【小説】『絶体零度』1-1-2


1-1-2

 瑠璃はひとしきり遺体のある部屋を見てから細くて長い煙を口から吐き出した。その先端がそう高くはない天井に届くのを待ってから彼女は私に質問を投げかけてきた。
「また何で君は人殺しなんてしたのかな? 見たところまだ二十歳かそこらの娘じゃないか。知り合いかい?」
 問いかけを受けて頭の中にあるであろう記憶の糸を探ってみる。だがそれは蜘蛛の糸よりあっけなく切れてしまい、だから私は肩を竦めて答える。
「知らない子だと思うけどね。でも曖昧だなあ。何せ殺したことすら覚えちゃいやしないんだから」
「……君は自分の言っていることがわかっているのかい?」
「わかっているつもりだけどね」
 私は手元にあるぷっつりと切れた記憶の糸をいじりながら言葉を続けた。
「気付いたら女の子の首を力いっぱい絞めていた。手首にすでに冷たくなった涎が垂れていて、それが夜気で余計に冷たくなっていたから我に返ったという感じかな。その後どのように片付けをしたらいいのかわからなかったからここに来たんだ。瑠璃ならそういうことも知ってるんじゃないかと思ってね」
 瑠璃がキセルを持った左手を眉間に押し当てた。
「やっぱりわかってないじゃないか。まったく君というやつは」
 彼女は眉間から離した手でキセルを教鞭に変える。
「普通ならね、人殺しなんて大層なことをしでかしたんだからその記憶は鮮明に持っているものだろう? いや私だって人殺しなんかしたことはないからはっきりとそうだとは言えないさ。でも誰か人を嫌ったり憎んだ記憶というものはそうそう消えないものじゃないか」
「確かに。人の憎悪というのはかなり根深く恐ろしいものだね。けれども実際の問題として記憶がないんだ。思い出せないんだよ」
 こればかりはどうしようもない気がする。瑠璃の言うように人殺しなんていうのはセンセーショナルな出来事だ。もしかしたら大量殺人をしているような人物なら一つ一つの人殺しの記憶は薄れていってしまうかもしれない。だがしかしながら私は殺人なるものを犯したのは今回が初めてなのだ。
「もしかしたら君にとってはセンセーショナル過ぎたのかもしれないね。それで無意識のうちに記憶を脳の奥底にしまいこんでいる」
 そこまで言って瑠璃は「いや」と言葉を挟んだ。
「その割には殺した直後のことはよく覚えているね。それにそこで我に返ったなら気が動転しそうなものだ。なのに君は冷静に自分が殺したことを認め、厄介なことに私が助けになってくれるのではなかろうかと考えてここを訪れた。今も落ち着いているようにしか見えないしね。もしかしたら人を殺したことうんぬんよりも……それに至った経緯や理由が君の記憶を蘇らせることを阻んでいるのではないかい?」
 なるほど、相変わらず瑠璃の分析は明晰だ。私はついに手を血で染めてしまったが、それ以前の私や瑠璃は殺人やその他の重罪を犯したことはない。だから所詮は小説やドラマからの類推でしかない。けれども何かの拍子に感情的に人を殺め、ふと我に返ったとするならば少なからず動揺するのは自然なことだと思われる。
「けれど瑠璃。計画的な犯行だとしたらどうだろうか? それならば動揺することもないのではないかと思うのだけれど」
「計画的なものだったら殺人前の記憶もはっきりと持っているのが自然だと私は考えるがね。第一殺した娘のことを知らないと言っていたのは他ならぬ君自身ではないか。それなのに『計画的』だと言うのかい? 実際のところは君が忘れているだけで前々からの知人だったかもしれないが、そのことすら思い出せなくなるような理由があるんじゃないかと私は言っているんだよ」
 瑠璃はそこまで言うと私から視線を外し虚空をぼんやりと眺めた。目をやった先に何かがあるわけではないのだが、あえて何もないところを見ることで彼女は何事かを考えている様子だった。――いや、瑠璃は思考を重ねていくタイプの人間ではない。おそらくは自分の気持ちを探っているのだろう。何もないからこそ自分の内側に深く入ることが可能になるというのはよくあることだ。寝ようとして電気を消し、布団の中に入ってからアイデアがいくつも湧き出てくるように。
 ただそれらのアイデアはきちんとメモしないと纏まってくれないもので、しばらくしてから瑠璃の呟き出した言葉もはっきりとしないものであった。台詞の中に『君』と入っているものの、視線は相変わらず店の中空を向いており、私に話しかけているというよりは独り言に限りなく近かった。
「君が人を殺したというのは大変なことだと思うよ。けれどそれ以上にどうして君がそのようなことをしたのかが私は気になっているし、そしてほとんど気に留めていない様が心配なんだ」
 彼女のような人間が身近にいるというのはとても幸せなことなのだろう。芯が強く、そして周りの人を大事に思ってくれている。瑠璃の言葉は理屈で固められたものではないがけして揺らぐことがない。だから私は彼女を信頼しているのだ。
 瑠璃が目の焦点を私に再び合わせる。
「重罪を犯した君を社会のルールに従って警察に突き出すか、それとも私もその片棒を背負ってやるかについては少し考える時間をもらおうか。意外だろうが私だって少なからず動揺してるんだよ。対して君は気が動転していないのが不気味すぎる。今のうちに殺した相手のご尊顔でも拝んでくるといい。少しくらいは何か思い出すかもしれないしね」
 彼女の言葉ももっともだと思った。ただ『社会のルールに従って警察に突き出す』ということを瑠璃がすることはないだろう。彼女には彼女なりの守るべき規範があり、社会のルールなどという誰が作ったのかも定かではないものに盲従しない。今のところはその瑠璃自身の規範からしてどのような行動をすべきか『考える時間』が必要だということであり、そして同時に私のことも案じてくれているのだ。そのことがわかったから私は素直に古びた座椅子から腰を上げた。
 瑠璃の所有している店は自宅も兼ねている。ただ都内中心部に近いため坪面積は広いとは言えない。家屋のほとんどがガラクタ同然の品々が占拠する店に割り当てられており、その奥に和室が二つと手洗いがあるだけだ。風呂などという豪勢なものは存在しない。
 ともかく和室の一つは主である瑠璃の寝室になっており、もう一つの部屋が時折彼女や他の友人と飲むときなどに使われる。今はそちらの部屋に私が運んできた女の死体が横にされているはずだ。
 きしきしと軋む古い木製の廊下をほんの少し歩き、私は目的の部屋の襖を開けた。室内を覗き込み、そうしてから瑠璃を呼んだ。
 やってきた瑠璃も部屋の中を見回し訝しげな表情を浮かべる。
「……君がやったのかい?」
 彼女の言葉に私は首を横に振る。
 部屋にあるべきはずの死体は忽然と消えていた。


   『絶体零度』1-2-1へ
by zattoukoneko | 2011-04-20 23:40 | 小説 | Comments(0)


本・映像・ゲームの紹介がメイン。でも他のことも扱ってます。


by zattoukoneko

プロフィールを見る
画像一覧

プロフィールやリンク

プロフィール       
筆名:雑踏子猫          
小説家・研究者として修業中。   
ブログの主旨:             
①自分の考えをまとめること。   
②見てもらう人にも考えてほしい。
やたらと6と13という数字に付きまとわれている人間(でも6は完全数とよばれる元々は神聖な数字ですねー)


【閲覧者数】(試用運転中)
カウンター


***

応援サイト様
(というかお気に入りサイト)
へのリンク

チュアブルソフト様
(アダルトゲームメーカー、注意)    
チュアブルソフト公式WEB





SQUARE ENIX様





電撃様


電撃文庫のHPの方で
私の作品を載せてもらってます。
ありがたいことです。



第1回電撃メジャーリーグで争った
山本 辰則 様
のブログ。
山本辰則の小説とか



素敵な小説を書かれている
雪見月瑞花 様
のHP、HarvestSnow
HarvestSnow
ただこちらは
“ひっそりと”
運営していきたいそうです。



こちらはお世話になっている
美容室gally@下北沢 様
です。
お薦めなのでリンクを貼りました。


 ***

ブログパーツ ハピネム

カテゴリ

全体

ゲーム
映像
生物・医療
化学
物理
歴史
社会・経済
受験関係
雑記
告知
作品品評
小説
エッセイ
未分類

最新のコメント

以上、通りすがりの女子高..
by zattoukoneko at 04:23
記事内ではあまりに省略し..
by zattoukoneko at 04:15
>同性愛がセクシャリティ..
by zattoukoneko at 04:14
>>実は同性愛者の多くは..
by zattoukoneko at 03:16
具体的に「差別」の後のこ..
by zattoukoneko at 02:55

記事ランキング

以前の記事

2016年 12月
2016年 07月
2015年 09月
2015年 05月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 01月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 06月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 10月
2008年 08月
2008年 04月
2008年 02月
2007年 11月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月

ファン

ブログジャンル

画像一覧


こっそり『アステリズム』の【遊べるバナー】を設置。
※対応ブラウザはChrome18以上、Firefox6以上、IE9以上です。
※混雑時や、未対応のブラウザからアクセスがあった際には、通常の画像バナーとしてふるまいます。
※回線速度が十分でないと正常にプレイできない場合があります。
※音楽が流れます。
※『アステリズム』については右上のバナー欄や紹介記事を参照。