そもそも化学って何?

錬金術の話をする予定でしたが、これまでに「昔は科学者scientistなんて言葉はなかった」と言っていました。これよくわかってないかもしれないですね。錬金術師は化学者chemistsではありません。科学革命の起こる前だったからというのもありますが、そもそも化学者という言葉がなかったのです。制度とも関係あり、第二の科学革命 ともほぼ時期が一致します。
今回はこの辺りの話をば。



これまで何度も言ってきましたが昔は真理を探求する人のことをすべて「哲学者philosopher」と呼んでいました。中でも特に自然現象について探求する人を「自然哲学者natural philosopher」としていました。
現在の私たちが考える哲学者とはちょっと違いますね。今では哲学者とだけ言った場合は実在や時間などについて考察している人のことを指します。たとえば「数字って実際に存在するの?」とか。つまり数字は人が勝手に作ったものなのか、自然の中に元々あるのかということです。これ説明していくと大変なのですけど、簡単に言うと――
私たちは小学生のときに足し算を習うときに「リンゴ1個とリンゴ1個を足すとリンゴが2個になります」なんていうことで1+1=2を教わります。で、先進国である(正確に西洋化した)日本人はこれをすんなり受け入れてしまうわけですけど、少数部族のとこに行ってこれ説明するとこんな反応が返ってくるのがほとんどです。
  「このリンゴは熟してるけど、こっちはまだ青い。だから別のリンゴで二つになるとは意味がわからない」
またこんなのどうですか? 高校に入ると虚数iなんてのを教わります。その言葉のまま「虚」な数なので私たちにはどこにあるのかわからない数字です。でもこれがないと説明ができない現象がたくさんある。だから使ってるわけです。一方でやはりこの数は実在しているのか、ただ現象を説明するだけのものなのか気になるわけです。なので哲学者(数学をメインにしながら哲学やってる人もいます)はこういうことを考えるわけですね。
ちなみに余談ですが、『死に至る病』のキルケゴールは哲学者なんてされてますけど、これを本気で哲学やってる人に言ったら嘲笑受けるか、仮に生徒だった場合その場で捨てられるくらいなので。この人はただ単に「絶望が死を導く」と言っただけで哲学なんて何もやってないんです。実際には神学者。

さてともかく以前は現在で言うところの科学者というのは哲学者と呼ばれていました。ですが自然哲学者の地位が向上するにあたって、プロフェッショナルになっていきます。すなわち「専門化」が進みます。哲学者の中からさらに特別な存在になっていくわけですね。(ただし「プロ」という言葉には色々な意味があり、「アマチュア」と区別が難しいことがあります。たとえばアマチュア無線家は技術の面でも社会への貢献でもマルコーニ無線会社などの「プロ」を凌駕していました。現在ではその職で収入を得ていると「プロ」にされることが多いですが、どう考えてもコンビニのバイトの人とかプロとは思えない人多いですよねえ)
また以前にも述べたかと思いますが、自然の現象を研究していたのは上流階級の中でもさらにトップクラス。仕事をせずとも(現在の感覚では)数億するような実験器具をぽんぽん買えたりする。また仕事を他にやっていたとしても医者や神学者などの聖職者であって、昔の哲学部が神学部、法学部、医学部の下にあったのと同じでただの趣味のようなもの。職業はそっちではないわけです。またニュートンはケンブリッジ大学の数学教授でしたが、彼が教えていたのは昔ながらのユークリッド幾何学であって、流率法などは教えていなかった。また彼は専門的に研究していた力学や光学の実績でもって採用されたわけでもない。したがってこうした人々を「科学者」と呼ぶのは「科学」という言葉が生まれ、浸透した現在からの視点となります。

さて自然哲学者たちの地位が向上するのは制度が整ってくる19世紀前半です。つまり第二の科学革命が終わる頃。リービヒのresearch schoolも成果を出し始め、それまで上流階級に占められていた自然哲学の分野に庶民を送り込んだ。これによってそれまでとは異なる「科学者群」が出てきます。ドイツでの哲学部、そしてその中でも自然哲学研究者の地位と割合の向上と社会的認知、リービヒのプログラムの成功などの背景もあり、1833年にケンブリッジの数学者兼哲学者ヒューエルが「scientist」という言葉を使うことを提案します。このことによってそれまでのnatural “philosopher”とは別物になり、つまりその他の哲学者と分離・確立したものとなるのです。なおscienceの元々はラテン語のscientia(=知)となります。

なおちょっと先走りましたが、それぞれの学問を専門的にやっている人はいて、ヒューエルの前にすでにmathematician、chemist、naturalist、physicistなどはありました。しかしこれらすべてをまとめて呼称するような言葉はなく、あえていうならフランス語圏のphilosophe、savant、ドイツ語圏のNaturforscher、英語圏のphilosopher、natural philosopher、experimental philosopherなどでほとんどに「哲学者」と入っています。ヒューエルはすでに専門分化しつつあり、しかし一つの大きな分野ではある。かといってそれまでの哲学とも違うと考え、新しくscientistという言葉を考えたのです。(ちなみに元はscienceになるわけですからそのままならsciecistになるはずですが、scientistとしたのは芸術家や技芸家を指すartistから類推したのだそうです)


さてこのようにscientistもchemistも随分後になってから登場したものです。で、次回以降に錬金術関連が続くわけですが、つまり彼らは“化学者ではない”ということになります。化学革命というのが起こってそれまでとはパラダイムが変わったとも言えますし、そもそも哲学者に入れていいのかも疑問です。
というのは自然哲学者たちは基本的に実験や観測をしなかったのです。第一の科学革命 の記事で触れましたがフランシス・ベーコンが観測や実験による帰納法を提唱するまで哲学者は机上で理論構築をしていました(なおギリシャの哲学者の一部は除きますし、この頃天文学者などは哲学者に含められていなかったので)。有名なガリレオのピサの斜塔からの鉄球と羽根の落下実験や、斜面の台を使っての球体の転がり方の観測も実際には行なっていなかったことがわかっています。あくまで頭の中での思考実験です。(ついでに言うなら宗教裁判での「それでも地球は回っている」という発言もしてませんので。いまだに信じてる人が多いようですけど徐々に広まってきましたかね?)
またベーコンは実験や観測の重要性を説き、確かにそれは影響力をもちます。ですが帰納法の方はその後デカルトの演繹法によって打ち消されてしまいますね。結局その後帰納法がうまく働くのは生物学や地質学の分野でです。生物学などは博物学(日本では本草学ですが内容としてはちょっと別物)からスタートします。これは「博物館」なんてよく言うように世界各地の珍しいものを探し蒐集するものですね。で、そのうちある種の植物から薬や毒が採取できることがわかってくるわけです。日本の本草学も博物学にとても近いですが薬効目的が主軸に置かれてます。博物学はまず集めるとこが最初っていう違いがあります。博物学はとりあえず集めるだけ集めるのが始まりだったわけですが、これを分類しようという動きが生じ、有名なリンネの分類学が18世紀に出てきます。またチャールズ・ダーウィンが有名ですが進化論もありますね。ダーウィンは測量艦のビーグル号に乗せてもらって有名なガラパゴス諸島で色々と標本を集めてそれを整理することで彼なりの進化論を打ち出す――と言われているのですよね。実際には彼はこの時にはあくまで博物学・地質学のために動いています。実際ダーウィンは珊瑚礁の研究者として有名で、今もこの珊瑚礁の生成に関する研究がトップとされています。進化論はギリシャ時代にはすでにありましたし、ラマルクやチャールズ・ダーウィンの祖父であるエラスマス・ダーウィンがかなりのところまで進めてます。エラスマス・ダーウィンはこの言葉こそ使っていないものの自然選択の概念を出しており、チャールズ・ダーウィンが形を整えて『種の起源』として発表します。形を整えて、というのは家畜や農作物を人為的に配合することで新しい種を生み出すという「人間も世界の一部として関与している」としての自然選択と、ヘラジカなどのように生存のことだけ考えると不利なのに、それが淘汰されずに消えないで生き残っているというのは異性へのアピールになるからだという「性淘汰」を組み込んだことです。よく勘違いされてますが、進化論は今ようやくダーウィンに追いついたという感じです。誤解が広まってむしろ彼の主張から衰退し、そしてようやく20世紀も終わる頃に色々なもので確かにダーウィンの言う通りだとわかってきたというものになります(たとえばキャベツって葉っぱが丸まってますが、本来植物は光合成をするために葉っぱをできるだけ広げます。でもキャベツは逆。これは本来なら生存には不利なんです。ですが葉が丸まることによって中のほうの葉から必要のない葉緑素が抜け白く、そして糖分を貯めやすくなります。つまり人が美味しいと思ったからそれを選別して残しているということです。――ということでキャベツは真ん中が白いのが美味しいですよという豆知識でしたw)。このように生物学(および地質学)では色々なものをまず集めてからという帰納法によって発展するわけです。つまりベーコンの理念は19世紀に実際に実を結ぶということです。
まあダーウィンの頃にはまだ遺伝学なんて発展してなかったし、発生学も未熟です。これらが進むのはさらに20世紀。DNAの二重螺旋構造を提唱したワトソンとクリックがやはり有名ですし、その陰に隠れがちですがロザリンド・フランクリンがX線写真を撮影していてそれが二人に影響を与えています(ロザリンド・フランクリンについてはRosalind Franklin: The Dark Lady of DNA)。またその後細胞質遺伝(葉にある「ふ」とか、ミトコンドリアの母系遺伝とかです)や最近では細胞膜(血液型のような糖鎖や、最近では膜自身の研究が進みつつあります。細胞膜の説明は以前してます。ウイルスがメインですがとりあえずここがわかりやすいでしょうウイルス・細胞膜の構造)。発生学はレーウェンフックの精子の発見とかその後の展開まで見ていったら膨大になるので一気に飛ばしますが、シュペーマンのオルガナイザーの発見(1924年)が絶頂でしょうか。またフォークトのイモリの胚を染色してつくった1927年の予定運命図なんていうのも有名ですね。(なおこの「染色」はドイツの染料工業の発展の恩恵を受けています)
またパスツールやコッホ、日本人では北里柴三郎の微生物学研究や衛生学への貢献が19世紀に行なわれますね。なおこのときに人の平均寿命がようやく延びます(正確には昔の水準に戻るですが。正直なとここの生物学と衛生学の貢献で寿命が延びただけで、医学の貢献というのはないと言って過言ではないくらいです。この話はまた改めて)。
――と、何だか生物学の歴史の話が長く(汗) 全然「生物学革命」の話でもなんでもないのですが。この革命の話はもっとずっと長いので……。


さて科学・化学の話に戻るのですが、上で述べてきたのはヨーロッパの話ですね? でも「科学」は日本語です。これはどういう意味でしょう?
「科学」や「哲学」、「芸術」その他ほとんどの学問用語を邦訳・考案したのは西周です。「科学」の「科」は学科なんて言葉に出てくるように、“分化しているもの”を指す言葉です。すなわち西周は当時の西洋の諸科学が分かれていることを感じ、それで「科学」と名付けたわけです。事実最近になって環境問題などでは学問が専門分化していると解決できないということで様々な学問(自然科学に限らず社会科学も)融合していこうと今はされています。これを国際領域と言います。まあ、科学史や科学論、科学哲学もその一つなのですよね。当たり前の話として科学史やるには、科学、歴史、哲学、その他にどこに焦点をあてるかで重さが変わりますが、法学、経済学、社会学、文化史、経営史、民俗学などをその道の専門化と普通に議論できるレベルまでは到達しないといけないという、そういう学問です。他にも環境問題を取り扱う場合には、化学、物理学、工学、気象学、法学、社会学、経済学、応用倫理学、民俗学などができることが必須。後半の方のはつまりその国や地域のことを知らなければ対応できないということです。たとえば発展途上国は環境を破壊してでも先進国に追いつきたい。そこにさらに法律や風習・慣習がある。それを知らずに迂闊に手を出すことはできないということです。もしそれを無視すれば侵略行為ですからね。まあ、まさに日本が鯨や鮪で規制かけられてきてますが。鮭や鰯、烏賊、蛸、海老とかも候補に挙がってるんでしたっけ?
というのが「科学」について。で次にタイトルにもなってる「化学」についていきましょう。こっちは上で一般的なことを説明したので短いです。
日本では明治維新前から蘭学が盛んで、特に医学に役立つ化学に相当するものの研究が盛んでした。特に有名なのは宇田川榕庵の1837年『舎密開宗(せいみかいそう)』で、舎密とはオランダ語のchemie(ケイミー)から来ています。これはしばらく使われていて、明治期にも舎密局なんてのがあったりします。が、中国の方で「化学」と使われるようになってこちらの方が物質を変化させる学問としてふさわしいのではないかということで輸入されて今日に至るというわけです。



と、色々とごちゃごちゃしましたが、総括するとそもそも科学scientistや化学chemistというのは専門化が進みできたもの。また日本語でもわかる通りそれは細分化されています
したがって次回以降書くこととなる錬金術というのはこれのもっと前の段階のもので、哲学とも言えないようなものでした。なぜなら途中で述べたように哲学は机上でやるもの。一方で錬金術は実験をどんどんしてましたから、むしろ技術者だった。それに近代化学の成立とともにオカルトとされていきましたからね。ただしこれがなければ「化学革命」も起こらなかった。これについては化学革命の記事で触れたとおりです。次回以降でこれを細かく見ていくこととしましょう。


さて錬金術について先に予定を述べておくと二回には少なくとも分かれるはずです。
最初にもう一度錬金術とか関係なく「化学」だったものはいつ頃からあるのかを見て、そしてそれが古く当たり前だからこそ錬金術が世界中にあることを説明したいと思います。
その後特に重要な中国の錬金術・煉丹術とヨーロッパの錬金術を見ていくことにしましょう。
ということで今回はこのくらいでおしまい。……あれ、意外と難しい内容?(汗)
Commented by zattoukoneko at 2010-09-03 11:20
最後の「最初の化学」とは何かについては次回のお楽しみということでw 聞けば、ああなるほど、となるかと思います。
まあまたまた調整を繰り返してるので時間かかったらゴメンナサイ(汗)
Commented by zattoukoneko at 2010-09-03 11:34
どうやら記事内のリンク先が存在しないことになっているようですね。タグを書き直しましたが修正されず。また以前の記事のリンクも駄目になっているようですね。

管理会社に問い合わせました。対応がいつになるかわかりませんが、必ず復旧させてもらいます。
閲覧者様にはご不便をおかけしますが、しばしご辛抱をお願いします。
Commented by zattoukoneko at 2010-09-03 17:37
リンク修正できたかと思います。問題はどうもこの管理会社であるエキサイト様の方にあるように思われます。
これまでも何度か「投稿後に文字が他の物に変えられることがある」とコメント欄で言ってきましたが、どうやらこれが原因のようです。

私の場合単語登録で「タグ」と入力するとすぐに「<A HREF="URL "TARGET="_blank">タイトル</A>」と出るようにしてあり、これまでの記事でもこれを使って問題なくリンクがはれていたはず。ところがこの「"」部分が「”」などと変えられてしまっているようです。
これは今回の記事だけに起きていることではないようで、現在他の記事に関しても調べて修正中です。
閲覧者の方、申し訳ありません。管理会社のほうに今後このようなことのなりように私の方から連絡は入れておきます。いくつかリンクが正常でなくなっているものが残りそうですが何卒ご容赦ください。
by zattoukoneko | 2010-09-03 11:07 | 歴史 | Comments(3)