【小説】『絶体零度』1-1-1


1-1-1

 「寒さ」というものはそもそも何だろうか?
 私たちは常日頃から寒いだの暑いだのと言っている。仮に「北海道は東京より寒いというのは真である」というような命題を立てると大抵の人は「真である」と言って頷くことだろう。しかしだ。「寒さ」というのは体感するものである。ならば気温を見ただけではどちらが寒いかなど正確には答えられない。湿度や風をその身に実際に受けなければわからないことのはずである。現代社会では東京と北海道を行き来するのはさほど大変ではなく、せいぜい数時間の差だ。現地に行けばこの「寒さ」を比較できると主張する人もいるかもしれない。だがこの数時間に東京で感じていた「寒さ」は変化してしまうかもしれないのだ。したがって『比較』によって「寒さ」というものを知ることは私たちにはできないということになる。
 ならば科学的に考察してみよう。温度が低くなれば分子の動きは鈍くなる。これにより人の肌に分子が衝突する頻度は落ち、したがって神経が温度を感知することも少なくなる。そして神経を伝わって電気信号が脳に送られ熱を認知し、認識する。このようにとても機械的で単純な説明で「寒さ」を説明しようとするのが科学という得体の知れないものだ。ではその科学をもう少しやってみよう。絶対零度の環境に人間を置いてみたと仮定しよう。絶対零度ではすべての分子は動きを停止する。このとき人の肌に衝突する分子はない。したがって神経がその存在を感知することはない。そして重要なことにその神経すら動くことはない。脳は温度だけでなくありとあらゆるものを認知・認識することができない状態にある。これで果たして「寒さ」という感情に根ざしたものを知ることができると言えるだろうか?
「つまり何かな? 君はそこに転がっている少女が今寒いと感じてはいないんじゃないかと言いたいのかな?」
 古ぼけた骨董品店の椅子に座って思案していた私に対して店主である夜柄瑠璃は面倒くさそうに問いかけてきた。ろくに掃除もせず埃の積もった商品と同じくフケを乗せてぼさぼさになった髪に、さらに咥え煙草から立ち上らせる紫煙を浴びせながら彼女はこちらを見ている。黒曜石のような瞳の色は、もしかしたら身なりを整えれば年相応の若さと他人より優れた美貌を齎すかもしれないとも思わせるのであるが、異性である私の前でも肩の半ばまではだけさせている着物の襟がそのようなことは実現するはずがないと如実に物語っていた。それに大学で知り合ってもう二十年以上の付き合いをしている私にとってそれはどうでもいいことでもあった。
「別にそういうことではないさ。ただふと気になってね。それでちょっと思案してみただけのことだよ」
「そうかい。私はてっきり何かの厭味かと思ったところだったね。何せ君が突然持ってきたアレに『寒そうだから』と毛布をかけて帰ってきてみたら、当の本人はぶつぶつと何やらご大層なことを考えておられる。しかも内容が内容だ。疑いたくなる私の気持ちもわかるってものではないかい?」
 瑠璃はキセルを指に挟み口から離すと、溜め息と共に煙を盛大に吐き出した。狭く薄暗い部屋の視界がさらに悪くなる。それでもくっきりと見える瑠璃の眉間の皺に私は肩を竦めた。
「瑠璃だって私とは長い付き合いじゃないか。ふと思いついたことを場所も時間も問わずに哲学するのはいつものことだろう」
「君のは『哲学』とは言わないよ、ただの妄想さ。実際に哲学をやっている人間が聞いたら激怒するか鼻で笑うだろうね」
 そう一通り貶すと、一転して思案する表情になった。口に愛用のキセルを戻すと、右上方を眺めやる。そのままぼんやりと喋り始めた。
「だがちょいと私もその妄想、良く言って哲学もどきをやらせてもらうことにしようかね」
 それから訥々と、まったく慣れていないことがすぐにわかる口調で話を進めた。
「君は認知やら認識がどうこうする前に、神経が外界からの影響を受けて興奮するとか言っていたね。この考えが合ってるかどうかなんてのは私にはわからないが、まあそんなことはどうでもいい。ともかくこれを前提として話を進めようじゃないか。君は突然に物思いに耽るという悪い癖を持っている。しかし先の論に従うならば物事を空想でもいいから考え始めるには何らかの刺激となる材料が必要ということになるのだろう? まあそれはそれまでに読み聞きして習得した知識だったり経験したことだったりするのだろうさ。だけどね、私が思うに人の覚えている経験なんてものはよっぽど印象深いものでないとすぐに消えちまうもんさ。殊更にだね、君のような突発妄想癖のある人間にとって使われる経験というのは本当に近々のものではないかと、そんなふうに考えるんだよ」
 なるほど彼女の考えももっともらしい気がする。何かを思索する場合には色々な引き出しからアイデアを出してはしまい、出してはしまいを繰り返すのは確かだ。だがそのそもそもの最初はどのようにして起こるのか。しかもそれが突発的な思い付きから始まるものの場合、そこにはどのようなメカニズムが働いているのだろうか。無から有が生まれるなどありえるはずがない。
 しかしながら近頃は秋もめっきりと深くなり、夜や早朝には冬の気配すらする。私の生まれ故郷であればそろそろ近所にあった防水用の溜め池に薄い氷ができる時節である。そのことを考えれば私が「寒さ」なるものに思索を巡らせて何もおかしいことはないと思える。
「本当にそうかね?」
 だが瑠璃は私をしかと見つめ問いかけてきた。
「どういう意味だい、瑠璃?」
 私の先程の考えは何か間違っていただろうか。それとも瑠璃の考えを読み間違えてしまっていただろうか?
 問い返した私に瑠璃はキセルの雁首を真っ直ぐに向ける。それを教鞭のようにしながら彼女は説教を始めた。
「飯田成明君。君は一流の大学を卒業して、今ではジャーナリストとして立派に働いている身ではないか。まあ話を聞いている限りだと仕事内容はただの雑用のようなものばかりのようだが、けれど私のように落ちぶれた人間じゃない。きちんとした思考能力と洞察力を持っていると思っているのだが、どうもそれを駆使する力にかけているようだ。ついでに言うなら判断力もないね、理由は自分でもよくよくわかっていると思うけれども」
 この人物は物事を考えるのはどうも苦手なようだが、他人に厳しく物を言う能力には長けているのは確かだ。しかもそれが正鵠を射ているものだから人が周りに寄りつかないときた。彼女の忠告をきちんと聞こうとする人物でないと長い付き合いには発展しない。
 しかしながら私はその類稀な人間ではあるわけで、それは瑠璃との付き合いの年月を数えれば自明というものだろう。ただし彼女の忠告を未だに活かせないから何度も説教を喰らい、付き合いが終わらないのだとも言えるだろうが。
「まったくもってその通りだね。君はその時々に急に考え出すことはあるが、それを持続させることや後々使うことが少なすぎる。だから大きな成功を収められないし、過ちを犯すこともある」
 瑠璃はそこで説教を中断すると、吸い口と共に話を元の場所に戻した。
「君はこれまでの人生で何回の秋や冬を過ごしてきたのかな? 寒い時期なんて幾度となく繰り返しているじゃないか。にも拘らず『寒い』ということに関して考えるのは今回が初めてとでもいうことになるのかな? それは私のでっち上げた論からすればとても奇怪なことのように思えるのだが?」
 なるほど確かに瑠璃の言うとおりだ。私はこれまで特別『寒い』ということが何なのか考えたことはなかった。単純に時期的な寒さからだけでそれを考えようと思ったということではないという証である。
 では他の何が要因だというのか?
 瑠璃がその問いに一つの可能性を提示する。
「だから話は最初に戻るのさ。君は……やっぱりアレのことを考えていたのではないのかい?」
 言いながら顔の向きを変え店の奥にある住居の方を眺めやった。ここからは壁があるために見えないが、とある一室に一人の若い女性が横になっている。
 私が殺してここに運んできたものだ。


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by zattoukoneko | 2011-04-17 05:32 | 小説 | Comments(0)


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