『世界を凍らす死と共に』3-3-2


 怪も想いの一つだということを忘れていた。そのことに体も意識も冷たさの中に沈められながら、ようやく気付かされる。柊や立花先輩はこの怪と想いを重ね、その二人と俺は関わりを持ってきたのに、ずっと怪自身の想いを無視していた。この怪も俺と想いを交わらせ、相互に作用しようと働きかけていたのに。なのに俺はそういうものがいるらしいと勝手にその存在を決め付け、それで済ませてしまっていた。
 そもそもこの怪はどこで生まれ、どこからやって来たのか? 周囲が冷たくなっていくのを感じながら、それがどのような冷たさであるのかを知る。
 冷たいというのにも色々種類がある。人の冷淡な心も一つだし、真冬の雪山にしんしんと積もる冷たさというのもある。
 この怪が持つものは水の冷たさに近かった。意識が激流の中を流されるような、そんな感覚を味わう。
 最初に出会ったのは、白髪雑じりの女性が腹を切り裂かれている場面だった。横たわらされたその女性は、二人の男女によって切り刻まれていた。切られた腹には赤いものが多少見えるものの、それが流れるような様子はない。死んですでに一度硬直した後だと知れる。大きく割かれた腹からは様々な色の臓器が取り出されていく。肌の色に普段包まれた人間の中から、そんなものが出てくる光景は吐き気を催すものだった。にも拘わらず俺はじっとその光景を部屋の隅から見つめ続けている。
 その光景を目にしているのは俺じゃないというのはすぐにわかった。俺にはそもそも色が見えない。でも向こうで切り刻まれている女性の肌も、肉も、骨も、そのすべての色がはっきりと知覚出来ていた。その目の持ち主は柊だったのだ。自殺した祖母が両親の手で解体されていく様をじっと見ている。そこに横たわっているものが元は生きていた人間だと思うと心が耐えきれなくなるから、それをただの肉の塊だと必死に思い込もうとしている。目を背ければ両親が続ける残虐な行為は映らなくなるだろうけれど、それをするということは肉塊が自分を大事に世話してくれていた祖母だと認めることに直結する。だから目を逸らさずに、ひたすらそれが人間ではないと自分に言い聞かせる。そうすることで柊は唯一家族の温もりを与えてくれた祖母を記憶の底に沈め、冷たさを周囲に纏うようになった。
 次に意識が流された先で目を開けると、白天井が視界いっぱいに広がった。自分の体はベッドに横たわっていて、すぐ隣には両親の心配そうな顔がある。大丈夫だと伝えようとして、口に呼吸を補助する機械が取り付けられていることに気付く。仕方なしに手を持ち上げて差し伸べようとしたけれど、それもままならなかった。家族の温もりに触れたかったけれど、まだ麻酔が邪魔してそれを叶えさせてくれなかった。代わりに感じたのは体の内側にある冷たさだった。恐らく壊死していた内臓を持っていかれたのだ。そこが空虚になって、冷たくなっているように感じるのだと思う。
 立花先輩がそのような手術を何度受けたか、そこまでは映像を見ているだけの俺には知る由もなかった。ただそうやって家族の中に普通の人のように入ろうとして、それを体に取り付けられた機械や麻酔、そして何より自分の体が邪魔するのを味わった。両親が心配してくれることは嬉しくもあったけれど、心苦しくもあった。そして同時に恨めしくも思った。温かさを向けてくれても、同じように暮らすことは出来ない。応えようにも体が動かないのだ。みんなとは違う境遇に生まれたということを、両親によって思い知らされる。でも憎みたくはないから心を閉ざすことにした。そうすれば、一時的にではあるけれど身体が弱いことも忘れられて、普段は明るく振る舞うことが出来るから。
 再び意識が濁流に飲み込まれて暗転した。その中で見てきた二人の想いを回顧する。目にした場面はいずれも人生の一幕で、それを俺は垣間見ただけでしかなかったけれど、でも強い想いに直に触れて揺らがないはずがなかった。
 立花先輩は俺に出会ったことで、もう一度みんなと同じような生活をしたいと望んだのだろう。道で行き倒れて冷たくなっていくのを感じていたら、そこに温かい手が差し伸べられた。その温かさは目を覚ましたときにも隣にいてくれた。それは今まで傍にいてくれた両親とは違う人物のもの。だからその御薗木鏡夜という相手に手を差し出そうとした。その手を取ってもらいたくて、ずっと叶わなかったことだけれど、再挑戦したくなった。けれど結局身体は思い通りにはならなかった。だから諦めて気持ちを氷の中に閉じ込めようと考えた。それまで何度も繰り返してきたことを、今回もやろうとしていたということなのだ。
 柊も自分の気持ちを閉じ込めてきたという点では先輩と同じだ。彼女はけして人間をやめたわけじゃない。だから祖母の事件は傷になっていたのだ。優しく世話をしてくれた大事な肉親が自殺に追い込まれ、挙句の果てにはただの肉として売られていった。その苦しみをずっと抱え続けていた。その想いを何度も吐露しようとしたに違いない。でもそれを聞いてくれる人は誰もいなかったから、吐き出してしまわないように必死に内に押さえ込んだ。でもそれを続けていくことは無理だと怪に指摘され、その力を借りて憎んでいた両親を殺害した。彼女の心を煮え滾らせた火の元はそうして消すことが出来たが、抱えていた想いを外に出すことは叶わないままだった。彼女の想いは怪の想いと重なり合うことで、歪んだ。気持ちを揺さぶる相手を殺してしまえばいいと、殺人を繰り返した。それは怪が離れた今でも直っていない。柊は自分の想いに触れてしまった立花先輩を殺そうとした。怪を消そうというのは建前だったのだ。おそらくは勝手に自分の傷を他人に知られることが、堪らなく嫌だったのだ。
 俺は二人を助けたいと思った。まだ終わってなんかいない。怪が彼女たちからいなくなったとしても、その根本をどうにかしないと何も変わらない。このままじゃ二人とも同じことを繰り返す羽目になるだろう。だからそこから救い上げたいと思った。
 けれど次第に俺自身も冷たくなってきていた。怪の積み重ねてきた想いが、体の自由を奪いつつあった。
 もう駄目かもしれない。そう思った次の瞬間、俺の体に何かがしがみついた。
「……母さん?」
 必死に俺の体を抱き寄せようとしているのは母さんだった。今の母さんじゃない。昔死んでしまった母さんだった。
 いつの間にか俺は激しく流れる水の中にいた。梅雨の時期にいつもより雨がたくさん降ったことがあった。たまたま近くを通りかかった用水路が急な流れを形成し、複雑な紋様を描いていることに気付いた。覗き込むとただ一方向に流れているわけではないことがわかった。所々で渦を形作っていて、それが次の瞬間には押し流される。そのダイナミズムに魅了されていたら足を滑らせてしまったのだ。
 それを経験したのは俺じゃない。その証拠に体を抱える母さんの方が、俺よりずっと大きかった。これは母さんが助けた相手が目に写し、感じていたものだ。
 母さんは溺れていた俺を捕まえると、必死に水面を目指して浮上しようとした。でも上手くいかなかった。元々身体が丈夫な方ではなかったし、この急流の中ではどんな大人でもまともに身動きできなかったと思う。母さんは俺をその胸に抱えると、せめてこれ以上は流されまいとした。腕の中で母さんを感じる。……急速に冷たくなっていく母さんの体温を感じる。
 そこでようやく気付いた。この怪がどうして生まれたのかを。
 怪の抱えていた冷たさは、この死にゆく母さんの冷たさだったのだ。母さんは死んだときに周りを凍らせなかったけれど、それはその心を預けていたからに過ぎない。溺れている相手を助けられない自分の無力さを嘆かなかったはずがないじゃないか。
 でもその想いを振り返らなかった奴がいる。大事な人を亡くしておきながら、仕方がないことだと片付けてしまった輩がいる。そいつのせいで母さんの冷たさは逃げる場所を失って蓄積された。そしてやがて怪となった。
 母さんと一緒に冷たくなっていくのを感じながら、呟いた。
「全部、俺のせいだったんだな」
 それまでずっと一緒に暮らしてきた母さんが死んで、悲しくないはずがないじゃないか。いくら自分の意思で濁流の中に飛び込んだとはいえ、助けようとした相手や、その日の天気を恨まないはずがないじゃないか。
 なのに俺はその想いを全部封じた。考えてしまったら気持ちが掻き乱されるから。居ても立ってもいられなくなるから。だから母さんの体力は少なかったからと、そういう性格だったからと、それだけにすべてを押し付けて逃げ出していた。仕方がないことだと決め付けてしまえば楽だったんだ。
 用水路の水の冷たさなのか、怪の募らせてきた冷たさなのか、はたまたしがみ付いている母さんの冷たさなのか、いずれにせよ俺の体も心も凍りつきそうになっていた。そんな状態で頭のずっと上の方にある水面を目指すことは出来そうになかった。
「母さんの想いも引き揚げてあげたかったんだけど、もう無理みたいだ。ずっと目を背けて忘れたふりをしていた報いなのかもしれないな」
 俺は抵抗するのをやめた。冷たくなるのに、身も心も委ねることにした。母さんがこの中に俺を沈めようとするのなら、それを甘んじて受けることにしよう。
「そんなの絶対に許さないからね!」
 急に叫び声が聞こえ、誰かが俺に飛びついて来た。その人は更に続ける。
「勝手に思い込むのはやめてって言ったじゃない、鏡夜くん!」
 それは今の母さんだった。まだ俺の母親になって一年も経っていないその人。
「お母さんが自分の子供を氷漬けにしようなんて考えると思ってるの? 亡くなられるときに冷たい心を誰かに押し付けたと本気で思ってるの? そんなわけないでしょう。鏡夜くんが勝手に決め付けているだけ。自分の心が掻き乱されるのがイヤだから、また思い込みで片付けようとしてるんだ」
 そして母さんは決意を口にする。
「たとえ鏡夜くんが辛い思いをすることになるとしても、私はここからあなたを救い出してみせる。前のお母さんがそうしたように!」
 そして俺をしっかりと抱えると、母さんは水面を目指し始めた。でも怪に取り憑かれているわけじゃないためか、その方向がわからない。足掻こうにも結局出来るのは俺がこれ以上冷えないように胸に抱くことだけしかなかった。
 次第に母さんが冷たくなっていく。積み重ねられた怪の想いに触れて、体に氷が張り付いていく。前の母さんと同じように、自分を犠牲にしてでも、俺を助けようとしてくれている。
「――そんなのは嫌だ」
 また母さんを亡くすことを想像して堪らなくなった。母さんが冷たくなりながらも、俺に母としてのその想いを伝えてくれたことでようやく自分の誤解に気付けた。
 母さんたちはその体を冷たくしながらも、その心は温かいままいてくれたんだと。
 次の瞬間、俺は水面から抜け出していた。公園の真ん中で母さんに抱き締められている。まだ体は冷たいかもしれないけれど、氷の付いてしまった母さんを抱き締め返す。
「鏡夜……くん?」
 変化に気付いた母さんが、俺の胸で小さく名前を呼ぶ。俺の気持ちはもう冷たいものなんかじゃない。そのことを伝えるために、頭に手を遣りながらその言葉を口にする。
「母さんは、本当に俺の母さんをしてくれてたんだな。父さんと結婚したからとかそんなのは関係なく、俺のことを大事な息子として見つめてくれていた。そのことにようやく気付けたし、そのおかげで俺は怪を振り払うことが出来た。助けてくれてありがとう」
 母さんはそれを聞いて、俺の胸に顔を押し付けた。そして泣き出してしまった。母さんは俺の母さんをずっとやろうと頑張ってくれていたけれど、まだまだ頼りないところはいくつもあるらしい。
 たとえばこんなところもその一つだと思う。
「若いからこういうのもアリなのかもしれないけど、でもこの髪はちょっと母親のイメージとは離れてるかな」
 俺が撫でている母さんの髪は、脱色されて薄い黄色に染められていた。


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by zattoukoneko | 2013-04-24 21:05 | 小説 | Comments(0)


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