『世界を凍らす死と共に』4-4-1


   四.


 怒涛の休みが明けて翌々日。その日は階下から聞こえた母さんの悲鳴で目が覚めた。
 声がしたキッチンに向かうと、揚げ物用の鍋から高々と火を上げ、その前で母さんが慌てふためいていた。俺がやって来たことに気付くと助けを求める。
「鏡夜くん、どうしよう! 火事になっちゃう!」
 俺はそれに応える前に、近くにあったフライパンの蓋を手にし、火に気を付けながら鍋の上に静かに乗せた。ガラス製の蓋の下、しばしの間ゆらゆらと揺れていた赤い火がふっと消える。熱気が遠退いたことを確認して、俺はガスの火を止めた。
 隣で胸を撫で下ろしている母さんに、俺は注意する。
「調理中に火事になりそうになっても慌てないこと。そして落ち着いて行動をする。揚げ物油に引火した場合には蓋をすれば空気が入らなくなって火は消えるから」
「あー、そうだった。教えてもらってたのにいざ火が移ったらあっという間に目の高さ超えるんだもん。びっくりして頭から抜けちゃった……」
 その辺りは慣れも多少必要だとは思うけれど、母さんの場合にはそもそもの注意力が足りていないような気がする。
「油に火が点いた原因は? さすがに目を離していたとかはないと思うけど」
「えっと、一昨日のタコさんウインナーは足がきちんと開いてなかったじゃない? その後足を綺麗に広げるには一度ボイルしてからさっと揚げるといいよって教えてもらって。今回はその効果の程を確認しようと試してみたんだけど、茹でたウインナーを油の中に入れたらバチバチってすごい勢いで油が撥ねて……」
「湯きりはきちんとしてなかったってこと? それってお湯を油に入れちゃったってことじゃないか。そりゃ当然の結果だよ」
 頭を抱える俺の横で、母さんが「なるほどー」と手を打つ。まだまだ基本のところで躓いているらしい。とりあえず黒焦げになったタコさんウインナーが、鍋の中で大きく足を広げている様子は可愛くはあった。
 そんな朝の騒動から四十分くらい経って。俺は制服に着替え終えていて、その上にかけていたエプロンを外しながら、朝食の並んだテーブルに向かう。先に席についていた母さんが、ナポリタンを口に運んで歓声を上げる。
「美味しいよ、鏡夜くん! 丸焦げになったタコさんウインナーが気にならない!」
 それから夢中でフォークにパスタを絡め取っていく母さんを見て、俺は大きく嘆息する。
「焦げた部分は削ぎ落したからね。おかげでウインナーというよりハムみたいになっちゃったけど。それはともかく、やっぱり料理は俺がやろうか? 簡単なものは作れるようになったとはいえ、まだまだレパートリーは少ないし、失敗も多いし。家事は得意な分野をそれぞれ分担すれはいいと思うんだ。お互い支え合うっていう話になったんだし」
「そえはでうねー」
 口の中に物を入れたまま喋ろうとして、うまく言葉を発することが出来なかった母さんは、もぐもぐごくりと咀嚼と嚥下を終え、口に付いたケチャップもきちんと拭き取ってから再度話し始める。
「それはですね、そこが母親としての絶対防衛ラインといいますか。むしろ得意なものを鏡夜くんに任せるとやることが全部なくなってしまいます!」
 そうきっぱり断言されるとこちらが困るのだけれど。思わず頭を抱えそうになったところに、母さんが真面目さを取り戻して告げてくる。
「支え合うっていうのは依存するってこととは別物だからね。助けてもらうべきところはお願いしつつも、自分の力は付けていかないと。私は料理がその最たるものの一つじゃないかなって考えてるの。今だって鏡夜くんはお昼には家にいないわけだし、大学に進めば夜もお友達とお出掛けすることが増えるかもしれない。そういうときは助けを求められないし、それに夜遅くにお腹を空かせて帰ってきたら、すぐに何か作って食べさせてあげたいしね」
 母さんの主張はもっともだ。俺たちは想いを相互に重ね合いながら共に歩んでいくけれど、そもそも自分の意志がないとどこに行ったらいいのかわからなくなってしまう。
 ただ母さんの台詞が可笑しく思えて、ついつい苦笑してしまう。
「何だか家で恋人の帰りを待ってる人みたいだよ、それ」
「あくまでお母さんとして、です。むしろ年齢が近くて同じようなことをしている者同士だと、一方の帰りをずっと待ってるなんてそんな甘々な生活は出来ません」
 じゃあ夫を待つ専業主婦ってところかな。
 そこまで考えて母さんと夫婦という関係は想像出来ないなと思った。今の親子の関係は始まって間もないけれど、この状態はとても居心地がいいし、楽しいことも多そうだと感じている。母さんはまずは料理をやろうとしているようだし、当分の間はそちらの監督にかかりっきりになるだろう。
 朝食を食べ終え、テレビに映るニュース番組を見ながらコーヒーを飲んでいると、いつものように玄関のチャイムが鳴った。
 鞄を手にした俺は、母さんに押されて玄関から放り出される。
「お待たせ真琴ちゃん。今日も鏡夜くんの護衛をよろしくー」
 躓きそうになった俺の腕を、待っていた真琴が掴まえた。
「了解です。鏡にいが悪さをしないようにしっかり見張っておきますね。――青葉さん」
 真琴はまだ母さんのことを名前で呼んでしまうようだ。でも急に変えようとしなくていいだろうし、無理にやる必要もないと思う。馴染んでいるなら今までのままでも構わないわけだし。
 腕を掴んだ真琴は、体を回転させながら自身の腕を絡めてきた。
「……何やってるんだ?」
 その問いかけに真琴はそっぽを向いて、憮然とした声を発する。
「鏡にいが悪さをしないように捕まえてるんじゃないか。気付けよそのくらい」
 何とも無茶苦茶な話だ。でも昔のようにいきなり後ろから飛び蹴りをされたりするよりはずっとマシとも言える。真琴も楽しそうだし、しばらくこのままでもいいだろう。
 空色と白色のセーラー服に身を包んだその少女をぶら下げるようにして歩いていると、しばらくしてから質問を投げかけられた。こちらを見上げて訊いてくる。
「ところでさ、僕も髪の毛伸ばしてみようと思うんだけど、どう思う?」
 それは思いもよらないものだったので、つい頓狂な声を発してしまった。
「は? 真琴が髪を伸ばす?」
「何でそこで意外そうな声を出すんだよ!」
 腕を組みながら器用に膝蹴りを繰り出してくる真琴。当たり所が悪かったのか、途端に足に力が入らなくなってその場にへたり込む。
 すぐ隣で真琴が腰に手を当て、不機嫌な視線で見下ろしてくる。
「見た目を少し女の子っぽくしようかなって考えてたんだよ。これまでずっと男として振る舞おうとしてたけど、それももうやめようかなって。鏡にいの好みは参考意見」
「髪型の好みと言われてもなあ。ずっと女子のことなんて見てなかったから考えたことがないよ。それに真琴はそのままでも女の子なわけだし」
「何だそれ! 喜んでいいのかどうかわかんないじゃん!」
 そう言われながら頬をほんのりと染めた真琴に今度は腰を蹴られ、屈んでいた俺は耐え切れずに道路に手をついてしまった。
 その後しばらく休憩していたものの、結局最初の膝蹴りで筋を痛めてしまったらしく、少し足を引きずるようにして歩き始めた。真琴が腕を持って支えてくれているものの、謝る気はないらしい。それに慣れてしまっている自分もどうかと思ったが、昔は手を貸してくれもしなかったわけだし、会話内容から真琴なりに変わろうとし始めていることが伝わってきたので咎めることはしないことにした。
 やがて俺たちは父さんの死んだ公園の近くに辿り着く。そちらを向いてしみじみとつぶやいた。
「まだ夏だな。暑い日が終わるのはまだずっと先みたいだ」
 真夏の盛りの時期もこの公園の周辺はひんやりとしていたが、それも今ではなくなっている。ずっと残っていた氷は昨日一日でほぼすべて融かされてしまっていた。
 みんなにとってここを氷に閉ざしておく必要はなくなった証でもある。冷たい想いが消えれば、後は夏の熱気に任せるだけだ。
 そんなことを考えていたら、真琴があっけらかんと告げる。
「暑いなら涼しくすればいいだけじゃん」
 そして軽く腕を振って、俺たちの周りに薄い雪を降らせる。真琴のその行為にはさすがに眉根を寄せざるを得なかった。
「真琴が怪を持ち続けていることはわかってるし、それで構わないと思ってるけど、だからといってあまり頼り過ぎるなよ?」
「わかってるって。今はこうやって涼を取るくらいにしか使わないよ。力の加減を見極めながら、どうやったら役に立てられるか模索しているところ。この力は僕だけのものだし、何かに使わないともったいないからさ」
 真琴が今後怪とどう付き合っていくのかはわからない。まだつらいことを思い起こすこともあるだろうけれど、前向きに考えるようになったのならそれはいいことなのだろうと思う。
 俺たち二人を包む細雪にそっと手を差し出すと、手の平に乗ったそれは若干の冷たさを与えてから、優しく融け消えた。


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by zattoukoneko | 2013-05-07 05:49 | 小説 | Comments(0)


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