【小説】『絶体零度』1-2-2


1-2-2

 私は田舎の出身だからか東京という場所はさぞかし立派な建物で埋め尽くされているのだろうと思っていた。しかしいざ上京してみると住宅地には狭隘なだけでごく一般的な建物が並んでいるし、昔からある建物は当然のように古くなっている。所詮聳え立つビル群などというものはテレビが映像をうまく捏ね繰り回すことで作り上げた幻想でしかないのだ。
 瑠璃の店はやや大きめの道路に面してはいるものの、脇道に入って少し進めば年数を重ねた家々が並ぶようになる。瑠璃も商売であるから店構えはそれなりに見えるように繕っているが、店内に入れば整理されていないガラクタでごった返しているし、今歩いている廊下も三人一緒に踏みしめれば大きく軋んだ音を立てる。
 壁すら倒れてくるのではないかとも思える音を堪能していたら、恭介がぽつりと漏らした。
「しかし瑠璃にはうまいこと嵌められたなあ。成明自身にも事の顛末がよくわかっていないとか説明されたら、どうあっても私情を挟まざるを得ないじゃないか」
 彼のぼやきを聞いていた瑠璃が鼻で笑う。
「人間という生き物は元々自分の気持ちを抑えて生きられるようには出来ちゃいないよ。どのようにして動くものか知らないが、心なんて厄介なものを持ってしまっているんだからね」
 彼女の言葉にふと昔の記憶が蘇った。大学に入ってまだ間もない頃、瑠璃ともまだそれほど話したことがなかった頃のことだ。その時にはすでに彼女は和装で通学していて目立っていた。その日私は何故着物にこだわるのかと尋ねたのである。好みは人それぞれであろうから私は他人がどのような格好をしていようと構わない。けれど一際目立っている瑠璃には何らかの信条があるような気がしてならなかったのだ。私の問いに対する瑠璃の返答はこうだった。
『現代の社会というものは科学なんて馬鹿げたものに支配されていやがる。けれどその肝心の科学のどこを見ても人の心を探求しようという姿勢はない。せいぜいやっているのは脳の仕組みについてさ。だけどね、いくらアドレナリンがどうとかシナプスがどうとか言ったところで人の心について知ることは出来やしない。春に咲く花を見て綺麗だと思うことも、妖艶な女に突然話しかけられてどきりとする男の心情も、本を開いたときに並ぶ文章に魔術的な印象を受けるのも、その何一つとして説明しようとしていない。もしかしたら科学者は究極的にはそれらを説明できると言い張るのかもしれないが、それは一体何十年後の話だい? 私らは今を生きてるんだよ。心を捨てろと脅してくる現代社会に迎合してやるつもりなんざさらさらない。その気持ちを忘れないためにも他とは違うことを敢えてしてやっているのさ。着物をこんな風にだらしなく身に着けているのもその一つだね』
 私は彼女のその言葉に惚れたが、しかし理解することはできなかった。さらに厳しい社会は彼女を受け入れることはなく、ふらふらと好きなように講義を聴講していた瑠璃は大学を退学させられ、雇ってくれる会社もなかった。そんな彼女はしばらくしてから自分の気に入った品を蒐集して骨董品屋をやり始めることになる。自分の好きなことをし、社会を積極的に変革するつもりもなかった彼女は、しかし自身のことを時折「落ちぶれた人間」と表現する。
『瑠璃が落ちぶれているのは確かだが、なら流されていることにすら気付いていない私たちは何なのだろうな』
 社会に反発し我が侭を言っているだけという意味で瑠璃は子供だ。いわば反抗期の少女に過ぎない。横暴な大人である社会を受け入れることが出来ないまま今の年齢になった彼女だが、それならその社会に反抗する気持ちすら覚えていない私などはせいぜい小学校低学年の餓鬼じゃないか。
「だとしたら随分と頭でっかちな糞餓鬼だよ、君は」
 いつの間にか考えていたことが口に出ていたのか、瑠璃がそう苦笑しながら返してきた。しかし否定はしない。つまりそういうことなのだろう。
「瑠璃は手厳しいよねー。僕や成明が子供だということは認めざるを得ないとこだけど、でも瑠璃より成熟した人なんて今の世の中にはほとんどいないとも思うよ」
 辿りついた先の部屋の中を覗き見ていた恭介が私たちの会話に一度入り込んできた。それから本来の目的に関して触れ始める。
「確かに遺体はここにはないみたいだね。話が本当ならここは『現場』ということになるから僕は迂闊に中に入れないことになる」
 そこまで言ってから恭介は小さく唸った。
「でもなあ、僕は二人のことを信じているから――と言っても今回のことは信じたくないけど――成明が女の子を殺してしまい、ここに運んできたその遺体がなくなってしまったというのは本当の話だと思っている。でもそんな話を署に持っていったところで笑い話で片付けられてしまうのが『社会』というものなんだよなあ」
 それから内部事情の暴露とも愚痴ともつかぬ話を続けた。
「例えば一日に警察に届くストーカー被害に関する相談というのは百件を超えるんだよ。こんなことを言っては冷酷なようだけれど、それだけの数をせいぜい十人程度の刑事で処理できるわけがない。捜査してみたらただの痴情の縺れだったなんていうのはザラだしね。うちらはよく『実害がないと動いてくれない』なんて文句を言われるけど、実害があれば当然動くし、まだ実害がはっきりしていないけど大きな事件になりそうだからと捜査を進めているものもある。そんなストーカーの問題でも解決に数週間から数ヶ月かけて取り組む。殺人などの重罪になればかかる時間はもっとさ。だからね、今回の成明の件は『悪戯だろう』と片付けられてしまう可能性がとっても高い」
 恭介はそこまでを一気に口にすると小さく溜め息を吐いた。時々思うが彼は心根がけして強いとは言えず、非情にも冷酷にもなれない優しすぎる人間なのである。そんな彼が刑事という職をやっていられるのが不思議でならなかった。恭介が苦しげに一つの答えを告げる。
「僕は署に成明と瑠璃のことを伝えようと思う。実際に相手にされるかどうかはわからないけど、でも僕は君たちの友人だから話を信じてしまう。成明自身が殺したかどうかはまだわからないけど、事件は本当にあったんだ。なら僕は刑事だから事件があったことを見過ごすことが出来ない。……ごめん、僕は公私を分けられないどころか、そのせいで友人を罪人に仕立て上げることになるかもしれない。最低な人間だな」
 尻すぼみに声を小さくしていく恭介の肩に瑠璃がそっと手を置く。
「いや、君は君なりにきちんと判断してくれた。私情を挟んでしまうのは人間であれば当然のことであるし、それがわかっていながら私は友人である君を呼んだ。萩原君であれば心を悩ましながら正しい決断をしてくれるだろうと思ったからね。私一人では気持ちばかりでまともな行動ができなかった。苦しむことを重々承知していながら君を呼ぶことにした私の方が下劣な人間だよ」
 瑠璃はそれから私の方に向き直った。
「萩原君はきちんと自分の立場を表明してくれた。私はそれを尊重することにしたい。飯田君、君はどうする? 捕まるのは嫌だと逃亡するかね?」
 二人の言葉を聞きながら私は感謝の念を覚えていた。瑠璃は私の記憶が曖昧だと感じ明確な判断を保留した。そして恭介に助力を求め、その恭介は私のことを信じるからこそ警察に突き出すことにした。共に私のことを心の底から信じてくれているではないか。ならば私の返すべき答えは一つしかない。
「二人には迷惑をかけてすまない。恭介の判断に従うことにする。警察に出頭し、きちんと事の真相を調べてもらおう」
 事件の中心にいる人間が真相を曖昧にしたままではいけない。私は二人に後押ししてもらったこの道を歩き出そう。
 私はその夜のうちに恭介に付き添われて彼の勤める警察署に足を運んだ。


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by zattoukoneko | 2011-04-27 20:28 | 小説 | Comments(0)


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