【小説】『絶体零度』2-3-2


2-3-2

 雪奈の連れてきたこの高台に私は覚えがあった。眼下には待ち合わせ場所に指定された大学のキャンパス。そのずっと先には何かの工場でもあるのか白い煙突のようなもの。街は全体的に広く区画の取られた大学側と古くからの家や店が並ぶやや雑多とした区画にレールによって綺麗に線引きされている。この眺望を私は一人の女性と並んで見た記憶がある。その女性が櫻庭舞美だった。
「私はあの時舞美にここに連れて来られて紹介されたんだ。そうだ、彼女も自分のことを下の名前で呼んでくれと言っていた。雪奈と一緒だ。あの日舞美は、故郷と東京の違いを何度か話しこちらは住みにくいと嘆いていた私をここに連れてきたんだ。ここには気持ちのいい風が吹くんですよと言って……」
 あれはまだ秋に入って間もない頃だった。物悲しさを奏でる茅蜩もいなくなり、空気中から熱も徐々に去っていた。そろそろ長袖に切り替えようかと逡巡するようなそんな時節。
 雪奈が期待とも不安ともつかない視線をこちらに向ける。
「姉のこと、思い出したんですか?」
 彼女の言葉に、しかし私は首を横に振るしかなかった。
「いや、思い出せたのはここに来たその時だけの記憶だ。舞美とどこで知り合ったのかや肝心のその後のことまではまったくわからない」
「そうですか」
 ぽつりとそれだけ呟くと雪奈は私に背を向け街の方に視線をやる。
「でも成明さんと姉が親しい間柄だったということはこれでわかりましたね。大好きだったこの場所も教えてくれているくらいですし。ちょっと……羨ましいくらい」
 高台に吹く風が雪奈の軽い髪を揺らして過ぎる。姉の舞美のときは風がそこまで強くなかったからか、髪の毛はあまり振られていなかったような記憶がある。
 そんなことを思っていたら雪奈がこちらを振り向くことなく訊いてきた。
「ここに来ることになった経緯は覚えています? できれば話してみてもらいたいのですけど」
「ああ構わないよ。私も話しているうちに記憶がもっと蘇ってくるかもしれないしね」
 あの頃私は仕事で行き詰まっていた。仕事内容そのものが大変だったというわけではない。そうではなくて意欲を持てなかったのだ。そしてそれがどうしてなのかもよくわからず、だからこそ壁にぶち当たっていた。
「そんな悩みを舞美に漏らしてしまってね。そうしたらいい所があるとここに連れて来られたんだ」
 あの時の舞美は先程雪奈がやっていたのよりずっと大きく腕を広げて風を全身に浴びていた。
「ここの風は気持ちがいいでしょう、と。そして遠くからやって来るものだから開放感もある。目の前の景色も開けているしと、私の閉塞した状態を心配し打開してくれようとしていた」
「…………」
 私の話をじっと聞いていた雪奈は、私には見えなかったけれど、小さく笑みを漏らしたようだった。
「それ、確実に姉です。開放感ということなら景色を先に紹介しそうなものなのに、風のことから言っているんですもの。姉はここに吹いている風がとても好きだったみたいなんです」
 それから雪奈は自分の想い出を語り始めた。
「私は連れてきてもらったわけではなく、偶然姉がここに繋がる路地に入るのを見つけて後を追ったのです。路地は歩きにくくて、いつも通いなれている姉に少し遅れを取ってしまったんです。ここに着いたとき、姉は地面に寝転がっていました。季節は初夏の頃で、白いワンピースを身に付けていました。そんな汚れの目立つ格好で地面に寝転がっていることに驚くと同時に、服の裾が風で靡いているのがまた印象的でした。風を感じることが気持ちのいいことだとそのとき初めて知ったんです」
「あ、それは……」
 雪奈の想い出を聞いているうちに私の脳裏に思い浮かぶ別の光景があった。それは彼女の姉とのものではなく、そしてそれよりもずっと大切に思っていたもの。
「それを私に教えてくれたのは妹の刹那だった。東京とは逆で私の故郷では風は当たり前のもので、だから特別意識したことはなかった。でもある風の強い日に私を外に連れ出して『この風の気持ちよさを感じてみて』と言ったんだ。そのとき初めて風というものが人の周りに自然にあって、そしてそれが優しく撫でてくれる存在だと知ったんだ」
 そしてさらにある事実が重なる。
「あの時私の家庭はあまりうまくいっていなかった。荒んでいるというほどではなかったが、私は高校受験の間際でそれに関して両親と祖父母が意見を対立させていた。私立の進学校に行って欲しいと望む両親と、一方でそれまで仲良くしていた友人らのほとんどが進む近くにある公立校の方がいいだろうと考える祖父母が揉めていたんだ。私は両方の立場がわかって、だからこそどのようにそれを解決するかも、果てはどう勉強したらよいのかもわからなくなってしまった。妹はまだ小学生だったから細かい話はわからなかっただろうけど、でも私を風の強い日に外に連れ出した。今なら言葉にできる。刹那は『頭だけでは考えられないこと。体や心で実際に感じることがあって、それも大事にしないと何も決められない』と教えてくれたんだ」
 雪奈がゆっくりとこちらに体の向きを変える。
「それで成明さんは進路を決められたんですか?」
 大きく首を縦に振って私は応じた。
「両親や祖父母のことを抜きにして自分のやっていることだけに集中してみることにした。つまり受験勉強だね。そうしたら問題を解くことが楽しくなっていたんだよ。特に難問とされるものに取り組むのに夢中になる自分がいてね。それに気付いたから私は両親と祖父母に『勉強をすることが面白い。将来これで生計を立てようとまでは今のところ考えていないけれど、色々なことを学びたい。だから進学校を目指してみようと思う』と伝えて納得してもらった」
 思えば東京の大学に出てくることになったのももっと学べることがあるんじゃないかという渇望からだった。私は元々頭のいい人間ではなかったが、それでも一所懸命に勉強し、そしてそれが苦ではなかったから名門校に合格することができた。
 でもそこでふっと苦笑が漏れた。
「頑張って勉強はしてきたけどね。それが『勉強』のすべてではないとすぐに気付いたよ。雪奈も知っている瑠璃などの友人と出会い、自身の世間に対しての思慮の浅さを知った。私はとても視野が狭窄した状態でずっと生きてきたんだ。それでは駄目だろうということに気付いたのが大学に入って間もない頃だった」
 そこでさらに私は思い出す。刹那が私に「せっかく東京の大学に出たのにもったいない」と言い始めたのはその頃だった。
 と、急に雪奈がくすくすと笑い出した。疑問に思った私が何事かと問いかけると、笑みを浮かべた状態のまま答えてくる。
「何だか妹さんにすごい示唆を受けていたんだなと思って。あ、笑ったのはバカにしたからじゃないですよ? そうではなくて大抵は年上の人からアドバイスをもらうのではないかなと思ったものですから」
「それは、雪奈から見たお姉さんのことを思い浮かべているのかい?」
「そうかもしれません。私は姉から大きな影響を受けましたから。年齢の順番は逆転していますが、成明さんと妹の刹那さん、私と姉の関係はいくらか似ているのかもしれません」
 彼女の言葉に納得すると同時に、しかし一つの疑問が思い浮かぶ。
「雪奈はお姉さんのことをきちんと覚えていた。大事な存在だったんだから当然だと思った。ではどうして私は今の今まで妹のことを思い出せなかったのだろう? 私にとっても妹は大事な存在なはずなんだ。雪奈のようにはっきりと憧れのような感情は自覚していなかったとはいえ、それでも大切に思っていた。なのにどうして彼女との想い出をはっきりと覚えていなかったのだろう?」
 雪奈と舞美の関係は私と刹那のそれとは違う。雪奈は施設に預けられていて、姉の舞美に出会ったのは大きくなってからだ。だから感激も大きかったろうし、その分印象に深く残っているのではないかと思う。しかしだからといって私が妹とのことをきちんと覚えていなかったのが当然であるとは言えない。
 それに何より――
「私は妹の想い出を、雪奈がここに連れてきて、そして舞美ともここに来たことを思い出してようやくはっきりと自覚した。どうやら私は自分の妹のことを、君たち姉妹を通じて知っていっている気がする」
 私は雪奈の方を真剣な眼差しで見やった。訊く。
「君たちはどうして私の妹とそこまで似た部分があるんだい? ただの他人の空似とは到底思えない」
 その問いかけに、しかし雪奈は視線をすぐに外してしまった。困惑した声音で返してくる。
「私に訊かれてもわかりません。刹那さんのことを私はまったく知らない。成明さんを通じていくらか話を聞いて、そこでの知識しか持ってません。それに似ているというのも成明さんの視点です。確かにいくらか共通する部分があるようにも感じますが、でもそっくりだとまでは私には思えないです」
「…………」
 戸惑う雪奈に私はそれ以上の追及をすることができなかった。舞美と一緒に来たときと較べて冷たい風が私たちの間を行き過ぎる。
 結局その日はそれ以上することが思いつかず、雪奈とは別れてしまった。
 けれど一度私の中に生じた疑問の火は秋の風くらいでは掻き消されはしなかったようだ。私はすぐに恭介に連絡を取り、次の日に時間を調整して会う約束をした。


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by zattoukoneko | 2011-05-31 21:37 | 小説 | Comments(0)


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