【小説】『絶体零度』4-4-1


4-4-1

 私は体を動かして仰向けになった。上空からはいくつもの雫がちらほらと落ちてきていた。冬の小さめで、しかし硬い水滴が瞼を開いていた目の中に入ってきて軽い痛みを覚える。
 その痛みがむしろ心地よく感じられた。東京にもしっかりと冬の雨が降るのだなと、そんなことを感じた。
 しばしの間私は雨に打たれながら色々なことを脳裡に思い浮かべた。今際の際になってやらねばならないことが山積していることに気付かされる。私は舞美を殺した罪を償わねばならないし、迷惑をかけた友人らに頭を下げに行かなければならない。ただそれら全てを成し遂げることが出来るかどうかはわからず、けれど少なくとも傍らで動揺している雪奈に何らかの手を伸ばすことだけはしなければいけないだろう。
 そうしたことを考えながら、しかし私は慌てふためくでもなく、騒ぎ立てるでもなく、むしろ冬の雨に心が穏やかに冷やされるのを静かに感じ取っていた。私もすでにいい歳になったと思う。そしてようやくこの年齢になってそうした人と自然とその先に広がる世界の繋がりを知ることができたことが恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。この東京の自然を教えてくれたのは舞美であり、そしてそもそもこの世界から自然を感じ取ることを教えてくれたのは刹那だった。
 そんなことを考えるのにどのくらい時間がかかったか定かではない。ゆっくりとではあったが頭の中の整理がようやくついて、私は雪奈に問いかけた。
「雪奈には今雨が降っているのがわかるかい?」
 訊かれた彼女は困った表情を浮かべた。
「降ってます。そのくらいわかります」
「そうだね、当たり前のように気付くことだと思う。かなり降っているしわからない方が不自然かもしれないね」
 私はいったんは雪奈に同意してみせるも、内心では本当かどうか疑わしいと感じていた。だから私は話を続ける。それはほとんど独り語りではあったが、それでもそれを聞く彼女には伝わるのではないかとそんなことを思ったのだ。
「冬の雨は特に服に重く滲み込む。水滴が冷えて固くなっているのかもしれない。もっと柔らかい暖かい季節の雨に降られると体を洗われるような感じがするよ。驟雨なら天然のシャワーそのものだし」
「……成明さん、唐突に何を言っているんですか?」
 予期していた通りに雪奈は疑問の声を上げた。ただし戸惑った様子も声音に混ぜながら。それに気付きつつ、しかし慌てずゆっくりとした口調を心掛けて話を続ける。
「体に降ってきた雨の滴は、すぐに大きくなって肌や髪の上を滑り落ちるのを感じるだろう? さっきはシャワーなんて言ったけれどそれとはまた違った趣がある。人工的につくられたシャワーの水はほとんど一定の流れだが、雨は全ての雫が大きさも落ちてくる速度もまちまちなんだ。雪奈は今まで何度も雨に降られたことがあると思う。その時に傘を持っていなかったり、持っていたとしても防ぎ切れなかった雨粒が腕に当たったりしたことは当然あったろう。そうして実際に雨に触れることを経験したのではないのかい?」
「…………」
 私の言葉に雪奈は黙りこくってしまった。でもまったくわからないわけではないのだ。そうに違いないと私は確信していた。そう思う理由を端的に彼女に伝える。
「そうした雨の様子を、舞美から教えてもらったんじゃないかな」
 途端、雪奈は大きく双眸を見開いた。そして一転して目をくしゃくしゃにして大粒の涙を零れ落ちさせ始めた。
 零れた涙は雨と入り混じりながらもしっかりと頬に軌跡をつくって地面へと落下する。
「姉は……桜庭舞美さんは確かに私に自然の魅力を教えてくれたように思います。でも私はそれを彼女の普段の振る舞いからしか感じ取ることができなかった。何故なら私は舞美さんを遠巻きに見るだけで、きちんと話を聞くことが出来なかったからです」
 言葉と共に落ちる雪奈の涙は、冬の雨より重く彼女の顔を伝い落ちる。
「私は姉だと思い込んでいた。けれど心のどこかでは違うということもわかっていて、そしてそれを本人である舞美さんに指摘されるのが怖くて話しかけることが出来なかった。私に許されていたのは遠くから眺めることだけ。それを続けることで私は舞美さんと繋がっていると思い込んでいたんです」
「でもそれはどこまでいっても妄想に過ぎないということも雪奈はわかっていた。記憶は簡単に書き換えられるものだけれど、現実はそう簡単には変わらないから。だから都合よく何度も何度も解釈し直して、それでもようやくぎりぎりのところで心の安定を保つに留まってしまうのだ」
 それは私自身経験していたことだった。実在しない刹那の存在に関して何度も周囲から言及されていたし、直接言われずとも私の方から現実に起きていることと私の思い描いている刹那の居る世界とでは喰い違うことが何度もあった。しかしその度に細かな修正を施しては刹那の存在を守り続けていたのだ。
 私の思っていた通りだったらしく、雪奈も「そうです」と首を縦に振って応じた。今では雪奈も舞美が実の姉ではないとはっきりと自覚している。行方知れずになった舞美を私と一緒に捜索する中で彼女が実の姉でないことを知らされたし、つい先程の私の雨の話から雪奈が舞美を通じて感じ取っていた自然と、しかしそれをきちんとは学びとっていなかったのだということを思い出したからだ。
 さめざめと泣きながら雪奈は告白した。
「私、これからどうしたらいいのかわかりません」
 支えとしていた舞美の存在がなくなってしまったことで、彼女の精神は奈落の底に落ちてしまうかもしれない。人の手の届かぬ深い場所に堆積して冷たく固まり、誰にも融かしてやることが出来なくなってしまうかもしれない。
 とても暗くて寒い奈落の底で膝を抱えていた雪奈を、暖かなこの世界に引き上げてくれたのは舞美だった。そして舞美を見続けることで雪奈はこの世界に留まっていられた。
 では舞美を失ったら確実に雪奈は落ちてしまうのか? ――この世界には舞美以外にもたくさんの人がいる。
「もう舞美はいなくなってしまったからこの言葉を伝えることはできなくなってしまったけれど、今の私は彼女を誘ってみたいと思っている。きっとこれは舞美に会っているときも本当は思っていたことなのだろうな。もしかしたら刹那の姿が何度も現れたのも、別に舞美に似ていたからではなく、その想いが私の目には刹那という形を取って映っただけのことかもしれない。いずれにせよ私はある提案を舞美にしたいと考えていた。それを代わりと言っては何だが雪奈に伝えてみようと思う」
 私は涙で少し腫れぼったくなった雪奈の目をはっきりと見据えながら言った。
「君に私の地元である茨城に来てもらいたい」
 まるで求婚の言葉だ。しかし残念ながらそういうわけではなく、東京という土地であれだけ自然を感じていた舞美を私の田舎に連れて行ったら、どれほど驚くことかと疑問を抱いていたのである。
 あそこには刹那が私に教えてくれた強くも優しい、人間を包み込む圧倒的な自然が広がっているから。だから是非とも舞美に来て欲しいと思っていたのだ。
 その願いはもう叶わない。けれど彼女たちから少ないながらも様々なものを学びとった私は、代わりに雪奈を連れて行ってあげたいと提言することにする。
「舞美は自然の機微を感じ取ることが出来たけれども、もっと大きな自然の存在を知らなかった。彼女の見て感じたことのないそれを私は知っている。刹那やあるいは舞美のように魅せることが出来るかは自信がないけれどね。でもそこで雪奈には舞美からまだ教わっていないことや、舞美すら知らなかったものを雪奈に幾らかでも伝えられるのではと思っているんだよ」
 話終えた私を、その時『初めて』雪奈は見た。
 これまではただ自分の周囲にいる人間の一人に過ぎなかったのではないかと思う。でもこの時に初めて雪奈は頼ってもよい人物として私を見てくれたような気がする。舞美と混同するわけでもなく、きちんと別の人として。
 それから舞美は急に慌て出した。少しの間おろおろとしてみせてから、ようやく気付いたのか大きな声で叫ぶ。
「私、救急車を呼んできます!」
 言い終わるのが早いかどうかというところですでに雪奈は踵を返して細い路地から大通りへと姿を消した。
 雪奈の中で私の存在が大きなものになり、それと同時に現実として私が血を流して倒れているという事態に目が行ったということなのではないかと思う。駆けて行く雪奈の姿を目で追いながら私はそんなことを考えた。
 気を張っていたのだろう。途端にどっと疲労が体の内から噴き出すのを感じた。そして意識が重く沈められていくのを感じながら私はゆっくりと瞼を閉じた。


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by zattoukoneko | 2011-07-30 09:50 | 小説 | Comments(0)


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