『世界を凍らす死と共に』1-4-2


 夜も大分更けて俺は自室のベッドに体を転がしていた。今日は月が明るいのか、電気を消した室内でも物の形は十分に判別できるほどだった。俺はぼんやりと闇の中に浮かび上がるそれらの姿を眺めながら、今日あったことを思い起こしていた。
 当然ながら一番の衝撃は父さんを殺した犯人が柊だったということだ。普段から柊は唐突に過激な言動を取ることがあったけれど、だからといって人を殺めるようなことまではしないと思う。なら彼女が殺人を重ねていたというのなら、その要因が別の何かにあったという説明は納得のいくものだと感じる。それを柊や母さんは怪と呼んでいた。
 今朝には真琴が父さんの死について不条理だと感じないかと訊いてきたけれど、不条理という言葉はともかく、確かに納得できない部分はあった。犯人が捕えられたにもかかわらずその罪が問われていないことや、実の息子なのにその事情を詳しく説明してもらえていなかったことなどがそれだ。ただ警察はきちんと判断してそのようにしたのだろうと思っていたし、話を聞いた母さんが納得しているようであったから不満とまではならなかっただけだ。
「まあ結局どこにも不条理なんてなかったってことだ。怪というのが想いの積み重ねで発生するものだというのならそれは自然の摂理に則っているし、事件の原因がそちらにあるとなれば人を大事にする父さんなら犯人の罪は追及しないに違いないし」
 俺がそのように結論付けて頭の下で手を組んだときだった。部屋のドアがノックされ、向こうにある廊下からやや控えめの声が聞こえてきた。
「鏡夜くん。ちょっと話をしたいんだけど、いいかな?」
 それに応えて、部屋の電気を点けてから扉を開け、俺は声の主を招き入れた。俺はベッドに腰掛け、母さんは少し離れたところにある勉強机の椅子に座る。来る前に寝ることも考えていたのか、髪を一つに束ね、薄手のパジャマに身を包んでいた。
「お父さんの事件についてずっと話せなくてゴメンね」
 伏し目がちに謝るその姿を、俺はいつもの母さんらしくないと思った。普段はもっと明るくて賑やかで。それとは随分対照的だったので、俺は笑みを浮かべながら応じた。
「色々複雑な事情があるというのは聞いたから。それで話せなくなるのは仕方のないことだと思うし、だから別に謝らなくていいよ」
「……」
 けれど俺の言葉に母さんは余計に重苦しく沈黙した。二人とも起きてこの部屋にいるはずなのに、時計のカチコチと鳴る音がやけに響く。
 しばらくしてようやく話し出した母さんは、まだ何事か逡巡している様子で視線を彷徨わせていた。
「ずっと事件のことを話せなくて、今日やっと話をして、それなのに直後にこんなことを言うのはヒドいのかもしれない。その判断ができないってことはまだ鏡夜くんの本当の母親になれていないってことなのかも……」
「うん? 母さんは母さんだろ。父さんとの結婚も俺は認めたし、今でも家族の一員だと思ってる」
「そうなんだよね、鏡夜くんの中で私の存在はそういう風に捉えられてる」
 そのつぶやきの真意を訊き出す前に、母さんは今度こそしっかりと俺の姿を視界に入れて言葉を伝えてきた。
「鏡夜くんにはお父さんの死を仕方ないものとして受け止めて欲しくないの」
「え?」
「多分鏡夜くんは、お父さんは刑事だったから殉職も仕方がないと納得していたと思うの。そして今日紗樹さんと話をして、彼女がお父さんを殺した人物であることや、怪の存在を知った。そしてそういう事情があるならと、余計にお父さんの死を仕方がないものとして考えるようになったんじゃないかって思う。でもね、私たちはまだ鏡夜くんに全部を伝えきったわけじゃないんだよ? 話せていないことがまだあるの」
 いつもより早口で喋る母さんの目尻が窄められ、滴のようなものが滲み出していた。
「そもそも怪はどうして紗樹さんに取り憑いたの? 取り憑かれた紗樹さんには自覚がなかったの? 自覚があったとしたらそのことを誰にも告げなかったのは何故? 私はそれを知らされたから紗樹さんを許してお父さんの死を受け入れることにした。その上で残された私に出来ることは何かって考えた。それがきちんと出来ているかは自信ないんだけどね。でも鏡夜くんはそうした事情を知らないの。だからまだ鏡夜くんにはお父さんの死を仕方のないものだったとして考えて欲しくはないの」
「確かに俺は事件の詳しい経緯を知らない。でも警察や柊、母さんはそれを伝える必要がないと判断したから――」
「逃げだよ、それ」
 はっとして俺は向かいにいる母さんの顔を注視した。
 怒っているのだと思う。いつも笑顔でいるからそのような表情をこれまで見たことがなかった。だから明言は出来ないけれど、でも母さんは怒っているのだと感じた。
「鏡夜くんはいっつも不満を言わない。生んでくれたお母さんを亡くして、お父さんは同級生に殺されて、本当なら自分は不幸だって泣き喚いていてもおかしくないのに。でもみんなには事情があるからって、そう片付けて納得して済ませてる。結局それって世の中の出来事から目を背けてるだけだよ? それも一つの処世術だけど、でも鏡夜くんは本当にそれでいいの?」
 母さんの言葉で、何故かはわからないけれど美術室でのやり取りを思い出した。あのとき柊は俺が逃げ腰になっていると主張した。それと今の説教がどこか重なる感じがする。
 でもだからといって俺は何をすればいいのかわからなかった。柊は怪が存在するならそれを見過ごせないと言っていた。母さんは具体的には述べていないけれど、父さんが死んでより母親らしくありたいと考えるようになったみたいだ。そんな二人と比べたとき、俺は何をこれまでしてきたのだろうか?
「……」
 俺はベッドから離れると、鞄の中にいつも入れて持ち歩いているスケッチブックと鉛筆を取りだした。それから紙の上に鉛筆を走らせる。短い時間だったし、ざっとしたデッサンにしかなっていなかったけれど、描きあげたものを母さんに見せた。
 母さんは少し驚いた顔をしてから、でもすぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「私、怒ってる自分の顔なんて初めて見たかもー」
 ついさっき俺に向けられていた表情をスケッチブックに写してみた。そしてその絵を見た母さんは、直前まで自分のしていた表情だと気付いて喜んでいる。
 この絵を柊に見せたとしても破り捨てられることはないだろう。自分でもこれは駄作ではないと明確にわかった。
 何かを掴みかけているのかもしれない。その正体はまだ判然とはしていないけれど、今回の一件で辿りつけるような予感があった。きちんと整理しないまま置き去りにしてきていたものが、そこかしこに点在している感じがするのだ。
 事件のこと、父さんのこと、怪のこと、柊のこと。他にもあるかもしれないけれど、まずは目についたそれらからもう少し見つめてみよう。そう決意すると手にしていたスケッチブックを脇に置いた。
 紙の上には生きている母さんの表情。そこにまだ色はない。


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by zattoukoneko | 2013-04-07 07:15 | 小説 | Comments(0)