ジブリ・宮崎駿で追加(大塚英志批評)

この三回ほどで宮崎駿監督作品の紹介をしてきた。そしてその中で私は「宮崎駿ごとき」と何度も口にした。この「宮崎駿ごとき」という主張は私だけがしていることではなく、実は大塚英志という人物もしている。彼は宮崎駿や村上春樹といった作家に対し「物語の構成しか守れず(あるいはそれすらままならず)、なのに世界的に評価をされてしまっていることに危機感を覚える」としている。私は彼の主張のかなりの部分に共感を覚える。
だが、彼はまだまだ甘い。彼の本当になすべきことはもっと別のところにあるだろうと私は主張したい。今回は彼に対して批評を加えることとしたい。
(なお、今回は“本当の”批評を行う。そのため普段のブログ用や小説用とは違った文体を用いる。いわば論文用・書評用のものだ。これは大学卒業レベルの人間が読んだり書いたりするものとなる。だから普段より堅苦しいものとなるがご容赦願いたい)



大塚英志は1958年の生まれで筑波大学第一学群人文学類を卒業。専攻は日本民俗学だった。
研究者として大学院入りを目指すも教官から「君の発想はジャーナリスティックすぎる」と言われて断念。その後漫画の編集として働き、後に自らも漫画の原作者(『多重人格探偵サイコ』など)や小説家として活動を行うようになる。そして評論家としても自分の主張を発表するようになった。
大学時代に研究した日本民俗学というのが彼の大きなバックボーンである。このときに彼は物語の構造論を研究し、そしてそれらを自らの物語作成に活かした(これは『物語の体操――みるみる小説が書ける6つのレッスン』などでわかる)。そして評論を書く際にもこの物語構造に大きく依拠して論を進めていく人物である。

まず大塚英志は宮崎駿らの作品から物語の骨格を抜き出す。これは私もやったことだ。宮崎駿の作品の多くは「初潮」をテーマにしており、それを扱った物語構成というのは古くから、そして世界中にある。だから宮崎駿のやっていることは真新しいものではない。
大塚英志はこのような物語が世界的に高い評価を受けることに危機感を覚えている。人々は現実世界でもこの物語の構造に則ったかのように行動し、だから9・11以降のアメリカ人や世界のテロへの報復なんてものが始まってしまうのだと主張している。
彼の議論は甘いが(アメリカ人のアイデンティティ・アメリカ化やフロンティア理論などは考察していないから)、しかし一つの説得力のある主張だと思う。この点に関して私は大塚英志に賛成である。また物語をつくる者はそうした現実に目を向けなければいけないということにも賛同する。
それに大塚英志が物語の基本構造に注目し、それを作家志望の人たちに基礎として説くのはよいことだと考える。またそこから各作品を分析し、自分の主張を展開することもいいだろう(今ではほとんどこれはやられなくなったが、数十年前には盛んに行われていた研究である)。
しかし、彼はその「基礎」の物語構成しか見ていない。そこに彼の論の問題点がある。

私が宮崎駿の作品を取り上げる際に、多くはその「基本」の構造を見て、確認をしていった。このやり方は大塚英志と酷似している。だが一方で私は細かな描写の意味についても触れていった。この点が私と大塚英志の大きな違いであると私は主張することにしたい。
確かに宮崎駿の作品は物語の構成だけ見れば至極単純なものだ。これは私の記事を見てくれればわかったことだと思う。だから私も大塚英志も「宮崎駿ごとき」と言っている。
だが私は彼の作品の音楽や映像、また細かな演出にも目を向けた。その根幹に「初潮」などの物語構成があるのも事実だが、それを消化し、独自のものとして表現しようとするのは彼独自のものである。そのことは誰も真似できないし、だからこそ宮崎駿は高い評価を受ける。私は(まだそれらもまだまだだと思ってはいるものの)その点はきちんと認めるべき点であり、そしてストーリーテラーを志すものはそこから多くのものを学べると感じている。あるいは見る人もそこから色々なものを読み取ることができるだろう。それだけの価値が宮崎駿の作品にはある。
けれど大塚英志はそれらをほとんど無視している(一度作家の独自性に「文体なども重要だ」という発言をしているくらいだろうか)。彼は本当に単純な骨しか見ていない。だから彼にとって宮崎駿は「ただの物語論を模倣することしかできない人間」としか写らないのである。
したがって大塚英志は宮崎駿の持つ素晴らしさの多くを見落としている。たとえば観客はトトロをかわいいと思う。ではそれは何故なのだろうか? そこには絵の力もあるし、物語の進め方や演出の効果もある。そういうところには大塚英志は一切目を向けない。だから彼の論の中ではトトロなどのキャラクターの細かな動きや登場シーンの意味などについて触れているところがないのである。

また大塚英志は「宮崎駿ごとき」「村上春樹ごとき」としている。こんな物語ばかりが世に受け入れられていては駄目なのだと主張する。
私もその主張にはうなずくこととしたい。なぜなら(世に彼らほど高い評価は受けていないが)もっと上のストーリーテラーが存在するからである。
大塚英志自身が言っていることだ。彼らの使っているのはただの物語の「基礎」的な構造論だと。つまりそれは守られて当然のことであり、その上で作家は新しいものを生み出そうとしたり、あるいは捨てようと試みる。そして実際にこれらをやろうとしている作家や作家志望者はたくさんいるのである。
宮崎駿だってそうだ。彼は(その歩みは遅々としたものではあるが)基本的な物語構成をしっかりと守られるようになっていくと同時に、それだけでなく彼なりの解釈をしようと挑戦している。『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』などでは「呪い」にかかるのが主人公とそれと対になるもう一人の主人公と二人に増やされているし、『ハウルの動こく城』の方では何度も呪いが解けかかったりと、思春期・青春期の揺れる心情を表現した。
またここのブログ内ではすでに福永令三、神坂一、上遠野浩平、FFX、チュアブルソフトといったものを紹介している。また次回以降は竹宮ゆゆこを取り上げるし、今後乙一や京極夏彦といった人物も扱おうかと考えている(また『トトロ』の記事で少しだけ庵野秀明にも触れた。彼については今のところあらためて記事にする予定はない)。彼らは物語の基本を守り、その上で独自のテーマを出したり演出を施そうと試みている。あるいは上遠野浩平などは『ブギーポップは笑わない』で従来の小説の書き方を壊してみようと試みた。つまりこうした人物は(大塚英志の言うところの)物語構成しか守れない「宮崎駿ごとき」より上のストーリーテラーなのである。
けれど大塚英志はこうした人物たちを取り上げることをしない。宮崎駿や村上春樹などで留まっている。そこには彼らが実力よりも高すぎる評価を社会から得ているのだということを強調する意図もあるのだろう。けれどすでに世の中にはすでにその上の作家がいて、またそういう人たちに追いつこう、追い越そうとしている若手や卵たちもいるのだ。
大塚英志は「宮崎駿ごとき」で満足していては世の中が駄目になるのだと警鐘を鳴らす。そして現実の世界・社会のためにもっと良いものを書かなければならないとしている。
それなのに宮崎駿より上の人たちを紹介しようとはしない。ようは彼は「宮崎駿ごとき」の下手な書き手しか相手にしていないのだ。その上の人について論じてみたり、批評を加えることはしていない。またよいものだと紹介もしていない。
彼の本意は(私が推測するに)書き手には宮崎駿を超えて欲しいということだろう。あるいは見る側・読む側には「宮崎駿ごとき」という認識を持ってもらいたいと思っているのだろう。その上をぜひ目指そうではないか、というのが彼の願いなのだと私は思っている。彼の著作をいくつも見てきてそう感じた。
しかし現状として彼は物語の構成しか抜き出すことができずにいる。上のレベルの人たちを紹介できずにいる。人々に上のレベルに行ってもらいたいと思うのならば、その上のものというのを提示してみせるのが筋ではないだろうか(それは自分で書くのでもよいし、紹介するのでもよいわけだ)。
なお庵野秀明もトップクラスのストーリーテラーでありながら、しかし旧劇場版の公開時のコメントで「こんなものに熱を上げていないで、他の作品を見てくれ」と述べている。彼は自分より上の作家が世の中にはいると主張したのだ。そして自分のことをその程度と評価している。私は庵野秀明は「化け物」だと思っている。上遠野浩平なども電撃文庫MAGAZINEなどで「またこいつと戦わなきゃならないのか」と高い評価を下し、その上で勝負していくと述べている。でも庵野秀明自身が「自分はこんなものだ」と言うのだから、私も彼のことをそのように思うように努めている。彼の上の作家が世の中にはたくさんいて、そして後続の私たちは彼を抜き去ってみせねばならない(それがこの十年で達成されなかったから庵野秀明は新劇場版を作り出した。彼はもう一度「自分はこの程度のものしかつくれない」と言いたいのだろう。そしてもっと上に行ってくれよと再主張したいのだと思う。だから私はここのブログで彼のことを紹介しようとは考えていないのである)。
大塚英志は上のレベルの人たちは見れていない。この点で私のブログ記事にすら負けている。もちろん文字数の都合やブログというものは軽いものと私は考えているから、大塚英志のほうがたくさんのことを論じて主張できてはいるのだが、それだけだ。
だからこう言わせてもらおう。「大塚英志ごとき」と。

大塚英志の「宮崎駿ごとき」を主張するのには賛成する。作り手も受け手もそのことを知らなければならない。
だがそれは第1ステップに過ぎない。いわば最初のブレイクスルーなのだ。その先のブレイクスルーを経験している人たちはいるし、そしてその高みに私たちは目を向けねばならない。「宮崎駿ごとき」という認識を持つということは、最初のブレイクスルーを起こし、そしてそれより上の人々を見るためのものだ。
だから大塚英志に言わせてもらう。あなたはまだその第一歩しか踏めていない。私たちはあなたの上を行かせてもらう。所詮踏み台にしか過ぎないのだと。
だから、「大塚英志ごとき」なのだ。



最後に。
私は大塚英志のことを「大塚英志ごとき」と主張した。この理由はこれまでの論を読んでくれてきた方には十分伝わったことと思う。
だが「宮崎駿ごとき」と同じで、それを踏み台にしなければ最初の一歩も出せないことも事実である。
だからまずは大塚英志の著作を数冊手にとってみるのもいいだろう。だが(また言うことになるが)それは踏み台なのであるから、さっさと私たちは先に進もうではないか。彼などどんどん捨ててしまってよい。
もちろん宮崎駿と同じように、彼なりの考えや主張、工夫はある。そこをじっくり学ぶことも大事ではあると思っている。
Commented by zattoukoneko at 2010-04-21 06:26
はて、昨日急遽追加した記事とこれを合わせて考えると、ここのブログが一気に重いものになってしまった印象がw
しかも次回からは『とらドラ!』でまた本と映像の紹介……正直疲れました(苦笑) どれだけ下準備が必要なことか。
ただ『とらドラ!』の方はきちんと軽くいきますよー。せいぜい昨日の緊急追加と今回くらいしか、こんな堅いの書かないです。というか私のほうの体と精神に来る疲労が半端じゃないので(汗)

なお、今回の大塚英志批評もいくらかブログ用に落としてあります。論文雑誌などに掲載される一般的な書評よりも分量少なめにしてもありますし。
また大塚英志も一応「宮崎駿より上っていっぱいいるのよ?」と言ってはいます。だから私は(記事内のように)彼の気持ちを推測できてます。
でも大塚英志はそう言いながら、ほとんどその「宮崎駿ごとき」を槍玉にあげて自分の主張しかしていないのですよね。
私は(ここで批評という形をとりましたけど)彼の気持ちってよくわかって、ようは自分の本を読んだ人はもっと上の本にも目を向けて、社会にも目を向けて、そうして高いレベルの読者になってね、って言いたいんでしょう。
Commented by zattoukoneko at 2010-04-21 06:27
でも、私が記事内で言ってるように、あまりに宮崎駿とか村上春樹を取り上げすぎてます。大塚英志は「ごとき」と思うのであれば、私みたいにちょっと紹介して終わればいいだけなんですよね(ちょっと宮崎駿は作品数が多いから三つに分けましたけど、でも私はこれ全部まとめて一つだと思っていて、そしてもうこれだけ言えば十分だろうと考えてます)。大塚英志も上の人に気付いているんだったらその人紹介する本をいっぱい書けばいいのに(苦笑)
それと「大塚英志ごとき」という主張も、本来ならば彼自身の言葉ですね。だって彼は世の人に宮崎駿より上の人たちに目を向けてほしいと思っているわけで、そして自分はまだ宮崎駿を相手にしておくから、先に進む人はどんどん色々読んでね、ってことを主張しているので。つまり自分の本も捨てていってね、と本当は言いたいんだと思います。
ただ自分の本の中でそれは書きにくいですよね(一応お金をそれでもらうわけですから、売れるように仕向けなきゃ出版社が困るw)。だから彼の代わりに私が言っておきました。
大塚英志の本ばかり読んでちゃ駄目ですよ?、彼のファンになったら本末転倒ですよ、と。

やば、コメントまでが堅苦しく!
Commented by zattoukoneko at 2010-04-24 23:22
そういえばこの宮崎駿関連の話、「呪い」を見てからきちんとFFXIIIの記事見てくれましたかね?
あそこできちんと、「呪いと課題、その克服」っていってると思います。ようは仕組み同じです。
でもよくよく考えてみてくださいね? ルシにされるという「呪い」にかかったのは何人いますか?
これでわかりましたかね。宮崎駿はせいぜい二人に呪いをかけておしまい。FFXIIIはもっと多人数ということです。これだけで格の違いがわかりますよねw しかも課題の克服を様々なキャラを混ぜて見事にやってのけているんですから。正直あんなのやられると――負けられないという気になりますww
Commented by zattoukoneko at 2010-04-24 23:52
あ、でも私がはじめて書いた話も何人も呪われてる……。親ともきちんと別れてるし。
結局未完だけど――細かいキャラまであわせると50とかいくのかも?(なんか昔の自分の方が頭が良かった気がorz)
by zattoukoneko | 2010-04-21 05:32 | 映像 | Comments(4)