【小説】『絶体零度』4-3-2


4-3-2

 雪奈という少女はいくつかの点で私によく似ていたのだと思う。
 彼女は自分の家族を彼ら自身の手によって招いた交通事故によって亡くしてしまった。その衝撃の程まではわからないが、結果として彼女は独りの世界に閉じ込められることとなってしまう。
 雪奈はその光の差さない暗い場所から独力で殻を割って外に出ることができなかった。卵の中の雛は本能的に外に別の世界があることを知っているが、母胎から生まれる人間はそもそも卵のような狭くて暗く、何の音もしない空間に押し込められることがない。外界から優しい言葉をかけてもらうことで、ようやくそこに他の人たちや物の存在を知ることができるのだ。
 幼少期から長い間狭い処に幽閉されていた雪奈は、しかし舞美にその存在を見つけてもらう。そしてその時に教えてもらった外界に憧れてようやく厚い殻を自らの力で破ることができたのだ。
 私も幼少期からずっと孤独な世界にいたという点で全く同じだ。雪奈のように衝撃的な事件があったわけでもないし、友人や家族が身近にいたというところは大きく異なる。ただ現代社会の潮流に流されていたら乗るべき流木を見失っていたというそれだけのことだ。だから実際には周囲の光景や音を感じることができていて、そのために刹那という架空の存在を作りだし、それを拠り所とした。
 それに後には瑠璃や恭介という親友ができたし、社会に出てからは刹那に頼らずに生きるようにもなった。私の世界は徐々に、そして無意識にではあったが変化していたのだ。幼稚な感性のままではあったが現代社会に適応し、しかし自身が変わっていったことを自覚できていなかったから何か事件が起こるとアイデンティティを大きく揺らがせてしまう。それが飯田成明という人物像だったのだ。
 雪奈という少女はいくつかの点で私によく似ていたのだと思う。そう、いくつかの点のみで似て『いた』だけなのだ。私と雪奈は根本的に別の人間であり、そして今ではまったく別の道を歩んでいる。
 冬のアスファルトに横たわる私に、雪奈はもはやさして興味を抱かなくなったらしい。軽く握った拳を口元に当てながら、きょろきょろと辺りを見回して戸惑ったような表情をしている。
「そういえばどうして私はこんなところにいるんでしょう? ついさっきまで姉と一緒にいた気がするのに」
 彼女にとって世界は舞美によって成り立っていた。それ以外の存在を知らなかったから、世界を広げることも拠り所にするものも手にすることが出来ないまま現在に至っている。恐らく「姉のような人間になる」という言葉は、実際には舞美から世界の広さや奥行きを教えてもらったことがないから、その本人になることで得ようとしている感性なのだという気がする。
 私は刹那にも舞美にもなりたいとは思わない。二人は私とは別の人格を持った存在であり、そこから多くのものを学んで自分の中に取り込んでいった。取り込んだものを消化するまで随分と長い時間が経ってしまって、私は幼稚な甘えをずっと繰り返してはいたけれど。けれど今ではようやく独りで歩き始めることも出来た。彼女たちを想い出に変えながら。
 遅くはなったものの私はやっと成熟できたと言えると思っている。その私からすれば今の雪奈はあまりに子供であった。外見や言葉遣いが多少大人びているだけに過ぎない。自分の周囲で起きていることに目を向けなくなってしまったばかりか、許容できなくなると望んだように世界の改変を行なおうとする。もちろん外界に変異を生じさせるだけの力は人間には備わっていないから雪奈のやっているのは自分の記憶を書き換えるという行為だ。それによって自分にとって都合のいい世界解釈を行なおうとしている。
 中には客観的な世界は堅牢なもので、人間の意識の介在など許さないと思っている人もいることだろう。だがそれは大きな間違いだ。私や私の友人らを例に挙げればそんなことはすぐにわかる。かつての私にとっては世界とは機械仕掛けの歯車によって動く時計のような存在であり、しかしそこには何の装飾もなかった。一方で刹那にとっての世界は彩りに満ち満ちていて、私たち人間はその自然の一部として加わっているだけに過ぎないと看做していた。全体は有機的に結合しており、生気に満ち満ちていた。舞美は世界の空間の途方もない広さを知っていた。しかもそれは定規で測ったようなものではなく、運ばれてくる風などで感じ取るとても生物的な感覚に根差したものだった。だから私が東京は狭苦しいと訴えればそれに共感できたし、その上であの風の吹く丘に連れていくことで新しい世界の見方を教えることができたのだ。また瑠璃は現代社会とそれが基盤に据えている科学/技術が世界観を大きく歪ませる要因になっていると鋭く見抜いていた。解決案を提示するには至らなかったが、人間の感性をもっと社会の基軸に据えねばならないのではないかと憂えていた。
 世界は人によっていとも簡単に変容するものだ。そして結果として世界は人の数だけ存在する。しかしそうした個々人の世界はそれで完結するわけではない。相互に作用しながらより大きな世界と社会の潮流を生み出していく。瑠璃の考察はこの潮流の中においては傍流なり涓流だったかもしれない。でもそこからよくよく今の本流の問題を見抜いていたのではないかと私は思う。人が社会の在り方を規定するのを見事に言い当てている。
 そうしたことが私にもわかるようになってきたから、一つの問いを雪奈に発した。
「雪奈は舞美と一緒に過ごして、その先どうするつもりなんだい?」
 彼女の頭の中からはすでに私のことがほとんど抜け落ちかけていたらしい。少し驚いた様子でこちらを見下ろし、しかしはっきりと答えは返してくる。
「姉は私が大学に入ることを勧めています。ですからまずはそこから――」
「でも舞美は具合が悪いんだろう? それはすぐに治りそうに見えるかい?」
「そ、それは……」
 雪奈の言葉を遮って口を無理矢理挿むと、彼女は急に、そして大きく困惑した表情を浮かべた。
 私は雪奈が自分の世界に閉じ篭ろうとするのを何とか阻止しようと思っていた。彼女は舞美の力によって外の世界に出られるはずだった。だが外に出た瞬間に舞美しか見ることが出来なくなった。彼女が道標として雪奈を導いてくれたらいずれは私のように世界の広さを知って、自分の進むべき道を探そうと旅立ったかもしれない。けれどその標はもうなくなってしまった。それがまだ立っていると勘違いしてそちらを眺めていてはどうやっても道を歩くことなどできなくなる。
 なら多少強引ではあるが私が雪奈のつくろうとしている殻を破ることを試みることにしよう。ここにいるのは私一人しかいないのだから。そして私がいる限り雪奈は独りでもないのだから。
「舞美の看病が必要かもしれないね。病院にも一度連れて行ってきちんと診察をしてもらうのがいいだろう。私は舞美の知り合いだし、そうなるとやはり心配だからね。一応社会人として働いているから雪奈たちよりお金に余裕はあるし」
「姉は確か病院には行きたくないと言っていて……」
「本当にそうなのかい? 私は何度も舞美に会っているけれど特に病院嫌いとかそんな印象は受けなかったな。むしろ必要と感じればきちんと行く人物のような気がしたけれど。割合さばさばとした性格だったからね」
「どうしてそんなことをあなたが知っているんですか。成明さんは姉とは会ったことがないはずです」
 ここだ。
 そう私は思った。まだ雪奈を包む殻は綻びを帯びている。やはり破るには今しかないのだ。
「雪奈。たった今、君は確かに私の名前を呼んだよね。でもさっきは面識などないと言っていた。どういうことだい?」
「私は成明さんのことは知らないはずです。なのに……どうして名前が口から出てくるんですか? 私は成明さんと一緒に何をして――」
 そこで雪奈は路上に転がっている私を見た。はっきりと視界に捉え悲鳴を上げる。
「成明さんどうしたんですか! どうして血だらけ……に?」
 言いながら彼女は自分の手にある凶器に気付いた。しばらくの間隙の後に小刻みに震え始める。
「もしかして私が刺したんですか? でもどうしてそんなことを」
 これは推測だ。恐らく今の雪奈の中では先程まで作り上げようとしていた虚構と現実に起きたことが鬩ぎ合っているのだろう。ただ彼女にとっての『現実』は舞美を姉としていた時期もまだ含んでおり、そこを明確に分けられていないという問題がある。
 私には雪奈を辛い現実世界に引き摺りだすことが出来るだろうか? 舞美が実の姉ではなく、そしてもはや死んでしまっているそんな世界に。
 体外に流れ出る血液が残り少ない時間をすでにカウントし始めていた。


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by zattoukoneko | 2011-07-25 21:51 | 小説 | Comments(0)


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