沈していたけれど、母さんはすぐに明るく振る舞うようになった。話に出ている怪は冷たさが凝縮して発生したものということになるのだろう。だとしたら俺に接していた母さんは偽りの姿を見せていたということなのか?
「それは違う。そんなことはないよ、鏡夜くん」
 俺の疑問に母さんはすぐに否定の言葉を発した。
「確かにお父さんが死んだとき、私はすごい悲しくなったし、あまりのことにこの世に絶望もした。もし可能であればお父さんを説得して、家族三人で幸せに暮らせるようにやり直せたらいいのになんてことも夢想した。そんなこと、実現するはずがないのにね。でも叶わないからこそ強く願ってしまった。そうしたら体がどんどん冷えて周りも凍っていったの。あのときの私の体には怪がまとわりついていたんだと思う」
 怪に取り憑かれ、自分が公園を氷漬けにしたと母さんは正直に告白する。でもその後に俺に向けた微笑みからは冷たさなど感じられなかった。
「でもね、どうしてお父さんは笑顔を浮かべながら息を引き取ったのか考え直したの。まだ若かったんだし、後悔がないなんてことはないはずだって。多分だけど自分がいなくても残った人たちに任せられると考えたんだと思う。怪のことも同僚の刑事さんがきちんと考えてくれて、紗樹さんの罪は問われないことになった。家のことは鏡夜くんがしっかりしてるし。あとは私がお母さんとして頑張ればいいのかなって、そう思い直したの」
 それで父さんが死んでから家事は自分がやると強く望んだのか。以前から料理本を読んだり俺が作業しているのを見て教わったりはしていたけれど、二ヶ月前からはほぼすべてを母さんが担当している。そうすることが父さんの遺志に沿ったものだと考えたのだ。
 同じ家に住む者からすると、もう少し分担させてくれればいいのにとは思う。まだ頼りないところがあるとは正直感じるし、家族なら手伝うのも自然だろうし。
 ただ一つわかったことがある。母さんは父さんを失った直後に怪に取り憑かれたかもしれない。でもその後に操られたりはしていなかった。自分の気持ちをきちんと取り戻し、怪を跳ね返したのだ。
 柊も同じようなことを思ったのだろう。もちろん一緒に住んでいるわけではないし、俺たちの会話から状況を想像して判断したのだろうけど。
「青葉さんの話が聞けてよかった。わたしを狙っていないことや現在怪に憑かれていないことをきちんと証明してもらったわけではないですが、以前怪に取り憑かれていた者から見ればこのような温かい家庭を築けていることが何よりの証拠のように感じます」
 それを伝えると柊はかけていた眼鏡を取って少しの間物思いに耽った。蔓の部分を手でいじりながら独り言のように言葉を口にする。
「けれど怪が襲ってきたのは変えようのない事実。わたしに取り憑いていたものと同一のものかまではわからないけれど、怪に魅了され、多くの人を殺めてしまった者としてそれが存在していることを看過することはできない」
 柊は眼鏡をかけ直すと、鞄を手に取り立ち上がった。
「あまり長居をするわけにもいきませんし、そろそろお暇させてもらうことにします。青葉さんにとってまだ心の整理の出来ていないことだったかもしれませんが、お話を聞かせてもらってありがたく思っています」
 そして母さんに向かって一礼し、玄関の方に足を向けた。夜も遅いし送り届けようかと申し出たのだがそれは断られ、代わりに敷居を跨いだ向こうからこんなことを言われた。
「御薗木くん。青葉さんがいつまでも事件や怪のことを伝えられなかったのはあなた自身のせいよ。どうせ自覚はないのでしょうけどね」
 急な内容で何を言われているのかわからない。我に返ったときには玄関の扉は閉められ、柊の姿は見えなくなっていた。


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# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:15 | 小説 | Comments(2)

『世界を凍らす死と共に』1-4-2


 夜も大分更けて俺は自室のベッドに体を転がしていた。今日は月が明るいのか、電気を消した室内でも物の形は十分に判別できるほどだった。俺はぼんやりと闇の中に浮かび上がるそれらの姿を眺めながら、今日あったことを思い起こしていた。
 当然ながら一番の衝撃は父さんを殺した犯人が柊だったということだ。普段から柊は唐突に過激な言動を取ることがあったけれど、だからといって人を殺めるようなことまではしないと思う。なら彼女が殺人を重ねていたというのなら、その要因が別の何かにあったという説明は納得のいくものだと感じる。それを柊や母さんは怪と呼んでいた。
 今朝には真琴が父さんの死について不条理だと感じないかと訊いてきたけれど、不条理という言葉はともかく、確かに納得できない部分はあった。犯人が捕えられたにもかかわらずその罪が問われていないことや、実の息子なのにその事情を詳しく説明してもらえていなかったことなどがそれだ。ただ警察はきちんと判断してそのようにしたのだろうと思っていたし、話を聞いた母さんが納得しているようであったから不満とまではならなかっただけだ。
「まあ結局どこにも不条理なんてなかったってことだ。怪というのが想いの積み重ねで発生するものだというのならそれは自然の摂理に則っているし、事件の原因がそちらにあるとなれば人を大事にする父さんなら犯人の罪は追及しないに違いないし」
 俺がそのように結論付けて頭の下で手を組んだときだった。部屋のドアがノックされ、向こうにある廊下からやや控えめの声が聞こえてきた。
「鏡夜くん。ちょっと話をしたいんだけど、いいかな?」
 それに応えて、部屋の電気を点けてから扉を開け、俺は声の主を招き入れた。俺はベッドに腰掛け、母さんは少し離れたところにある勉強机の椅子に座る。来る前に寝ることも考えていたのか、髪を一つに束ね、薄手のパジャマに身を包んでいた。
「お父さんの事件についてずっと話せなくてゴメンね」
 伏し目がちに謝るその姿を、俺はいつもの母さんらしくないと思った。普段はもっと明るくて賑やかで。それとは随分対照的だったので、俺は笑みを浮かべながら応じた。
「色々複雑な事情があるというのは聞いたから。それで話せなくなるのは仕方のないことだと思うし、だから別に謝らなくていいよ」
「……」
 けれど俺の言葉に母さんは余計に重苦しく沈黙した。二人とも起きてこの部屋にいるはずなのに、時計のカチコチと鳴る音がやけに響く。
 しばらくしてようやく話し出した母さんは、まだ何事か逡巡している様子で視線を彷徨わせていた。
「ずっと事件のことを話せなくて、今日やっと話をして、それなのに直後にこんなことを言うのはヒドいのかもしれない。その判断ができないってことはまだ鏡夜くんの本当の母親になれていないってことなのかも……」
「うん? 母さんは母さんだろ。父さんとの結婚も俺は認めたし、今でも家族の一員だと思ってる」
「そうなんだよね、鏡夜くんの中で私の存在はそういう風に捉えられてる」
 そのつぶやきの真意を訊き出す前に、母さんは今度こそしっかりと俺の姿を視界に入れて言葉を伝えてきた。
「鏡夜くんにはお父さんの死を仕方ないものとして受け止めて欲しくないの」
「え?」
「多分鏡夜くんは、お父さんは刑事だったから殉職も仕方がないと納得していたと思うの。そして今日紗樹さんと話をして、彼女がお父さんを殺した人物であることや、怪の存在を知った。そしてそういう事情があるならと、余計にお父さんの死を仕方がないものとして考えるようになったんじゃないかって思う。でもね、私たちはまだ鏡夜くんに全部を伝えきったわけじゃないんだよ? 話せていないことがまだあるの」
 いつもより早口で喋る母さんの目尻が窄められ、滴のようなものが滲み出していた。
「そもそも怪はどうして紗樹さんに取り憑いたの? 取り憑かれた紗樹さんには自覚がなかったの? 自覚があったとしたらそのことを誰にも告げなかったのは何故? 私はそれを知らされたから紗樹さんを許してお父さんの死を受け入れることにした。その上で残された私に出来ることは何かって考えた。それがきちんと出来ているかは自信ないんだけどね。でも鏡夜くんはそうした事情を知らないの。だからまだ鏡夜くんにはお父さんの死を仕方のないものだったとして考えて欲しくはないの」
「確かに俺は事件の詳しい経緯を知らない。でも警察や柊、母さんはそれを伝える必要がないと判断したから――」
「逃げだよ、それ」
 はっとして俺は向かいにいる母さんの顔を注視した。
 怒っているのだと思う。いつも笑顔でいるからそのような表情をこれまで見たことがなかった。だから明言は出来ないけれど、でも母さんは怒っているのだと感じた。
「鏡夜くんはいっつも不満を言わない。生んでくれたお母さんを亡くして、お父さんは同級生に殺されて、本当なら自分は不幸だって泣き喚いていてもおかしくないのに。でもみんなには事情があるからって、そう片付けて納得して済ませてる。結局それって世の中の出来事から目を背けてるだけだよ? それも一つの処世術だけど、でも鏡夜くんは本当にそれでいいの?」
 母さんの言葉で、何故かはわからないけれど美術室でのやり取りを思い出した。あのとき柊は俺が逃げ腰になっていると主張した。それと今の説教がどこか重なる感じがする。
 でもだからといって俺は何をすればいいのかわからなかった。柊は怪が存在するならそれを見過ごせないと言っていた。母さんは具体的には述べていないけれど、父さんが死んでより母親らしくありたいと考えるようになったみたいだ。そんな二人と比べたとき、俺は何をこれまでしてきたのだろうか?
「……」
 俺はベッドから離れると、鞄の中にいつも入れて持ち歩いているスケッチブックと鉛筆を取りだした。それから紙の上に鉛筆を走らせる。短い時間だったし、ざっとしたデッサンにしかなっていなかったけれど、描きあげたものを母さんに見せた。
 母さんは少し驚いた顔をしてから、でもすぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「私、怒ってる自分の顔なんて初めて見たかもー」
 ついさっき俺に向けられていた表情をスケッチブックに写してみた。そしてその絵を見た母さんは、直前まで自分のしていた表情だと気付いて喜んでいる。
 この絵を柊に見せたとしても破り捨てられることはないだろう。自分でもこれは駄作ではないと明確にわかった。
 何かを掴みかけているのかもしれない。その正体はまだ判然とはしていないけれど、今回の一件で辿りつけるような予感があった。きちんと整理しないまま置き去りにしてきていたものが、そこかしこに点在している感じがするのだ。
 事件のこと、父さんのこと、怪のこと、柊のこと。他にもあるかもしれないけれど、まずは目についたそれらからもう少し見つめてみよう。そう決意すると手にしていたスケッチブックを脇に置いた。
 紙の上には生きている母さんの表情。そこにまだ色はない。


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# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:15 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』1-3-2


 玄関先でインターフォンを鳴らして帰宅を告げると、中からパタパタと軽快なスリッパの音が移動するのが聞こえてきた。連続殺人事件がありはしたものの、この辺は特に物騒というわけではない。近年いくらか発展してきてはいるものの、まだ近隣の人たちとの横の繋がりがあるからか、空き巣や強盗の被害があったなんて今まで聞いたことはない。ただ母さんはまだ若いし、気を許しやすい人だから在宅中でもきちんと鍵とチェーンをかけておくようにと約束してあった。
 まだ暗くになるには余裕を残した夕方の空気の中、チェーンが外れる少し大きな音が響き、続いて開かれた扉から俺より少し小柄な姿がまろぶようにして出てきた。飼い主の帰りを待っていた子犬かと思うほど嬉しそうな笑顔を向けてくる。
「お帰りなさい、鏡夜くん。もっと遅くなるのかと思ってたからびっくりしちゃった」
「あ、うん。ちょっと用事ができちゃったから」
 俺の返事は歯切れの悪いものになっていただろう。母さんも怪訝そうな顔をしていた。
 その母さんの視界の中に入るように、それまで後ろで控えていた柊が姿を現す。
「お久しぶりです。青葉さん」
 柊の姿を見て母さんが驚きで目を丸くする。それからすぐに居住まいを正しながら挨拶を交わした。
「お久しぶり。二ヶ月ぶりくらいになるのかな。その後は連絡取ってなかったけどお元気そうで」
 母さんの態度で確かに二人は知った仲だったのだと思わされた。そして「二ヶ月ぶり」という言葉から、そこに父さんの死んだ事件が深く関わっていることもわかった。
 柊をリビングに通すと、すぐに母さんはもてなすためのコーヒーの準備を始める。俺も手伝おうとしたのだが「ちょっと心を落ち着かせたいから……」と断られてしまった。考え事をしながらのようだったから少し時間がかかるかもしれない。仕方なしに俺は柊がいるソファで待つことにした。
 様子をずっと目で追っていたらしい。戻ってきた俺に柊は話しかけてきた。
「新しいお母さんとは仲良くやっているのね」
「まあな。俺より年下だったから最初は戸惑ったし、父さんがいなくなってからも一時はどうなることかとも不安になったけど。でもそれ以前は俺一人で家事はやっていたんだし、受け入れてしまえば楽なもんだったよ」
「なるほど。実を言えばわたしはお父さんが亡くなられてから、御薗木くんが青葉さんを襲ってしまわないかと危惧していたのだけれど、逆に青葉さんの方から迫ってきたのでそれを受け入れたとそういうわけね」
「ちょっと待て、どうしてそういう話になるんだ」
「冗談よ」
 さらりと言ってのける柊に、俺は思わずこめかみを押さえる。せめてもう少し顔に出してくれればわかりやすいのに。
「……でも半分くらいは的を射ているのかしら? 青葉さんとは親しくなるほど話したことがあるわけではないけれど、御薗木くんの性格を考えれば自然な成り行きでそういうこともあり得るのかもしれない」
「だからそんな間違いは――」
 反論しようと俺が顔を上げると、柊は表情を柔らかいものにしていた。
「経緯はどうあれ、仲の良さそうな家族関係を構築できているようで羨ましいわ」
 他の人だったら微笑みを浮かべていたかもしれない。柊が口にしていたのは変な意味ではなく、人付き合いについてだったらしい。ただ当事者だとよくわからないもので、柊の不意に見せた表情と相まって何を喋るべきか戸惑ってしまう。その間に彼女は顔を引き締め、話題も本題へと替えてきた。
「一連の事件に関しては少し事情が込み入っているし、予備的な知識も必要となるから先にその辺りを整理しておきましょう。まず初めはこの世界の法則に関して。小学校でも習っているし、日常のことだから何をいまさらと思うかもしれないけれど」
「わかった。俺にはそれが事件とどう繋がるのか皆目見当が付かないんだが、それはきちんと説明してくれるんだろ?」
「そのつもりよ。むしろその繋がりを知っていてもらわないと意味がわからないと思う」
 俺の了承を受け、柊は話を始めた。
「この世界には様々な想いが溢れている。その中には生物のものだけではなく、非生物のものも含まれる。想いは互いに共鳴しながら何かしらの現象を引き起こすのだけど、世界に作用するだけの力を引き出すにはそれなりに大きなものになっていないといけない」
「確か人間は感情が複雑だから、他の生き物に比べて想いが膨らみやすいんだったよな。でも『寒くて凍えそうだからマッチに火が点いて欲しい』と願うくらいじゃ全然ダメで、実際に擦って点火しないとならない」
「そう。想いは大きくならないと現象を引き起こさないけれど、想いは複雑だから一つのものになりにくい。童話の少女も火が点くまでそれを願うより、物理的に頭薬に摩擦熱を加えた方が早いと考えたからそうした。でも寒さを凌ぐことよりも暖かい家庭の情景を強く思い描いていたから、その映像がマッチの灯りによって投影された」
「童話はあくまでお話でしかないから、実際にその映像が投影されたかどうかまではきちんと言及されていないけどな。マッチの灯りに注目したのは面白いけど、さすがにどこかの映像が転送されてきたなんてことはないだろうし」
「でも物語でもきちんと現実の世界通りに描かれている部分もあるわ。それは死によって周囲の温度が冷えるということ。マッチ売りの少女は死んで、周囲に雪を積もらせた」
 言われて父さんの死んだ現場を思い出した。もう夏も終わろうというのに公園は未だ凍りついたままだ。
 どうやら柊もそれを意識して口にしたらしい。人の死と想い、それによる温度低下に焦点を絞って話を続ける。
「人の死は当人の想いを停止させるし、同時に周囲の人の気持ちも冷たいものにする。だから現象として現れやすいの。もちろん心穏やかに死ぬ人もいるし、その場合はほとんど温度の低下は起こらない」
 彼女の話していることは俺も十分理解している。最初に言われたようにその内容は常識と呼ぶべき類のものであったし、また俺も実の父と母を亡くしているから、この年齢ですでに死にも直面している。父さんは死んで公園を凍らせたが、母さんのときは何も起こらなかった。つまりはそういうことだ。
 しかし柊が次に述べたことには思わず首を捻ってしまった。
「でも先の連続殺人事件ではすべての人の周囲が凍りついた。それを考えるとあの一連の出来事は自然なことではなかったとわかるでしょう?」
 彼女の言う通り、年が新しくなった頃から始まった連続殺人の被害者はすべて氷漬けになって遺体が見つかっている。十人目の被害者で、最後に殺された人物である父さんも例外ではなかった。棺に収められた彫刻のように硬い姿を、今でもはっきりと覚えている。
 でも俺は殺人という残虐な行為を受けたから、亡くなった人は周囲を凍らせたのだと思っていた。犯人に対しての怒りや不満が心を冷たくしているのだと。だから辺りの気温も急激に下がって氷ができるのだと。
「それは逆よ、御薗木くん。憎悪は煮えたぎるように熱い。だから憎悪が強ければ周囲の温度はむしろ上がるはずなのよ。ただ死ぬときに殺した相手を憎んだとしても、それ以外にやり残したことや親しい人のことを思い浮かべたり、死ぬことに対しての恐怖感が出て別の想いが入り混じるため、火の海が発生するなんてことはまず起こらないだけ。それに比べれば気持ちが冷めるというのは起こりやすいし、だから時に周囲に氷を発生させるのだけど、それでも毎回必ずそうなるというものではないわ」
「だとしたらこの町で起こっていた事件の被害者はどうしてみんな氷漬けになったんだ? 口ぶりからすると柊はその理由を知っているみたいに聞こえるんだが」
 俺には彼女を責めているつもりなど毛頭なかったのだが、どうしてか柊は言葉を詰まらせたようだ。ただそれも一瞬のことですぐに会話を再開する。
「あの事件には人ではないものの力も関わっていたの。その影響で周囲が冷たくなることが促進された」
「人ではないもの?」
「怪と呼ばれているそうよ」
 その台詞に俺は苦笑いしてしまった。飛躍があまりに大きい。
「それは妖怪とかそういう類のもののことを言ってるのか?」
 思わず口に出してしまったその皮肉に、しかし柊は気分を害するでもなく前言を撤回するでもなく、いつもと変わらぬ表情のまま頷き返してきた。
「妖怪は伝承だから少なからず創作も含まれているけれど。でも想いは人のものだけではないのだし、積もり積もれば現象として形になる。雪国に雪女の民話が多いのはその顕著な例だと言えるでしょうね」
「……つまり何か? 俺の父さんは妖怪に殺されたと?」
「怪は妖怪のように実体は持たない。けれど人に取り憑くことでその相手の想いを増幅し、暴走させる。御薗木くんのお父さんは怪に取り憑かれた殺人犯を追っていて、そしてその相手に殺されたの。犯人は他の警官に捕まえられて、そして怪も消されたのだけどね」
「…………」
 柊は至って真剣な表情のままそれを崩そうとしない。しばらく彼女を見つめていたが、逆に真っ直ぐな視線を返されこちらの理解を促されてしまった。
 想いは人間や高等生物だけのものではないし、気象にも左右されて複雑に作用する。雨の日に人が憂鬱な気分になって外に出るのを嫌がるのと同じで、嵐の気配がすれば動物は巣穴から外に出るのを控え、生き物の喧騒がなくなると草木や岩も佇まいを大人しいものにする。そうやって静寂というのが生み出されるのだ。
 そして想いは蓄積もする。静かすぎる場所には生き物が寄り付かなくなり、やがて淀んだ空気を形成する。重く鈍くなった空気は鳴る音を響かせにくくすることで、さらなる静寂をその場に漂わせようとする。
 そういうことが繰り返されて想いが大きくなれば、怪というのも生じるのかもしれない。感覚としてそれは正しそうに思えた。
 ただ俺は怪というものに遭遇したことがないし、これまで話も聞いたことがなかった。
「怪っていうのはそれだけ珍しいんだって。昔はそれこそ妖怪と同じものとして扱われていた。ようやく最近になって存在が明らかになってきたらしいんだけど、事例が少な過ぎてどういうものかきちんと把握ができてないみたい。だからまだ公表するには至らないと、お父さんの同僚の方が教えてくれたよ」
 声のした方を向くと、コーヒーカップを運んできた母さんが寂しげな笑みを浮かべていた。トレイに載せられたマグカップから出ている湯気は少し薄くなっており、中身は幾らか冷めてしまっているのだと思われた。
「今まで話さないままきちゃってゴメンね。ただ心の整理をする時間がみんなには必要だったし、何より私にその時間が欲しかったから……」
 そう告白してくる母さんに俺は何も言えなかった。短い間だったけれど、ずっと年上の父さんと結婚してその幸せを感じているときの顔を知っていたし、父さんが死んですぐのときの表情も覚えていたから。それに父さんが殺されるその現場に母さんはいたと聞いていた。
 俺が一言も発せないままでいるその隙に、柊が母さんに対峙していた。
「御薗木くんには話の途中ですけど、キッチンとはこの距離ですし内容は聞こえていたと思います。わたしには青葉さんの気持ちの整理がどうなっているかわからない。だから率直に訊こうと考えたのです」
 そして彼女は言った。
「青葉さんはわたしを殺そうとしていませんか。あなたの夫を手にかけたこのわたしを」


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# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:14 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』1-3-1


   三.


「早乙女くんに絵の才能があるのは確かよ。ただそれで生計を立てていくのなんて無理だし、他の職に就いたってあの性格じゃやっていけないでしょうけどね」
 隼人に圧倒的な力の差を見せ付けられ、すぐに絵を描く作業に戻ることは俺には出来なかった。柊もそのことは察してくれて、今は彼女の姿の描かれたキャンバスを向こうに置き、椅子に腰かけている。彼女も作業にすぐ戻るつもりはないのか眼鏡をかけていた。レンズの奥にあるその視線は相変わらず冷たいものだったが、さらにその奥底にまで潜り込むと色々なものが渦巻いているのだろうと思われた。そしてそれを隼人の絵は巧みに描き出していた。
「柊は隼人のことが嫌いみたいだけれど、もしかして絵に真剣に取り組んでないことが理由なのか?」
 彼女の視線と先程の言葉からそんな推測をしたのだけれど、柊はちょっと考える素振りを見せてから首を横に振った。
「最初のきっかけは確かに美術部に所属し、力もありながらまったくやろうとしない様子が気にかかったことだったわ。でもそれは所詮のところきっかけに過ぎない。早乙女くんは物事の深いところにある本質までいとも簡単に見抜くくせに、それを知っていながら助けようと手を伸ばすことはけしてしない。人間も世界も、それがどうなるかなんて彼にとってはどうでもいいのだわ。その無頓着なところがわたしにはどうしても許せないのよ」
 もし柊が一般的な女子生徒ほどに感情を表に出す子だったならば、このとき彼女は歯ぎしりしていたかもしれない。柊と隼人の間に何かあったことは明白で、そのことが理由で柊は相手のことを嫌悪している。
 隼人も柊のことを嫌いだとは言っていたが、それが本音かどうかはわからない気がした。彼が残していった柊の絵には『愛してるよ』との文字が乗っているが、別にそれが理由でそんな感想を持ったわけではない。書かれた文字は遊びや挑発の類かもしれないし、むしろそのように捉えた方がいいのかもしれない。俺は柊の言葉から、隼人が人を本気で好きになるような人間ではないと感じていたのだ。
 彼がどのような想いを抱いているのかはわからない。それでも厳然としてここに存在するのは俺に突き付けられた一枚の絵と、それによって引き起こされた敗北感だ。
「確かに口で伝えられてもこれはわからなかった。よく芸術に優劣をつけるなと言われるけれど、作っている人間として力量の差を感じないのもまたおかしい。俺は隼人に美術の力で劣っているし、その理由は才能の有無じゃなくて人としての姿勢にある。そう伝えたかったんだろう、柊は?」
「ええ、その通りよ」
 即答され、一方で俺は頭を抱えるしかなかった。
 人間性を否定された。その欠陥のせいで描くものはすべからく駄作になると告げられた。そしてそのことが正しいことを、目の前に物的証拠でもって示された。それでも俺の何が問題なのか、未だにわからないままだった。
 これでは前に進もうにも、根元からへし折られていて動きようがないじゃないか。
「誤解をしてもらっていては困るから、これだけははっきりと言っておくのだけれど」
 頭を上げて言葉をかけてきた相手に目を向けると、彼女は濁りのない瞳でこちらを真っ直ぐ見つめていた。
 柊はその瞳に俺の姿をはっきり映し、それから再度口を開いた。
「わたしは御薗木くんの人格を否定しているわけじゃない。人間として駄目だとも言っていない。むしろ素敵な人だとすら思うわ。あなたのやろうとしていることは尊敬するに値するほどのものだもの。けれどそれがとても難しいことだから、だから逃げ腰になってしまう。絵にはそれが顕著に出てくるというそういうことなのよ」
 間近でそのように説く柊の吐息が肌に触れる。気付いたときには、少し顔を動かせば彼女の唇に触れるのではないかと思うくらいの距離に柊は接近していて、その場所から俺に語りかけていた。
 胸が自然と高鳴るのを感じる。それに気付いた次の瞬間俺は顔を背けていた。
「そんなこと言われても困るだけだよ。俺には自覚がないし、出来ない。逃げているということに関しても、尊敬に値するということに関しても……」
「そうね。言葉で説明してすぐに直るようなら苦労しないし、わたしも最初からそうしていたものね」
 柊がようやく体を離す。俺が安堵の息を吐いていたら、次の言葉が不意打ちになって容赦なく突き刺さった。
「結局のところ、御薗木くんが取りかかっている今の絵はどうしたところで駄目なものでしかないわ。駄作の範疇でやれるだけやって、それでコンクールには出して満足なさい」
「……きっついな。どう足掻いたところで俺の描きたいと望んでいる『生きている絵』にはなり得ないってことか」
「駄作でも完成度を上げることはできるから、そのためのアドバイスはするけれど。それ以上を求めるとしたらわたしからは同じ言葉を――」
 その柊の言葉を遮って俺は彼女の腕を引っ張った。
 自分が何を感じて何をしているのかも頭で理解していなかったが、ただその細い女子の腕を力任せに引っ張っていた。柊は抵抗する余裕なんてなかったろう。体が椅子に座っていた俺の胸にぶつかり、しかし俺もそれを支えることまでは考えていなかったために床に二人で倒れ込む。
 転がる椅子。散らばる画材道具。そして腕の中でこちらをじっと見ている柊の双眸。
「……何かしら?」
 柊の声に俺は慌てて彼女の体を離した。
「す、すまん。自分でも咄嗟のことで何が何だか。怪我とかしてないか?」
「ええ、特には」
 立ち上がろうとする柊に気付いて手を差し伸べるも、それはあっさりと忌避された。制服を手ではたきながら、こちらを見ようともせずに彼女は一方的に言葉を並べた。
「放課後の美術室に若い男女二人で籠もるんだもの、そりゃあそういうことをされる可能性も多少は考えて来てるわよ。だからといって実際にやられたくはないものだけれど」
「いや待ってくれ柊。確かに紛らわしい行動を取ってしまったのは悪かったが、けしてそういう意図があったわけじゃなくてだな」
「じゃあ何が目的だったのかしら。わたしを床に倒して御薗木くんにどんな得があるのかきちんと説明して頂戴?」
「えっと、それは……」
 俺は言い淀みながら物が散乱している美術室を見渡す。さっき何か妙なものを感じたのだ。それであんな行動を取った。ただその正体までは掴めていなかった。
 二人して倒れ込んだときの勢いはかなりのものだったのだろう。座っていた椅子はもちろんのこと、俺のキャンバスや隼人が残していった絵も倒れてしまっている。自分ではそんな力を込めた覚えも、大きく体を動かした記憶もないのだけれど。
 そんな中で柊が小さく声を漏らした。
「あ……」
 彼女の視線の先にあるのは隼人の絵だった。よくよく見るときらきらと輝くものがいくつも突き刺さっている。
「氷か、あれ?」
 ガラスの破片などとは光の反射の仕方が大きく異なる。刺さっているものも薄いものではなくて、どちらかというと円錐形に近かった。
 俺が上げた疑問の声に対し、しかし柊は気付かなかったのか、口元に手を当てて何事か考え込み始めた。
「あれは消えたはずじゃ? 警察もそう説明していたはず。それにどうしてわたしが狙われているの?」
 周囲を見回すと、部室のドアにはめ込まれているガラスが割れていた。もしかしてあそこから絵に刺さっている氷のような物体は飛び込んできたということなのだろうか。だとしたらその軌道上には柊がいたことになる。俺が彼女の腕を引いていなければ、氷の塊は絵ではなく本人に突き刺さっていたかもしれない。
「柊にはあれが何かわかるのか?」
 発した問いかけに、まだ眉間に小さく皺を寄せたままながらも、柊は返事をしてくれる。
「そりゃあわかるわよ。わたしは――」
 けれど柊はそこではっと何かに気付いた様子だった。そして俺の方に顔を向ける。
「そういえば御薗木くんは事件のことを詳しく知らされていないのだったわね。それならあの正体が何かわからなくても仕方ないのかもしれない」
「事件?」
「夏前にあった連続殺人事件のことよ。御薗木くんのお父さんが殺されたあの現場にわたしはいたの」
 柊の台詞を聞いて体が硬直した。網膜に棺桶に入れられた氷漬けの父さんの姿が浮かぶ。思考まで固まりそうになって、直前に何とかその映像を振り払う。
 長くもない言葉だったのに、柊の口にしたことを頭に入れるのに随分と時間がかかってしまった。唇とはこんなに重いものだったのかと、そんなことまで考えながら尋ねる。
「つまりは、柊は父さんが死んだ事件の関係者と、そういうことなのか?」
 問いかけに柊は首肯して応えた。
「ええ、その通りよ。警察からは息子である御薗木くんには詳細を伝えないことにしたとは聞いている。いつかはきちんと話すべきだとは思っていたけれど、時機を伺うべきだとも忠告を受けていたから」
 一体どういうことなのか。実の息子であるはずの俺には父さんの死の真相は告げられず、代わりに赤の他人である柊が知っているという。その場にいたというから当然なのかもしれないが、しかし『時機を伺うべき』というのは誰がどういう意図で彼女に言ったものなのか?
「これはその時機ではないとわたしは感じてる。けれど事態が事態だから話をすることにしましょう。ただ確認したいこともあるし、もう一人の関係者も交えたいわ」
「もう一人の関係者?」
「そちらの人物に関しては、御薗木くんの方がよく知っていると思うのだけれど?」
 誰何の声に柊は怪訝そうな表情をして見せた。少し撥ねさせた眉を元の位置に戻すと、相手の名を告げた。
「御薗木青葉さん。あなたのお母さんであり、亡くなられたお父さんが一年ほど前に妻に迎え入れた人。そしてついさっきわたしを狙った張本人かもしれない人」


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# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:13 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』1-2-2


 柊紗樹という人物を端的に表わすとしたらどのような言葉になるだろうか?
 窓から差し込む夕陽を横顔に受けながら、パレットから絵具をナイフで淡々と運んでいく。その行為からは夏の暑さや眩しさ、油絵具の匂いなどまったく気にもならず、それどころか自分の描いている物にすらさして興味がなさそうな印象すら受けた。にもかかわらずその絵は躍動に満ちているのだ。色彩のわからない俺にもわかるほどに。
 灼熱の塊を内に秘めているのかもしれないが、その正体を知ることはできないほどに冷え切った人間。それが柊紗樹だった。
 取りかかっていた抽象画を描くのをぴたりと止めた柊は、パレットをそっと脇に置くと注意していないとわからないくらいの小さな溜め息を吐いた。
「御薗木くん、わたしのことばかり見ていないで、自分の作業に集中したらどう?」
 どうやら俺が少し前から彼女に視線を送っていたことはばれていたらしい。言い訳がましいとは思いつつも、事実なのでそのまま告げる。
「ちょっと詰まっちゃったからアドバイスをもらえないかと思ったんだけど、集中してるみたいだったから。柊の描き方にも興味があったし、見学させてもらってた」
「見学は別にいいのだけれど、それならそうと言って欲しいものだわ。わたしの絵の醜悪さを見てほくそ笑んでいるのかと思ったじゃないの」
 俺にはそんなことをする趣味はないし、仮にあったとしても柊相手にそんなことが出来るはずもない。
「あら、それはどういう意味かしら。性格の悪いわたしには、口が裂けても直接悪口は言えないということ?」
 いつの間に柊は俺の目の前にやって来たのだろうか。気付くと喉にナイフが突き付けられていた。
 そういえばさっき脇に置いたのはパレットだけだった。細めた目でこちらを睨みつけてくる柊に抗議の声を上げる。
「いくら画材道具とはいえシャレになってない。それにその猛禽類が獲物を狙うような目つきもやめてくれ。冗談に聞こえない」
「冗談なんか言っていないし、言わないわよ。わたしは真剣に、御薗木くんが馬鹿にした気持ちでこちらを見ているのかと尋ねているのだわ」
「……そんな風に見ているわけないだろ。柊の絵の才能は素晴らしいと思うし、だからこそ指導をお願いしてる」
 俺がそう答えるのを聞いて、しばしこちらを見つめてから、ようやく柊はナイフを引いた。屈めていた腰を真っ直ぐにし、長めの髪を耳にかけながらぶっきらぼうに言う。
「あらそう。まあそれはわたしもわかっていたからさっきのは冗談よ」
「冗談なんて言わないんじゃなかったのか……」
 俺が嘆息しながらそんな言葉を口にすると、柊はまた先程の鋭い視線で睨んできた。悪意はないと両手を上げる。
「ちなみに目つきが悪いのは眼鏡をかけていないからよ。絵を描くときは外しているから、自然と目を細めてしまうの。別に睨もうとして睨んでいるわけじゃないわ」
 先程のことがあったのでそれも嘘じゃないかという疑念が一瞬湧き起こった。しかし確かに柊は普段縁の細い眼鏡をかけていて、そして絵を描くときには外している。通常ならそれでは描いている最中の絵もはっきりと見えないのではないかと思うところだが、彼女の作業風景を知っている者からすればそちらが自然なことだとも納得できる。柊は目に直接見えないものを絵の中で描いていた。
 何にせよ柊はやっと絵の相談に乗ってくれる気になったらしい。詰まっているのは何処かと尋ねてきた彼女に、キャンバスの方に体の向きを変えながら答える。板に張られたワトソン紙に描いてあるのは、丸いガラス花瓶に活けられた雁金草だ。
「いきなり抽象的な表現で悪いんだけど、この絵からは『生きている』という感じが伝わってこないんだ。立体感が上手く描けていないのが理由じゃないかと考えてみたものの、自分には陰影でおかしいところが見つからなくて」
 そこまで言って俺は口元に手を当ててうなった。
「でも柊の絵を見ていて思った。抽象画と具象画という違いはあるけど、柊は陰影なんてなくても生き生きとした絵を描いている。根本的に何かが俺の絵には欠けているのかもしれない」
「なるほど、そこまではわかっているわけね」
「……え?」
 予想外の言葉に俺は横に立つ柊の顔を驚いて見上げる。細いあごの線がやたらとはっきりと目に映った。彼女は俺の絵に視線を向けたままはっきりとそれを口にした。
「これは失敗作よ。コンクールがなければ、今持っているナイフで切り刻んでやりたいぐらいの駄作だわ」
「なっ!」
 まさかそこまで言われるとは思ってなかった。俺も自分の画力は柊には及びもつかないことは自覚している。それでも美術部の中からコンクールに出展できるとして、極めて少ない人数の中に選ばれたことに対する自負はあった。そして人前に出しても恥ずかしくない作品を描いているつもりでいた。
 俺は抗議しようと思ったが、相手がどういうつもりでそう述べているのかわからず、言葉を選んでいるうちに柊に先に追撃されてしまった。
「今回のコンクールは妥協したものを出してそれで満足しなさいな。それで次回以降は彩色したものにきちんと取り組むことね」
「それは……無理な話だろう。柊だって俺が色を見ることができないことは知ってるはずだ」
「色が見えなくとも絵具を乗せることは出来るわ。あなたは生まれつき色盲だったわけではないのだし、いくらでもやりようはある」
 無茶苦茶だ。そう俺は思った。
 確かに昔は世界に色が溢れていたし、その記憶もある。けれど美術部に入ってから触れた絵具の色は皆目わからないし、それに昔の風景も年月を経るごとに言葉の通りに色褪せている。そんな俺に色のついた絵を描かせたところで、どう頑張っても珍妙なものにしかならないだろう。それをやって何の意味があるというのか。
「御薗木くん。あなたのその考えがおかしいことに気付きなさいよ。そこを直さなければ、どんな絵を描いたって無価値なものにしかならないわ」
 正直意味がわからない。俺の考えに何か間違いでもあったろうか? そもそもそんなことを言うなら、今まで作業を手伝ってくれていたのは何だったのか?
 俺は柊を問い詰めることにした。口調が荒々しいものになるのはわかっていたけれど、納得できないことを言われっぱなしで作業が続けられようはずもない。
「紗樹ちゃんは相変わらず言葉がきっついねぇ」
 しかし次の瞬間部室に響いたのは、何ともおちゃらけた声だった。
 例の凍てついたような冷たい視線で柊が部室の入り口の方を見遣る。
「こっちに顔を出したのは随分久しぶりね、早乙女(さおとめ)くん。わたしはてっきり退部したのかと思っていたし、そうであって欲しいと願っていたのだけれど」
 いつ部屋に入ってきたのか俺は気付いていなかったが、柊の口ぶりは声がかけられる前から彼がそこにいるのを知っていたかのようなものだった。背ばかりが伸びた痩身に、目にかかるほどの前髪。ズボンのポケットに両手を突っ込んで、無造作に背中を入口の戸に預けている。美術部の幽霊部員をやっている男子生徒で、名を早乙女隼人(はやと)という。
 隼人は肩を竦めてから柊に返事をした。
「期待に添えなくて申し訳ないね。でも運動部だとサボりもなかなか出来ないから、こっちに籍を残させてもらってるよ。学校の方に記録は残るから今後何かに使えるかもしれないし、それに一応昔は多少興味があって筆を手にしていたからさ」
「随分おこがましいことを言うのね。筆を手にしていたのなんて、中学の美術部で一ヶ月くらいのものじゃないの」
 以前柊と隼人は同じ中学の出身だと聞いたことがある。同じ美術部に所属していたとも。幽霊部員とはいえ同じ美術部にいるのだし、数少ない男子部員ということで俺とはこれまで何度か言葉を交わしている。友人というほどでもなかったが、特に仲が悪いわけでもなかった。
 ただそもそも隼人は部活に参加しないので、これまで彼が柊と会話をしているところを目にしたのはなかった。それでも二人の仲が悪いことは十分知ることができる。そしてそのことは俺以上に当人たちが知っているようでもあった。
「随分とボクは紗樹ちゃんに嫌われているみたいだね」
「ええ、嫌いだわ。物事に真剣に取り組む気もなく、へらへらと笑っているような人間は死ねばいいのよ」
「そうかい、それはよかった。ボクも紗樹ちゃんのことは嫌いだからね」
 隼人はそう告げると、今度は俺の方に話しかけてきた。視界の隅に唇を噛む柊の姿が映ったが、彼女に話しかける暇も言葉も持ち合わせてはいなかった。
「まあ紗樹ちゃんの言葉はきっついとボクも思うんだけどね。でも具体的にどうしろと教えたのでは鏡夜のためにならないし、だからボクからも何も言えない」
「隼人は柊の言わんとしていたことがわかるっていうのか? 俺は色の識別ができないし、だから木炭画や鉛筆画をやってる。それは自然なことだろう。むしろそういう人間に色彩画をやれと示唆するのは無茶苦茶だと感じるんだが」
「そうかもね。でも他の人間相手だったら紗樹ちゃんもさっきみたいなことは言わないんじゃないかな? 鏡夜だからこそそういうアドバイスになるんだと、ボクは思うけどね」
「どういうことだよ、さっぱりわからない。そもそも絵を描きもしない奴に絵の話が理解できるのか?」
 頭に血が上っていた。絵を描かない人間が絵の話をしてはいけないという俺の台詞はおかしいものだったが、柊に続き隼人まで俺の絵は駄目だと告げていることがいい加減我慢ならなかった。
「うーん、だから言葉で説明しても理解できるようなことじゃないんだってば」
 頭をぽりぽりと困ったように掻いた隼人は、しばし逡巡する様子を見せてから、バネの要領もってドアから背中を離した。そしてその勢いを保ったまま俺のそばまでやってくると、木炭をひったくるように手にし、何も描かれていない紙が張られたキャンバスに向かった。
 それから五分も経っていないと思う。隼人は木炭を俺に返しながら、彼の向かっていたキャンバスを指し示した。
「とりあえずだけどこういうことで」
 そうして隼人は部室を去って行った。それ以外に言葉はない。必要ないということなのだろう。そして今度こそは俺にも伝わっていた。
 隼人の気配が完全に廊下の奥の方に消えてから、柊が苦虫を噛んだような声音でつぶやいた。
「……だから嫌いなのよ」
 キャンバスの上には冷たい氷のような視線をその先に向けながらも、何かをしっかりと見据えている少女の絵が描かれていた。隅の方に『愛してるよ』なんて書き加えてあるが、その人物は紛れもない柊紗樹その人で、知らない人にでも描かれている対象が実際に生きた人間であると伝える力をその絵は持っていた。
 ……隼人がざっと描いた絵の方が、俺が時間をかけて描いた絵より格段に優れているのは明白だった。


   『世界を凍らす死と共に』1-3-1へ
# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:12 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』1-1-2


 玄関まで見送りに来てくれた母さんが、ドアを開けるとそこに待っていた人物に朝の挨拶代わりに伝える。
「真琴(まこと)ちゃん、お待たせー。今日も鏡夜くんの護衛よろしくね」
「任せてください、青葉さん。鏡にいが通学途中に悪さをしないように僕がしっかり見張っておきますんで」
 相手は許斐(このみ)真琴という近所に住む中学一年生だ。ほんのちょっと前までうちに来た母さんに人見知りしていた気がするが、もう随分と慣れたらしい。ただちょっと図々しくなり過ぎている気もする。そう思って短髪の頭を上からぐりぐりと強めに押さえつけながら忠告する。
「四年前まで悪さをしないように見張っていたのは俺の方だろう。小学校の通学班の中で一番元気を持て余して暴れまわっていたのを今でもしっかり覚えてるぞ?」
「はぁ? 元気なんだったらむしろいいことじゃん。てか、鏡にい、髪の毛引っ張られて痛いって!」
 小学校から中学校に上がって少しは落ち着くかと思っていたけれど、そうは問屋が卸さないものらしい。俺は諦観の溜め息を漏らしながら頭から手をどけた。
 解放された真琴は、ぼさぼさになった髪の毛を撫でつけながらこちらを睨みつけてくる。
「というかさ、小学校のときって行き帰りのときからジャージだったじゃんか。ジャージって運動服だろ? なら学校側は普段から活発に運動しろって教えてるってことになるじゃないかよ」
「筋が通っているようないないような微妙なことを言いだすな、お前は。仮にその通りだったとして、真琴のやっていたのは運動とは呼ばない」
 夏にはいつの間に捕まえたのかわからないクワガタを俺に投げつけてきたり、冬にはどこから取ってきたかわからない厚い氷で頭を叩かれたりした。走る真琴がそのままの勢いで壁に体当たりしたらそれが壊れ、向こうにある庭木をめちゃくちゃにしてしまったこともあった。そのときには俺もどうしたらいいのかわからなくて、思わずその場から逃げ出しそうになったくらいだ。
 俺たちのやり取りを耳にしていた母さんが、笑顔で訊いてくる。
「でも真琴ちゃんの話の通りなら、今はもう通学中には運動しないってことだよね? ジャージじゃなくて制服を着ているわけだし、大人しく通うと」
「あ、う、それは……」
 見事なまでに言葉に詰まった真琴を見て、さらに笑みを優しいものにしながら母さんが俺たちを学校へと送り出す。
「じゃあ遅刻したらいけないし、そろそろ行くべし」
 その声に押されて俺たちは家の敷地から外へと出た。その際に真琴の着ている制服を見下ろしながら言葉をかける。
「まあその恰好じゃ暴れるのは確かに無理だよな」
 膝丈のスカートにセーラー服。それを着た真琴が飛び蹴りで壁をぶち壊す姿を想像し、絵柄としてはあり得そうだと一瞬思ったが、怪我などを考えたらそれはないだろうとその空想を振り払う。
 真琴は俺の胸より少し下で唇を不機嫌に尖らせた。
「男子用の制服だったらよかったのにと思うよ。入学前にも交渉したんだけど断られた」
「それは当り前だろう。お前はれっきとした女の子なんだし」
「納得いかないんだよ、そういうのがさー」
 俺の言葉にぷいっと顔を逸らす真琴。そのまま続ける。
「そもそも生まれるときに家柄や性別を選べないのも気に喰わないんだけど、でももしかしたら記憶がないだけで、実際には選んで生まれてきたのかもしれないからそこは仕方ないとする。でも『男だから』とか『女だから』って理由だけで服装や行動を決められるって不条理だって感じるんだよね」
「世の中というか、社会ってそういうものだと思うけどな。不条理だと感じることは確かにたくさんあるけれど、他の人がいるわけだし全員が納得するような世界にはならないだろう」
「鏡にいは物わかりが良すぎると思うよ。それに根本はそこじゃない感じがするんだけどな。不条理って言葉もそういう意味では使わない気がする」
 真琴はどんなことを考えているのだろう。辺りを走り回っていた昔とは違い、今では俺の横に並んで歩いている。そんな彼女を横目で見下ろしながら、ふと疑問に思った。
 元々俺たちは近所に住んではいるものの、年齢は四つも離れているから幼馴染とかそんな関係ではない。通学途中で面倒を見る年長のお兄さんと、それにちょっかいを出す元気のあり余った低学年の子というだけだった。ただ小学校に上がったばかりの一年生のときはそれほどはっきり自分の状況を考えておらず、二年生になって学年の上下とか学校の仕組みがわかってくるので、ちょうどそのとき一番通学班で年上だった俺に関心を抱いたということなのかもしれない。少なくとも真琴が一年生の時の姿を俺は覚えていなかった。六年生のときに彼女が運動と主張するものに付き合わされていたわけだが、その一年後には俺は中学に進んでしまったし、会う機会は途端に減って一緒に学校に通うこともなくなった。けれど今年度から彼女も中学生になって、またこうして同じ道を朝に歩くことになる。最初のきっかけは偶然通学時に出会って、そのときに「朝に迎えに行っていいか」と尋ねられたことだった。俺は特に何も考えず、また面倒を見てやるかくらいの気持ちで承諾していた。
 けれど、思えばそもそも何故俺だったのだろう? 一つの登校班だったから確かに人数は多くはなかった。でも六年生は俺だけじゃなかったし、真琴と同じ学年の子もいたはずだ。それに俺も実際にやられている内容とは反対に、彼女から頼られているようなそんな感じがして嬉しかったのを覚えている。
「ねえ、鏡にい」
 物思いに耽っていたら真琴に話しかけられた。彼女の方を向いたとき、晩夏の熱気に混じって冷たい風が首筋を撫でながら流れた。
 真琴は一点を指差しながら訊いてきた。
「鏡にいはあれに納得がいっているの? 不条理だとは思わなかったの?」
 彼女の指し示す先には一つの公園があった。陽光に照らされて氷漬けになった木々が輝いている。夏の一角に冷たい空間を生み出している。
 そこは夏の初めに父さんが死んだ場所だった。
 父さんは刑事としてこの町で起きていた連続殺人事件を追っていた。そして犯人を突き止めて公園に追い込み、そして殉職した。
「犯人捕まってないこととか不条理だとは思わない?」
 殺人犯が誰だったかということは父さんが明らかにしている。死にはしたものの、犯人もその際に一度警察に捕えられたと聞いている。けれど何らかの事情があってその人物は罪には問われず、そのまま解放されたとのことだった。
 少し考えて俺は真琴に答えた。
「納得いかないことでは確かにある。身内なのにどうして犯人の罪はないことにされたのか説明もきちんと受けられなかったし。でもそれを不条理だとは感じない」
「……なら人が死んで周りが凍るっていうのは? そっちの方は不条理だと思わない?」
「それこそ不条理だなんて思うわけないだろ。自然なことじゃないか」
 世界は人の心を映し出す。だから人が死んで心が冷たくなれば周囲の温度も下がって凍りつく。それが自然の摂理だ。疑問を差し挟む余地すらない。
 けれど真琴は小さく、本当に小さくつぶやいた。
「僕は……そんな世界認めたくない」


   『世界を凍らす死と共に』1-2-1へ
# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:10 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』1-2-1


   二.


 公園から離れてほんの少し。曲がり角を右に折れると同時、後ろから声をかけられた。
「お、御薗木君だ。おっはよー」
 振り向くと腰まで届く長い髪の女子生徒が、手を大きく振りながら早足で近寄ってくるところだった。俺には残念ながら色の濃淡くらいしか見えないが、話に聞いている通りなら、こちらと同じ茜色のブレザーに金色の校章を襟に留めているはずだ。校章は学年順に上から金銀銅となっていて、だから二年生の俺が付けているのは銀色のものになる。
「おはようございます、立花(たちばな)先輩。待っているのは見えたでしょうし、そんなに急ぐ必要なんてなかったのに」
 立花瑠美(るみ)という名の先輩と知り合ったのは昨年の秋のことだった。青葉さんが俺の母さんになる前のことで、ただ紹介だけはされていてまだ戸惑いを覚えていた。俺は『父さんが再婚を望むなら』と自分なりに整理しながら散歩をしていて、その途中一人だけでいる彼女に出会ったのだ。
 立花先輩は少し息を切らしながらそばにやってきた。それから心配してかけた俺の言葉をぱたぱたと振る手で軽く払う。
「このくらいならなんてことないって。むしろ運動不足が原因じゃないかってアタシは推測してるくらいなんだから」
「今日は徒歩での通学してるのもそれが理由ですか?」
「そう。車で送迎されるのに慣れちゃってたから、思い切るのも、お父さんを説得するのも苦労したけどね」
「でも長時間歩くのは難しいから車での送迎になったはずで……」
「いやまあそれはそうなんだけどね。大丈夫だって。無理はしないとの条件付きで許してもらったし、出掛ける前に調子が悪かったら素直に送ってもらうことにするから」
 立花先輩は口調こそ快活なものの、生まれつき体が弱く、体力もつかないのだそうだ。原因は未だにわからないらしい。言葉を交わしつつも、その身から滲み出る儚さを感じざるを得ない。
 先輩は一通り俺と話し終えると、隣にいる真琴へと視線を向けた。
「はじめまして、だよね? アタシは立花瑠美っていいます。御薗木君と同じ高校に通う三年生」
 話しかけられた真琴は視線を脇に逸らしながら小さな声で返した。
「……ども。許斐真琴です」
「あれれ、アタシあまり印象良くない? まあ二人がらぶらぶしているところに割って入ったらそうなるのも当然だけどさ」
「何言ってるんですか、先輩は……」
 俺は一つ溜め息を吐くと、改めて真琴のことを紹介した。
「小学校の頃からの知り合いで、許斐真琴っていいます。中学一年生で、途中まで道が同じだから毎朝一緒に登校してるんですよ。若干人見知りするので、ぶっきらぼうな挨拶には気を悪くしないでやってください」
 その紹介の仕方に不機嫌そうに唇をアヒルにする真琴。それを見た立花先輩が笑みを浮かべる。
「仲良しさんなんだね、二人は」
 今の真琴のどこを見てそう思ったのだろうか。いまいち俺にはわからない。もちろん仲が悪いわけではないけれど。
 いずれにせよ話を続ける俺と立花先輩に対し、真琴はだんまりを決め込んでしまった。少し気にかけていたようだったけれど、仕方なしに先輩は俺とだけ会話を続けることにしたようだ。学校への道を歩き出しながら話しかけてくる。
「昨日は部活の様子見せてくれてありがとう。前々から興味あったんだけど、覗かせて欲しいって頼む友人もいなくてこれまで機会がなかったんだ。だから本当に感謝してる」
 先輩は体が弱いために部活動は一切行なっていない。運動部の類はもちろんのこと、文化系の活動も自粛しているのだそうだ。
「御薗木君の絵はとても綺麗だったね。これは……言っても仕方ないことなんだけどさ、彩色がなされていないことをとても残念に思ったよ」
「色が見えていないですからね。それでも光の明暗くらいはわかるし、むしろ他の人よりそこに機敏になっている気がする。ならそこを上手く表現できれば、自分の欠点も武器に変えられるんじゃないかと鉛筆画や木炭画に挑戦するようになったんですよ。でもそう言ってくれて嬉しいです。色が付いたらどうなるのか興味を惹かれたってことだと思いますし、特に木炭を使うのは初めてだったんで、周囲からの評価は気になってたんです。面倒を見てくれている柊は褒めてくれるような性格じゃないし」
「柊紗樹さんか。彼女の絵も見せてもらったけど、荒々しくて力強い色使いが印象的だった」
 柊は油彩で今度のコンクールに出展する予定だ。水彩画も鉛筆画も、はてはアクリル絵具での絵も誰よりも上手いが、その中でも油彩画が最も素晴らしかった。実際時間をかけられて絵具を重ねられていく柊の絵は、日増しに重量感が大きくなっている気がする。だから立花先輩の語るその絵の色が見れないことを、俺は心底残念に思った。
「荒々しいっていうのはよくわかるかも。柊は気性の激しいところがありますからね」
 俺の言葉に立花先輩はその目を大きく見開いた。そして唐突な質問をしてくる。
「もしかして二人って付きあってたりするの?」
「え、なんでそうなるんですか?」
「だって気性が激しいとか、そんなことアタシには微塵もわからなかったし、さっきも面倒見てくれているとか言ってたから親しい間柄なのかなって」
「違いますよ。コンクールが近いんで指導してもらってるんです。学年も一緒だから部活に出る時間帯もほとんど同じですし、それにやっぱり技術力はすごいと思ったんでこちらからお願いしたという流れ」
 俺の説明に先輩は胸を撫で下ろす仕草を見せた。少し大袈裟に振る舞いながら、安堵の溜め息を吐く。
「驚いたー。御薗木君って女子にあまり興味なさそうだし、実際そういう噂も気配もとんとないから気を抜いてたよ」
 酷い言われようだが、事実その通りであるので反論もできない。まあ毎日登校を一緒にしている真琴も女子ではあるのだけれど、四つも離れているとそういう対象ではない。
 ほっとした様子を見せた立花先輩は、けれどすぐに表情を難しいものにした。
「でもコンクールの作業をずっと手伝っていて、時間帯も合うからってことは二人きりになることも多いんだよね。そういう状況が続くとやっぱり――」
 そこまで口にしたとき。
 急に立花先輩が体をくの字に折った。そして呼吸が大きく乱れる。
「先輩!」
 俺が慌てて顔を覗き込むと、苦悶の色を浮かべながらも先輩は笑顔を向けてきた。
「だ、いじょうぶ。それより、鞄の中から薬の入った袋と、お水、取ってくれない?」
 先輩の鞄は持ち主の手を離れ、足元に転がっていた。事態が事態なので構わず開ける。脇の方にあったペットボトルと薬が入っていると思しき白い紙袋を取り出し、先輩に手渡した。
 紙袋の中から錠剤を一つ取りだすと、先輩はそれを口に含んで少量の水で喉の奥に流し込んだ。それを見届けてから俺は声をかける。
「大丈夫ですか? 立っているのもつらいでしょうし、どこか座れるところへ」
「あはは、ごめんねー。急に心臓の発作が出ちゃったみたいで。まだちょっと動くのは難しいかな。申し訳ないんだけど、移動するの手伝ってもらっていい?」
 俺は頷くと先輩の肩に手を回した。真琴に俺と先輩の鞄を持ってくるように言いつけると、ゆっくりと足を運ぶ先輩の補助に専念した。
 近くにベンチなど都合のいいものはなく、仕方なしにマンションの前にあった花壇の縁に先輩を座らせる。その頃には容体も大分落ち着いていたようだった。
「うーん、油断してたかなぁ。心臓が締め付けられるような痛みを覚えるのってそんなに頻繁にあることじゃないから。さっき飲んだ薬も心臓の薬というわけじゃなくてね、精神安定剤なの。発作の原因がわからないし、今のところ効果があるのはこの薬しかないから」
「無理はしないでください。俺と出会うきっかけになったのも先輩が道の真ん中で倒れてたことなんですから」
「あの時は本当にごめんね。それにありがとう。人通りの少ないところだったし、御薗木君に助けてもらえてなかったら今頃アタシはこの世にいなかったかもね」
「物騒なことを言わないでくださいよ。でもとりあえず今回はあのときみたいに意識を失ったりしなくて良かった。俺だけじゃどうしようもないですし」
 去年の秋に父さんと新しい母さんのことを整理しながら散歩をしている途中、町外れにある森の近くの道で一人の女子が倒れているのを発見した。それが立花先輩だった。走り寄ったときにはすでに意識はなく、呼吸もしているのかしていないのかわからない程度に弱っていた。急いで救急車を呼び、電話で指示される通りに介抱。その後到着した救急車に、同行してくれる人がいないからと俺が一緒に乗ったのだ。病院に着いてしばらくしたらある程度状態も安定した。目を覚ました先輩と、連絡を受けた親御さんが慌てて病室に来るまで、ベッド脇から言葉を交わした。
「でも原因不明だしね。心臓だけじゃなく喘息の発作も出るし、ひどい頭痛が出ることも骨が軋みを上げることもある。物騒な言い方に聞こえるかもしれないけど、アタシはいつ死んでもいいと覚悟しながら毎日生きてるからさ」
 運動不足が原因ではないかという推測を先輩が立てるなら、俺はその諦観が原因だと推論することにしたい。もちろん根拠はないし、むしろ病気の原因というよりも、病から派生した気持ちの問題を解決して欲しいという想いに近いものではあったけれど。
 俺が上手い言葉が見つけられずに黙っていると、それまで黙っていた真琴が急に口を開いた。
「そうやって苦しみながら生きてるのってイヤじゃない?」
 率直な物言いに先輩も少し驚いた様子ではあった。けれどすぐに普段の表情に戻って返事をする。
「正直に言えばイヤだよね。ただこれがアタシの生まれた境遇で、仕方のないものだと思うようにはしてるんだ。恨み事ばかり言っていても何も始まらないし」
 しかし先輩はそこまで話してから急に顔に影を落とした。
「でも……世界が変わればいいのにとも思っちゃうよ」
 先輩の苦しみを俺は知らない。他の人と違う体だという点で、色が見えないということからある程度類推は出来るだろうけど、それは推察の域を出ない。ただ俺も色が見えたらいいのにと何度も乞い願っているし、体に痛みや苦しみの出る先輩は尚更なのかもしれないとは思った。
 どこから飛んできたのか知らないが、クマゼミが弱々しい鳴き声を俺たちの上空で奏でた。そして真琴がぽつりと一言だけの返事を返す。
「そう」
 猛々しい夏の暑さはまだ続いており、しかし着実に終わりに近づいている。そんな気配が周囲に立ちこめていた。


   『世界を凍らす死と共に』1-2-2へ
# by zattoukoneko | 2013-04-07 07:10 | 小説 | Comments(0)


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山本辰則の小説とか



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のHP、HarvestSnow
HarvestSnow
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運営していきたいそうです。



こちらはお世話になっている
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です。
お薦めなのでリンクを貼りました。


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