ニュートンの万有引力は科学じゃない?

ニュートンといえば近代科学の父として有名です。彼は微積分を発明し(彼は流率法と呼んでいましたし、記号も現在のものとは全く違いますが)、万有引力という概念を導入することで惑星の運行を見事に計算してみせました。これによって地球中心の天動説から地動説へと完全に置き換わります。ここを境に明確に近代科学へと学問は変わります。ですからニュートンは近代科学の父と呼ばれます。
一方で近年の研究によって彼はその研究人生の大半を錬金術や神学に費やしています。神学はオカルトではないですが、錬金術は当時すでにオカルトとされていました。そのため今ではニュートンのことを「最後の錬金術師」と呼んだりします。
そして実際彼の考案した万有引力の法則というのは近代科学とは言い難いのです。むしろオカルトでした(実際それで当時は非難が集中したのです)。
今回は万有引力の何がオカルトなのか、何故近代科学には入れられないのか、ということを見ていきたいと思います。


まずニュートンが達成した天動説から地動説への転換というのは、何も彼一人の業績ではありません。1534年にコペルニクスが地動説を訴える『天球の回転について』を出版したところから始まったと記述されるのが一般的です。その後ティコ=ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、デカルト、そしてニュートンと次第にその概念が変化され、新しい物理の概念なども導入され、最終的に1654年のニュートンの『プリンピキア』の出版によって地動説になりました。これを「科学革命」と呼びます。
ただし科学革命で起きたのは天動説から地動説への転換だけではありません。物理学も哲学も、宗教に対する考え方も、そして一般の人たちの自然への捉え方も、ありとあらゆるものが変わりました。このため科学革命は人類が経験したもっとも大きな革命であると言われています。
科学革命に関わった人々は上記の人々だけではありません。哲学や科学の方法論も大きく変わっており、それらすべてを記述することは大変な作業ですし、ざっと講義するだけでも通常大学1、2年生の一学期から二学期分を要します。つまり半年から一年かけて教えるということ。そしてそれもかなり表面をなぞっただけです。ですからこの記事内でそれを紹介することは文字数的に無理ってものです。
ですので今回はかなり焦点を絞ります。主にデカルトを中心に「機械論」というものを見ます。


デカルトは名前は有名ですね。「われ思う、ゆえにわれありcogito ergo sum」の言葉でよく知られているかと思います(ただこの言葉の意味をきちんと知っている人は少ないみたいですが。ここから彼の哲学・科学が始まるのであって、ただの決意表明にに近いものなのですが)。
デカルト以前から科学者(歴史的にはまだ科学者scientistという言葉はできていないので、自然哲学者と呼ばなければならないのですが、今回は科学者で統一します)は急速に発展してきた機械時計というものに興味を引かれます。
ギリシャ時代からの伝統でヨーロッパでは職人というのは差別されていました。一方で科学者というのは大抵が貴族で、働かないで遊び続けてもお金が尽きないような人たちでした。彼らは時間をたくさん持ってましたので、その間に知的探求である科学に莫大なお金をかけていったわけです。あるいはガリレオなんかは大砲や築城術で国王などに自分を売り込み、パトロンを得ます。どちらにしてもお金に不自由することなく、知的探求に没頭できたわけです。
ですが機械時計というのが発明され、それがどんどん緻密に、大がかりになっていくと職人たちの技術に興味がわいてきました。そして職人の工房などに入り込んでそれを科学的に研究しようという試みが始まります。初期のものとして最も有名なのはアグリコラの『デ・レ・メタリカ』です(これは――えっとラテン語はわからなくても英語がわかれば推測できると思いますが――冶金を中心としたもので、たくさんの絵とそこに書かれている人や道具の役割を記述したものです。日本語訳もされていて、かなりの数の大学が蔵書として持っているのを確認してます。というか私は一部コピーして持ってます)。
この頃はまだ職人の技術を科学の眼で探求しようというものでしたが、次第にそれが哲学や神学と結びついていきます。
デカルト自身はどこまで神学と結びつけようとしていたかとか、技術のことを意識してたのかは詳しくはわかりません(私はデカルトの著作を直接読んだことがほぼ皆無なので)。上で挙げた「われ思う、ゆえにわれあり」も「今までの科学・哲学は信じられないから全部捨てるよ」という背景があって、そこからじゃあ何なら確実に言えるの?、ということで出してきたのが「われ思う、ゆえにわれあり」という公理だったりします。そこから彼は自分の哲学・科学の体系を組み立てていくのですが――どう考えてもその一つだけから宇宙の仕組みや引力の働き方、生命の仕組みまで説明していけない気がします。またあまりにも同時代の考えと似ている部分が多いです(全部捨て去ったのならまったく別物が生まれてきそうなものですが)。

ちょっとデカルトの時代の前後を見てきて、彼の後まで少ししゃべってしまいました。デカルト本人に焦点を絞ります。
彼は自分の自然観を構築する際に、「機械論」という考え方を明確に打ち出します。機械論というのは時計の歯車のようにすべての物質は(目に見えなくとも)たがいに接しながら作用を及ぼし、大きな力として現象を引き起こすのだという考え方です。
デカルトは復興しつつあった原子論をさらに進めて粒子論によって世界の仕組みを説明しようとします(厳密に原子論と粒子論を区別するのは大変で、かつ文字数も取られるので一言で片づけてしまいますが――原子論は原子というやや大きめの物質の最小単位があって、それで世界が構築されているというもの。粒子論はもっと物質は細かいところまで分解できるんだという考え方で、原子だと大きいものなので真空ができてしまいますが、それだとデカルトの考えるような力の働きがうまくいかなくなっていまうので、真空をなくすほどにとても小さな粒子で宇宙全体が満たされているというものです。……一言じゃなかったorz)。で、デカルトは本当に見事なまでにありとあらゆる現象を粒子の作用で説明していきます(ただし粒子にも何種類かあって、働きも違うのですが細かすぎるので省略)。引力は星の周りに渦を巻いている粒子の力によって引き起こされるとしますし(これは水の渦のうえに木の板や船を乗っけると中央に引っ張られる現象から考えたものだと思われます)、生命も空気中からある種の粒子を吸い込んでそれが肺から心臓、脳へと入り込み、神経に入ることで生理現象を起こすと説明しています。今の私たちから見ると思弁的すぎるものですが、当時は実験して検証するなんて習慣がないですし(ガリレオが坂から球を転がしたとか、ピサの斜塔から鉄球と羽根を落としたという話は、実際にはやっていなかったと言われています。望遠鏡をのぞいたのは確かですが)、仮に実験・観察したとしても目に見えないほど小さな粒子の話なのですから確認のしようがないです。
むしろ注目すべきはデカルトの思弁的な部分や古い部分ではないです。彼がやった「機械論」での説明の徹底ぶりです。(私はデカルトを直接読んだわけではなく、それについて触れた本や論文を読んだだけですが)彼の見事なまでの説明の整合性には舌を巻くしかありません。そして私だけでなく、後世の人に彼の「機械論」は受け継がれていきます。そしてこれが基礎に置かれてできたのが近代科学でした。


と、ここでいきなり現代の私たちの科学知識について。
高校の物理の教科書などを見ると、近接作用と遠隔作用という二つの力の働きに分かれています。前者は物を手で押したときなど直接物体に力を及ぼしたときに使用されます。一方で後者は磁力や重力のように間に何もなくても力が働くときに使われます。つまり高校の物理では二種類に力が分類できると述べているわけです。
これ、大間違いです。書いている人はわかりやすくするためにこう書いているのだと思います(というか信じます)。が、こんな考えのままある程度の理科系の研究者になろうとしたら馬鹿にされます。まずこの時点で大学院すら行けないでしょう(まあ、最近は先生方もきちんと勉強してない方多いですけど。大学一、二年生のときに何度間違ってると本を持って指摘しに行ったことか)。
重力に関してはちょっと置いておきますが、磁力や光――すなわち電磁波ですね――はきちんと近接作用として説明されています。またそうしようと昔から様々な科学者たちが理論を組み立てようと努力してきました。当初はエーテルという物質が空間を満たしていて、それによって電磁波が伝わると考えられていました。波である以上(これはニュートン以降、光や電波が波であることは実験などで経験的にわかっていました)それを伝える媒質がないといけないのです。それは音が空気を揺らしながらその振動として伝わるのとほぼ同じ理屈です。これに関して最終的に答えを出すのがアインシュタインです。彼はエーテルというものは存在せず、空間そのものに波を伝える性質があるとします。これがアインシュタインの特殊相対性理論です。そして空間および時間は歪むんだということを提唱します。(アインシュタインの相対性理論に関しては説明してると長くなるのでやめます。興味のある方は一般向けの科学誌『Newton』などで特集が組まれてますので、そちらを見ればちょっとはわかります。ただ書き方がむしろ小難しく、間違いとも思えるものも含まれています。アインシュタイン以前の科学、電磁気学の歴史について多少知っているなら大学2、3年生向けの参考書のほうがはるかにわかりやすいです。……一般相対性理論の方は難しいですが。えーと、私が勉強した本が歴史のことも触れていて、かつ正確。内容も平易で値段も手頃と良い本だったので紹介しようと探したのですが――四時間かかって見つかりませんでしたorz 東大出版会だったような気がするんですが、アマゾンにも東大出版会HPにも載っていないのでわかりません。表紙は次のやつに似てるんですが、違ったらすいません。見つけたら修正します。相対性理論の考え方 (物理の考え方)
では先ほど置いてしまった重力はどうなのでしょう?
実は――今でもなんだかよくわかっていないのです。
一応アインシュタインが一般相対性理論(特殊の方は光とか電磁波に限られてたのですが、一般のものは重力も含めたすべての物理現象に相対性原理が働くという意味で「一般」とついています)で、重量のあるものは空間を歪めると説明しており、これによってその歪みに物が落ちていくような感じで重力が発生すると考えられています。そして二つの物体(これは仮の想定)は互いに自分の周りの空間を歪めあっているので、たがいに引き合い、万有引力が生じるとされています。これは一応理に適った説明で、近接作用と見なせます。
ですが現在はその先に進んでおり、すべての物理の力というのは素粒子によって形成されるとされています。光の光子(フォトン)や原子核をつくるクォークは有名だと思います(まあ、クォークには八種類あって、原子核ではアップクォークとダウンクォークの二種類の組み合わせです。陽子がup, up, downで中性子がup, down, downです。電荷は電子を-1とするとupが+2/3でdownが-1/3となっています。組み合わせると確かに陽子が+1で中性子が0の電荷になっていると思います)。で、重力に関与しているとされているのが重力子(グラヴィトン)です。が、こいつはいまだに見つかってません。発見できれば確実に歴史に名前が残るのですが(ノーベル賞は発見だけだと難しいでしょうけど)、誰も成し遂げておらず、世界中で先行権争いをし続けているものです。こいつが発見できれば重力や万有引力もようやく近代科学に仲間入りを果たせるのですが、まだ数年、下手したら十年はかかるんじゃないかなあというのが私の予想。


さて現代からもう一度ニュートンの時代へとタイムスリップ。
現代ですらよくわかっていない重力や引力の仕組みですが、ニュートンはどう考えていたのでしょう?
先に述べたように近代科学は機械論というものが根底にあって、現代まで受け継がれてます。遠隔作用というのはオカルトの類とされて排斥されています。デカルトは間違っていたとはいえきちんとその近代科学の基本を守ろうとして、それで自分の自然観を組み立てています。
ではニュートンはデカルトのようにきちんと仕組みまで考察していたのか?
実はなーんにも考えてないのです。ニュートン先生のありがたいお言葉。「だってあるんだからいいじゃん。神様がつくったんでしょ」だそうです(もちろんこんなふざけた言い方はしてないですけどw)。
ニュートンは近代科学の父であると同時に最後の錬金術師であるということは述べました。どうも彼はオカルトとされていた遠隔作用を認めたかったようです。また万有引力の着想もどうやら錬金術やその他のオカルトへの傾倒が関係しているようです(リンゴが落ちるのを見たからというのは、だから間違いなのですね。これは次回の記事でさらに詳しく見ます)。さらに神学者としても熱心だった彼は、神の御業を称えたかったようで、万有引力を説明できないことを神がつくったものなのだから今の私たちに理解できなくても当たり前と考えたようです。
これに対しては当時の科学者から相当非難の声が上がっています。ニュートンは科学を前時代のものへと逆戻りさせるのか、と。
ただ彼の計算は見事で、その後行われた天体観測で彼の計算に基づいた予想が当たっていることが判明します。これによって万有引力という曖昧な概念を含んだ近代物理学は認められざるを得なくなっていくのです(まあ、他にもニュートンがイギリスにあったロイヤル・ソサイエティという学会の初期のものの会長をやっていて、彼が個人的に気に入らない研究は論文として世に出させなかったことも今はわかっています。ニュートンがいなかったら科学はもう20年早く成長していたのではないかという研究者もいるくらいです)。
この近代科学といいながらその基本を無視している万有引力はその後も何とか科学にしよう、つまり近接作用で説明しようと試みられていき、ようやくアインシュタインで一応の決着を迎える、ということです。


以上のようなことからニュートンの考案した万有引力は正体不明のオカルトの力だったということです。彼がつくりだした近代科学は、しかし近代科学の大原則を守っていなかったということになります。
それとこれはニュートンの万有引力の話とはずれてしまいますが、後々科学革命とかパラダイムシフトの話をするときにそちらの分量を減らすため、先に機械論についてもう少し。
機械論はデカルトによって明確に打ち出され、科学の守らなければならない大原則となります。それは現代でも変わっていません。ですがニュートンの頃にはデカルトの考えから少し変わっています。
それはキリスト教と強く結びついたということ。当時の科学者は敬虔なプロテスタントが大半でした。キリスト教にとっての神とは唯一のもので絶対、全知全能の存在です。以前「人権・平等問題」の記事で触れたかと思いますが、プロテスタントたちは全知全能の神が何か誤りをおかしたり、後で世界を修正することはないと考えていました。それと世界をどう見るかを考えたとき、科学者の頭に思い浮かんだのが機械時計でした。神は宇宙を機械時計のように緻密で寸分の狂いもなく創っただろうと考えるようになりました。その機械の仕組みを究明するのが科学者としてキリスト教に貢献することだと考えられるようになります。そして聖書Bibleは二つになります。一つはもちろんのこと新約聖書。そしてもう一冊が宇宙でした。この二冊を熱心に読み、神の御業を知ることが人間のなすべきことだとされるのです(実際フックやボイルといった人物は宇宙や自分たちの探求する世界をBibleと述べていますし、当時の科学書には科学の力によって神の成したことを解き明かそうという挿絵が入っていたりします。画像を掲載しようと思いましたが……これも行方不明。見つけ次第upします)。この動きは次第に啓蒙主義運動と重なり激しさを増していくこととなります。


さて以上は歴史的な観点から見てきました。(いくつかの点で簡略化していますが)これは間違ったものではありません。
ですが科学哲学(あるいは科学論)の側面から見ると別の解答を得ることができます。(ただし科学史も科学哲学も互いに影響し合っているので、どちらかが正しいとか、より良いとかではないです。いうなれば歴史の方は史実を重視し、哲学の方はそこから導かれた思想を大事にします。重点の置いているところが違うというだけです)
科学哲学の方は基礎知識が相当必要ですので思いっきり簡略化します。
現在科学哲学や科学論では科学者やその集団、そして科学そのものも社会の影響を受けているのだとされています。
……えーと、何を当たり前のことをと思った方は、申し訳ないですが科学に対する社会の考え方からまず知ってもらわなければなりません。最近「科学って中立だよね」と言ってもわからない若い人が多いので(私自身中高生に勉強を教えることがありますが、その合間にそんな風に振ってみると『わけわからない』という顔されるんです)。
そのまず最初の段階でつまずいてしまった方へ。簡単に説明します。多分次に言うことは納得できると思いますが、どうでしょう?
まず科学というのは日々進歩しており、次々に新しい発見がなされ、そして理論がつくられていっています。そしてその理論は前段階の観察や実験にミスがなかったり、科学者自身の能力の不足やある考えへの傾倒(宗教など)がなければ、きちんと正確なものがつくられるだろうと考えられます。後々間違っているとされたら、その当時にはまだ観察できなかったことがあったのだとされるでしょう(たとえば昔は望遠鏡や顕微鏡がなかったので精確な観測ができませんでした)。そしてそういう性質のものだから「中立」であり、文学や法学と違って世界中で同じ科学の理論・法則で物事の説明ができ、様々な技術や兵器がきちんとつくれるわけです。どこかの土地や文化に固着のものだったら他の場所へは科学/技術は持ちこめませんよね?
今の説明に「そうだね」と思ってくれたでしょうか? 思ってくれたなら第一段階クリアです。
次いきます。
今思ったこと――全部間違いです。
「何言いやがる!」とか怒らないでください。特に科学に重点を置いている方々はそう思われるかもしれません。が、実際に歴史を振り返ってみるとそうではないことがどんどんわかります。
一番大きいのは科学革命ですが、これは大きすぎるので後々きちんと取り上げます。今回はいくつかの事例だけ挙げます。
まず一つにもうニュートンの話はしましたね。彼は錬金術というオカルトに偏っていたからこそ万有引力なんて怪しいものを平気で出しちゃいました。
また生物学では生物は自然には発生しないということをパスツールが実験をして証明してみせます。これは高校の生物の教科書や参考書にも載っています。次みたいな首長フラスコと呼ばれるものをつかって実験を行いました。
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パスツールは空気中から微生物が入ってくるのではないかとして、フラスコ内に培養液を入れたのち、その首を捻じ曲げて微生物が入らないようにし、その上で加熱して殺菌。そうするとフラスコの入り口付近には細菌が発生するものの、中には発生しないことを見いだします。これによって自然発生は否定されたということになります。
が、同じ実験をプーシェという人物が追試しています。そして細菌が発生することを見いだします。このプーシェは実験に失敗したのでしょうか?
実は違います。実験として正しいのはプーシェです。今の私たちが同じ実験をすると細菌の発生が確認できます。実は100℃(水の沸点)では死滅しない菌がいるのです。枯草菌の仲間です。プーシェは自分の実験から自然発生があると結論します。この結論自体は誤りですが、実験はきちんとしたものでした。
ですが彼の実験結果は無視されてパスツールの意見が世間に認められます。その理由は簡明で、キリスト教が後押ししたからです。キリスト教では神が世界創造の最初の7日ですべてを創りだし、その後は何も創っていないとしています。この教義を覆す自然発生説は邪魔ものでした。そしてパスツールを支持します。またパスツール自身が敬虔なカトリック教徒でした。
つまりパスツールによってなされた自然発生説の否定は(現代でも通用していますが)宗教の影響を思いっきり受けているということです。
――二つの例だけでかなり長くなりましたね。他にも山のようにあります。原子物理学の研究は原爆開発のために急速に進められた、なんてのもわかりやすいですね。これは政治などが関係してます。
このように科学というのは、人物もその理論自体も社会や宗教の影響を相当に受けているということです。
そして――これで最後にしますが――昔の科学と今の科学とどちらが進歩しているかというと、別に何も変わりません。これは科学革命やパラダイムシフトの記事を書いたときに説明しますが、乗っかっている土台(これをパラダイムと呼ぶのですが)が違うのです。
科学革命以前は別の考え方をしていたのであり、それに間違いを見つけることはできません。むしろとてもよくできており、物体の移動などについてアリストテレスをはじめ様々な哲学者がきちんと論理的に、かつ整合性を持った形で示しています。
現代に生きる私たちが彼らに間違いをつきつけるとしたら、最新鋭の望遠鏡でものぞかせることでしょう。データの面では確かに私たちに分があります。けれど私たちが説明できないこと――たとえば重力など――を彼らはいとも簡単に説明します(ただ乗っかっている土台が違うので納得するのは難しいですが)。
ようは古代の科学と現代の科学、乗っかっているものが違っていて、そしてどちらの説明も正しいのです。そして今後第二の科学革命が起きれば、私たちの科学は全部捨て去られます。今の科学者がやっていることは全部水の泡というわけです(まあいくらかは受け継がれるかもしれませんが、望み薄です)。すなわち私たちが乗っている土台の上では知識や理論は発展しているように見えます。が、土台を切り替えたらそれらは全部意味をなさないということです。
――――しまった。簡略化してるのにすでにもう長い!
えっとさらに駆け足になりますが、
科学というのが社会の影響を受けている以上、それが認知されるのも社会の力によってです(パスツールが一番わかりやすい例)。つまりその科学が正当なものかどうかは社会に認められなければならないということです。
もちろん科学者は自分たちに一定のルールを課しています。たとえば機械論に従わなければならない、など。ですがニュートンもパスツールもそういうのを無視して、社会に認められてしまったので「科学」になったのです。
したがってこの視点からすると、ニュートンの万有引力は正当な科学だと言えてしまうのです(ただ納得していない人たちがいたから、後世になって見直されるわけですが)。



だいぶ長く、そして小難しくなってしまいましたかね。これでも科学史とか科学哲学の分野だと学部生向けの教科書のほんの最初のレベルだし、それをさらに私がかみくだいたのですが……。
まあともかくタイトルの通りニュートンの提唱した万有引力というのは近代科学の基本原則からすると科学ではないわけです。ですが社会に受け入れられてしまったので、彼は「近代科学の父」となったということになります。


さて次回はニュートンのリンゴの木の話。こちらは今回よりもずっと楽な話ですので(になると思います(汗))、今回の記事で諦めずについてきてくれるとありがたいです。
Commented by zattoukoneko at 2010-03-20 09:39
参考文献に関してですが、私は特に掲載していません(今更な話ですが)。
理由はひとつに、ここは「ブログ」だからです。「レポート」でも「論文」でもないので、だからつけていません。全部注をつけてどこを参照したか、引用したかを提示することは可能ですが、その手間はかなりのものになるので省略しています(ちょっと想像してもらえればわかるかと思いますが、今回の記事は参考文献を全部挙げていくと30件くらいになるかと思います。きちんとカウントしてないのでわかりませんが、この分量であればそれが妥当な数字だと思います。それを逐一挙げていったら私自身も見ている側もつらいでしょう? なので正式なレポートではないここでは省略しています)。
Commented by zattoukoneko at 2010-03-20 09:39
参考文献について②
また一応閲覧している方は高校生から高校の課程を修了した人を想定して書いています。ですが参考文献は大学の三、四年生の読むものから、記事によっては専門家レベルのものを使っています。言語も日本語でないものがかなりあります。それを提示したところで高校生は読まないでしょうし、大学生や社会人の方でも予備知識がないとまったく読めないものだったりします。また時には一次史料を扱っていて、それは書店や普通の図書館では手に入りにくいものです。私自身、人から譲ってもらったり見せてもらいに足を運んでいるので、その名前からすぐ入手できるかといわれると難しいものがあります。
そんなわけで参考文献に関しては明記していません(教えてくれと言われればお伝えできます――いくつか埋もれてて私自身が見つけられないのがあるので確約できないのですが)。ただ一応はきちんといくつも根拠としている文献はあって、適当な作り話ではないですよ、とだけお伝えしておきます。(まあ、かといって大学生が楽しようとしてここのブログの内容を持っていくのもダメですが。きちんとしたHPなどではないので、先生は認めてくれませんよ?)
Commented by zattoukoneko at 2010-03-22 11:06
参考文献、引用、注について、追加。
ちょっと参考文献とか引用元を提示するのは無理だと感じました。というのは、今書いているものに行き詰って、ちょっとPC内を探したら大分昔に書いた自分の卒業論文があって、それを読み返したのですが――A4の8枚弱の中に注が56ついてました(汗) 全部が別の文献というわけではないのですが、それでも結構な数でしたね。(なおこの記事はA4で6枚から7枚くらい。書式が違うので正確な比較はしてないですけど)

しっかし、この卒業論文は出身大学に残されてるんですよねえ……。もっと知識を持っている今の私はこれ書きなおしたです。というか量がそもそも少ないですね。3倍くらいに増補したい(規定枚数大幅に超えるから受け取ってもらえないですけど)。
でも――自分で書いたものながら途中細かいところでわからない部分があったりするw やばい勉強しなおさなきゃ。
by zattoukoneko | 2010-03-20 09:16 | 物理 | Comments(3)