【小説】『絶体零度』1-4-2


1-4-2

 雪奈は視線を落とし、カフェモカのカップにそれを落ち着かせると言った。
「あなたが姉の記憶がないというのは、実は結構信じていることなのです。あるいは親しい間柄ではなかった。なぜなら……姉の姓は『白樺』ではないからです」
「それはつまり、雪奈はお姉さんとはお母さんかお父さんが違うということかな?」
 知って間もない人物に訊くのも不躾な質問かと思いはしたが、しかし避けることのできないものでもある。雪奈も訊かれて当然だと考えていたようで、特に嫌な顔を見せることもなく回答する。
「実はそれすらも明確にはわかっていません。私、養護施設で育ったんです。中学卒業後は専修学校に進み、そのときに親のことなどについて独力で調べてみたのです。施設に預けられた理由も知りましたが……申し訳ないですけど話したくありません。ただその中で姉の存在を知り、そちらには会ってみたくなったのです。私は専修学校を終えてすぐに東京で働き始めましたが、それと同時に大学生になっていた姉に実際に会うことを決意しました。二年前のことです。姉は私のことを知らなかったようですが、とても親身になってくれ、大学にも入れるようにと支援を始めてくれました。けれどある日を境に姿を見なくなった。街中で姉のことを聞いて回っていたら、いなくなった日に一人の男性と一緒にいたらしいことがわかったのです。それが――あなたです」
 雪奈は言葉の中では語りはしなかったものの、その時々潤む眼や揺らぐ口調からお姉さんの存在がいかに重要なものになっているかがよくわかった。彼女は養護施設、平たく言えば孤児院で育ったと話していた。両親には会いたくなく、しかし優しくしてくれたお姉さんを親のように思っていたのかもしれない。
「あなたのことを調べているうちに刑事さんに職務質問されて。その際、当然明言したわけではないですけれど、私自身が調べていたことと照らし合わせてどうやらあなたが姉を殺した疑いで捜査されているらしいとわかったのです。けれど先日直にあなたに接触してみて、そして私の名前をあえて伝えたときに何の反応もなかった。普通ならすぐに名字が違うことを指摘すると思うのです。でもそうしなかったということは、あなたの言うとおり記憶をなくしているか、そもそも知らなかったか。けれど私の調べでは直前に親しく話をしていたようだし……」
 次第に雪奈のお姉さんを知らないことが、私の中で大きな違和感になってきつつあった。どうして私はその人物について何も知らないのだろう。周囲から見て親しくしていたと思えるくらいには仲良くしていたのだと思う。でもそのことを私は覚えていない。そして何故そのような相手を殺してしまったのか、それもまったく思い出せない。
 私にとってその女性は鍵になる気がした。もしかしたら鍵を持つ彼女はパンドラとなるかもしれないが。しかし箱は蓋を開けてみなければ中を見ることができないのも事実というものだ。ならば私は、その鍵に手を伸ばそうと思う。
「雪奈。私は未だに君のお姉さんの名前を思い出すことが出来ない。教えてもらえないだろうか?」
 請われた雪奈は私の目をじっと見つめ、その視線を外すことなく答えてきた。
「櫻庭舞美」
 私はこちらを吸い込まんとする雪奈の視線を受け止めながらもらった名前を何度も反芻する。綺麗な瞳を見つめ返し、しかし彼女から反射するものは何もなかった。小さく溜め息を漏らしながら首を横に振る。
「そうですか」
 雪奈は短く一言だけそう言った。
 しかし私はまだ諦める気にはなれなかった。記憶を取り戻すことで何かが変わるという感覚が強くなっていた。いや、確実にそうなのだ。私はどうしてか記憶を失った。そこには私自身に関わる重要な何かがあるはずなのである。今思い起こせば瑠璃もそのことを仄めかしていたではないか。
 私はしばし逡巡した後、意を決して雪奈に迫った。
「もしよかったら雪奈がお姉さんと一緒に出かけたところなどに連れて行ってくれないだろうか?」
「……え?」
 案の定というか言われた雪奈は呆気に取られた表情をした。でも私にも考えがあったのだ。
「彼女のことを思い出すことが今回の事件の真相を暴き、そして私が無意識の中に閉じ込めてしまった何かを引きずり出すことで転機を迎えられる気がしているんだ。けれど今の状況としてお姉さんである櫻庭舞美さんは私の近くにいない。ならばその人をよく知っている雪奈が間に入って色々なことを教えてくれることで、やがてお姉さんのことを思い出すのではないだろうか」
 その言葉を聞いた雪奈は戸惑いながらも思案し始めた。私はそれを見ながら続ける。
「君のような若く年頃の女性に、私のような人間が付き纏うことに抵抗も感じると思う。年齢だって倍近く違うんだ。私も多少は周囲の目が気になるだろう。瑠璃――古くからの友人は『無頓着な人間だろう』と言うかもしれないけどね。でも私が記憶を取り戻し、そしてお姉さんが生きているとしたら、その記憶は彼女の行方を知る手がかりになるかもしれない。それは雪奈にとっても望ましいことだろう?」
「…………」
 雪奈は大分長い間思案を続けていたが、やがて音になるかならないか程度の小さな息を吐いて、それからようやく自分で注文してきたカフェラテに手を伸ばした。
「そうですね。正直半月ほどあなたのことを調べてきて、でも行き詰まってはいたんです。私を欺こうとしているのかとも思いましたが、話を聞いている感じからするとそうでもない気がします。なら協力をして姉のことを調べるのも一つの手かと思います」
「提案に乗ってくれるということかい?」
「はい。……どうしてそんな驚いたような顔をするんです? その提案をしてきたのはあなたじゃないですか」
 言いながら安物の磁器を口元に運ぼうとしていた雪奈が、ふっとその手を止める。
「あ、もしかしたらですけど年の差を気にしすぎているのかもしれませんね。お互いに協力するということですから余計なものが入って阻害する要素になっても困ります。所詮は協力者と、少し誤解を招くような言い方をすれば友人のように接してくれた方がいいのではないかと思います」
 白いカップを両手で包み込んでいた彼女は、さらに思いついたことがあるらしく、ちょっとの間を空けてからすぐに話を再開した。
「そういえばあなたに私のことを『雪奈』と呼んでくれと言いましたね。逆に私は『あなた』とばかり呼称していて、何だか突き放している感じを受けるかもしれません。もしよかったら……そうですね、私も下の名前で『成明さん』と声をかけるようにしていいですか?」
「あ、ああ。もちろん構わないよ。でもそれだと君の友人が変な誤解をするのではないかい?」
「そういうことを気にしていたら一緒に姉探しなんてできないんじゃないかとさっき言ったばかりじゃないですか。成明さん?」
 雪奈は苦笑交じりに告げ、そしてからかうように最後に私の下の名前を呼んだ。
 彼女がそれでいいと言うのならば構わないのだろう。彼女の論も一理あると思えるからだ。私情を挟み過ぎるのもよくないことであるが、逆にそれを気にしすぎるのも支障を生むだろう。ならば自然に振る舞うこと。それが無理ならまずは形からというわけだ。
 とりあえずの方向性は決まった。今後どうなるかわからないけれども、動き出すところまでやって来たのだ。
 テーブルを挟んで向かい側にいる雪奈が両手でカップを持ち、ようやくカフェラテに口をつけるのを見て、私は不思議な感覚を覚えながら一つ質問をした。
「冷たくなってないかい?」
 口を離した雪奈が答える。
「まだ、少し温かい」

   ‐第一章・了‐


   『絶体零度』2-1-1へ
by zattoukoneko | 2011-05-09 13:08 | 小説 | Comments(0)


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