【小説】『絶体零度』2-3-1


2-3-1

 その日は平日であったが私は取材やその他の大きな仕事を抱えていなかったので雪奈に会うことにした。雪奈のほうも大学に通っているわけではなかったし、別段用事もなかったらしく呼び出しに応じてくれた。
「今日は少し風が強いみたいですね」
 雪奈はそう言いながら体を少し縮こまらせた。いくらか肌寒いとはいえまだまだ厚手のコートを着てくるには早く、前回と同じカーキ色の出で立ちで現れた。彼女は先に待ち合わせ場所に到着していた私を見つけると一言目でこう発した。
「何か思い出すことはありませんか?」
「うん?」
 雪奈の問いかけの意味がわからず、私は疑問の声を上げる。それで私が特に何も思い出せていないことを察したらしく「ダメでしたか……」と嘆息混じりに呟いてから雪奈が説明する。
「ここ、待ち合わせの場所としてはあまり相応しくないと思いますよね?」
「そうだね。私はここの関係者ではないわけだし」
 私が雪奈に来るように言われたのは二十三区内からは離れたとある美術大学の正門前だった。
「姉はここの生徒として通っていたんです」
 それで待ち合わせ場所にここを指定したということか。しかし残念ながらここにやって来たという記憶はない。もしかしたら忘れているだけかもしれないがそれを掘り出すだけの強い刺激もない。
 雪奈にそのことを伝えると少しがっかりした様子を見せた。でもすぐに気を取り直して話を再開する。
「学校が近いので姉はこの付近によく来ていたんですよ。服の買い物などは区内に出かけることが多かったですし、交通の便から住んでいるのもそちらの方でしたけど。けれど何より姉は都市部より緑地の多いこちらの方が好きだったようなんです」
 そして雪奈は正門前から離れて歩き出す。
「姉のことを直接知ることができる場所と言われても、私には思いつかないのですよね。むしろ私はきちんと知っているからこそ記憶をなくしたという成明さんに何をお見せすればいいのかわからない。ただ――」
 話しながら先を行く雪奈が振り返る。
「姉と親しくしていたのならこの辺りに来たことがある可能性がありますよね。だから周囲を眺めているうちに何か思い出すことがあるかも。それに私にとっても大事な思い出になっている、姉の大好きな場所があるのでそこにも行きましょう」
 私自身が記者という仕事をやっているから東京も二十三区外の場所に取材をしに行くことはたびたびある。ただそれはあくまで仕事であって、取材先も大手企業や大学の人間であることがほとんどだ。そのせいか、確かに都心部よりビルの密集度は減っているのだが私の地元に比べればずっと道路や交通網も整備されていて都会と感じるのだ。
「そうなのかもしれませんね。私はこの前言ったように孤児として横浜で育って、その後は東京。旅行なんて行ったこともないのでこの狭い世界しか知らないんですけど」
 そう述べた雪奈は軽く伸びをするようにして腕を横に広げた。
「でもこっちの方が風が気持ちよくありません? こうやってみるととてもよくわかりますよ。風ってきちんとどこかから運ばれてきているものなんだなって感じます。都市部は風の流れもよくわからなくて、何だか閉塞した世界なのかもと気付かされたんです。……姉のおかげで」
 遠くから吹いてくる風を感じながら話す雪奈を見ていて、私は何か懐かしいものを感じた。ただ大分昔のことなのか、その正体が何であるかまではきちんと思い出せない。
 私が眉根を寄せて悩んでいると雪奈が気持ち良さそうな声をかけてきた。
「成明さんもやってみたらどうですか?」
「あ、ああ」
 言われて私も腕を広げる。会社に勤めるようになってから普段でもスーツを着ることが習慣化したため、風はそれほど感じることはできなかった。それでも雪奈の云わんとしていることはわかった。告げる。
「都市部に吹いているのはビル風だったり自動車の巻き起こす風だったりするから、あれは気持ちのいいものではないね。ここに吹いているのは自然の、本当の風だよ」
 そこまで述べてふと思い至る。
 先程感じたのは私の故郷の茨城の感覚だ。主要都市はやはり発展しているが、それでも常に自然の風が吹いている。私の出身はもっと田舎だったから尚更だ。
 それは茨城の中にずっといてはわかり得ないはずのもの。東京などに出てこなければ気付かなかったものだ。でも、私はその感覚を東京に来る前から知っていた。それは確か――
「実は成明さんと姉の関係をさらに調べさせてもらいました」
 唐突に雪奈がトーンを落として声を発する。それで私の思考は中断させられた。
「私は姉の友人関係までよく知りません。そこまで話したことがなかったので。でも数人は知っていて、隠し撮りしたあなたの写真を持って聞いて回りました。そうしたらお一人だけ見覚えがあるという方を見つけたんです」
 雪奈はそこで立ち止まり私の方へと振り返った。
「成明さん。あなたは姉のことを知っていたんですよ」
 少し視線をきつくして見つめてくる彼女に、私は首を横に振ることしかできなかった。
「すまないけれど覚えていない。雪奈の調べてきたことを否定する気はないけれど、記憶にないのだから思い出しようがないんだ」
 それを聞いた雪奈はしばしその後も私に視線を向けていたが、溜め息を一つ吐くと力を抜きながら視線を外した。
「わかってます。私も記憶を失っているなんて信じられませんでしたが、今では本当なんだろうなと思っています。会話をしているうちに成明さんはとても実直な人なんだなと感じるようになりました。ただ事実として姉とは知り合いだった……」
 雪奈は体の向きを戻すと再び歩き出す。
「ただ記憶を失ったというのならその原因がどこかにあるのだと思います。そしてそれは姉に深く関係している。そういえば成明さんも私に姉のことを知りたいんだと言ってきたんでしたね」
「ああ、そうだね。私も雪奈のお姉さんのことを思い出さなくてはいけないだろうと考えている。自分に何か原因があるのだとしたらそれを知らないと自身のためにならないのではないかと感じたのが最初だし、今では今回の件で私のことを心配してくれている友人たちのためにもそうすべきだと思っている」
「友人ってあの骨董品屋の?」
 訊きながら雪奈がこちらをちらりと見たのを確認したので、私は頷いてみせた。
「夜柄瑠璃というんだ。大学時代からの友人だよ」
「あ、それは……」
 私の答えを聞いた雪奈が表情をちょっと困らせたものにする。若干どもり気味に言葉を再開した。
「すでに知ってました。成明さんの友人関係や出版社に勤めていることは最初に私の方から話しかけたときには……」
 どうやら雪奈が私のことを付け回していたらしいというのは本当だったようだ。確か恭介が話してくれたと思うが、私がまだ警察から行動を監視されていたときに雪奈の姿も見つけ、担当していた刑事が接触したのだ。きっとあの頃には私のことを相当調べていたのだろう。
 それは別に怒るようなことではない。やや行き過ぎた感は否めないが、雪奈が姉をとても大事にしているということはもう十分わかっているし、大きな心配からそのような行動に出たというのなら強く責めることはできないのではないだろうか。
 私がその考えを雪奈に伝えると彼女はほっとした顔をした。
「ありがとうございます。自分でもいけないことだとはわかっていたんですが、成明さんのことを調べる以外に方法が思い付かなかったので」
 そんなことを述べながら、私のほんの少し先を行く雪奈が急に家と家の間に挟まれた細い径に体を滑り込ませた。
「どこに行くつもりなんだ?」
 今日は彼女の姉の通っていた大学と頻繁に足を運んでいたこの街を見て歩くということではなかったのだろうか。そう疑問に思ったので尋ねる。雪奈は日陰になってやや暗くなっている路地から出ることなく答えてきた。
「姉が大好きな場所があると言ったでしょう? それ、この先にあるんです」
 そうして雪奈は臆することなく先へと進んでいく。そこは男性である私にとっては大分狭く、体を傾けて入るしかなかった。その小径は結構長く、舗装もされずに土が剥き出しになっている。また緩やかにではあるが上り坂になっているようであった。
「かなり進むね。それに何だか空気の感じが変わってきたような?」
 私のその言葉に雪奈が嬉しそうな声を返す。
「あ、気付きました? 目的の場所に着いたら驚くと思いますよ。それまでは秘密にしておきます」
 どうやら雪奈もそこに行くのが楽しみらしい。秘密というなら無理に訊くこともないだろう。そのまま彼女に付き従う。
 やがて狭かった路地の出口が見えてきて――
「ね、すごいでしょう?」
 そこはちょっとした高台になっていて街の様子が一望できる場所だった。近くには常緑樹が何本も生えており、強めの風が語りかけてきた雪奈の髪を揺らす。
 狭くて薄暗い路地を抜けたら別世界が広がっていたというのは十分に驚くに値するであろう。でも私の驚きはそれとは違うものであったし、むしろ衝撃と呼ぶべきものであった。
 半ば愕然としながら声を漏らす。
「私はここに来たことがある。――雪奈のお姉さんと一緒に」


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by zattoukoneko | 2011-05-29 03:53 | 小説 | Comments(0)


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