『トトロ』で追加。(エヴァについても少しだけ)

『トトロ』の記事を読んだ友人から質問がありましたので、その回答内容をみなさんにもお答えしておきます。
マックロクロスケは『千と千尋』の方にも出てきます。「だからあれは実在するんでしょ?」、と言われました。これは“半分”あってます。マックロクロスケは、あのボロ屋敷に感じたサツキやメイの恐怖(子供のとき夜にトイレに行こうとして、暗闇に何かいる?、と感じるのと同じ)で、ここに姿が与えられたものです。つまり日本で言うところの「八百万の神」に相当します。はっきりと姿が見えるのはお婆ちゃんに「本当にいるんだよ」と言われたから。だから姿が見えるのはサツキやメイの想像ですが、八百万の神なので『千と千尋』には出ます。が、トトロの方は完璧に「架空の友だち」なので『千と千尋』には出てきません。
他にもトトロの前に強風が吹くのって何?、とか訊かれましたけど、この辺まで細かく説明してたらきりがないのでやめます。というかここまで紹介したのだからあのくらい自分でわかれと主張したい(苦笑)

あと『エヴァ』の方も同じように逃避か?、と言われました。これは確かに近いです。でもシンジは「逃げてない」です。常に父親という現実を背負っていますので「逃げる」と言いながらも現実がくっついてきてます。完全に逃避できるのはエヴァに取りこまれたとき。ここでは完全に父親から切り離されます。だからエヴァの中という「夢の世界」に入れます(ただしシンジの逃げる先は母親の胎内をモチーフにしていて、ここらは庵野秀明なりの別解釈も混ぜてあります)。このシンジに対して、アスカはエヴァの中に溶けません。覚醒後もそうですね? これはアスカはシンジより成長しているから。現実は厳しいものと知っている状態だからです。つまりもうある程度大人の段階までいってアイデンティティを持っているのでエヴァの中に逃げ込みません。もう「個人」ですから。同様にして旧劇場版でアスカが早々と自分の体を取り戻すのも、アイデンティティを確立した人間だからです。補完されて他人と一緒になる必要性をほとんど感じてないということです。でもまだ成長の過程であって、反抗期を超えて現実の厳しさを受け入れていても、そこには戻るべき実の母親がいません。だから中途半端に終わっていて、母親を求めています。だからエヴァに乗れます(仮に本当に成長しきっていると乗れなくなります。だから、パイロットになった瞬間にストーリーの中で母親には死んでもらっているのです)。
あとゲンドウについても訊かれましたね。迎えに来るのはなんでユイじゃなくて初号機なのかと。あそこは本来であれば望んだ人の姿が見えてます。でもゲンドウはユイを望みつつも、シンジに辛くしたという現実も認識してます。だからシンジが迎えに来て、そして食われるなんていうひどい仕打ちを受けます。でも完全にシンジの姿をとっていないのは、ユイのこともまだ求めているから。だから二人の中間的な存在である初号機が迎えに来ます。
あとはラストでシンジとアスカの二人なのは、当たり前ですけどアダムとイヴのイメージです。二人はリリスの中という天国で罪を犯して堕ちてきた人間です。だから首を絞めるんですよね? そしてアスカは「気持ち悪い」と言うのですよね? もうここまでヒント出したので後は自分で考えてください。単純なことなんですから。(あとカオルくんにひかれていってるのとか、殺すまでの間の長さとか当然意味があります。他のシーンもね。でもそのくらいは読めるようになりましょう。庵野秀明自身が旧劇場版の公開時に言ってますが「そろそろこんなものから離れてくれ」ということです。彼自身あの作品は大したものじゃなくて、世の中にはもっとすごいものがあるよって言ってくれてます。だから私も彼の意見を尊重して説明なんてしません。彼は観てる人に「もっと上のレベルに行け」と言ってくれてるのです。だから私もそのように主張します。「『エヴァ』ごときで苦戦してるんじゃねえ」ってことです) 
Commented by zattoukoneko at 2010-04-20 09:30
ようやく宮崎駿紹介が終わりました(汗)
なお、記事をよくよく読んでくれた方は私が「骨格だけしか抜き出してない」と思うと同時に、でも他の部分もきちんとあるのですよとほのめかしてきたのがわかるかと思います。

「宮崎駿ごとき」とも言いました。でも現実問題として彼は社会から高い評価を受けています。その点で私なんかよりずっと上のレベルの人で、当然私もそれを自覚してますし、意識するようにしてます。
その上での「宮崎駿ごとき」という発言となります。

これに関しては以前書いた「閲覧者数増加御礼?」という記事できちんと書きました。
私より上のレベルの人たちっていっぱいいて、そして私はそれを自覚しています。でも私は彼らに追いつき、追い越そうとしています。だからあえて「宮崎駿ごとき」と言ってます。
Commented by zattoukoneko at 2010-04-20 09:30
(宮崎駿紹介のコメントの続き)
また(ちょっとタイトルなどはまだ秘密ですが)明日もう一つ記事を上げます。それを見るともう一個の私の意図がわかると思います。ここのブログの記事はすべて繋がっていくように構成されており、(修正を加えつつも)半年先や一年先まで予定を立てて、どの順番で紹介するのがよいのか考えてあります。

私がここでやっていることってそういうことです。だから色々な記事で『私の意図を読み取って』と書いてきました。
閲覧者の皆様も、時間のあるときでいいので、私のやりたいことを読み取ってくれるような努力をしてくれると嬉しいです。
by zattoukoneko | 2010-04-20 09:16 | 映像 | Comments(2)