【小説】『絶体零度』1-3-1


1-3-1

 その日瑠璃の所を訪れると、彼女は相変わらず人のいない店内で刻み煙草を燻らせていた。昼の一時を回ったばかりだというのに薄暗い店内。古い扉は店主にもはっきりとわかるくらいには大きな鴉軋を立てたはずであるが、かの人物はこちらを見ようともしなかった。私が彼女の目の前までやってきたところでようやくこちらに視線を寄こす。
「元から君に期待しているわけではないけれど、面倒をかけたのだから菓子折りの一つくらい持ってくるのが筋なのではないかとも思うね」
「期待していないのだったら別にそんなことを言わなくてもいいじゃないか」
 私は肩を竦めながら答えると、近くにあった椅子に腰を下ろした。
「まあ迷惑をかけたとは思っているよ。瑠璃も事情聴取なるものを受けたとは恭介から聞いているしね。ただどの程度の『迷惑』だったのかわからないから菓子折りも選びようがなかったし、そもそも友人にそこまで畏まるのもどうかとね」
「確かに君から三つ指ついて頭を下げられようものなら全身鳥肌にまみれていたかもしれないね。その後に一体どんな恐ろしいことを言われるかとさ」
 瑠璃は冗談とも本音ともつかない台詞を吐くと、はだけた着物を寄せ上げながらこちらに体の向きを変えた。
「けれど警察に色々勘ぐられるのは気分のいい物ではないのは確かだったよ。件の部屋はもちろん店の中も散々調べられたし、署では不躾な視線を向けられたし」
「瑠璃がそんなことを言うなんて珍しいね。大学時代から周囲の視線を集めてたじゃないか」
「あれは興味本位というやつだろう? 探りを入れてくるようなのは話が別さ」
 確かにそれは嫌なものだなと思うと同時に、瑠璃には悪いがそれも仕様のないことだと感じた。彼女は骨董品なんぞを売っていることからも類推できるように身につけている着物もけして安物ではない。一方で店はまったく繁盛している様子もなく、どこからそのお金を手に入れているのかは周囲から見ていてかなり謎である。おそらく警察の方もその点に関して怪訝に思ったのだろう。
 実は長年の友人である私ですら彼女の生活に関して詳しくなかったりする。だがそれも当然というものだろう。親しい友人でも相手の家庭環境について深く立ち入ることはまずないのだから。
「ともかくその警察の連中が部屋を調べた結果、確かに私のものとは違う女性の体液が少量見つかったそうだよ」
「それについては私も取調べ中に聞いたよ。驚いたね、昔は時間も金も膨大にかかったDNA検査というのがこんなにも簡単にできてしまうとは」
「……君はどうも気を向ける方向が間違っている感じがしてならないね」
 瑠璃はそう呆れたように言ってから、しかしすぐにいつものことだと諦めたようだった。小さく嘆息してから話を変える。
「けれど死体があるとわかったのに、ほんの半月で君はこうして無事解放されたわけだ。その辺りはまだ聞いていないのだけれど、何か進展があったのかい?」
「逆だね。むしろ何もわからなかった。恭介が口添えをしてくれたのかどうかは知らないけれど、警察の方でも私の話には曖昧な部分がありすぎると判断したようだよ。よく耳にする『証拠不十分』というやつになるのかな?」
 私は肩を竦めながらそう答えると、瑠璃にここに来た理由を告げた。
「恭介がそのことに関して話をしたいそうだよ。瑠璃のところで待っていてくれと連絡があった」
 それを聞いて瑠璃が渋い顔をした。
「萩原君もそうだが、どうして君はそれを前もって連絡してこないかね?」
「別に瑠璃は来客があるからといってもてなしの準備をするような人間ではないじゃないか」
 私はそんな皮肉を言ってから、恭介が来るまでのしばしの間瑠璃と他愛のない話をして過ごす。三十分もしないうちに恭介がくたびれた様子でやって来た。
「用事を入れたときに限って仕事が舞い込んでくるって不思議じゃない~?」
 恭介はそんなことをやや間延びした声で言ってから、しかし実際に忙しいのかすぐに要件を伝え始めた。
「成明のことだけど、証言が曖昧であるということで担当した刑事も少し困惑したみたい。それで端的に言えば『泳がす』ことにしたんだ」
「それはつまり飯田君を尾行するなりして行動を観察していたということかい?」
「そう。実際に犯行に及んだ人間であれば何かしら不審な行動を取ってしまうものだからね」
 なるほど。それで私は案外簡単に自由に外を出歩かせてもらえるようになったというわけだ。行動に制限がかけられるのが普通ではないかと思っていたが、逆に制限をかけないことで尻尾を出さないかと探っていたと。
 その結果私に対してどのような判断が下されたのだろうか。それを恭介に訊くと彼は苦笑した。
「問題があったら成明は今頃捕まっているだろうし、観察が続けられているなら僕はこんなことを立場上話せないよ」
 そしてベテランの刑事が事に当たったこと。そしてその人物がこの半月でこれ以上の労力を費やしても意味はないだろうと判断を下したことを告げた。
「ただ瑠璃の部屋から瑠璃自身のものではない女性の体液が検出されたことはまだ気にされている。でもそれは血液というわけじゃなく、ましてや死んだ人のものかどうかなんてわからなかった。今のところ該当するような捜索願も出されていないし、瑠璃が部屋に招きいれた知人のものという可能性もあるから、調べを続けるにしても優先順位は相当に低いだろうということになったよ」
 彼の説明を聞いた瑠璃が「うちにそうそう人なんて寄り付かないけどね」などと経営者として問題があるのではないかと思われる発言をする。だが事実その通りなので私は何も言わないし、恭介は恭介で別の事案が重要らしく話をそちらに移した。
「むしろ気がかりなのは成明のことを追っているうちに、近くに何度か大学生くらいの女の子が現れるのを見つけたらしいということなんだ。担当している刑事が接触したらしいけど……捜査に関係のない僕にはどういう相手か話してくれなくて。問題はないとのことだったけど、友人の僕からすると成明にそんな若い子が付きまとっているというのが不思議で仕方ない。だから思い当たるところがあるなら話を聞いてみようというのと、ないなら――念のための注意喚起のつもりで呼び出したんだ」
 瑠璃もこちらに視線を向け、どうなのかと言葉を促してくる。しかし恭介が思ったように私には若い女の子の知り合いなどいない。
「この前の件があったからまた記憶がなくなっているのでもないかとも少々思ったが、しかし実際のところ君に若い娘など似合わないね」
「否定する気はないよ。失礼だと言うつもりもね。むしろこの歳になって大学生くらいの女の子に手を出しているのは問題ではないかと思うからね」
 私がそのように瑠璃に答えている間に恭介は荷物を手に取り立ち上がった。
「用件はそれだけ。瑠璃も今回の事件には関わっているから事の経緯を伝えておいた方がいいだろうと思ったし、例の女の子についても気にかかったものだから」
「わかった。気に留めておくことにするよ」
 恭介は私の返事を聞くと店の外へと出て行った。その後姿を見送ってから瑠璃が言ってくる。
「君が『気に留める』なんて器用なことができるとは私には到底思えないのだけどね。そもそも萩原君の言っていた娘に心当たりはないのだろう?」
「ああ、まったく思い当たらない。でもせっかくの友人の忠告だし、せめて覚えておくくらいはしておくよ」
「『覚えておく』のと『気に留める』とはまた別物だと主張したいところだが、まあ君に言っても仕方ないかもね。ジャーナリストなのだから言葉の機微に敏感になっておいた方がいいと思うのだけれど」
 ジャーナリストなどという生き物は言葉の専門家でもないのだからさほど気にしないのが常なのだが。
 それを言ったら瑠璃は深々と溜め息を吐いた。私に対しての諦めというのもあるだろうが、記事を書いている人間全体に対しての物でもあるようであった。しかし実情としてそうなのだから仕方がない。私たちが取材する対象が専門化しているために、そこで使われている用語を覚えるのは無理という話なのである。それこそ記者として一流になり、何か特定の対象だけに専念して取材をさせてもらえるくらいに出世しなければ、言葉を覚えるだけの労力は割けない。
 瑠璃がその辺りの事情を把握しているかどうかは知らないが、特に私と議論をするつもりもないようであった。ほとんど雑用係の仕事しかしていない身ではあったが、それでも仕事は仕事である。そう長く会社から抜けているわけにもいかないので私も瑠璃の店を後にすることにした。
 木戸を開けて外に出るとめっきり冷たくなった風が首を撫でた。そろそろ秋とも言えなくなってくる時節のようである。首を縮こまらせ、私は歩き出した。
 そのときだった。
 私の背中にそっと誰かが体を密着させてきたのは。
「飯田成明さんですよね?」
 肩甲骨の辺りから聞こえてきた声からも判断できたが、どうやらそれは若い女性のようであった。コートでも着ているのか全体的に柔らかい感触を背中に覚える中で、腰の辺りにひどく硬くて鋭利な物が当たっているのがはっきりとわかった。
「動かないでください。偽物ではないので実際に体に刺すことができます」
 どうやら私はナイフだか包丁だかを突きつけられているらしい。彼女の言葉に従い私は下手に動くことを諦める。
 私が観念したのを察したのか、それでも厳しい口調で背後の人物は言葉を続けた。
「初めまして。白樺雪奈といいます。――あなたの殺した人の妹です」

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by zattoukoneko | 2011-05-01 09:11 | 小説 | Comments(0)


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