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『世界を凍らす死と共に』4-2-1


   二.


 病院は消毒液などで独特の匂いがするものだけれど、立花先輩の入れられた個室はそのような嫌な匂いはなく清潔な空気で満ちていた。穏やかな色調で部屋は整えられ、しかし蛍光灯は少し眩しいと思うくらいに明るい。
 救急車で搬送された先輩の検査が終わる頃には日も暮れ、しばらく降り続いていた雨もやんでいた。最初に先輩を助けたときの検査よりは大分時間がかかったが、今日の先輩の様子から考えれば短すぎるくらいなのかもしれないとも感じる。
 目を覚ました先輩はベッドの隣にいる俺を見て驚いたようだった。
「御薗木君?」
 先輩は上半身をベッドの上に起こそうとして、結局うまく力が入らないようだった。無理をしないようにと告げ、体を寝かせる。
 横になった先輩は改めて室内を見渡し、尋ねてきた。
「いるのは御薗木君だけ? その、うちの両親は?」
「来ていますよ。でも頼み込んで二人きりにしてもらいました。先輩と大事な話をしたかったので」
 それを聞いて立花先輩は表情を曇らせた。
「アタシの身体のことだよね。ずっと黙ってたんだし、気になって当然だもん。それと告白に対する返事だよね。……うん、覚悟は出来てる」
 俺は否定しなかった。実際にその通りの話をするつもりだったし。だから先輩が両拳を固く握りしめたのが視界に入っても、それに関して触れることをしなかった。
「臓器が少しずつ壊死していっているそうですね。治療法もないと聞きました。イメージとしては癌に近くて、ある程度侵食が進んだら器官の機能が損なわれるのを防ぐために切除するしかない」
「そう。顔とか腕には出ないから外から見てるだけじゃわからないんだけどね。でもそのせいで体の中でそういう異変が起こっていると気付くのが遅れて、小さい頃に一度大きな手術をしている。その後も何度か胸やお腹を切ってるから痕が残っちゃってる。進行はすごいゆっくりしたものだったんだけど、最近になって加速しちゃったみたい。ちょうど御薗木君に助けてもらった頃にそれがわかって、だから途方に暮れて一人で家を出たら倒れちゃったってわけ」
 ということは一年前から先輩は自分の病状について知っていたということか。そして悩み続けて結局怪に縋った。
「一応ね、成功する確率は低いものの新しい手術をすれば、病気が進行するのは止められるかもしれないんだって。でも成功したとしても進行が止まるだけで、刻まれた傷は消えない。壊れたり切除された臓器も元通りにはならないから、子供も諦めるしかないよね。体力も人並みになるわけじゃないし、現時点で悪くなってる消化器官がごっそりと持っていかれるから食事も制限されることになる。しばらくは寝たきりの生活をして、その間に筋力も落ちるだろうから、普段の通りに歩けるくらい体力を回復させるには数年間はリハビリを覚悟してくれって言われた。この若い時期に、それって死刑宣告と同じだと思うんだよね。学校にも通えなくなるし、仕事に就くのも難しくなる。寿命は延びるかもしれないけど、普通の生活は一生できなくなる。それならすぐに死んでもいいから普通のことを目一杯しておきたかったんだ。それがアタシの夢だからって、お父さんやお母さんを説得したの。ずっと言い続けて、ようやく一人で学校に通わせてもらうことも叶ったんだけど、ちょっと短過ぎだよね」
 長い独白をしながら先輩は泣いていた。何とか笑顔を見せようとするのだけど、唇がわななくのは止められなかった。
 目尻から溢れる滴を指で擦りながら、先輩は俺に問いかける。
「公園で言ってくれたけど、こんなアタシでも御薗木君に想いを向け続けたら、振り向く可能性があるって話だったよね? アタシの口からも伝えたけど病気のことは知ったと思う。普通に付き合うことなんて無理だよ。子供とかはアタシたちの年齢からするとずっと先の話だから想像しにくいかもしれないけど、愛し合うために抱こうとしたらその相手の体は切り刻まれて傷だらけだっていうのはイメージしやすいと思う。それって幻滅するものじゃないかな。それとも御薗木君はそういうの気にならない人? 全部知った上でアタシに目を向けてくれる? ……もう一度、よく考えて答えて欲しい」
 先輩は尻すぼみにそう懇願してきた。自信がないんだと思う。何度も病室で両親相手に温もりを求めて、その度に諦めてきたのだから。
 でも俺はここにいる。今は先輩のご両親には席を外してもらっているけれど、俺と想いは同じだと思う。
「俺はここにいますよ。病気のことを聞いても、先輩が目を覚ますまでずっとその寝顔を見てました」
 少し遠回しな言い方かもしれない。でもそれで先輩には十分伝わったようだった。
「そっか。御薗木君はアタシを見てくれるんだね……」
 本当は俺だけじゃない。先輩のご両親は今でも病室の外にいる。ただそれを素直に受け入れられるほどには先輩はまだ気持ちを整理できていないと思ったから、俺だけにしてもらったに過ぎない。
 先輩は隣に俺がいることを何度も何度も噛みしめて、少し元気を取り戻したようだった。表情を明るくしながら訊いてきた。
「でもそれはまだ恋愛感情ってわけじゃないんだよね? 同情だとかそういうのだとも思えないけど」
「そうですね。まだ先輩のことが好きかどうかはわかりません。ただ気になる人にはなりました。だからもう一度先輩のことを見つめることを始めようと思って、病室での出会いから仕切り直しすることにしたんです」
 最初の出会いで深く病状を聞くことは無理だろうけど、でもその後も俺は先輩のことをきちんと知ろうとしていなかった。ただ体が弱い先輩というそれだけの認識。もしかしたら立花先輩はもっと見ていたと言うのかもしれないけれど、深く見ていなかったことに変わりはない。
 少し悩む素振りをしてから先輩はさらに問いかけてきた。それはとても重い内容だったけれど、あえて普段通りの口調で質問される。
「ならアタシは手術を受けるべきかな? せっかく御薗木君が意識してくれるようになったっていうのに、すぐに死んじゃったら勿体ないもんね」
 もしかしたら質問というより、背中を押して欲しかっただけなのかもしれない。先輩はこれから先のことを見始めている。すべてを諦めてすぐに自分の殻の中に閉じこもってしまっていた先輩はもういない。
「入院している間は毎日通いますよ。会えなくなったら変わろうとしている先輩の姿を見れなくなってしまいますし」
「そうしてくれると嬉しいな。もちろん忙しいときは無理しないでくれていいんだけどね。でもずっと放って置かれたら、病院を抜け出して会いに行っちゃうかも」
 体が動かないのにどうやって俺の元に来るんだろう。でも先輩のことだから本当にやってしまうかもしれない。冗談のまま済ませてくれるように、約束通りきちんと通うことにしよう。
 そこで先輩はふっと微笑を浮かべた。
「アタシを変えてくれたのは、最初も今回も結局御薗木君だったな。自分だけで変わろうとして失敗して、そして怪の力にまで縋ってしまって。それで迷惑かけちゃった。せいぜい怪が御薗木君と関係があるものだと知って、その想いを見せようと渡すことくらいしかしてないや」
 先輩は自分が変われたのは俺のおかげだと思っている。怪の力はあまり関係なかったと考えている。実際にそうだったのかもしれない。先輩が一番深く関わり続けたのは俺だったのだから。
 でも俺は怪の想いに触れることで大きく変わることが出来たし、そもそも怪の一件がなかったら変わろうとすらしなかったのではないだろうか。本当に怪は消えてしまうべき、忌むべき存在なのだろうか?


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by zattoukoneko | 2013-05-07 05:44 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-1-2


 柊の言葉に真琴が少したじろぐような様子を見せた。怪に意識が乗っ取られていたとはいえ、彼女は何人もの人をその手で殺してきたのだ。殺気は本物だし、それに怖気付かない方がおかしい。
 けれどすぐに真琴は威勢を取り戻した。
「どうやって殺すのさ。仮にナイフを持っていたとしても僕には怪の力がある。人の力じゃ太刀打ちできないと思うけど」
「方法なんてどうでもいいわ。わたしが口にしているのは決意だもの。どんなことをしてでもそれを成し遂げてみせるという固い想い」
 それから柊にしては珍しく、それとわかる嘲笑を浮かべた。
「許斐さんは怪をつくったくせに想いの怖さを理解していないのね。力なんてなくても気持ちが確かなら人は選んだ道に向かって突っ走るものなのよ。それとも本当は理解しているのだけれど、自分の心に嘘を吐いているから怪に逃げてしまっているのかしら?」
「……」
 確かに真琴がどうして他人にまで怪の力を渡そうとしたのか、そこに思考の飛躍を感じる。
「要はそこが単純ではないところなのよ。許斐さん自身もきちんと整理が出来ていないのかもしれないわね。まあ人間というものは得てしてそういうものだけれど」
「不条理をなくして世界を改変したいというのが真琴の本当の想いじゃないって、柊は言いたいのか?」
「別にそこまで否定しようとなんて思ってないわ。不条理だと感じること、境遇に対する不満は多々あるし、それに直面したとき自分の無力さを感じることも多い。許斐さんの場合は御薗木くんの亡くなられたお母さんの件があるし、余計にそれを意識したのではないかと推測出来るわね。だから怪の力を世界の改変に使おうというのも一応はわかる」
 柊はそう言葉の上では納得できるものであるとしつつも、その端々からは違うところに本当の意図があるのだろうと考えていることが窺い知れた。
「ただ、どうやら世界のすべてを変えることまでは無謀だとも、許斐さんは感じているみたいね。怪を渡した際にその想いに呼応し、かつ耐えられる人なんてそうそういない。わたしや立花先輩は怪を引き受けることまでは出来たけれど、その力を気随気儘に利用したし、許斐さんが長年かけて溜めていった想いとも別の想いを抱いていた。相互に作用した結果、わたしたちはまったく別の行動を取った。それは当り前のことでもあるわね。人それぞれ別々の想いを抱いているのだもの、いくら怪の想いが凄絶なものだろうとそれを受け取った瞬間に変化が起こる。そのことは許斐さんも今回の件を通じて知ったような気がするのだけど、どうなのかしら?」
 真琴は目を逸らして沈黙した。受け入れたくはないのかもしれないが、すでに柊の言った通りだと思っていたのかもしれない。
 小さく言葉を吐き出した真琴は、苦しそうだった。
「だったら……どうしろっていうのさ」
「決着をつけなさい。そして怪と決別して消してしまいなさい。自分でそれが出来ないなら、わたしがそれをやってあげるわ。熱い血潮で冷たい想いを溶かしてあげる」
 それが決意というものなのだろう。鋭利な刃物のように鋭くて硬かった。
 けれど氷のような冷たさがそこにはないということに俺は気付いた。いつもならもっと冷めていて、場合によっては冷酷とも受け取れる言葉を突き付けるだろうに。
 俺は柊を止めた。おそらくだけれど、そうされることを彼女も望んでいる気がした。
「柊の決意は聞いた。でも俺は真琴を誰かに殺されたくないし、柊にも誰かを殺してもらいたくない。すでにその手が人の血で染まったことがあったとしてもだ。それに気になることが一つある。まだ俺は真琴の決意を聞いていないんだ」
 俺の制止に、柊はあっけなく目に見えない刃物を引いた。
「それもそうね。世界を変えてやろうなんていうのはインパクトがあるだけで、所詮子供騙しでしかないわ。それは想いの一つとしては認めるけれど、許斐さんが他にもいくつかの想いを口にしていたというのも気になる。今は無理だと諦めたようだけれど、それは亡くなられた御薗木くんの前のお母さんを助けようという気持ちに、本当に整理が付いたということを意味するのかしら。それは青葉さんを今の御薗木くんのお母さんとして認められていないという現状にも繋がっている気がするのよ。他にも御薗木くんの力になりたいとか、わたしや立花先輩のような辛い境遇にいる人を助けたいとか、結局想いはどこに向いているのかしら?」
 柊の言葉に重なるように遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。それに合わせて喧騒も響いてくる。
「御薗木くんにも止められたことだし、ここは一度引くことにしましょう。獲物も持っていないし、大勢の人の前で殺すのも難しいでしょうしね。ただ許斐さんが今後も怪を辺りにばら撒いていこうと本気で考えているのなら、わたしは伝えた決意の通りにやらせてもらう」
 結局真琴もこの怪の一件を通じて変わらなければならないということか。俺も母さんの力を借りて変わることが出来たけれど、まだその整理が終わったわけじゃない。
 ふと隼人の忠告を思い出した。俺たちは高校の教科書のようにそれぞれやろうとしていることが違っている。科目が小中のものより専門的になったのだからそれは自然なことでもあるのだけど、あいつはそれぞれの繋がりが無視されていると嘆いた。その言葉は一つの示唆になったと思う。俺も柊も立花先輩もバラバラだった。でも想いは交差していたはずで、それに気付いたからこそ俺は立花先輩を助けるときに柊を巻き込んだ。そして改めてその言葉を思い返したとき、俺は隼人に一言伝えるべきだと思った。
 救急車が公園のすぐ近くまで来たようだ。俺は真琴に向き直り、自分の考えを伝える。
「怪にまつわる事件、そこには前の母さんの一件も含まれるけど、それに関わった人たちの想いを俺は一度整理したい。当然真琴もそこには入ってる。俺の横に並んで力になりたいって言ってたけど、そのことにも何らかの答えを出すつもりでいる。だけどほんの少しだけ時間が欲しい。立花先輩には、目が覚めたときにすぐ伝えないといけないことがあるから、どうしてもその後になる。それまで待っていてくれるか?」
 俺の問いかけに、真琴はそれまでと少し違う言葉を発した。
「鏡にいが僕のことを助けてくれるの?」
 それが真琴の本音なんだろうなと感じた。真琴は俺や誰かの力になりたいとばかり口にしていたけれど、自身の苦しみはほとんど語っていない。本当は誰かに救いの手を差し伸べてもらいたかったんじゃないだろうか。
 今の俺と真琴は距離が離れているせいで、その頭を撫でてやることは出来なかった。
「約束する。まだその方法は見つけていないけど、でも必ず真琴の所に向かうから」
「……わかった。待ってる」
 了承してくれたことを確認すると、俺は母さんに真琴と柊を一度家に連れ帰って欲しいとお願いをする。特に柊はウエディングドレスのままじゃ出歩きにくいだろうし。立花先輩の病院へ付き添ってから、みんなには改めて連絡しよう。
「行ってらっしゃい、鏡夜くん。帰ってくるの待ってるから」
 母さんのその言葉に背中を押されて、俺はようやく到着した救急車に立花先輩と一緒に乗り込んだ。


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by zattoukoneko | 2013-05-01 06:17 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』4-1-1


   四章


   一.


 真琴は今年度になって再会した頃から、毎日のように不条理という言葉を口にしていた。それで指すところのものをどうにかしたいと考え続けてきた末に、怪を生み出したということなのだろう。その想いを積み重ねる大きなきっかけとなったのが俺との出会いということなら、最初に知り合ってからもう六年もの間苦しんでいたということになる。思い出すのを放棄した俺の代わりに、真琴はあの水の中から冷たい母さんを幾度となく引き揚げようと涙していたのか。
 俺は死んだ母さんのことを振り返ることが出来たし、受け入れようとしているけれど、おそらくはそれで真琴が怪を消してくれるということにはならないのだろう。
「そうだね。僕はあまりにも鏡にいのお母さんのことを夢に見過ぎた。あの冷たさを忘れることなんて一生できないんじゃないかな。それに話もそんなに単純じゃないし」
「世界は不条理に満ちているってやつか……」
「正解。鏡にいにしては鋭いじゃん。色も見えるようになったみたいだし、変わったっていうのは本当なのかもね」
 いつも通りの小馬鹿にした口を利きながら真琴は頷いた。そして最近は夢を見なくなってきているのだと告げる。
「お母さんが死んでしまったという事実は変わらない。僕の怪の力を使っても生き返らせることは出来ないし、もしかしたら力をもっと蓄えれば可能になるのかもしれないけど、そうしたらみんな大事な人を生き返らせようとして大変なことになるよね。だからそこまでは望まないことに決めた」
 そう心の整理が徐々に付いていく一方で、思い通りにならないこともたくさん出てきたという。
「よく言ってるやつだと、どうして女だからって色々決め付けられなきゃいけないのかってこととか。学校の制服とかは昔の社会が勝手に作り出したルールでしょ? それにも腹立つんだけど、そういうのはこれからみんなの認識が変わることで新しくなるとも思う。でもそれだけじゃないんだ。生物として男と女じゃやっぱり違ってる。自分は女なんだって何度も思い知らされたよ。特にこの年齢になるとさ」
 第二次性徴というやつか。言われて俺も真琴ぐらいの年齢のときに、自分の声が低くなるのを嫌だと感じていたことを思い出す。女子も同じように身体の変化に色々なことを思うのかもしれないけれど、男の俺には想像することは難しかった。そしてそのことこそが男女の間にある溝を如実に語っていた。
 真琴は雨に濡れた制服の代わりとして着ている俺の服を摘まんで示す。
「これ鏡にいが今の僕と同じ年齢の頃に着てたやつなんでしょ? でもぶかぶかだね。中学くらいじゃそんなに差は出ないと思ってたんだけど、実際には結構違うや」
 少しふざけた様子でそんなことを話していた真琴は、一転して真剣な表情になって俺の方に視線を向けてきた。
「僕はずっと鏡にいのことを見つめてきた。学校が分かれて会えなくなってからも、最初に知り合う前からも、ずっと。鏡にいの隣に並んで対等な立場で何か役に立ちたいと思ってた。だけど小学校低学年の僕はいつもあしらわれてばかり。もちろん僕が子供っぽいことばかりしてたってのもいけないんだろうけどね。でもあれから何年も経った。僕も成長した。だから試しに訊いてみるよ。――鏡にい、僕は鏡にいの力になれる?」
「それは……」
 真琴と協力して何かをするなんてこと考えたこともなかった。俺にとっては世話のかかる近所の子供で、懐いてくれているのはわかっていたけれど、対等な関係として見たことは一度もない。
 言い淀み、答えられなくなった俺に、真琴は寂しそうな笑みを向ける。
「そういうことだよ、鏡にい。僕はどこまでいっても無力なままなんだ」
「だから怪の力を蓄えたってことなのか。でもどうしてそれを他の人に渡したりなんかしたんだ?」
 俺のことを考えて想いを募らせたというのなら、それを他人に分けようとはしないんじゃないだろうか。真琴は怪の力を使って何をするつもりだったんだろうか。
 その疑問に答えてくれたのは真琴本人じゃなかった。
「そんなに単純なことじゃないと許斐さんが話していたじゃないの。確かに御薗木くんがこれだけ鈍いと、苦労する気持ちもわかる気がするわ」
 純白のウエディングドレスに身を包んだ柊は、救急車を呼び終えたのか、俺にそう告げながら立花先輩の方に真っ直ぐに進む。俺ともそんなに距離は離れていない。先輩の呼吸はさっきより随分と安定しているようだった。
「詳しくはわたしにはわからないけれど、今はただ寝ているだけみたい。きっと許斐さんが怪の力で容体を安定させてくれたのね」
「……」
 人見知りが出たからなのか、答えたくないと思ったのか、いずれにせよ真琴は沈黙で返した。それを俺は肯定と受け取ったし、柊もそうしたようだった。
「許斐さんは徐々に自分の気持ちを整理してきたとはいえ、怪とその力を宿すきっかけになったのは御薗木くんの亡くなられたお母さんとの一件で、助けられない無力さを何度も味わったからというのは確かなのでしょうね。だから怪はその一つの現象、属性として冷たさを有しているのだし。そしてお母さんはすでに亡くなられているからと自分の気持ちに蹴りを付けたのなら、残っているのは助けたいという想いということになる。それをわたしや立花先輩に向けてくれたと、そういうことなのでしょう?」
 真琴はしばし言い淀んだ。けれど最終的には柊の言葉を認める形になった。
「他の人が苦しんでいるのを見てるのに耐えられなかったからだけどね。でも力があればその人が背負っている不条理に打ち克つことが出来るかもしれない。そう思って怪の力を渡してみたんだ。本当にその力を役に立てたい相手は鏡にいだったんだけれど」
 それから真琴は、俺の隣にいる今の母さんに視線を移した。
「僕は鏡にいが目に色を見る力を取り戻したいと考えているなら、どうにかしてそれを叶えてあげたいと思っていた。方法は分からないけどそのためには人ならざる力が必要なんじゃないかって考えた。でもそれを達成するのに助力したのは普通の人間でしかない青葉さんだった」
 真琴はそこで小さく頭を振った。その仕草はどこかイヤイヤをしているようにも見えた。
「もう気付いているかもしれないけど、僕にとって青葉さんは鏡にいのお母さんって感覚じゃない。だからずっと『青葉さん』って呼んでる。本当のお母さんは死んでしまったあの人だよ。今回は鏡にいを救ったかもしれないけど、それは取った行動が前のお母さんに偶然重なったからに過ぎないと僕は思ってる。これから鏡にいはまた何か助けが必要になるかもしれないし、そのときのために僕は怪の力をより高める。柊さんや立花さんもきちんと助けられなかったけれど、でも一連のことでこの力があれば世の中の不条理に人は立ち向かっていけると確信した」
「あら、随分と見縊られたものね」
 胸に秘めていた決意を口にした真琴に、しかし柊は冷たく言い放つ。
「確かに今の立花先輩は怪の力で容体を安定させている。だからその力は人を救うのかもしれない。わたしの場合でも、ずっとあの家庭の中に入れられていたら祖母と同じ道を辿ったかもしれない。そう考えれば、そこから抜け出す力をくれたのだから、救われたと言ってもいいのかもしれないわね。でもね、その後わたしが人殺しになり、無関係な人の命をいくつも奪ったというのも事実よ。許斐さんが怪の本体であり、それを離さないつもりなら、その存在を認めたくないわたしはあなたを殺すわ」
 そして柊は腰に手を遣る。怪に取り憑かれていた立花先輩に、サバイバルナイフを手にして飛び掛かっていったときのように。
 けれど腰に手を置いて、それだけだった。柊が溜め息を漏らす。
「ウエディングドレスだからナイフを隠す場所がなかったのよね。こんな服普段着ることないからわからなかったのよ。幸か不幸か今のわたしには許斐さんを殺すことが出来ない」
 嘆息しながらも、柊の口調は真剣そのものだった。怪本体である真琴より冷淡で恐ろしい言葉を紡いでいる気がする。
 その鋭利な言葉でもって柊は真琴を斬りつけた。
「あなたは力とともにあの冷たい想いをわたしたちに押し付けた。あんなものはこの世にいらない。消えるべきものだわ。あなたが怪と深く関わっていて、その関係をやめないというのなら、許斐さんごとね」


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by zattoukoneko | 2013-05-01 06:16 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-4-2


 あの日母さんに用水路で助けてもらって、それからどんな想いで真琴は過ごしてきたのだろう。死んだ母さんをその心の中にずっと抱き続けてきて、相当苦しかったはずなのに。でも真琴はそれを表に出さずに怪になるまで冷やしてしまった。
「鏡にいがさっき言ってた通りだよ。ずっとお母さんのこと思い出そうとしないんだもん。だから代わりに僕が大事に持っていたんだ」
 真琴は公園の入口に立ったまま、それ以上は一歩も近付いてこようとはしない。その表情がよく見えないこの距離が、今の俺たちの間にある隔たりなのだと感じさせられた。
「ずっと僕は自分のせいで死ぬことになってしまったお母さんのことを、その家族の人に謝ろうと思ってた。相手の家族の名前は知ってて、でも用水路に落ちたのは幼稚園の頃だったから、どうやって会いに行けばいいのかよくわからなかった。小学校に上がったら通学班の中に色が見えない先輩がいたんだ。名前を聞いてすぐにその人が死んでしまったお母さんの子供だと気付いたよ。ずっとずっと謝ろうと思ってたから、すぐにでもごめんなさいって言いたかった。けどその人はとても元気だったんだ。僕は事件のときから悩み続けていたのに……」
 真琴は結局謝ることが出来ずに、塞ぎ込んでしまった。そんな真琴に気付いて声をかけたのが問題の相手である俺だった。
「最初は誰のせいで悩んでるんだよって思ったさ。でも鏡にいと話しているうちに、気付いたんだ。鏡にいはお母さんのことを思い出さないようにしてる。辛くないわけじゃなかったんだ。むしろ考えるとダメになるから、整理し終わったことにしてたんでしょ? だったら僕に出来るのは、余計なことを口にしないで一人で抱え込むことくらいしかない」
「それで真琴は想いを蓄積させていったのか。怪になるほどに」
「鏡にいは怪の想いに触れたことで、お母さんが冷たい気持ちで死んだわけじゃないって答えを出したよね。それは当たってるのかもしれない。僕は助けてもらっただけでその想いにまで触れたわけじゃないから。冷たいものを溜め込んでいったのは僕自身の心だってこともわかってる。でも……仕方ないじゃないか」
 真琴が肩を小さく縮こまらせた。
「あの水の中でお母さんは冷たくなっていったんだ。死にゆくその腕に、僕は抱えられていたんだよ。その感覚を忘れることなんて出来る?」
 俺は怪から真琴の経験を垣間見た。しかし真琴自身になれたわけではないから、そのときに感じていたことを知ることが出来たわけではない。想いに触れながらも間接的な経験で留まっていたのだ。
 それに見たのは母さんが死んだ事件のところだけ。その後真琴がそれをどう捉え、思い起こし、累積させていったのかを知らない。
「僕は何度も何度も夢に見た。凍えるような水の中で鏡にいのお母さんがしがみついてくるんだ。そしてどう足掻いてもお母さんの体は冷たくなっていく。次第に夢の中でも、そして夢から覚めても、一つのことを思うようになった。どうして助けることが出来ないんだろうって」
 昔の出来事なんだから助けられなくて当たり前だ。たとえ夢の中だとしても、起きてしまったことがトラウマとして心の傷になっていたら、それを変えることは容易なことではない。
 真琴はそのことを理解しつつも、どうしても納得できなかったらしい。
「世の中不条理だと思った。鏡にいのお母さんは僕を助けようとした。僕は夢の中でだけれど、そのお母さんと一緒に助かろうとした。でもお母さんは身体が丈夫じゃなかったし、僕は子供で大人を流れる水の中から持ち上げるだけの力がなかった。だからこんな世界修正してやろうと考え始めたんだよ」
「もしかして真琴は世界に対して冷たい想いを向けるようになったのか?」
「そう。怪の力が冷たいのはお母さんが死んだときの記憶が一緒に積み重なったからだけど、それを積み重ねたのは世界の不条理を憎む僕自身の心」
 それを証明するかのように真琴の体から冷気が噴き出した。距離があるのに、放出されたそれは俺の体から急速に体温を奪う。降っていた雨は霰へと変わり、頭や肩に衝撃を与える。そんな中でようやく真琴は傘を下ろした。
「空から降る水を固めるくらいの力を手にすることは出来たよ。降ってくるのを止めるのは無理だけどね」
 嫌いだと言っていた雨を真琴は別のものに変えてみせた。落ちてくる氷の粒はぱらぱらとその体の上に積もっていく。
 人にそんなことができるはずがない。明らかに異なものの力だった。
「怪は真琴のところに戻っていったってことか……」
 そんな俺の呟きに真琴は首を横に振った。
「怪の本体はずっと僕のところにいる。あるいは僕自身が怪だって表現した方がいいのかもしれないな。柊さんや立花さんには想いと力の一部を分け与えただけだよ」
 想いを分け与えるというのは言葉の通りではないだろうと思う。人は他人に自分の気持ちをそんな簡単には伝えることが出来ないのだから。ただ真琴が怪そのものだというのなら納得がいく。活気に溢れた部活動に参加した後は自然と元気になっているものだし、逆に陰気な雰囲気が漂う病室にしばらく入れられれば気持ちも落ち込んでしまう。何らかの想いが集まっているところに参入することで、人は意外と簡単にそれに影響されて想いを自分の心に分けてもらえる。真琴自身が冷たい想いの集合体だというのなら、似たようなメカニズムで他人に怪を移すことが可能なのかもしれない。
「鏡にいの考えで大体合ってるんじゃないかな? 周りを見ずに元気だけ振り撒いているような人はその場の雰囲気を感じ取れないし、持って帰ることも出来ないしさ。僕の持ってる怪も同じだよ。相手の心の中に冷たい部分があって、それに共感できる素地がないと受け渡すことは無理だね」
 そこまで語ってから、真琴は話を少し前に戻す。どうしてそういうことをやるようになったのかについて。
「僕は怪を手に入れたけど世界は広い。残念だけど一人じゃこの世にある不条理をすべてなくすことは無理だった。途方に暮れかけてたんだけど、周囲を見渡したら同じように苦しい境遇に必死に耐えようとしている人が何人もいることに気付いた。やっぱり世界は不条理に満ちてたんだよ。だったら僕がそれを変える力を分けてあげようと思った。そして同じようにして、分けた先の人が別の人に怪を移していけばいつか世界は変わるはずさ。ただ怪の想いは引き受けるには辛いものだから、なかなか相手が見つからないっていうのが難点だったけど」
 確かに柊や立花先輩のように、峻烈な環境に長く置かれていた人はそうそういないだろう。そして想いを閉じ込めて冷やしてしまうのも稀有な例だと思う。俺もいわば色のある世界を凍らせていた冷たい想いの持ち主なわけだけれど、周囲から目を逸らしていたから受け入れる態勢にはなっていなかった。目を向けるようになったから立花先輩は怪を移すことが出来たということなのだろう。
 真琴が冷たく沈めた声で告げる。
「ようやく怪を他の人に渡せたのに失敗しちゃったよ。でも怪はまだ僕の中にいるし、諦めるつもりなんかない。この力を使って世界から不条理をなくしてみせる。そのせいで苦しむ人を救ってみせる」


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by zattoukoneko | 2013-05-01 06:14 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-4-1


   四.


 公園を眺め回して、これまで如何に自分が周囲をきちんと見てこなかったのかを知った。この前母さんと一緒に話をしたブランコは、安っぽいピンクのペンキで塗装され、それも古くなっているせいで所々剥げ落ちている。そういえばピンク色のペンキは需要がないから余っているという話を美術部の顧問をやっている先生から聞いたことがある。辺りを囲む木々はその葉の色を半ば枯れ色にしていた。落葉したり紅葉するにしてはまだまだ早い季節だ。おそらくは氷漬けになっていたことで、きちんと光を吸収したり栄養を回すことが出来なかった結果なんだと思う。
 雨が降っているせいでどんよりと薄暗くなっていることも一つの要因なのかもしれないけれど、これまで思い描いていたよりずっとこの公園の色はくすんでいた。もっと鮮やかな色をしているか、もしくは落ち着いた色をしているかのそちらかだと思っていたのだけれど、実態は行政管理の行き届いていないやや廃れた公園だったらしい。
 幼い頃はここで他の子供たちと遊んだこともあったから、そのときの賑やかな思い出を投影してしまっていた可能性もある。いずれにせよ思い込みでこの公園を見ていたのは確かだ。
 腕の中にいた母さんが、ようやく俺の変化に気付く。
「鏡夜くん、もしかして色が見えるようになったの?」
 俺はそれに頷いて返すと、苦笑しながら告げた。
「今頃になって初めて母さんの顔を見た気がするよ。これまで何度も見てきたはずなのに。虹彩の色素が薄くて綺麗な栗色の瞳をしていることとか、当たり前のことなんだけど唇が肌よりずっと赤いこととか、そんなことすら知らなかった。すごい新鮮な感じがする」
 色が見えるとか見えないとか、それは表面的なことだ。必ずしも見えた方がいいとは言えない。むしろ色があることを当たり前に思って周囲の綺麗な様子に気を配れない人よりも、色がない世界でその情緒に気を向けられる人の方がこの世の美しさを良く知っていると思う。俺も絵を描くときに鉛筆画や木炭画を選んだのはそのことを表現できるだろうと考えてのことだった。
 けれど俺の場合は違っていた。色を取り戻したいとは真剣に考えていた。画材屋で絵具の種類の豊富さに圧倒され、そして悔しくなった気持ちは本物だったから。でもそれを口にするだけで、世界からはずっと目を背け続けていた。結局色が見えないことを武器にするどころか、そのせいにして逃げていただけだったんだ。だから俺の絵は駄作と柊に言われたのだ。描こうとしている対象から目を外していて、きちんとした絵が描けるはずがない。
「それは私も何となく感じてた。鏡夜くん本当は色々なものを見ているはずなのに、肝心なところを、そういうものだからって決め付けて、目を逸らしてしまうの。見ていない部分は想像で埋めちゃうから、結局その本質を捉え損ねてしまう」
 母さんは俺の抱えているその問題までは気付いていたようだけれど、どうしてそれと色が見えないことが繋がるのかまではわからないようだった。まだ俺が急に色覚を取り戻したことを不思議に思っている母さんに、何が起きていたのかを説明する。
「想いは現象となるから。俺は物事の形だけは捉えていたけれど、母さんの指摘した通り、その本質まで見ようとはしていなかった。それは姿勢だけじゃなかった。むしろ無意識に心がそうさせていたんだ。きっかけは前の母さんが死んだこと。深く考えてしまうと世の中のすべてを憎んでしまいそうになっていたから、そうなるくらいならと目を向けるのをやめたんだ。見えないところは常識とか摂理とかそういうもので誤魔化してね。結果として俺は世界の色を見れなくなった。見ようとしてないんだから、それは自然なことだと言えると思う」
 その性根を直してくれたのが今の母さんということになる。ずっとあの事件のことから目を背けて来た俺は、怪が見せてきたものからも逃げようとした。昔は病弱な母さんに全部を押し付けた。そしてさっきは俺が母さんを振り返らなかったせいだとし、その際に都合の悪いことに目を瞑るため、その想いをでっち上げた。
「母さんは死ぬときには冷たい気持ちを抱いていたと俺は考えたけれど、それは思い込みだった。母さんは自分のしたことに納得していたし、助けようとした子供を救えたことに満足していた。だから当然のように用水路の周りは凍らなかった」
 残された家族のことも少しは考えて欲しいというのが、正直なところだ。でもそれはうちの家族みんなに言えることなのかもしれない。俺も立花先輩を助けるために突っ走ってしまったと思うし、父さんも柊を助けるために自分の命を賭した。そしてついには今の母さんまで俺を助けようとして冷たい怪の中に飛び込んできた。家族というのは自然と似てくるものなのかもしれない。
「そういえば母さんは怪に触れていた時間が短いから、その想いをほとんど見れていないんじゃないかと思う。俺もずっと取り憑かれていたわけじゃないから推測が交じるけど、でも父さんが死ぬときに感じていたことがわかった気がするんだ」
 それを整理することは俺にとってだけではなく、母さんにとっても大事なことのはずだから語って聞かせる。場所が父さんの死んだ公園だというのは偶然だけれど、でもだからこそ一つの決着を付けるべきだと諭されている気にもなった。
「おそらく父さんも、柊に襲われたときに怪の持っていたその想いを垣間見たんだと思う。そこで前の母さんが最後にどんな気持ちを抱いていたのかを知ったんじゃないかな?」
「やっぱりお父さんも、前のお母さんのことはずっと気になっていたのかな?」
「そんな素振りは見せなかったけどね。多分そうなんじゃないかと思う。やっぱり肉親の死ってとても大きな出来事だし、忘れることが出来るようなものじゃないから」
「そうだね。そこは嫉妬するところじゃなく、嬉しく感じるべきところなのかも。前のお母さんのこともきちんと愛していて、その人を大事にした想いは抱きながらも新しく私のことを好きになってくれた。ちょっと複雑な気持ちにはなっちゃうけど、でも前妻がいなくなったから乗り換えただけって、そんな薄情なことよりはずっといいよね」
 俺はもう一度周囲を見渡した。事件の当時よりは大分マシになったけれど、この公園はまだ氷に閉ざされたままだ。
「今際の際に立ち会った母さんから、父さんは満足そうに微笑みながら息を引き取ったと聞いてる。柊を助けられたってこともあるんだろうけど、前の母さんが自分の取った行動に悔いなく逝ったということをきちんと知ることが出来たから、安心したんだと思う。父さんもあの事件の現場にいたわけじゃないからね、どうしても気になってたんじゃないかな」
 そしてここからが更に大事なこと。これから決着を付けなければいけないことがある。
「父さんは心穏やかに息を引き取った。だからこの公園を凍らせるわけがない。氷に包ませることになったのは死んだ母さんに関わる冷たい想いだったんだ」
「え? でも前のお母さんは納得して亡くなられたんでしょう? だったら冷たい想いを抱いているはずがない」
「わかってる。だから母さん自身の想いじゃないよ。それは別の人の想い。母さんの事件から目を背け続けることで、気持ちを冷やしてしまった人間がいたんだ。怪が柊から引き離されたときに、その冷気が溢れ出たんだ」
 目を背けていたのは俺だ。でも怪を作り上げてしまったのは俺じゃない。用水路の中で人が冷たくなっていくのを間近で感じていた人物が、その感覚を忘れられずに積もらせていき、結果怪にしてしまった。
「その通りだよ。だから僕は雨の日が嫌いなんだ」
 公園の入り口からその人物の声が聞こえる。しっかりと抱えた薄紅色の傘に隠れてその顔は見れなかったが、幾重にも折り畳まれたジーンズは昔俺が穿いていたものだし、その声も毎朝耳にしているから間違えようはずがない。
「真琴も来ていたんだな」
 俺の言葉に、傘が小さく頷いて応えた。


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by zattoukoneko | 2013-04-24 21:07 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-3-2


 怪も想いの一つだということを忘れていた。そのことに体も意識も冷たさの中に沈められながら、ようやく気付かされる。柊や立花先輩はこの怪と想いを重ね、その二人と俺は関わりを持ってきたのに、ずっと怪自身の想いを無視していた。この怪も俺と想いを交わらせ、相互に作用しようと働きかけていたのに。なのに俺はそういうものがいるらしいと勝手にその存在を決め付け、それで済ませてしまっていた。
 そもそもこの怪はどこで生まれ、どこからやって来たのか? 周囲が冷たくなっていくのを感じながら、それがどのような冷たさであるのかを知る。
 冷たいというのにも色々種類がある。人の冷淡な心も一つだし、真冬の雪山にしんしんと積もる冷たさというのもある。
 この怪が持つものは水の冷たさに近かった。意識が激流の中を流されるような、そんな感覚を味わう。
 最初に出会ったのは、白髪雑じりの女性が腹を切り裂かれている場面だった。横たわらされたその女性は、二人の男女によって切り刻まれていた。切られた腹には赤いものが多少見えるものの、それが流れるような様子はない。死んですでに一度硬直した後だと知れる。大きく割かれた腹からは様々な色の臓器が取り出されていく。肌の色に普段包まれた人間の中から、そんなものが出てくる光景は吐き気を催すものだった。にも拘わらず俺はじっとその光景を部屋の隅から見つめ続けている。
 その光景を目にしているのは俺じゃないというのはすぐにわかった。俺にはそもそも色が見えない。でも向こうで切り刻まれている女性の肌も、肉も、骨も、そのすべての色がはっきりと知覚出来ていた。その目の持ち主は柊だったのだ。自殺した祖母が両親の手で解体されていく様をじっと見ている。そこに横たわっているものが元は生きていた人間だと思うと心が耐えきれなくなるから、それをただの肉の塊だと必死に思い込もうとしている。目を背ければ両親が続ける残虐な行為は映らなくなるだろうけれど、それをするということは肉塊が自分を大事に世話してくれていた祖母だと認めることに直結する。だから目を逸らさずに、ひたすらそれが人間ではないと自分に言い聞かせる。そうすることで柊は唯一家族の温もりを与えてくれた祖母を記憶の底に沈め、冷たさを周囲に纏うようになった。
 次に意識が流された先で目を開けると、白天井が視界いっぱいに広がった。自分の体はベッドに横たわっていて、すぐ隣には両親の心配そうな顔がある。大丈夫だと伝えようとして、口に呼吸を補助する機械が取り付けられていることに気付く。仕方なしに手を持ち上げて差し伸べようとしたけれど、それもままならなかった。家族の温もりに触れたかったけれど、まだ麻酔が邪魔してそれを叶えさせてくれなかった。代わりに感じたのは体の内側にある冷たさだった。恐らく壊死していた内臓を持っていかれたのだ。そこが空虚になって、冷たくなっているように感じるのだと思う。
 立花先輩がそのような手術を何度受けたか、そこまでは映像を見ているだけの俺には知る由もなかった。ただそうやって家族の中に普通の人のように入ろうとして、それを体に取り付けられた機械や麻酔、そして何より自分の体が邪魔するのを味わった。両親が心配してくれることは嬉しくもあったけれど、心苦しくもあった。そして同時に恨めしくも思った。温かさを向けてくれても、同じように暮らすことは出来ない。応えようにも体が動かないのだ。みんなとは違う境遇に生まれたということを、両親によって思い知らされる。でも憎みたくはないから心を閉ざすことにした。そうすれば、一時的にではあるけれど身体が弱いことも忘れられて、普段は明るく振る舞うことが出来るから。
 再び意識が濁流に飲み込まれて暗転した。その中で見てきた二人の想いを回顧する。目にした場面はいずれも人生の一幕で、それを俺は垣間見ただけでしかなかったけれど、でも強い想いに直に触れて揺らがないはずがなかった。
 立花先輩は俺に出会ったことで、もう一度みんなと同じような生活をしたいと望んだのだろう。道で行き倒れて冷たくなっていくのを感じていたら、そこに温かい手が差し伸べられた。その温かさは目を覚ましたときにも隣にいてくれた。それは今まで傍にいてくれた両親とは違う人物のもの。だからその御薗木鏡夜という相手に手を差し出そうとした。その手を取ってもらいたくて、ずっと叶わなかったことだけれど、再挑戦したくなった。けれど結局身体は思い通りにはならなかった。だから諦めて気持ちを氷の中に閉じ込めようと考えた。それまで何度も繰り返してきたことを、今回もやろうとしていたということなのだ。
 柊も自分の気持ちを閉じ込めてきたという点では先輩と同じだ。彼女はけして人間をやめたわけじゃない。だから祖母の事件は傷になっていたのだ。優しく世話をしてくれた大事な肉親が自殺に追い込まれ、挙句の果てにはただの肉として売られていった。その苦しみをずっと抱え続けていた。その想いを何度も吐露しようとしたに違いない。でもそれを聞いてくれる人は誰もいなかったから、吐き出してしまわないように必死に内に押さえ込んだ。でもそれを続けていくことは無理だと怪に指摘され、その力を借りて憎んでいた両親を殺害した。彼女の心を煮え滾らせた火の元はそうして消すことが出来たが、抱えていた想いを外に出すことは叶わないままだった。彼女の想いは怪の想いと重なり合うことで、歪んだ。気持ちを揺さぶる相手を殺してしまえばいいと、殺人を繰り返した。それは怪が離れた今でも直っていない。柊は自分の想いに触れてしまった立花先輩を殺そうとした。怪を消そうというのは建前だったのだ。おそらくは勝手に自分の傷を他人に知られることが、堪らなく嫌だったのだ。
 俺は二人を助けたいと思った。まだ終わってなんかいない。怪が彼女たちからいなくなったとしても、その根本をどうにかしないと何も変わらない。このままじゃ二人とも同じことを繰り返す羽目になるだろう。だからそこから救い上げたいと思った。
 けれど次第に俺自身も冷たくなってきていた。怪の積み重ねてきた想いが、体の自由を奪いつつあった。
 もう駄目かもしれない。そう思った次の瞬間、俺の体に何かがしがみついた。
「……母さん?」
 必死に俺の体を抱き寄せようとしているのは母さんだった。今の母さんじゃない。昔死んでしまった母さんだった。
 いつの間にか俺は激しく流れる水の中にいた。梅雨の時期にいつもより雨がたくさん降ったことがあった。たまたま近くを通りかかった用水路が急な流れを形成し、複雑な紋様を描いていることに気付いた。覗き込むとただ一方向に流れているわけではないことがわかった。所々で渦を形作っていて、それが次の瞬間には押し流される。そのダイナミズムに魅了されていたら足を滑らせてしまったのだ。
 それを経験したのは俺じゃない。その証拠に体を抱える母さんの方が、俺よりずっと大きかった。これは母さんが助けた相手が目に写し、感じていたものだ。
 母さんは溺れていた俺を捕まえると、必死に水面を目指して浮上しようとした。でも上手くいかなかった。元々身体が丈夫な方ではなかったし、この急流の中ではどんな大人でもまともに身動きできなかったと思う。母さんは俺をその胸に抱えると、せめてこれ以上は流されまいとした。腕の中で母さんを感じる。……急速に冷たくなっていく母さんの体温を感じる。
 そこでようやく気付いた。この怪がどうして生まれたのかを。
 怪の抱えていた冷たさは、この死にゆく母さんの冷たさだったのだ。母さんは死んだときに周りを凍らせなかったけれど、それはその心を預けていたからに過ぎない。溺れている相手を助けられない自分の無力さを嘆かなかったはずがないじゃないか。
 でもその想いを振り返らなかった奴がいる。大事な人を亡くしておきながら、仕方がないことだと片付けてしまった輩がいる。そいつのせいで母さんの冷たさは逃げる場所を失って蓄積された。そしてやがて怪となった。
 母さんと一緒に冷たくなっていくのを感じながら、呟いた。
「全部、俺のせいだったんだな」
 それまでずっと一緒に暮らしてきた母さんが死んで、悲しくないはずがないじゃないか。いくら自分の意思で濁流の中に飛び込んだとはいえ、助けようとした相手や、その日の天気を恨まないはずがないじゃないか。
 なのに俺はその想いを全部封じた。考えてしまったら気持ちが掻き乱されるから。居ても立ってもいられなくなるから。だから母さんの体力は少なかったからと、そういう性格だったからと、それだけにすべてを押し付けて逃げ出していた。仕方がないことだと決め付けてしまえば楽だったんだ。
 用水路の水の冷たさなのか、怪の募らせてきた冷たさなのか、はたまたしがみ付いている母さんの冷たさなのか、いずれにせよ俺の体も心も凍りつきそうになっていた。そんな状態で頭のずっと上の方にある水面を目指すことは出来そうになかった。
「母さんの想いも引き揚げてあげたかったんだけど、もう無理みたいだ。ずっと目を背けて忘れたふりをしていた報いなのかもしれないな」
 俺は抵抗するのをやめた。冷たくなるのに、身も心も委ねることにした。母さんがこの中に俺を沈めようとするのなら、それを甘んじて受けることにしよう。
「そんなの絶対に許さないからね!」
 急に叫び声が聞こえ、誰かが俺に飛びついて来た。その人は更に続ける。
「勝手に思い込むのはやめてって言ったじゃない、鏡夜くん!」
 それは今の母さんだった。まだ俺の母親になって一年も経っていないその人。
「お母さんが自分の子供を氷漬けにしようなんて考えると思ってるの? 亡くなられるときに冷たい心を誰かに押し付けたと本気で思ってるの? そんなわけないでしょう。鏡夜くんが勝手に決め付けているだけ。自分の心が掻き乱されるのがイヤだから、また思い込みで片付けようとしてるんだ」
 そして母さんは決意を口にする。
「たとえ鏡夜くんが辛い思いをすることになるとしても、私はここからあなたを救い出してみせる。前のお母さんがそうしたように!」
 そして俺をしっかりと抱えると、母さんは水面を目指し始めた。でも怪に取り憑かれているわけじゃないためか、その方向がわからない。足掻こうにも結局出来るのは俺がこれ以上冷えないように胸に抱くことだけしかなかった。
 次第に母さんが冷たくなっていく。積み重ねられた怪の想いに触れて、体に氷が張り付いていく。前の母さんと同じように、自分を犠牲にしてでも、俺を助けようとしてくれている。
「――そんなのは嫌だ」
 また母さんを亡くすことを想像して堪らなくなった。母さんが冷たくなりながらも、俺に母としてのその想いを伝えてくれたことでようやく自分の誤解に気付けた。
 母さんたちはその体を冷たくしながらも、その心は温かいままいてくれたんだと。
 次の瞬間、俺は水面から抜け出していた。公園の真ん中で母さんに抱き締められている。まだ体は冷たいかもしれないけれど、氷の付いてしまった母さんを抱き締め返す。
「鏡夜……くん?」
 変化に気付いた母さんが、俺の胸で小さく名前を呼ぶ。俺の気持ちはもう冷たいものなんかじゃない。そのことを伝えるために、頭に手を遣りながらその言葉を口にする。
「母さんは、本当に俺の母さんをしてくれてたんだな。父さんと結婚したからとかそんなのは関係なく、俺のことを大事な息子として見つめてくれていた。そのことにようやく気付けたし、そのおかげで俺は怪を振り払うことが出来た。助けてくれてありがとう」
 母さんはそれを聞いて、俺の胸に顔を押し付けた。そして泣き出してしまった。母さんは俺の母さんをずっとやろうと頑張ってくれていたけれど、まだまだ頼りないところはいくつもあるらしい。
 たとえばこんなところもその一つだと思う。
「若いからこういうのもアリなのかもしれないけど、でもこの髪はちょっと母親のイメージとは離れてるかな」
 俺が撫でている母さんの髪は、脱色されて薄い黄色に染められていた。


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by zattoukoneko | 2013-04-24 21:05 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-3-1


   三.

 夏の季節、まだ夕暮れ時というには早い時間帯。それでも雨雲が太陽を隠してしまっているので周囲はかなり暗くなっていた。空から降ってきた雨粒が、氷に包まれた木々を叩いてきらきらと弾ける。凍りついた公園の中央、そこに膝を抱えて立花先輩がうずくまっていた。
 ここは外だけれど、式場でもある。俺たちは入り口で傘を置いた。柊の着ているウエディングドレスは、父さんが少ない貯金をかき集めて母さんのために買ったもの。そんな大事な形見を雨に濡らしてしまうことを申し訳ないと思ったが、これは自分たちの晴れ舞台なのだと気持ちを入れ替える。
 柊と腕を組み、立花先輩の前に進み出る。先輩は俺たちに気付くと、顔を上げて、目を見開いた。その反応からまだ心は冷え切っていなかったらしいと判断する。一先ずほっとする。
 先輩に向かって俺は粛々と宣言する。
「俺たち結婚するつもりでいます」
「……そっか」
 小さくつぶやいた立花先輩は、その後可笑しそうに笑みを浮かべる。
「でも御薗木君は年齢的にまだ結婚出来ないよね。そうやって冗談を言ってアタシをからかってるんだ」
「そうですね、まだ十八歳になっていないので法律の上では結婚は認められていません。だから『つもり』と言葉にしましたし、それに今の母さんは十五歳で式を挙げたんですよ? 本人たっての希望で、戸籍を入れるより早くそうしたんです。父さんは刑事として危険な仕事に就いていましたから」
「……」
 先輩はしばらく沈黙した。でも俺たちのことをどうしても認めたくない様子だった。
「やっぱり冗談だと思うな。こう言っちゃなんだけど、御薗木君は恋愛事に疎いもん。周りにいる女の子のことをあまり見てなかった気がする。アタシのこともそうだし、柊さんのことだってそうだったよ?」
「その通りだと思います。昨日までの俺だったらこんなこと考えもしなかったでしょう」
 けれど俺は変われた。俺に深く関わってくれた人がいたから。
「先輩が俺に世の中にはたくさんの色があると教えてくれたんですよ。これまでずっと俺は画材屋に並んでいる絵具のようなものしか見てなかった。でも色恋というように、人間関係の中にも色は存在する。考えてみれば当たり前のことですよね。色というのは現象の一つだし、となれば想いが相互に作用し合って色を生み出すことも自然なこと。そのことに目を向けさせてくれたのが、今日の先輩だったんです」
 だから俺はその色が見えるようになったことを先輩に知らせに来た。心を氷の中に閉じ込めてしまったら、それを感じることができなくなってしまうから。その前に伝えなければならなかった。
「この柊との交際も結婚も一時的なものです。彼女に対する想いに気付かせてくれた先輩に伝えるために急がせてもらいました。でも俺は真剣に交際しようかと考えています」
 直後、隣の柊が小さく身じろぎした。先輩には聞こえない程度の声で批難してくる。
「ちょっと、御薗木くん。これは立花先輩を救うための演技という話だったじゃない。あまり嘘を吐くと後で先輩を深く傷つけるわよ」
 その抗議を俺は無視することにした。確かに今はまだ俺も、柊も、心の整理が出来ていない。けれど想いが真剣であるのは本当のことだった。そのことを立花先輩だけでなく、柊にもしっかりと聞かせる。
「ずっと柊の描く絵に憧れていたんです。何度見惚れたことかわかりません。柊は表には感情を表わしませんが、けして心が冷たく凍りついているわけじゃあない。むしろ他の人より豊かなくらいなんです。ただそれを表現することをずっと抑えていて、絵にだけはそれを出すことが出来ていた。今後の柊は気持ちをもっと見せてくれるようになると思います。それを傍で見ていたいと、俺は考えているんです」
 柊が俺の腕をぎゅっと握りしめる。そちらを見たけれど、顔を俯かせているせいで、その表情を知ることは出来なかった。
「買い被り過ぎよ。わたしはそんなに器用じゃない。そんなにうまく変われる気はしない」
「別に何年かかったっていいさ。最初は父さんが柊の気持ちを冷たい底から引き揚げてくれたんだろうけど、その後を俺が引き継ぐ。柊も怪の一件を通じて変わることが出来たと言ってたじゃないか。その変化はまだ終わってなんかないんだよ」
「……御薗木くんも変わったわね。以前からあなたの姿勢は好意に値すると思っていた。自分の目に見えない色を何とか捉えようと頑張っている姿勢は素敵だったわ。少し逃げている部分があったけど、それはもうやめたのね。それどころかわたしの知らない色まで見つけてきた。そんな御薗木くんがこれからどんな絵を描くのか、とても興味がある」
 まだ少し不器用な印象は受けたけれど、それでも十分な答えを貰えた。二人で歩いていく道は、きっと鮮やかに彩られているはずだ。
 俺たちのやり取りを見ていた先輩が、悲しみに満ちた微笑を浮かべる。
「そっか。アタシが立ち止まっている間に二人は前へ進むんだね。仕方ないよね、アタシはまともに動けないんだもん」
 そうやって諦めることで先輩は心を閉ざそうとしている。気持ちを封じ込めてしまえば、辛いことを味わうこともなくなるから。
「でも本当にそれでいいんですか?」
「え?」
「先輩は自分の心を凍りつかせてしまえば辛いことを感じなくて済むと思っている。でもそんなことをしたら、周りの人たちは先輩を置いてもっと先に進んでしまうんですよ? それが嫌だったから先輩は身体を丈夫にしようと考えて、そして怪の力に縋ったんじゃないんですか?」
 これから口にする言葉はついさっき俺の想いを受け止めてくれた柊を傷付けることになるかもしれない。そうだとしても、俺は先輩を助けるために言わなければならない。すべて俺の我が儘だけれど、でも本心でもあるから。
「自惚れでなければ、先輩は俺のことが好きだったはずです。今日そう告白してくれたし、そうじゃなかったらそもそもデートになんか誘わなかったと思います。あのときの先輩は前に進もうとしていた。それに俺は心動かされもした。それだけ輝いていたし、可愛かったんです。その先輩が本当に望んでいたものは何だったんですか?」
「……」
「身体を良くしてみんなと同じ速度で動けること、それだけじゃなかったはずです。好きな人と一緒に街を歩くことや、知らない場所に出掛けること、そしていつかは結婚して家庭を持つことを夢見ていたんじゃないんですか?」
 立花先輩が顔を上げ、鋭い目付きできっと俺を睨みつけた。涙を流しながら悲痛な叫び声を上げる。
「アタシの身体じゃ無理なの! 肺も心臓も、胃も全部ダメになってる。子供を産むのはもう諦めてくださいって医者に宣告された。普通の家庭なんて持つことは出来ない。それに身体も次第に動かせなくなってきてる。手を伸ばしても届かないものだったのに、もうその手も持ち上げられなくなるんだよ? どうやって夢を叶えろって、御薗木君は言うのよ……」
「……先輩がどうやって夢を叶えるのか、あるいは可能なのか不可能なのか、それは俺にもわかりません。でも今日のデートで俺の目を先輩に向けさせたのは、服装や仕草だけじゃなくて、その向こう側に見えた先輩の想いだったんです。たとえその手足が動かなくなろうとも、その想いを向け続けてくれれば俺の横に立つのはもしかしたら立花先輩だったかもしれない」
 けれど先輩がここで心を止めるというのなら、俺たちは先に進むしかない。死んで冷たくなった人の想いをずっと抱えながら生きていくのは無理だから。想いは相互に作用するのだし、冷え切ったものを引きずったままではそのうち自分の心まで動かせなくなってしまう。だから先輩がここで凍るなら、俺たちは置き去りにしなければならない。
 しばらくの沈黙を挟んで、立花先輩がゆっくりと言葉を紡いだ。
「一つ、訊いていいかな?」
 自分の気持ちを確かめるように。氷の殻に閉じ込めようとしていたそれを、もう一度取り戻すように。
「御薗木君に対する想いを持ち続けたら、その隣にいる女性はアタシになる可能性はまだ残されているのかな? こんな病弱で脆い身体でも、温かい家庭を築くことが出来るのかな?」
「まだ柊とは仮の結婚ですからね。心を奪われたら相手は立花先輩にすると思います。身体のことも気にしなくていいです。他の人とは違う形になるかもしれないけど、ちゃんと家庭を持つことは出来るはずです」
「そっか……」
 呟いた先輩は涙を零した。それは氷になることもなく、滴のまま地面へと落ちる。気付けば先輩の周りにあったダイヤモンドダストのようなきらめきも消えていた。
 声を震わせながら、先輩が想いを口にする。
「そんな夢を見せられたら追いかけたくなるじゃない。こんなところで止まっていたくなんてない。アタシも、幸せになりたいもの!」
 そうして泣きじゃくる先輩の姿を、俺は愛おしいと感じた。これだけ熱い想いを抱いているのに、それを身体が弱いからと封じてしまうのは本当に勿体ない。俺はその純粋で活き活きとした心の動きをずっと見ていたいと思った。
 先輩とのやり取りを隣で聞いていた柊が、いつもの口調で俺のことを馬鹿にする。
「御薗木君は罪作りね。もっと端的に表わせば浮気者よ。女性の気持ちを弄んで、これからどうなるかわかっているのかしら」
「弄んでいるつもりはないんだけどな。全部正直な気持ちだし。でもふわふわと浮ついているってことは認めざるを得ない気もする。これから整理していかないと」
「そうね。先輩の身体のことも気になるし、青葉さんとのこともある。もちろんわたしとの交際を続けるのかどうかについてもきちんと考えてもらわないと」
 台詞は俺を批難しているものだったけれど、その口調はどこか楽しげだった。俺に無理矢理巻き込まされた柊は、きっと他のみんなの想いに触れることで世界が広がったんじゃないかと思う。これまでずっと自分の想いを閉じ込めていたから、他人の想いに触れることもほとんどなかったんだろう。それが変わりつつある。
 雨は降り続いているけれど、夏の雨はそこまで冷たくない。ずっと体を濡らし続けていれば凍えてしまうだろうけど、今は優しく俺たちを包み込んでくれているような、そんな感じがした。
 そしてそんな雨の中、とさっと軽い音がした。
 音の方をした方を向くと立花先輩が地面に伏していた。
「先輩!」
 慌てて駆け寄ると、先輩は浅い呼吸を繰り返していた。喘息の発作じゃない。体力を使い果たして、身体が軋みを上げているような感じだった。
「怪の力を使って無理に動いていたから、その反動が来たのかもしれないわね。元々身体が弱いかったのだし、命に係わるかもしれない。救急車を呼びましょう」
 そうして柊が少し離れる。それに合わせたかのように、立花先輩が微かに手を持ち上げた。俺はその手を迷わずに取った。
「御薗木くん、ありがとう。でもね、この冷たさを君は知らない。それじゃあダメだよ。だから……アタシから分けてあげる」
 次の瞬間、冷気に包まれた。体に当たる雨粒が弾けた瞬間に氷の欠片に変じる。
 芯の方まで体が冷えた頃になって、ようやく気付いた。消える直前の怪を立花先輩から移されたのだと。


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by zattoukoneko | 2013-04-15 23:42 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-2-2


 自宅に着いてインターフォンを鳴らすと、すぐに家の中を慌ただしく駆ける足音が聞こえてくる。ドアを開けた母さんは、一枚のバスタオルを用意してくれていた。
「鏡夜くん大丈夫だった? 急な雨で濡れちゃったでしょう」
 そして俺にタオルを渡した直後、他にもう二人いることに気付いて踵を返す。
「紗樹さんと真琴ちゃんの分も用意しないとだね。廊下濡らして構わないからリビングにどうぞ。替えの服も必要そうだし、お風呂も沸かした方が良さそう」
 ばたばたと廊下の奥に姿を消す母さんを見送りながら、俺は柊と真琴を家の中に招き、手に持たされたタオルを柊に渡そうとした。
 すると柊は呆れたようにその行為を批難する。
「もう少し気が遣えるようにならないとダメね。タオルはわたしじゃなくて、許斐さんに渡しなさい。セーラー服は濡れると簡単に透けるんだから」
 言われて真琴がずっと胸の前で鞄を抱えていることに気付く。確かにそういうことに俺は疎いようだ。改めてタオルを真琴の方に差し出す。
 俺たちがリビングに入るのとほぼ同時に、母さんがさらにバスタオルを持ってやってきた。お風呂のお湯も急いで沸かしたとのことなので、まずは真琴を送り出す。
「真琴ちゃんに合う服はさすがにないから、制服を急いで乾かしちゃった方がいいのかな。本人が嫌でなければ、鏡夜くんの昔の服を引っ張り出してくるというのもアリかもしれないけど。沙樹さんは私の服で構わない? 年齢も近いし体格もそんなに変わらないと思うんだけど」
 柊に尋ねる母さんに、割って入ってお願いをする。
「そのことなんだけど、替えの服というか、柊には母さんの持っている別の服を貸してあげて欲しいんだ。大事な物だというのはわかってるし、その格好でまたこの雨の中に出ていくのも気が引けるんだけど」
「何かあったの?」
 訝しげに訊いてくる母さんに、俺は立花先輩が怪に取り憑かれてしまっていたことを手短に話す。そして助けるためには、母さんの私物が役立つだろうと考えていた。
 借りたい衣装について告げると、むしろぎょっとしたのは柊だった。
「本気でそれをわたしに着せようとしているの? 御薗木くん、正気?」
 彼女がそんなに戸惑うのも珍しい。一応母さんから服を借りて改めて立花先輩のところに向かうとは伝えてあったけれど、その服が何かまでは教えてなかった。でもそのくらいの印象があった方がいいと思うし、なければ立花先輩は助けられないのではないかとも感じる。
「先輩は自分の殻に閉じ篭ろうとしている。しかも怪に乗り移られたことで、その殻は厚くなっている。それを破らないと先輩は助けられないわけだけど、でもそれをやるのは俺たちじゃない。先輩自身が自らの手でやらないと、いつか同じことを繰り返してしまうと思うんだ。俺たちがやるのは殻の隙間から、中にいる本当の先輩に印象的な姿を見せること。そしてそうすることで先輩が凍らせようとしている気持ちを、殻のずっと奥の方から引き出さないといけないんだ」
 俺と柊のやり取りを横で聞いていた母さんは、人差し指を唇に当てながらぽつりと言った。
「なら鏡夜くんもきちんとした格好をしなきゃだよね。お父さんの服も取っておいてあるし、それが使えると思う。さすがにクリーニングに出すのは無理だけどね。それにお風呂にゆっくり入って体を温めて、そして雨でぐしゃぐしゃになった髪もきちんと整えないと」
「え、それは。確かに父さんの服は借りた方がいいと思うけど、立花先輩を探す時間もあるし、俺は風呂はいいよ」
 先輩は冷たいところに行くと言っていたが、俺にはそれが何処かわからない。急いで探さないとならないわけだし、この雨の中また走り回るのなら、今ゆっくり湯船に浸かって体を温めても意味はないと思う。
 けれどその考えに母さんは怒って反論する。
「冷たいところに行くのなら、尚更体を温めないとダメです。それに母としては自分の息子が体を壊さないか心配するのは当然のことでしょう?」
 俺としては自分の体より先輩の方が気になるし、だから時間も惜しいのだけれど、でも母さんは頑なな態度を変えてくれそうにない。
「御薗木くん諦めて従いなさい。青葉さんの仰ることはもっともだわ。それにわたしが用意するのにも時間がかかるだろうし、その間にお風呂で体を温めればいいだけのことよ」
 渋っていた俺を柊はそう諭すと、今度は母さんに向き直った。
「青葉さんは以前にお邪魔させてもらったときと、また印象が変わりましたね。前は仲の良い家族でしたけど、今はしっかりと母子をやっている」
 母さんは柊の言葉に微笑みを浮かべて返す。
「色々考えさせられたから。まだまだ鏡夜くんのお母さんをきちんと出来ているか疑わしいところはあると思うけど、それもどんどん変えていくつもり。おままごとはそろそろ終わりにしなきゃ」
 その言葉を聞いて柊は少しの間何事か考えていた。それから母さんに問いかける。
「この前青葉さんに怪に取り憑かれたかどうかをお尋ねしました。体や心が冷たくなる感覚はあったようですし、怪に触れたのは間違いないと思います。でもその想いは見ましたか? あれが生まれてからずっと抱えている映像を目にしましたか?」
「そこまでは見てないかな。沙樹さんの言っている状態がどういうものなのかわからないから断言は出来ないんだけど、あのときは目の前にいるお父さんのことばかりに意識が行ってたから」
「そうですか。それだけ聞かせてもらえれば十分です」
 柊は一つ頷くと、母さんの目をしかと捉えて告げる。
「青葉さんが御薗木くんのお母さんになろうとするなら、この怪の一件はそのための通過儀礼になるかもしれない。だから――」
 そこまで口にしたところでリビングのドアが開く。真琴が風呂から上がったらしい。ただ中には入って来ずに廊下でもじもじとしている。
「あ、ごめん! 替えの服を用意してなかったね。今すぐ準備するから」
 慌てる母さんに、柊が告げる。
「ではわたしが次にお風呂をいただきます。話の続きは出掛ける準備をしているときにでも」
「わかった。じゃあその間に鏡夜くんは自分の着る服を用意してくれるかな? お父さんの洋服が片付けてある場所は知ってるだろうし」
 そう指示を出すと、母さんは真琴を押すようにしてリビングから出ていった。残された俺は浴室の場所を柊に伝えると、父さんの服や遺品がしまってある二階へと足を向けた。
 それから一時間くらい。柊が出た後の浴室で、ともすれば急いてしまいそうになる心を落ち着かせながら、俺は母さんの言いつけ通りに体をしっかりと温めた。風呂上がりに洗面台に映った自分の顔に血行が戻ってきているのを見て、確かに青白い表情のまま立花先輩のところに行っても何の魅力もなかったろうなと、己の浅はかさを反省した。
 ネクタイを締めながらリビングに入ると、柊は服を替えて長い髪の毛を母さんに纏めてもらっているところだった。ソファでは真琴が俺がずっと前に着ていたポロシャツとジーンズに身を包み、コーヒーカップを口につけて二人の様子を眺めていた。ジーンズは中学に上がったばかりの頃に使っていたものだと思うが、それでも真琴には尺が長過ぎたのか、裾を幾重にも折り畳んでいる。
 俺の準備は整ったが、柊の方はまだもう少しかかりそうだ。空いているソファに腰を下ろすと母さんに話しかけた。
「今はこうして柊と付き合うことになったけど、一段落付いたら母さんのことも見つめ直さないといけないよな。母さんは俺の母さんである前に、年齢の近い年頃の女性なんだし。ようやくわかったけど俺はそういうのを見ないまま物事を片付けてきてたんだ」
 いつも茶化すようにそのことを指摘していた母さん。一人の女性として俺が異性を意識しなくなっていることを見抜いていたんだと思う。それは俺がいつもやってしまう『そういうものだから』と片付ける悪癖の一つだったわけだ。今ならそのことがよくわかる。
 俺の言葉に、母さんは優しさと、悪戯心を混ぜた微笑みを浮かべる。
「鏡夜くんが仮に私のことを好きになってくれたとして、でもまだまだ私はお父さんのことが好きだから、その恋は実らずに玉砕しちゃうね。それに何より鏡夜くんのお母さんでありたいとも思っているし。ただ確かに一度は若い女の子として捉えてももらいたい。同じ屋根の下で暮らすんだもんね。意識して当然だし、そこは折り合いが付けられるのかどうか悩んで欲しい。そんな感じに女心って複雑だからさ」
 そして柊の髪を纏めるのに使っていたドライヤーをこちらに向ける。距離があるから微風だったけれど、温かな風が顔を撫でる。
「そんな複雑な女心を持つお母さんから鏡夜くんには文句を言わねば。一人の女性として見てくれるという発言は嬉しかったけど、それはこの場で口にすることじゃないと思います。女性の心を弄ぶ悪魔のような男だと主張!」
「それは……この場合仕方ないというか。事情が事情なんだし」
「言い訳がましいわよ御薗木くん。実際わたしというものがありながら、他の人に色目を使ってるんだもの。批難されて当然だわ」
 いつものように表情を変えないまま、柊まで俺を糾弾する。内心面白がっているのではないかと疑いもしたが、それを明確にわかるようにしてくれないし、正論でもあるからぐうの音も出ない。
 そのとき柊はちらりと視線を横に遣ったように見えたが、それも一瞬のことですぐに言葉を続ける。
「けれど確かに整理は必要なのでしょうね。その一つでもあり、大きなものでもあるのが立花先輩との関係。御薗木くんはそれに対してきちんとした答えを出さなければならないし、そうしなければ先輩も納得しないでしょう。それは他の人についても言えることだわ。周りにはたくさんの女性がいるのだし、その中から考え抜いた上で一人の相手を選び抜いたというのでなければ、わたしも含め誰しもが認めない。それは時間のかかることかもしれないし、急いだせいで間違った答えを出されても困るからじっくりと悩んで欲しいのだけれど、だからといって遅くなっていいというものでもないわ」
「……そうだな。心に留めておくよ」
 俺が頷くのを確認すると、柊は自分の髪を預けている母さんに話しかける。
「先程の話の続きですけど、青葉さんにとっても怪の一件は重要な関わりがあるものになると思います。ですからわたしたちと一緒に立花先輩のところへ同行してもらえたらと考えているのですが」
「それは……怪がお父さんと関係があると受け取っていいのかしら?」
 いったん作業の手を止めて問いかけた母さんに、柊はゆっくりと首肯した。
 母さんは落ち着いた様子で覚悟を決めたようだった。手を動かすのを再開しながら、それを口にする。
「私にも整理をしなきゃいけないときが来てるってことだね。わかった。行くことにする。でも真琴ちゃんをうちでずっとお留守番させておくわけにもいかないし、まだ雨も降り続いてるから、家まで送り届けてからだね。それもお母さんとして疎かには出来ない務めだし」
 そして柊の準備が整ったと俺に告げる。
 柊は座った状態で、そっとこちらに手を差し伸べた。
「じゃあ行きましょうか、御薗木くん」
「行くのはいいけど立花先輩の居場所に心当たりはあるのか? 母さんが後から来るというなら尚更場所を絞り込んでおかないと」
「それなら問題ないわ。立花先輩は自らを凍らせるために冷たい場所に行くと言ったのでしょう? この町でずっと冷気を帯びたまま氷に閉ざされている場所は一つしかないわ」
「……父さんの死んだ公園か」
 俺の推測に柊は頷いて応える。どうやら怪はあの場所で決着を付けようとしているらしい。
 望むところだ。父さんはあの場所で命を落としたが、俺は生きて立花先輩を救ってみせよう。父さんが達成できなかったことを成し遂げてみせる。
 覚悟を決めると俺は目の前の柊の手を取った。
 白いウエディングドレスに身を包んだ柊が、俺に導かれてゆっくりと立ち上がる。


   『世界を凍らす死と共に』3-3-1へ
by zattoukoneko | 2013-04-15 23:41 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-2-1


   二.


 局所的にとはいえ、立花先輩が急激に気温を下げたからだろうか、あるいは他の想いでも作用したのだろうか。ほんの少し前まで夏の空が頭の上には広がっていたのに、今ではその重量を感じるほどに、どんよりとした雲が下がってきていた。道を急ぐ俺たちの頬にも時折水の滴が当たる。この調子だと本降りになるのも時間の問題というところか。
「急いだ方が良さそうだな。先輩のことも探さないとならないし」
 歩速を速める俺たちは、しかし先輩の後を追っているわけではなかった。その前に用意するものがあって、一度俺の家に向かっている。
 隣を走る柊は、未だに眉根を寄せて難しい顔をしている。
「御薗木くんが真剣なのはわかったから彼女として付き合うことに了承したけれど、あまりに唐突な話だし、この一件が終わったらわたしも気持ちの整理を再度させてもらうことにするわよ?」
「わかってる。俺自身もいきなり飛躍し過ぎたとは思っているし、だから俺の方でも整理をする。立花先輩ともゆっくり話をしたいと考えてるし」
 急な告白に、柊は一応の承諾をくれたのだ。ただ俺の感じたことや思ったことを聞いてもらう前に、一度ナイフを突き付けられた。でもそれもご愛嬌という気がする。彼女がそういう行動に出るということは容易に想像が付くことだし。
「ともかく今は立花先輩を早く助けないとだな。俺の考えが正しければ、すぐに怪と共に凍りつくことはないと思う。だからといって悠長に構えていることもできない」
 先輩はこの世にまだ未練がある。怪に乗り移られながら口から漏らした言葉は、少々まとまりに欠けていたように感じられた。つまり台詞群には本心の部分と偽りの部分と、怪によって導かれた冷たい部分とが混在していたのだ。立花先輩にはまだこの世界や、自身のことを凍らせてしまう覚悟が出来ていない。仮に完了していたならあの場で俺たちごと氷漬けにしていたのではないだろうか。
 この世に未練が残っていて、それがこれまでの言動として現れていたとしたら。そこをきちんと捉えることが出来れば、先輩を怪の冷たい想いから救うことができるはずなのだ。立花先輩にその未練をもう一度自覚してもらうため、俺と柊にはやることがある。家に向かっているのはその準備が簡単にはできないものだからだ。
 先輩と邂逅したところから、大分住宅街の中に入ってきた。あと十分ちょっとで家に辿り着くだろう。そこで柊が何かに気付いたようだった。
「あら?」
 耳に入った声に何事かと振り返る。彼女の視線の先を追うと、見知った姿がそこにはあった。
「真琴じゃないか」
 まだ身体上では男の子と女の子の区別が明確にはついていない年頃。学校の制服でスカートを穿き、短い髪に小さなピンがなければ面識のない人間には間違われてもおかしくない気がする。
 人通りが少なかったために閉店してしまった煙草屋の軒先で、真琴は雨宿りをしていた。どうやら傘は持っていないらしい。確かにここから家までは距離がある。だからといって待っていても雨は当分の間降りやまないように感じられたし、むしろ強まるだろう。帰るなら今のうちだと思うのだが、当の相手はぼんやりと雨空を眺めているだけだった。
「何やってるんだ、あいつ?」
 放っておくわけにもいかないだろう。若干離れてはいるものの、こちらから真琴が視認できるように、向こうからもこちらを確認出来るわけだし。寄り道というほどにはならないだろうと考え、俺は足の向きを変えた。
「御薗木くんは彼女と知り合いなのかしら?」
「ああ、許斐真琴っていう近所に住んでる中学生。小学校の頃に通学班が同じだったんだ。でもよく真琴が女の子だってすぐにわかったな」
 昔から真琴は男の子に間違えられていた。容姿のこともあるけれど、しょっちゅう悪戯ばかりしていたし、家の塀を壊して庭を滅茶苦茶にしたこともあったから、顔を見たことがある程度の人はずっと誤解をしていたらしい。
 でも今の真琴は女子用の制服を着ているのだと、俺は気付いた。それなら柊が性別を正しく判断できたとして、何らおかしくはない。
「いえ違うのよ。あの子とは一度会ったことがあるの。そのときは私服だったから、御薗木くんの言う通り男の子に勘違いをしてしまって、大変失礼なことをしてしまったのだけれど。……そう、御薗木くんとは以前から知り合いだったのね」
 最後はほとんどつぶやきだった。何か思案している風の彼女の様子が多少気になりはしたものの、その頃には真琴の元に辿り着いていた。向こうもこちらに気付く。
「あ、鏡にい」
「どうした真琴。雨宿りしてても意味ないと思うぞ? それにどうして休日に制服なんだ?」
 声をかけてきた真琴には、いつもの元気がない気がした。人見知りする性格だから柊がいることが関係しているのかとも思ったけれど、それにしても覇気がない。
「制服なのは学校に行ってたからだよ。文化祭が近いからさ、その準備」
 それだけ答えると、真琴は再び雨粒の舞う空を見上げた。
「いつもなら折り畳みの傘を持ってるんだけど、今日は荷物が多いから置いてきちゃったんだよね。早くランドセルから卒業したいと思ってたけど、脇にも荷物がぶら下げられたのは便利だったなって、今くらいは思うよ」
「らしくないな。確かに俺の記憶にも、雨の日に真琴が傘を差さずに歩いている姿はないけど。でもいつも元気があり余り過ぎて周りに迷惑かけてるお前なら、このくらいの雨の中走って帰りそうな感じがするけどな」
「……鏡にいはやっぱり覚えてないのかな」
「うん?」
「小学校に入学したばっかりのこと。あの頃の僕がどんなだったかとか、鏡にいが言ってくれたこととか忘れてる」
 その言葉に、最初に真琴と出会った頃の記憶がないことを自覚する。いつの間にか悪戯ばかりしている真琴を、俺が面倒を見るようになっていた。通学班の班長をやっていたから、それが当然のことだと思っていたけれど。
「鏡にい、僕が小学校に入学してからしばらくの間は、まだ班長じゃなかったじゃん。六年生じゃないもん」
 真琴が苦笑しながらそう指摘する。
 言われてみればその通りだ。ならどうして俺は真琴の世話係みたいなことをやり始めたんだろう? 俺の疑問に真琴が懐古しながら答える。
「小学校に上がった頃の僕は全然元気なかったんだよ。塞ぎ込んでたっていうか、そんな感じでさ。それを気に掛けてくれたのが鏡にい。元気なんて自然に出るもんじゃないけど、とりあえず表面だけでも明るく振る舞ってみたらどうだって。その頃には鏡にいの目だと色が見えないこととか、お母さんが死んじゃってるってことを知ってて、そんな状況でも他の人と普通に登校してる相手が言うならって、無理して明るく振る舞ってみることにした。結局無理矢理元気出してるだけだから暴れてるみたいになっちゃって、それで助言した鏡にいが、仕方ないから面倒見るってなったんだよ」
 そんな示唆を与えたことなんてまったく覚えていなかった。けれど真琴と俺は四つ差だし、だから小学五年生の春頃から知り合いだったということだ。確かに思い起こしてみれば、通学班班長になる前から俺は真琴の面倒を見ていたし、真琴自身も俺には特に遠慮なく悪戯していた気がする。そして記憶の中にある真琴が悪戯を繰り返している姿は、夏頃からのものだ。それ以前は真琴の姿を記憶の中に見つけることすらできない。
「多分、髪型が違ったから思い出せないんじゃないかな。鏡にいは僕がずっと髪の毛短かったと思ってるんじゃない? 実は入学した頃は、他の女の子と同じで髪の毛長かったんだよ」
 髪を伸ばしている真琴の姿なんてさっぱり思い出せない。さらには「そういえば自分のことを僕って言い出したのもかなり後だったかも」なんて言う。
「すまん、全然覚えてない。子供の頃のことだったから、なんて言い訳にならないよな。真琴はもっと小さかったんだし」
「鏡にいにとっては、特に何も意識しないでやったことだったんじゃないかな。それが自然なことっていうかさ、だから覚えてないんだと思う。でもお母さんも亡くしてて、色を見る目まで失ってて、それでも明るく話かけてくれる鏡にいの言葉だったから、僕は信じる気になった。実はさ、髪の毛を短くしたりしたのは同じ男になれば、鏡にいとももっと遊べるんじゃないかって考えたからなんだよ」
 笑顔でそんな告白をした真琴は、けれど次には表情を暗いものにしていた。
「でもそんなことくらいじゃ男になんかなれない。世の中そんな思い通りになんかいかないってことだよね。鏡にいはすぐに小学校卒業しちゃったし、中学に上がっても鏡にいはさらに高校に進んでるしさ。こっちは会えない間に色々考えたし、再会してからも自分の中では変化があったのに、周囲はそれに付いてきてくれるとは限らない。そういうところ、世の中理不尽だし、不条理だらけだって思うよ」
「うん?」
 どうしてそこで理不尽とか、最近真琴の口癖になっている不条理という単語が出てくるのだろう? 唐突に感じられたから思わず首を捻ってしまった。
 それを見た真琴が舌を出して憤慨してみせる。
「鏡にいが鈍感ってことだよ、バーカ!」
 いつもだったらここで脛でも蹴ってくるところだろう。けれど今日の真琴にはそんな気配はなかった。代わりに上空を見上げ「あ」と小さく声を漏らした。急に雨足が強くなったようで、軒先や道路を叩く音が大きくなる。
「帰るの大変になりそうだな。しばらく止みそうにないし、実は俺たちにも急ぎの用事があるんだ。濡れるのは諦めて、とりあえず俺の家まで走ろう。真琴はそこで雨宿りをするなり、傘を借りてすぐに帰宅するなり、自分の好きな方を選んで。少なくともここよりはずっとマシだから」
「……うん」
 半ば消え入りそうな声で真琴は承諾する。制鞄を胸の前に抱え込んで、雨の中に出る覚悟を決める。
「雨は嫌いだ」
 その呟きに、それまで俺たちの会話を黙って聞いていた柊が静かに呼応する。
「雨の日は、嫌なことを思い出すものね」
 真琴は応えない。そしてそのまま雨落ちるアスファルトの上に身を投じた。


   『世界を凍らす死と共に』3-2-2へ
by zattoukoneko | 2013-04-15 23:40 | 小説 | Comments(0)

『世界を凍らす死と共に』3-1-2


 体が温まって動けるようになるまでかなりの時間が必要だった。急激に冷やされたせいか末端の血管が縮こまり、まともに血が流れない。ようやく感覚の戻ってきた指先は痺れるように痛く、痒みすら伴っていた。
 柊は少し離れた場所でうずくまっている。近寄りながら安否を問う。髪に付いたままの氷を手で払い、霜だらけになった眼鏡を外しながら、彼女は答えた。
「別に命にまで別状はないわね。でも生まれて初めて霜焼けなんかになったわよ。わたし寒さには強いはずなのだけれど」
 立ち上がった柊は、サバイバルナイフを服の中にしまいながら言葉を続けた。
「結局怪を逃してしまった。わたしも今ではただの人だものね。ある程度の記憶や感覚が残っているとはいえ、取り憑かれていた頃のように動くことは出来ないし、怪そのものを相手にするのは難しいのかもしれない」
 口ではそう言うものの、彼女からは怪に直接対峙するという考えを改めるという気配は感じられなかった。憑かれている人を殺してでも、その醜悪な想いを止めなければならないと思っているのだ。
 けれどそれは思い込みだ。彼女の家庭環境を考えればそれも仕方ないのかもしれないが、想いというのはそんなに単純じゃない。柊は立花先輩をほとんど知らないが、俺は知っている。おかげで気付いたことがあった。彼女にそれを告げる。
「立花先輩は怪から柊の抱いていた想いを受け取ったかもしれない。でも先輩は先輩だ。柊とは別の想いを持っていて、だから怪とも違う付き合い方をしている」
「……どういうこと?」
「想いは積み重なるし相互に作用しあう。頭では理解していたつもりだったけど、実際に強いものを目の当たりにすることで、その意味がようやくわかった。喩えるなら絵具のようなものなんだ。同じ絵具でも、混ぜるものを別のものにすれば、作られる色は異なるものとなる」
 そして柊と立花先輩は真逆といってもいいくらいに異なっているのだ。柊は幼少期から抱えていた激情を、厚い殻で覆い冷やし隠そうとしていた。一方の立花先輩はともすれば諦めによって凍って動かなくなってしまいそうになる気持ちを、明るく振る舞うことで溶かそうとしていた。冷たいものが外にあるか内にあるか、そこだけに注目しても二人は全然違う。
「けれど立花先輩は現にわたしたちを怪の力でもって殺そうとした。意識も曖昧だったし、乗っ取られていると考えた方が自然だわ」
「それは違う。意識は確かに定まっていなかったようだけれど、きちんと自分の気持ちを口にしていた。それに殺そうとしたかどうかなんてわからない。むしろ俺たちは生きていることに注目すべきなんだ。怪に取り憑かれていた頃の柊だったら、身動きもまともに取れない俺たちを見逃したか?」
「それは……」
 俺の指摘に柊が言い淀む。殺人を繰り返していた彼女の姿を俺は知らないが、怪にまつわる言動をつぶさに観察していれば、そのくらいの推測は出来る。
 それに俺には立花先輩が怪に操られているわけではないという確信がもう一つあった。去り際に先輩は泣きながらありがとうと言ったのだ。あれが偽りの言葉だったり、別の誰かの気持ちだとは到底思えなかった。
 柊は唇に手を当ててしばらく考え込んでいたが、最後には頭を振った。
「確かに今の立花先輩は怪に意識を奪われていないかもしれない。わたしも両親を殺すまでは自分の意思で動いていた部分が強かったし。でも怪の想いはとても大きい。放置していれば、いずれ世界を冷たいものに変えようとするはずよ。御薗木くんの考え通りならば殺人によってではないかもしれないけれどね」
 その意見はおそらく正しい。先輩が俺たちに怪の冷気を向けたのは、そこに望んでいる温かさを垣間見たからなのだ。そういうものが近くにあると、どうしても自分の内にある冷たさを意識してしまう。だから防衛反応として周囲の温度も下げてしまおうとしたのだろう。怪の想いに先輩の意識が押し潰されれば、そのようなことを繰り返していくことになってしまうのかもしれない。
 でも先輩はそうならないようにしようとしている。おそらくは柊から持ち去られた想いから事件のことを知ったのだ。だから意識のあるうちに怪を封じようとしている。
「先輩は一人で冷たいところに行くと言っていた。それがどこかはわからないけど、そこで自分の想いごと凍らせて動けなくしてしまうつもりなんだと思う」
 結局諦めることにしたのだ。怪に縋っても、身体を丈夫にすることが出来なかったから。自分が死ぬことを受け入れて、それまで何とか温めようとしていた自分の気持ちを氷の中に封じ込める。もしかしたらそのときに怪の力を使うのかもしれない。希望をすべて捨て去ることは難しいし、苦しいことだから。
 ただそこまで追い詰められて、決意したという先輩のことを思うと、胸が締め付けられた。
「でも立花先輩がそうしてくれるのなら怪の脅威は収まる。自分でも酷いことを口にしている自覚はあるけれどね、でもわたしの望みは果たされる」
 柊を糾弾する気はなかった。元々怪を鎮めることを彼女は考えていたのだし、それに一瞬だけ揺らいだ瞳を俺は見逃さなかったから。
 そこで思わず溜め息が漏れた。俺は自分を変えようとして、多少はみんなのことを知ることが出来た気になっていた。けれど結局のところは全然駄目だったということだ。知ったと思っていたのは表面的な部分だけ。本当はもっと深いところまで目を向けていて、それに気付いてすらいたのに、きちんと考え、受け止めることをしていなかった。今頃になってようやく自分の愚かさを知る。
 立花先輩は身体を丈夫にしたいという希望を口にしながらも、実際には周囲に取り残されていくことを怖がっていただけだった。所々で先輩はその本当の想いを口にしていた。今から振り返ればそのことに気付ける。
 柊も同じだ。怪のことなんて本当はどうでもいいはずなのに、自分の気持ちに嘘を吐いていて、そのために決着をつけなければならないことを見失っている。父さんに助けられて、多少は変わることが出来たのかもしれないが、見るべきものからまだ目を背けて続けている。
 俺はそこまで自分の中を整理すると、やるべきことを見つけ、決意を口にする。
「先輩を助けることにする。想いを知っておきながら、それを見捨てることなんて俺には出来ない」
「その辺り、御薗木くんは亡くなられたお父さんにそっくりね。でもどうやって助けるつもりなのかしら? 立花先輩に取り憑いた怪を引き離す方法は思い付いているの? 当てがないならわたしは止めるわよ。自ら凍りついて動かなくなってくれるのならそれで構わないもの」
「方法はある。それで上手くいくだろうという確信も持ってる。ただし一緒に柊の性根も叩き直すつもりだけどな」
 二人が自分勝手に行動するつもりなら、俺は俺のやろうとしていることにみんなを巻き込んでやろう。色が見えなくなって、単色の世界の寂しさを知っているからこそ、そうしてやりたい。
「意味がわからないのだけれど、一体何をするつもりなのかしら?」
 問いかけてきた柊に、俺は返事をする代わりに一つの質問をした。
「柊は女だよな?」
「……馬鹿にされているのかしら。あまりに冗談が過ぎると、怪の代わりに御薗木くんを刺し殺すわよ」
 眉間に皺を寄せている彼女に、心の中で冗談を言っているのはどちらかと苦笑する。
 でもそれでいい。俺は先輩が別れ際に口にした最後の言葉を思い出しながら、柊に気持ちを伝える。
「俺と付き合って欲しい。彼女になってくれないか?」
 直後に見た表情を、俺は一生忘れないと思う。あの柊でもそんな顔が出来るのだと知れて、堪らなく嬉しくなった。


   『世界を凍らす死と共に』3-2-1へ
by zattoukoneko | 2013-04-15 23:39 | 小説 | Comments(0)


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