『世界を凍らす死と共に』1-2-2


 柊紗樹という人物を端的に表わすとしたらどのような言葉になるだろうか?
 窓から差し込む夕陽を横顔に受けながら、パレットから絵具をナイフで淡々と運んでいく。その行為からは夏の暑さや眩しさ、油絵具の匂いなどまったく気にもならず、それどころか自分の描いている物にすらさして興味がなさそうな印象すら受けた。にもかかわらずその絵は躍動に満ちているのだ。色彩のわからない俺にもわかるほどに。
 灼熱の塊を内に秘めているのかもしれないが、その正体を知ることはできないほどに冷え切った人間。それが柊紗樹だった。
 取りかかっていた抽象画を描くのをぴたりと止めた柊は、パレットをそっと脇に置くと注意していないとわからないくらいの小さな溜め息を吐いた。
「御薗木くん、わたしのことばかり見ていないで、自分の作業に集中したらどう?」
 どうやら俺が少し前から彼女に視線を送っていたことはばれていたらしい。言い訳がましいとは思いつつも、事実なのでそのまま告げる。
「ちょっと詰まっちゃったからアドバイスをもらえないかと思ったんだけど、集中してるみたいだったから。柊の描き方にも興味があったし、見学させてもらってた」
「見学は別にいいのだけれど、それならそうと言って欲しいものだわ。わたしの絵の醜悪さを見てほくそ笑んでいるのかと思ったじゃないの」
 俺にはそんなことをする趣味はないし、仮にあったとしても柊相手にそんなことが出来るはずもない。
「あら、それはどういう意味かしら。性格の悪いわたしには、口が裂けても直接悪口は言えないということ?」
 いつの間に柊は俺の目の前にやって来たのだろうか。気付くと喉にナイフが突き付けられていた。
 そういえばさっき脇に置いたのはパレットだけだった。細めた目でこちらを睨みつけてくる柊に抗議の声を上げる。
「いくら画材道具とはいえシャレになってない。それにその猛禽類が獲物を狙うような目つきもやめてくれ。冗談に聞こえない」
「冗談なんか言っていないし、言わないわよ。わたしは真剣に、御薗木くんが馬鹿にした気持ちでこちらを見ているのかと尋ねているのだわ」
「……そんな風に見ているわけないだろ。柊の絵の才能は素晴らしいと思うし、だからこそ指導をお願いしてる」
 俺がそう答えるのを聞いて、しばしこちらを見つめてから、ようやく柊はナイフを引いた。屈めていた腰を真っ直ぐにし、長めの髪を耳にかけながらぶっきらぼうに言う。
「あらそう。まあそれはわたしもわかっていたからさっきのは冗談よ」
「冗談なんて言わないんじゃなかったのか……」
 俺が嘆息しながらそんな言葉を口にすると、柊はまた先程の鋭い視線で睨んできた。悪意はないと両手を上げる。
「ちなみに目つきが悪いのは眼鏡をかけていないからよ。絵を描くときは外しているから、自然と目を細めてしまうの。別に睨もうとして睨んでいるわけじゃないわ」
 先程のことがあったのでそれも嘘じゃないかという疑念が一瞬湧き起こった。しかし確かに柊は普段縁の細い眼鏡をかけていて、そして絵を描くときには外している。通常ならそれでは描いている最中の絵もはっきりと見えないのではないかと思うところだが、彼女の作業風景を知っている者からすればそちらが自然なことだとも納得できる。柊は目に直接見えないものを絵の中で描いていた。
 何にせよ柊はやっと絵の相談に乗ってくれる気になったらしい。詰まっているのは何処かと尋ねてきた彼女に、キャンバスの方に体の向きを変えながら答える。板に張られたワトソン紙に描いてあるのは、丸いガラス花瓶に活けられた雁金草だ。
「いきなり抽象的な表現で悪いんだけど、この絵からは『生きている』という感じが伝わってこないんだ。立体感が上手く描けていないのが理由じゃないかと考えてみたものの、自分には陰影でおかしいところが見つからなくて」
 そこまで言って俺は口元に手を当ててうなった。
「でも柊の絵を見ていて思った。抽象画と具象画という違いはあるけど、柊は陰影なんてなくても生き生きとした絵を描いている。根本的に何かが俺の絵には欠けているのかもしれない」
「なるほど、そこまではわかっているわけね」
「……え?」
 予想外の言葉に俺は横に立つ柊の顔を驚いて見上げる。細いあごの線がやたらとはっきりと目に映った。彼女は俺の絵に視線を向けたままはっきりとそれを口にした。
「これは失敗作よ。コンクールがなければ、今持っているナイフで切り刻んでやりたいぐらいの駄作だわ」
「なっ!」
 まさかそこまで言われるとは思ってなかった。俺も自分の画力は柊には及びもつかないことは自覚している。それでも美術部の中からコンクールに出展できるとして、極めて少ない人数の中に選ばれたことに対する自負はあった。そして人前に出しても恥ずかしくない作品を描いているつもりでいた。
 俺は抗議しようと思ったが、相手がどういうつもりでそう述べているのかわからず、言葉を選んでいるうちに柊に先に追撃されてしまった。
「今回のコンクールは妥協したものを出してそれで満足しなさいな。それで次回以降は彩色したものにきちんと取り組むことね」
「それは……無理な話だろう。柊だって俺が色を見ることができないことは知ってるはずだ」
「色が見えなくとも絵具を乗せることは出来るわ。あなたは生まれつき色盲だったわけではないのだし、いくらでもやりようはある」
 無茶苦茶だ。そう俺は思った。
 確かに昔は世界に色が溢れていたし、その記憶もある。けれど美術部に入ってから触れた絵具の色は皆目わからないし、それに昔の風景も年月を経るごとに言葉の通りに色褪せている。そんな俺に色のついた絵を描かせたところで、どう頑張っても珍妙なものにしかならないだろう。それをやって何の意味があるというのか。
「御薗木くん。あなたのその考えがおかしいことに気付きなさいよ。そこを直さなければ、どんな絵を描いたって無価値なものにしかならないわ」
 正直意味がわからない。俺の考えに何か間違いでもあったろうか? そもそもそんなことを言うなら、今まで作業を手伝ってくれていたのは何だったのか?
 俺は柊を問い詰めることにした。口調が荒々しいものになるのはわかっていたけれど、納得できないことを言われっぱなしで作業が続けられようはずもない。
「紗樹ちゃんは相変わらず言葉がきっついねぇ」
 しかし次の瞬間部室に響いたのは、何ともおちゃらけた声だった。
 例の凍てついたような冷たい視線で柊が部室の入り口の方を見遣る。
「こっちに顔を出したのは随分久しぶりね、早乙女(さおとめ)くん。わたしはてっきり退部したのかと思っていたし、そうであって欲しいと願っていたのだけれど」
 いつ部屋に入ってきたのか俺は気付いていなかったが、柊の口ぶりは声がかけられる前から彼がそこにいるのを知っていたかのようなものだった。背ばかりが伸びた痩身に、目にかかるほどの前髪。ズボンのポケットに両手を突っ込んで、無造作に背中を入口の戸に預けている。美術部の幽霊部員をやっている男子生徒で、名を早乙女隼人(はやと)という。
 隼人は肩を竦めてから柊に返事をした。
「期待に添えなくて申し訳ないね。でも運動部だとサボりもなかなか出来ないから、こっちに籍を残させてもらってるよ。学校の方に記録は残るから今後何かに使えるかもしれないし、それに一応昔は多少興味があって筆を手にしていたからさ」
「随分おこがましいことを言うのね。筆を手にしていたのなんて、中学の美術部で一ヶ月くらいのものじゃないの」
 以前柊と隼人は同じ中学の出身だと聞いたことがある。同じ美術部に所属していたとも。幽霊部員とはいえ同じ美術部にいるのだし、数少ない男子部員ということで俺とはこれまで何度か言葉を交わしている。友人というほどでもなかったが、特に仲が悪いわけでもなかった。
 ただそもそも隼人は部活に参加しないので、これまで彼が柊と会話をしているところを目にしたのはなかった。それでも二人の仲が悪いことは十分知ることができる。そしてそのことは俺以上に当人たちが知っているようでもあった。
「随分とボクは紗樹ちゃんに嫌われているみたいだね」
「ええ、嫌いだわ。物事に真剣に取り組む気もなく、へらへらと笑っているような人間は死ねばいいのよ」
「そうかい、それはよかった。ボクも紗樹ちゃんのことは嫌いだからね」
 隼人はそう告げると、今度は俺の方に話しかけてきた。視界の隅に唇を噛む柊の姿が映ったが、彼女に話しかける暇も言葉も持ち合わせてはいなかった。
「まあ紗樹ちゃんの言葉はきっついとボクも思うんだけどね。でも具体的にどうしろと教えたのでは鏡夜のためにならないし、だからボクからも何も言えない」
「隼人は柊の言わんとしていたことがわかるっていうのか? 俺は色の識別ができないし、だから木炭画や鉛筆画をやってる。それは自然なことだろう。むしろそういう人間に色彩画をやれと示唆するのは無茶苦茶だと感じるんだが」
「そうかもね。でも他の人間相手だったら紗樹ちゃんもさっきみたいなことは言わないんじゃないかな? 鏡夜だからこそそういうアドバイスになるんだと、ボクは思うけどね」
「どういうことだよ、さっぱりわからない。そもそも絵を描きもしない奴に絵の話が理解できるのか?」
 頭に血が上っていた。絵を描かない人間が絵の話をしてはいけないという俺の台詞はおかしいものだったが、柊に続き隼人まで俺の絵は駄目だと告げていることがいい加減我慢ならなかった。
「うーん、だから言葉で説明しても理解できるようなことじゃないんだってば」
 頭をぽりぽりと困ったように掻いた隼人は、しばし逡巡する様子を見せてから、バネの要領もってドアから背中を離した。そしてその勢いを保ったまま俺のそばまでやってくると、木炭をひったくるように手にし、何も描かれていない紙が張られたキャンバスに向かった。
 それから五分も経っていないと思う。隼人は木炭を俺に返しながら、彼の向かっていたキャンバスを指し示した。
「とりあえずだけどこういうことで」
 そうして隼人は部室を去って行った。それ以外に言葉はない。必要ないということなのだろう。そして今度こそは俺にも伝わっていた。
 隼人の気配が完全に廊下の奥の方に消えてから、柊が苦虫を噛んだような声音でつぶやいた。
「……だから嫌いなのよ」
 キャンバスの上には冷たい氷のような視線をその先に向けながらも、何かをしっかりと見据えている少女の絵が描かれていた。隅の方に『愛してるよ』なんて書き加えてあるが、その人物は紛れもない柊紗樹その人で、知らない人にでも描かれている対象が実際に生きた人間であると伝える力をその絵は持っていた。
 ……隼人がざっと描いた絵の方が、俺が時間をかけて描いた絵より格段に優れているのは明白だった。


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by zattoukoneko | 2013-04-07 07:12 | 小説 | Comments(0)


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