キリ番100,000ゲットだぜ!

2016年7月15日、日付変わって間もない0時半過ぎ。
「いくらか眠いけど、もうちょっとー」などと戯言をのたまいながら、しかしこれといってやることもなかったので、何気なく自身のブログ(要はここ)の各所をクリックしていたところ……
なんと、ブログ訪問者数がぴったり10万ではないですか!

おめでとう! キリ番ゲットだぜ!!

なお、管理者本人はカウンター回せなかった気がします。
……私の一人前がキリ番ってことじゃね(・ω・)?


ともあれご愛顧ありがとうございます。
最近は記事の内容的に、毎度訪問者いくつの報告・御礼もどうなのかなって思ってしまって、記事にはしていなかったのですけども。
今回10万という大台、かつ、私本人がその瞬間を目撃したということで、久しぶりに御礼記事を書かせていただきました。

普段通りの記事もちょくちょくアップしていくつもりでいます。
変に取捨選択するクセがついちゃったみたいで、書いては保留、思い付いては考えているうちに忘れ、を繰り返しています。
どう考えても私が悪いですね、はい。


読んでくれた方にとって何かしら考えるきっかけになるような記事が、一つでも掲載できていたら嬉しい限りです。
今後ともよろしくお願いいたします。
# by zattoukoneko | 2016-07-15 01:06 | 雑記 | Comments(1)

2015年イグノーベル賞:あぁっ、ハチさんもっと俺のこと刺して……!

今年の記事は割とこじつけ。

さて、さる9月17日に2015年のイグノーベル賞の発表がありました。ノーベル賞とは違って笑わせてくれる研究に贈られるものとして、また日本人が続けて受賞していることもあって、報道も盛んにされているという印象があります。そしてこのブログでも主張してきたことでもあるのですが、イグノーベル賞はただのお笑いなんかではなく、その研究内容は注目に値するものだという声もちらほらと聞こえるようになってきました。研究成果そのものも素晴らしいものだし、その成果を導いた研究手法も見習うべきものと私は考えています。
当ブログでは研究手法や研究に対する姿勢に注目し、個人的な意見を述べてきました。なぜなら、成果について評価するのは大変だけど、方法論についてあれこれ意見を言うのは自由気ままにできるので現代社会において科学/技術は大きな力をもったものと見做されており、その在り方について考察することは今後ますます重要な意味をもつと思うからです。イグノーベル賞は、選考過程に同様の考えをもつ人が入っているのか、研究手法で受賞が決まったんじゃないかと思えるようなものが多く含まれています。
では今年はどうだったのか。単に笑って済ませるだけでなく、そこから見える研究手法にも意識を向けられたらと思って、私も発表を楽しみにしていました。
……なのですが、蓋を開けてみたら、今年はビミョーというか。研究成果自体は素晴らしいし、一般の人の目を向けるような見出しがついているのですが、どうにもお堅いイメージが拭えない。どうしたんでしょうか、世界中から注目されてしまって、イグノーベル賞選考委員会もはっちゃけることができなくなってきたんでしょうか? 少なくとも当ブログで取り上げてきたような、研究手法に関する面白味は薄いという印象でした。
ということで、冒頭の書き出しにあるように、今回はちょっとこぎつけです。正確に言うと、その研究内容・背景にまで踏み込んで書こうと思います。なんだよ気楽に書けないじゃん!


取り上げるのは、生理学・昆虫学賞に選ばれたマイケル・L・スミスの研究。自分の異なる部位をミツバチに刺してもらい、どの部位が痛みが小さいか、どの部位が痛みが大きいかを調べたというもの。どんだけドMなんだよっていうか、私が発表を聞いたときにまさかの想像で思い浮かんだ陰部まで刺してもらったというんだから、もう変態そのものじゃんと。その印象が強すぎて記事タイトルがこんなになったという次第です(けして私が変態ってわけじゃないんだよ?)。
しかし研究の背景にまで思いを巡らせると、この手法は実に理にかなったものという気もしてきます。そのことについて、今回は述べてみようと思います。

痛みというのは、私たちにとって非常に身近なものです。転んでひざをすりむけば痛いし、足の小指をタンスにぶつければ目から火が出るように痛いし、悪いもの食べちゃってお腹を下してるときなんて神に日頃の行いを懺悔し許しを乞うことすらあります。そのくらい痛みというのは日常のそこかしこで経験するものです。
一方、医学の分野では痛みというのは非常に扱いに困るものと見做されています。痛みを散らすということも大変なことですが(痛みを訴える患者を救済するため鎮痛剤を処方する、手術を受ける患者の苦痛を軽減するため麻酔を使ったり不安を取り除くセラピーを行うなど、様々な場面で直面する問題です)、それだけでなく、それ以前の問題として痛みを測るということが難しいからです。
私たちは普段から痛みと簡単に言ってしまっていますが、その性質や原因は多種多様です。鋭い痛み・鈍い痛み、肉体的な痛み・精神的な痛み、損傷した体表面にある痛み・漠然とこの辺が痛いとしかわからない内臓の痛み。どこが痛いのか、どのように痛いのか、何故痛いのか。これらを明瞭かつ簡明に説明できる患者はまずいません。医者であっても、患者の側になってしまうと、その痛みを説明できないことを経験すると聞いたことがあります。
なお余談ですが、私は体があまり丈夫ではないらしく、胸やお腹の痛みを訴えて病院に行くことがあるのですが、そのたびに「どこがどう痛いのかな?」と訊く医師を満足させられる言葉を返せないというイヤな思いをしてきました。ちなみに私の返答例は「『ぬーべー』っていう漫画に悪魔の手というのが出てくるんですけど、いやわからないなら薔薇の蔓を巻き付けた手をイメージしてくれればいいんですけど、その手に心臓を包まれているような感じの痛みです。いや、握りつぶされているような感じじゃなくて、周りを包んでいるだけで、だから心臓が動くたびに痛いんです。……いや、だからチクチクとか、そういんじゃないんですって」とか。これはさすがに私が悪い気もする(・ω・`) でも当時は、どうしてきちんと説明してるのにわかってくれないんだ、と思ったのです。後に医師と仲良くなってこの体験について語ったことで、この背景にある問題を知り、謎が解けたように感じました。当たり前の話ですが、医師は患者の感じる痛みをすべて実体験したことがあるわけじゃないのです。そのような医師がどうやって痛みの種類を区別するかというと、教科書などに先人がまとめてくれた知識を使うしかない。書かれているのは「チクチク」とか「シクシク」とか「差し込むような」とかであり、実はその言葉も医学的に洗練されたものだというのです。そのため一般の人が感じ表現する痛みと、医者が文字で勉強した痛みの表現に乖離が生じている。そのため勉強で得た知識を患者の訴えとすり合わせる経験を積んでいない医者に当たってしまうと、患者の言葉は的外れだと見做して、あまつさえ「それって差し込むような痛み?」と医学の言葉で尋ねることさえあるのだそうです。そのような医者にたくさん当たってしまった私は、医者になろうとする者には現場の倫理をもっと学ばせるような教育体制をつくらなければいけないのではないか、と常日頃から思っているわけです。
脇道が長くなりすぎました。そろそろ戻ります。
痛みの評価が難しくなるのは、内臓痛のように患者自身が評価に難渋していることもありますし、また痛みというのは極めて主観的な感覚だからです。我慢強い人はちょっとやそっとの痛みではそもそも訴えを述べませんし、あるいはその痛みを感じているときの状況によってもその痛みの大きさは変わることがわかっています。楽しく笑っているときにはあまり痛みを感じないけれど、落ち込んで病気のことばかりに頭が行っているときには苦痛も大きくなるといった具合です。そしてさらに、落ち込んでいると精神的な苦痛も上乗せされるため、それを肉体的な痛みと分けて申告してもらうのは難しくなっていきます。
そうした事情から、痛みの評価というのはまだまだ発展途上の分野とも考えられ、様々な評価方法が考案されています。これを痛みの評価スケールと呼んでいます。いくつか例を出すと、一つはvisual analogue scale(VAS)というもの。これは、一本の直線を患者に見せ、その一方を「痛みなし」、もう一方を「耐えられない痛み」「想像しうる限り最も大きい痛み」とし、患者にその時感じている痛みはどこに位置するかと指差してもらうという方法です。そして、痛みなしから指してもらった場所までの長さ/直線全体の長さ、という数値にして評価する方法です。このVASをもっと患者にも理解しやすくしたものにnumerical rating scale(NRS)やface scaleなどもあります。前者のNRSはVASの直線に目盛りを入れておき、痛みが該当する数字を申告してもらうようにしてもらったもの。後者は直線ではなく痛みを表した顔の漫画を患者に見せて選んでもらうもので、これは小児などによく用いられているそうです。
ここで紹介した評価スケールは極めて単純なものです。患者に感じている痛みの程度を教えてもらうことはできますが、その痛みの種類には触れられていないし、生活上感じる困難なども考慮されていない。いわば一元的な痛み評価です。内臓痛のような痛みそのものを感じにくく、しかし症状などが出て不安になりやすいものにどう取り組んでいくのか。あるいは損傷した体の部位によっては日常生活動作にさほど支障が出ないため、患者が痛みを小さく評価・申告してしまう場合はどう見抜いたらよいのか。そういった課題がまだまだ残っています。

この先の評価スケールに関してはその道のプロが書いた著作物に譲るとして、イグノーベル賞の話に戻りましょう。
痛みの評価のところでちらっと述べましたが、痛みというのは部位によって感じ方が異なるものです。非常にわかりやすい例を出すとすると、蚊に腕を刺されて痒いときと、まぶたを刺されて痒いときとでは、その痛みには雲泥の差があるわけです。腕なら「かゆい……うま……」とぼりぼり掻くだけで済みますが(注:その台詞はなんか違う)、まぶただと「痛いし、煩わしいし、掻けないし、もぉおおお!」と発狂モノです。この蚊の例は経験則として(あるいは実体験したものからの伝聞として)非常に馴染みのあるものです。
『じゃあ、実際に部位ごとに違うっていうその痛みの評価をしたことってあるの?』と過去の研究を探してみると、当たり前すぎるせいなのか、全然見当たらないわけです。当たり前と思われることでも、先行研究がないなら、それを調べれば価値ある研究になります。というわけで、調べてみようと思い立ったのが受賞者のマイケル・L・スミスというわけです、蚊じゃなくてミツバチですが(論文Abstractより引用「However, the question of how sting painfulness varies depending on body location remains unanswered」)。
ただ調べようと思うのはいいにしても、克服すべき問題があります。すでに述べたように、痛みというのは主観的な側面が多分に含まれます。そのため、ミツバチに腕を刺された人と脚を刺された人とに痛みを報告してもらったとして(ここでは理解をスムーズにしてもらうために、先述のVASで申告してもらったと仮定しましょう)、その数値は単純に比較できるものではないと考えられます。
ではどうするか? 同じ人に痛みの数値を報告してもらえば比較は容易になりますが、そんな何度も刺された経験のある人なんて見つからないでしょうし、実験するにしてもさすがに被験者が嫌がって集まらなさそうです。実験することすらできないのでしょうか?
……自分が刺さればいいんじゃね?
というわけで、そう思って本当にやってしまったのが、マイケル・L・スミスというわけです。いやぁ、本当に変態、もとい科学者の鑑ですね。
なお、このマイケル・L・スミスが本記事で紹介したような痛みの評価の問題点、痛みの主観的な側面を意識して研究に臨んだということは、彼の論文に明確に書かれています。Abstractにも「…in one subject (the author)」と書かれていますし、Introductionでも研究の背景として痛み評価について触れられています(興味ある方は、Honey Bee Sting Pain Index be Body Location. PeerJ homepage から読まれるとよいと思います(リンク先英文))。


さてはて、記事内でもタイトルでも著者を変態であるかのように書き、というか本当に自分でやってしまったことにドン引きしまくりの私ではございますが、そのように研究しようと考えるに至った背景と過程には非常に納得ができると感じました。痛みをどう評価するか、研究はどうやっていけばよいのか、さすがにこの著者の真似をする人はそうそういないと思うものの、その他の研究者に注目されるには足るものだったのではと思います。
ドMな研究者がイグノーベル賞を受賞したとして終わるのではなく、痛みの評価、研究の難しさに目が向くことで、今後この分野が発展していくことに繋がればと思います。
願わくば、私のような病弱人が医者と痛みについて話し合うとき、気分よく言葉のやり取りができるような医療現場にならんことを。


オマケ
昨年のバナナの研究 も、一昨年の水の上を走ろうとする研究 もそうでしたけど、イグノーベル賞は『思い付きはするけど、本当にやる?!』って思っちゃうような研究が好きなのかもしれませんね。
細かなところでは違うとは感じますが、研究者として真摯であることを、この選考委員会は愛すべきものと見ているのかもしれません。
# by zattoukoneko | 2015-09-24 02:32 | 生物・医療 | Comments(0)

PLOSの査読者は性差別的だったのか?

先日、オンラインジャーナルの一つであるPLOS ONE(あるいはPLoS One)が、論文投稿者によって批判されるという事件が起こりました。
批判をした投稿者は二人の女性研究者であり、Ph. D.取得後の研究者がポスドクになる際男性と女性の数に性差が認められることを調べ論文にしていました。これに対しPLOS ONEの査読者は次のようなコメントを付してリジェクト(=掲載拒否)したとされています。それは「共著者、あるいは少なくともピアレビューとして男性を加えるべきである。ポスドクには男性が多いとのことだが、それは男性が女性より足が速いのと同じように、生物学的な特徴に基づくものではないのか? 男性の博士課程学生の方が女性の学生よりも長時間勉学に打ち込むであろうし、そうならば女性よりポスドクになる数が多くても何ら不思議はない」というものでした。
このコメントを受け取った著者らは激しく憤り、その一部をTwitter上に公開しました。結果PLOS ONEは炎上し、担当した編集者を解任すると発表するに至りました。
この一件を知って、私はぎょっとしてしまいました。これは大問題だと感じます。
ええ、査読者やPLOS ONEに対してではありません。こんな馬鹿げた批判をしてしまった著者がいることに驚きを禁じ得ないのです。
今回はこの理由について書いてみようと思います。投稿された論文や、返ってきたコメント全文を読めるわけではないので断定はできないのですが、確認できたところを見るかぎり、査読者はむしろ貴重な意見をくれたと私には思えるのです。


さて、大きく取り上げるのはコメントの問題ですが、その前に。ちょっと学問的にも危機感を覚えるという感想を述べさせてもらおうと思います。
そもそも学問というのは、政治や社会からは切り離されているべきものです。科学などは時に大きな破壊力をもって人間社会をぼろぼろにしますから、殊更に政治の影響を受けないようにと気を付けています。
もちろん、現実的にはそのような切り離しは無理です。研究費という財政的な支援を国や企業から与えられれば、その利益になるような研究が盛んになるのは自然なことですし、そのような直接的な支援がなくとも、同じ社会で生きている以上社会の趨勢や流行り廃りが研究の色として出てくるものです。そうではあっても、せめて表面的には学問の世界は俗世からは切り離されていると振る舞うべきと研究者は考えており、ですから学会などはちょっと世の中から隔絶した雰囲気をまとうように意識されています(企業展示や書籍販売は会場から少し離れた場所にスペースが設けられるなど)。
論文の投稿や研究の発表においても、この意識は保たれています。企業等の営利団体からの金銭授受などの有無を示す利益相反(COIとも)は明示しなければなりませんし、研究内容の素晴らしさはそのプレゼンによってのみ示されなければならない。発表者の社会的地位なんて関係ないし、ましてや発表の場の外部から野次を飛ばして妨害することなんてあってはならない。論文にコメントが付いて、要修正なりリジェクトの結果が返ってきたならば、それに真っ向から取り組んで、より良いものとして仕上げた上で自身の意見を貫き通さなければならないのです(リジェクトの場合は同じ雑誌に投稿するのは常識的に考えて避けるべきですから、別の雑誌を検討)。
査読者だって色々な人がいますから、明らかな誤読をしてきたり、知識の不足があったり、人間的に優れていない人のこともあり得ます。結果を受け取ったときは、正直げんなりしますし、コメントを付けた人のことを恨みたい気持ちになることもあるでしょう。しかしそこで鬱屈した気持ちになるのではなく、「ああ、この書き方だと誤読されやすいんだな」と見直しをするのが論文採択への近道だと私は思っています。重要なことですが、受理されればその論文はもっと多くの人の目に触れることになるのです。もっとわけのわからない批判に晒されうるということなのですが、その危険性を減らしてくれているのが査読者という存在なのです(実際、査読者というのはその分野で優秀であることよりも、的外れでもいいから様々な角度から意見を出してくれる人が重宝されるのだと、大学時代に教えてもらったことがあります)。
このような立場からすれば、今回の著者らがとった行動は学者としてあるまじきものです。あまりにひどいコメントが付いて気分を害したのであれば、今後PLOS ONEなんかに投稿するのはやめて、他の学術誌で実力を示せばいいのです。これは理想論だと思われるかもしれません。けれどそもそも学問というのは理想を掲げることでその立場を維持しているものです。世論を味方につけ学術誌を批判するというやり方は、それはもう学問ではありません。「自分は正しい結果を導いている! 受け入れられないのは査読者が悪いからだ!」という意見がまかり通るようになっては、絶対にいけないからです。


とはいえ、本当に査読者のコメントが性差別的だったのなら、それを問題視するべきと考えるのもわかります(今回のようなやり方は絶対避けるべきであり、大学の指導者や学会での問題提起に出すなど、他の案を模索するべきですが)。では、そのコメントとはどのようなものだったのでしょうか? 著者らが公開したコメントの一部を、全訳して掲載します。
「一人ないし二人の男性の生物学者を共同研究者として迎え入れることもおそらくは有益なことだろう(すなわち、少なくとも内部でのピアレビューを得る、しかし共著者の方がやはりいいだろう)。時に経験的な証拠からイデオロギー的にバイアスのかかった想定に飛躍していってしまうような解釈についてチェックを入れてくれるからである。(中略)もしかすると、博士課程の男子学生の共著者が女子学生よりも平均で一本論文を多く出していることは、そう驚くことではないのかもしれない。ちょうど、男子学生が女子生徒よりも徒競走において少しばかり早く走れるように。(中略)これは〔学術研究としては〕考慮するほどの魅力がないものだろう。他の可能性としてこのような説明も提出され得るかもしれない。男性が筆頭著者となっている論文は、女性がそうなっているものよりも、平均してよりよい学術誌に掲載され、その理由として、その学術誌が性的バイアスを有しているのかもしれないし、実際に男性が筆頭著者の方が論文の質がよくなるからかもしれないし(中略)あるいは〔もっと〕単純な理由で、男性の方が女性よりもわずかばかり健康や体力で勝っているために、毎週男性の方が女性よりも一時間多く〔研究者として〕働いているから、よりよい雑誌に論文が掲載されるのかもしれない」
つまり、査読者はこのようにコメントしてくれているわけです。『あなたの提出した成果は、女性よりの意見によって飛躍を含んでいる可能性がある。もっと単純な理由で、ポスドクに性差が生じているのかもしれない。思いつくままに書いてみるけど、走るのは男性の方が速い、というような生物学的な特徴が背景にあるとか。そうであった場合、性差があるのはむしろ自然なことになるので、ジェンダー研究という学問分野で検討するには値しない(やるとするなら生物学などのもっと基礎の領域だ)。その検討をしていない以上、この論文には論証に不備があると言わざるを得ず、残念ながらリジェクトとなる。そうだな、修正するとするなら……どうだろう、せめて男性の共著者を入れてみては? 男性の視点を入れると思わぬ気付きがあるかもしれないよ』
どうでしょうか? この査読者のコメントは性差別的でしょうか?
身体的な特徴などを挙げているのは、確かに性差別的だとして槍玉にあげられやすいものとは感じます。けれどこれはあくまで仮定に対するさらなる想像であって、査読者が本当に思っていることではないと思います。むしろ懸命に想定され得る難癖を考えてくれて、そういう批判に晒されないようにするために意見をくれているように読めます。
もしかしたら、人によっては「男性の共著者を入れればいいのでは」のところに引っかかるかもしれません。実のところ、これはジェンダー研究をする者に対して投げる常套句のようなもので、私も言われたことがあります(私は研究テーマの一つとして「ジェンダーと科学」というのを持っています)。純粋な理性によって調査研究をしている者にとって、この言葉はしばしば不要なものだと考えてしまうし、思索が浅いと批判されているように感じて不快に感じることもあります。私個人としては、そろそろこの常套句もなくなるべきと思っています。それでも重要なものとして言われ続けているのには理由があります。実話かまでは知らないのですが、「あるとき労働状況における男女差に興味を持った男性研究者が、統計を取った結果、男性よりも女性の方が仕事を休みがちであると結論を得た。興味深い内容であると論文にして投稿したが、コメントに『女性の意見も聞いてみること』と付いて返ってきた。男性研究者は馬鹿にされたと思いながらも、意見に従い同僚の女性研究者に自分の論文を見せた。彼女は言った。『そりゃあ、女性には毎月生理がくるからね』男性研究者はそんな単純なことにも気付けなかったかと恥じ入り、論文を取り下げた」というお話を聞いたことがあります。非常に示唆に富んだエピソードであり、男性には女性が毎月苦しんでいることすら思い浮かばないことがあるし、それは学術研究のような理性にばかり頼ってしまうものでは身体的な感覚が抜け落ちやすいということでもある、という教訓を与えてくれています。
もう一度、このエピソードを聞いたうえで、査読者のコメントを読み返してみましょう。徒競走のような身体的な特徴を想起させるようなことが多く書かれているのは、今回の著者らに身体の感覚を取り戻してほしいと願ってのものだという気がしてきませんか?


私はこの査読者はとても優れた方だったんだろうなと思っています(だからといってリジェクトされる立場になるのはやっぱりイヤですが!)。まあ、冒頭で述べたように、論文もコメント全文も読めていないので、実際に問題のある人だった可能性も残るわけですが。
それでも、今回著者らが訳出したコメントの部分を取り上げ問題視しているのならば、それは著者らがコメントを真摯に受け止められていないことにこそ問題があると私は断じます。
今回の件で、PLOS ONEは担当した編集者を解任してしまいました。実のところ、PLOS ONEはしばしば批判に晒されてきたジャーナルです。知らない方のために簡単に触れておくと、主に医学論文を扱うオンラインジャーナルで、無料で閲覧できる学術雑誌です。紙媒体の雑誌よりも早く論文を公表できるため、非常に多くの投稿があり、それに対して高い採択率でもって掲載可の返事を出しています。年間で数万もの論文を掲載していることから、「いずれゴミ溜めのようになるだろう」なんて言われたこともありました。そんな批判に晒されながらも、最近では引用文献の出典元として見かけることも増え、頑張っているんだなあと個人的に思っていたところでした。そのような環境に置かれていて、評判を高めていかねばならないと考えているでしょうから、今回のような炎上騒ぎは避けたかったのだろうと思います。それ故の編集者解任。
しかしながら、この結末はPLOS ONEに対して、よくない印象を持たせることになってしまったのではないかと思います。今後どのようにして質の高い査読を維持していくのか気になりますし、また騒ぎを起こした学生に同情してしまう人が多くいることにも最近の学問世界の危うさを感じました。
# by zattoukoneko | 2015-05-10 12:50 | 生物・医療 | Comments(1)

山極のノーベル賞非受賞は人種差別?

以前ノーベル賞最大の汚点 というブログ記事を書いて、そこでがんの研究をした山極勝三郎がノーベル賞を貰えなかったのは、選考委員の人種差別的な意識によるものだと話をしました。
その後、ノーベル賞の選考過程が公開された(後ほど詳述)のに伴い、本当にそうだったのかと詳細な調査がなされました。結果、そのようなことはなかったようである、と導かれたので、今回はその研究内容に触れたいと思います。


と、本題に入る前にちょっと脇道に。
実を言えば、前の記事を書いたとき、すでに「実際はそうじゃなかったっぽいよ?」と小耳に挟んではいました。ですが、詳細なノーベル賞の選考過程を描出するのは本ブログの趣旨には合わないかなと、詳述するのはやめていめていました。元々本ブログに掲載する記事の内容は、高校生くらいからわかるもの、大学で学んでいくにあたって興味を持ってもらえたらいいなと筆者が思うもの、そして思索を深めていく一助になるようなもの、と意識しています。
私はバリバリの理科系(というか文科系がからっきし)として高校から大学、どころか小学校の頃から進んできてまして、その中で聞いた山極勝三郎の非受賞の話は大きな活力となりました。「山極の分までノーベル賞取るぞ!」みたいな感じです。ですので、私よりほんの少しばかり遅れてくる人たちもその話を知ることができるよう、書き残しておこうと考えたわけです。それが前の記事の動機。
しかしながら、その当時から『詳しいことがわかっているなら、そっちこそ書くべきではないか?』とは思っていました。より正しいことを書くことを是とするか、ネット上の記事は興味を持たせるだけでさらなる勉強は読者に任せるという態度を貫くのを是とするか、というせめぎ合い。
大分長いこと悩んでいましたが、今では読者層もかなり変化しており、またブログ記事の内容も堅苦しい方へと傾いてきています。ですので、ここいらで山極の話も片付けてしまおうと思ったわけです。
ネット上で山極について何か読もうと思っても、ほとんどのところは新しい研究には触れてないみたいだしね!
と、脇道でしたが、この著者の意識を知っておくことは、後々内容理解の一助になるかも?

山極勝三郎がノーベル賞を貰えなかった理由として「東洋人であるから」という話は、フォルケ・ヘンシェンという人物によって明かされたとされています。ここでのヘンシェンの話というのは、1966年10月24日に東京で開催された第9回国際癌会議での記念講演”Yamagiwa’s Experimental Tar Cancer and Its Significance – from Pott to Yamagiwa”のことを指しています。
さて、ノーベル賞の選考過程は秘密にされ、その内容が公にされるのは50年後と決められています。寄生虫によってがんが発生することを発見したとしてフィビゲルがノーベル賞を受賞した(そして山極がもらえなかった)のは1927年のことです。
おやおや? 何だか計算が合いませんね。単純に50年後に選考過程が明らかにされるとした場合、それは1977年を待たねばなりません。となると、記念講演をしたヘンシェンが何者かというのが気になります。彼は公式文書の公開を待たずとも、その内容を知ることができた人物なのでしょうか?

まずはノーベル賞の選考過程についておさらいしておきます。
ノーベル賞は世界各地の研究者から推薦状がノーベル賞委員会に届くことから始まります。そしてこれを元に候補者を絞り込んでいきます(第一次選考過程)。推薦状は山のように届くため、多くは以前に名前が挙がったことがあるかによって振るい落とされてしまうそうです。
次に受賞者になり得ると思われる人物について、その道の詳しい人に業績に関する報告書をまとめてもらいます。これを受けてノーベル賞委員会が最終報告書をまとめます(第二次選考過程)。この報告書が提出されるのは賞によって異なっており、物理学賞、化学賞、経済学賞ならばスウェーデン王立科学アカデミー、文学賞ならばスウェーデン・アカデミー、そして今回の生理学・医学賞ならばカロリンスカ研究所となります。これが毎年の9月半ば頃のこと。
最後に、報告書を元に教授会が開かれ、受賞者が決定されます(最終選考過程)。ほとんどの場合は報告書が出されたものがそのまま通るのですが、生理学・医学賞のカロリンスカ研究所の教授会はどういうわけか結構な率で否決します。そうなると報告書を再提出してもらったり、あるいはその年には受賞者は選ばれなかったりします(ただしノーベル賞は必ず受賞者を出すことになっているため、適任者なしとなったり、戦争などの理由によってそもそも受賞者を決められなかった場合は、次の年に前年の受賞者を決めることとなっています)。

さて、問題のフォルケ・ヘンシェンです。彼はカロリンスカ研究所の医学博士で、1926年に山極勝三郎について報告書をまとめた人物でした。しかしながら、山極がノーベル賞を貰えなかったという歴史的事実からもわかるように、ヘンシェンの報告書を受けたカロリンスカ研究所の教授会は山極への授賞を否決しています。
ここで重要となるのは、ヘンシェルは選考過程の一部には関わっているけれども、選考の内容を直接見聞きする立場にはなかったということです。そしてそのことは、先の国際癌会議での発言は、(それがどんな内容であれ)選考委員としてのものであるはずがなく、したがって責任ある立場としてのものではなかったことを意味しています。

では、選考の内容とはどのようなものだったのでしょうか? ヘンシェンが責任ある立場ではなかったとしても、もしかしたら選考委員から暴露話をされていたのかもしれません。次に公開された文書からわかることに触れたいと思います。
山極勝三郎の推薦は1925年に初めてなされたようです。これは東京帝国大学医学部の林春雄らによってなされました。しかしこの推薦に関してはノーベル賞委員会は特別な注意は払っていなかったようです。私が思うに、まだ一回しか名前の挙がっていない山極では、山となった推薦状に埋もれてしまったのでしょう。
二回目の推薦は翌年の1925年になされました。それはルドウィヒ・アショフという人物によるものでした。アショフはフィビゲルと山極の二人を推薦しており、その理由は二人の実験ががん発生に関するウィルヒョウの刺激説を立証したからというものでした。
そもそも以前はがんというのはどうして出来るのかわかっておらず、例えば、受精卵が細胞分裂を重ねて体の組織を作っていく中で、通常あるべきではない場所に別の組織が入ってしまったことによる、などと考えられていました(腸壁などに肉の塊である腫瘍ができることをイメージすれば、この仮説はわかりやすいかと)。これはがんが先天的な要因による疾患であるという考えですが、これに対し、ルドルフ・ウィルヒョウはがんは後天的な要因によるものであると考え、しかも繰り返し作用を受けることで発生するのであると仮説を立てました(注:毒などは一度きりの作用で体に影響が出ますが、がんは発がん性物質などによって繰り返し刺激を受けることでDNAが傷つき、次第に良性腫瘍、悪性腫瘍へと進んでいきます。反復刺激説は、原因物質はともかくとして、このような発生過程を持っていると推測したもの)。アショフの推薦状によれば、フィビゲルはネズミの体内に入った寄生虫ががんを発生させることを発見し、世界で初めて刺激によってがんが発生することを報告したことに意義があるとされました。しかし正確には、寄生虫が出した化学物質ががんを発生させるのであり、現在ではそちらこそが発がん性物質として捉え直されています。よってタールという具体的な化学物質によってがんを発生させたことに、山極の研究意義があるとアショフは続け、したがって二人が同時に受賞することが望ましいと考えていたようです。
これを受けてノーベル賞委員会は選考に山極とフィビゲルの二人を残し、ヘンシェンとベリストランドという人物の二人に報告書を求めました。
まずはヘンシェンについて。フィビゲルに関しては授賞させるか検討されたことがすでにあり、その結果の妥当性に疑問が付いたため見送られたという経緯がありました。しかし、ウィルヒョウの推薦にあるように、フィビゲルや山極の成果はウィルヒョウの反復刺激説を立証したという成果がすでに認められており、山極についても日本だけでなく各国で追試の成功が報告されていることから、授賞に値するとヘンシェンは結論します。
次にベリストランド。彼はがん研究において生化学的な流れが生まれていることを気に掛けています。つまり、フィビゲルの寄生虫によってがんが発生するという説は、実際には別の化学物質が間にあるとされていたり、山極の研究も、コールタールという漠然とした物質を用いていて、その中の何が原因か特定するには至っていない、ということが、さらなる研究課題として残されていると見ているわけです。具体的な発がん性物質を見つけることこそが重要であり、「反復刺激」というそれだけでは授賞するに値しない、少なくともそちらの研究に貢献したのかどうかがはっきりするまで保留すべきという態度となります。
これら二つの報告書を受けて、ノーベル賞委員会は最終報告書をまとめます。そしてすでに述べたように、これを受け取ったカロリンスカ研究所の教授会は、フィビゲルへも山極へも授賞は見送ると答えを出します。これによって1926年の賞は翌年以降に見送るか、再審査となりました。
再度有力候補についての報告書が集められる中、ヘンシェンのみは懲りずにフィビゲルと山極に関する意見書を提出しました。そしてこれは重要な意味を持つことになります。彼はがん研究の候補者を一人に絞り込もうと思ったのか、フィビゲルの研究は山極よりずっと先になされていて、その業績が反復刺激説を確定的なものとしたとして、こちらこそが受賞するに相応しいと述べているのです(なお、後半は以前のベリストランドの報告書に関する反論であり、先延ばしにする必要はないというもの)。このヘンシェンの報告書によって、山極が候補者から外されることが確定的になったようなのです。
結局1926年のノーベル生理学・医学賞授賞は見送られましたが、翌年の選考過程でも山極の名前は早々に外されることが決まりました。時折選考途中で山極の名前が出てくるようですが、それはフィビゲルの成果を後押しするために用いられてます。そして結果として1927年に、1926年の分としてフィビゲルが生理学・医学賞を受賞するのです。
このように、選考過程において人種差別的な考えによって山極勝三郎への授賞をなしにしたということはなさそうだとわかります。むしろ(科学的な成果はともかくとして)議論としては非常に筋の通ったものと思われます。日本人である私たちとしては「ヘンシェンよ、そこで何故山極を外したぁあ><」と悲鳴を上げてしまいそうなところですが、注目されるべき研究分野で誰かを受賞させてあげたいと思ったら、より業績として認められている人物に候補者を絞り込もうと考えるのも自然な流れかと感じます(補足ですが、フィビゲルの業績が完全に否定されるのは、1952年とノーベル賞よりずっと後のことです)。

では、どこから「東洋人にノーベル賞はまだ早い」なんて意見が出てきたのでしょうか?
ヘンシェンが1966年の国際癌会議の記念講演の中でそのような発言をしたとされていますが、彼の講演内容はその全文が雑誌GANNに掲載されており、そこにはそのような文面はありません。それより前だと吉田富三という人物がヘンシェンから聞いた話として1965年に報告しているものがあるのですが、そこには「日本人にノーベル賞はまだ早いという主張で」という内容があるのですが、どこまでがヘンシェンの直接の言葉で、どこからが吉田の言葉なのか曖昧なようです。
吉田よりさらに前に遡った調査によると、東京帝国大学医学部の中に、1940年頃から「日本人であったから、山極は受賞できなかった」とする見解があったそうです。東京帝国大学は山極勝三郎が研究成果を生み出した場所であり、1925年の推薦を行なった人物らの所属するところでもありました。
今回紹介した研究では、山極の非受賞によって悔しい思いをした東京帝国大医学部という集団があり、そして代わりに受賞した(正確には同じ分野で受賞した)フィビゲルの成果も誤りだったとわかっていくことで、山極こそが受賞すべきだったという感情が芽生えていったのではないかと推測しています。
これに私の感想を加えたいと思います。冒頭で述べたように、山極の記事を書く際、これから科学に興味を持って取り込んでいく人たちに興味を持ってもらいたいという意識がありました。がんというのは現在でも死亡原因の上位を占める疾患であり、国際的に見ても重大な研究課題となっています。それに参画して大きな成果を収めた山極はやはり誇らしい存在であると思います。興味を持ってもらうというのは教育的な側面があるということですが、その際に受賞を逃したことの理由も求められると思います。「人種差別によるのだ」という説明は非常に短絡的ではありますが、業績が素晴らしいと信じている人には縋りつきやすいものなのでしょう。選考過程がまだ秘密にされていた当時の時代では、想像に頼る部分が大きくなるから殊更でしょう。東京帝国大学医学部の人たちも、教育的なエピソードとして山極を紹介する際に、その非受賞の説明に苦慮したのかもしれません。


さて、今回は山極のノーベル賞非受賞にまつわる話をしました。これまで語られてきた「日本人への人種差別によるものだ!」という説明は、こうした精緻な研究も出てきたことだし、今後消えていくべきなのかもしれません。それでも山極の成果は称えられるに値するものであり、どのようにして教育的な逸話としていくかが課題となってくるような気がします。
まあ……ノーベル賞の選考過程を、いかにうまく説明するかが難題ですよねぇ。
# by zattoukoneko | 2014-10-19 20:30 | 生物・医療 | Comments(0)

「問題提起」ノーベル賞受賞者中村修二さんを失った日本はダメな国なのか?

10月7日、ノーベル物理学賞受賞者の発表がありました。2014年は青色LEDの発明で赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの三人が選ばれました。
青色LEDに関しては、まさに科学の応用の側面を重視するノーベル賞だなって印象でした。震災以降安価なLEDが照明として大分普及しましたから、今回の授賞理由にピンと来る人も多いと思います。スマートフォンのライトとして常に身近にあるものでもありますし、また青色LEDの技術はblu-rayにも繋がったと聞けば、生活を変えた発明として納得でしょう。
それはさておき、受賞者のうち赤崎さんと天野さんは日本人ですが、中村さんは「元」日本人です。現在はアメリカ国籍を取得して、アメリカに住んでいます。というのも、青色LEDの発明に対して、満足な報酬が得られていないと不満を持ち、「日本の(司法は)腐っている」と言い捨て国外脱出してしまったのです(いわゆる404訴訟)。
これだけ聞くと、『なぁーんだ、日本はやっぱりダメなんじゃん』と思ってしまいそうです。実際国内外の大手メディアもさっそくその論法を使っているのが見受けられました。
でも、本当にそうでしょうか? 中村さんを含め、その腐った日本にいたからこそ偉大な発明ができた可能性はないのでしょうか?
今回は、その疑問を持ち上げはしますが、実際にどうなのかと掘り下げることはしません。調査するにはちょっと難しすぎるテーマなので。ですが、私が言いたいことは決まっています。先に言ってしまいましょう。
   発明したのは日本でじゃん! 日本の功績ってことでお祭りしようぜ!!
具体的にはクリスマスツリーを全部青色LEDでですね?(マテ
冗談はこのくらいにして、以下は疑問を投げることに専念します。

私が以前出席していた研究会で、次のような仮説を持っている方がいました。
「僕は日本の企業が研究者にまともな報酬を支払っていないからこそ、日本の中からモノヅクリのような素晴らしい成果が生まれてくるんじゃないかと考えているんです。例えば、小さな町工場は、技術的な成果によって生み出されるお金をみんなで分け合っています。また、時には特許もちゃんと取らないこともあります。技術に熱中する雰囲気がそこにはあるから成果が生まれるのであって、もし発明した人に相応の対価を支払わねばならないとなったら、町工場のようなところは消えてしまうと危惧します」
その方はその後このテーマで論文を発表していないと思いますし、(研究会中にも教授からの厳しい意見としても出たのですが)そのことをどう論証していくかを考えると、非常に難しいものがあります。
ただ、当時の私は似たような見解を持っていて、日本の企業は未成熟だからこそ、独自の成果を出せている可能性もあるのではないかと考えていました(以前のブログ記事 「携帯のバッテリーを見てください」の後半)。その方の意見は、見ている側面こそ違うものの、日本の未成熟を取り上げているという点で共感したものです。
未成熟であることはしばしば批判されるものですが、私はこの未成熟に鉤括弧を付けてもいいんじゃないかと思っています。というのは、未成熟というのは欧米の社会が基準だからです。
欧米の社会を採点基準にしているんだから、日本が未熟になるのは当たり前。
そうではなくて、未熟なら未熟で、その中に大事にすべき姿勢はないのかと考えるのが日本が生き残っていく道だと思っているのです。
中村さんが自身の発明に対して、正当な報酬を得ていないと考え、それを要求して訴訟を起こすのもアリでしょう。企業が大きな功績を出した者に対して、高額な褒賞を出すようになれば企業内での向上心や競争心が生まれるかもしれません。一方で対価や名誉には興味を持たず、技術開発こそが生きがいだという考えも同じくらい重要です。特に基礎科学/技術の分野は研究費を吸い取るばかりで企業に利益なんて生みません。安直に「利益を出せば企業も見合った対価くれる!」という風潮が出来てしまったら、日本の基礎研究はあっという間に潰えてしまいそうです(ベル研などに代表されるアメリカの企業内研究所は、基礎研究は大事だと惜しみなく研究費を与えたので、基礎研究も息がしていられる風土に育ったようですが。日本は基礎研究がちょっとでも利益になりそうな発見をしたら、即座に応用に転換させて息を詰まらせそうですよね。デュポンのカロザースのように……)。

今回は問題提起だけなのでこのくらいで。元々青色LEDが極めて応用に近い研究なので、報酬がどうのって話に結び付きやすい気がします。なので、今回触れた基礎研究とか報酬の少ないことこそが~という話をしようとすると、どこかで無理が出てしまう気がします。掘り下げるとしたら、どの点なら調べられるのか、冷静に選り分けてからになりそうですね。

***

2014/10/08 12:35追記
今回のブログと似たような趣旨のことを,まったく異なる立場から説明を試みた撃壌さんという方をご紹介します。
リンク先はtogetterという外部サイトで,結構重いので注意。
ノーベル賞の中村修二氏が捨てた日本社会・企業はそんなに糞なのか?-Togetterまとめ

私もコメントを残してみましたが,まとめ主である撃壌さんは「集団の中の個人」を尊重する立場を取っておられます。先人の発見・発明や,企業や社会という集団による貢献を重要視するものです。
一方で,私はここのブログでもちょっと触れているのですが,「個人そのもの」を尊重する立場です。発見者や発明者の独自性を重要なものとする考え方。いつか伝記を日本で流行らせたいなんて夢を持っています。
歴史や社会という背景を捉えることはとても重要なことで,それを主に取り上げるのは外的歴史(エクスターナル・アプローチ)と呼ばれており,科学史の分野では1970年代以降主流なものとなってきました。個人の背景を取り上げるのもエクスターナル・アプローチの一種で,より新しい傾向なのですが……今は深く突っ込まないことにします。
ともかく,このような研究が大きくなるにつれ,ある反対意見が出てくることになります。
「じゃあ,アインシュタインは相対論を発表するのが他の人より早かったというだけなのか? 同じテーマを研究していれば,いつかは他の人が相対論を発表できたということか?」というものです。
あ,前言撤回。この反論は個人の偉大さが消えてしまうのではないかという危惧から生じた意見なのですが,それを救済しようというのが,個人に注目するという新しい科学史の流れです。と,ちょっと触れておくことにした。
今回の記事でも触れていますが,日本では「集団の中の個人」という意識が強いように思います。そして私はそれこそが発見・発明には重要だった可能性はないか?,と疑問提起しました。いわば,個人を評価するために,その背景にある集団の価値を見極めようというもの。
紹介した撃壌さんは,「集団の中の個人」という見方から,「では実際に利益は正当に分配されていないのか? 集団のために個人は潰されたのか? その逆はないか?」と問題を出し,ひと通りの解答を導き出しています。集団そのものを取り上げているわけですね。
さて,ここからは想像ですが,中村修二さんは個人を重要視したいという立場なのではないでしょうか? アメリカンドリームに代表されるように,アメリカは歴史的に科学者・技術者をヒーローに仕立て上げてきました。中村さんがヒーローという個人が好きなら,そりゃあアメリカの環境は素晴しいと喧伝して何ら不思議はないでしょう。そして,一方で集団を大事とする日本には,嫌悪感すら抱くかもしれません。結局のところ,反りが合わなかったというだけではないでしょうか?
もちろん,日本は本当に集団重視の研究環境なのか,アメリカは個人重視なのか,といった疑問も出るでしょうし,ここで書いたような線引きはとても粗いものです。それでも,中村さんの言葉だけをとって日本を評価するのは,ちょっと危険だとはいえると思います。
# by zattoukoneko | 2014-10-07 22:15 | Comments(1)

2014年イグノーベル賞:バナナの皮を踏める人

さる9月18日、2014年のイグノーベル賞の授賞式がありました。
公式サイトで各賞の内容を見ていた私は、生物学賞の「犬はトイレをする際、地磁気の南北に体の軸を合わせようとする」というのを読んで、思わず『ワンコってクルクル回るよね><』と萌え萌えしてしまいました。萌え萌えするだけでなく、その行動に意味があるんじゃないかと研究された方は、きっとワンちゃんへの愛情が飛びぬけて深いのでしょう。私もそんな研究がしたいなって思うほどです。
ところで、筆名から察しが付くと思いますが、私は猫好きです。ですのでこの生物学賞の一つ上にあった公衆衛生賞の「猫を飼うと鬱になる」の項目は、全力で気にしないことにしたのは言うまでもありません。
結論:かわいければいいんだよ!

さて、ここのブログではしばしば「ノーベル賞は社会に貢献したという即物的な結果を重視してるけど、イグノーベル賞は科学の手法(≒科学論)の側面から興味深いと思われる研究に賞を与えている!」という旨の主張をしております。
と同時に、ここ数年イグノーベル賞は日本人が連続して受賞しているものでもあります。
この二点を合わせると、日本人の科学研究は(実績こそイマイチだけれど)内容は素晴らしいものなんじゃないか!?、という見解が出てくることでしょう。これが正しければ、日本の科学の未来も明るいと言えるでしょう。
ですが、実際にはビミョーな感じでして。これは私の主観を多分に含んでの感想ではあります。しかし海外の科学記事を見ても、日本人が獲ったものについては小さな扱いばかり。科学論的に重要というよりは、どちらかというと笑いのネタにされているのかなって印象を抱いていました(だからこのブログでは日本人受賞者は記事にしていない)。そもそもイグノーベル賞が笑いの要素を内包しているから、純粋に科学としてどうこうという評価はしづらいのですよね。

けれど今年物理学賞を受賞した馬淵清資さんらのバナナの滑りやすさの研究については、注目するに値する気がします。BBC ScienceやNew Scientistといった海外の科学記事もバナナの研究にそれなりの紙面を割いていました。ではどこにイグノーベル賞を与えるだけの価値があったのでしょう?

「よくお笑いのバナナを真剣に研究したな!」というのももちろんあるでしょう。馬淵さんは人工関節について研究していて、バナナの滑りやすさについて調査したデータがないと気付いたそうです。ここで想像してみて欲しいのですが、あなたが大学生だとして、ゼミで「なんでバナナって滑るんだろう……? 研究しようかな」と発言したとします。ゼミ生から嘲笑の的にされることは容易に想像がつくと思います。バナナは関節じゃないし、よしんば研究の役に立ったとしても寄り道だと思われるからです。馬淵は、その関心を真剣に受け止めてくれる方に恵まれていたのか、笑われても気にせず我が道を貫いたのか、はたまたそもそも他人に打ち明けなかったのか、その辺りの事情について私は知りません。何にせよ、その寄り道をしっかりやろうという馬淵さんの研究者精神は素晴らしいものだと思います。これは受賞者として選ばれるに十分値するものと考えます。

加えて、その研究の丁寧さも注目に値します。論文「バナナの皮の潤滑油効果」は発表された直後から割と話題になっていたように思います。テレビ(だったかな?)でも取り上げられることがあり、すでに内容を知っていた人も多いのではないでしょうか。
英文ですが、論文を読めるところを紹介しておきます。 Frictional Coefficient under Banana Skin(PDF)
バナナが滑るか否かを調査しようと思ったとき、それを調べるには何をすればいいでしょうか? とりあえずバナナを踏んでみる? 体育館に敷き詰めて、その上を走ってみる?
私が重要だと見るのは、先のリンク先のp. 149にある図表です。あるいはそれ以前にある摩擦係数の数値化。バナナを踏んで滑る体験をするだけでは、どこまでいっても科学知識になりません。数値化することで客観性を持たせ、他の材料と比較することで滑り「やすさ」を導く。この過程は科学(に限らず学術)研究では非常に重要なものです。
学術研究は主観性をいかに排するかの戦いとも言えます。実際にはどのような研究でも社会通念の影響を受けるとされているのですが(「科学知識の社会学」をご参照ください)、研究者は自分の主張がいかに万人に共通のものであり、地域や文化の壁を越えて普遍的なものであるかを読者に説明しようと試みます。その際に数量化は近代科学の重要なツールと見做されており、さらに現代では統計処理することで有意であることを見せようとします。
これは研究をしている者ならば呼吸をするかのごとく身に付いているべきこととされており、しかしながら実際には9割以上の人は出来ていないと嘆かれるものでもあります。投稿論文の途中過程を何らかの場面で見たことがある人は、この事情が納得できることと思います。査読者から「統計処理がなってない」とコメントが付いて戻ってきたり、それどころか投稿前に指導者から注意されているのを見たり。先行研究がないものになると、この傾向は加速します。あるいは人文科学になると統計処理が端から頭になかったりすることも(例えば、昔の医療の状況を調査しようとして、それは歴史学だからと史料を漁るだけで満足するなど。世界に一つしかない文献を調べられるのが歴史学的手法の強みですが、症例数のように多くのデータがある場合は、他地域・他時間軸と比較して有意差の有無を調べなければ怠慢以外の何物でもなく、主観が入り込む虞すら出てくるのです)。
馬淵さんらはバナナの皮という先行研究のないものに挑みながらも、日常的にやる科学の手法をきちんと踏襲していると言えます。Fig. 7に参考文献の注が付いているのも憎いですね。
私はこの実直な科学的態度が受賞につながった理由だと感じます。

馬淵さんらのバナナの研究は、派手さはあまりありません(比較するとするなら、昨年のタマムシ研究など。セレンディピティのような最近注目されている概念が受賞理由として垣間見れます。参考:昨年の記事水の上を走りたければ、月に行けばいいじゃない!)。それでも科学研究に誠実であること、その意義を伝えるものとして、研究者は見習うべき姿勢がそこにはある気がします。
道路に落ちているバナナを見たとき、何も気にせず通り過ぎるのではなく、社会的道徳観に則って拾ってゴミ箱にポイするのではなく、『これって踏んだら面白いのか?』と本当に踏んでみる。踏んだらその経験を他人に語り聞かせるために説得力を持たせようと考察してみる。それが出来てしまう人が如何に一握りの人間であるか。そのように考えると今回の受賞の価値がわかるのではないでしょうか。
# by zattoukoneko | 2014-09-21 23:44 | 物理 | Comments(0)

アハ体験はエウレカ効果と呼ぶらしい

覚書なので後でまとめ直すかも。

非公開コメントが付くことがあるのですが、その中で「このブログのアハ体験の記事見ました!」というのがありまして。
確かにこのブログに掲載されている記事で最も多く読まれているのはアハ体験の本当の意味とはという記事なのですよね。
でも、心苦しいことに私はその分野の専門家ではないし、その後の動向を追っているわけでもありません(茂木健一郎さんの論文もきちんと読んでいるわけではないとは、元記事でも述べている通り)。ただ、このブログは母校の後輩が見てくれているのだと知って、『なら今後勉強して物事を理解していくにあたって、有益な方向性を示せれば』という想いから更新を頻繁に続けたという経緯があります。その際にどうしても茂木さんのアハ体験という捉え方はじゃm――げふんげふん、有害だったという(←言い換えても何も変わってない)。
ただ記事を書いた後も『これで本当に当っているのかなぁ?』と思うことはありまして。私の主張はAha Experienceの前後で不可逆な変化があるというが主張の中心であり、それはゲシュタルト転換のようなものとは明確に区別されるべきというものです。一方の茂木さんは「あ!」とか「なるほど!」と言いたくなるような体験すべてをひっくるめてアハ体験と述べているように思え(少なくとも「あ!」と思ったときの区別を明確にはしていない)、可逆不可逆を問うていない。実のところ、茂木さんの捉え方の方が正しくて、「あ!」と口にしたとき、脳内のシナプス間の情報伝達は可逆不可逆関係なく同じなのかもしれないわけです。私はここまで調べてないし、理解も出来ていない。なので私の区別をそのまま鵜呑みにされている方がいるのは『心苦しいなぁ』と(区別ができるということまでは、私は確信していますが)。

で、話は冒頭に戻り。
今回コメントが付いたのをきっかけに、再度「Aha Experience」というのをネットで検索してみました。
そうしたら! Wikipediaに新しく項目が追加されているじゃあないですか!
英語版ではあるのですが、これは目を落とすに値すると思い、こうして紹介記事を書くことにした次第です。……前置き長いって? まあまあw
Eureka Effect
今では名前が「エウレカ効果(ユーレカ効果)」となっているようです。アハ体験より響きがいいですね、緑髪の少女を思い出しますし
もちろん名前が私の知らないものに変わっていたというだけでは、ブログ記事を書くには値しない。私が注目したのは、科学史上の重大な発見と結び付けられていたことです。
アルキメデスは納品された王冠が純金製かどうかを壊すことなく見極めることを命じられ、考えながらお風呂に入った際、浴槽から溢れたお湯を見て「比重」という考えを思い付いたとされています。
アインシュタインの相対論も、大抵の解説には日常生活とは経験則が異なることが書き連ねてあってわかりにくい印象を受けますが、その発想のきっかけはアインシュタインがエレベーターに乗ったときに得られたものだと言われています。
私の以前の記事では、ここまで科学論に結び付けてAha Experienceを説明できていませんでした。科学史上重大な発見が、ここで説明されているように「あ!」という突然の閃きによって生まれているのだとしたら。それはセレンディピティと並ぶほどの、科学認識論の分野で注目されるべき事項なのではないでしょうか。
このように思い、まだ私自身精査できていなながらも、覚書として書きしたためることとしました。

……まあ、結局のところアルキメデスの理解も不可逆性を持ってるのだから、アハ体験ていうのは(ry
# by zattoukoneko | 2014-07-28 01:02 | 生物・医療 | Comments(1)

科学とは何か

科学であるとはそもそもどのようなことであるか、大まかに見てみようと思う。方向は三通りで、科学哲学の側面から、歴史および科学論の側面から、科学理論の側面からを考えている。
何故こういうことをするかというと、今ある科学(およびそうではないとされるものへの)批判の多くが、科学が何かを理解しないままになされていると感じるからである。理論の節で挙げる例だが、ホメオパシーに対する批判では「希釈しまくって有効成分なくなってるとか、それただの水だろ」は的外れにも程がある。私はホメオパシーを支持するわけではないが、批判をするのならばきちんとした方法論と手続きを取らなければならないと考える。さもなければ相手の間違いを指摘できないどころか、自分たちの支持する学問体系の在り方を傷つけることになってしまう。
東日本大震災以降、科学/技術の在り方を問うような姿勢が出てきたように感じられていたのだが、どうにも西洋科学パラダイムにどっぷりと浸かったまま支持なり批判を繰り返す人がなくならない。今一度、私たちがどのような基盤(=パラダイム)に乗って生活をしているのか、それを顧みるべきだと思い、ブログ記事タイトルを「科学とは何か」とすることにした。


この節では科学哲学の側面から科学とは何かを考察する。とはいっても本当にざっくりとしたものだ。
よく挙げられるのはカール・ポパーの反証可能性だ。これは科学の命題(≒仮説)は常に間違っていることを示せる状態にあらねばならないという主張である。
たとえば地球上での重力加速度は9.8m/s^2とされているが、それが真であるか偽であるかを私たちはいつでも確かめることができる(計測する機材を持ってないと当然難しいが)。旅行先で測ってみればよくて、ハワイで測ったり、アラスカで測ったり、行き帰りの飛行機内で測ったりすればよい。やってみると実は場所によって9.8m/s^2でないことがわかる。地球は自転をしているからその遠心力の分増減するし、地表から離れれば距離の2乗で減衰していく。
重力加速度はわかりやすいデータの例であったが、他にも生物は自然発生することはない、というものでも反証を試みることは可能だ。首長フラスコの中から液も空気も抜き取って、ずっと観察していればいつかは生物が生まれるかもしれないではないか。その可能性まで科学は否定していないし、それが起これば自然発生説が覆されるか、あるいは覆さないまま何故そうなったのかと新たな探求が始まる。
ここで重要なのは、科学の仮説は実験と観察によって反証が試みられるということである。実験や観察は正当な手順を踏んで為されたものであり、その手順に妥当性があると考えられるゆえに、反証をする力があるとみなされる。ようは命題や仮説は日常の経験から導いても構わないが、反証する際には『何となく違う気がする』では駄目だということである。夢の中で見たヘビの輪を事実ではないとほどきたいのなら、それ相応の手続きを踏まなければならない。
科学というのは命題を掲げると、それ以降ずっと反対意見に曝されることを受け入れる学問体系なのである。そしてその反対は、説得力ある方法によってのみ許される。説も手段も常に厳しく監視される状態にあるからこそ、それは確からしさを獲得するのだ――というのが反証可能性の立場である。


しかしながら、この反証を試みることが常に行われているかというとそうでもない。何せ科学の仮説は膨大にあり、そして複雑になっているからである。
たとえばある化合物の分子軌道を確かめるために描出しようとした場合、コンピュータなどにその構造を入力する。コンピュータの中では量子物理学に基づく計算がいくつも行われるわけであるが、私たちはその妥当性を疑うことをしない。見るのは描き出された分子軌道の在り方のみである。このように主要仮説を確認する際に私たちは補助仮説を正しいと決めてしまうことがある。この補助仮説の詰まったコンピュータ部分はブラックボックス化していると科学論では言う。科学の現場ではしばしばこうしたことが行われているのである。
これでは反証可能性にきちんと従っているとは言えないのではないか。それに答えるのが科学論や科学史である。ブラックボックス化した器具や理論体系を用いたとしても、その実験観察は一人だけでは成立しない。科学者は論文を学会に提出し、査読を受け、その正しさを吟味される。そしてそのような科学者の集いは、国や社会に認められるべきだと働きかけてきた。王立科学アカデミーがそのメルクマールであり、現代に至るまでこの努力は続けられてきている。
技術の方と混雑することを恐れずに言うと、特許制度などもそういう意味で重要だ。徒弟の中だけで受け継がれる秘術では、たとえそれがどんなに優れていようとも、社会的に認められる力は小さい。職人がどんなに良い工芸品や料理を作っても、その技を世界中に浸透させることはできない。ゆえに科学/技術に劣る(なお念の為付記しておくが、ここで述べているのは万人に納得してもらえる能力や方法についてであり、その芸や伝統に優劣を付けるつもりは私にはない)。
専門家集団をつくることが重要というのは、何も科学に限った話ではない。情報を開示・共有し、新しい説に対して批判を加える。それを行なうとして社会に認められる。これによって学問は正当なものになるのであり、ゆえに歴史学では学会の成立をその学問の成立の年と慣例的にしているのだ。
このようにして、いくらかのブラックボックスや“お決まり”はあるにせよ、多くの専門家に厳しく精査され、社会からも監視される立場に置くことによって、科学はその理論に力を持たせることができている。


さてここまでで見たように、仮説と実験観察を軸にした反証可能性によって自らを縛り、専門家集団を作り上げることで、科学は科学となる。ではその条件をすべて満たしたものはすべて科学とみなされるのだろうか? 実はそうではないのである。
超心理学という学問がある。そこで行わる実験の例を書くと次のようなものになる。「完全に隔離されている実験室AとBがある。Aにいる被験者aに何枚かのイラストが描かれたカードを見せる。一枚選んでもらい、そのイラストを強く頭に思い浮かべてもらう。それに合わせて実験室Bにいる別の被験者bにもカードを選んでもらう。aとbが同じカードを選ぶかどうかを調べ、それを統計的に処理して有意な差があるかどうかを調べる」
これだけ見ると「なんだテレパシーか。オカルトじゃないか」という人もいるかもしれない。テレパシーなのは確かだが、オカルトかどうかになると話が違う。上記したように、超心理学者はテレパシー(すなわち遠隔的な思考伝達能力)が存在するという命題を証明するために、実験室をきちんと分け、そして数学的な手法として統計学を用いてその有意さを確認しているからである。すなわち科学的手法にきちんと則るべく、反証可能性を掲げ、正当な手続きを踏んだ実験と観察を行なっているのである。
それだけではない。超心理学者は自分たちが科学的な学問を営んでいるのだとし、大学内で研究室の獲得や学位授与を行なっている。規模は小さいが、科学たろうと努力しているとは言えるだろう。
しかしながらこれに対する風当たりは強い。その原因の一つが、先の「オカルトじゃないかよ」を、科学者らからも向けられていることだ。方法論も社会的立場も正当な手続きを踏んでいるにも関わらず、なぜ科学として認められないのか。そもそも『オカルト』とは何なのか。
オカルトとは、理論の側面から言えば、現在の西洋科学のパラダイムに乗っていないものとみなすことができよう。すなわち遠隔作用力によって物事を説明する立場のものだ。西洋近代科学は、デカルト以降近接作用力によってのみすべての事象を説明しようと試みてきている。昨年ヒッグス粒子の発見でノーベル賞が出たことは記憶に新しいが、これも重力の発生機構を近接作用力によtって説明しようとしてきた物理学者の努力の実りと見ることができる。宇宙は歯車が組み合わさってできた時計のごとく、隣接するものによってその動きが伝わっていく。体の中では様々な化学物質が行き来しており、その伝播と反応によって信号の伝達が行われる。粒子によってすべては繋がっているはずだ、というのが西洋近代科学の根本を成すのであり、そしてその思想が現代の私たちの生活を支配している。ゆえに遠隔作用や粒子以外による伝達を認めたがらない。
このようなことは超心理学だけであることではない。ホメオパシーなどもそうだ。ホメオパシーとは有効成分(時に毒物であることもある)を水によって何度も何度も繰り返し希釈し、有効成分が1分子すらないような薄い液(レメディと呼ぶ)を作って患者に投与し、治療をするというものである。有効成分がなければただの水じゃないか――というのは西洋科学パラダイムに乗った私たちの見方である。ホメオパシーでは物質はなくなったが特有のパターンは継承されていると考えており、それゆえに有効成分の毒性をなくしながらも、患者に影響を与えうるのだと主張をしている。なお、パターンというのはホメオパシー独自の概念ではなく、古くは中国科学で基にされていたものであり、波形の類似で物事を説明していく。
ホメオパシーは詐欺まがいの商法が出るなど実害が出ているが、それはそれだ(それは方法論や社会的な認知=制度に従っていないことになる)。今回述べている方法論や専門家集団の形成という点ではさほど西洋科学と差はない。あるとすればその基盤たるパラダイムが異なる。パラダイムが異なるのだから共役不可能性が出てくるのは当然であるし、よって超心理学やホメオパシーを西洋科学のパラダイムに乗ったまま批判するのは完全な誤りである。
またその存在を否定されこそしないが、西洋科学によって侵蝕されている学問分野もある。先程少しばかり触れたが、中国の東洋医学などである。東洋医学はそもそものパラダイムが西洋のものとは違っているのであり、その成分が体内でどう働くかなど考えていない。しかしながら現代の医療や製薬の現場では、その成分の抽出と患者への投与ばかりに目が行ってしまっている。漢方はその成分が複合されている状態だから効くのかもしれない。あるいは有効成分が働く部位とは別のところに、体のバランス(≒パターン)を変えることで影響を与えるものなのかもしれない(これは鍼灸の遠隔的な作用に基づく想像だ)。西洋医学のパラダイムのままでは東洋医学は理解できないし、もしかしたらいずれは同じ結果に辿りつくのかもしれないが非常に遠回りをすることになるのだろう。
以上のように、西洋科学はそのパラダイムに非常に固執しているのであり、そしてそれは現代の私たちも同じなのである。私たちは共通のパラダイムに乗って通常科学を日夜営んでいるのであり、別のパラダイムに乗ったものは方法論や専門家集団がどれほどしっかりしようとも排斥する。このようにして科学/技術というのはその存在を確たるものにしているわけである。


以上のことをまとめると「科学とは、科学的方法論を順守し、専門家集団として社会に認知され、みなと共有するパラダイムに乗って行われる営為」ということになる。これを踏まえて科学/技術とはどう付き合うべきか、私なりの考えを以下に記したい。
まず、私たちは西洋科学パラダイムに乗っていると自覚することから始めるべきだと考える。少なくとも科学/技術に対しては、私たちは近接作用を軸とした西洋科学の様式に則った説明を求める傾向にある。であるならば、その立場にあると常に意識しながら、自分たちの支持や批判が正当であるかどうかを吟味しなければならない。
次に、パラダイムが異なるものに関しては、思考様式がまったく違うのだと認めるべきであると考える。特に西洋医学と東洋医学の関係は、このままでは残念なことになるのではないかと心配する。確かに私たちは他国の言語を学ぶとき、母国語ならどう言うのかと考えてしまいがちだ。しかしその言語をマスターするには母国語を基盤にしたままでは理解できない。ずっと辞書を片手に東洋医学の翻訳を続けているのが、現在の西洋医学なのだと感じる。
最後に、方法論、集団、理論によって科学/技術が自らを成り立たせていると自覚すべきだと考える。今はまだ批判ばかりの時代だが、いずれは科学/技術の成り立ちをもきちんと理解して、支持するか否かを考える時代になると思う。どうにも出てきた結果ばかりに逐一反応して賛成や反対をしているように思えてならないのだが、方法論に間違いがあったのか、組織内の手続きに不備があったのか、そもそも理論や思想体系に誤りがあったのか、そのどこに注目しているのかに関して自分の立場を明示すべきではないだろうか。
震災以降、科学/技術そのものの在り方を問う気運が起こった気がするのだが、いつまで経っても日本における公害のような、結果に対する企業や国への批判ばかりが先行しているように感じる(それはそれで重要なのは認めるが)。大きな転換点になり得たはずのものを逃さないよう、私たちが一体何を意識しているのかを再度見つめ直すべきだと感じる。その最も大きなものとして「科学とは何か」を、ここで改めて記すことにする。
# by zattoukoneko | 2014-01-01 19:29 | 社会・経済 | Comments(3)

【小説】交差日記(5/5)

 向かった先の総合病院は、さほど大きなところではなかった。もちろん個人でやっている医院よりは遥かに大きいのだけれど、設立が大分昔なのか、むしろ古いという印象の方が強かった。
 正面入り口から中に入ると、ロビーと売店を備えた休憩所が広がっていた。外来と思しき人たちが何人も座っているソファがあって、その向こうに総合受付があった。私はキリが脚に怪我をして、長いこと入院しているということしか知らない。他にも内科や外科の受付もあるようだけれど、キリがどこにいるかはわからなかった。総合受付でも、お見舞いに来た人などを案内するだろうし、対応してくれるだろう。そう考えて私がカウンターに向かうと、若い女性の看護師が要件を尋ねてきた。
「こちらにキリという名前の、十七歳の男の子がいると思うんです。脚に怪我をしていて、長いこと入院していると聞いています。病室を教えてもらえますでしょうか?」
 看護師は手元にあったキーボードを使い、慣れた手付きでパソコンに私の伝えた特徴を入力していく。それからしばらく画面を見つめ、首を捻りながらこちらに向き直った。
「検索したところ、そのような方は当院にはおいでにならないようです。もう少しお調べしようと思いますが、患者様の名字や、掛かっている担当医の名前などはご存知ないですか?」
 そこまで私はキリのことを知らなかった。彼は明るい性格だったし、自分の病気について話すことはほとんどなかった。だから担当医のことはおろか、病室や病院のこともきちんとは把握していなかった。
 もしかして入院先はこの病院ではなかったということなのだろうか。地元はこの町だとしても、設備の整ったもっと大きな病院に入院しているのかもしれない。
 そう少しの間思ったけれど、私は頭を振った。キリは確かに、病院で夏祭りのチラシを見つけたと交差日記に書き込んでいた。そして、またそれに参加したいと。この数日、何度も見直していたから、その文字ごと鮮明に思い出すことが出来る。
 ならこの町にある、他の病院ということなのかもしれない。私にはすぐに思い付かなかったけれど、数年の入院と手術を行なえる病院がどこかにあるかもしれない。あるいは一時的に退院しているのかもしれない。私はこの時期のキリのことについて何も知らない。そのいずれかでなかったら、十年とか数十年とか、そのくらいずっと先の未来にいるかだ。現在の時点でキリが入院していないのなら、私が彼をすぐに見つけることは不可能になる。でも他の病院にいるのだとしたら、できるだけ早くその居場所を特定しなければならない。件の手術が今すぐ行なわれるわけではないにしろ、何かが起きたのは確実なのだ。
「この町にある他の病院に問い合わせてもらえますか。キリはどこかにいるはずなんです。お願いします」
 私の懇願に、若い看護師は訝しげな表情をした。そして不審に思ったのかもしれない。事務的な言葉ではあったが、明確な拒否をしてきた。
「その方とはどういったご関係でしょうか? 申し訳ありませんが、患者のプライバシーに係わる場合、当院であっても他院であっても何もお教えすることはできません」
 どういった関係かなんて、そんなこと一言で片付けられるはずがない。私たちは交差日記を通じて、二人だけの会話をしてきた。ただの友人なんかじゃない。でもそれをどうやったら伝えることが出来るのか。
 気付いたら、私は受付カウンターのところで泣きそうになっていた。声が勝手に震える。私は持ってきたノートを取り出すと、受付の看護師に向かって哀願した。
「キリは、これと同じノートを持っているはずなんです。それ以上のことはわかりません。でも、とても大切な人なんです。だから、お願いします」
 涙声で訴える私に、けれど若い看護師は困った表情を返すのみだった。状況が芳しくないと判断したのか、受付の奥から年配の看護師がこちらに向かってきた。
「あたしが替わるわ。あなたは通常の業務を続けてちょうだい」
「あ、はい。では後は白石さんにお任せします」
「ええ。それと少し席を外すから。何か急用があったらコールをください」
 白石と呼ばれた看護師は、カウンターを少し回って、受付の中から出てきた。私の隣に並ぶと、声を落として伝えてきた。
「そのノートのことは知っているわ。持っていた相手は確かに十七歳の男の子で、でもキリという名前ではない。少し不可解な部分もあるけれど、とりあえずは事情を聞かせてもらうことにしましょう。ただあまり人の多いところで話せるようなことではないから」
 そう伝えると白石さんは、私を連れて休憩所に向かって歩き出した。売店の近くや窓辺の方には人が何人かいたけれど、案内された隅の方はひっそりとしていた。受付に患者の名前が呼ばれる声や、会話をしている人たちの声は届いている。でもそこだけ別の空間として切り抜かれたような、そんな感じがした。促されるがまま、丸い白テーブルの席につく。
「それで、あなたはそのキリ君とどういう関係なのかしら。話しづらいこともあるかもしれないけれど、あたしの知っている男の子もそれと同じノートを大事にしていて、毎日何かを熱心に書いていたのよ。何をしているのか教えてもらってはいないのだけどね。だからこそずっと印象に残っている男の子でもある。あなたがその子と関係があったのだとしたら、そのことについて話してもらいたいと思っている」
 白石さんの言っている相手は、キリで間違いないと思った。そう簡単には信じてもらえないことだろうとはわかっている。でも他にキリについての手掛かりがなかった。だから私はノートを通じて、空間も時間も越えたやり取りをしていたのだと正直に告白した。
 私とキリの交流を、白石さんは黙って聞いていた。そしてここにやってきた理由まで話し終えると、静かに頷いた。
「納得したわ。あなたの言ってることは突拍子もないことだけど、でもあたしの見ていたことと確かに合致する。そしてミサキさん、あなたは勘違いをしている。あなたが会話をしていたキリ君という人物は、未来にいる人間じゃあない。過去に生きていた人で、そしてもう何年も前に亡くなっている」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 私はキリが未来にいるのだと思っていた。でもそれを白石さんは思い込みだと告げた。そしてその証拠として、私の覚えているキリは、ノートを手に入れてまだ間もないと述べていたのでしょうと指摘してきた。でも今は冬だ。どんなに時間の差が短かったとしても、彼が交差日記を書くようになる夏まで半年もの差がある。だからキリが未来にいるのだとしたら、この時点で白石さんがノートの存在を知っているはずがないのだ。
 茫然自失としている私に、白石さんは当時のことを教えてくれた。
「医療ミスだったの。壊死は内臓の方にまで及んでいて、取り除く部位はそんなに多くはなかったんだけど、お腹の方も開いたの。手術の目的自体は完璧にこなせたのだけど、執刀した医師が一本メスを体の中に置き忘れてしまった。こう言っては何だけど、そういうミスは結構あって、だから術後には使った器具の数を確かめたりして早期発見に努めている。キリ君のときもそれでわかって、すぐに再手術となった。でも何度取り出そうとしても、どういうわけか見つけられなかったのよ。そして立て続けの手術によって体力が奪われて、それで亡くなられてしまった。結局メスが見つかったのはご遺体を火葬してからのこと。背骨のすぐ近くに、ぴったり寄り添うようにして埋まっていたみたいね。もちろんレントゲンで大まかな場所はわかっていたけど、レントゲン写真を見るのと実際に体の中を見るのとでは大違いだから」
 それから白石さんは私の知らないことをいくつか教えてくれた。キリというのは本当の名前でないことや、意識が戻ったときには必ずノートを眺めていたことなど。そして最後まで生きようとするのを諦めてなかったと。
 私はまともに返事すら出来ていなかった。白石さんは当時のことを語り終えると、気分が落ち着くまでここに居てくれていいからと告げ、仕事へと戻っていった。
 独りで残された私の目の前、いつもとは違うテーブルの上にあのノートがある。私はその最後のページを開くと、静かに眺め続けた。最後に残された二行は、未だに埋まっていない。そこにキリは何を書こうとしていたのだろうか。体内に残されたメスの痛みに耐え、生きようと懸命にもがきながら。
 このノートの先で、キリはまだ生きているのかもしれない。今まさに、手術のときの麻酔が切れて、目を覚ましているのかもしれない。このページを開いているならば、私のメッセージが届くかもしれない。
 けれど白石さんから教えてもらった内容を書くには、そのスペースは余りに狭すぎた。それにそこを埋めてしまえば、仮にキリが助かっても、会う方法を伝える場所がなくなる。もちろん彼が生きていてくれるなら、一生会えなくなっても構わないと思っている。ただいずれにしても、私はキリと別れなくてはならないらしい。
 いつの間に溢れていたのだろう。涙が雫となって、見つめていた先の空白の行を濡らした。結局私は、今回も何もできなかった。キリも失ってしまった。どうしようもない喪失感と、自分から行動をしようとしなかったことへの慨嘆と、すべてを知った今でも何も出来ないという無力感と、そうしたすべての気持ちがごちゃごちゃに入り乱れていた。涙がまた零れ落ちそうになっていた。鼻水もしきりに啜り上げていた。きっと私の顔は酷い有様だろう。でもどうすることも出来なかった。
 手の甲で溢れてきた涙を拭う。そうして見たノートの上で、さっき出来たばかりの濡れた皺がそっと拭かれた。まだ乾き切っていなかったのか、涙が伸びてページの横にある裏表紙の裏にまで皺が広がった。
 それをやったのは私ではない。一人しかいないこの場では、誰もノートに触っていない。唯一触ることが出来るのはキリだけだ。ノートの向こうの世界で、たまたま意識が回復していたのだろう。落ちた涙に気付いて、そっと拭いてくれたのだと思う。その彼の優しさが、今ばかりは、私の胸をきつく締め上げた。
 けれど悲しんでばかりではいけないと思った。キリがどのくらいの間意識を取り戻してくれているかわからないけれど、伝えることが出来るのなら、今のうちに私の気持ちをノートに綴るべきだと思った。たった二行しか書けなくても、何もしないよりはずっといい。
 シャープペンシルを手にすると、私はノートに向かう。
 そこでふと気付いた。涙の染みは、ページをはみ出して裏表紙の方にまで及んでいる。でもそれをやったのはキリだ。どうしてそっちにまで、彼は手を出せたのだろう。
 私もキリも、思い込んでいたのだ。確かにノートとして、罫線のあるページはもう終わろうとしている。でもこのノート全体に相手と交わる能力が備わっているとしたら? 表紙も裏表紙も、そしてこの染みが広がった裏表紙の裏さえも、言葉を伝える場所になり得るのだ。
 そのことがわかると、私は急いで文章を書き込んでいった。罫線もないところに文字を書いていて、綺麗な並びにはなっていなかった。けれどそれ以上に、思い付くままに書き連ねていく言葉が、滅茶苦茶だった。
「今あなたの病院に来ています。すでに死んでいることを知りました。手術の際にメスを体の中に忘れてきてしまったらしいです。私があなたより未来の時間にいて、そのおかげで原因を知ることが出来ました。そのメスは手術を繰り返しても見つけられなかったそうです。場所は背骨のすぐそばです。ぴったり寄り添っていて、そのせいで見つけられなかったようです。お願いです。そのことを誰かに伝えてください。そして生きてください。私はあなたに言わなければいけない言葉があるんです。伝えたい気持ちがあるんです」
 上手く事情を伝えられたかどうか、自信はない。私は実際に施術した医師ではないのだし、専門的な知識も皆無だった。そしてそれ以上に文章が乱れていた。それでも必要なことは書けた気がする。だから後は自分の気持ちを伝え、再度の手術が成功することを祈るしかない。
 でも私はそこで言葉が出てこなくなってしまった。相変わらず心の中はぐちゃぐちゃで、大事な想いを整理して伝えることなんて、とてもではないけれど出来なかったのだ。
 だから私はたった一行だけ、ずっと抱えてきたその言葉を書き込んだ。
「私を助けてくれたことのお礼を言いたいんです。だから生き続けてください、ユウキ」
 キリという人物が、私を事故から救ってくれたユウキ本人だと、ここに来て初めて知った。考えてみれば、この町で最初に救急搬送されそうなのは、この総合病院以外に思い付かない。脚を失ったユウキは、傷口から毒のようなものが回って、入院が長引くことになったと同級生から聞いていた。卒業までに学校に戻ってこれなかったことまでは知っていたけれど、その後何年も入院を続けていたとは想像もしていなかった。それにキリはお見舞いに来る友達なんていないと言っていて、それは私の記憶にあるユウキの姿とは重ならなかった。
 ユウキが交差日記で本名を使わなかった理由はわからない。でもそんなことはどうでも良かった。彼はユウキとして私を交通事故から救い、その後キリとして塞ぎ込んでいる私を救ってくれた。誰かに会いたいという気持ちを抱かせてくれたのはキリで、そして手術後に返事がないことにうじうじとしていた私を部屋から出させてくれたのはユウキに対して抱き続けていた想いだった。
 私はそのすべてに感謝の言葉を伝えたい。そしてずっと自分から行動せず、お見舞いに訪れなかったことを謝りたい。
 ノートに本当に最後のメッセージを書き込んでから、どのくらいの時間が過ぎただろうか。気付いたらすぐ隣に誰かがやって来ていた。
「あの、ミサキさんですか?」
 問いかけに、私は頷いて答える。その人は待ち続けていた相手では、なかった。
「初めまして。ユウキの母です。息子からあなたには大変お世話になったと聞いています」
 柔和な表情をしたその女性は、隠し切れなくなった白髪のせいで随分と高齢に見えた。ユウキと私は同い年のはずだから、うちの母とそう年齢は変わらないだろうに。よほどの苦労でもしてきたのかと、私がさせてしまったのかと、そう思わざるを得なかった。
 ユウキのお母さんは、それでも優しい笑みを湛えながら、私に語りかけてきた。
「わたしにも事情がよくわかっていないのですが、あなたを捜すように息子から言われていました。会えて良かったです」
 その息子を事故に遭わせ、そして死なせてしまったのは私だ。この人はそのことを知らないのかもしれない。なら私の罪を告白して、謝っておくべきではないだろうか。それで浄罪が出来るなどとは思っていないけれど。
 頭を下げるべく立ち上がった私に、ユウキのお母さんは笑みに少し困惑の色を混ぜつつ、言ってきた。
「会えたときには、まずこれを見せて欲しいとのことです。中を開いてはいけないと厳重に注意されてもいます」
 そうしてお母さんから差し出されたのは、灰色の表紙に金色の唐草模様が刺繍された一冊のノートだった。私とキリが交差日記にしていた、あのノートと同じものだった。
「ミサキさんを見つけるときには、このノートを目印にしてくれって言われてたんです。病院に同じものを持ってやって来ているはずだからって。日時も場所もわからないのに、必死になって頼んでくるんですよ。本音を言うと、そんな人はいつまで経っても現れないんじゃないかって、ちょっと疑ってました。でも会えたのだから、息子の頼みごとを聞いておいて良かったのでしょうね」
 私はお母さんがこちらに向けてくるノートを、震える手で受け取った。そうして表紙をめくってみた。
 二人で一緒に綴った交差日記の数々の文字は、そこには一つも書かれていなかった。ほとんどのページは真っ白で、代わりに最初のページにこんな文章が記されていた。
《やっぱりこのノートでも、謝ることから始めないといけないのかもしれない。ボクのせいでミサキにつらい思いをさせてしまった。それも、またってことになるんだろうね。前のノートでボクは名前を偽った。ミサキが先に書き込んでいた内容を見て、薄々ボク自身のことだと気付いていたんだ。だから余計なことは思って欲しくなくて、ただ君と会話をしたかったから名前を替えることにした。悪気はなかったんだけど、でも結局は嫌な思いをさせたことに変わりはないんだよね。だから、ゴメン》
 謝る必要はないのに。私もキリがユウキ本人だと気付いていたら、ちゃんと会話をすることが出来なくなっていたと思う。それにノートによって隔てられていて、確かに私とは違う別の人だとわかってはいたけれど、直接顔を突き合わせていなかったからこそ、私たちは交わることが出来たのだと思う。その距離が私たちには必要だったのだ。
 彼の言葉はその後も続いていた。それを読み終えると、すぐそばで待ってくれているお母さんに少し時間をくれるように頼んだ。それから再度椅子に座ると、ノートにいつもしていたように書き込んでいく。
《何も謝ることはないです。そうするのが自然だと思うし、それどころかおかげで私もキリから色々なものを貰えました。その後に書いてある提案にも賛成します。ただその前にやっておかないといけないことが私にはあります。一つはユウキに謝るということ。事故に巻き込んでしまってごめんなさい。そしてその後もお見舞いに行かなくて、本当に申し訳なかったと思っている。もしかしたらあなたは、そんなことは気にしなくていいとか、過ぎたことだからと私を赦そうとしてくれるかもしれません。でもキリとして私の想いを読んだなら、このこともわかってくれると思います。私の心はあの事故によって囚われていた。その後キリが前に進めるようにしてくれたけど、でも気になることに変わりはありません。だからけじめとして謝らせてください。ごめんなさい、そして助けてくれてありがとう》
 そこまで書くと、私はノートを閉じ、立ち上がった。何も言わずに待ってくれていたお母さんに問いかける。
「これをユウキさんに届けたいんです。すぐに会うことは出来ますか?」
 お母さんは本当に嬉しそうな笑みを浮かべて、首を縦に振った。
「車椅子だから病院の中を一緒に歩き回るのは大変で。だからロビーの方で待たせてあるんです」
 私の書き込みは、ちゃんとキリに届いていたらしい。その後に受けた手術でメスは無事に見つかり、摘出された。ただ背骨の間近にあったメスは、そこに入り込むときに脊髄を損傷してしまった。そのため下半身不随になってしまったのだそうだ。
 ロビーに行くと、車椅子に座って待っている男の人がいた。ユウキの顔は知っているはずだけれど、当時の私はきちんと人と交わっていなかったから、本人かどうかわからなかった。ただお母さんと並んでやって来た私を見つけると、彼はすぐに嬉しそうな表情をして、そして恥ずかしそうにして、それから困ったように頭を掻いた。その感情を率直に出す様が、ノートに書かれていくキリの文字とそっくりで、私は小さく吹き出してしまった。
 ユウキの前に辿りついた私は、ノートをそっと差し出した。受け取った彼はそこに付け加えられている私の返事を読み、そしてシャープペンシルを取り出して文字を書き始めた。
 筆談になっているのにも理由がある。最初の事故のとき、ユウキは脚だけでなく声も失っていたのだ。入院してからしばらくの間はクラスメイトがお見舞いに来ていたようだけど、高校入試を経て進学をした彼ら彼女らは、会話が出来ない彼を置き去りにしてしまったらしい。だからキリとして私との会話を望んだ彼は、孤独な入院生活を送ることになっていたのだ。
 しばらくしてユウキが文章を書き終えた。受け取ったノートに目を落とす。
《ボクのことを許してくれてありがとう。それとミサキの謝罪もきちんと受け取ったよ。そして、このノートを新しい交差日記にしたいという申し出を受けてくれたことが、堪らなく嬉しい》
 このノートには空間や時間を越える能力はないらしい。ただ以前使っていたものと見た目が同じだけの、普通のノートでしかなかった。でもユウキは見た目が同じそのノートを用意してきて、新しい交差の場として使うことを提案してきたのだ。
 幸いこちらの声は聞こえるとのことだけど、彼は声を発することが出来ないし、ならば会話には手話や筆談が必要になる。その手段であり場所となるノートに、彼は交差日記と名前を付けた。前のノートとは違う。でも確かに交わることが出来るのだと感じられて、私はそれをとても気に入った。
 ユウキの書き込みにはもう少し続きがあった。目を通しながら、それは気になって当然のことだと、私自身も思う。
《ミサキは新しい交差日記を始める前にやっておくべきことがあるとして、事故に遭ったボクへの謝罪を書いている。でもそこに、一つは、とあった。他にも何かあるということ? ノートには書いてないようだけど》
 そう、彼の言葉の通り、私にはもう一つやらなければならないことがある。でも敢えてノートには書かなかった。その言葉を伝えるために、私はもうノートという媒介に頼っていてはいけないと感じていた。私はキリと直接会ってみたいと思ったときの気持ちを、まだ伝えていない。自分だけの想いなのだから、誰にも、何にも頼らず、自分の声で伝えよう。
「初めて人を好きになりました。よかったら私と交際をしてくれませんか?」
         締

# by zattoukoneko | 2013-11-22 19:30 | 小説 | Comments(0)

【小説】交差日記(4/5)

   ♪ 4 ♪
 キリがノートに書き込みをしなくなった理由はわからない。紛失したとか、あるいは何らかの理由で書き込みが出来なくなったのかもしれない。でもそれを調べる術が私にはない。もしくはノートそのものから言葉を伝達する力が失われてしまったのかもしれない。もし力が残っているのなら、私が二行だけ書くことは出来る。でもキリとやり取りするには十分な量とは言えない。そもそもキリが書かないんだから、こちらの文字が向こうに見えていると返してくれる者がいない。
 私は、ただひたすらに待った。仕事のことなんてどうでもよくなっていた。今のこの世界は彩りに満ちて、華やいでいる。人と距離を置いていた頃のように、灰色がかって薄暗い世界ではない。でもそのことを教えてくれたのはキリで、そして彼がいたからこそ私の世界は色を持っていたのだ。だからただひたすらに、私は彼のことを待ち続けた。
 さらに一日が過ぎた。そしてもう一日が過ぎた。ノートには、文字が書かれることはなかった。
 次第に嫌な予感が頭の中を埋め始めた。それは元からあったのかもしれないけれど、ずっと意識しないようにしていた。もしかしたら、キリの手術は失敗してしまったのではないだろうか。そして体が動かせないとか、意識不明の重体が続いているとかで、ノートに向かうことが出来ない日々が続いているのかもしれない。死んでいるという想像だけは、浮かんできただけでも恐ろしく、耐え難かった。
 私は二人の文字で埋め尽くされたノートを見返し始めた。最後の二行ではなく、他の場所に書き込んだのかもしれない。そうする理由は思い付かなかったけれど、そのくらいしか賭ける場所はなかった。ページをめくるたび、懐かしい会話が出てきた。キリとの思い出がそこには詰まっていた。でも新しい書き込みも、どこか消されたり修正されたような箇所も見つけることは出来なかった。
 ノートの不思議な力は未だ健在なのかもしれないし、なくなってしまっているのかもしれない。けれどそれを私独りでは試して確認することは出来ない。もはやノートに頼っていてはどうにもならない事態が発生しているのだ。ノートの先にあったために見ることが出来なかったキリの姿を、私は確認する必要がある。
 でもそんなことは可能なのだろうか。キリは知らないかもしれないけど、私たちは同じ町に住んでいる。長期間に渡って入院し、満足な手術を受けられるような病院となれば、近くに総合病院が一つあるだけだ。だから私の方からキリに会いに行くことだけは可能だとわかっていた。けれどそれは会いに行くだけでしかない。私たちの間には、時間の差という、絶対的な距離があった。私は冬にいて、キリは夏の終わりを過ごしている。キリはおそらく未来にいるというので間違いないだろうけど、最短の時間差で考えた場合でも、この冬にいるキリは私との交流を始めていない。だから私がキリと出会えば、彼の意識は変化し、私と一緒になって交差日記に文字を書き込んでいく人物は未来からいなくなる。そうすれば私の過去がなくなる。それはタイムパラドクスと呼ばれるものだ。ただノートの存在がそもそも不思議なものだし、もしかしたら事実の上書きなどが行なわれるのかもしれない。その場合は、すでに事実を持っている私が上書きされることになるのだろう。
 結局、私は何もすることが出来なかった。日にちはさらに進み、そろそろ一週間が経とうとしていた。
 私は今日も朝からノートをめくる。すでにキリとの会話は丸暗記するほどに読み込んだ。本当に他愛のないお喋りばかりが並んでいるけれど、その時間が私にとって本当に大事で、幸せなものだったと感じさせられる。そしてこのまま会えなくなってしまうのではないかと思ったら、目の奥が潤んできてしまって、視界が少しぼやけた。
 そうして、私はノートの最初の方に辿りついた。まだキリとの交差日記になっていない頃の書き込みだった。中学のときに私を庇って事故に遭い、それっきり会っていないユウキへの想いが綴られていた。
 このノートは最初、ユウキへとのことを記すために使っていたのだと思い出す。彼に何もしてやれなかったことに対する後悔を、少しでも整理しようと書き始めたのだった。
 そこに書かれている自分の想いを読み返して、私は思った。今に至っても私は変われないままなのか、と。私はユウキに対して何らかの想いを抱いていた。それは好意だったり、恋愛感情ではないかもしれないけど、大事な気持ちだったはずなのだ。そしてそれを伝えられなかったから十年以上も後悔していたのではなかったのか。
 キリに対してはどうなのか。私には彼に伝えたい想いがあったはずだ。なのにキリが最後に大事なことを書いてくれるらしいと安心して、自分の心の内を伝えようとするのをやめてしまった。何て馬鹿なんだろうと思う。キリがしようとすることと、私が気持ちを伝えることに、何か関係なんてあるだろうか。すでに一度、私は失敗しているではないか。ユウキに言葉が伝えられなくて、ずっと後悔し続けてきたのではなかったのか。
 十年以上も経ってしまって、ユウキとのことは何も出来ないかもしれない。でも同じようなことを私は繰り返していいのか。何があったかはわからないし、何が起こるのかもわからないけれど、でもキリはまだいるはずなのだ。そして私は彼に会えるだけの材料を持っている。何より、直接会いたいという気持ちと勇気を、キリが与えてくれていた。
 私は大事なノートを掴むと、キリが入院しているはずの病院へと向かった。


5/5へ
# by zattoukoneko | 2013-11-22 19:28 | 小説 | Comments(0)


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②見てもらう人にも考えてほしい。
やたらと6と13という数字に付きまとわれている人間(でも6は完全数とよばれる元々は神聖な数字ですねー)


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ありがたいことです。



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山本辰則の小説とか



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のHP、HarvestSnow
HarvestSnow
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です。
お薦めなのでリンクを貼りました。


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