錬金術全般の基礎知識

錬金術の話をしたいと思うのですが、非常に多くの人がこれに関して誤解していると思います。例えばですけど、錬金術と聞いてまず最初に何を思い出しますか? おそらく多くの人は「賢者の石」とか、それの別名ですが「エリクサー」。あとは「金をつくるオカルト」という誤解と、最近では「等価交換」(苦笑)
まあ、この辺りを誤解していると今後の話が理解できないか、誤解したまま読んでしまうと思うのです。なのでまずはここをきちんと見ておこうかと思います。



前回のそもそも化学って何? という記事で書いたのですが、化学というのは専門職なのですよね。そこまでに歴史があって、それで社会的につくられたものなわけです。
ですが今回はそういうのを取っ払って、「性質を代えるもの」を化学とするとても広い意味で使ってみましょう。
このような場合、化学って実はとても昔からあるじゃないかということに気付かされるわけです。最初の化学とはすなわち「料理」だったわけです。
料理はさまざまな食材や調味料を加えることで食事をつくるものです。これはまさに化学そのものと言えるでしょう。しかもとても複雑です。構造としてとても簡単なはずの塩の歴史に関してすら日本ではまともに記述できている本や論文は現在のところ存在しません。海外ではNeptune's Gift: A History of Common Salt (John Hopkins Studies in the Hist of Tech , New Series 2)がありますが記述が途中で止まってますし日本のことはほとんど触れてません。素晴らしい出来なので塩のことを研究する人は必読の書ですが。(なお日本語で塩の世界史に翻訳されています。この訳は……正直私にとっては不満です。一般の人にもわかりやすく書いてくれているのだと思います。原著にはドイツ語とかも含まれているので。でもその訳した言葉が日本で使われている専門用語ではないのですよね。なので他の本と照らし合わせていく作業が後々必要に)。またもっと簡単な例を挙げましょう。ソースとかケチャップの原材料を見てみましょう。トマトとかリンゴとか入ってるわけですが……料理の専門家でない人たちはどうしてこれでソースとかができるかわかりますかね? あるいはこれを最初に発明した人はどのようにしてこれを思いついたのか想像できるでしょうか? 塩とか砂糖は元から自然界に存在するものですが、ソースとか、日本だったら醤油とか味噌とかは人間がつくり出したものなわけです。味噌とかは発酵現象を利用しているわけですがそもそも発酵なんて現象がわかったのはパスツールらが細菌学を立ち上げてからです。そういうのを知らずに経験的に作り上げていたわけですね。
ともかくこのような感じで広い意味での化学というのは(料理という形でとても顕著に見れるように)とても古くから、世界各地で行われていたということになります。現在の専門分化した狭義の化学は西洋由来のものであるわけですが、それを取っ払ってしまうと実はあちこちで化学が行われていたということになります。
そしてこのことがとても重要なわけです。すなわち――
   この原始的な化学から発展した錬金術も世界各地で個別に発生している。
ということになります。
以前はどこか(エジプトなりギリシャ)で最初に発生し、そこからイスラム圏や中国、そしてルネサンスによって再びヨーロッパに戻ってきたと考えられていました。ところが現在の認識では世界のあちこちの文化圏で、初期の頃に独自に生まれたと考えるのが自然であるだろうという考えに変わっています。もちろん大陸の方ではそれなりの交流はあり、実際に影響を受けてその後の変化が促されることはあるわけですが、ヨーロッパからは遠く離れたインドシナやアフリカ、南米でも錬金術と思しき痕跡は見られます。
また錬金術が生まれるのは自然なことです。人間は金属をとても重宝して使ってきました。金属は土の中にあり、それを掘り出したり加工して使うのは(文化圏によって差はあるとはいえ)当然の行為でした。これは冶金術となります。ここからさらに土の中でどうやら金属というのは変性するらしい(成長するとも言われました)ということが観察しているとわかる。また合金というものがつくれるのに気付くと、それを自分たちの手で行なうようになる。ここまで来ると錬金術と呼ばれるようになります。
ただ日本語訳が悪いのか、あるいはそれを盛り込んだ物語や噂が悪いのか、錬金術は「金をつくるもの」と誤解を受けています。これは大きな間違いです。むしろ錬金術は生命や宇宙の探求をする学問だったと言えます。
先ほど「金属は土の中で成長する」と考えられることがあると言いましたが、この「成長する」に生命を感じたということです。また宇宙との繋がりも考えられました。ここは文化圏によって違うのでまとまった説明をすることができないので一例。ギリシャ錬金術によって現在の曜日の名前が決定されました。次のがその表。金属と惑星(太陽含む)が繋げられているのがわかるかと。
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この中で一番わかりやすいのは水星と水銀ですね。英語だとどっちもmercuryですし。またもともとMercuryは神様の名前であり、神話とも繋がりを持つものでした。
このように錬金術というのは「金をつくる」というよりはもっと幅広い意味を持っていたということになります。

またこれがとても重要なのですが、「生命と繋がっていた」のです。中国の煉炭術なんていうのは顕著ですが、不老不死や長寿のために錬金術を用いようとしました。また非常に重要な要素として、錬金術では「蒸留」がとても大事な技術でした。操作としては気体を発生させるということなわけですが、この気体というのが精気と密接に関係しているのではないかとされたのです。
これに関してとてもわかりやすい例を。蒸留酒にはスピリッツspiritsと書いてあるかと思います。ギリシャ語ではプネウマpreumaですが、ラテン語にすればspiritius、英語であればspiritというようは「霊気」が蒸留酒の語源です。錬金術師たちは生命の源である精気は気体であるだろうと考え、それを取り出す作業を重視していたわけです。その過程で生まれたのがアルコールの度数を高めた蒸留酒spiritsというわけです。
またフランシス・ベーコンも錬金術の影響を受けていて、(その後錬金術からイアトロケミストに変化した部分の影響も受けてのことだと思いますが)アヘンopiumの蒸気を吸引することで長寿を得られないかと自分で実験してたことも明らかになっています。当時はアヘンは毒というより良薬だと思われていたということですね。


というわけで錬金術の中における「金をつくる」という行為自体はそれほど重要なものではないのです。むしろ腐敗しない金というものをつくりだすことで生命や宇宙の解明をしようとしていたということであり、そのための「錬金」という行為だったわけです。つまり言葉のままの「錬金術」はオマケとしての実験操作だったということです。


あとはよくある誤解としては錬金術師たちは暗号で文章を書いていたということですかね? これも違っていて、ようは近代科学・化学を身につけている私たちからすると書いてある言葉がわからないということです。実験操作も違いますしね。
でも再現実験を試みたことはあって、とある書物の中にあった「金の木」というのがひとつの抽象的な例えであり暗号だとそれまで思われていたのですが、実際に書いてある通りにやってみたら見事に「金の木」ができたという話があります。つまり当時の錬金術師は実は専門的な言葉(=みなに通じるように定義された言葉)を持たなかっただけで、見たままのものを記述していたということになります。ここで紹介した「金の木」は(私がそれをやったわけではないので詳しくわかりませんが)銀樹や銅樹のようなものかと考えられます。まあ、全部の錬金術の書物を調べたわけではないでしょうから中には暗号文もあるのかもしれません。その割合も調査されたという話は聞いたことがないですね。



というわけで今回は短めに錬金術の予備知識を。次回はヨーロッパの方の発展に焦点を絞ることにします。――といってもあそこは中国の影響とか受けているので説明が大変だという。現在できるだけわかりやすくするように調整中で、うぅっ!(最近記事を調整するのが大変で苦労しているのです……)
ん? 「等価交換」の話? そんなもの錬金術のどこを探してもないですよー。あくまであのお話はフィクションで他のと混ぜてるだけですから。というかここまでの説明ですでにわかってると思いますけど、錬金術と(狭義の)化学とはまったく別物で、革命が起きているのでそもそも各種元素とかと話が繋がるわけがないという。煉丹術の影響を受けずに化学ができているというのもおかしな話ですしね。火薬すら手に入らないはずですから。
とは言いつつ私は『鋼の錬金術師』の話は好きですよー。人物像とかよく描けているので。まあ考証が甘いところは見逃すということで。(というか完璧にやったらそれって歴史書になってしまうではないですか?)
Commented by zattoukoneko at 2010-09-08 05:00
最後に考証と物語の話に触れたので。
ここは作り手の匙加減なのでしょうね。『鋼の錬金術師』は考証の部分だけ見ればとても甘いけれど、しかし話として面白い。SFなんかでは『ガンダム』なんてのも甘いし、特撮の『ウルトラマン』とかどうしてあの巨体が地球の重力のうえで立っていられるよと簡単に反論できるわけです。でもそれぞれ人気があるし、話がしっかりしているから受け入れられているわけですね。
または時代考証を徹底的にやったことで有名な司馬遼太郎なんていうのも、やはり書いているのは物語であって研究論文ではないのですよね。彼なりの独自の歴史観は述べつつ、でもそれはやっぱりフィクションなわけです。
まあここは物語をつくる人それぞれということで。でも……まったくしてないのはさすがに受け入れられてないみたいだよなあ。
by zattoukoneko | 2010-09-08 04:52 | 歴史 | Comments(1)