【小説】『絶体零度』4-2-2


4-2-2

 あれは夏も半ばを過ぎて終わりに差し掛かろうという頃だったろうか。残暑厳しい中に蜩の声が雑じり始めていた。私の中では刹那の存在が確固たるものとして蘇ってきていたが、舞美はまだ刹那としては振舞うようなことはしておらず、そのために私たちの関係は良好だった。
 東京なんて場所は地面のあちこちがアスファルトで固められていて蝉など生息していないと思い込んでいたのだが、少数ながら自然の息吹というのはあるものらしい。春には桜も咲くし、初夏には郭公も鳴くという。秋には金木犀の香りが漂うし、冬には吐く息が白くなる。そんな当然のことを私は舞美に教えてもらった。
 当然のことではあるのだが、それを日々意識して生活できている彼女はとても魅力的だった。きっとそれは私に限ったことではなかっただろうと思う。夜に見る夢に色彩が溢れている人がこの世にどのくらいいるだろうか。無色の世界に住む人の目には舞美は輝いて写ったことだろう。
 だから舞美が困ったようにその言葉を発したときに、私はさほど驚かなかったのかもしれない。
『もしかしたら誰かにストーキングされてるのかもしれない……』
 その時の彼女は珍しく弱気な表情を見せていた。話を聞いてみると気付いたのは私と出会うより以前だというのだ。ただその相手に遭遇したり家を荒らされたりといった実害はないらしい。周囲の変化に敏感な彼女だったからこそ勘付いたのかもしれない。
 私は警察には相談したのかと訊いた。舞美は近くの警察署にある生活安全課に相談しに行ったそうだ。彼女の家は私の勤務先に近い。あの辺りにある大きな警察署、しかも生活安全課となると恭介の勤めるところだ。しかし前に恭介も述べていたように実害もないストーカー事件に警察はなかなか動けないようだし、舞美の件はさらに物的に被害に遭っているという証拠も出せなかったために簡単な身辺調査をしただけでその後は「今後も気には留めておきます」という言葉で終わってしまったという。
 その後も私は舞美とよく一緒に行動したが、彼女の言うストーカーには結局出会うことはなかった。そして私自身が舞美を襲ってしまうという事態に発展する。
 私はあの時に確かに記憶を自ら消した。そして瑠璃や恭介に相談し、姉を探しているという雪奈に出会った。
 ここまで思い返してみて――明らかにおかしい点がないだろうか?
 私は舞美と一緒にいるときは確かに彼女に付き纏っている人物には出会ったことはなかった。そう思っていた。けれど私と舞美がその頃から交流を持っていたことを知っている人物が、後にそれを知らないと言っているではないか。
 舞美があの時相談したのは一体誰だったのか。そのことをきちんと聞いておくべきだったと悔やまれる。仮に警察が捜査をしてくれたとして、そこに関係者が含まれてしまっていてはまともな結論など出ようはずもない。
 認めざるを得ない。私はその人物の都合のいいように記憶を再び改竄してしまっていたということを。それを修正した上での推測が正しいとするなら、私は信じていたものを根底から覆される。そのことに薄々気付いていたから目を瞑っていたのだ!
 雪奈が戸惑ったように口を開く。
「萩原恭介さんはどうして姉のことを付け回していたのでしょう? ――いえ、それ以上にどうして成明さんが……凶行に及ぶのを待っていたのか私にはわかりません。その後姉の体をどこかに移動させたのも恭介さんということになるのでしょうか?」
 私は目線を下げて雪奈を見る。そうしながら自分でも悲しい目をしているのがよくわかった。
「恭介が舞美をストーキングしていた人物ならいくら警察が捜査したって犯人は見つからないだろうね。実害が出ていたのなら別かもしれないが。死体を隠したのも大きな事件に発展するのを阻止したかったからと考えれば説明がつく。捜査が本格的になされればストーカー被害で警察に相談していたこともすぐにわかるだろうし、それは彼にとって都合が悪い。確かに……辻褄が合うね」
 冷静になって物事を整理してみると確かに事実関係というのは見えてくる。けれどそれが今の私には無性に辛く感じられた。刹那や舞美、そして瑠璃によって私は心を持つ人間になっていたからだ。そして本来それは自分自身の内にあった力でもある。人間というのは自分が気分良く生きるために、感情によって外界の情報や脳内の記憶を都合の良いように解釈し直してしまう生き物らしい。
 私はその顕著な例だったと言えるのだろう。幼少期から感情を押し殺していたからこそ、抑圧された心が現実世界を歪めた。刹那を生み出したことや、舞美との一件で記憶を消去したのはその中でも大きなものだ。
 今回の件で一体何を見るようにしなければならなかったのか、それが今の私ならわかる。徐々にではあるが変わったからこそはっきりと言える。
 冷静に物事を見て判断することはとても大事だ。しかしながら私たち人間は『物事を冷たく分析するだけの機械ではけしてなく、感情をもってして他人のことをより深く知ることができる』のだ。
 人は自分の都合の良いように事実も記憶も解釈する生き物である。そしてそれは何も私に限ったことではない。
 ――そこまでわかれば自ずと答えは導かれる気がした。
 私は雪奈に再度視線を送った。
「記憶を取り戻すのは私だけの役目じゃない。それじゃあいつまで経っても舞美の件は解決しない。関わっているのは私一人じゃないのだから」
「どういう意味……ですか?」
 雪奈が細い眉を寄せ、困惑した声を上げる。それも仕方ないかと思った。だから私は諭すように声をかける。
「舞美は雪奈の本当のお姉さんではなかった。君も私と同じで心を封じられ、そして事実も記憶も歪めてしか生き延びることのできなかった人間だった。だから施設を退所後、そこで舞美に出会っていた記憶を塗り替えた」
 私の言葉に雪奈が俯く。向けられた目から逃れようとする。でも私の言葉は届くだろう。仮に耳を塞いだとしても、この言葉を私は彼女に伝えなければならない。
「実際に血縁関係がある人間でもない相手が寄ってきたとして、それをそのまま受け入れる人間がどれくらいいるだろうか? 舞美なら優しく接してはくれるだろうと思う。でも私のときがそうだったようにすぐにそれを否定するはず」
 だから雪奈は本当は舞美に直接会っていないのだ。
 ――そう最後の言葉を告げようとした瞬間。
 腹部に鋭く熱い痛みが走った。


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by zattoukoneko | 2011-07-19 17:36 | 小説 | Comments(0)


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