カテゴリ:社会・経済( 23 )

人権・平等問題 Part. 2

◎ 障害者などへの人権・平等概念の適用
・ 狼少女の話をみなさんはご存知でしょうか? テレビなどでもよく取り上げられるので、観たことがあるかもしれません。
狼少女は(いくつかの地域で見つかっていますが、一番有名なのは)南アフリカで見つかった姉妹です。どうやら生後まもなく捨てられ、その後狼に育てられました。彼女たちは10歳くらいの年齢のときに発見され、村人に「保護」されます。その姉妹の面倒を見ることになったのが近くのカトリック教会の牧師でした。
牧師はなんとか人間らしい生活をさせてあげたいと考え、服を着せること、ナイフとフォークを使うこと、言葉を話すこと、などを教えようとします。しかし狼に育てられた少女たちにとってそれはとても苦痛なことであり、服もすぐに破り捨て、食事も犬のように摂ります。
結局妹の方は数年後死んでしまいます(死因は不明だと思います)。服は何とか着られるようになったと記憶していますが、食具は使えないままでしたし、当然言葉もしゃべれませんでした。
姉の方はもう少し長く生きます。それでも成人してまもなくしてやはり死んでしまいました。こちらは服も着られるようになり、二足歩行もできるようになりました。ナイフやフォークも使えたようです。言葉はいくつかの単語は覚えたようですが、残念ながら文章を書いたり、まともに話すところまではいかなかったようなので、彼女たちが狼に育てられていた時代の心情や、その後村で人として暮らすようになった後の気持ちに関しては記録が残っていません。
と、ここで大抵の番組では話が終わってしまうのですが、その後もう少し話が続きます。
少女たちを引き取った牧師は、彼女たちの死後非常に思い苦しみます。自分は人間らしく生活させるのがよいことだと思った。しかし果たして本当のそうだったのだろうか? 狼として育てられたのだから、そのままの生活をさせてやったほうがよかったのではないだろうか? そんな風に悩みます。
先述の通り、狼少女たちの気持ちは何一つ記録が残っていないので、牧師の悩みが正当なものかどうかは決めかねます。しかし一考の余地のある話ではないでしょうか?

・ 地下に閉じ込められていた少女
こちらはアメリカの話になります。この少女は物心のつく前に父親に地下へと閉じ込められ、そこで生活することになります。唯一人と接するのは父親が食事を持ってくるときだけでした。
この少女はやはり10歳くらいの頃に発見され、助け出されます。この人物はその後も長く生き続け、成人してから言葉を残しています。「地下から助け出してもらえてよかった。今のように普通の人と同じように人間らしい生活ができることを幸福に思う」と。
しかしこの言葉を鵜呑みにしてしまっては問題です。なぜならこの言葉は、助け出されたから十年以上経ってから発言されたもの、だからです。
すなわち、地下に閉じ込められていたときに思っていた感情とは違う可能性が高いということです。当然のことながら、助け出されてから「この生活こそいいものだ」と(暗にかもしれませんが)教え込まれているはずです。そしてその生活に馴染んでいるはずです。人の記憶は容易に変わります。地下に閉じ込められたいた少女の気持ちは、まさにそのときに聞かなければわからないのです。
もちろん地下よりは物の豊富な地上での生活の方が楽しいと感じるかもしれないので、何も彼女の言葉を真っ向から否定するつもりはありません。けれど狼少女の話と同じで、閉じ込められていてもそれなりの幸せは感じていたのかもしれません。それをすべて「そんな考え方は間違っている」と否定してしまっていいのでしょうか?

・ 障害者にとっての平等
ここでは生まれつきの障害を持っている人に話を限らせてもらいます。事故などで障害を背負った人まで含めてしまうとややこしくなってしまうので。
現在では障害者も健常者と平等で、なんら変わりない人間だとされていますが、残念ながらそううまくはいきません。障害を抱えている人は、どうしたって健常者より劣っている、ハンデを抱えていると思ってしまいますし、少なくともコンプレックスは感じていることでしょう。それも仕方ないじゃないですか、他人とはどうしたって違うのですから。
ただ障害者の多くは自分のこのコンプレックスを乗り越える経験をします。それは大抵の場合は、自分の障害を「個性」だと思うことによって解決します。これをルサンチマンの克服などといいます。
一つわかりやすい例を挙げておきます。(残念ながら以前PCが壊れたときにデータが消えてしまったので名前やリンク、写真が消えてしまい、細かく紹介できないのですが)アメリカに三本の脚を持った男性がいました。健常者の二つの脚と、お尻のところにもう一本脚が生えていると思ってください。彼はやはり少年期にその体にコンプレックスを抱いていたのですが、あるとき病院で一本足の少年に出会います。その子に彼は言われました。「脚がたくさんあっていいね」。その言葉で彼の人生観は180度変わります。それまでは自分の余計な脚を邪魔物だと思っていました。しかしこれは自分にとっての個性であり、特長であると考えるようになるのです。それ以来三本脚を巧みに利用して、友人と球技を楽しみ、最終的にはサーカスに入団し、その三本脚を利用した芸を見せて人気を博します。特に、「僕は椅子がないところでもいつでも座れるんだ」と言って三本の脚を広げ、座ったように芸が名物でした(三つ脚の椅子はこの芸を見た職人が、その安定性に注目しつくったものだと言われています)。
このように、障害者は自分の障害をハンデとしてではなく「個性」としてみなすことによって、自分のコンプレックスを解消するのです。
しかし現在の障害者への接し方には問題があります。今なお健常者の多くは障害をハンデとして見てしまいがちです(バリアフリーなんていうのは典型ですね)。しかし障害者にとってはそれは余計なお世話というものです。手足があろうとなかろうと、普通の人間のように生活できるのです(ただ社会は健常者に合わせて作られているので、生活にはかなりの工夫が必要ですが)。あるいはどうしてもできないことは、他人に手伝ってもらえばいいだけの話です。その代わり障害者は自分の「個性」を活かして別の仕事を成し遂げればいいだけですから。
だから障害者は本当の意味での「平等」を求めています。健常者と同じになる、同じ生活ができる、なんてことは望んでいないのです。
しかしこれがなかなか達成できないのは、今ある平等という概念が邪魔をしているからです。健常者は障害者のことを同じ人間だとみようとしています。けれども本当に障害者のことを理解するには、まず「障害者は自分たちとは決定的に違うんだ」ということを感じてもらわなくてはなりません。そしてそれを踏まえたうえで接近してきてほしいわけです。
ということで上のことを感じやすい例を挙げておきます。次のリンクをクリックしてみてください。
ダルトン 色弱者用レンズ紹介
皆さんは一番上の画像の数字が何に見えたでしょうか? ちなみに私にはどうやっても52にしか見えません。ええ、実は私自身も色弱という障害を持っているのです(だからこうして障害者のことを調べてたりするわけです)。
色弱の人は結構数がいるので私みたいに健常者と同じ89に見えなかった人もいるかもしれません。ですが正常に読めた方には感じてほしいのです。私とあなたの見えている世界は違います。この感覚を大事に持ってほしいのです。まずは感情から入ってくることを望んでいます。その先で、「なーんだ、障害者でも普通に過ごせるじゃん」と思えるようになってくれれば、それが障害者を同じ人間だと、初めて平等なんだと認められたことになるのだと私は考えています。
(ちなみに私は上記のHPには半分反感を持っています。わかりやすいから紹介しただけです。下までスクロールしてもらうとわかると思いますが、色弱者の見え方や、補正レンズをかけたときの見え方が紹介されています。しかしはっきり言いますが、こんな風に私には見えません。この画像はあくまで健常者が勝手に想像してつくったもので、本当に色弱者の見え方を示しているのではないのです。私が強調したい、「障害者と健常者の間にはどうしても溝があり、それを感じて念頭に置いておいてもらわないと本当の理解には繋がらない」という意見に反するものだと感じています)

さて、障害者や「普通の」人は違った生き方をした人物を紹介してきましたが、みなさんはどう思ったでしょうか? 単純に今ある自分たちの人権(人間らしさ)や平等の概念を押し付けてはいけない気がしてきませんでしょうか?
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:20 | 社会・経済 | Comments(0)

人権・平等問題 Part. 3

◎ 倫理学における人権の概念の問題
1960年代頃だったと思いますが、アメリカで女性の人権運動が生じました。それは中絶を認めてほしいという主張が中心となったものでした。
女性は妊娠すれば少なくとも1年以上は仕事ができなくなります。これはキャリアを積みたい人間、特に研究者を目指す人間にとっては大きなブランクとなります。文科系はそれほどではありませんが、理科系では特に研究成果の先行権争いが激しいものです。特許なんかになれば、数分レベルでの争いでもざらではありません。そのため妊娠し、出産・育児をすることになれば、それまで続けていた研究がすべて水泡に帰すこともあるのです。そのため女性たちは中絶を求め始めました。
このとき問題となったのが「胎児には人権があるかどうか」でした。議論の結果、大脳のできる受精後三ヶ月以降は意識があると考えられるため、人権がある、とされました。そして三ヶ月までなら中絶を認めるということとなりました。
と、ここで話が終わっておけばよかったのですが、議論はどんどん拡大していきました。大脳があることで人権を認めるなら、鯨やイルカにも人権があるのではないかと言われだしたのです(こうした他のものへと倫理の概念が移っていくことを「滑り込み現象」といいます)。
当時動物愛護運動の高まりもあり、結局捕鯨禁止運動が始まりました。それが今日でも問題になっている捕鯨禁止の運動です。(ですがここでみなさんに疑問に思ってほしいのは、鯨やイルカに人権があるなら、牛や豚にも人権があるとは思いませんか? しかしアメリカやオーストラリアはどんどん牛肉を売っていますよね? このあたり思いっきり矛盾しているのですが、捕鯨の話は機会があったらまた今度しましょう)
さて、この人権を巡る問題、捕鯨だけではなく別の話へも滑り込みをしました。脳死臓器移植問題です。
大脳が死んでいて、意識がないなら、人権だってないじゃないか。普通に死んでるのと(心臓死)変わらないじゃないか。と言われだしたのです。
現在では普通に受け入れられそうな意見ですし、実際脳死臓器移植に賛成する人は多いと思います。メディアがそちら側に加担していますからね。
でも次の話を聞いてもまだ賛成できますか?
①脳死は治る可能性があります。
②現在急進派は植物状態の患者、脳障害者、痴呆患者からの臓器移植も検討中。
③臓器移植後の患者の平均生存年数は20年未満(移植しない場合数十年生きることあり)
さて①についてですが、低体温療法というのがあります。これは本来、手術の際脳が壊死する速度を遅めるために用いられるものです。ですがこれを脳死患者に使ってみると、稀にではありますが蘇生することがあります。このことは最初脳死臓器移植問題が日本で持ち上がったときにはすでにわかっていたことでした。しかし医学界はその事例を無視しました。理由は単純です。脳死移植を成功させた方が知名度が上がるからです。当時脳死移植は世界的にもまだ数件しか行われていませんでした。だから日本の医者も早くそれをやって業績を上げたかったのです。上手くいくかどうかもわからない脳死治療の研究より、確実に実績の認められるものをやりたかったのです。
次に②について。これは滑り込み現象ですね。しかし植物状態は、大脳は死んでいますが、脳幹などの生命を維持する機構は生きています。また(時間はかかりますが)治ることもあります。それに痴呆患者からの移植はいくらなんでもやりすぎじゃないですか? 自分がそうされるってことになったらさすがに嫌ではないですか?
③番目ですが、移植を受けた患者の生存年数が低いのは、免疫抑制剤によるものです。移植は他人から臓器を提供してもらうわけですから、当然拒絶反応が起きます。当然できるだけ拒絶が起きないような適合者を探すわけですが、100%の一致なんて無理な話です(よく知られている赤血球の型だけでも、A・B・O・AB、Rh+・Rh-、白血球に至っては十万種以上の型があると言われています)。免疫を抑えれば、当然他の病気にかかりやすくなります。そのため死ぬ人が多いのです(なお、これはあくまで平均です。数十年生きる人もいます。そして1,2年で死ぬ人もたくさんいます)。一方で臓器移植を受けない場合、確かに辛い治療を続けなければなりませんし、運動などもできませんが、長く生きる可能性はあります。もちろんすぐに亡くなる方もいますが、「すぐに臓器移植を受けないと一年以内に死ぬ」なんて言われてその後何十年も生きる患者なんてのはざらです。何せ死亡判定を受けた人でも、その後蘇生するなんてことが稀ではないくらいですから、医者の余命宣告なんてあてになるものではありません。
なお、脳死臓器移植問題に関しては小松美彦という人が詳しく研究しています。少々過激に反対しすぎの感も否めませんが、興味のある人に紹介しておきます。
Amazonで小松美彦の本を購入する
ちなみにここからは私個人の意見(というか感想)ですが、外科手術というのは最終手段のような気がします。手術というのは体に大きな負担がかかるわけですから、可能であれば薬などの内科的な治療で治せるように研究を進めた方がいいような気もします。(もちろん薬にだって副作用がありますし、外科手術も研究してもらった方がいいのですが)
と、このように人権の概念は(応用)倫理の世界でも問題を起こしています。脳があるから、意識があるから、だから人権がるという考え方には反対です。たとえ脳がなかろうと、子供は子供。生命だと私は思います。人権についてもそうですが、命の概念についても考えるときがきているのではないでしょうか?
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:19 | 社会・経済 | Comments(0)

人権・平等問題 Part. 4

さてはて大体のことは書きましたかね。他にも書きたいことはありますが、この辺にしておきましょう。
ちなみに小説のテーマ、ということからこの話を取り上げることにしたわけですが、最後にどうして小説でこれを取り上げたいと思っているのかについて触れておきたいと思います。
想像してもらえればわかると思いますが、新しい人権・平等の概念の構築というのは難しい仕事です。上で挙げてきたものを見てもらえればわかるとおり、人権史・宗教史・民俗学・障害者問題・生命倫理などを徹底的に網羅しないと新しい概念なんて作れないのです。それはきっと(うまくいっても)数十年かかる仕事になるでしょう。そして新しい概念ができたとして、それが普及するためにはさらに何十年必要なことか……。当然私は生きていません。研究したいといっても、仕事としてやるからには何か業績を上げないとクビになってしまいます。他の研究を同時に進めるか、成果を小出しにしていくか――いずれにせよ難しい話です。それに論文で発表しても、それを読んでくれるのは専門家ばかりです。よほどの影響力がない限り、世間一般には広まらないでしょう。
ならばこの問題は次世代に託すべきではないか、そう考えたのです。もちろん丸投げにするわけでなく、上で書いたみたいに私自身にできるところまではやります。その上で問題提起として若者に小説という形で伝えてみてはどうか。そんなことを考えたわけです。小説ならば多くの人に読まれるわけですし。そんなことを中学頃に考え、研究と小説書きというのを人生の柱にしていこうか、と決めたわけです。

なお、この人権・平等問題を取り扱う話はすでに構想は練られています。タイトルも決まっていて、『透明に 白く濁った 青空に』といいます。当初は一冊分の予定でしたが、話を面白くするためと、(蛇足かもしれませんが)より細かく説明するために二巻にしたいと思っています。
ただ……上で書いたことを中高生にもわかりやすく、かつ途中で飽きないように面白く書かなきゃ最後まで読んでもらえないわけで。残念ながら今のところ私にはその筆力が足りないと思っています。そのため現在保留中というわけです(一応ちょっとずつはアイデアを出してはいるのですが)。
まずはプロデビューが先決なので、この話が書かれるのはずっと先のことになりそうですが、いずれ形にしたいと野心を抱いています。
ま、そんな決意表明をしたところで今回は終わりにしましょうか。長文になりましたが、読んでくれた方には感謝です。
by zattoukoneko | 2009-11-01 17:18 | 社会・経済 | Comments(0)


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