【小説連載】【短編小説】『紅ひらり』第三話


「私、木々が紅葉するこの季節が一番好きなのです」
 そのようなことをとある大きなカエデの木に触れながら口にしました。大きいといってもあまり太くはならない樹木です。ただ威風堂々としていて、そして厳かな雰囲気を感じさせるから『大きい』のです。
 その木は楓様の本体でした。里山に最も古くからあるカエデです。
 けれどそれは勘違いだったようです。楓様が苦笑しながら訂正されました。
「最高齢はわたしではないよ。ずっと前から林を見守ってきた方が別のところにおられる」
「あ、そうでした。御神木様もカエデの木ですね」
 ここよりもう少し奥へ進んだところに、注連縄の巻かれた一本の御神木があります。ただ私は敬うべきものという意識が強かったので、それをカエデだとはあまり意識していなかったようです。
「神木となられたのは舞が幼い頃だったからな。それも致し方のないことだろう」
「その当時のことはよく覚えているのですけれどね……」
「そうだな。呉葉が死んで舞が一人取り残されたのもその頃だった」
 一人で取り残された私は守ってくれる人を失い、紅い髪のせいで村の子供たちにいじめられてしまいました。里山の中に逃げ込み、泣いていた私の目の前に現れたのが楓様でした。
 御神木様とは異なりますが、私にとって、楓様はそのときから特別な存在になりました。そもそも他のカエデの木には人の姿で現れる方はいません。それに楓様も私だけに特別その御姿を見せてくれるようです。
「他の木々には人の姿を作り出すほどの力が備わっていないというのもあるけれどもな。ただ幼子が泣いているのをわたしは放っておけなかったし、それに舞のその美しい髪色に惹かれたのだ。気付いたら人の姿を取って頭を撫でていたよ」
 ちょうど色付いた葉々が宙を舞うこの季節のことでした。楓様と出会ったときの驚きと安らぎを覚えているから、この時期が一番好きなのかもしれません。
 そんなことを考えていたら、ふと母から聞いた話を思い出しました。
「花や木に何かしら意味のある言葉を付ける風習があるのだそうです。カエデだと『大切な思い出』、『美しい変化』、『遠慮と自制』だとか。いくつかの言葉があるのは地域によって異なるから。母はそこまで教えてくれませんでしたが、先日楓様から聞いた話と合わせると商人をしていた父から伝え聞いたことなのでしょう。この村には花言葉や木言葉はありませんし。でもどれを取ってもよく合っているなと感じます」
「そのようなものがあるのか。美しい風習だ。だがカエデそのものであるわたしには合っているかどうかわからない。あくまで人が受けた印象を言葉にしたという気がする」
「そうかもしれません。ですがそれこそが大事だと私は思います」
 カエデは紅葉することによって、その色を美しく変化させます。けれど儚いものではなく、見る人に強い印象を残します。燃えるようなその色は、しかし自制されて攻撃的な感じではありません。だから人は、秋の景色として紅葉した山を大切な思い出の一幕とするのではないでしょうか。その様子を林の中にいるカエデそのものは見ることができません。人だけが眺めることのできるものです。
 それに私の身近にはより印象的な存在がいました。楓様には木言葉がそのまま当てはまるように思えたのです。
「楓様は幼い私の前に突然姿を現されました。まさか木が人となるなんて思ってもいませんでしたし、だから最初は本当に驚きました。けれど神に近しい存在であるはずの楓様は、子供の私に丁寧に話しかけてくれました。艶やかなその御姿と、その遠慮深いとも思える優しさが、いじめられて傷付いていた心を穏やかなものに変えてくれました。今でも楓様はこうして私のそばにいてくれます。すべての始まりはあの出会いだった。だから大事な大事な思い出です」
 言葉を紡ぎながら、自然と頬がゆるんでいくのを感じます。どうして笑みを浮かべるのか自分でもわかりません。ただ心がぽかぽかするのです。
 そうして視線を上げた先、楓様は眉間に皺を寄せていました。
 首を傾げて見上げると、こちらに気付いた楓様が訊いてきます。
「舞はわたしとの出会いを大切な思い出にしているのだな?」
 その通りです。それは先程も述べたことのはずです。だからこそ楓様が厳しい顔をしている理由が皆目わかりませんでした。
 戸惑う私に説明してくれます。
「カエデは自分たちの様子を外から眺めることができないから木言葉がわからないのではないかと舞は考えた。ならばそれは人にも当てはまることではないか? 人は人言葉というものを自分たちに用いておるか?」
「それは……」
「あのな、舞。わたしからすれば美しい変化をするのは寿命の短い人間の方なのだよ。事実舞は齢十六となり大人となった。一方でわたしは何も変わっていない。そういうことなのだよ」
 楓様はそこで一度言葉を区切られました。そしてより一層難しい表情になって続きを口にされます。
「けれど最近ふと思うのだ。舞は年齢や見た目の割に、その実何も変わっていないような気がすると」
 私は何も言い返すことができませんでした。母が死んでからは日々の糧を得るだけで精一杯でしたし、正直に申し上げれば変わる必要も感じていませんでした。
「それは妙なことだよ。すべてのものは変わるのが自然なことであり、変わるべきでもある」
 話し終えた楓様は私をとある場所に連れていくことにしたようです。促されるがまま私はそれに従います。
 歩き出す私たちを、周りの木々が何も言わずに見送ります。ひらひらとその美しく色付いた葉を宙に舞わせながら。


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by zattoukoneko | 2012-06-26 04:38 | 小説 | Comments(0)