【小説】『絶体零度』3-4-1


3-4-1

 夏に降る雨はとても強く体を心地よく洗ってくれる。一方で冬に降る雨はしとしとと人を静かに冷やしていく。空から降る水であることに何ら変わりはないのに季節によって雨はその様相を大きく変えるのだ。
「そのことを教えてくれたのは刹那だったね」
 私は傘を差し出してくれている相手を見上げてそう告げた。
 彼女に聞いて雨の違いについて知る前まで私はこの世界に色があることすら知らなかった。色というものがあるということは頭の中では理解していた。当たり前のことだ。でも実際にそれを目で捉え、知覚し、そして一番重要な心動かすということをしたことがなかったのだ。だから私の世界には色彩がなかった。モノクロの世界よりもずっと褪せたところに住んでいたのだ。
 今でも瑠璃に暗に注意されている気がする。私は頭でばかり物事を考えてしまう傾向がある。自分や他人の心というものを無視しがちなのである。別に古臭い二元論を信奉しているわけではないが、けれど幼い頃から私は機械論の影響を多分に受けていたような気がする。瑠璃が毛嫌いする近代・現代科学の申し子というわけだ。
「ああ、だから私は瑠璃にあんなにも惹かれたのか」
 私がいつの間にか受け入れ、しかし実のところは薄々疑念を抱いていた今の社会の在り方に彼女は真っ向から反対していたのだ。その立場は何らかの解決策を生み出すようなものではなかったが、それでも私の望む姿の一つではあったのかもしれない。
 この社会は歯車が集合することによって出来上がった機械なんかではないのだ。私たちは、あるいは世界ですら心を持っている。色々なものを感じながら生活していて、それは簡単に割り切れるものではない。数字で出来ているわけではないのだ、私たちは。
 けれど成長していく中で私たち人間は数字で物事を測ることを覚えていく。距離にはメートル法が適用されているし、地球は緯度と経度で細かく分けられている。生活は時間によって刻まれ、風や雨の強さは天気予報で教えてくれる。
「刹那はそういったものを一切口にしなかった。気にしようともしなかった。私と一緒にいるときはいつも風や周りの景色を眺めながらゆっくりと歩いていたね。朝のテレビで天気予報が降水確率一〇〇パーセントだと言っていて、それを出かけようとする刹那に私が伝えたところで傘をすぐに手にしようとはしなかった。外に出て風の匂いを嗅いで、上空に吹く風と雲の流れを見て、それでようやく傘を手にするかどうか決めていたんだ。手にするのはいつも赤い傘だったね」
 雨が降るときはさすがに曇ってしまうから周囲の色が見えにくくなってしまうのだ。刹那自身はそれでも世界の色を楽しむことが出来ただろうけれど、強い色をした傘を手に持つことで周りの人に明るさに目を向けることの重要性を説いていたのだと今ならわかる。
 あの日、私の頭上に差し出してくれた傘もやはり鮮明な赤い色をしていた。悲しみに暮れ、世界の全てを呪い、でも壊すことが出来ずに私の方から世界を捨てようとしていた私に綺麗な色がそこにはあることを思い出させてくれ、そしていつの間にか降り出していた雨から私を優しく守ってくれたのだ。
 それは母に刹那なんてこの世に存在しないと言われたその日のことだった。私はその言葉に耐えられずに家を飛び出してしまったのだ。でも田舎の道は暗く、慟哭していた私は足をとられて転んでそのまま動けなくなってしまった。そこに刹那が迎えにやって来た。母の述べたことなんて嘘だったのだ。刹那はそこにいたし、いつも私の傍にいたのだから。
「助けてくれてありがとう。刹那がいなかったら私は生きていられなかったかもしれない。君が傍にいてくれることで心のバランスを保っていられたんだ。大学に入って、瑠璃に出会って、離れがちになってしまったけれど何かあれば刹那はすぐに私のところにやって来てくれた」
 本当に彼女には救われっぱなしだ。それを忘れていた自分が恥ずかしい。だから思い出した今こそ心の底からありがとうと言わないといけない気がした。
 感謝の気持ちを大事に抱き、そして実際に伝えながら私は立ち上がった。黙って傘を差し伸べてくれている彼女に向けて伝える。
「もう大丈夫。私は自分の足で歩けるよ。いつまでも地面にへたり込んでいちゃ駄目だな、しっかり自分の足で地面に立たないと」
 情けない兄で申し訳ないなと、思わず苦笑が洩れる。私は立ち上がってしっかりと目の前の人物の目を見つめた。
 その私に『彼女』が冷たく告げる。
「そうやってまた現実から逃げ出すんですか? 妹さんのいた世界に逃げ込むんですか?」
 私は首を横に振ってみせる。逃げる気なんてない。逃げる必要すらない。全てを思い出した今、私は逃げるのではなく現実に立ち向かう力を手にしたのだから。
 雨に濡れていた私に傘を差し出してくれたのは刹那じゃない。雪奈だ。そのことを初めから知っていた。
 雪奈に私は笑ってみせながら告げる。
「紛らわしい物言いをしてしまったね。でもそうすることが重要なことでもあったんだ」
 それから一つ疑問に思って彼女に問う。
「瑠璃たちとのやり取りは見ていたのかな? さっき『また逃げ出すのか』と訊いてきたし、私の妹は実はとっくに死んでいて、でもその幻影を私が作り出していたことはもう知っているということでいいかい?」
 私の言葉に雪奈は素直に頷いた。それからか細い声を発する。
「私にとって姉の手がかりになりそうなのは成明さんしかいませんでしたから。だからまた付き纏っていました。そして先程のご友人たちとの会話も耳にしていました」
 申し訳なさそうにそう告白する雪奈に私はなるたけ優しい声を掛ける。無感情と瑠璃に言われ、そして実際にそうであった私にそんな器用な芸当ができているかどうかは怪しかったけれど。
「別に咎めるつもりはないよ。雪奈にとって舞美が大事な存在だったというのはわかっているつもりだからね。ただ事情を知っているかどうか確かめたかっただけだから」
 それから私は話を戻した。
「あたかも雪奈のことを刹那だと勘違いしているかのように話しかけたのは、それが前にもあったことだからなんだよ」
「え?」
「別に雪奈とそうしたことがあったということではないよ。舞美との出会いがそれだったんだ」
 私の言葉に、それの意味するところを雪奈が気付いたらしく双眸を大きく見開く。でもすぐには応じず、私は一つ深呼吸をした。彼女にはこれから大事なことを伝えていかないといけない。その心の準備をした。ここにはもう刹那はいないのだから。
「舞美とのことを全て思い出した。妹である刹那との関係もね。だから雪奈に聞いてもらいたい。まずはどうして刹那のことを忘れていたのか、そこから話を始めよう。それから舞美を迎えに行こうと思う」
 それは辛い話になるけれど。でも私はこの現実の世界できちんと生きることを決めたから。だから何にも包み隠されない過去を取り戻しに行くことにする。


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by zattoukoneko | 2011-07-02 06:47 | 小説 | Comments(0)


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