【小説】『絶体零度』3-1-1


3-1-1

 恭介に調査の依頼をしてから一週間ほどが経過した頃、彼から瑠璃の店で待っていて欲しいと連絡が入った。
 仕事の忙しい恭介は約束の時間に遅れるだろうとは思いはしたが、性分として指定された時間より大分早く私は瑠璃の元を訪れた。今回は彼女の方にも連絡が行っているらしく、しかし変わらず不機嫌そうな顔をしてこちらを見遣った。
「私はここを待ち合わせの場所として提供しているつもりはさらさらないんだがね。品を買わずとも気が向いたときに寄って、陳列している物を興味深く眺めてくれれば商い冥利に尽きるというものなのだが、君たちはそういうことをまったくしてくれないときたものだ」
 そんな瑠璃の言葉に私は苦笑をもって返す。
「瑠璃が自分から商売をしていると言うと違和感を覚えざるを得ないのだけれども。それに仮にどこか別の場所で会おうと誘ったところで瑠璃はしっかりとやって来るのかい?」
「よっぽど重要な用事だったら行くさ。それだけの物が世の中にはほとんどないというだけでね」
「それで瑠璃は大学を追い出されたんじゃないか。少し基準を見直すことを奨めるよ」
 私の皮肉を、けれど瑠璃は紫煙を吐いていとも簡単に吹き散らしてしまう。それからその話題はもうお終いとばかりに話を切り替える。
「君が萩原君に自身の妹君や白樺雪奈と櫻庭舞美という小娘どもの関係を探って欲しいと依頼したのはすでに聞いている。私も含めて呼び出したということは何か気にかかる発見でもしたということなのだろうね。共に今後のことを考えようとそういうわけだ。君一人だと当てにならないだろうし」
「最後のは皮肉返しか何かかい?」
「事実を言ったまでだよ。私は互いに悪態を吐きあって不毛なやり取りをするような趣味なぞ持ち合わせていないからね。で、それは違うと言い張れるほどの働きを君自身は何かしたのかい?」
「痛いところを突くね。確かに具体的な何かを見つけ出したわけではないなあ」
 肩を大きく竦めて降参の意を私は瑠璃に表す。すると彼女は意外そうに片眉を跳ね上げた。どうやら私の台詞で気になる箇所があったらしい。
「それは見つかりこそしなかったものの探そうとはしたとそういうことかい?」
 相変わらず瑠璃は鋭い。私は彼女に頷き返すと共に、櫻庭舞美と共に訪れたあの高台に再度足を運んだことを告げた。具体的に調べることは恭介に任せているし、それ以上に私は自身の中に抱えている奇妙な感覚と向き合わねばならない気がしていたのだ。この正体がわかったとき、私は記憶を取り戻せるのではないだろうか。
「それは当たっているのではないかな。ああ、良い行動だと私は思うよ」
 瑠璃はそう口にすると何度も小さく頷いた。そして思考をいくらか整理してから話し始める。
「君はここに櫻庭舞美なる人物の体を持ち込んできたときから自身の思考を止めていたように私には感じられた。私の知る飯田成明なる人物はきちんと思考する人間だ。時折飛躍して物事を考えることはあるが、しかしそれは止まるのとは違う。君は明らかに何かから目を背けようとしていた。ただそれが無意識のうちに行なわれているためにそれを自覚することができなかったのだろう。それはつまり君が意識するのを拒みたくなるような何かを抱えているということ」
 そこまで喋ると瑠璃は言葉を止めた。そして微細な埃が舞う店内に視線を彷徨わせる。埃は目に見えるようなものではなく、また気になるようなものでもない。ただ長い年月の中で自然と発生し、厳然としてそこに存在しているというだけだ。
「この前私は君が妹のことをどう考えているのか無理に聞き出そうとしてしまった。あの時は狐にでも憑かれていたのかとすら思うよ。あれは私の本意ではなかった。飯田君は自ら自身を見詰めればいいし、そうしないというのならそれで構わない。ただもし君が変わっていこうとするのなら、私はそこに助力をしたいと思う。どんなにささやかなものであったっていい。それが出来さえすれば本望なんだよ」
 夜柄瑠璃という人間の募らせてきた想いというのは一体どのようなものなのだろう。彼女からは愛という感情に纏わる話をこれまで聞いたことがなかった。それは何も色恋沙汰だけを指すのではない。家族や友人、あるいは何か物に対する愛情を彼女は口にしてこなかったのだ。けれど愛する感情を一切持たずに人は生きていくことなど出来るものだろうか? おそらく瑠璃はとても数少ない人間に対してのみ自身の愛情を向けていたのだろうと思う。本当に大事にしたいと感じる人にのみ大きく心を寄せていて、そしてとても幸運なことにその相手に私は入っているようなのである。
 私は鈍感な人間であると言われるし、実際にそうなのであろう。しかしこれほど真っ直ぐな気持ちを向けられて気付かないほどではないし、それを撥ね除けるほど歪んだ性格をしているわけでもない。そして瑠璃の能力も信頼している。だから私は少し彼女と話をしてみることにした。
「瑠璃は私の思考が止まっていると言った。確かに記憶はない。元になる情報がないと物事を考えるのは困難になるが、それは止まっているとは言わない。瑠璃も多少述べていたがこうした例を出せばよりわかりやすいかもしれない。難しい数学の問題を解くときに手が動かなくなるのは、解法がわからなくて悩んでいるからではなく、そもそも問題文の意味がわからずそれを意識したくなくて考えることすら放棄してまうんだ。私がやっていることはまさにそれと同じだと瑠璃は思っているとそういうことだろう?」
「相も変わらず飯田君の言い回しはくどいね。でもその表現は大まかには合っていると思うよ。本当は自分の視野狭窄を主とした能力不足とそれに目を向けることへの忌避が原因なのだが、悪いのは目の前にある数学の問題なり自身の単純な暗記不足を理由だと主張してしまいがちなのが人間というものさ。今回の飯田君は事件のことに最初目が行き、そして次に己の記憶がないことに注意を向けた。ところが本当にやるべきことは君が目を向けるのを拒んだ物は何かを知ることであり、それが解決の糸口になるはずなんだ」
 咥えていたキセルを口から離すと、灰吹きを叩いて中に入っていた吸殻を落とす。しばらくコンコンと音を立てながら瑠璃は続けた。
「君はようやく自らの無視していたものに目を向け始めようとした。それは最初の一歩ではあるけれどとても大きなものでもある。私はそれを可能な限り支援したいから困ったことがあったならば言ってくれ給え」
 そのように述べる瑠璃の表情は大分すっきりした感じのものであった。先日が狐に憑かれていたというのなら、まさにその憑き物を落としたようにも思える。
 彼女は私の最近の行動を聞いて落ち着きを取り戻したということなのだろう。私が彼女の為に話せることはまだまだ少ないが、その道を進んでみろと後押ししてくれており、そしていつでも助けになるとまで述べてくれている。
「まあまだわからないことが多いというのは気に掛かるところではあるがね。ただそれを探求することが問題解決の糸口になるのだと思うよ」
「きっとそうなのだろうと私も感じているよ。ただ気を抜いているわけではないが、知らず知らずに記憶を封印してしまおうという働きが出てしまうとすると難しいのかもしれないな。実際に今までの段階では大きな発展はないわけだし」
「その点はさほど心配しなくてもいいのではないかね。困難を感じることは当然多々あるだろうが、肝要なのは自ら動き出すということ。それを継続していればいずれ何かが見つかると私は考えるね。それに君はもっと具体的に動きの取れる萩原君に調査を依頼しているわけだし」
 ちょうどそこで店の戸が軋んだ音を立てた。噂をすれば影というのは現実によくあることだからなかなか侮れない。いつも通りの草臥れたスーツに身を包んだ恭介が、しかしながらしっかりとした足取りで私たち二人の元へと歩み寄ってくる。
「急な呼び出しでごめんね。成明からお願いされた雪奈ちゃんや舞美さんの関係を調べているうちに奇妙な事実が判明したんだ。こっちもなかなか時間が取れないから刹那ちゃんとの関係までは調べられていないけど、でもこれは裏を取ることが出来た」
 彼はそこで瑠璃と、そして私の目をしっかりと見据えた。あたかもこちらを逃しはしないとでも言っているかのようでもあった。
 恭介が述べる。
「白樺雪奈と櫻庭舞美の二人には一切の血縁関係がないことが判明した」

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by zattoukoneko | 2011-06-11 10:44 | 小説 | Comments(0)


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