『世界を凍らす死と共に』3-4-1


   四.


 公園を眺め回して、これまで如何に自分が周囲をきちんと見てこなかったのかを知った。この前母さんと一緒に話をしたブランコは、安っぽいピンクのペンキで塗装され、それも古くなっているせいで所々剥げ落ちている。そういえばピンク色のペンキは需要がないから余っているという話を美術部の顧問をやっている先生から聞いたことがある。辺りを囲む木々はその葉の色を半ば枯れ色にしていた。落葉したり紅葉するにしてはまだまだ早い季節だ。おそらくは氷漬けになっていたことで、きちんと光を吸収したり栄養を回すことが出来なかった結果なんだと思う。
 雨が降っているせいでどんよりと薄暗くなっていることも一つの要因なのかもしれないけれど、これまで思い描いていたよりずっとこの公園の色はくすんでいた。もっと鮮やかな色をしているか、もしくは落ち着いた色をしているかのそちらかだと思っていたのだけれど、実態は行政管理の行き届いていないやや廃れた公園だったらしい。
 幼い頃はここで他の子供たちと遊んだこともあったから、そのときの賑やかな思い出を投影してしまっていた可能性もある。いずれにせよ思い込みでこの公園を見ていたのは確かだ。
 腕の中にいた母さんが、ようやく俺の変化に気付く。
「鏡夜くん、もしかして色が見えるようになったの?」
 俺はそれに頷いて返すと、苦笑しながら告げた。
「今頃になって初めて母さんの顔を見た気がするよ。これまで何度も見てきたはずなのに。虹彩の色素が薄くて綺麗な栗色の瞳をしていることとか、当たり前のことなんだけど唇が肌よりずっと赤いこととか、そんなことすら知らなかった。すごい新鮮な感じがする」
 色が見えるとか見えないとか、それは表面的なことだ。必ずしも見えた方がいいとは言えない。むしろ色があることを当たり前に思って周囲の綺麗な様子に気を配れない人よりも、色がない世界でその情緒に気を向けられる人の方がこの世の美しさを良く知っていると思う。俺も絵を描くときに鉛筆画や木炭画を選んだのはそのことを表現できるだろうと考えてのことだった。
 けれど俺の場合は違っていた。色を取り戻したいとは真剣に考えていた。画材屋で絵具の種類の豊富さに圧倒され、そして悔しくなった気持ちは本物だったから。でもそれを口にするだけで、世界からはずっと目を背け続けていた。結局色が見えないことを武器にするどころか、そのせいにして逃げていただけだったんだ。だから俺の絵は駄作と柊に言われたのだ。描こうとしている対象から目を外していて、きちんとした絵が描けるはずがない。
「それは私も何となく感じてた。鏡夜くん本当は色々なものを見ているはずなのに、肝心なところを、そういうものだからって決め付けて、目を逸らしてしまうの。見ていない部分は想像で埋めちゃうから、結局その本質を捉え損ねてしまう」
 母さんは俺の抱えているその問題までは気付いていたようだけれど、どうしてそれと色が見えないことが繋がるのかまではわからないようだった。まだ俺が急に色覚を取り戻したことを不思議に思っている母さんに、何が起きていたのかを説明する。
「想いは現象となるから。俺は物事の形だけは捉えていたけれど、母さんの指摘した通り、その本質まで見ようとはしていなかった。それは姿勢だけじゃなかった。むしろ無意識に心がそうさせていたんだ。きっかけは前の母さんが死んだこと。深く考えてしまうと世の中のすべてを憎んでしまいそうになっていたから、そうなるくらいならと目を向けるのをやめたんだ。見えないところは常識とか摂理とかそういうもので誤魔化してね。結果として俺は世界の色を見れなくなった。見ようとしてないんだから、それは自然なことだと言えると思う」
 その性根を直してくれたのが今の母さんということになる。ずっとあの事件のことから目を背けて来た俺は、怪が見せてきたものからも逃げようとした。昔は病弱な母さんに全部を押し付けた。そしてさっきは俺が母さんを振り返らなかったせいだとし、その際に都合の悪いことに目を瞑るため、その想いをでっち上げた。
「母さんは死ぬときには冷たい気持ちを抱いていたと俺は考えたけれど、それは思い込みだった。母さんは自分のしたことに納得していたし、助けようとした子供を救えたことに満足していた。だから当然のように用水路の周りは凍らなかった」
 残された家族のことも少しは考えて欲しいというのが、正直なところだ。でもそれはうちの家族みんなに言えることなのかもしれない。俺も立花先輩を助けるために突っ走ってしまったと思うし、父さんも柊を助けるために自分の命を賭した。そしてついには今の母さんまで俺を助けようとして冷たい怪の中に飛び込んできた。家族というのは自然と似てくるものなのかもしれない。
「そういえば母さんは怪に触れていた時間が短いから、その想いをほとんど見れていないんじゃないかと思う。俺もずっと取り憑かれていたわけじゃないから推測が交じるけど、でも父さんが死ぬときに感じていたことがわかった気がするんだ」
 それを整理することは俺にとってだけではなく、母さんにとっても大事なことのはずだから語って聞かせる。場所が父さんの死んだ公園だというのは偶然だけれど、でもだからこそ一つの決着を付けるべきだと諭されている気にもなった。
「おそらく父さんも、柊に襲われたときに怪の持っていたその想いを垣間見たんだと思う。そこで前の母さんが最後にどんな気持ちを抱いていたのかを知ったんじゃないかな?」
「やっぱりお父さんも、前のお母さんのことはずっと気になっていたのかな?」
「そんな素振りは見せなかったけどね。多分そうなんじゃないかと思う。やっぱり肉親の死ってとても大きな出来事だし、忘れることが出来るようなものじゃないから」
「そうだね。そこは嫉妬するところじゃなく、嬉しく感じるべきところなのかも。前のお母さんのこともきちんと愛していて、その人を大事にした想いは抱きながらも新しく私のことを好きになってくれた。ちょっと複雑な気持ちにはなっちゃうけど、でも前妻がいなくなったから乗り換えただけって、そんな薄情なことよりはずっといいよね」
 俺はもう一度周囲を見渡した。事件の当時よりは大分マシになったけれど、この公園はまだ氷に閉ざされたままだ。
「今際の際に立ち会った母さんから、父さんは満足そうに微笑みながら息を引き取ったと聞いてる。柊を助けられたってこともあるんだろうけど、前の母さんが自分の取った行動に悔いなく逝ったということをきちんと知ることが出来たから、安心したんだと思う。父さんもあの事件の現場にいたわけじゃないからね、どうしても気になってたんじゃないかな」
 そしてここからが更に大事なこと。これから決着を付けなければいけないことがある。
「父さんは心穏やかに息を引き取った。だからこの公園を凍らせるわけがない。氷に包ませることになったのは死んだ母さんに関わる冷たい想いだったんだ」
「え? でも前のお母さんは納得して亡くなられたんでしょう? だったら冷たい想いを抱いているはずがない」
「わかってる。だから母さん自身の想いじゃないよ。それは別の人の想い。母さんの事件から目を背け続けることで、気持ちを冷やしてしまった人間がいたんだ。怪が柊から引き離されたときに、その冷気が溢れ出たんだ」
 目を背けていたのは俺だ。でも怪を作り上げてしまったのは俺じゃない。用水路の中で人が冷たくなっていくのを間近で感じていた人物が、その感覚を忘れられずに積もらせていき、結果怪にしてしまった。
「その通りだよ。だから僕は雨の日が嫌いなんだ」
 公園の入り口からその人物の声が聞こえる。しっかりと抱えた薄紅色の傘に隠れてその顔は見れなかったが、幾重にも折り畳まれたジーンズは昔俺が穿いていたものだし、その声も毎朝耳にしているから間違えようはずがない。
「真琴も来ていたんだな」
 俺の言葉に、傘が小さく頷いて応えた。


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by zattoukoneko | 2013-04-24 21:07 | 小説 | Comments(0)