【小説】『絶体零度』3-3-2


3-3-2

 手渡された書類を見つめる私に、恭介が釘を刺す。
「それは本物だよ。まあ正確には本物の戸籍謄本の写しだけど、僕もそれを入手してくれた人も一切改竄はしていない。そこに書いてあることが事実だよ」
 私は顔の上半分を手で押さえた。眩暈がするような気がしてならなかった。
「つまり何だ、妹の刹那はもうこの世にいないということなのか?」
「そうだね。そしてその死亡している年も重要だと思う」
 そう告げてから恭介は簡素な文章しか書いていない戸籍謄本に説明を口述で記載していく。
「飯田刹那は幼稚園に入園する直前、四歳の時に家の近くにあった用水路に落ちて溺死している。成明が小学校に入って一年が経とうとしていた頃のことになる」
「つまり飯田君が私たちに妹の話をしていた大学時代にはとっくに他界していたということになるのさ。君はずっと私たちに居もしない妹の話を私たちにしていたということになる。そう考えるとこの前話してくれた中学の時分にあった母君とのやり取りというのも再度熟考する必要がある気がするね」
 目を指で強く押さえていると網膜に妹の姿が映し出された。これは彼女が高校生の頃の姿だろうか。学校の制服らしきブレザーに身を包んでいる。
 瑠璃が厳しく、しかし寂しそうな雰囲気も含ませながら告げてくる。
「その妹は幻影だよ。実際に存在するわけじゃあない。君は死んだ妹の姿をどういう理由でか作り出し、あたかも実在するかのように生活をしていた。そのことをきちんと受け入れないといけない。さもなければ君が抱えているものがずっとわからないままになってしまう」
 彼女の言うことは正しいと思う。私が高校生や大学に入ったばかりの頃、地元の茨城で学校の制服としてブレザーを採用しているところはほとんどなかった。少なくとも私の住んでいるところから近いところには一校もなかった。
 私は瑠璃に訊いた。弱々しいその声は季節外れに出てきてしまった夏の蚊のようなものだったかもしれない。それでも瑠璃はきちんと聞き取ってくれた。
「私が妹の幻影を作り出していたことと舞美との件が関係していると瑠璃は考えているのかい?」
「そこまではわからない。でもきっかけになっている気はするね。君は今回の件で余りにも妹と白樺雪奈や櫻庭舞美とを重ね過ぎていたと私には感じられていたし」
 瑠璃はしばし視線を上に向けて言い難そうにする。いつの間にか空には鈍色の雲が厚く立ち込め始めていた。
「君にとっては話しにくいことだろうし、記憶まで変えていたということは思い出したくもないことなのだろうと推測する。けれどそれが君にとって大きな傷であり、それが今後の生活に支障を来すとするなら私は解決した方がいいと考える。私は心の専門家ではないから具体的に何か出来るわけではないけれど、しかし相談事があるならいつでも聞くし支えになろうと思っている」
 私の生きてきた世界が揺らいでいる。大きな音を立てて崩れようとしている。奈落の底に落ちそうになっている私に、瑠璃は支えになると言ってくれた。
 もしかすると話をすることで私の基盤にしていたものは瓦解してしまうかもしれない。けれどもうすでにそれは失われる寸前であった。私は彼女に縋ることにした。溺れる私の体重をその藁は支えられるかわからなかったけれども、そうするしかなかった。
「妹が死んだときのことは覚えていない。記憶にあるようだったら度々現れる刹那のことを訝しく思っていたことだろうしね。考えてみると確かに小学校低学年の頃に妹と一緒に過ごした記憶はない。彼女と頻繁に遊んだのは高学年になってからのことだ。年齢がある程度離れているからそれが自然なことだと思っていた」
 そこまで聞いた瑠璃がそれはおかしなことだと指摘する。
「それはもしかしたら思い込みによるものなのかもしれないね。おそらく幼少期の君にとっては妹がいない生活の方が自然だったんだ。けれど成長することに伴って妹がいたことを思い出してしまったか、それか何か妹の幻影を作り出してしまうようなきっかけがあったのかもしれない。どうだろうか?」
「……わからない、な。その頃に大きな事件があったという記憶はない」
 返答して、そこで私は思わず苦笑いを漏らしてしまった。
「私がそれを言うと説得力がなくなってしまったね。何もかも忘れてばかりだ」
 けれど瑠璃は私のことを馬鹿になどしなかった。真剣な様子を一切崩すことなく、そして私を懸命に支えようとしてくれる。
「忘れてしまっているなら仕方ないさ。それを無理に思い出そうとしてさらに記憶を捻じ曲げても困るわけだし。そこを悔いたり謝るのではなく、今は覚えていることから探っていくことにしよう。君が妹に会うときに規則性のようなものはなかっただろうか?」
 刹那と会う時は常に二人だけだった。さすがに周囲にまったく人がいないという意味ではない。瑠璃たちに少し前に話をした渋谷を一緒に歩いた時だって無人の街を歩いたわけではない。ただ知り合いに出会うことは一切なかった。今にして思えば瑠璃や恭介に妹の話はすれども実際に会わせたことがないのは彼女が実在しないと心の底ではわかっていたからではなかろうか?
 中学のときも高校のときも友人と刹那を引き合わせたことはない。彼女の友人に私が出会ったこともない。そして重要なことに身内のいる場ですら刹那の姿を見たことはなかった。
 ああ、そうなのだ。それで私はある日母にどうして刹那にはきちんと食事を与えないのかと問い詰めたのだ。母とのやり取りを私は都合のいいように書き換えていたと今ならわかる。私は食後に食器洗いをしている母に対し「どうして家族みんなの分の食事を用意しないんだ?」と問いかけ、それに対し母は訝しげな表情をしながら「みんなの分用意してるでしょ。それとも他の皆には見えてない誰かがそこに居るとでも言うの?」と答えたのだ。それが受け入れられずに逃げた先に刹那が待っていたのだ。
「飯田君が前回渋谷で妹と会ったという話では、確か仕事が始まって忙しくなってきた時期の話できちんと生活が出来ているのか見に来たんじゃないかと君は推測していたんだったね。でも実際にその妹は存在せず、したがって彼女の行動は君自身が頭の中で想像し、現実のものと思い込んでしまったという流れではないだろうか。即ち君が自分の生活である程度のレベルの苦労や嫌なことがあると、それを緩和してくれる役割を担っていたのではないだろうか?」
 瑠璃のその仮説を聞いて、しかしそれは微妙に違うということに気付いた。確かに私が生活に苦しくなると刹那は現れやすかったようにも思う。でも刹那が本当に私に伝えようとしていたことはそれじゃなかった。彼女は私を慰めるようなそんな存在ではない。もっと重要なことを私の中から引き出すために彼女は現れたのだ。
「成明?」
 突然恭介が戸惑い驚いた声を上げる。いつの間にか私は泣いていた。
「刹那は私に色々なことを教えてくれた。彼女は明らかに私に何かを伝えようとしていた気がする。その存在が私が創り出したものだというのなら、彼女を通じて感じたと思っていたものは私が本来望みながらも抑圧していた願望だったということなんだよ」
 刹那は大学でもっと遊べばいいのにと言っていた。瑠璃や恭介との生活も有意義ではあったが、それ以外の大学生活にも本当は憧れを抱いていたのだ。
 地元茨城に吹く風の心地良さを教えてくれたのは、それに気付きながらも普段の生活の中で忘れてしまっていた自身への注意喚起だったのだ。
「ああ、私は自分の欲求を封印してたんだ。それに気付こう、気付こうと自分の中に妹の姿を借りた自分自身を創造した。でも結局私は――」
 ついに空からは大粒の雨が降り出し始めた。
 空から降る涙に私は言葉を続けられなくなってしまった。どうして最近は刹那がいないのか。その理由に気付いてしまったのだ。
 気付くと私は瑠璃と恭介の元から逃げ出していた。彼女たちにそれ以上のことを聞かれたくない。私が刹那にしたことは余りにも残酷すぎる。
 泣いて、泣いて、私は街の中を彷徨い続けた。どのくらいの時間ふらついていたのかなどわかりようがない。何も考えたくなかったし思い浮かべたくもなかった。全てを頭の中から追い払い、逃げた先で元の生活を取り戻したかった。
 ただついに体が疲れ果て、私はその場にへたりこんでしまった。冬の雨は私の体温をほとんどすべて奪い去っていた。
 動けなくなって黒く濡れたアスファルトに膝を突く私の頭上に、唐突に赤い色の傘が差し出された。私の周囲で冷たい雨が急に止む。
 見上げた先に私はその姿を見つけた。
「ああ、刹那。久しぶりだね」


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by zattoukoneko | 2011-06-30 00:44 | 小説 | Comments(0)


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