【小説】『絶体零度』2-1-1


2-1-1

 思えば女性と二人きりで出かけるというのも久しぶりである。一応記者として働いているから様々な人に出会うし、その中には女の人もいる。取材後に食事などに出かけることもあるが、しかし結局それは仕事の延長線上であり、恋愛感情などの私情を挟むことはあり得ない。
 そのようなことを言ったら同僚に馬鹿にされた。職場なんて恋人探しの場だろうと。
 もしかしたら一理あるのかもしれない。人間というのは理知的な生物であり、理性によって自我をコントロールしているものだし、そうすべきだという考え方はある。しかしながらその論の中には「生物」という言葉が入っていることに留意しなければならない。生物である以上性欲は切り離せないものであり、したがって異性に対して欲情を覚えるのは自然の摂理だとも言える。
 私だって性欲はさっぱりないとは言わない。クラスの綺麗な女子に鼓動を高鳴らせた経験もある。しかしそれが「恋愛感情」かどうかと問われると明確な答えを導き出すことは出来ないのだ。この場合性欲と愛情は別物だとかそんなことを話したいのではない。あれはただの憧れとか、もっと言ってしまえば周りに流されただけのものだったのではないかと思うのである。
 ただ雪奈がカーキ色のコートに身を包んだ姿を人影の中から現したときに感じた気持ちを、少なくともこの時の私は表現することはできなかった。
「待たせてしまいましたか? 時間には間に合ったつもりなのですけど……」
 駅前が待ち合わせのメッカとなっている場所で、私の姿を見つけて近寄ってきた雪奈がそのようなことを言う。私は否定するために首を振った。
「いや、仕事柄予定の時間より大分余裕を持って行動するのが習慣化していてね。別に雪奈が気にすることは何もないよ」
「成明さんは確か出版社に勤めていたんでしたっけ?」
「そうだね。取材を申し込んだのに相手を待たせるわけにもいかないだろう?」
 私がそのように答えると、雪奈は小さく苦笑いをした。
「私は取材相手なんですか? 確かに姉のことを話すという意味では近いのかもしれませんが、私は協力するだけのつもりだったので普通のお出かけと同じ気持ちでやってきたんですけど」
 彼女の言葉とその何気ない仕草に思わずどきりとしてしまった。狼狽していることを隠そうとして、しかし下手に声を出したものだから口調がおかしなものになる。
「あ、ああ。言われてみればその通りだ。取材ということなら仕事になるし、それなりの対価も支払わないといけないしね」
 私の言葉に雪奈は悪戯な視線を私に向けてきた。
「では『対価』としてお昼をご馳走してくれますか? とても、というわけではないですけど、ちょっと値段の張るお店があって前々から行きたいと思っていたんです。いいと言ってくれるのならばぜひこの機会に」
「そのくらいなら構わないよ。料亭に連れて行ってくれと言われた日には会社から経費が落とせるか交渉しないといけないけれどね」
 これではまるでデートでもしているようではないか。それどころか年齢差を考えれば犯罪事にすら見える。
 ……いや、そのようなことを考えるのはやめにしよう。私は雪奈のお姉さんの話を聞くことを目的にここにやって来た。意識を向けるべきは白樺雪奈ではない。櫻庭舞美の方だ。それを忘れてしまったら私は何も成し遂げられないだろう。
「じゃあお姉さんとよく行っていたところに連れて行ってもらえるかな?」
 私のその要望に雪奈は首を捻る。
「姉とはどこか特定の場所にいつも行っていたという感じではないのですよね。二人で買い物に出かけるのが主で、それもウインドウショッピングという感じでしたから」
 その彼女の言葉に、私の先程の決意が折れそうになったのは言うまでもない。
 しかし雪奈はそれに気付くはずもなく、姉と歩いたのはこちらの方向だと示しながら歩き出してしまった。仕方なく私はそれに付き従う。
 東京にある大きな駅の多くはそのすぐ近くに大きな店が並んでいるものである。もちろん地方でもこの傾向はある。鉄道というのは地上における物流の要であるから駅の近くに百貨店や量販店がつくられやすい。これは何も日本に限ったことではないのだが、ただ日本の場合は街によって特色がやや異なるようだ。これはアメリカのように鉄道によって新しい土地が切り拓かれたわけではなく、元々歴史ある街に鉄道がやってきたことに由来するのだろう。銀座は商業の側面を多分に持った高級ブランドの繁華街であるし、秋葉原は戦後真空管などを売っていたことから電気街へと成長した。また私たちが今歩いている渋谷は、名前の通り谷が多かったために発展が困難を極め路地が入り組んでいるが、七十年代に新しく百貨店が出来たのをきっかけに新宿を超える若者の街として注目を集めた。
 しかしいずれにせよ東京というのはごちゃごちゃしている。上京してきてから随分経つが、どうにも周囲の人間がどのように動こうとしているのか先読みできないのだ。そのせいでうまく前に進めない。
 それは人に気取られない程度のものだと思っていたのだが、どうやら私がまごついているのを雪奈が察したらしく歩む速度を遅くして声をかけてきた。
「成明さんは人混みが苦手なんですか?」
 彼女の台詞は疑問形ではあったが、ほとんど確信を持って言っている感じであったし、嘘を吐いてまで否定することでもないので私は首を縦に上下させる。
「出身が田舎でね。実家は福島と茨城のちょうど県境にあるのだけれど、道路にこんなに人がいるなんてことはないんだよ。お祭りの時だってここまでにはならないね。そのせいかどこを見たらよいのかわからなくなってしまうのさ」
「そうだったんですか。私は神奈川にある施設で育ったので人でごった返している方が日常なんですけど。うまく歩く方法、そうですね……」
 雪奈はそこで少し考え込んだ。人差し指を唇に当て、自分が普段どのようにしているのかその思考を探っているようだった。
 指を下ろして言葉を紡ぐ彼女の答えは、やや抽象的でありながら正鵠を射ているように感じられた。
「自分の進むべき方向をきちんと見定めていれば真っ直ぐ歩けると思います。もちろんある程度周りの人のことも気にしないといけませんが、気を取られすぎるのが一番迷いやすいんじゃないかという気がします」
 そう答えを出した彼女の見ている先にあるものは何なのだろう? そして私がこれまで進もうとしてきた方向はどこを向いていたのだろう?
「とりあえず私を目印に歩いてみたらどうですか? 行く場所を成明さんは知らないわけですし」
 雪奈は先程の言葉の続きとしてそのような提案をしたのだと思う。私は自分がふと気になったことを口には出していなかったし、その内容を知る由もない。しかしタイミングのせいか妙に心に響いてくるものがあった。
 でもそれは本当に『私の進むべき道』なのだろうか。雪奈も結局は他人でしかない。彼女の言葉に従い、彼女の後ろについていくことが本当に自分のためになるのだろうか?
 私は……それに明確な答えを導くことができなかった。
 だから彼女が体をくるりと反転させて歩き出した時、私は『とりあえず』その姿を追うことしか出来なかった。その先に自分の求めるものがあるのかどうか、視界をすっかりと遮る濃霧の中を彷徨っていく。


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by zattoukoneko | 2011-05-14 04:13 | 小説 | Comments(0)


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